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2008年6月

2008年6月30日 (月)

独立行政法人

 独立行政法人国立国語研究所というところから、封書が届いた。表に「著作物利用許諾依頼書 在中」とある。そんないかめしいところから手紙がくる心当たりはないのだが、5年ほど前にだした本の一部を研究データとして使いたいので、著作権者の承認を得たいという手紙の内容である。

 「独立行政法人」という言葉は、ニュースにたびたび出てくるので、なんとなく「役人の天下り先」かな、といった感じで、TVに写る渡辺行革担当相の顔が思い浮ぶ程度の知識しかなかった。NPOやNGOなどとともに、年輩層には苦手の言葉である。

 家の近所に国立病院があり、一時民営移管の計画があったが、住民運動の結果(そればかりではないようだが)白紙撤回された。住民にもやはり「国立」の方が信頼できて安い、という幻想があったのかも知れない。いずれにしても知らないまま放っておけない性なので、「独立行政法人」の常識程度は持ちたいと調べてみた。かいつまんでいうとこういうことになるらしい。

 国が必要とする事業を間接的に実行する機関、団体を法律で法人化したものを「特殊法人」という。JRも「みずほ銀行」の前身のひとつ「勧業銀行」も以前は特殊法人だったわけだ。それが大小とりまぜて増えに増え、かぞえきれない数になった。

 国語研究所というのも来年で創設60年を迎えるという。実はこのたび初めてその名を知った。同所はこれまでも、日本語の話し言葉や書き言葉の変遷などを調べるデータペースづくり、漢字の使われかた、児童や外国人向け国語教育についての調査、そしてそのあり方などの研究を進めてきたようだ。

 こういった法人を行政改革の一環として分類整理を図ったのが、9年前小渕内閣の時にできた「独立行政法人」である。この中で「特定独立行政法人」と、そうでないただの「独立行政法人」にわかれる。特定の方は、役員・職員の身分が国家公務員となっている。いずれも特殊法人と違って資金調達に国が保証を与えることなく、その収入により民間と同じ納税義務を負うことになっている。

 まあ、この程度の知識でいいとして、その独立法人は07年4月現在で101もある。最も多いのが文部科学省の所管25、次いで国土交通省の20、以下9省にわたる。名前を見るだけでは中味がわからないが、まだまだ、廃止、民間移管、統合、業務縮小など改革の余地は相当ありそうな気がする。

 さて、冒頭の国語研究所であるが、地味な存在であり、票にもならないためこれからも存在価値を問われるようなことなしとはしない。しかし日本語を正しく人に伝える「ことば」の重要性は、どんなに強調しても強調しすぎることはない。

 税金の無駄遣いや、天下りポスト廃止は大賛成だが、わずかな費用をケチって国語研究の灯を消してしまうようなことはことだけは避けてほしい。ちなみに、拙著は『現代日本語書き言葉均衡コーパス』で1億語をデータベース化すため、無作為で抽出したサンプルだそうだ。著作権料は無料。お国のために、ここはご奉公することにした。

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2008年6月28日 (土)

金正日架空取材

いよいよアメリカのテロ支援国家指定解除が軌道に乗りましたが。
 これはもうすぐかたがつくよ。これでチュチェ(主体性)思想の勝利は確実となった。
チュチェ思想は、北朝鮮の体制維持ということですか。
 北とか南とかでなく朝鮮民族全体の問題だ。どの国にもよりかからず、自主独立の精神を定着させるということだ。長い歴史の教訓から学んだことで、必ず実現する。

核兵器については申告しないということですが。
 オボイ(尊父)の教えは朝鮮半島から核兵器をなくすること、あんな高くついて使えない物を好きこのんで持っているわけではない。道具、道具、外交にはこれしかないからね。
その道具は手放さないということですか?。
 世界で腐るほどの核兵器やミサイルを独占し、世界をおどしまくっているのがアメリカだ。そのおどしが利いているから困るんだよね。たしかに持っているだけで交渉ごとがうまく進むんだからおかしいよ。まさか、核本家のアメリカが「核保有?、そんなの気にしないよ」とは言えないだろう。

だけど、日本は核兵器所有を一番心配しています。
 どうして核をいうんだろうね。問題はミサイルの方だろ。核がなくてもミサイルに化学・生物兵器を積んで高空で爆発させれば同じだよ。
だからアメリカの指導でMD(ミサイル防衛システム)で打ち落とす研究が進んでいます。

 アメリカが欲しいのは軍需産業をうるおす研究開発費の分担と、外国で血を流してくれる自衛隊の存在だろう。そのためには、「北朝鮮」の脅威が全くなくなったら困るものね。もし、わたしに日本を攻撃する気があったら、ミサイルなど絶対に使わない。透明のポリ袋にプラモデルのミサイル発射兵器や人形などを入れて海に流すんだ。新型インフルエンザ菌などたっぷりつけてね。


 リマン寒流を知っているかい、わが国の東岸から沖合に出たところで海に流す。すると南下して途中でUターン、うまくすれば日本の石川県から北、秋田県や北海道なら確実に漂着する。子供が拾ってたちまち原因不明のインフルエンザ大流行さ。これならレーダーにもかからないし、イージス艦も哨戒機のP3Cもお手上げだものね。

渡り鳥も使えますね。アイディアは、日本の昔の風船爆弾からですか?。
 そうさ、いいことなら何でも日本のまねをするよ。コストはほとんどゼロだし、証拠がなくアメリカ人に被害がなければ、アメリカが報復攻撃をしてくることもないだろうし。アハハハ……。

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2008年6月27日 (金)

テロ支援国家指定解除

 米・北朝鮮間のかけひきで、アメリカによるテロ支援国家解除の動きが具体化している。各新聞ともこれを社説に掲げているが、論調は似たり寄ったりである。いずれも、北朝鮮が申告した核処理の内容に核兵器やウラン濃縮問題などが含まれておらず、日本の拉致問題が置き去りにされていることなどから、指定解除をする条件としては不十分だとしている。

 その中で、もっとも過激にブッシュ大統領を非難したのが日本経済新聞である。「あなたは太平洋の対岸にある最も重要な同盟国を失うきっかけとなる決定をした大統領として歴史に名を刻みたいのですか」という言葉を結語としている。

 産経新聞も、もっと対米工作に本腰を入れるよう日本政府に注文を出している。なぜ、アメリカが拉致問題に対し、リップサービスだけで本気になってくれないのか、また、韓国人が日本以上に拉致被害者がいるのにあまり問題視しようとしないのか、政治家個人の器量に帰すだけでは、本質を見逃すことにならないか。

 それは朝鮮戦争以来、ずーっと戦争の相手国であり、さらにアメリカは、テロ支援国家指定以来いつ戦火を交えてもおかしくない国として位置づけられていた。38度線をめぐる停戦協定はあるものの、要人の暗殺、スパイの暗躍、拉致、国内攪乱工作など、交戦国としては当然のことだったのである。

 北朝鮮は、大韓航空機爆破やビルマにおける韓国要人爆殺など、テロ支援ではなくテロ国家そのものであった。以前にも書いたことがあるが、金正日の父、日成は朝鮮が日本であった時からゲリラとして日本軍と戦ったいた。その実績をもとに英雄・建国者として平壌の大銅像になっているのだ。

 日本人は全く意識しないが、北にとって、敗戦の後アメリカの兵站基地となった日本は、そのまま敵国として残っているのである。したがってまずアメリカとの交渉を第一とし、日本との交渉の優先順位は低い。ただ、敵対国解消の機会は小泉訪朝の時にあったが、その後相互不信をつのらせ、未帰国拉致被害者にとって不幸を強いることになった。

 また、アメリカと北朝鮮の関係を見てみよう。北朝鮮は、日本人がテポドンをおそれる何十倍もアメリカの攻撃をおそれていたはずである。今回の6カ国協議でも、朝鮮半島の非核化は当然の目標として存在するが、北朝鮮が戦争に負けたわけではなく、武装解除はもとより、軍事機密を文書で出すようなことはしない。

 もし、核兵器廃棄や削減をするのであれば、アメリカと対等の立場で双方の軍縮交渉にゆだねるべきだという立場だろう。アメリカをはじめ、国際社会が核開発や核兵器保持にダブルスタンダードをとり続けるかぎり、イラン同様話は前進せず、軍優先の体制をゆるがすようなことはできないはずだ。

