法華経と原理主義
さきにあげたエントリー「原理主義」で、原理主義(Funtamentalism)の厳密な意味からすると、これをイスラムと結びつけるのは誤りであるとした。同様の理由で、仏教→法華経→日蓮主義と原理主義は、全く縁がない。しかし、戦前の日本において、それらの積極的な解釈で、超国家主義的な右翼思想を生み、またその影響が軍部に及んだ点で類似性がないとはいえない。
仏教には、キリスト教、イスラム教とは比較にならないほど(約6000といわれる)の教典がある。コーランが、アラビア語の一種類であるのにくらべ、サンスクリット原典、パリー語原典のほかチベット語訳経典、漢訳経典があり、日本は、原始仏教とは異なる中国のオリジナリティーを持った漢訳仏教を、さらに鎌倉時代に日本土着の仏教としてアレンジし、完成させた。
諸経典のうち、法華経の成立は遅く、それだけ完成度の高いものとされている。日蓮がそこに注目・集中して「南無妙法蓮華経」という、経典への鑚仰を題目とし、信仰の対象とした。その純粋性を高めるためにとった道は、激しい対決主義であり、「不受不施」(他宗の信者から供養を受けない他宗の僧侶の供養はしない)とか「折伏」(しゃくぶく=強い説得)という行動原理を生んだ。
日蓮主義を特徴づけるのは、彼が書いた「立正安国論」である。この正法を護持しない限り国が滅びるという持論を、元寇を前にした鎌倉幕府に迫って迫害をこうむったことはよく知られている。日蓮に関係する諸宗派が、国または国政にかかわろうとすることは、この故であろうか。
現在でも、その最右翼をなす信者団体・国柱会から、平和団体と行動を共にする出家団体・日本山妙法寺まで、その理念・行動は対極にあるといっていいほどの幅がある。また、公明党を支持する創価学会の存在もあるがそれには触れず、冒頭に書いたさきの戦争までのかかわりを、国を動かした日蓮信者の中から見ていきたい。
田中智学(1861-1939)は、「国体宣揚」を第一義に考えた。日清戦争では、天照大神をもって久遠釈尊、つまり釈迦と見なし、邪法の国・清をうち破るべしとした。また、日露戦争から第一次世界大戦にかけても、「王仏一体」を説き、尊皇護国・世界統戒壇の建立を目指すものとして兵士を激励した。また、国柱会の創始者でもある。
北一機(1883-1937)は、幼少のころから日蓮主義に傾倒していたが、苦学の末明治39年に『国体論及び純正社会主義』を自費出版して高い評価を得た。それは、資本主義、個人主義を否定し、国家を強調するための武力革命も肯定するものであった。
しかし、天皇より国を上に置くもので(日蓮の国より法を上に置いたのと似ている)すぐ発禁処分となる。その後中国革命に身を捧げたが、日本の中国侵略指向で苦境に立たされ、日本の改造こそ必要であるとの信念のもと『日本改造法案大綱』を起草した。
これは、アジア連盟・世界連邦を日本が盟主となって実現させる、そのためには日本の強力な国家体制が必要とするもので、その中心に天皇と軍隊をもってきた。それに右翼闘士・青年将校が乗り、ついには二・二六事件連座したとして銃殺刑になる。
井上日召(1886-1967)は田中智学からの影響や刺激を受けて、右翼革命を推進した。結盟団の盟主となり、日召の感化を受けた青年将校たちが五・一五(昭和7年)事件で犬養毅首相を暗殺、また同年、前蔵相の井上準之助と三井財閥首脳の団琢磨暗殺の黒幕であった。日召のモットーは一人一殺であった。暴力肯定のファシズムは、もう引き返せないところまで来てしまっている。
石原莞爾は、前年の満州事変で関東軍参謀として立て役者になったが、陸軍大学卒業後田中智学の国柱会に入会していた。かれもまた日蓮の言を通して世界最終戦の到来を予想し、それに備えることに専念した。またその後の世界統一を夢見たことなど、原理主義と一脈通じるものがここにもある。
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