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2008年5月 8日 (木)

なぜ日本は戦争に突入したか①

 原油の先物価格が、食料品などをまきこんで果てしない暴騰を続けている。もはや世界の経済秩序を破綻させる寸前まで来ていると言えば過言になるだろうか。これを機会に、「アメリカ合衆国戦略爆撃調査団・石油・科学部報告」の冒頭にある「なぜ日本は戦争に突入したか」の部分を読み返してみたい。

 以下のテキストは、『日本における戦争と石油』奥田英雄・橋本啓子訳編(c)石油文化社、による。

 “何が日米間の戦争の最後の引き金となったのか?”という質問に対して、海軍軍務局長保科(善四郎)中将は1945年(昭和20年)にこう答えた。“石油の輸入停止である。石油なくして日本は生きることができない。石油なくしては、中国との戦争を成功裡に終結させることもできず、国として生き残ることもできない。ゴムやボーキサイトの供給も絶たれたが、いずれもなくてはならなぬ物資であった。1941年(昭和16年)11月26日にアメリカから最後通牒を受け取ったとき、われわれはもはや一国家として存続することができないと決断した。そこでわれわれは戦ったのだ”

 ほとんど石油のない日本は、すでに1939年(昭和14年)に外交的には解決できない石油ジレンマに直面した。なんなく征服できると予想したいわゆる“支那事変”は、勝負のつかない消耗戦という膠着状態に陥っていた。この年(39年)日本の内閣は、中国における作戦が日本の総生産の40%を消耗し、高価な原材料(とくに石油)の在庫を危険なまでに食い潰しはじめていることを知らされた。

 一方、ヨーロッパでも戦争の危機が迫っていた。そしてアメリカでは、石油を日本に無制限に販売することに反対する世論が高まりつつあった。こうしたアメリカの犠牲の上に成り立っていた日本の近代の戦争体制は、アメリカからの石油供給が切断されると、もはや身動きができなくなり、何もできなくなるにちがいなかった。

 日本の1937~38年(昭和12~13年)間を特徴付ける矢継ぎ早の緊急対策や立法措置は、送ればせながら日本がこの窮地(石油ジレンマ)に気付いたこと、そしてその解決のために、いささか狂気じみた対策を採りはじめたことを物語るものであった。

 まず最初に支那事変の解決が試みられたが、中国は日本軍の同国からの撤退なくしては、平和条件に応じるはずがなかった。一方、日本は面目を失うことなく、中国から軍隊を引き揚げる術がなかった。そこで日本は中国へこれ以上侵略することを辞めて、すでに占領している地域の安定を強化することを決定した。

 しかしこの作戦は、現実には石油消費を増大させる結果となった。かくて日本は総合的な生産力増強を目的として、5カ年計画、兵器増産のための6カ年計画、人造石油生産設備増強のための7カ年計画など、一連の政策を設定し、1938年(昭和13年)には日本を完全な戦時体制下におくための国家総動員法を制定した。

 とはいえこれらの政策は、いずれも日本の石油ジレンマを解決するものではなく、石油備蓄は1938年(昭和13年)以降目立って減少した。オランダ政府との間にオランダ領東インド(現インドネシア)からの割当量増加を要請する交渉が行われたが、成功の見込みはほとんどなかった。(以下次回に続く)

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