 だから、この問題に日本が口を出すには、日本が核武装するか、日本が核の傘をはなれ、平和憲法を完全遵守するしかないのだ。6カ国協議で発言しても「ひとりごと」程度にしか聞いてもらえないだろう。やはり日本は平和ぼけなのだ。

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2008年6月26日 (木)

福田政策の源流を見る②

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 ▼これからの国際協力のあり方▼(前回の続き)
        福田 康夫
  衆議院議員 元内閣官房長官(07/6/22当時)
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■日本に対する評価
 ところで、日本は外国からどのようにみられているいるかも大事なことである。外国が日本を信頼しているかどうかである。これは相手の立場にたった経済活動をするということの前提でもある。

 昨年1月、BBCとアメリカのある大学が共同して行なった国際世論調査によると、世界中の国のなかで日本が一番、世界のために役立っているという評価が出た。本年1月の調査でも同じ評価であり、信じられないような感じでもあるが、世界の人々が日本を高く評価しているということは、素直に受け止めていいと思う。

 どうして評価が高いのかを考えると、第1に日本は戦後の発展のなかで協調して行動してきたこと、すなわち平和に徹して軍事力を一切もたなかった、これが他の国に安心感を与えた。第2は、国際社会で積極的に活躍してきたことがあげられる。

 その中で日本の冠たる実績はODAである。ODAは現在は若干減っているものの、これまでのODAの実績が高く評価されているということであろう。また、日本人自身に対する評価として、例えば日本は長寿社会であり、日本食がいいということも評価の一つとなっている。

 日本の商品は品質がいい、長持ちすることもあげられる、経済的である――これを作っている日本人は悪い人ではない、という評価につながる。さらに、日本人は新しい文化と古い文化をもっている、大変礼儀正しくて親切であることも、評価されているようである。

 こうした高い評価を私たちはこれからも維持できるかどうか、これが問題である。例えばODAは2000年までは世界で一番多額であったが、その後、質の問題が出てきたり不景気などから、次第に順番に下がり、現在は3~4番というところである。これからどうなるか、ODAばかりではないが、日本はどういう国であるかをはっきりと明示しながら、それが国際社会に役立つようなイメージをもってもらうような政策をとることが大事であると思う。

 しかし、国内的に心配されるのは、憲法改正問題、戦後の歴史認識に対する問題、核開発問題などである。これは海外から、今までの方向と変わってしまうのではないかと疑問視されており、このことは対外的によく説明する必要がある。今までの日本のあり方と変わったイメージを与えるとなると、今までやってきたことがどうなるのか、よく考えてみる時期がくるのではないかと思う。

 私は日本は軍事力をもたないといけないと思っている。それは過度なものであってはいけないが、他の多くの国も納得するような範囲のなかであれば、当然もたなければならない。これは説明の問題であると思う。これによって、日本は今までの方向性を失うことがないという理解をえることができると思う。

■エネルギー・環境問題
 エネルギーの面でも、今まで述べたように国際協力が不可欠である。相手の国の発展に役立つような協力の中でエネルギーの確保に努めていくことが、一つの大きな課題であると思う。もう一つは、国内のエネルギーを調達できるための組織というか受け皿がなければ、国際協力はできないということ。

 今までは石油公団があったが、今は小さな組織であり、とくに調達部門では国際メジャーと競争できる状態ではない。それだけ小さな相手国に対する協力しかできないということであり、これは考えなければならない。専門家としてエネルギーを調達できる大きな組織が必要であると痛感している。

 環境問題は、資源問題とひっくるめて考えた場合、非常に難しい問題である。中国などは今後、従来と同じように発電するとなれば資源と環境問題をクリアしなければならないし、できればいいが、できるような技術を開発する必要があると思う。と同時に、消費の面でも相当努力しなければならない。日本も消費の面では非常に大きな問題がある。

 実は私は自民党の中で住宅問題に取組んでおり、「200年住宅ビジョン」を打ち出すことにしている。要するに「200年もつような住宅をつくろう」という政策をつくろうというというもので、来年から具体化する計画である。これは資源問題の解決と環境問題の改善に大きく貢献するものと期待している。

 今、日本では新築の家でも30年経つと壊してしまう。しかし、アメリカでは60年近く、欧州では80年ぐらいは保つ。日本でもこれから200年も保たせようではないか、という考えで、それによって資源の無駄遣いはなく(使用量は現在の3分の1に減少)、投資コストも安くなるというものである。

 一般に生涯収入の3分の1は住宅に当てられており、住宅コストを安くできれば、今後、国民負担が少し増加しても、それほど大きな負担にはならないということもあり、なおかつ省資源にもなる、すなわちエネルギーの使用量が少なくなる、ということであることから、こんないい方法はないわけである。

 これはストップ型社会の構築ということで、いろいろな方々が提唱しているが、日本もいよいよそういうストップ型社会をめざして一生懸命走っていかなければならないという状況になったと考えている。資源と省エネと環境とをパッケージした新しい構想をもって次世代を考えていかないと、この地球は駄目になる。世界全体では今後、人口も増える見込みであり、人口が増えると環境は悪くなるし、人口問題も考えなければならない。

 エネルギー問題については、資源と環境問題を考えると、しばらくの間は原子力を使うことになるであろう。ただ、原子力は危険な面もあり、絶対安全でなければならない、100%安全であってほしい。そのための技術対策もあるが、さらに安全対策に万全を注いで、その日本の優れた安全対策を他の国にも提供し、国際協力に努めてほしいと思う。

 日本は他の国をどうしようということはないし、またいろいろな形での世界とのつながりにおいて経済的メリットを享受しているわけであり、その分、いろいろな形で世界の国々にお返しをしていかなければならない、ということを理解して頂きたいと思う。(文責在社)

-------------以上転載おわり。

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2008年6月25日 (水)

福田政策の源流を見る①

 福田首相は、小泉・安倍両首相のしりぬぐいに精一杯で、顔が見えないとか独自の政見を持たないなどと言われてきた。それ以前も、衛藤征士郎・元防衛庁長官との対談を内容とした著書があるだけで、安倍前首相の『美しい国へ』や小沢代表の『小沢主義』のような、政治信条とか個性を前面に出した自著があるわけではない。

 就任1周年にさしかかるこの秋口からの与野党政治攻防で、彼独自の本領が発揮できるかどうか、まさに正念場を迎えることになる。そこでどのような福田流が見られるか、それを占う意味で、昨年の参院選を目前に控えた6月22日、彼自身による「これからの国際協力のあり方」と題した講演に注目したい。

 この講演は、NPOエネルギー・環境・文化・国際協力協会(理事長 豊島格)の主催により、都内赤坂区民センターで行われたもので、以下の内容は、雑誌『石油文化』(石油文化社)が要旨としてまとめ、07年第3号に掲載したものである。このたび同誌の諒解を得てその全文を転載することにした。

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  ▼これからの国際協力のあり方▼
        福田 康夫
衆議院議員 元内閣官房長官(07/6/22当時)
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■少子高齢化、人口の減少

 今日、日本では重要課題として少子高齢化、人口の減少化などがあげられている。人口が減少するということは需要が減るということであり、経済の発展に大きな影響を及ぼす。その結果、国民の負担がふえることになる。

 参議院選挙が終わると、消費税率引上げ問題が浮上するのではないかといわれているが、同時に年金問題として、年金をもらう方々の年金額が減少し、それを支えている若い人たちの負担が重くなるという重大な問題もある。

 私は、国民にとって必要不可欠な年金制度のあり方について、現在の悲惨な状態から健全なものにするためには、天引きに近いような形で徴収することが望ましいと思っている。

 いわゆる税金や保険、年金といった国民負担は、わが国は大体収入の40%を若干切るぐらいであるが、ヨーロッパでは60%とか70%というところもある。しかし、わが国で消費税が上がれば負担率が高くなるし、その負担率はこれから上がる一方であると考えておかなければならない。
         
 このように考えると、今の若い人たちは将来に対して希望をもてるだろうか。ましてや日本の経済全体が昔のように右肩上がりなるという状況は望めない、自分たちの将来、今よりも悪くなるのではないかと、非常に暗たんたる気持ちになっている人たちが多いのではなかろうか。

