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2008年7月

2008年7月31日 (木)

庶民の戦争責任5

 ここまで、一兵士や庶民には戦争責任がない、またそれを体験した人でなければ加害者意識もない、などと言ってきました。またそれを、科学的に実証しようと言うのではなく、あくまでも当時の1少年の実感を申し上げたつもりです。

 いただいたコメントの中に「先祖が負うべき責任は」というのがありましたが、父母の時代、祖父母のまでさかのぼり、それらの時代背景についてこれまでも何度か記事にしてきました(カテゴリ「戦争とは」の《歴史編》などに入れています)。

 「戦時においては中国人は敵、だから加害者・被害者の区別はない」というようなことを前回書きました。しかしこれはいささか詭弁であって、「侵略したのは日本、したがって被侵略国民は全部被害者」と言ってもいいわけです。

 殺戮の現場は中国です。その中国から日本は攻撃を受けたことがありません。軍隊が中国大陸にいて荒らし回ったのですから、一方的に責任は日本にあり、すでに戦争が始まっていたわれわれの時代はともかく、庶民といえども加害者でないと言いはきれません。

 それを当時の日本人はどう意識していたかです。両親の世代は物心がついた頃、すでに日本軍が中国国内に常駐していました。日露戦争の結果、ロシアから奪った中国領土内の利権(鉄道など)を守るなどという口実があったのです。

 そういった他国軍の駐留は欧州列強、みんなやっていましたから日本だけではありません。いわゆる植民地競争、帝国主義さかんな時代の名残です。しかし、第二次世界大戦が世界に悲惨な結果をもたらした結果を受けて、世界は軍事力優先、覇権競争を自制する方向に向かいました。

 ところが、日本だけは逆の方向へ行きました。中国に勝ったわけでもないのに、火事場泥棒のような対華21箇条要求などを押しつけました。私はこれが中国侵略の始まりだと解釈しています。その後、関東軍による張作霖暗殺など卑劣・陰険な内政干渉を繰り返し、自作自演の満鉄線爆破で満州事変に至った経緯は詳しく述べません。

 こういった外交上の機微や謀略事件の真相は一切国民に知らされませんでした。その反面、中国における抗日運動や日本人殺害などは伝えられ、「わからずやの中国人」といった蔑視だけが進んだような気がします。そして昭和に入ると治安維持法が猛威をふるい、国軍批判イコール体制(国体)批判、イコール日本国転覆をねらう共産党、といった社会になってしまったのでしょう。

 そうです。暴力装置である日本軍がよその国にいなければ、あるいは早期に引きあげていればこういうことにならなかったのです。その責任は誰が負うかということになると、天皇であり、軍、特に関東軍であり、歴代内閣など国の中枢にいた人間ということになるでしょう。これを庶民にまでひきおろすのは、やっぱりすこし無理があるような気がします。

『永遠平和のために』カント(1795年)

第三条項
 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。

 なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである。常備軍が刺激となって、たがいに無際限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となり、この重荷を逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである。

 そのうえ、人を殺したり人に殺されたりするために雇われることは、人間がたんなる機械や道具としてほかのものの(国家の)手で使用されることを含んでいると思われるが、こうした使用は、われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和しないであろう。

 だが、国民が自発的に一定期間にわたって武器使用を練習し、自分や祖国を外からの攻撃に対して防衛することは、これと全く別の事柄である。(宇都宮芳明訳・岩波文庫)

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2008年7月30日 (水)

擬態

 -連載-、今日は一休みします。

2008_07300007  緑の庇、完成間近です。これは1株のゴーヤの「擬態」。

 2008_07300008 ところが擬態ではプロがいました。ゴーヤの赤ちゃん・雌花かと思ったらなんと若きカマキリ君ではないですか。

 昨日、東条さんを「擬悪」と書いてしまいました。正しくは「偽悪」ですが、あえて「擬」の字をあてました。その方が完璧に近いような気がしたからです。そういえば顔もカマキリ君に似ていませんか。coldsweats01

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2008年7月29日 (火)

庶民の戦争責任4

 前の2回では、総力戦のもとでは国民が犠牲になることは当然、と考えられていたことと、まず勝つことが一番で、そのためには「なんでもあり」「殺さなければ殺される」ということを言いました。そして、「勝てば官軍」勝った方はあとでどんなことでも合理化・合法化できるのです。

 アメリカの原爆投下も東京大空襲も、戦争だからやられても「しょうがない」という感情を国民は持っていました。原爆という超能力兵器開発の可能性は、日本でも「マッチ箱ひとつで戦艦が沈む」という表現で知られており、日本が早くそれを発明して使えればいいなあ、と思っていたものです。

 その意味では、久間元防衛庁長官の「しょうがない発言」のどこがいけないのか、という気もします。そして、広島の原爆慰霊碑にある「過ちはくりかえしませぬから」という文言が議論になっているようですが、私は、最初から広島の惨禍を繰り返さないよう、日本人が世界に訴え続けるという意味に解釈しています。

 さて、東京裁判についてですが、教科書問題や靖国問題などをめぐってさきの戦争を合理化、正当化しようてする側から「東京裁判史観」などという新語を持ち出して、裁判の不当性を強調する議論が盛んになりました。

 最近は議論が下火になったように思いますが、この裁判は、世界の大きな流れの中で進められた歴史の一こまです。議論は大いに結構で、それにより裁判の実相が深まることはいいことです。しかし確定している史実を否定したり、結果を勝手に書き換えたりはできません。

 本稿の目的からはずれるので議論には立ち入りませんが、もう中学生・高校生になっていた私にはどう映っていたでしょうか。まず東条元首相逮捕の際の自殺未遂です。これは同級生の間でも猛烈なブーイングが起きました。

 「あれはお腹の皮をつまんでそこを撃ったんだ」などという子もいました。ピストル自殺は銃口をこめかみに当てて撃つぐらいは子供でも常識です。まして「死して虜囚の辱めを受けるなかれ」という『戦陣訓』を作った軍の最高責任者です。彼にとって決定的なイメージダウンになりました。

 裁判は淡々として進められ、概略の報道もありました。東条が開戦に至った正当性を、かたくなに主張し続けたとも聞きました。この点、ほかの被告が自己弁護したり、責任回避をする中で、際だっていたことはあとで知りました。

 私は今では東条崇拝者です。天皇の戦争責任追求を回避し、戦後の日本再興を願って他の一切の責任すべて一身に集中させることに全知全能を捧げたのです。それでなければ、あの不可解な自殺未遂のなぞも解けないし、また裁判でも開戦を正当化し、一切反省を示さないことで裁判官の心証を悪くさせることに集中したのでしょう。東条は稀代の擬悪者、これが私の独断です。

 判決の模様は、ラジオで聞きました「……Death by hanging(絞首刑)」という英語は今でも耳に残っています。国内では、堂々と裁判で渡り合った東条を見直したり、各被告に対する不公平を指摘する意見もあるなど、国民の関心は高かったものの、裁判や判決に対する表だった反対や抗議をしたという話は聞いたことがありません。

 この裁判には日本人から見て、戦争の勝者が敗者を裁くという面と、敗戦に至る戦争を指導した責任を問う両面があり、また同時に敵対国に対しての「けじめをつける」という意味があったと思います。

 それを「けじめはついていない、戦争は自衛の戦争、侵略戦争ではない」などといったらどうなるでしょう。中国国民政府の蒋介石総統は、日本からの賠償請求を放棄しました。また、共産党政府の周恩来首相は「日本の人民に戦争の責任はなく、むしろ被害者である」といって国交回復に応じました。連合国と講和条約を結び、国連に加盟できたのも、そういったけじめの積み重ねがあってのことです。

 小泉首相の靖国神社参拝強行は、たとえ真意がそこになかったにしろ国際社会、ことに中国から軍国日本の復活、と警戒されてもやむを得ない愚行だったと思います。それを支持しあおった「庶民」がいたとすればたしかに「戦争責任」ものですが、やはり「だれがそうさせたのか」は問われなければならないでしょう。

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2008年7月28日 (月)

庶民の戦争責任3

 前回、「南京事件」をと予告しましたが、特定の事件ではなく「中国では」という広い意味に変えてください。政府は「支那事変」といって、国際法上の戦争と区別していますが、国内では完全な戦争体制に入っていました。

 毎日のように出征兵士を送る行列があり、駅には武運長久の祈りをこめた千人針を求める留守宅の婦人の姿がありました。中国は明らかな「敵国」になってしまったのです。第一次世界大戦以降、戦争は、政府や軍隊と一般国民を区別しません。その国のすべてを総合した国力の差が勝敗を分けます。

 国民精神総動員、国民皆兵といった政府の宣伝も日増しに熱を帯びてきました。じゅうたん爆撃による都市人口密集地への攻撃、戦車隊などによる殲滅作戦など民間であろうとなかろうと「戦力」になりうるものはすべて抹殺の対象になります。

 陸軍歩兵の場合は悲惨です。目の前の人を殺すのが商売です。相手を殺さなければ自分が殺されます。だから、人をためらわず殺せるように訓練されます。中国の場合、「便衣隊」といって民間人に紛れ込んだ敵兵から攻撃を受けるというようなことが多々あったといいます。

