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2008年1月 8日 (火)

歴史編・戦争とは

「日韓近代史考」日清戦争 3
 
このシリーズは、「反戦塾」の前身「反戦老年委員会」の記事を一部修正の上再録したものです。バックナンバーは、カテゴリ「戦争とは」をクリックの上さかのぼってください) 

陸奥宗光の心配
 日清戦争の進展にともなって、陸奥は行き過ぎた「愛国心」を警戒するようになった。国の将来に悪影響を及ぼすことなく、諸外国の尊敬が得られるよう責任ある行動が必要、と考えたあたりを、『蹇蹇録』から抜粋する。

     平壌、黄海開戦以前において窃かに結
    局の勝敗を苦慮したる国民が、今は早将
    来の勝利に対し一点の疑いだも容れず、
    余す所は我が旭日軍旗が何時を持って
    北京城門に進入すべきやとの問題のみ。
    ここにおいて乎、(略)将来の欲望日々に
    増長し(略)、唯これ進戦せよという声の
    外は何人の耳にも入らず。この間もし深
    慮遠謀の人あり、妥当中庸の説を唱うれ
    ば、あたかも卑怯未練、豪も愛国心なき
    徒と目されたり。

 この頃、鴨緑江を軍馬で渡った第一軍司令官陸軍大将山県有朋は、明治天皇に意見書を書いた。北鮮の地一帯に日本人を移住させて永く支配する。釜山から新義州まで縦断鉄道を敷設し、支那を横断して直ちに印度に達するの道路する。これこそが「覇を東洋に振い永く列国の間に雄視せん」とするわが日本の道だ(色川大吉『日本の歴史』参照)。明治政権の中枢にあって陸奥とはここまで差が開いている。さらに陸奥の発言を聞こう。

    その愛国心なるものが如何にも粗豪尨
   大にしてこれを事実に適用するの注意を
   欠けば、往々かえって当局者に困難を感
   じせしめたり。スペンサー、かつて露国人
   民が愛国心に富めるを説きたる末、そも
   そも愛国心とは蛮俗の遺風なりといえり。
   これすこぶる酷評なりといえども、徒に愛
   国心を存してこれを用いるの道を精思せ
   ざるものは、往々国家の大計と相容れざ
   る場合あり。

 朝鮮を清の属邦から開放するという「義侠心」から、予想をこえた勝利に酔っていつしか「愛国心」論議にすりかわったことにより、陸奥の心配は現実のものになった。日本の侵略意図を警戒する諸外国の反発が、遼東半島放棄を迫るいわゆる「三国干渉」としてのしかかるのだ。

 以後、列強の仲間入りが実現するが、同時に領域拡大を目指す帝国主義国の一員の地位も得る。つまり、「領土的野心がない」という口実は、もはや意味をなさなくなったということである。開戦を動機づけ、戦争の遂行を予算と士気のあと支えなる愛国心・ナショナリズムも、収拾の段階で適正な政治判断を狂わせ、後に禍根を残す例は今日まで絶えることがない。

 以上を観察すると、戦争によってナショナリズムが増殖し、日本の拡張主義が日清戦争の終結をまたずに顕在化していった経過がわかる。しかし、日本が海外から侵略国家とみなされるまでには、まだいささかの時間があったのだ。

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コメント

今晩は、ましまさん。
ここらの明治の変節。『もったいない』ですね。
今、住吉サンをほんの少し、勉強しているんですけど、福岡市、那珂川を挟んで、博多側が商人の町で、福岡側が武家の城下町。ここらも面白いですね。

投稿: 三介 | 2008年1月24日 (木) 18時47分

三介 さま
奴(な)の国ですね。(な)か川、(な)か州、伊都国への途中、NHKでよく情景を写す西公園のあたりも目に浮かびます。

投稿: ましま | 2008年1月24日 (木) 21時03分

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