 では、これからどうするのか。経済成長を少しでも増やさないと、今のような状況ではわが国はじり貧となり、やっていけなくなる、という心配が出てくる。

■海外との良好な関係を

 経済成長を高めるためには、国内では人口が減少するから、海外に目を向けるしか対策はない――この方策はすでに始まっており、現在国際取引が活発に行なわれている。これが経済成長のための重要な要因となっており、海外取引によって国内の需要も経済も大方、活性化している。

 今後も海外との関係を重視して、国内と海外を一体化して経済の発展に努力する必要が肝要であるが、では、海外との関係をどのようにして強化していったらいいか。

 かつては日本で物を作り、それを海外に輸出していたが、今は、もちろん輸出もしているが、同時に海外に投資して工場をつくって物を作り、日本にもってきている。そして企業全体として利益をあげ、それを日本に還元している。わが国の経済成長はこのようにして達成されているということを、よく認識しておく必要があると思う。

 アメリカはあまり物を作らないようになった。自動車でも日本や韓国の生産台数が多くなったし、飛行機などは旅客機の胴体や翼の大部分は日本製である。アメリカは経済効果からみて国内で作るよりも日本で作ったものを輸入する方が得策とみているのかもしれない。

 このようにアメリカの製造業は減少しているが、しかし、それを補って余りあるほどの他の産業、いわゆるサービス産業や金融業を起こしている。日本がアメリカの製造業の補完的役割を果たしているわけであるが、それが過大になると、日本は怪しからんと非難をあびることにならないか、と懸念する向きもあろう。

 かつてはそういう事態が起こった。20年ほど前、日本はアメリカに年間235万台の自動車を輸出しており、アメリカから何とか減らしてほしいとの要請があった。そのとき自動車業界は自主規制により160万台まで減らしたが、これは大変なことだったと思う。こうして日本は輸出を続けることができた。

 現在も、アメリカをはじめ外国に投資している企業は、投資相手先とうまくやってくれないと困るわけで、日本の投資は侵略的・略奪的拡張をねらいとしているとかで、対日排斥運動が起きたら大変な影響を被ることになる。

 したがって、両国の関係を悪くするような経済進出というか、そういったものは絶対に避け、友好かつ順調な外交関係を確立・維持する必要がある。そのための最大の前提条件が、国際平和がつづくことであることは、いうまでもない。そしてまた、対外投資をするのであれば、相手国の成長・発展に少しでも貢献することを目的としなければならない。

 こうしたことが終局的に日本の利益に結びつくことになり、外交を含め、企業も然り、そして一般の国民も友好関係を保つことに意を尽くしてほしいと思う。

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(日本の評価、憲法、軍事力、エネルギー、環境問題などは次回へ=管理人)

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2008年6月24日 (火)

錦明竹

 昔は「お笑い番組」といえばラジオのゴールデンタイムに放送される漫才と落語だけだった。私の好きな落語の一つに「錦明竹」がある。商家の主人が外出中に来客があり、留守番をしていた番頭と小僧が伝言を頼まれる。その伝言が上方訛りでおまけに早口、さっぱり意味が通じないのに帰宅した主人にそれを報告しなくてはならない。

 聞くだけで十分おもしろいのだが、実はこっちも半分は意味がわからなかった。それを活字にしたものがあったので書き留めておく。漢字がわかっただけでずいぶん違ってくる。以下、池田弥三郎『日本故事物語』からの引用である。

「私は京橋中橋加賀屋佐吉方から参じましたが、先だって仲買の弥市をもって取次ぎました道具七品、祐乗宗乗光乗三作の三ところ物(三所物とは刀の江頭、ふち頭、目貫をいう)刀身は備前長船の住則光、横谷宗珉四分一拵え小柄付きの脇差、柄前はたがやさんじゃと言うてでごわりましたが、ありゃあれ埋れ木で木が違うて居ますさかい、ちょっとお断わり申し上げます、自在は黄檗山錦明竹、ズンドの花活には遠州宗甫の銘がござります、利休の茶杓、織部の香合、のんこの茶碗、古池や蛙飛び込む水の音、これは風羅坊(芭蕉)の正筆の掛物、沢庵木庵隠元禅師張り交ぜの小屏風、あの屏風は、私の旦那の檀那寺が兵庫にござりますが、その兵庫の坊主の好みます屏風やさかい、兵庫へやって坊主の屏風にいたしまする、こないにお伝え願います」

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2008年6月22日 (日)

安全保障を公約に

 毎日新聞は22日、「各党は選挙公約作りを急げ」と題する社説を掲げた。国会は一足先に夏休みに入ったが、日本の将来にかかわる中長期の政策課題は、積み残されたままである。毎日新聞は、早期の衆院解散をうながし、その際の国民の判断基準となるべきマニフェストづくりを急ぐべきだ、と主張している。

 当然至極のことで、何も申し上げることがなさそうに見えるが、やはり読者としては物足りないものがある。なぜ各党が早々と政策の具体的目標を明示しないのか、また、国民が選択すべき重要課題がどれほどあるのかの説明がないからである。

 2本立てで限られたスペースの社説では、ここらが限界かも知れないが、なんらかの工夫でもっと踏み込んだものにしてほしかった。そうしないと、単なるお願い、要望ベースになってしまう。前回の参院選がそうだったように、選挙民向けの無難なキャッチフレーズだけが先行し、争点かくしや議論先送りのものしかでてこなくなるだろう。

 同社説では、年金、医療など社会保障制度のあり方が争点になるだろうと言っている。また、それにからめた福田首相の消費税引き上げ発言に注目している。いつから何%にするなどの増税公約は、党内や公明党の同意をまとめることが本当にできるのか、かりにできたとしても、それを公約として掲げることに候補者が納得するかどうか、はなはだ疑問である。(23日夕刻の首相会見で2、3年先の課題と後退発言)似たような問題はほかにもあるだろうが、ここでは憲法、安全保証問題を取り上げたい。

 去年の参院選では、安倍首相が早々と憲法改正を公約として打ち上げた。それに対して、民主党は最後まで「9条を守る」とはいえず争点化を避けた。これも党内に異論があったからだろう。小泉政権の延長線上にあった安倍政権は参院選で惨敗を喫した。そしてさらに福田内閣に変わり、安全保障、ことに外交政策で大きく変わったように見える。

 しかしこれは、公約として約束されたことでなく福田首相の資質によるものである。首相を待ちかまえた最初の難関はテロ特措法であった。3分の2再決議によりようやく洋上給油を再開したものの、来年1月には早くも期限がくる。また、高裁で違憲との判断が下されたイラク特措法も8月までの寿命だ。

 これまでのいきさつから、民主党の延長反対は当然として、与党はこれにどう答えるのだろう。また議席の3分の2をとって続行しますというのだろうか。アメリカの大統領選もある。もしオバマ氏当選なら公約通り「変えます」になるのに、「日本は変えません」のままいくのだろうか。是非聞きたいところである。

 また、2010年には国民投票法の凍結期限が切れて憲法改正案を議会に上程できるようになる。これに対してどういう姿勢で臨むか、候補者の意見を聞かなくてもいいのか。国民生活に直接関係する福祉政策は大切だが、争点はテクニックの問題にしぼられ、妥協点が見いだせないものとは思えない。

 これに対して安保・外交方針の方は、憲法や日米同盟のあり方をめぐり大きな対立点を内蔵している。こういったことを、戦時体験のある者としては、とても為政者に一任することができない。アメリカの大統領選では1年以上もまえからイラク問題や安全保障に対する外交方針を公約として掲げている。日本ではどうしてできないのだろうか。新聞社はこういうことにも答えて欲しい。 

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2008年6月21日 (土)

つゆのあとさき

 栗の木には強い匂いの花が咲き、柿の若葉は楓にも優って今がちょうど新緑の最も柔らかな色を示した時である。樹々の梢から漏れ落ちる日の光が厚い苔の上にきらきらと揺れ動くにつれて、静かな風の声は近いところに水の流れでもあるような響きを伝え、何やら知らぬ小禽(ことり)の囀りは秋晴れの旦(あした)に聞く鵙(もず)よりも一層勢いが好い。(永井荷風「つゆのあとさき」『日本の文学』中央公論社)