 民間人と言っても敵国人です。攻撃を躊躇して友軍を窮地におとしいれるようなことはできません。南京ではこういった犠牲者もあったでしょう。だからといって南京を占領した日本軍を一切弁護する気はありません。戦争というのは妥協を許さない過酷なものだ、と言いたかっただけです。

 明らかな非戦闘員を虐殺したりレイプしたり略奪行為をすることは、軍律上も許されないことです。多くの日本兵は今の若者よりはるかに道徳観念で秀でていたと思います。陛下の兵士で大和魂のある侍の末裔です。弱い婦女子に暴力をふるうなど最も恥ずべきことだと信じていたはずです。

 明治・大正のころまで、日本軍は軍紀の乱れがないことで世界的に評価されていました。南京事件は、極限状態の中で指揮系統の無責任さや軍紀の乱れを露呈したものでしょう。ベトナムやイラクの米兵の行為を見ても似たようなことは繰りかえされるものだ、と思います。

 さて最初の宿題にもどつて、「兵士に加害者意識がなかったかのか」の問題です。開戦は天皇の大権です。選挙で戦争に反対する候補者に投票(女子には投票権がない)できても、議会にそれを止める能力がなく、内心開戦を避けたかった天皇でさえそれをおさえることができませんでした。

 戦争がはじまってしまえばもう反対できません。負けたら元も子もなくなります。勝った方がいいに決まっているからです。次に兵役は国民の義務ですから拒否する自由はありません。戦地に出て戦う以上相手は敵です。敵に対しては加害者も被害者もありません。対等です。

 南京事件で言われるようなことを目撃したり実行していれば、加害者という意識を持つことになるでしょう。そういったことで、心の傷としてしまっおいたことに重い口を開くという話は、最近よく聞きます。しかし、自責の念は、そこにいたことではありません。
 
 例は違いますが、沖縄で非戦闘員に手榴弾を渡し自殺をうながしたとされた守備隊長は、生き延びたことに自責の念はあったでしょうが、当時なら守備のじゃまになるといって住民を銃殺することさえあり得た中で、最善の措置をとったともいえます。戦争とは、それほど非日常的なものだと考えてください。

 庶民の戦争責任については、そのまた先祖の責任という発想もあると思いますが、機会を見てあとでのべることにします。また、中国以外の東南アジアではアメリカと激戦を繰り返したフィリピンはやや複雑ですが、それ以外のベトナム、マレーシア、インドネシアなどは、敵はそれぞれを植民地としたフランス、イギリス、オランダの軍であり、現地人には中国人と違った接し方をしていました。戦中は現地人との友好風景を盛んに宣伝していたものです。

 植民地解放の戦争だったという意見がありますが、昭和18年5月の御前会議の方針から見て、どうやらあとづけの理屈らしく、自慢にはなりません。ただ、朝鮮人にしろ中国人にしろその他のアジア人にしろ、善良な一兵士や庶民に加害者意識を持て、とか戦争責任を負えというのは到底無理な話です。

 あなたは、イラク戦争の被害者に同盟国の国民として責任を持てとか、加害者意識を持てといわれて、どう答えますか。日本人は、元来残虐で征服欲が強く、道義心もありません。心を入れ替えて反省します、というのでしょうか。それこそ「自虐史観」で、逆の意味で歴史や真実をねじまげ、平和への追求をさまたげる「歴史修正主義」におちいる危険があります。

 次回は東京裁判に行ってみたいと思います。

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2008年7月26日 (土)

庶民の戦争責任2

 私は、満州事変とほぼ同時に生まれました。したがって戦中・戦後の時代を小学校から高校までの間に体験したことになります。従軍経験はないので戦地のことは語れません。しかし学校や家庭や地域で起きていたことや、当時の人々の気持なら話せます。

 まず従軍慰安婦で考えてみましょう。私の通った小学校には朝鮮人の級友がたくさんいました。「うちの父さんな、ようジョロカイに行きよんね」というようなことを話題にします。なにかよからぬ特殊な場所だとは思っていましたが、あとで考えると「ジョロカイ」は「女郎買い」だったようです。

 ご承知のように、当局の監視監督下にある売春施設は合法だったし、性的奴隷状態は建前としてありません。また、そこにいる女性もけっこう気位が高かったようです。こういった風俗が文学の題材になり社会を構成していたことは、朝鮮半島でも同様だったと思います。

 したがって、朝鮮で強引にあるいはだまして少女を連れだせば、これは立派な犯罪です。反面、朝鮮人はこの職業から閉め出す、という措置をとれば差別だと言われかねません。朝鮮人に対する差別は、学校でも「同じ天皇陛下の赤子(せきし)として」(実はこれが問題なのですが)してはならぬことと、厳しく指導されていました。

 問題は、①朝鮮で業者等による不法な募集があった可能性があること、②売春施設を戦地(外国)に設けたこと、③特に前線など異様な環境のもとで人権蹂躙があったこと、などではないでしょうか。②、③は進駐地での強姦事件などを防ぐという口実があったようですが、現地に今でいう厚生労働省の出先などないわけですから、設置・監視・監督・移動などすべて軍がその実務に当たらざるを得なくなり、軍の関与は当然といえましょう。

 戦争が激化した頃、当局の厳しい遊興の監視や客筋の応召などで遊郭が暇になり、そこにいた女性(日本人)が「こんなところで毎日ぼやぼやしていてもしょうがない。私たちだってお国のためになるのなら、志願して戦地の兵隊さんのお相手をしようかしら」といったような話をどこかで見たことがあります。これをウソだと思いますか?。

 私は、これまで従軍慰安婦問題にはできるだけ触れないようにしてきました。以上のような書き方をすると、激論に沸いている時なら、右だ左だ肯定派だ否定派だなどときめつけられ、誤解されかねないからです。次回は南京事件もとりあげてみるつもりですが、いずれも一方的な感情論が先行し、個人の内面的心情にまで踏み込んで議論することには反対です。

 

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2008年7月25日 (金)

庶民の戦争責任1

 以下は、老人党リアルグループ「護憲+」ブログに「夏が来て」と題して掲載され、トラックバックをいただいた記事の一部です。やや長くなりますが前置きとして引用させていただきます。

 私は戦争を知らない世代ですが、私が子どもの頃おとなはみんな戦争を経験していて、戦争中の苦労話をよく聞かされました。

その話はいつも「被害者」として大変な思いをしたことばかりで、自分たちが大陸や南方でそこに暮らす人々へ大変な思いをさせた「加害者」としての思い出を聞くことは(少なくとも私は)ありませんでした。やはり、足を踏まれた方はその痛みを忘れないけれど、踏んだ方は踏んだことさえ気がつかないということもあるでしょう。

それでも、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」に対する、「自虐史観」というコトバを使う人たちの、その事実がなかったか、あるいは小規模だったことにしようとする反応から、軍隊ではなく市民へのひどい行為は「いけないこと」あるいは「誇れないこと」であるという自覚を、この人たちでさえ持っていることがわかります。

東京大空襲や広島、長崎に原爆を落としたB29の搭乗員は、下界で起こった阿鼻叫喚をどれほど意識したでしょうか。「湾岸戦争」以来映像で紹介されているように、TVゲームのような感覚で「命」など存在しない「軍事目標」を単に「攻撃」しただけと思ったのかもしれません。

 言われているのは、戦争指導者でない一兵士のまたは庶民の戦争責任です。こう言った指摘は戦時体験のない護憲陣営の方からもよく出ます。そのだびに、なんともいえない戸惑いを感じるとともに、戦争の「本質」についてお互いの認識に、大きなへただたりというか、すれちがいがあるように思えてなりません。

 戦中の体験を持つ人も多種多様です。例えば石原慎太郎も中曽根康弘も戦時体験を持っていますが、私と考えとは180度違います。ところがごく稀にですが、共感できる発言を聞くことがあるのです。その点、安倍晋三の未熟な危うさ心許なさとは、異質な感じを受けます。

 したがって、上に示されたような疑問を、学者の綿密な資料分析の結果のような形で説明することはできません。ただ、「どうしてこんな戦争になってしまったんだろう」と長年考え続けてきた1個人の感想として、ブログに残しておく義務(大げさですね(^^))はあるのではないかと思います。

 もう一つ挙げておきましょう。7月24日付け毎日新聞(夕刊)で作家の魚住昭と学者の中島岳志が対談し、その中で中島がこう言っています。

 戦後、日本人は自分たちの責任を問わず、「だましたヤツが悪い」と東条英機らを批判した。だまされる側にも責任はあるのではないか。昨年のテレビ番組での納豆騒動も、構造は同じ。戦前から変わらない。

 東条と納豆騒ぎを同じにする、なんと不謹慎で軽薄な発言でしょう。生死をかけ、食うや食わずやでがんばってきた庶民がおっちょこちょいだったと言いたいのでしょうか。学者なら、もっと戦前・戦中・戦後の民衆史やその背景となった政治史を精査してほしいと思います。はっきり答えておきましょう。庶民や一兵士としての日本人のほとんどは、ごく稀な例外をのぞいて、自分に戦争責任があるとか加害者だったと感じたことなどないでしょうと。

