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2008年2月 6日 (水)

歴史編・戦争とは

日露戦争 1
  日清戦争から日露戦争のまで10年の間隔がある。この間に、日韓日韓関係は決定的に悪化し、相互不信は取り返しのつかない方向に走り出した。歴史は複雑で入り組んだ要因で動く。詳しく述べるいとまはないが、日露戦争や日韓併合の遠因と考えざるを得ない象徴的な事件を2つあげておく。

 それは、日本側による「閔妃(ミンビ)暗殺」と、韓国宮廷の「俄館播遷(アクワンパチョン)」である。双方とも近代国家では考えられない破廉恥な行為とせざるを得ない。いろいろな専門書があり、研究も進んでいるようなので要旨だけにとどめたい。

 王父・大院君と王妃・閔氏の権力闘争や、それを陰に陽に干渉しつづけてきたのが日清両国である。日本は日清開戦を前にして、1万の軍隊で京城を占領状態においた。いわゆる志士とか浪人と呼ばれる民間人を使って隠とん中の大院君かつぎだし、閔政権を倒して親日政権を作らせるためだ。

 そして、内政改革の要求と戦争遂行を前提とした「日朝攻守同盟」を結ばせた。しかしその後改革に進展がなく、再蜂起した東学党と内通しているという口実で大院君をしりぞけた。さらに一転して、国王を表にだし親日政権にてこ入れした。

 前述したように日本は清に大勝をはくしたものの、三国干渉で後退を余儀なくされたことから、朝鮮王朝は日本の力をみくびりはじめ、閔妃がロシアに接近して、政府の親日派を追放し復権を果たした。そこで日本は公使館を中心にまたもや大院君に働きかけ、閔妃暗殺事の陰謀を進める。

 日本政府はこの頃、内外ともに相当追いつめられていたのだ。日清戦争の大義「隣国への義侠心」はものの見事に裏切られ、朝鮮の裏門監視の要衝・遼東半島も返還して、朝鮮の現状は戦争以前よりむしろ悪化していた。こうして1895年10月8日、閔妃暗殺事件が起きる。

 時の公使は三浦梧楼で、外相経験のある大物公使・井上馨が脅迫や懐柔、それに札びらまでみせびらかせての工作が失敗したあとを受けて就任した。角田房子の『閔妃暗殺』によると、三浦は陸軍予備中将で、自ら「外交や政治は素人」だといい、陸奥なども反対したが、「剛気果断の人物」ということで任命された。

 犯行の黒幕は、公使自身と公使館員、領事警察に民間人が加わわっている。実行犯は軍人、警官を含む民間人計40人ほどであった。民間人は志士、浪人、壮士、暴徒などで宮廷に乱入、その狼藉、残虐ぶりから「ごろつき」とも呼ばれた。犯人たちは、閔妃の判別が出来ないため宮女をかたっぱしから斬殺し、死体を庭にに運び石油をかけて焼却した。

 報告書には「誠にこれを筆にするに忍びない」行為まであったとある。まさにごろつき以下の破廉恥ぶりである。この事件は多くの外国人に目撃されており、政府はあわてて公使以下を召還、逮捕の上裁判にかけることになった。しかし、処刑されたのは参加していたという3人の朝鮮人だけで、ほかの日本人は全員無罪か免訴とされた。

 後、伊藤博文がハルピン駅頭で安重根に暗殺されるが、動機は「国母虐殺の恨」をはらすためだったといわれる。この事件は、どう言い訳しようが他国の宮廷に乱入し、見るに耐えない狼藉を働いた上、実権を持つ王后を殺戮したということは、他に例を見ない言語道断の行為に違いない。

 そして、日本人として永久に頭の上がらない道徳的なひけめを残すことになった事件といえよう。京城に義士・安重根の銅像があるが、朝鮮人の心に残した傷を消し去ることも、また同様に不可能なことである。 

 閔妃なきあと後ろ盾を失った国王高宗は、4カ月後の96年(明治29)2月11日、日本側の厳しい改革圧力から逃げるように王宮を捨て、ロシア公使館に逃げ込んだ。もちろんロシア側とあらかじめしめし合わせてのことである。そしてロシア軍の保護のもと親露政権を樹立して約1年にわたり執政した。いわゆる朝鮮語でいう「俄館播遷」である。

 これが、閔妃暗殺と日本の内政干渉に対する高宗の精一杯の抗議であることはわかる。しかし国主が外国公館で政治を執るという、国家より「私」を上位に置いたためか、清国が日本に破れたあと次に強い国をロシアとし、朝鮮独特の事大主義に走ったのか、理解を超える行動であった。

 いずれにしても、こういった事件があとの日露戦争、日韓併合という道筋の引き金になったことは否めない。欧米もロシアの朝鮮進出が日本の安全や利益に関係することを認め、日本が朝鮮を保護国扱いすることに、異議を差し挟まないようになる。

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受信: 2008年2月 7日 (木) 04時36分

コメント

 二国間関係を特定の事件から話しはじめる手法は、偏向した政治的価値観のプロパガン以上の意味はない。たとえば、おなじ朝鮮半島との関係を拉致事件から話しはじめたり、金大中事件から話しはじめるようなものだ。
 閔妃殺害も朝鮮併合も、日本の近代が犯した侵略戦争のワンシーンではあるが、罪悪感にとらわれた自虐的な解説は、あまり意味がない。むしろ、おなじような国際環境にあった日本、中国、朝鮮の三国が、なぜ、まったく別な近代史を歩んだのか、その解説や理解が重要だと思う。おなじ種類のまちがいを、いまの日本も犯していないだろうかの自省だ。
 あなたが、下のほうで書いている、基地の町でのレイプ事件も同様だ。時間を止めて、まちかどで起きている三面記事的な事件の、歴史の潮流のなかでの必然性を書くのは、それなりに意味のある仕事ではあるが、自説に好都合な条件描写に終わっては、ひいきの引き倒しになる。
 歴史的背景との相互矛盾のない説明をしてほしい。

投稿: 罵愚 | 2008年2月 7日 (木) 04時50分

罵愚 さま
本塾では日替わりメニューとは別に長いスパンのカリキュラムがあります。歴史のからむものは特にそうでシリーズ化しています。(前身の「反戦老年委員会」のシリーズは、遡及不可能のため、改訂の上徐々に移転するようにしています)
 したがって記事の一部分だけ拾って意見をいわれても答えようがないことがあります。また、ひとつのことがらでも事実誤認はともかく、理性・感性の違いからくる「見解の相違」を議論する場でもないと思います。
 コメントにお答えできない場合もあると思いますが、あしからずご了承ねがいます。

投稿: ましま | 2008年2月 7日 (木) 10時09分

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