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 昭和6年、銀座の女給を題材にした荷風52歳の頃の小説である。満州事変が起き、これから15年間戦争が続く。世界恐慌はやや小康を得たが、農村や中小企業の苦難と危機には変化がない。昭和7年、神奈川県大磯で起きた坂田山心中事件がきっかけで心中20件が後に続き、翌8年の三原山では自殺男804人、女140人、1日平均3人という狂気の時代だった。

 なにか今の時代と重なるところがありそうな気がする。エロ・グロ・ナンセンスがもてはやされ、重苦しい現実が世を覆ったというが、荷風の描くプロの女性には梅雨時のような湿っぽさがなく、むしろさばさばした野鳥の勢いさえ感じさせるのである。

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2008年6月20日 (金)

公明党の存在

 自民党は、自衛隊の海外派遣をいつでも実行できるような「恒久法」を作るため、公明党とプロジェクトチームを設け協議をしていた。その中間報告が出たが、核心となる憲法解釈で結論が得られず、法案国会提出のめどが立たなくなった。

 民主党は、かねて小沢代表の持論もあって同法案に前向きの姿勢を持っていたが、その行方を公明党がはばんだ形になっている。当塾はかねて、同法案が解釈改憲にお墨付きを与えるようなことになるので、再三その危険性を指摘してきた。

 集団的自衛権の解釈変更で目論まれた安倍政権時代の下工作は、福田内閣成立と共に瓦解してよかった。そして、インド洋給油の特措法は最初の参院3/2逆転議決で成立はしたものの、東アジア外交やクラスター爆弾禁止賛成など、福田首相は、目立たないかたちで安倍タカ派色を確実に消してきている。

 当塾はさきに「福田内閣を支持する」と「政界再編の秋」を記事にした。そこへさらに公明党の存在を評価する記事を加えるとどうなるか。反戦、平和、護憲を標榜するブログの全部と言っていいほど「自公政権打倒」を統一スローガンにしている。当塾も去年の今頃はその一角にいたが、転向したようでやや孤立無援の感もする。

 クラスター爆弾の時も、公明党の浜四津代表代行などが肝心な時点で公邸を訪れ、首相の背中を押した。公明党はその平和政策で確実に自民党の右傾強硬勢力へのチェック機能を発揮している。もし公明党の存在がなければ、福田路線はもっと抑制されたものになっただろう。

 現在、安全保証問題で国政運営上実効ある影響力を発揮しているのは、護憲勢力の社・共ではなく公明党である。民主党は上記のほか、新憲法制定議員同盟(中曽根代表=名称が改正でなく「新憲法制定」であるところに注意)に、鳩山幹事長や前原元代表などを参加させている点で、その方向感覚はゼロである。

 共産党は、個別の国会質疑や党員による9条の会応援などで、まだ目に見えるものを持っているが、社民党に至っては最も親近感があっただけに、その効果を問われると情けないのが実態だ。前にも言ったが、私は自民党支持でもなければ公明党支持でもない。

 これも繰り返しになるが次の総選挙は、自民か民主かではない。その前後に政界再編は必至だし、またそうなって貰いたい。憲法は3/2だが、その他の法律は2/1だ。自衛隊や日米同盟は2/1で動いていく。その際公明党はどうなるか。

 必ず多数与党に入り、野に下ることはしない。池田創価学会名誉会長は、海外で多くの要人と接触し、数知れない感謝状や表彰を受けている。これは公明党が与党で国に影響力があればこその話で、少数野党になればそうはいかない。その意味からしてタカ派主導党を過半数、または過半数近くにさせてはならない。

 それにはどうすればいいか。現在の所属政党にとらわれず、その議員(候補者)の日頃の言動・行動・能力にしたがって選挙に臨み、平和指向議員をひとりでも多く議会に送り出すしかないのではないか。       

         
 

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2008年6月19日 (木)

将に五危有り

 『孫子』からである。

    故将有五危 必死可殺也 必生可虜也
    忿速可侮也 廉潔可辱也 愛民可煩也
    凡此五者  将之過也  用兵之災也
    覆軍殺将  必以五危  不可不察也

 こんな意味だろう。
 将には5つの危険がある。必死の覚悟では殺される。生き延びることだけ考えると捕虜になる。気短で怒りをあらわにすると侮られる。清廉潔白だけでは、はずかしめられる。民に愛されることだけに専念するのは、気苦労が多く煩わしい。

 およそこの5つは、将の過ちである。用兵がうまくいすず、指導力に災いをきたす。軍(権力)が覆り将が殺されるのはこの5危にほかならない。十分に注意すべきである。

 と、こんなふうに福田康夫首相は考えているのだろうか?。                  
 

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2008年6月18日 (水)

続・地震の命名

 前回のエントリーでは、Runner さまから補強のおもしろいコメントも頂いた。それに、震源地に近い奥州市のみなさまに「聞いたことがない」などと大変失礼なことも書いてしまった。その罪滅ぼしに同市の紹介をさせていただく。同市のホームページによると、平成18年2月に水沢市、江刺市、前沢町、胆沢(いさわ)町、衣川村の5市町村を合併してできた市で、人口は13万人余、岩手県では盛岡市に次ぐ第2位である。

 水沢は、友人の出身地でもあり以前から知っていた。最近、ポスターの絵柄で物議をかもした「裸の男と炎のまつり」蘇民まつりの黒石寺も同市にある。それより、かねがね一度は行って見たいと思っていた地名が、「胆沢」なのである。

 北上側の中流域を占めるかなりの広い盆地である。多賀城からはむろんのこと、北上側方面への前線基地である伊治城の地点から考えても、まさに文字どおり胆沢は蝦夷集団の「奥区」であった。胆沢の土地と人間を征服できれば蝦夷征伐は大半の成果をおさめたことになろう、というのが桓武とその政府の多年の思惑であり、執念でさえあった。

 胆沢の地域はゆたかな流水と土質に恵まれていた。蝦夷の集団は、あとでふれるような技術をもって、その労働力をこの原野の開墾に集中し、水田または陸田をひろげていった。この地域の山また森、あるいは河川は、かれらに漁撈・狩猟の対象を無尽蔵といってもよいほど豊饒に提供した。

 以上は、北山茂夫『日本の歴史4平安京』(中公文庫)からの引用である。大和朝廷が都を京都に移して最初に行った領地拡張政策はここでストップ、蝦夷の楽天地攻略に手間取った。ところが、ここにはもうひとつの不思議がある。それは日本最北の前方後円墳「角塚古墳」があることである。その築造が上述の桓武天皇の時代より300年以上も前の450~475年頃だという。

 前方後円のスタイルと発掘された埴輪類は、どう見ても大和王朝の息がかかった設計と見るしかない。おそらくこのなぞは永久に解き明かすことができないだろう。また、前記にある多賀城は、奈良時代に築かれ(仙台市の北東約10キロ)その跡に有名な石碑が現存する。

 多賀城 去京一千五百里
     去蝦夷国界一百廿里
     去常陸国界四百十二里
     去下野国界二百七十四里
     去靺鞨国界三千里

 これを一里560メートルで換算するとほぼ正確と言ってよく、蝦夷国界はまさに「胆沢柵」を指すと見られる。また私見では、靺鞨国はサハリン経由の沿海州岸と見ている(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)。胆沢は、日本人にとって「この先、夢いっぱい」の土地柄だったのである。

 

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2008年6月17日 (火)

地震の命名

 「東北地方で強い地震がありました。震度6強、奥州市、栗原市」などと速報で言われても、どこのことやらサッパリわからぬ。宮崎県がどこにあるのか知らない、というのはチョットひどいが、奥州市の正解率は一体何パーセントあるのやら。

 家のパソコンでも「押収し」と答える。でも市の名前は、地元民が選んで付けたのなら何をかいわんや。正式地震名は気象庁がつける。「岩手県・宮城県内陸地震」なんだそうだ。これもまたサッパリ位置が特定できない。市民感覚からかけはなれた官僚主義の命名だ。