 本論に入る前に、もうひとつの疑問を挙げておきます。庶民に仮に戦争責任があり、それを認めるということは、具体的にどういうことを指すのでしょうか。またどうあればいい、どうすべきだということになるのでしょうか。戦後最初の東久邇首相が一億総懺悔を言ったとき、国民から総スカンを食いました。その前まで歴史をまきもどせ、ということでしょうか。

 誰かさんと違って戦後レジームは、日本にとって考え得る最善の道だった、と私は考えます。それをねじ曲げようとする如何なる試みにも私は反対します。ここで、戦時体験のない人とのギャップ(段差)を埋める自信はりません。しかし、終戦記念日までの宿題としてできるだけこれに取り組んでみたいと思います。

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2008年7月24日 (木)

北京、ハンセン病OK

 中国政府は、これまで各国の習慣に従ってという理由をあげ。ハンセン病患者の入国を認めなかったのを、オリンピックを間近に控えたここに来て、一転、家族を含めた入国を許可することに政策転換したということです。差別禁止の国連決議共同提案国になったことにもよるが、ここにきて人権問題に対するイメージアップを一段と進めようとする意図があった、と各紙が伝えています。

 ブッシュ米大統領は、多分このくだりを読んでいるでしょう。『福音書』第一章40-45(塚本虎二訳・岩波文庫)

 するとある日一人の癩病人がイエスの所に来てひざまずき、「清めてください。お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。イエスはそのあわれな姿を見て悪魔(サタン)に対する怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が消え失せて、その人は清まった。イエスはいきり立ち、すぐその人を追い出して言われる、「だれにも何も言わないように気をつけよ。ただ、全快したことを世間に証明するため、エルサレムの宮に行って体を“祭司に見せ、”モーセが命じたものを清めのために捧げよ。」しかしその人は出てゆくと、宮には行かず、しきりにこの出来事を言いふらし、ふれまわったので、イエスはもはや公然と町に入ることが出来ず、町の外の人のいない所におられた。人々が四方から、イエスの所にあつまって来た。

 この話、前後に何の関連もありません。ただ管理人が暑さバテしているだけです。

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2008年7月23日 (水)

ひねくれ者

 NHKTV番組、鶴瓶の「家族に乾杯」で、福井県永平寺中学が登場した。写っていたのをチラと見た程度だが、下校時に校門で校舎のの方に向かって一礼して帰るとか、終業時に1分間瞑想するとか、一斉に廊下のぞうきんがけをするという話である。

 これに感動した主婦(67)の方が、「感謝や恩に報いるという考えが足りなくなっている」という世相を嘆いて「生徒たちの姿がまぶしく見えた」と毎日新聞に投書した。また同じ新聞の経済面「経済観測」というコラム欄の常連が、全く同趣旨の話をテーマに取り上げた。

 この方は「いまどきこんな中学があったこと自体、日本も捨てたものではない」とか、「生きていくことの基本を身につけさせる教育の原点は、こんなところにあるのかも知れない」という入れ込みようである。

 ここで、ひねくれ者は考える。「これはどっかで見たぞ」「俺らもやったじゃないか」ということになる。上記の主婦もコラムニストもそんな体験はないだろう。敗戦→占領で廃れてしまったからだ。校門を入ると、左右いずれかに奉安殿(鉄筋コンクリート製で天皇の写真や勅語などをしまっておく)があり、登校時、退校時には必ず最敬礼した。

 田舎の奉安殿がない小さな学校は、門を入って校舎の正面入り口の右か左が校長室とか奉安室だからそれに向けて最敬礼をした。朝礼など全校集会はすべて上級生の号令である。「黙想!」というのがあった。これが上記の瞑想に当たる。ぞうきんがけ、さぼると厳罰があり、四つんばいで拭くのはけっこう辛かった。

 新制中学発足当時からその風習があったというから、戦時中の慣習を時の有力者が復活させたものに違いない。奉安殿はともかく、それらに教育効果がないとはいえない。また、これを滅私奉公・戦争遂行教育だなどと、ひねくれたこともいいたくない。できれば投書主婦やコメンテーターのようにすなおに感激したいのだ。

 しかし「だが待てよ」がある。その行動が強制されたものがどうか、生徒の自発性や総意がどの程度汲み入れられているか、教育成果を何で計ろうとしているのか、それらがわからないと、ひねくれ者には一抹の不安が残るのである。

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2008年7月22日 (火)

バイオ燃料と空腹

 ガソリンの代替としてバイオ燃料生産を奨励している国がある。その影響もあって世界的な食料とか飼料不足を招き、途上国の深刻な飢餓対策や、インフレへの対処が必要だとする報道が繰り返されている。

 前回のエントリー「夏の色」にいただいた「虹色オリハルコン」さんのコメント、《うちの近所の奥様は、戦後しばらくかぼちゃばっかり食べていたので、もうかぼちゃは見るのもイヤだって言っていました》が、実は本題のヒントになった。

 「見るのもいや」なのは、カボチャ以上に馬鈴薯(ジャガイモ)、甘藷(サツマイモ)がそうだった。どれほど空腹であっても、苦みがありビチャビチャした食感では、とても米の飯の代わりにならない。ジャガイモなどすり下ろして澱粉にして食べたほどだ。

 甘藷は、赤い皮のついた甘い「たいはく」ではなく、大量生産向きで白い皮の「農林1号」などだった。馬鈴薯も、なかなか美味いものだと思ったのは、あとの時代になって「男爵」などを知ってからだ。最初は味より量の食料増産対策だと思っていたが、どうやらバイオ、つまり軍用機代替燃料生産対策によるものらしい。

 昭和12年(1937)、政府は早くもガソリン不足を見越して混用アルコールの生産・販売を国営化する専売法を施行した。目標は昭和19年度の予想揮発油消費量を216万㌔㍑に対し20%のアルコール混入を達成するというものである。

 しかし、この計画も主原料の甘藷、馬鈴薯の生産量に左右されざるを得なかった(『日本石油百年史』)。初年度実績は目標の74%、昭和16年度は資材不足と原料不足で生産設備拡充もできなくなった。軍人が酒屋を回り、焼酎などの瓶を徴発して回ったというからその焦りも極限に達していたのだ。

 終戦直前の20年4~8月の生産量が4625㌔㍑で航空燃料に32.4%使われてたと言うが、もう自由に戦場を飛べるだけのガソリンはなかっつた。また、このバイオ燃料は、エチルアルコールのほかメチルアルコールがあった。

 戦後、そのメチルアルコールが民間に出回り、お酒の代用に用いたため多くの死者が出たことは、当時を経験している人なら、誰でも知っている。ブラジルのバイオマスには長い歴史があり、唯一の成功例であろう。石化燃料より環境にやさしいと言う説の根拠は薄弱で、エネルギー節約を二の次にしたバイオ燃料大増産のもくろみは、必ずや失敗すると断言しておこう。

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2008年7月21日 (月)

夏の色

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【高見順『敗戦日記』文芸春秋新社】
(昭和二十年)

七月二十一日

煙草に野蕗の葉をまぜて飲む。配給がすくないのでそうして飲みのばそうというのだ。
かぼちゃの葉を食う。初めての試食だが、まずくはない。
平野潤少尉来る。徹君の弟。名古屋では月に五日分の米しか配給がないという。あとは代用食。

【佐々木信綱校訂『新訂新古今和歌集』岩波文庫】

          慈覚大師
大方に過ぐる月日をながめしは
わが身に年の積るなりけり

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2008年7月19日 (土)

折り込み拒否の読売

 「かものはし」さんは、長くブログ上でおつきあいいただいている方である。お目にかかったことはないが、単独で地域の「9条の会」を呼びかけられ、数人の会員ではじめた本当の草の根組織をやっておられるらしい。多分ふだんは「市民運動」などとは縁のない方だと拝察している。以下、寄せられたコメントをコピペさせていただく。

ご無沙汰しております。伝言。九条の会で講演会のビラを 新聞折り込みにするため 個別配布も 怠け者の私は おこずかいで 新聞配達所へ持参 折込広告の依頼をしたら 読売新聞は許可しないという。
地方新聞の神戸新聞はOK 朝日もOK 渡辺恒雄は大バカ野郎だと 反戦塾さんに またブログ書いていただこうと思った次第です。わたし当分休んでいますどうか 出来ればついでの論評にでも入れて 読売の姑息な言論封殺を批判してください。たった500枚のビラでも お触れが出ているのでしょう。わたしのような よちよちの活動開始のものには 新鮮なおどろきであります。どうして護憲や九条の会のビラぐらいが そんな扱いをされなければならないのか。ほとほと ナベの馬鹿さかげんがわかりました。知らないひとが ほとんどではないでしょうか。

 マンションのポストに入れると、警察につかまる。つい最近も被害届を出した(出させられた?)管理人がいたようだが、誰かから「そんなバカなことはよせ」とさとされたためか、届けを撤回したようだ。かものはしさんが、「ナベツネ大バカ野郎」と叫びたくなる気持ちはよくわかる。

