古代史教育
10日ほど前だったように思うが、小学校の教科書では古代史の始まりを弥生時代からとし、縄文時代をカットしていたいることについて考古学会が文部省に働きかけ、これを復活させるような報道があった。当然なことで、今までなかった理由がよくわからない。
子供が、宇宙に関心を持つのは、その先はその先はと想像を馳せ、知識を深めていくからだ。生物の先祖として恐竜も人気の的である。そこまで行かなくても、日本史を語るためには、縄文時代は欠かせない。1万年ほど続いたこの時代の遺跡は、ほとんど日本全国どの地域にもある。
私たちはどうだったか。歴史として系統的なことは習わなかった気がするが、国語、修身などを含めて神話で教育が始まった。イザナギ、イザナミの国生み、アマテラスの天の岩戸かくれ、神武東征と即位など。大人になってから『日本書紀』『古事記』を読み返してみたが、至る所に人間的な寓話があって実におもしろい。
皇国史観洗脳のためのサマリーでなく、エッチな話も含め、神話として小学生に教えたいような気もしないでもない。いずれにしても、その先その先への興味を封じ、また近代の正しい歴史をはしょる歴史教育が、歴史に関する興味・関心を奪い、バランス感覚のない教養欠陥人間をつくってしまう。
いささか前置きが長くなったが、23日は久しぶりに「日本海沿岸の古墳出現前夜」というシンポジウムを聞く機会があった。縄文時代に直接関係はないが、いわゆる弥生中期から、卑弥呼出現の頃にかけての文化の伝播、それが拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』に関係あることと、最近提唱されている弥生時代の新しい年代観(炭素半減期測定などから、弥生時代はこれまでの説より数世紀さかのぼれるとする)に言及があるかどうかに関心があった。
結局、年代観の話は出なかったが、依然として謎の多い弥生時代の実態について、住居址や墳墓と埋葬物の精密な追求を通じた5人の研究者のレポートは、それなりに刺激的で、今後の進展・解明の手がかりを多く提供するものがある、と感じた。
まず、朝鮮半島南部の墓制や副葬品と九州北部の関係、それから山陰、丹波、北陸、越後などにおけるそのような遺跡・遺構の変遷である。それぞれに一貫した連続性は見られないし、人の集団移住を示すような同一性を証明できるようなものでもないようだ。
しかし、全く同一なものもあり、副葬品の傾向も影響を受けたとしか考えられないことを証明できるものがあるという。はっきり言えることは、交易かその他の方法による人の交流があったことにつきる。弥生中期の高地性住居址についても議論があった。
水耕稲作の普及により、耕地や水源の争いなどで戦争続発、魏志倭人伝のいわゆる「倭国大乱」の時代で平地から移住したような解説がこれまで多かった。しかし、高地住居が増える時期に低地住居も増えていたり、スライド写真や図面を通して見た、環壕の付け方や面積・位置などから「そうかなあ?」と思えるものが多かった。
といったわけで、明快に「それはこうです」と断言できるような結論は聞けなかった。しかし学問であろうが、政治であろうが、国際問題であろうが、高らかにうたいあげる声明・宣言のうさんくささより、中途半端なところよりひとつひとつ積み上げていく方向性に信頼と期待を寄せたい。
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コメント
最後の一行
>中途半端なところよりひとつひとつ積み上げていく方向性に信頼と期待を寄せたい。
にいたく感激しました。
世の中はデジタル時代。昨今の白黒をつけたがる風潮には危なさを感じておりました。
あえて白黒を付けず、判らないものは判らないと認める勇気をもちたいものです。
世の中、そう簡単には善悪が決らないのに、ブッシュ式に善悪を単純解釈されたのでは真実からは、遠ざかるばかりです。
投稿: 逝きし世の面影 | 2008年3月25日 (火) 13時45分
ロッククライミングの途中、適当な足場がないといってキレていたら墜落しますね。やっぱり落ち着いて回りを見たり、ダメなら一旦下がってやりなおすとか。
それで人に先をこされても良いじゃないですか。自分中心はよくないです。
投稿: ましま | 2008年3月25日 (火) 18時16分