 ちなみに、この前の新潟県の地震、「新潟県中越沖地震」「新潟県中越地震」だ。一字加わるかどうかの違いだけで区別しにくい。これも地元民の感覚から遠く、当時から非難ごうごうだったようだ。前者は「柏崎沖」「刈羽沖」「西山沖」とでもした方が地理的にも被害の実態からもピッタリくる。

 いったい気象庁は何を基準に名前をつけるのだろうか。また、マスコミも唯々としてそれに従うだけで能がない。今回も「栗駒山地震」と命名すれば、地域は特定され、映像で見る山崩れや孤立する集落など被害の実態や特徴がつかみやすく印象に残る。

 栗駒山は名を知ってはいたが、たしかに知名度は高くない。しかしこれで有名になることは誰にとってもマイナスではない。被害県は宮城・岩手・秋田の三県にまたがるのだからこの方が公平だ。地震の命名などそれこそ民間委託して、気象庁は本来業務に専念して欲しいものだ。 

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2008年6月16日 (月)

漂流する安保 9

 1858年(安政5)、大老・井伊直弼は勅許のないまま、米英仏露蘭の5カ国と修好通商条約を結んだ。関税自主権がないほか、条約国民が犯罪を犯しても日本に裁判権がなく、いわゆる「治外法権」を認めた不平等条約である。

 明治政府は独立国としての威信を確保するためこの撤廃をめざして尽力、1894年(明治27)、日清戦争直前に妥結した「日英通商航海条約」調印により、36年ぶりの念願を果たした。米駐留軍の治外法権的特権は、戦後の占領時、旧安保の日米行政協定、新安保の地位協定と続いて、今年ですでに63年、政府はまだまだ続けるつもりである。

 アメリカがイラクとこの夏に締結を目指している安全保障協定(日米安保に相当)に関し、イラクのマリキ首相は、アメリカ側が米兵だけでなく米軍と契約する民間会社の社員にも刑事免責を要求、さらに△米軍のイラク人逮捕権△イラク政府の許可を必要としない軍事行動△領空、水資源の支配権などの要求があることに対し、断固拒絶すると言明しいてる(毎日新聞6/15)。

 アメリカ側が、交渉テクニックとしてふっかけている点もうかがえるが、「主権侵害」や「長期駐留」に対するイラク国民の反感を全く意に介さない提案だ。駐留軍の特権を維持しないと「士気」にかかわるといい、他国との契約上のバランスを主張する。

 「士気」とは何だろう。躊躇なく人を殺せる気概か、特権で優越感を持たせるための他国民蔑視政策か、そのようにしないと、志願兵を集められないということなのか。そんな「世界の警察官」などにいてほしい国はない。一方、ブッシュ大統領は、イランがウラン濃縮停止の見返りを拒否したことについて、「イラン国民は国際社会から一層孤立する」と次の標的に警告する。

 しかしイランは、イラクの現政権と連携する動きがあったり、日本人人質解放で、民俗・宗教上の対立が深かったパキスタン政権と水面下で協力しあったり、同様に革命以来疎遠だったサウジなど湾岸諸国と交流するなど、以前のような対立を前面に出す政策はとっていない。

 パレスチナでも、過激派ハマスと穏健派ファタ派の和解を進めようとする国際的な動きの中で、イスラエルに影響力を行使し得ないアメリカの方にむしろ孤立感がただよう。西欧各国をはじめ、アメリカ国民でさえイラク派兵に疑念を抱き距離を置くようになったことに、ブッシュはどれほど気づいているのだろうか。

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2008年6月14日 (土)

続冷戦式文化

  岩手県、宮城県のみなさま、地震のお見舞いを申し上げます。

 昨日の考古学の話題に続けるわけではないが、「続縄文文化」という考古学の分類がある。北海道・東北北部には弥生時代がなく、縄文文化から続縄文文化に移ったという説である。縄文文化の栄えた三内丸山遺跡や亀が岡遺跡を見たあと、見事な水田跡が発見された弘前に近い田舎館の資料館を見学した。そこでは、土器の文様なども弥生式の変形のひとつのように見えた。

 素人目には明らかな劇的変化である。これを「続」ですますのは、古代・中世にこの地域に住む人々を「蝦夷の後進性」で差別した後遺症のような気がして、某考古学者に質問したことがある。しかし反応はにぶく、納得できる説明は得られなかった。

 話は大きく変わって、日本の防衛・安全保障の話である。かねて、安倍前首相や一部右派政治家、制服組自衛官、防衛省幹部の中には、中国・朝鮮・ロシアを古典的な共産主義の国と決めつけ、その侵略に備えるのが国防であり、日米同盟の存在価値だと思っているのではないか、と疑ったことがある。

 だけど、ネット掲示板上ならともかく、名だたる高官の中にも確実に、そして真剣な「続冷戦文化人」がいることがわかった(「クラスター年表」最後尾を参照してください)。そのように信ずる理由は、本人に聞かないとわからないが、自衛官は米軍との共同訓練をする際、黄色国だとか青色国だとかといって仮想敵国扱いしているところから来る被害妄想に違いない。

 もう一つは、共産主義者とは「価値観が違う」、極端に言えば言葉が通じない邪悪な宇宙人のような見方をする人である。まあ、旧共産圏にいる人でも、いまだにそんな固定観念を持ち続けている人はいないだろう。革命の輸出をたくらむような余力はすでにない。

 このような、洞察力のない小児病的な情感にもう一つの要因が加わる。それを端的に言えば、中国などの度重なる謝罪要求と激しい反日感情、北朝鮮による日本人拉致や核兵器などによる恫喝である。それらの国が体制維持と国内統一の必要上、対日批判を容認し教育・宣伝に利用してきたことはまぎれもない。

 しかし、これは共産主義とは全く関係ない。時として、台湾・韓国もこれに同調することを見てもわかる。それは日本人への不信感に根ざす。また、これが先方国への不信感としてはねかえり悪循環となる。防衛力増強もいいが、まず、相手の立場に立って考えてみるくせを日本人はつけるべきではないか。かりに敵であろうとも「敵」を知り、「己」を知らなければ戦いに勝てない。

 まず、北朝鮮。金正日は、日本人拉致が「国家的犯罪」になるなどとは爪の先ほども思っていない。なぜならば、戦時中の敵国に工作員を潜入させ、戦争に役立てるのは当然だからだ。直面する韓国には大勢の工作員を入れ、日本とは比較にならないほど大勢の人を拉致し、攪乱工作もした。程度の差こそあれ、韓国も同様なことをしている。

 なぜ日本が敵なのか。正日の父・日成は抗日パルチザン、つまりソ連領内の対日ゲリラ要員として名をなした人だ。つまり、朝鮮が日本領時代から戦い、独立を勝ち取った英雄である。その戦争が終わらないうちに朝鮮戦争が始まった。

 米軍は日本の基地から発進し、日本は特需にわいて戦後経済復興の起爆剤とした。そればかりか、日本の海上保安庁は連合軍の元山港上陸にそなえ、掃海艇を派遣して戦死者までだしている。日本人は中立国のつもりでいるが正日の目から見れば違った。しかし日朝首脳会談でわびを入れ、これにけりをつけようとしたのだ。

 次ぎに中国。日露戦争が終わってから日本軍はずーっと中国に駐留し続ける。第一次大戦後、日本は国際常識を越えた負担を中国に強要した。それからは謀略や満州独立工作で、ついには南京占領にまでエスカレートした。反日運動はちょっとやそっとのつけやいばではない、大正時代からのものだ。

 日本がアジア解放のため戦ったとか、第二次大戦が自衛だったとか、中国人から見てどううつるか。そしてやっと始末をつけたはずなのに、日本は、靖国神社にA級戦犯を祀り国粋主義復活の教科書を作る。すると再び同じ目に合うのではないか、と心配するほど猜疑心は強いのだ。

 反共のチャンピオン・アメリカの軍用機が救援物資を国内に届けても、自衛隊機は行けない。この落差に「続冷戦文化人」は早く気づいて欲しい。続冷戦文化のままでは、これから先、絶対新しい時代には入っていけない。

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2008年6月13日 (金)

古墳

 「後期」「終末期」、こういった言葉を使った厚生労働省の役人は、もしかして考古学フアンかも知れない。ことに古墳についてはおなじみの表現だ。その一番最初の方を「出現期」とか「早期」などという。「出現期高齢者」といえば、何歳ぐらいになるのだろう。