 よくも悪くも読売の大きな顔なのだから。そこで読売の言い分も載せておこう。

 多くの犠牲者を生んだあの戦争は一体、何だったのか。だれが、いつ、どのようにして判断を誤ったのか――どうしてもそこを知りたい。日本人自らがあの戦争を総括することではじめて、その「解」が出てくるのではないか。そうした私たちの思いは、読者の真摯で切実な訴えと重なった。(渡邉恒雄主筆の提唱により設置されたプロジェクトチーム「戦争責任検討委員会」、『検証・戦争責任』あとがきより)

 販売店の「9条の会」チラシ折り込み禁止――大連立の黒幕までしようというナベツネさんが、まさかそこまで落ちぶれた指示をしたとは考えられないが、新聞で唯一憲法改正を社是にかかげた読売である。末端で次元の低いレベルでの追従なら大いにありそうだ。

 すなわち、「新憲法制定議員同盟(中曽根康弘会長)」を立ち上げた幹部は、全国の9条の会が7000近くになったことに危機感をいだき、対抗する地方組織設立を急がなければならないという動機を語ったといわれる。

 そういった一環で、読売の販売店(組織)なら協力しそうだ、などと手をまわしたお節介やがいるに違いない。地方自治体の施設の使用、活動を妨害する動きも顕著になっているようだ。いずれにしろ、こういった言論封殺行動には全く正当性がないのだから、きちんと反撃した方がいい。

 ただし、新聞販売店にむりやり従わせる手はない。そんなら、こういった会話になるということだ。

主婦A ○○さんの講演会が近くであるんですってね。
主婦B アラ、どこで?。
主婦A 今朝の新聞のチラシ見なかった?。
主婦B 読売には入っていなかったわ。お宅何新聞?。
主婦A 朝日よ。
主婦C ウチ、神戸だけど入っていたよ。
主婦B あら、読売だけないの。なぜ?。不便ねえ、洗剤なんかいらないからウチも朝日か神戸にしようかしら。

(追記)5月に国分寺市のマンションで、共産党市議の議会報告を郵便受けに投函、書類送検された件の被害届提出者は、同市の自民党市議でマンションの住民だそうです。(7/21「毎日」)

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2008年7月18日 (金)

クラスターと民主党 2

 同じ題名のエントリーを5月23日にあげたが、別にその続きではない。
 日本は、クラスター禁止条約にまがりなりにも賛成したし、条約交渉に参加しないアメリカも、今後10年間は使い続け、また輸出もするが、その後は小爆弾の不発率10%以下の爆弾だけにする、という国防総省の政策を発表した。不完全だがこれまでよりは前進である。

 毎日・社説(7/18)を見ると、アメリカ議会調査局が6月に議会に提出した報告には「将来の米国の軍事作戦でクラスター爆弾の有効性はほとんどないだろう」と指摘しているという。当ブログでも過去さんざん取り上げてきた(カテゴリ=データ・年表)が、これで日本の外交や防衛省は、北朝鮮問題同様アメリカからコケにされ、二階に上げてはしごをはずされのと同様と言っていい結果だ。

 日米同盟があるから、共同作戦上クラスター爆弾の保有は欠かせないものだったのではないか。沿岸の長い日本に敵が上陸してきた場合、その地点を制圧する有効な兵器ではなかったのか。平和憲法を持ちながら、かつ他の参加国から批判され続けても、条約作成の足を引っぱり続けたのは、何故か。誰のためなのか。

 過去のことだからといっても、国民はそんなに忘れっぽくない。安全保障は真剣な話なのだ。禁止条約賛成だった民主党をはじめ野党ははっきりとした当局の釈明を引き出してほしい。その民主党だが、同じ新聞にコラム「結党10年の民主4」が載っていた。その中から引用する。

 「小沢さんの『国連決議さえあれば自衛隊を出していい』は原則論。違憲ではない」「小沢さんはリベラルだが、世間が見る目はそうではないことを明確にするためにも代表選が必要だ」
 集団的自衛権行使に慎重な「リベラルの会」が15日に開いた北海道千歳市での合宿で、代表選を戦うべきかで激論が戦わされた。

 同会は結局独自の候補擁立を見送り、小沢氏の提唱する「国連中心主義」に矛盾しないよう、「国際協力隊」を新設し、平和維持や人道支援活動に派遣するとの政策提言を発表。代表世話人の平岡秀夫衆院議員は「次の衆院選は小沢代表の下で戦うことが前提」と明言した。

 リベラルの会の発起人で、今は落選中の生方幸夫・元衆院議員が主催する講演会があった。その時、横路孝弘衆院副議長が「今は離党中で自由が利かないが、時が来れば(9条堅持のため)じっとしていませんよ」と発言したことが今でも耳に残っている。

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2008年7月17日 (木)

底流に変化が

 前々回、「地中海連合に注目」を記事にした。ブッシュ政権末期を迎え、これまでも言われてきた世界におけるアメリカの一極支配終焉がますます明らかになってきた。14日のパリ祭で、シリア、イスラエルなどこれまで対立してきた各国首脳が、うち揃ってシャンゼリゼで軍隊の行進を参観したというが、これが今後に向けた象徴的な光景になるかも知れない。

 16日にはドイツの仲介で、レバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラとイスラエルが捕虜を交換した。レバノン人捕虜の5人と、イスラエル兵2人の遺体がそれぞれ返された。06年に激しい戦争が展開された原因が取りのぞかれたのである。

 これは、単なる和平交渉による捕虜交換ではなく、双方の国民にとって決定的な意味を持つ。人質がそれぞれ抗争のシンボルだっただけに、民族和解に向けた第一歩となることが期待されている。一方、イランとアメリカの緊張も歯車が大きく動き出している。

 つい昨今まで、いや現在でもイランの核開発やミサイル実験、ペルシャ湾域での軍事演習による応酬が、一触即発の危機にあるかのように伝えられている。その一方、今日はワシントンとテヘランの双方から記者が次のような報告があった。(毎日新聞記事による)

 まずイランでは、アフマディネジャド大統領が14日、国営テレビで「米国との直接対話の実現に向け、前向きに取り組みたい」と表明している。またライス米国務長官が、先月テヘランに利益代表部開設を承認したとのアメリカの報道に対し「正式な要請があれば前向きに検討する」と歓迎の意向を示しているという。

 また、アメリカの主要メディアは16日、イランの核問題をめぐるイランとEUの交渉が行われる19日のジュネーブの会議に、米国バーンズ国務次官を派遣すると報じた。その趣旨については、

 米国はこれまでイランとの対話を避けてきたが、方針を転換し、外交解決に向けた米政府の意思を示すために「1回だけの試み」(米政府高官)としてバーンズ次官の派遣を決めたという。バーンズ次官は交渉の席には同席するが、イラン側との個別会談は行わない。

 と伝える。子供のおねだりじゃああるまいし「1回だけ」というのは、保守強硬派への言訳けである。しかし、アメリカ単独主義の方向転換であることは覆いきれない。イランの方も決して国内が一枚岩であるとも言えないが、国民の目が向く方に従わざるを得ない、ということであろう。

 ここでやはり問題にせざるを得ないのが、日本の外交と安全保障政策である。夏休みを終える頃、首相は、庚申塚の猿のような「見ざる聞かざる言わざる」から脱却して福田色をだせるか、民主党代表選が実施され新政策を明示できるかどうか、どうやら期待薄で、日本の外交は世界の底流から取り残されたままであろう。

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2008年7月16日 (水)

北朝鮮の本音

 北朝鮮の金剛山で韓国人女性が射殺された事件で、北朝鮮側は韓国政府による現地調査の受け入れを拒否、証拠提出や公文受信拒否などこれまでの積み上げを、一挙に白紙にもどすようなかたくなな態度をとっているようだ。

 これで見ると、日本と約束した拉致問題の再調査、さらに踏み込んだ日本官憲によるチェックなどにとうてい応ずる構えはないだろう。いまのところ報道される事実関係を追うしかないが、アメリカのテロ支援国家解除の動きを受けて、金政権の姿勢に大きな変化がでてきたのではないだろうか。

 つまり、「ならずもの国家」であっても「テロ支援国家」でなければ、東アジアの安定を考えた上で温存しておいたほうがアメリカの国益にかなう、ということだ。また、地続きの中国・韓国がおそれるのは、北の急激な崩壊で、内乱や難民殺到による被害を被ることである。独裁政権であっても話し合いができる相手がなくては困るからだ。

 これまで日本では、各国の援助がなければ、明日にでも民衆蜂起などで金政権が崩壊するような情報が蔓延した。拉致問題表面化以来、何度かの天災被害もあって、政権崩壊が何度起きても不思議でないのに政権は微動だにしなかった。

 このところの6カ国協議や、韓国に対する変化を見ていると、金王朝維持のためには改革解放はしない方がいいと思いついたのではないか。アメリカとの緊張緩和があれば、もはや日本・韓国の経済支援は急がないでいい、民を「生かさず殺さず政策」のもとにおくにはその方がいいということだ。

 テロ支援国家解除で、欧州など遠国は競って資金投入や利権を求めてやってくる、それだけで十分だと考えているのではないか。6カ国の核廃棄見返り重油を要求しているが、これは、停電恒常的な停電緩和のためで、そんなに緊急性のあるものとは思えない。

