« 政局の秋 | トップページ | 続冷戦式文化 »

2008年6月13日 (金)

古墳

 「後期」「終末期」、こういった言葉を使った厚生労働省の役人は、もしかして考古学フアンかも知れない。ことに古墳についてはおなじみの表現だ。その一番最初の方を「出現期」とか「早期」などという。「出現期高齢者」といえば、何歳ぐらいになるのだろう。

 出現期古墳の雄はなんといっても「箸墓古墳」である。全長280m、鍵穴形をした小山のような巨大墳墓が、3世紀後半に忽然と大和平野の東南に現れた。卑弥呼が死んでしばらくたってからである。おおかたの歴史家はこれをもって弥生時代が終わり古墳時代に入ったとする。

 古墳の雄、と言ったが実は被葬者は女性である。その名を「ヤマトトビモモソ姫のみこと」といい、第7代孝霊天皇の二女とされている。巫女で予言はよく当たったようだ。大物主神の妻になったが、夫の本体である小蛇の姿を見てしまった。大物主神は怒り恥じて山に戻った。 

 姫はそれを悔いて尻餅をつき、下にあった箸が陰部に突き刺さって死んだ。それで墓を作るわけだが、『日本書紀』に墓の作り方が書いてある。書記には各天皇の陵墓の所在地は書いてあるが、これまでにない巨大さがある、しかも天皇以外の墓を特記したのはなぜだろうか。

 この墓は日中は人が作り、夜は神が作る。それには大坂山(二上山の北側の山)の石を運んで作る。山から墓に至るまで人民が連なって手渡しで運ぶ。
大坂に 継ぎ登れる 石群を
手逓伝(たごし)に越さば 越しかてむかも

 もう一つ女性の墓を書いている同時代資料がある。ご存知『魏志倭人伝』である。247年かそのあと、「卑弥呼以て死す。大いに冢(ちょう=丘陵)を作る。径は百余歩」とある。百余歩を換算すると、箸墓後円部の直径に相当する。ヤマトトビモモソ姫は卑弥呼か!?。だがその証明は何もない。

 ちなみに、姫の死は崇神天皇紀にあり、同天皇は「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」つまり初代という称号を持つ。陵墓とされる行灯山古墳が箸墓の近くにあるが、箸墓よりやや小さい全長242mである。姫は同天皇の大伯母にあたるが、古墳の規模から見て実質天皇だったに違いない。

 神話の国生み夫婦神、イザナギ、イザナミは妻イザナミが先に死に、イザナギが黄泉(よみ)の国に会いに行く話がある。暗いトンネルのようなところの奥に棺が置かれ、イザナギは腐乱した妻の死体を見ることになる。ここでも女性と墓の話が出てくるが、これは中期古墳以後の横穴式石室のイメージである。

 皇嗣は、男系、男子にこだわる右派の先生方が多いが、日本の伝統は、原始太陽の天照大神でなくても女性がなくては始まらないことだけはたしかのようだ。

|

« 政局の秋 | トップページ | 続冷戦式文化 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/21604639

この記事へのトラックバック一覧です: 古墳:

» 弥生時代の米作りについて [弥生時代の米作りを調査]
福島県文化財センター白河館のホームページ「まほろん」というサイト。小中学生からの質問を集めたまほろんQ&Aコーナーにある「Q27 むかしの米作りについて教えてください。」と…... [続きを読む]

受信: 2008年6月15日 (日) 13時19分

« 政局の秋 | トップページ | 続冷戦式文化 »