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2008年8月 7日 (木)

庶民の戦争責任7

 前回は「国民の自省」をいう、評論家・保阪正康氏の論拠について、資料の表面をなぞっただけの勝手読み分析だと批判した。同氏の著書に『昭和史七つの謎』(講談社文庫)というのがある。その第一話が「日本の<文化革命>は、なぜ起きたか?」である。

 項立ては、「五・一五事件の減刑嘆願運動」・「国際連盟脱退と日本人の思考」・「国際連盟脱退と日本人の思考」・「中国の<文化大革命>との類似点」と続き、最後を「なぜ日本人は変調したか」でしめている。保阪氏の著述すべてについて知識はないが「国民の責任」論はここを出発点としているのではないかと思う。

 五・一五事件は、ご承知のように陸海軍将兵が犬養首相を襲い「問答無用」とばかり射殺したテロ事件である。氏は関与した陸軍の軍法会議の模様を、『日の出』という雑誌の昭和八年十一月号付録「五・一五事件の人々と獄中の手記」を次のように引用する。

 「公判前までは(減刑嘆願運動は)愛国団体以外にほとんど見るべきものが無かつたが、公判半頃より陸軍の論告求刑を境として、つひに大衆運動と化した。そして判決の九月十九日までに三十五万七千余通の嘆願書と、奇しくも被告人の人数と同数の十一本の指が公判廷へ運び込まれたのである」

 さらに、若い士官候補生が純情無垢で「赤裸々に吐露する態度を見る時、ただわけもなく涙ぐませるものがあった」という記者の感想をつけ加えている。この裁判の判決が禁固四年という予想外に軽いものだったことから、後の2.26事件を誘発するひとつのきっかけだったという分析は、ほぼ通説になっている。

 しかしテロ行為を国民が容認・支持しているということには結びつかない。指を送りつけたというのは、暴力団が脅迫に使う行為だ。庶民に指をつめるなどという風習はない。この事件の黒幕で組織者は、一人一殺を唱えた井上日召傘下の極右である。前述の資料をあげただけでその点についての分析はない。さらに、同氏は昭和8年3月、国際連盟脱退を宣言して帰国する松岡洋右代表について、次の一例を加えた。

 当時は、新聞各紙(十二紙)が「国際連盟諸国中には、東洋平和の随一の方途を認識しないものがある」との共同宣言を発表し、松岡の行動を讃えた。松岡が横浜に戻ってきたとき、埠頭には二千人余もの人びとが駆けつけ、歓声をあげた。松岡も喜色満面で手を振ってこれに応えている。

 この例は、マスコミの世論誘導と埠頭の二千人をあげているが、それをもって国民世論とするのは無理がある。大部分の国民は国際会議のかけひきなど関心外で、日常の生業に励んでいたはずだ。それから2.26事件、同氏はこれこそ日本の<文化大革命>と位置づけ、以後を国民は「錯覚と陶酔のなかに生きた時代」とする。

 そういった浮き上がった人間はたしかにいた。しかし、国民は(すくなくとも私の回りでは)もっと現実的で冷静で常識的な感覚を失わなっていなかった。同氏は、南京陥落を聞いた国民が虐殺・暴行のという蛮行の事実も知らず旗行列をし、「宮城前や陸軍省、参謀本部前に集まっては『万歳、万歳』と老若男女を問わず叫んでいた。まさに東京・三宅坂が天安門広場と化した」と記す。

 子供である私は、行列にこそ参加しなかったが何かのイベントで「万歳」を叫んだような記憶がある。それは、これで戦争が終わってあらゆる抑圧から解放される、子供なら食べたい菓子が自由に食べられる、という希望からである。決して皇軍が支那を征服したからではない。同氏は、国民の「精神文化を歪める奇妙な運動」を始めた張本人を、陸軍省と文部省の官僚たちとする。そして最後をこうしめくくる。

 思えば、五・一五事件の法廷が出発点であり、ついで国際連盟脱退に拍手を送ったのが誤りだったのである。日本に<文化大革命>は、二度と起こさせてはならないとの昭和前期の教訓を、私たちは忘れるわけにはいかない。感情をコントロールされるのは、されるほうもわるいということを肝に銘じておくべきであろう。

 もう一度強調しておこう。日本の庶民の行動はコントロールされても、感情はそう簡単にコントロールされるものではない。日本の敗戦、占領軍の支配、新憲法や東京裁判の受け入れ、それらが想像された混乱もなく平穏に受け入れられていったのは、庶民が新時代に適応できる冷静な判断力を持ち合わせていたからにほかならない。

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