 そうなると、福田首相の「私の任期中に解決」は非常に難しくなるだろう。日本は次の手を早く考えないと、また後手に回り、国際的な孤立の淵に沈まなくてはならなくなる。それもあえて辞さずというのか、あるいは誰も考えない奇想天外の手があるというのであろうか。

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2008年7月15日 (火)

地中海連合に注目

Map1  13日、パリにEU加盟国と地中海沿岸諸国43カ国の首脳が集まり、「地中海連合」創設首脳会議が開かれた。大いに注目される点は、シリアとレバノンの関係改善が進捗しそうなことと、フランスのサルコジ大統領の仲介で、パレスチナ和平に希望が持てそうになったことである。

 参加したオルメルト・イスラエル首相は、現状を「かつてないほど合意達成の可能性が近づいている」とまで言いきり、具体的な和平構築へのステップを踏もうとしている。ガザ地区を支配する過激派・ハマスとの停戦協定はすでに1カ月継続しており、このチャンスは失いたくない。

 洞爺湖サミットにくらべて報道量はきわめてすくない。しかし、日本の進路を占う上で決し見逃せないニュースである。中東和平の実現は楽観できないにしても、身動きのとれない国連、さらに米英・アングロサクソンのイニシャティブが明らかに後退し、ブロック連合が安全保障の前面に出てきたことである。

 何でも「俺が、俺が」でなければ気が済まなかったブッシュ大統領も、北朝鮮は中国にまかせ、中東はフランスに任せるということになれば、これからひとり、イランで事を起こす蛮勇は振るえないだろう。私は究極の安全保障として、前から「東アジア共同体」を夢見ている。

 ASEAN+3もいいだろう、オーストラリア・インドもいいだろう。しかし地政学的軸として日・中・韓の持つ経済力を無視できない。将来的には一体化した北朝鮮、台湾も含めるべきだろう。過去の大東亜共栄圏や五族共和などとの違いは、EUがそのいいお手本になっている。

 レバノンとシリアのかつての宗主国はフランスである。その一方、イスラエルを含むパレスチナ、ヨルダン、イラク、クエート、それにアフガンもイギリスの支配を受けた地域である。イギリスの植民地が広大だったこともあるが、際限なく紛争が続く。フランスやEUが旧植民地にどれだけ説得力をもてるか、これからを期待したい。

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2008年7月14日 (月)

涼風に変わりなけれど

2008_07140004  17年前に買った扇風機と今年買い足した扇風機。効果と機能にほとんど差なし。

 購入・1991年。デザイン・メリハリが利いて力強い。タイマー・ゼンマイ式。スイッチ・ばね。重量4.7kg
 購入・2008年。デザイン・平板で目立たず軽い。リモコン・IC・発光ダイオード付き。重量2.9kg

 ここまでは、時代を反映した差のよう。決定的違いは、、いわずと知れたメード・イン・チャイナにてござい。

 さすがまん中の二つ、手動式は違う。ちょんまげ時代からの伝統にいささかの変化なし。殊勝。但し製造元表示はない。

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2008年7月12日 (土)

監視社会

 今朝あるテレビを見ていたら、若いお母さんが乳児を連れて電車に乗っても席をゆずる人がいないことから、電車内でマナーに反する行為をする人に注意を促すボランティア活動に参加する話を放映していた。

緑色の揃いのうわっぱりで、トラブル回避のためか警官のような服装の人も車内の隅に配置していた。取材の立場も、スタジオのコメンテーターも「物言えば唇寒し」の風潮と若い人の不作法を非難し、ボランティアを美化する内容になっている。

 その限りにおいては「そうだ、そうだ」という気持ちで見ていたが、ふと、戦時中の戯れ歌を思い出した。

 ♪パーバ(当時の子供は鼻水をつまらせている子が多く「マ」が「バ」に聞こえる)ネントに火がついて、見る見るうちにハゲ頭、ハゲた頭に毛が3本、ああはずかしやはずかしや、パーバネントはやめましょう。

 政府の「贅沢は敵だ」キャンペーンで、町を歩くウエーブをかけた婦人を見ると子供たちがはやし立て石を投げたりした。中には天然ウエーブの子供までその被害にあった。もうひとつ歌から。

 ♪トントントンカラリと隣組、格子をあければ顔なじみ……

 この方は国民歌謡で、毎日のようにラジオの電波に乗った。隣組は官製の住民末端組織である。物資配給の責任を負ったり防空班を編成、訓練に当たった。当然防犯にも意を用い、小学生も夕飯をすますと拍子木を持って「火の用心」と言いながら灯火管制で暗い町を回った。

 出征兵士歓送行事、留守家族援助もある。前の記事「世論指導」であげたように、当然戦争遂行、戦意昂揚に責任もある。「格子をあけ」て各家庭の状況把握も必要だ。かりそめにも町内から「思想犯」など出してはならない。

 ここまで思いが至ると、「チョット待てよ」という気がしてきた。「隣は何をする人ぞ」は戦後獲得した貴重な権利の一つではないか。憲法で保障された個人の行動や通信の秘密や個人の尊厳も守らなければならない。わが町の周辺でも、揃いの帽子を被った犯罪監視人や防犯カメラ設置が増えてきた。

 それで犯罪が統計的に減っているというから、効果はあるのだろう。アメリカではその筋による盗聴が合法化された。日本の社会は絶対そうなってはならない。住民の自発的活動は制限されるべきではないが、官憲や議員主導の旧・隣組的組織化には(たとえ左翼政党であろうとも)厳重な警戒が必要である。

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2008年7月11日 (金)

世論指導

 以下は、音読または味読してみてください。戦争末期に入り政府世論工作が初期と違ってきたこと、要綱作成者は、各界の「指導層」と同様すでに敗戦を意識しており、相当苦しい選択を強いられていること、たとえば偽であっても情報公開が必要などなこと、などが行間からうかがわれます。

 また、宗教の利用や、国体(天皇絶対主義)を「信仰」と言ってる点、その他現在の政府世論操作などとの比較も見逃せない点です。(出典:『資料日本現代史13』大月書店) 

―――――――――――――――――
決戦輿論指導方策要綱(昭和19・10・6)
極秘
一、方 針
    輿論指導ハ国体護持ノ精神ヲ徹底セシメ敵愾心ヲ激成シ以テ闘魂ヲ振起スルコトヲ目的トシ国民ヲシテ知ラシムベシ倚ラシムベシノ方針ニ則リ特ニ輿論生起ノ根源ヲ衝キテ之ガ適正ヲ期ス

二、要 領
(一)輿論指導ノ内容ニ付テハ左ノ各項ヲ重視スルモ其ノ対象ニ応ジ適宜取捨按配スルモノトス
  (1)国体ニ対スル信仰ノ喚起昂揚
   (イ)先祖ヨリ継受セル国体ヘノ信仰ヲ喚起昂揚シ君民一体ノ精華ヲ発揚ス
   (ロ)皇土防衛ノ国体護持上絶対緊切ナル所以ヲ強調ス
  (2)宣戦ノ大詔ノ御趣旨ノ徹底
     戦争目的ヲ宣揚シ戦争完遂ガ皇国ノ自衛ノ為絶対ニ必要ナルコトヲ徹底ス
  (3)決戦的戦局認識ノ徹底
     戦局危急皇国ノ興廃ヲ岐ツベキ一大決戦ニ直面セルコトヲ一層強ク知ラシメ之ニ対処シテ国民総戦闘ノ決意ヲ固メシメ活發ニ実践セシム
  (4)究極ニ於ケル必勝確信ノ具体的基礎ノ明示
   (イ)必勝ノ確信並ニ之ガ方途ニ関シ具体的事実ヲ教フ
   (ロ)最後迄国民各自職分ヲ忠実ニ奉行(ママ)シ粘リ強ク戦ヒ続ケタル国ガ紙一重ノ差ニテ勝ツ所以ヲ解明ス
   (ハ)我ニ天佑神助アリ我ニ備ト地ノ利アルヲ以テ総テノ人的物的国力ヲ戦力化シテ一億協力大和魂ヲ以テ戦フ時ハ必ズ敵ヲ破リ得ル所以ヲ解明ス
   (ニ)外寇ニ対シ挙国総蹶起シテ戦ヘル結果ハ仮令一時危局ニ直面スルモ必ズ之ヲ突破セル歴史的事実を示シ国民的確信を強化ス
  (5)敵ニ対スル敵愾心ノ激成
     米英指導者ノ野望ガ今時戦争ヲ誘発シタル事実を解明シ且米英人ノ残忍性ヲ実例ヲ挙ゲテ示シ殊ニ今時戦争ニ於ケル彼等ノ暴虐ナル行為ヲ暴露ス
  (6)敵国内情ノ苦境ヲ暴露
     敵国ノ政治情勢及思想ノ変化、国民生活ノ低下、経済ノ逼迫、道義ノ退廃等ヲ暴露報道ス
  (7)決戦的戦時生活下ニ於ケル気分ノ明朗化
     国民生活ノ低下ニ伴ヒ之ニ堪フルノ心構ヲ強カラシムルト共ニ之ノ間ニ処シ猶明朗ナル気分ヲ保持セシムル如ク国民相互ニ信頼ト友愛トヲ以テ協力シ道義昂揚ノ雰囲気ヲ醸成ス
 (二)輿論指導ノ方法ニ付テハ対象ヲ適確ニ把握シ特ニ指導者層ニ重点ヲ指向シ徹底ヲ期スルモノトシ左ノ諸項ニ留意ス
  (1)報道宣伝ハ国民ノ忠誠心ヲ信頼シ事実ヲ率直ニ知ラシム殊ニ戦況(空襲ヲ含ム)ノ発表ハ率直且迅速ニ之ヲ為ス
  (2)報道宣伝行事等ニ付テハ機宜ヲ捉フルコト及国民ノ感情ニ即セシムルコトニ特段ノ工夫ヲ凝ラス
  (3)民間ヨリ自発的ニ起ル戦争完遂上有益ト認メラルル国民運動的行事ハ之ヲ活発ニ行ハシム
  (4)大政翼賛会其ノ他ノ外郭団体ノ相互調整及活用ヲ図ルト共ニ宗教家宗教団体ヲ一層活用ス
  (5)必要ニ応ジ政府ノ発言者モ国民ニ呼掛ク
  (6)国民ノ声ヲ活発ニ上通セシムル為メ措置ヲ講ズ
 (三)輿論指導ヲ活発ナラシムル為防諜及言論集会ノ取締方針等ニ付必要ナル再検討ヲ加へ之ヲ刷新ス
 (四)輿論指導ヲ効果アラシム為特ニ左ノ諸点ニ留意ス
  (1)誤レル平等観ヲ国民ニ植付クルコトニ因リ共産主義思想ノ温床ヲ作ルガ如クスルコトナカラシムルト共ニ特定ノ職域ニ従事スルモノノ歓心ヲ買フガ如キコトハ之ヲ避ク
  (2)国民生活ヲ不必要ニ圧迫セザル如クシ指導ヲ要セザルモノハ之ヲ其ノ発意ニ任ズ
  (3)社会各界ノ指導者層ハ自ラ深ク反省シ大衆ヲシテ必勝ノ信念ニ疑惑ヲ生ゼシムルガ如キコトハ日常ノ言動ニ於テモ深ク戒心スルト共ニ軍官民一致団結ヲ阻害スルガ如キ諸事象ハ急速ニ之ヲ排除ス

