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2008年5月14日 (水)

自衛権ということ

 憲法9条を考える上で、いつも自衛権という言葉が気にかかります。どこから考えたらいいのか、いつも迷ってしまいます。「自衛権は人間誰しもがもっている自然権だから国がそれを持っているのはあたりまえだ」という考えがあります。個人と国を一緒にしてしまうのは乱暴な話ですが、それはひとまずおいておきましょう。

 個人が持っている自然権というのは、正当防衛のことだと思います。いきなり乱暴されたりおそわれたりしてそれを防ぐのは当然です。そのため相手がけがをしたとしても、過剰防衛でない限りはしかたのないことです。それが武器を持つとどうでしょう。アメリカ人のピストルにしても日本の武士の刀にしても、正当防衛のため使われたということはむしろ少ないのではないでしょうか。

 次に先制攻撃の問題です。相手が明らかにおそってくることがわかっているばあい、先手をとって先に一発やってしまうのはどうでしょう。ピストルでも日本刀でも一瞬の早業で勝負がきまります。これは「自衛権」ではないですね。不意打ちではなく決闘の場面だからです。

 泥棒など悪漢をせぐため、防犯カメラを置き防犯ベルや二重鍵を設ける、これは攻撃兵器ではないが自衛のための当然な行為です。そういったことをを全くしない聖人君子もいるかも知れませんが、それならば何を盗ってもいいのだ、またそうすることが正しいのだとさえ思わせてしまいます。「泥棒にも3分の理」というわけですね。

 こういった悪漢をふやす手助けになるようなことはことは、やはり避けなければなりません。むかし再軍備の議論があったとき「戸締まり論」というのがありました。これにも、国と個人を一緒にした暴論という批判がありました。

 しかし残念ながら、ニセ情報で弱小国に攻め込んだり、核を公然と脅迫の材料にする国が現存します。軍縮も思うに任せません。過去には自衛の努力をせず、強大国の保護をあてにして国が滅んだ例もあります。戸締まりは必要ないとはいえません。

 また、悪漢の家まで押し掛けていき、そこに居座って見張ることまで自衛といえるでしょうか。どんな家でも武器をもった他人があがりこみ、「守ってやるから」といって居座られ「飯ぐらいはだせ」と言われたらどうでしょう。だれだっていい気がしませんね。一刻も早く出ていってほしいと思うのが人情でしょう。

 その気はなかったのに、すっかりたとえ話になってしまいました。別にアメリカのことをいっているのではありません。日本が出ていっても同じことになります。おせっかいをやいて大失敗した過去の経験を無にしないことが大切なのではないでしょうか。

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» 解釈改憲は違憲行為だ。 [罵愚と話そう「日本からの発言」]
 播磨益夫という人がいる。参議院法制局で部長を歴任したキャリアの持ち主なんだが、憲法論議のなかで論点となる「集団的自衛権」と国連憲章の「集団的措置」のちがいを説明して、平和憲法は自衛戦争を否定して集団的自衛を禁じているが、国連による集団的措置への参加を禁じているものではない、といっている。  用語はちがうが、民主党の小沢党首が説くところの、集団的自衛権は禁じられているが、国連による集団安全保障への参加について憲法は言及していない。したがって、国連の平和活動への参加は憲法違反にはあたらない...... [続きを読む]

受信: 2008年5月30日 (金) 18時33分

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