『靖国』上映中止
日中合作のドキュメンタリー映画「靖国YASUKUNI」を、五つの映画館が公開中止した。これについて2日付新聞各紙がそろって社説を掲げている。このようなことは珍しいが、まず私が見た5紙について概観してみよう。
【朝日】――表現の自由が危ない。
【毎日】断じて看過してはならない。
【読売】「表現の自由」を守らねば。
以上3紙、問題点として言論・表現の自由をとりあげている点では同じである。その対策として街宣などのいやがらせに警察の対応が不十分ではないのか、とし、また毎日・朝日は、上映に向けての国会議員の働きかけがあってしかるべきだといっている。しかし、上記のタイトルの部分を見てもわかるように表現に差があり、毎日が強打から振り、朝日は犠打ねらい、読売はすべて見送りという構えのように見えた。
【産経】議論あるからこそ見たい。
各紙の中で上映中止を表現の自由と結び付けなかったのは産経だけである。むしろ労働組合などの抗議声明に「憲法の理念をあえて持ち出すほどの問題だろうか」と疑問をなげかけ、映画館側には「抗議電話ぐらいで上映を中止するというのは、あまりにも情けないではないか」としている。すべて個人レベルの感情論で、社説(主張)に取り上げる意味がどこにあるのか。
【東京】自主規制の過ぎる怖さ
「大事なことを無難で済ます、時代の空気を見過ごしては危うい」。これが一番私を釘付けにした論調だ。同紙の取材で「上映を妨害するような被害が起きない限り、警察が動いてくれないだろうと考え、中止を決めた」という映画館のコメントも紹介している。
また書いてはないが、何かの事故が起きれば膨大な損害賠償訴訟を起こされかねない、と考えたかも知れない。結論にこう書いている。「権力だけが言論を封じるのではない。国民の自覚が足りないと、戦前のセピア色が急に、生々しい原色を帯びはじめる」。
そのセピア色の時代を知っている者として、「国民の自覚」という点をこれからもっと掘り下げてほしいと思う。よく、一般国民の戦争責任ということを発言する学者や評論家がいるが、いつも「わかっていないなあ」という気がするのだ。
当時の新聞、出版物その他ほとんどの歴史史料は、わずかな例外をのぞいて戦争に協力した国民の姿をえがいている。しかし現実は違う。建前と本音を使いわけて自主規制していたのである。では本音をいうとどうなるかはこれをご覧いただきたい。
私の家は、父がノンキャリアの会社員だった。したがってつつましやかながら、中産階級のインテリ家庭ということになる。父は過労のため若死にしたが、母が父の遺言は、私を大学に進学させろということだったという。それはその頃まだ大学生には徴兵猶予の特典があったからだ。
なにもわが家だけではない。戦時教育にあたる教員の家庭でも、職業軍人の家でも徴兵逃れや、死の前線への配属を逃れるため、建前とは別になし得ることはなんでもやった。仮病を使う、コネを使って手をまわす、司令部つきの軍属になるという先手をうつことなどなど。
私の知る限り、建前と本音が一致している家などどこにもなかった。中曽根康弘元総理の海軍主計中尉などという地位は、軍役をこなししかも安全という点で理想的であった。だれしも、こんないまいましい戦争は早く終わって欲しい、戦争にはならないでほしいと思っていたはずだ。
それなのに、どうして本音が言えなくまた伝えられなくなったのか。できたとすれば明治の終わりか大正デモクラシーの時代が最後のチャンスだっただろう。それから今の憲法と違い、選挙権は限られた納税者だけで女性はのぞかれ、しかも国会が最高の統治機関でなく、投票イコール民意というシステムが機能しないことにも注意が必要だ。
気がついたら自己規制があたりまえになっていたというまで、すくなくとも30年近くかかった。今が明治末期のようだとすると今声をあげるしかない。スピード時代だから憂き目をみるのはもっと早いかもしれない。一部の新聞のように他人事、ひやかし半分ですませるとはとても思えない。
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コメント
