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2008年9月24日 (水)

「見た目」より「見る目」

 逝きし世の面影さんに「ダウインの進化論とアメリカの福音派」という記事がある。多様なアメリカと言うが、報道を見ている限りでは、高度な知的水準から低俗な政治的動向まで幅がありすぎて、どれが本当のアメリカかわからない事が多い。その意味で示唆に富んだ論考だ。

 民族学の権威・祖父江孝男さんの本に『文化人類学入門』(中公新書)というのがある。そこで目を引いた二つのケースをここで紹介しておきたい。

 アメリカの宣教師がはじめてハワイを訪れたのは一八二〇年のことであり、このころ他のポリネシアの島々をもあちこちの国からの宣教師が訪れることになった。ところが彼らの母国の教会への報告書を見ると、いずれもおなじように、ポリネシアというところはまさにこの世の地獄で、人びとは道徳を知らず、動物とおなじ状態にある等々、といったように書かれている。

 ところが一九世紀には大ぜいの画家たちがポリネシアを訪れたのであり、たとえばゴーギャンが一八九一年にタヒチ島へ渡っているのだが、彼らの書いたものをみると、これはまた宣教師とはまったくの正反対で、ポリネシアというところはまさにこの世の天国、人びとは純真無垢で心にけがれもない等々……と口をきわめて賞賛している。

 ここで宣教師の場合はキリスト教の立場だけを基準にして、すべてを判断したから、ポリネシアはまさに地獄だということになったのであり、他方、芸術家たちは、「自然にかえれ」というルソーの考え方の影響もあって、無文字社会こそ、そしてとくにポリネシアこそあこがれの地というロマンチシズムの気持ちに充ち充ちていたがために、すべてがよく見えてしまったのであった。

 宣教師が日本にやってきたのは16世紀半ばだが、フランシス・ザビエルにしろ、その後やってきたルイス・フロイスにしろ、初めて接する日本人を勤勉とか向学心に富むなどと口をきわめて激賞する一方、改宗を受け入れず布教を妨害する者には即座に「悪魔」の烙印を押して憎悪し戦いの相手とする。

 例えば『完訳フロイス日本史』(中公文庫)では、「当日本国における長い経験によれば、キリシタンの布教活動が好都合に発展すると、ただちにそれに逆らって、凶悪な敵(悪魔)、および日本では仏僧といった悪魔の助力者たちの悪意と嫉妬によって惹き起こされた反抗が続く」といった調子だ。

 そして、信者に対し「明らかに凶悪な敵(悪魔)の悪意と、我らの主なるデウスの無限の善意」が強調される。つまり、善良な日本人と悪魔の日本人の対立が、福音書の教義と重ね合わせになっているようにも感じられる。

 前掲書によるもう一つのケースは、宗教や職業には関係のない、専門学者によるフィールド・ワークの結果である。人類学者ルース・ベネディクト女史は、さまざまな文化の型をアポロ型とディオニゾース型とに分けた。

 そして彼女自身の調査により、プエブロ・インディアンは、互いに競争したりすることを嫌い、他人の上に立つことも好まず、つねにゆずり合う傾向の強いところから、これをアポロ型の典型だと結論づけた。しかし、同じ地域に数か月滞在して調査を行った中国の人類学者リー・アンチェの見かたは違った。

 黄色人種ゆえにインディアンから親近感をかちえて、彼らの生活の内面にまでたち入ることができ、別の結論に達したのだった。つまり彼に言わせると、プエブロ・インディアンのあいだでは、ベネディクトのいうように、人に先んじようとする野心、リーダーになろうとする野心がないのでは決してない。

 むしろそれらは強くもっていながら、自分からいいだせば仲間から非難されるので、表面は無関心をよそおって仲間から指名されるのを互いに待ち望んでいる。だからその意味では心のなかにこもった競争心はたいへん強いのであって、むしろプエブロはディオニゾース型の典型だと主張したのであった。

 以後、この調査は繰り返されたが意見は二つに分かれたままで統一されていない。やはり調査者の価値観や先入観念が作用するということはあり得よう。しかし、片一方が正しくて他方がまちがっているという結論を急ぐ必要はあるのだろうか。

 硬貨の裏と表があるように、いずれも正しい姿で、「見た目」より「見る目」をこやすことの方が正解なのであろう。

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エッセイ」カテゴリの記事

コメント

ブログ記事の紹介有難う御座います。
われわれ普通の日本人の知っているアメリカ人は、アメリカ人全体の半分だけらしい。
原理主意者にとっての世界は、アメリカだけなので元々日本に関心はないし知らない。こちら側も原理主義者の知り合いはいないので実体を知らない。

もともと世俗的な日本人にとっては究極の原理主義者の心情は理解しがたい。
自分が個人的に妊娠中絶や同性愛に反対していても、なんで法律で禁止したり産科医を実名や写真や自宅をネットで公開してテロ行為を教唆するのか実に不思議。
想像するに、
原理主義とは完全でなければならないとの強迫観念に囚われていいるのでしょう。
自分たちだけで信じているのでは辛抱できず周りのみんなにも原理主義を強制したがる。はた迷惑な話です。
アダムとイブの話を公教育の科学の時間に教え様と本気で思っている。
しかし無理です。
完全だと信じている聖書は矛盾だらけで完全ではない。
科学的な思考方法なら幾等でも矛盾を指摘できる。例えばアダムとイブの子供達が全人類の聖なる先祖なんですが、この子供達の妻や夫は何処から来たのか。誰なのか。
ノアの箱舟で生き残った善良で宗教的に正しいノア一家の子供達の伴侶は何処から来たのか。?
聖書なんてものを科学で考えたら矛盾していて当たり前なんですが、其れをどうしても我慢できない人達がいるようです。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008年9月25日 (木) 12時04分

イスラムは、原理主義と言っても権威ある宗教指導者が新解釈で群衆をリードする。プロテスタントには原典に忠実であることの競争があるのでしょうか。

投稿: ましま | 2008年9月25日 (木) 20時03分

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受信: 2008年9月24日 (水) 16時40分

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