 出現期古墳の雄はなんといっても「箸墓古墳」である。全長280m、鍵穴形をした小山のような巨大墳墓が、3世紀後半に忽然と大和平野の東南に現れた。卑弥呼が死んでしばらくたってからである。おおかたの歴史家はこれをもって弥生時代が終わり古墳時代に入ったとする。

 古墳の雄、と言ったが実は被葬者は女性である。その名を「ヤマトトビモモソ姫のみこと」といい、第7代孝霊天皇の二女とされている。巫女で予言はよく当たったようだ。大物主神の妻になったが、夫の本体である小蛇の姿を見てしまった。大物主神は怒り恥じて山に戻った。 

 姫はそれを悔いて尻餅をつき、下にあった箸が陰部に突き刺さって死んだ。それで墓を作るわけだが、『日本書紀』に墓の作り方が書いてある。書記には各天皇の陵墓の所在地は書いてあるが、これまでにない巨大さがある、しかも天皇以外の墓を特記したのはなぜだろうか。

 この墓は日中は人が作り、夜は神が作る。それには大坂山(二上山の北側の山)の石を運んで作る。山から墓に至るまで人民が連なって手渡しで運ぶ。
大坂に 継ぎ登れる 石群を
手逓伝(たごし)に越さば 越しかてむかも

 もう一つ女性の墓を書いている同時代資料がある。ご存知『魏志倭人伝』である。247年かそのあと、「卑弥呼以て死す。大いに冢(ちょう=丘陵)を作る。径は百余歩」とある。百余歩を換算すると、箸墓後円部の直径に相当する。ヤマトトビモモソ姫は卑弥呼か!?。だがその証明は何もない。

 ちなみに、姫の死は崇神天皇紀にあり、同天皇は「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」つまり初代という称号を持つ。陵墓とされる行灯山古墳が箸墓の近くにあるが、箸墓よりやや小さい全長242mである。姫は同天皇の大伯母にあたるが、古墳の規模から見て実質天皇だったに違いない。

 神話の国生み夫婦神、イザナギ、イザナミは妻イザナミが先に死に、イザナギが黄泉(よみ)の国に会いに行く話がある。暗いトンネルのようなところの奥に棺が置かれ、イザナギは腐乱した妻の死体を見ることになる。ここでも女性と墓の話が出てくるが、これは中期古墳以後の横穴式石室のイメージである。

 皇嗣は、男系、男子にこだわる右派の先生方が多いが、日本の伝統は、原始太陽の天照大神でなくても女性がなくては始まらないことだけはたしかのようだ。

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2008年6月12日 (木)

政局の秋

 5日前、「福田首相を支持する」という題の記事を書いた。その福田首相に、昨日参議院で問責決議案が上程され、野党の賛成で可決成立した。ここまで内閣支持率が落ち込んでいる福田首相を支持するのには、ちょっとした勇気がいる。

 しかし問責決議案が成立しても、何の緊張感もない。昨日の朝刊に3時から「党首討論」とあったのでビデオの予約を入れておいたが、肩すかしを食らってしまった。国会は今日から与党と共産党だけになり、衆院では首相信任決議案が上程される。首相問責決議可決が戦後初のできごとなら、これほどの茶番劇国会も前代未聞だ。

新聞各紙の社説は、読売の御用紙ぶりは当然として、想像以上に民主の対処を非難している。 断っておくが、私は、福田首相支持とは言ったが、自民党支持ではない。真の保守政治家というのは、場当たり的なパフォーマンスに走らず、多くの意見を斟酌し、最善の道筋をつけようとする人だと思う。もうひとつ付け加えると、民主主義とは、手間ひまがかかり、しかもいつでも最善の結果を生むとは限らない。理想を高くかかげ、決断が早く、直ちに実行に移す方が効率がいいが、独裁政治よりはるかにいいのだ。

 そんな姿を福田総理に重ねたわけではないが、小泉・安倍政治の軌道修正をわずかながらも積み上げてきていることは確かだ。当面、解散総選挙はないだろうが、年内、または来年度前半には必ずやってくる。その時の選択は、これまでのように、自・公か民主中心の野党かという二者択一の図式になるとは限らない。

 政界再編必至とみれば各党(新党ができるかも知れない)は、まず自党の勢力拡張を第1に考えるはずだ。もし、1党で過半数をとれなかった場合は連立政権となる(可能性はかなり高い)。まず、注目すべきは選挙公約である。争点として考えられるのは財政再建と税制改革だろう。

 しかし、外交・安全保障と同様にこれを明快に打ち出すことにより、自民・民主双方とも内部矛盾を顕在化させるおそれがある。逆に争点がぼやけたものであれば、福田・小沢(9月の代表選で再選された場合)大連立が息を吹き返すことも考えなければならない。

 そうなった場合、自民・民主内の反対不満分子が造反して野党第1党に向けた新党結成に向かうかも知れないが、勝ち馬に乗りたい組が多数を占め、かなり厳しいことになるだろう。右翼系雑誌が期待するような小泉効果や、新自由主義、上げ潮派の復権は、秋葉原の無差別殺人が、なんとなく小泉改革・規制緩和の犠牲、といった印象でとらえられる風潮がある限り不発に終わる。

 繰り返すようだが、アメリカで仮に民主党のオバマ氏が大統領になり、国際情勢の変化に対応して、存在感のあるような外交ができる首相候補はそう多くはない。福田首相にその手腕があるかどうかは、まさに洞爺湖サミットがその試金石となるはずだ。

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2008年6月10日 (火)

漂流する「安保」8

 遅々として進まないこのシリーズではあるが、その理由はある。半世紀前の諸条件下で締結した骨董品条約なのに、見直されたことがない。旧安保から引き継いでいる、憲法9条との相性の悪さ、米軍基地存在による負担の問題、さらに国権を侵害されかねない地位協定や行動範囲の不安を内在させたままで、アメリカの方針に盲従せざるを得ない日本の国際感覚の貧弱さである。

 さらに、それを複雑にし増幅させているのがアメリカ外交の二面性、プラグマチズム、あるいは変わり身の早さと、逆にアメリカの価値観、自由主義や宗教、原理・原則に固執し、妥協を拒む頑固さを共有させていることである。

 したがって、条約の中味、場合によっては双方で交わした交換公文でさえ意味を為さないような部分があるからだ。文書の解釈は、最終的に力関係で決まる。持たざるものは、それなりに知恵と努力でそれを補おうとする。アメリカに追随することだけが力の源泉だと信ずる政権が最近まで存在したことは、日本にとってまことに不幸なことだった。

 改めて安保条約を見てみよう。「国際連合」「国際連合憲章」「個別的又は集団的自衛」あるいは、それらを包括する意味での「国際」と言う言葉が、前文で4回、第1条で6回、第2条で2回、第3条で1回、第4条で1回、第5条で3回、第6条で1回、第7条で2回、第10条で1回、都合21回もでてくる。まるで国連憲章の付属文書のようだ。

 アメリカが国連をどうとらえるかは、国連がアメリカの支配下にある(U.N.under U.S.)と、国連とアメリカが敵対関係にある(U.S.versus U.N.)両方があり、それは時と場合により「それぞれに正しい」(最上敏樹『国連とアメリカ』)ということである。

 しかし、最初からそうだったわけではない。西崎文子『アメリカ外交とは何か』によると、国連憲章の書き出し部分「われら連合国の人民は(We the peoples of the United Nathions)」の「Nathions」を「States」と書き換えれば、そのままアメリカ憲法と同じになるというほどの入れ込みようで、「アメリカ社会が国連に寄せた夢と自信とを物語っていた」という。

 それから15年、東西の対立は決定的になり、冷戦たけなわの時代になって日米安保改定交渉が始まった。アメリカは国連での正統な地位を確保するため、日本が中立的立場に立つことを極力防がなければならなかった。そのため、日本の要求を最低限くみ取る努力をし、条文で国連憲章をフル活用させることになったのだろう。
 
 ブッシュ政権下では、国連をしばしば無視して事務局長を嘆かせ、また敵対関係なったことも多かった。アメリカは国連がなくても、集団的自衛権で同調してくれる国があれば何でもできると思っていたのだ。その反面、同盟国のために、米軍を同盟国の指揮下に入れるようなことは、アメリカの理念に背くこととして頑迷にこれを避けている。