何が言いたいのかぜんぜんわかんね
投稿: ばば | 2008年4月 2日 (水) 15時37分
こんにちは。前々から庶民の戦争責任について噛み合わないなあと思っていたのですが、ようやくお考えの一端が見えた気がします。
今が危険なのかそうでないのかは正直言ってわからないのですが、後から振り返って今が転換点だったということにならなければよいなとは思います。
また中国の話になりますが、日本人の間では共産党の情報統制で庶民は正しい情報を得られないのだという見方も多いですが、どうして彼らは結構色々知っているようです。そしてまさに本音と建前を使い分けています。彼らの建前だけを聞いて、嫌中論をぶつのは危ういと感じています。
投稿: locust72 | 2008年4月 2日 (水) 16時44分
中国へ行ったときこんなことがありました。現地観光バスが博物館の駐車場に入ろうとしたら道路をふさぐように駐車している車がありました。
ガイドは明らかに我々に聞こえるように舌打ちしながら独り言をいいました。「またあの役人の車だ、誰も文句言わないからいけないんだ」と。彼も仕事熱心な国家公務員ですが・・・。
投稿: ましま | 2008年4月 2日 (水) 17時08分
ましまさん
しばらくぶりです。
「靖国」上映問題を口先で「表現の自由」や「言論統制」等々で終わりにしてしまう可能性を新聞紙上から分かる気がします。
この背後に隠れた「そのセピア色の時代」を認識しなければいけないと戦争を知らない私でも思います。
「本音をいうとどうなるかはこれをご覧いただきたい」を読んで、あの恐ろしい国家権力の基での「語る勇気」を学ぶ必要を感じます。
「靖国」を自由に放映させるために、各新聞社は行動を起こしてもらいたい。その場を設けてもらいたい。そうでなければ、口先だけと判断せざるを得ないです。
投稿: morichan | 2008年4月 3日 (木) 11時03分
morichan さま
ブログを見て回った限りにおいて、新聞の無策が表面化しているようですね。
もっとも、館内に臨検席をもうけ、制服警官が目を光らせているという図は困りますが、平和や友好に挑戦する風潮はなんとかしなくては。これはTV、週刊誌を含めたメディアの責任でしょう。
投稿: ましま | 2008年4月 3日 (木) 11時32分
気がついたら今度こそ本当に危険水域にいるわけですが、あれこれ言うは易し。ほかでもない、自分はどうするか!小生、明日は「カルチュアセンター」。そこで、この上映中止のこと、ぼそぼそと喋ってこようと思っています。
投稿: 只今 | 2008年4月 3日 (木) 21時32分
自己規制 すれば誰かの 思うつぼ
投稿: ましま | 2008年4月 3日 (木) 21時52分
朝日紙では今朝も「時時刻刻」で大きく取り上げています。
『「靖国」上映すくむ空気』『訪問・ブログで抗議活動』…、おっかない気が致しますね。
そんでも、
「中止は遺憾」とした首相談話で救われたようなきもいたしまする。
投稿: tani | 2008年4月 4日 (金) 07時23分
結局、全ての面で今の日本人に度胸がなくなったんじゃないのか。街宣車が来ようが抗議が来ようが受けて立とうという気概を持った人が少なくなったね。
シナ共産党の日本に対する内政干渉をはねつける政治家がいないように。
投稿: ナメクジ | 2008年4月 4日 (金) 10時13分
コンビニで「朝日」を買ってみました。なんのことはない、一緒になってアオッテいる感じ。ジャーナリズムとしての度胸は全く感じられませんでした。
投稿: ましま | 2008年4月 4日 (金) 11時36分
ナメクジ君よ。度胸だとか、気概だとか、そういう言辞を、白昼、堂々と公の場で言ったことがありますか。今いちばん権力から疎外されているのは、そういう言辞をこそこそと暗闇の中でしか口にできない君たちであることを、ほんのちょつとでいいから、気が付きなさい。
投稿: 只今 | 2008年4月 6日 (日) 18時04分