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2008年7月23日 (水)

ひねくれ者

 NHKTV番組、鶴瓶の「家族に乾杯」で、福井県永平寺中学が登場した。写っていたのをチラと見た程度だが、下校時に校門で校舎のの方に向かって一礼して帰るとか、終業時に1分間瞑想するとか、一斉に廊下のぞうきんがけをするという話である。

 これに感動した主婦(67)の方が、「感謝や恩に報いるという考えが足りなくなっている」という世相を嘆いて「生徒たちの姿がまぶしく見えた」と毎日新聞に投書した。また同じ新聞の経済面「経済観測」というコラム欄の常連が、全く同趣旨の話をテーマに取り上げた。

 この方は「いまどきこんな中学があったこと自体、日本も捨てたものではない」とか、「生きていくことの基本を身につけさせる教育の原点は、こんなところにあるのかも知れない」という入れ込みようである。

 ここで、ひねくれ者は考える。「これはどっかで見たぞ」「俺らもやったじゃないか」ということになる。上記の主婦もコラムニストもそんな体験はないだろう。敗戦→占領で廃れてしまったからだ。校門を入ると、左右いずれかに奉安殿(鉄筋コンクリート製で天皇の写真や勅語などをしまっておく)があり、登校時、退校時には必ず最敬礼した。

 田舎の奉安殿がない小さな学校は、門を入って校舎の正面入り口の右か左が校長室とか奉安室だからそれに向けて最敬礼をした。朝礼など全校集会はすべて上級生の号令である。「黙想!」というのがあった。これが上記の瞑想に当たる。ぞうきんがけ、さぼると厳罰があり、四つんばいで拭くのはけっこう辛かった。

 新制中学発足当時からその風習があったというから、戦時中の慣習を時の有力者が復活させたものに違いない。奉安殿はともかく、それらに教育効果がないとはいえない。また、これを滅私奉公・戦争遂行教育だなどと、ひねくれたこともいいたくない。できれば投書主婦やコメンテーターのようにすなおに感激したいのだ。

 しかし「だが待てよ」がある。その行動が強制されたものがどうか、生徒の自発性や総意がどの程度汲み入れられているか、教育成果を何で計ろうとしているのか、それらがわからないと、ひねくれ者には一抹の不安が残るのである。

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戦中・戦後」カテゴリの記事

コメント

私もその番組は見ましたが、ひねくれ度が足りないのか、戦中・戦前の知識が足りないのか、そこまでは思い至りませんでした。

 今読ましていただいて、そのひねくれに賛同です。

投稿: 飯大蔵 | 2008年7月24日 (木) 00時49分

飯大蔵 さま
「黙想」といっても、想っちゃいけないのです。最初は耳をすませて何が聞こえるかから始めます。そして無念無想、止水明鏡の境地へ……。
「禅」ということになるのか、一日一回そういう「時」があれば、「むしゃくしゃする」雑念からは解放されると思います。
そうしておいて、「洗脳」に入るというのは反対ですが……。

投稿: ましま | 2008年7月24日 (木) 09時26分

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