 アメリカはそれが国連であっても、アメリカの支配下になければ拘束されずに行動するという、つまりunderであると同時にversusである関係が常態化している。この点、小沢民主党代表の「国連決議があれば海外派兵に道を」というのは、時代錯誤かご都合主義としか見えないのである。

 アメリカの外交は歴代「単独主義」と「孤立主義」の繰り返しである。これから展開される大統領選の結果、従来路線の大幅変更がないとはいえない、というより大きな転換がはかられると見た方がいいだろう。日本はこういったアメリカの大きく変わる点と変わらない点を見極め、安保をどうこの先どう導くか、遅れをとらないで主導権を得るための剣が峰にさしかかっている。

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2008年6月 9日 (月)

端午節

2008_06090004_2   昨日8日は旧暦の5月5日、端午の節句である。日本では新暦で連休の「子供の日」にしてしまったが、中国は、地震後初の祝祭日になる昨日、各地で各人各様に例年通りの風習で祝ったらしい。日本でも菖蒲の葉をお風呂に入れると健康によいとしてスーパーなどで売っている。しかしそもそもの由来は忘れられている。

 端午の日には粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる風習もある。粽を食べるのは、中国戦国時代の楚の愛国詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚の餌としたものがちまきの由来とされる。(Wikipedia)

 そこで紀元前278年のこの日をしのび、屈原の「懐沙の賦」を一部掲げておこう。

 いっそうこのままふっと死んでゆこう
 恐らくはこの上なおも禍がくるかも知れぬ
 言いたいことを言いつくさぬままに淵に沈もう
 ただ君が耳目をふさがれて
 気づきたまわぬのがくちおしい
         (目加田誠著『屈原』)

 「端午の節句」については、韓国が起源を主張し、その風習「江陵端午祭」をユネスコの世界無形遺産に申請し選定されたという。それに対して中国のマスコミをはじめとする諸団体は猛反発したそうだ。日本でも最近奥州藤原氏ゆかりの、平泉・中尊寺などの世界文化遺産の申請が保留されたとか却下されたとかの報道があった。

 そもそも民俗や史跡・遺物・自然などは、それぞれ人の心の中ではぐくまれるものだ。それに観光地のキャッチフレーズや偏狭なナショナリズムを結びつけたお墨付きをほしがり、それを国際機関で審査するなどの愚行は、いいかげんやめにしてほしいものだ。

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2008年6月 7日 (土)

福田首相を支持する

 本ブログは開設以来自民党政権に反対し続けてきた。小泉政権下で安全保障はアメリカの属国化が進み、靖国参拝で周辺国との関係を決定的に悪化させた。安倍政権は憲法改正の準備を公言し、集団的自衛権の解釈変更、閣僚人事の蹉跌などがあって自滅の道をたどった。

 昨年9月に成立した福田内閣は、参院の与野党逆転で規定方針である法案通過に手間取り、衆院の再可決を繰り返さざるを得なかった。これも党内の強硬意見を牽制しながら民主党との話し合い路線を主導し、やむを得ない措置であることの説明を繰り返した。

 野党は与党案にまさる具体案を示せないことで追求が徹底を欠き、国民に政権交代を訴えても打てば響くような共感は得られなかった。年金の事務処理の失態や後期高齢者健保制度など、前政権のしりぬぐいばかりのしかかってくることは国民も知っている。

 そして、マスコミに「顔が見えない」とか「なにをしたいのかわからない」「指導力がない」などと言われながら大きな決断をした。その一つは道路目的税の一般財源化をめざす閣議決定をしたことと、もう一つはクラスター爆弾禁止条約採択に同意する指示をしたことである。

 道路の方は党内はもとより閣内や地方首長にも強い反対があり、強引さを武器にした小泉首相にもできなかったことである。また、クラスター爆弾は中谷元防衛庁長官や石破防衛相、特に中国や北朝鮮の日本への敵前上陸をあり得ることと信じ込んで爆弾廃棄をこばむ制服組自衛官の抵抗を押し切って決断した。画期的と言っていい。

 そのほか、公務員制度改革や裁判結果の受け入れなど、首相独特の柔軟な政策誘導が目立たないながらも進んでいる。民主党は、近く参院に問責決議案を提出するというが、伊吹自民党幹事長のいうように党内結束を図るためという印象を否定しがたい。

 後期高齢者問題も、政府与党が制度上の欠陥を認め、改善案を用意しているのであれば、よりよい即効性のある代案がないかぎり認めるべきではないか。怒っているのは、「後期高齢者」という語感の悪さで、一定年齢で区切ること自体ではない。後期高齢者がそう言うのだからまちがいないだろう。

 これから、首相得意の分野といわれる外交、特に洞爺湖サミットを控えている。また、大統領選を控えて同盟国米国との外交の正念場がやってくる。誰が大統領になろうとも外交環境が激変することは確実だ。見渡したところ、小沢民主党代表を含め、外国首脳と無難に外交をこなしていけそうな首相候補がほかにあるだろうか。

 麻生とか小池などの安倍残党なら最悪である。民意を反映した選挙の洗礼を受けていないという事実はあるが、内外の情勢から見て今政治に混乱を招くのは日本の国益にならない。ここしばらくは福田首相を支えていくしかないのではないか。

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2008年6月 6日 (金)

漂流する「安保」7

 ようやく今回で現行安保条約の中味に入る。旧安保との違いや、その本質をさぐってみたい。まず、名前が変わった。前は、日本国とアメリカ合衆国との間の「安全保障条約」、今度は「相互協力及び安全保障条約」である。

 これはスンナリ決まったが、アメリカ側は頭の片隅に軍事を置き「決して片務条約ではないよ」という国内向けのアナウンスがあり、日本側は、軍事というより経済も含めた幅広い条約、として国内の反対運動の過熱を抑えたい思惑があったようにもとれる。

 その経済条項は第2条にあるが、問題となるのは第3条である。
     第3条 締結国は、個別的に及び相互に協
        力して、継続的かつ効果的な自助及び相互
        援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの
        能力を、憲法上の規定に従うことを条件とし
        て、維持し発展させる。

 これはうっかり読みすごしてしまいそうだが、アメリカの上院がおこなったいわゆるバンデンバーグ決議(1948)を下敷きにしている。その意味は、条約を結ぶ国は自ら国を守る能力を養成し、その上で協力・援助しながら双方の防衛力を高めるのでなければ、その条約は無効であるとする、という決議である。

 したがって、NATO条約、米韓条約など同種の相互防衛条約にもこの条文が入っている。最後に「憲法上の規定に従うことを条件として」という文言があるが、前文に「個別自衛権」「集団的自衛権」という国連憲章にある権利を認め合っていることから見ると、明らかに日本国憲法9条との間に矛盾がある。

 日本にその能力も意思もないと判断を下すのは、アメリカの上院である。そうなれば、そのあとの条項にある防衛義務、協力義務なども無効ということになる。このような決議がなされたのが、冷戦まさにたけなわになろうとしていた時期であることを思い起こせば理解できるだろう。アメリカは無条件で日本を守ってくれるわけではない。

 第5条は日本の領域に対する攻撃に双方が共同して対処することを宣言している。旧安保では米軍の駐留を認めただけで防衛義務までうたっていなかった。日本国内の「内乱鎮圧」と「外部からの武力攻撃」に寄与するために駐留軍を使用することができる、という範囲にとどまっていた。

 旧安保もそうだが、新安保も問題は駐留米軍配備の目的である。いずれも日本領域の安全以外に「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」とあり、日本と関係のないことにも使う権利があることを忘れてはならない。ベトナムであろうが中東であろうが、日本の基地から作戦行動を起こせるということである。

 これには、条約とは別の「事前協議」の取りきめもあるが、核兵器搭載艦の日本立ち寄りなどを見てもわかるとおり、軍事機密や両国の力関係でしばしば空文化されていることは周知の通りである。以上のほか、基地問題の根底に横たわる旧安保の「行政協定」、新安保の「地位協定」による特権付与、あるいは、対象地域の「極東」をさらに拡大していく過程があるが、これらについては項を改めることにしたい。

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2008年6月 5日 (木)