備考
 戦争遂行上抑制スベキ言論特ニ国体ニ対スル信仰ヲ動揺セシメ、軍事外交上ノ機密保持ニ支障ヲ生ジ、若ハ国内分裂ヲ招来スルガ如キモノ又ハ厭戦和平的ナルモノ等ニ対シテハ厳重ナル取締ヲ為スモノトス

 

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2008年7月10日 (木)

「SからSへ」とシーファーGo home!

 洞爺湖サミットが終わった。私はかねて福田首相の外交手腕、つまり平和構築には欠かせない国際問題に関する知識と調和の精神が発揮されるかが、日本の首相としてふさわしいかどうかの試金石になると主張してきた。

 私が得られる情報は、購読紙の毎日新聞とNHK・TVのニュースが主なのでそれをもとに考えてみた。サミットが成功かどうかというより、まず警備過剰とはいえ平穏無事に閉幕できたことだけでも評価したい。

 22カ国もの首脳を集め、環境・石油・食料・貧困・物価・金融・安全など、どれひとつとっても解決方法を直ちに見つけることの困難な問題に、この程度の結果しか出せないことは最初からわかっていた。その中でとにかく環境問題で一定の方向性を導けたことをもって、「よし」としなければならないだろう。

 毎日新聞の政治部長・小松浩の解説にあった。

私たちは今、富める国も貧しい国もなく、共通の「脅威」にさらされている。国家単位のセキュリティー(安全保証)のSから、人間一人一人のサバイバル(生存)のSへ。問われるのは国境を越えた「人間の安全保障」への連帯である。「SからSへ」は米ブルッキングス研究所のカルロス・パスカル副所長がサミット前の論文で提唱した視点だ。

 私はこの米国発のキャッチフレーズにスッカリはまってしまった。「SからSへ」、これこそ日本が目指すべき次世代の目標だ。また同じ新聞の「世界の目」というコラムに、米国人弁護士ローレンス・レペタが寄稿している。

 シーファー駐日大使が最近東京で行った講演に触れ、米国防省予算が6000億ドルで史上最大になったこと、その支出の中に、横須賀に配備する原子力空母を新型にするのに1隻80億ドルから110億ドルかかると説明したそうだ。そしてそれは「日本は我々と歩調を合わせるべきだ」という単純なメッセージだという。

 おいおい、誰がそんなことを頼んだ。同弁護士も、原子力空母自身を敵に魅力的な軍事目標であり、横須賀など人口密集地のそばに置く「狂気」とまで言っている。北朝鮮?、中国?そんな近い所には航続距離の長い原子力空母などいらない。中曽根さんだって日本を「不沈空母」だと言っていたではないか。

 もっと遠くのどこかへ行くための空母だ。なぜ横須賀がいいのか。それは補給物資が豊富、補修・整備や兵隊の休養にいい、そうではないでしょう。ポーランドではミサイル防衛基地を設けるといったら、高額な防衛助成金をふっかけられた。日本なら基地維持費を持ってくれるし「思いやり予算」までつく。

 基地をアメリカに置くより、日本の方が安上がりだってことは知ってますよ。シーファー大使は前にも「大陸からアメリカに飛んでいくミサイルを日本は撃墜しないのか」と政府を恫喝した。びびった安倍前首相が、柳井俊二元駐米大使やアメリカ従属主義の評論家・岡崎久彦などを集めて検討させたのもつい一年前のことだ。

 その史上稀なるゆすり大使も今年いっぱいでゴーホームということになる。次は是非、日本を真に愛する人、「SからSへ」の人に来てもらいたい。

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2008年7月 9日 (水)

アフガンへは丸腰で

 福田首相は、サミットで自衛隊のアフガン派遣を他の首脳からせっつかれていることはないか。大いに気になるのは、ねじれ現象緩和のためこれを小沢民主党代表との話の糸口にしかねないからだ。欧米各国が「日本だけアフガンへの貢献をしていない」とせっつく理由ははっきりしている。

 ビンラディンは何年たっても逮捕できない、イラクも手が離せない、そこでアフガンをNATO軍に肩代わりしてもらいたいというのがこれまでの経緯だ。ところが、治安回復の目途もなく戦死者が増える一方で、欧州各国内でもさすがに評判が悪い。できるだけ治安のいい場所、本音をいえば早く引き上げたいのだ。

 アフガンのカルザイ政権も外国軍がいなければ持ちそうもないし、いたらいたで、タリバンなど武装勢力の攻撃をかわすことができない。隣国パキスタンとの国境の無政府状態は、パキスタンの政情不安定で改善の目途が立たっていない。

 欧米は生き血を吸う最後のババを日本につかませたいのだ。この前、高裁判決がでたイラク以上の「交戦地域」である。福田首相は、恒久法検討などで時間稼ぎをしてお茶をにごすしかない。その間に、「新憲法制定促進議員連盟」などが息を吹き返すチャンスとばかり暗躍するのだろう。

 それ以前に、イラクやテロ特措法の延長問題がある。これも3分の2採決で時間稼ぎするつもりか。どうしてもアフガンへ自衛隊を行かせたかったら、攻撃兵器を一切もたず迷彩服やミリタリールックもやめて、丸腰の平和構築、民政安定活動に専念すべきだ。それで犠牲者がでたとしても、それはあらかじめ覚悟した上ということになる。

 そういったことで、NGO「ペシャワール会」の中村哲医師がいう「自衛隊が来れば活動を一時中止して引き上げざるを得ない」という状況を回避できるのかどうか、はなはだむつかしいと言わざるを得ないだろう。要はアフガン人から見て、たとえそれが国連組織であれ「軍」という暴力装置を国内に持ち込んでほしくない、ということにつきる。それが必ず抗争中の一方を利することなり解決を遅らせるからだ。

 日本の過去の戦争は、すべて邦人保護とか権益保護、あるいは暴徒鎮圧などの名目で外国に派遣した軍隊がきっかけを作っている。大量虐殺、テロリスト逮捕、独裁政権排除、理由はなんであれ現地から望まれないことには手出しすべきではない。現地のことはまず現地で、どうしても緊急なことがあれば周辺国連合、さらに国連という手順を踏むべきだ。日本に直接関係のない国に、日米同盟とか集団的自衛権を利かせようというのは、どう見ても時代遅れといえよう。

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2008年7月 8日 (火)

波長が合う

 サンデー毎日(7/20号)にある「佐高信の政経外科」の書き出しである。

 テレビ朝日の「報道ステーション」をまともに見なくなって久しい。古館伊知郎の訳知り顔が身ぶるいするほど嫌いだからだ。なにもわかっていないのにわかったふりをする。「ニュースステーション」の久米宏は、わかっているのにわかっていないふりをして尋ねた。

