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2008年7月25日 (金)

庶民の戦争責任1

 以下は、老人党リアルグループ「護憲+」ブログに「夏が来て」と題して掲載され、トラックバックをいただいた記事の一部です。やや長くなりますが前置きとして引用させていただきます。

 私は戦争を知らない世代ですが、私が子どもの頃おとなはみんな戦争を経験していて、戦争中の苦労話をよく聞かされました。

その話はいつも「被害者」として大変な思いをしたことばかりで、自分たちが大陸や南方でそこに暮らす人々へ大変な思いをさせた「加害者」としての思い出を聞くことは(少なくとも私は)ありませんでした。やはり、足を踏まれた方はその痛みを忘れないけれど、踏んだ方は踏んだことさえ気がつかないということもあるでしょう。

それでも、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」に対する、「自虐史観」というコトバを使う人たちの、その事実がなかったか、あるいは小規模だったことにしようとする反応から、軍隊ではなく市民へのひどい行為は「いけないこと」あるいは「誇れないこと」であるという自覚を、この人たちでさえ持っていることがわかります。

東京大空襲や広島、長崎に原爆を落としたB29の搭乗員は、下界で起こった阿鼻叫喚をどれほど意識したでしょうか。「湾岸戦争」以来映像で紹介されているように、TVゲームのような感覚で「命」など存在しない「軍事目標」を単に「攻撃」しただけと思ったのかもしれません。

 言われているのは、戦争指導者でない一兵士のまたは庶民の戦争責任です。こう言った指摘は戦時体験のない護憲陣営の方からもよく出ます。そのだびに、なんともいえない戸惑いを感じるとともに、戦争の「本質」についてお互いの認識に、大きなへただたりというか、すれちがいがあるように思えてなりません。

 戦中の体験を持つ人も多種多様です。例えば石原慎太郎も中曽根康弘も戦時体験を持っていますが、私と考えとは180度違います。ところがごく稀にですが、共感できる発言を聞くことがあるのです。その点、安倍晋三の未熟な危うさ心許なさとは、異質な感じを受けます。

 したがって、上に示されたような疑問を、学者の綿密な資料分析の結果のような形で説明することはできません。ただ、「どうしてこんな戦争になってしまったんだろう」と長年考え続けてきた1個人の感想として、ブログに残しておく義務(大げさですね(^^))はあるのではないかと思います。

 もう一つ挙げておきましょう。7月24日付け毎日新聞(夕刊)で作家の魚住昭と学者の中島岳志が対談し、その中で中島がこう言っています。

 戦後、日本人は自分たちの責任を問わず、「だましたヤツが悪い」と東条英機らを批判した。だまされる側にも責任はあるのではないか。昨年のテレビ番組での納豆騒動も、構造は同じ。戦前から変わらない。

 東条と納豆騒ぎを同じにする、なんと不謹慎で軽薄な発言でしょう。生死をかけ、食うや食わずやでがんばってきた庶民がおっちょこちょいだったと言いたいのでしょうか。学者なら、もっと戦前・戦中・戦後の民衆史やその背景となった政治史を精査してほしいと思います。はっきり答えておきましょう。庶民や一兵士としての日本人のほとんどは、ごく稀な例外をのぞいて、自分に戦争責任があるとか加害者だったと感じたことなどないでしょうと。

 本論に入る前に、もうひとつの疑問を挙げておきます。庶民に仮に戦争責任があり、それを認めるということは、具体的にどういうことを指すのでしょうか。またどうあればいい、どうすべきだということになるのでしょうか。戦後最初の東久邇首相が一億総懺悔を言ったとき、国民から総スカンを食いました。その前まで歴史をまきもどせ、ということでしょうか。

 誰かさんと違って戦後レジームは、日本にとって考え得る最善の道だった、と私は考えます。それをねじ曲げようとする如何なる試みにも私は反対します。ここで、戦時体験のない人とのギャップ(段差)を埋める自信はりません。しかし、終戦記念日までの宿題としてできるだけこれに取り組んでみたいと思います。

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コメント

 戦争を知らない世代の小生は、なかなか当時のことを自らが体験したように想像することはなかなか困難ではありますが、戦争責任論にしても、自分達の祖先が犯した過ちはあると思うので、日本人が中国や朝鮮半島で何をしてきたのかはしっかり知って反省すべき点はあるように思います。
 しかし、そのことと、当時の強権的な天皇主権の国家が、国民に犠牲を強いて戦争に駆り出しておいて、いざ負けたら、その責任を全国民に押し付ける・・・、これは間違いだと思います。日本政府は、近隣アジア諸国を侵略した行為について、「過去に不幸な歴史があったことは遺憾だ」とか、謝罪なのかそうでないか曖昧なことを言っていますが、国民を戦争に動員した責任は一切認めようとしませんし、謝罪の意もこれっぽっちもないということ、ここが大きな問題のように思います。

投稿: 棘入り《妄言録》!  | 2008年7月26日 (土) 00時06分

連載3回目か4回目で是非その点に触れてみたいと思います。
乞うご期待!!(まで行けるかどうか頑張ってみます)。

投稿: ましま | 2008年7月26日 (土) 13時14分

ボスニアの戦犯であったカラジッチが拘束されました。旧ユーゴスラビアのような目と鼻の先で殺し合いの戦争をしてしまうと、殺した側も殺された側も記憶にしっかりと残っています。人々に痛ましい記憶を与えた全ての責任をとって、差別を煽り虐殺を指導した政治指導者が裁かれるのは当然のことでしょう。
戦争は政治指導者の犯す犯罪です。9・11とイラクは全く関係ありませんでした。この場合、イラクでおきている全ての混乱と犠牲、その戦争責任としてブッシュ大統領やブレア前首相は裁かれなければなりません。混乱の結末は「相殺」して世の中のバランスを保つことしかありません。政治責任は”Death by Kill”です。

私は戦後生まれなので、戦争を見ようと思って、アジアの戦場の跡を訪ねてきています。特にレイテ島には個人的に2回訪ねております。ちょっとフィリピンは、住民虐殺から人肉食までありまして、マニラ裁判で判決が出ている凄まじい戦場でした。15年程前のことですが、その当時の人肉食で裁かれた軍医がミンダナオに行って、現地の医療ボランティアをしていました。いまでも戦争中ダバオにいた方が、資材を投げ打ってミンダナオで熱帯林の再生活動をしています。
庶民の戦争責任を感じるなら、政治的な部分とは切り離して、加害者として被害者として犠牲になった戦場を訪ねてみることです。現地の子供たちが日の丸を振って歓迎してくれます。洗礼を受けてみてはいかがでしょうか。

投稿: ていわ | 2008年7月26日 (土) 21時36分

ていわ さま
貴重な追体験、尊敬します。戦時の心のいたみを実践に変えておられるかた、立派です。それが出来ずに黙して語らぬ方、この人も悪魔であろう筈がありません。これからも小さな努力を続けたいと思います。

投稿: ましま | 2008年7月27日 (日) 09時35分

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現代科学では、未検証は沢山ありますが未解明は有りません。 色々な現象に対して、色々な雑多な学説(仮説)が立てられる。 今も昔も科学に、未検証はあっても、未解明(学説が何もない状態)は無いんですよ。 昔、ビタミン欠乏症の原因が判らない時期に、色々な学説(仮説)が立てられた。 特に日本ではビタミンB1の欠乏でかかる脚気は結核と並んで二大国民病とまで言われて、多くの命が失われた。 日露戦争時の戦死者より脚気による病死者の方が多かったらしい。 この時に脚気の原因として、栄養不良、栄養障害説説、や日本独特... [続きを読む]

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