自作自演説

 毎日新聞の記事だが、「某中学校の先生が生徒に9.11の“自作自演説”の話をした。家に帰った生徒の話からそれを知った親族が、教育委員会にタレこみ、校長はPTAの席上でその先生に謝罪させた」という内容だ。これと似た筋書きは、ほかのことでもたびたび報道される。

 自らの経験では、中学生にもなると先生に対する観察眼や評価も鋭くなる。新任の先生でもすぐあだ名をつける。平板で指導要綱から一歩もでない先生より、多少トンデモ発言があっても生徒の興味・関心を引きつけてくれる先生に人気があり、その先生の話はいつまでも忘れない。

 上の記事だけでは、どんな話し方でどういういきさつだったか、詳細がわからない。したがってことの善悪は判断しないが、教師にたずねて見ようとせず、教師を信用せず、すぐ教育委員会に通報して言論封殺まがいのことしたり、教育現場を破壊するような行為を一部の親権者がとる。

 このような風潮の方がよほど教育に悪影響を及ぼすと思うのだが、どうだろう。校長がことなかれ主義、保身に汲々としているならばこれもまた問題だ。たまたま、前々回「古史、古伝、偽書」という記事を書いた。また、かつて旧石器時代の遺物が続々として発見され、世間はそれを真実だとして受け入れた。ところが、全く幼稚な自作自演であることが判明したこともある。

 もちろん、この逆もある。最大のものは地動説である。あり得ない言説を唱えたとして、天動説に固執する権力者から「社会を乱す」者としてガリレオ・ガリレイは処罰された。トンデモ言説はいつの世の中にもある。戦時中は、正統派皇国史観以外の古史の類が一斉に弾圧・検挙されるという悪夢の時代だった。

 世間にはいろいろ信じられない不思議なことがある。中には少々おかしなことをいう人もいる。それはそれでいいではないか。いろいろな知識を重ねることで、なにが本物に近いのか見えてくる。それまで、いろいろなことに関心を抱いたり、想像したり、議論したりする余裕が社会に欲しい。どういう動機があるのかわからないが、医療、警察など他の分野を含め、世間を萎縮させるようなことは、即、やめてほしい。

 

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2008年6月 4日 (水)

晴れ間求めて

 首相は、♪おおソーレミオの国へ2008_06040017

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2008年6月 3日 (火)

古史、古伝、偽書

 先月、日本語化した「原理主義」につてい書いた。私がブログを始めた05年4月から「原理主義」を何回使ったか検索してみた……暇だなあ(^^)。結果は31回、「共産主義」の36回とほぼ肩を並べる。原理主義の躍進と共産主義の凋落というわけでもないだろうが、改めて「原理主義」を考えてみたくなる。

 すでにいろいろ論じられているように、ファンダメンタリストすなわちキリスト教の原典を忠実に解釈し実践する信徒の考えから発し、中東におけるイスラムとの文明の衝突に妥協のない立場をとる人、転じてイスラム教強硬派にも「イスラム原理主義」など同じ言葉をつけたのが、「原理主義」流行の発端である。

 キリスト教の原典といえば新旧の聖書である。なにしろ古い古典なので「これが本物」というものはない。仏教はそれ以上で、仏陀の弟子達が作った多数の経典がいろいろな言語に姿を変えて今に残る。だから、「これが根本だ基本原理だ」といっても、幾通りものもの解釈がでてきて当然なのだ。要は、その思いこみが強いかどうかで決まってくる。

 日本にはそういった宗教的古典はないが、『日本書紀』と『古事記』という古史、古伝の集大成がある。両書とも江戸時代が始まる頃に活字化されるまで筆写するしかなかったわけで、幾種類もの異本がある。しかし『日本書紀』は国が編纂した正史である。720年の成立直後から精読、勉強会が継続して開かれ、これを偽書だという人はいない。その都合のいい部分だけをつないで軍国主義に役立てようとしたのが皇国史観だ。

 ファンダメンタリズムは対立するものがあってこそ、はじめて存在しうる。その点、一切の異論を封じ込めた皇国史観には原理主義の資格すらない。ただ、独善的な解釈で政治目的に利用する点が類似しているといえば、その通りだろう。

 日本にはこのほかに、いろいろな古史、古伝、偽書と言われる物がある。一時ブームだったこともある。曰く「竹内文献」「宮下文書」「秀真伝」「上文」「九鬼文書」「東日流外三郡誌」などなどで、日本独自の「神代文字」が存在したという説もあった。

 しかし現在は、ほとんどが後世になってねつ造された「偽書」であるという評価になっている。そして、そういった偽書が生み出された背景や目的に研究の目が向けられているようだ。そういった偽書には、氏族の神がかり的な伝承由来や未来の予言、暗示を含むものが多く、それぞれ不安定な時代背景負いながら、一定の支持、信用を獲得する要素を持っている。

 史書ではないが、前に記事にしたことがある「世界征服計画」と騒がれた『田中上奏文』も偽書である。その一方、海外の一部では依然本物と信じられている謎の文書である。そして現在、9.11をはじめさまざまな偽書・疑伝の類が横行してもおかしくない時代にある。はげしい思いこみがはた迷惑にならない限り、古史、古伝、偽書で想像の世界に遊ぶことは悪いことではない。

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2008年6月 2日 (月)

石油の真実

 前回のエントリー「原油暴落の日」の付録として、エネルギー白書から拾ったエピソードを書いておこう。

●需要の伸び1位中国、2位アメリカ
 原油高騰の理由に、発展途上国の消費拡大が叫ばれているが、91~06年の1日当たり需要増が中国490万バレル、アメリカ390万バレル、以下インド130、ブラジル60万バレルであり、中国とアメリカで世界の増加分1691万バレルの半分を占めるというダントツぶりである。発展途上国はやむを得ないにしても、昔から大消費国のトップにいたアメリカの浪費は罪が深い。西欧先進国や日本は、ほとんどゼロかマイナス成長である。

●産油地の政情不安、やはりアメリカ
 同白書は今後の供給に対する懸念材料として、低コストで生産できる油田地域における政情の不安定さを第1に上げ、その例をイラクとイランに求めている。いずれもアメリカが責任を負わねばならない地域で、サウジに次ぐ中東の大産油地である。

●アメリカの国内事情
 世界の需給バランスに大きな変化がなく、採掘可能な埋蔵量も増えているのに、アメリカにおける製油所能力の不足や油田開発コストの高騰、生産量の減退などで相場が変動し、高騰要因になっている。そもそも、昔からアメリカのメキシコ湾岸における原油価格が世界の原油価格の標準になっていたので、今に始まったことではないのだが。

●投資資金の中味
 やはり多いのが年金基金。インデックスファンドはスタンダード・アンド・プアーズのS&PGSCIは石油に65.6%を投入(08/01)。世界の債券市場や株式市場の数千兆円にくらべると原油先物は15兆円と小さいが、貴金属や農産物なども合わせ急増の様相を見せている。

●日本のガソリン輸出
 エネルギー白書には関係ないが、「とむ丸の夢」さんで「日本はアメリカにガソリンをいくらで売ったの」という話題があったのでひとこと。 いくらで売ったかは調べてない。だが日本製なら高いだろうなと思うのはまちがい。ガソリン税も消費税もかからないから、高くても日本の小売りの半値以下だろう。もっと安くする手がある。

 アメリカは最近サウジからの輸入がふえている。サウジのメジャー合弁会社アラムコが原油を積んでカリフォニアに向け出航、途中日本に寄って精製を頼み、できたガソリンだけを別の船で送る。これを委託精製という。

日本は人件費が高いから……と思うがさにあらず。中国に輸出する専門の会社があるくらいだ。 石油精製は装置産業で24時間稼働、火を落とせない。いつも装置の中を油が流れている。わずかな人がメーターを監視しているだけだ。だから能力に余裕があれば頼まれた原油も一緒に回わし、効率をあげて手数料だけもらえばいいということになる。実際には、それを紙上計算だけですませてしまう。

 重油から灯油を作ったり軽油からガソリンを作る装置、硫黄分を抜く装置、マンモスタンカーと受け入れ港湾、備蓄基地、そういった面で日本は優れた能力を持つ。原油高でそういった能力を活かす場面がひろがったようだ。

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