 以下、「報道ステーション」の感覚がおかしい、という題の記事が続く。たしかにこれに器用で早口の口ふりまで付け足し、正直なところ私も古館が好きになれない。こういった共感は、意気投合でもないし、シンパシーともいえないし、感情移入というより、「波長が合った」ということになるのだろうか。

 波長が合うという現象は、私にとって思想信条、支持(所属)政党、性別、年代の別なくあり得る。もちろん全く波長が合わない人もいる。安倍前首相などとは、これからさきも決して合うことがないだろうと断言できる。

 佐高信なら、100%波長が合うかといえば、そうは言えない。冒頭の発言はやや感情過多の人身攻撃のような気がするし、聞く人をしてすべて正鵠を得た指摘とは言い切れない点もある。彼の著書『田原惣一朗への退場勧告』は現在発売中であり、77人の『抵抗人名録』を(金曜日)で展開するという。

 こういった仕事ぶりが、好き嫌い、波長が合う合わないで人を評価するのであれば、右翼誌御用達ジャーナリストと選ぶところがなく、私と波長が合うとは言えなくなる。ただしこれらの本を読んだ上でないことをおことわりしておく。

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2008年7月 7日 (月)

いつか来た道 2

 第2次石油危機は1978年、即ち第1次危機の5年後に起きた。同年1月、イランの宗教都市コムで起こった暴動が契機でイランの石油生産は次第に減少し、同年末には完全に停止した。親米パーレビー王朝が崩壊し、イスラム国家に変貌するいわゆるホメイニ革命である。

 原油はこの間に約3倍に値上げされた。第1次石油危機で石油価格が高騰したあとの3倍である。第1次の時と違って、この時は真剣に石油資源の有限性について議論する傾向が強くなった。世界の有識者を集めたローマ・クラブが資源の有限性と急速な人口増加、世界規模の食料不足、環境悪化を警告していたのは、2回の危機が訪れる前の1968年までさかのぼる。

 第2次の危機を迎えて、内外の識者がこれをどう認識したか、小山茂樹『石油危機は終わったか』(時事通信社、1984/10)でこう説明する。

 こうしして石油価格は今後もうなぎ登りに続騰していくであろうと思われた。日本でもほとんどすべての専門家はそのように語っていたが、欧米の専門家、専門機関も全く同様であった。代表的な例を引き合いに出せば、一九八五年の原油価格(名目)は高価格ケースで七一ドル/バレル(以下同じ)、低価格ペースでも五三ドル、もっともありうる中間ベースで六一ドルになろうと予測している(U.S.Dept.of Energy,1980 Annual report to Congress,1981)。
 またこれより先にイギリスのある予測会社(エコノミック・モデル社)によると、一九八五年の平均価格は五七・五〇ドル、一九九〇年には一一〇ドルになろうと予測していた。(AP=DJ一九八〇年一二月一一日)。

 ところがこれにより、世界経済は第二次大戦後最大と言われる深刻な不況に見舞われ、石油価格の割高感は石油離れ現象を引き起こした。この結果、一転して石油は供給過剰状態となり、1980年以降需要は年々大幅な減少が記録された。

 そのためOPEC加盟国の間でもダンピングに走るところが続出し、1983年3月には公式に5ドル値下げを決定、発表せざるを得なかった。この頃になると、石油経済界は原油価格のさらなる値下がりを予告する論者で満ちあふれた。ふたたび前掲書の引例を見よう。

 米国のエネルギー省をはじめ、石油アナリスト、欧米の金融筋は二五ドル以下への引き下げを予想し、なかには一八ドルを予測するものさえ出現した(米国の金融専門誌『バロンズ』によれば、何人かの石油アナリストは、一九八三年を通じて原油値下がりは持続し、間もなく一八~二〇ドルに値下がりすると予測したという――AP=DJ一九八二年二月二十六日)。

 以上長々と価格予測の話をしたが、実際は1980年代はほぼ30ドル前後で推移したものの、90年代は10ドル台で低迷し、湾岸危機の際を除けば30ドルに達することはなかった。したがって前述の強気見通しより弱気見通しの方が当たったことになる。

 過去の石油危機と現在の石油暴騰の違いは何だろう。何といっても大きいのは原油価格決定のシステムが変わったことである。石油危機以前は7大石油会社メジャーズがその決定権を握っていた。そしてその支配権を産油国の国営化政策や石油危機を通じてOPECが奪った。

 しかし消費の実態を無視した価格維持には無理があり、1985年頃より製品市場を勘案したネットバック価格を採用するようになった。これは製品需給を反映した安定かつ合理的な方法のように見えた。しかし、それらも世界最大の石油消費国であるアメリカでわずかに産出するWTY(West Texas intermdiate)という原油の取引相場が事実上の指標となった。今や原油価格の決定権は、生産者でも消費者でもなく、金融資本市場が握っている。

 それ以外の違いとは何だろう。過去、戦争や内乱など、突発的な原因があって価格が暴騰したが、そういった契機がなく構造的な理由だけで上げが続くという不自然さだ。よく中国・インド等の需要増加がいわれるが、鈍化することはあれ、これまでの伸び率が続くという保証はない。

 そのほか、生産のピーク説や資源枯渇説などいろいろあるが、以前からある話の蒸し返しで、石油危機の時と変わりない。したがって遠くない時期にまっとうな経済原則が働いて落ち着くところに落ち着くはずだ。

 ただ唯一の真理は、石油資源が有限だ、と言うことである。したがって石油は代替の利かない用途に限定される貴金属並みの物資となるだろう。そこに至るまでは、まだ気の遠くなるほどの長い期間、人類の英知を働かせる余地と余裕があるということだ。

2008_07070005_2 表は『今日の石油産業2008』(石油連盟)より。
実際の原油価格は08年半ばで145ドル、急角度に伸びて上の記事の下から3行目あたりに来ています。クリックで拡大。 

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2008年7月 5日 (土)

いつか来た道

 東証の日経平均株価は、昨日で12営業日続落している。これまでの最長は1954年5月18日までの15日続落だというが、来週これを突破して新記録なるかどうか。また、その株安の原因を作っているアメリカの原油先物相場の方は、それにおとらずはるかに異常である。

 04年まで20~30ドル台だった物が一昨日は145ドル台の新記録を達成した。第1次オイルショック(1973年)の時は、実勢価格が3年前の5倍近くなったが、絶対額にすれば2ドルから10ドルの8ドル前後の差でしかない。ガソリンの値上がり額はリッター40円ほどで、高いところではレギュラーガソリンを100円にのせたところもあった。

 すでに諸物価高騰の気配があったところへの石油ショックである。『石油インフレ』(朝日新聞社編)から引用する。

――「1時間半かけて、四軒目でやっと10個入りのトイレットペーパーを買えました。帰る途中『奥さん、それどこで手に入れたの』って三人の女の人に聞かれたわ。教えたら、目の色かえてとんでいくんですよ。買いだめがモノ不足の原因かもしれませんね。でも値段の上がる前に買うのはいけないんでしょうか」――川崎市の主婦(26)

 さらにこう解説する。

 危機がくる半年あまり前の昭和四八年二月、全国の生活協同組合の役員が集まった会合で、大河内一男元東大総長が「みんな高度成長におぼれすぎている。この際、モノを買わない運動をやったらどうか」と提案したが、「先生も年をとったねえ」という反応だけでだれ一人耳をかさなかったという。

 現在のNY原油先物は、金融すじによる買いだめである。オイルショック当時は、独禁法違反すれすれの石油2法を急造するなど、日本の政治が大きく動いた。現在、食料品を中心に生活必需品の値上がりラッシュが続いており、4日の日銀の生活意識調査によると92.1%の人が値上がりを実感している。

 しかし、凶悪な犯罪の報道はあっても、住民の物価に対する動きがクローズアップされることは、あまりない。35年前よりさらに飽食に慣れ、豊かさに馴れきっているということなのだろうか。そして政治は、世界要人会議で実効の伴わない共同声明を用意するぐらいで、何もしない。

 私は、現在の生活を脅かす世界的な危機状況は、象徴的にアメリカ・ブッシュ大統領によって作り出されたものだと思う。まず、世界でもっとも石油埋蔵量の多い中東で戦争をはじめ、いまだに治安回復の見通しが立たず、石油増産に支障を来している。その上、イランとの緊張状態継続で根本的解決を遅らせている。

 アメリカ国内のサブプライム・ローン問題で世界の金融の混乱を招き、石油・穀物市場への資金殺到に手がうてない。さらに、慎重さを欠いた穀物によるバイオマス生産の奨励が世界の食糧危機を誘発し、農業生産に関係の深い地球温暖化など環境問題への関心も低い。

 マハティール前マレーシア首相は、「食料や石油の世界最大の消費国であると同時に、世界最大の二酸化炭素排出国でもある米国が、自らの犠牲を払って問題を解決姿勢をみせていない」(毎日新聞7/4)と手厳しい。新聞論調も遠回しにアメリカの責任を指摘する程度である。現役の国家首脳となるとそこまでもいえないのだろうか。

 柳田邦男の書く『狼がやってきた日』という石油危機当時のドキュメントがある。そのあとがきで、ここで得た教訓は何であるかを次のように問うている。その教訓は生かされているだろうか。残念ながら答えはNOである。

