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2008年7月22日 (火)

バイオ燃料と空腹

 ガソリンの代替としてバイオ燃料生産を奨励している国がある。その影響もあって世界的な食料とか飼料不足を招き、途上国の深刻な飢餓対策や、インフレへの対処が必要だとする報道が繰り返されている。

 前回のエントリー「夏の色」にいただいた「虹色オリハルコン」さんのコメント、《うちの近所の奥様は、戦後しばらくかぼちゃばっかり食べていたので、もうかぼちゃは見るのもイヤだって言っていました》が、実は本題のヒントになった。

 「見るのもいや」なのは、カボチャ以上に馬鈴薯(ジャガイモ)、甘藷(サツマイモ)がそうだった。どれほど空腹であっても、苦みがありビチャビチャした食感では、とても米の飯の代わりにならない。ジャガイモなどすり下ろして澱粉にして食べたほどだ。

 甘藷は、赤い皮のついた甘い「たいはく」ではなく、大量生産向きで白い皮の「農林1号」などだった。馬鈴薯も、なかなか美味いものだと思ったのは、あとの時代になって「男爵」などを知ってからだ。最初は味より量の食料増産対策だと思っていたが、どうやらバイオ、つまり軍用機代替燃料生産対策によるものらしい。

 昭和12年(1937)、政府は早くもガソリン不足を見越して混用アルコールの生産・販売を国営化する専売法を施行した。目標は昭和19年度の予想揮発油消費量を216万㌔㍑に対し20%のアルコール混入を達成するというものである。

 しかし、この計画も主原料の甘藷、馬鈴薯の生産量に左右されざるを得なかった(『日本石油百年史』)。初年度実績は目標の74%、昭和16年度は資材不足と原料不足で生産設備拡充もできなくなった。軍人が酒屋を回り、焼酎などの瓶を徴発して回ったというからその焦りも極限に達していたのだ。

 終戦直前の20年4~8月の生産量が4625㌔㍑で航空燃料に32.4%使われてたと言うが、もう自由に戦場を飛べるだけのガソリンはなかっつた。また、このバイオ燃料は、エチルアルコールのほかメチルアルコールがあった。

 戦後、そのメチルアルコールが民間に出回り、お酒の代用に用いたため多くの死者が出たことは、当時を経験している人なら、誰でも知っている。ブラジルのバイオマスには長い歴史があり、唯一の成功例であろう。石化燃料より環境にやさしいと言う説の根拠は薄弱で、エネルギー節約を二の次にしたバイオ燃料大増産のもくろみは、必ずや失敗すると断言しておこう。

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コメント

戦後直後は、めちゃくちゃなことが、平然と行われていたと義母からも話を聞いています。
それでも、戦争をしているよりはましだったのでしょうね。

バイオ燃料が、世界の食糧不足と穀物の高騰を招いていることは歴然。これに、気候変動による小麦の不作が重なります。
なんにつけてもブッシュのやることは、つくづくろくでもないです。

投稿: 金木犀 | 2008年7月23日 (水) 11時21分

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