 あのとき、マスコミは、「アラビア語も話せない」と外務省を批判し、「油買いに狂奔」と商社を嗤い、「出荷調整でパニック演出」と企業を攻撃した。首相田中角栄にしてからが、混乱の責任を企業のあくどさに転嫁しようとする発言を何度か繰り返した。中学生的な「正義感」と「勧善懲悪主義」が、社会を征服したかのようにさえ見えた。

 だが、日本の姿を、それ以前と以後とで大きく変えてしまった石油危機とは、そんな単純な「正義感」や「演出論」で割り切れるものだったのだろうか。石油危機とは、日本にとつては、もっと複雑な構造を持った歴史的な体験だったはずである。歴史的体験であるなら、そこには普遍性のある教訓があるはずであるし、その教訓を汲み取る作業をしなければならないはずである。

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2008年7月 4日 (金)

インパール作戦

 さきの大戦で、フィリピン戦線などと共に最も悲惨な結末を生んだのが、最後の援将ルート(連合軍による中国蒋介石政権救援ルート)阻止のためのインパール作戦である。敗戦の理由を日米の物量の差や科学応用力の差で片づけるケースが多いが、この場合は、大風呂敷を広げすぎた作戦の無謀さと指揮系統の乱れによるものだった。

 54年前の今日、7月4日は大本営が同作戦の中止を決意、命令した日である。2週間後の18日、東条独裁体制の批判が高まり、重臣・皇族らの工作が成功して東条内閣は総辞職する。以下の引用は「たむ。たむ(多夢・太夢)ページ」によるが、同作戦での体験記は、インパールで検索できるので閲覧願いたい。
 

  第2次世界大戦中インパール(インド東北の辺境、マニプール土侯{どこう}国の首都)作戦ほど悲惨な戦闘はなかった。作戦開始以来第15師団および第31師団には1発の弾丸も、1粒の米も補給されなかった。無謀極まりない東条の作戦開始であったが、その撤退の決断も遅すぎた。

  大本営が第15師団に退却命令を出した1944(昭和19)年7月15日は、時すでに雨期に入っていた。日本軍の、ぬかるみの中飢えと寒気と英印軍の追撃に苦しみながらの退却は凄惨をきわめた。ジャングル内の道は、軍服を着たまま白骨となった死体が続き(戦死および戦傷病で倒れた日本軍兵士は72,000人。生き残った兵士はわずか12,000人にすぎなかった-『決定版昭和史第11巻138頁』)、兵士達はこの道を「靖国街道」・「白骨街道」と呼んだ(『新聞集成・昭和史の証言』第18巻333頁)。

  食料・弾薬の補給が全くない状態で、雨期をむかえようとしていた時、第31師団長佐藤幸徳は、独断でコヒマへの撤退を命じ、5月には第15軍司令官牟田口廉也(むだぐちれんや)のコヒマ死守の命令を無視、コヒマを放棄して補給可能地まで退却した。この判断は全く正しく退却した部隊は助かったが、佐藤は直ちに罷免され、敵前逃亡罪で軍法会議にかけられたそうになったが、「精神錯乱」を理由に不起訴処分となった(『新聞集成・昭和史の証言』第18巻499頁)。

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2008年7月 3日 (木)

中東和平と日本

 昨日2日、都内の外務省飯倉公館である会合が開かれた。集まったのはイスラエル、ヨルダン、パレスチナ自治政府の閣僚級要人である。新聞の扱いは地味で、アサヒ・コムでは探してみたが見つからなかった。

 これは、ヨルダン川西岸の開発プロジェクト「平和と繁栄の回廊」構想の具体化に向けた3回目の打ち合わせである。2年前、小泉首相が中東歴訪した際に提案したもので、いわば小泉政権からの置きみやげである。

 置きみやげにもいろいろあり評判の悪いものも少なくないが、この外交プロジェクトは中東和平へのささやかなステップとして是非成功させるよう願っている。計画の概要は、ヨルダン川西岸を中心に農業用水や道路、そして物流基地などのインフラ整備を行い、関係3国の経済協力を通じて、和平プロセスを実現させていこうというものである。

 EUのスタートが、争いの絶えなかったフランスとドイツの間に始まった石炭と鉄鋼の共同事業化であったことはよく知られている。双方の利益を追求しながら次第に壁を取り除いていく手法は、日中間の戦略的互恵関係でも考慮されている。

 意義があるのは、アメリカでもEUでもなく、キリスト教国でもイスラム教国でもない、手のきれいな「平和憲法」を持つ国が仲介するということである。もっとも、これまで日本の外交姿勢は、「対米関係の文脈から離れた日本の中東政策はあり得ない(外務省幹部)」というものであった。

 また、左翼陣営の中には、日本工営という会社が参画することなどをとりあげ、植民地主義的進出だとか、帝国主義荷担だとかと批判する人がいる。これには理論の飛躍があり、ためにする議論としか見えない。あるいは過激派ハマスの立場を代弁したいというのだろうか。

 そのハマスは、イスラエルとの間で結んだ停戦協定が先月19日に発効、現在実行されている。相互不信はそのままで、解決への道のりはまだ遠い。かつてハマス幹部は、日本の記者に「日本は、対話の一歩を踏み出したい重要国だ」と語っており、大衆の憎悪の対象になったことのないことをあげていた。

 これから、何らかの形でハマスを日本主導のプロジェクトに参加させることはできないものだろうか。今は、アメリカ一辺倒の小泉・安倍外交から福田外交に変わったのだ。もしそういうことが可能になり、世界でどこもできなかったことが、日本の手でできたらどんなにすばらしいことだろう。

 それには、日本国民やマスコミがもっと中東に目を向け、日本の平和外交に大きな声援を送る必要がある。

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2008年7月 2日 (水)

隠れ家

☆昭和1×年県立某中学
 ・教員室入り口で。
  「第1学年丙組何の某、○△……」
  「なにい~、聞こえんぞ」
  一段と大きな声で、「もとへ。第1学年丙組何の某、○△先生に用があって参りましたッ」
  「よし、入れ」

 ・この頃、すでに入試から筆記試験は廃止され、内申書と口頭試問だけとなった。
  「自転車の前にある歯車の歯の数が×つ、後ろの歯の数が○つ、前が1回転すると後ろは何回転するか」
  間をおいて小声で「△回転であります」と答えた受験生は、不合格。
  元気よく「わかりません!」と大声で答えた方が合格。これは全国的にそうだったようだ。

 ・軍事教練の時間、校庭で。
  級長「きおつけーッ、かしらー中、なおれ。第1学年丙組総員○○名事故○名事故は欠席某、見学某、番号!」。級員「1、2、3、……」。
  配属将校の代役として、退役准尉・軍曹クラスが指導を担当した。
  整列する生徒をずーっと目で追って、「おい、お前はなんで脚絆をしとらん?」
  「ボクは……」
  「ボクは~?、はいッ、自分は、といえ」

 ・授業中、尿意ならぬ屁意を催したときの自己申告。
  「屁にはブー、ピー、スーの三種有り。ブーは音高けれど臭い低し」。
  「ブーッ」

☆個性的なのは駄目、意見を持つのは駄目、自己主張、とんでもない。「本官の命は天皇の命と心得よ」で上意下達の精神をたたきこまれる。個人が逃げ込む隠れ家は許されない。「引きこもり」や「おたく」になる自由はない。鉄拳制裁の対象には、そういった性格の人がねらわれた。

☆家に帰っても、よほどのお坊ちゃまでなければ、勉強部屋などない。まして個室など逃げ込む隠れ家はどこにもない。こうして兵隊予備人員を養成・確保したのだ。現在は、自衛隊入隊希望者が激減し、母親や幼児までを対象にしたプラモデル・見学作戦に大わらわだという。
 

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2008年7月 1日 (火)

コピペ

 今朝のNHKTVニュースで、大学生のレポート提出に「コピペ=コピー&ペースト(貼りつけ)」を利用したものが多く、教授たちを悩ませているという報道があった。教授たちがこれを見破るのは難しいことでないという。

 これを聞いて、「アッ、そうか」と思い当たるふしがあった。当塾は検索による来訪者が比較的に多い方だと思うが、先月、エントリーした記事のうち、特定部分をそのまま連続した110字のフレーズで検索を受けた。最近、長いフレーズの検索はあるが、自からの文章をそのまま使って検索されたのは初めてのことだ。

 「なんじゃいな、これは」と思った。だけど教授が学生のレポートをコピーして、これを検索の窓ににペーストし、出所を突き止める作業だったとしたらわかる。最近は見破り専用のソフトもあるというから、学生さんご用心!。

 著作権法の解釈で「私的利用」に入るのかどうかわからないが、同じ大学内では他人のレポートとの競合関係が生じるので「私的利用」とは言えないだろう。せめて学術論文なみに出典のクレジットとか引用のルールを守ったコピペにしてほしい。

 秋葉原の無差別殺人に狂奔した男が、「宿題は親の作品、それで成績はトップ」などと過去の人生を述懐しているそうだが、そんなコピペでは精神衛生上よくないでしょう。当塾には無断でもいいから、堂々と出所を明らかにして、大いにコピペに励んでいただきたいものだ。

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