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2008年1月

2008年1月31日 (木)

やはり政治だっ!!

 最初は題を「拝啓自衛隊員殿」としよう思った。このまえ、横須賀から洋上給油のため海上自衛隊員出発するセレモニーのTV映像を見ていたら、よく聞き取れなかったが「憲法違反という声がある中……」というような、うわずった声の自衛官の答辞をマイクが拾っていた。

 今のガソリン税問題にしてもそうだが、日本の安全保障についての本格的な国会論議がないまま、テロ新法が成立した。そうした中で、いわゆる「国際貢献としての軍事行動継続」について、現場の自衛隊員はどう感じているのだろうかということが気になっていた。

 現場は違うが、かつてイラクのサマーワで勤務した佐藤正久隊長が、昨年8月参院議員に当選した際の発言が問題になったことがある(下記注参照)。これも社民党福島党首がとりあげて質問したが、議論が深まるでもなく、適当にかわされてしまった。

 『軍事研究』としう雑誌がある。この2月号に防衛問題研究家・賀谷眞悟という人の「海外派遣部隊の苦悩 もし戦わば」という論述があり、一読した。賀谷氏に関する知識はないが、自衛隊制服組出身者と思われ、かなりの部分で現今の隊員の心情代弁しているものと察せられる。

 その内容は想像以上に過激で、仮に日本国民がこういった自衛隊員を抱えこんでいるとすると、戦前の2.26事件前の日本を彷彿とさせるような危険な状態を感じさせるものさえある。それは佐藤正久隊長と同様、制服組の憲法軽視、法の無視といった傾向である。

 筆者は自衛隊を「軍隊」ととらえており(外見的にはそのとおりだが)、米軍との共同作戦、共同訓練や海外の多国籍軍などとの交流の中で、自衛隊が「軍隊」の常識からかけはなれており、外国の軍隊なみの機能を果たせないことについて力説している。

 筆者の視点に立てば、その内容は正論であろう。ただし、文民統制を軽んじたり専守防衛を否認するなど、国民の視点とは相容れない内容を、町の本屋で売っているような雑誌で公言することについては、大いに問題視しなければならない。

 このような見解を堂々と述べるようになつた下地は、やはり小泉・安倍路線を支えた和製ネオコン支配と、安倍内閣の改憲促進路線にあったといえるだろう。これには、筆者の指摘にもあるように、政治家の軍事に関する不勉強が、自衛隊員のストレスを高めているという面がある。

 しかし、その前に日本国憲法をないがしろにするような発言がまかり通る現状に問題がある。その一半の責任は、国の安全と自衛隊について、国民的立場に立った視点を示せない野党にもある。自衛隊員は、日米同盟という檻の中で、すべての軍事知識を米軍に仰ぐしかないのだ。以下は、同論の雰囲気を知っていただく意味で引用した。詳細は同誌によっていただきたい。(太字は管理人による)

     九八年北朝鮮のミサイル発射事件は我
       が国にとって、国民や政治家を覚醒させる
   意味で逆説的に言えば格好の事案であっ
   た。この一点においてではあるが「よくぞ撃
   ってくれた」
と言わねばなるまい。(中略)
    平成一七年三月号本誌において、専守防
   衛の誤謬、BMD整備よりも先に対地攻撃ミ
   サイルの研究開発、装備の必要性について
   小論を述べた、さらに戦略や軍令等に関す
   る分野は国会において軍人たる幹部自衛
   官が説明や答弁する仕組みにすべきであ
   ると述べた(中略)
    先の北朝鮮のミサイル発射事案がなけれ
   ば、また何年も議論も無く、研究の必要性さ
   えも取り上げられなかったかもしれない。
   正日将軍閣下には重ね重ねお礼を申し上
   げておこう。

   (前略)現状は一般市民でも保有している正
   当防衛・緊急避難等の原則でしか行動でき
   ない。自衛隊の部隊はこの種任務の場合、
   敵襲、攻撃された際に任務遂行のため生存
   しなければならないが、そのために部隊とし
   て武力の行使はできないのか?。
    シビリアンコントロールが原則の民主主
   義国家日本はいつまでこのようなことを
   放置しているのか
?国家の基本的な政治
   の怠慢である。(中略)そもそも、後方支援
   であろうとなかろうと、部隊が任務遂行上、
   敵に遭遇した際には、武力の行使が伴
   うものである。これは軍事組織の常識で
   ある

   (前略)今、政府の責務としてなさねばなら
   ないことは、武力行使を国際貢献の場合
   でも認めることである
。憲法がこれを認め
   ていないという解釈なら憲法を変える必然
   性がある。

    自衛隊には我が国防衛だけでなく、国際
   貢献の任務が正規の任務
として与えられ
   た。

 以上抜き書きしたように、現行憲法は守られるべきものではない、という考えと、自衛隊法や防衛省設置法案の改正点を憲法より上位に置き、シビリアンコントロールを軽視しようとする点など、アメリカですら考えられないような暴論が散りばめられている。

 安倍首相時代によく口にされた、アメリカと価値観を同じくするという「価値観」には、「法の支配」が入っている。日本の憲法を軽視する自衛官は、すでにその点で日本の自衛官ではない。もう一度いう。このような事態を招き容認してきた安倍前首相の責任は重い。同時にこれを座視してきた野党は、この風潮をどう是正するのか、ただちに緊急の課題としてほしい。

(注)佐藤正久発言
2007年8月、佐藤はJNNの取材に対して、以下のとおり発言した。この発言は、2007年8月10日付のTBS系列ニュース番組で放映された。

「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います。」

また佐藤は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだった、として、続けて次のとおり発言した。

「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと。」

以上Wikipediaより
 

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2008年1月30日 (水)

入門編・戦争とは8

 人間はなぜ戦争をするのでしょうか。「人間も犬、猫のようにお互いに闘争心という本能があるから」なんていう人がかつていました。いや、今でもいます。動物でも植物でも種の保存本能というのはあります。まして、万物の霊長である人間が知恵のない闘争を続けるわけがありません。今やそのような発想は時代遅れになりました。

 これまでも、不戦条約や国連憲章で各国が知恵をだしあった話をしました。それが無駄であったと思われていないことは、国連加盟国が設立当時の51カ国から192カ国に増えていることを見てもわかります。ただ「なぜ戦争がおこるのか」というのはとてもむつかしく、「入門編」とはいったものの、卒業のない課題だと考えておいた方がよさそうです。だからお話として聞いてください。

 私は、戦争の原因は「差別」「経済」「拡張」「ナショナリズム」「宗教」の5つだと思います。その頭の1字をとると、サ・ケ・カ・ナ・シとなります。ま、そんなことはどうでもいいんですが、それがいくつかからみ合って「敵」と「味方」をきわだたせ、あおりたてて戦火を交えることになります。

 まず「差別」について考えて見ましょう。今、中東で起きている戦争と混乱、大きく見るとイスラム教徒対キリスト教・ユダヤ教徒、アラブ・アジア民族対アングロサクソンといった、これまで否定されてきた「文明の衝突」といった色合いが強くなりつつあると見ています。

 そうすると「宗教」ということになりますが、エルサレムの聖地帰属問題をのぞいて宗教中心の戦争ではありません。西欧とイスラムの文化の違い、その違いをお互いに蔑視していること、ことに、西欧側から見た「遅れたイスラム教」という差別意識を抜きにしては、考えられないことが多くあります。

 これは、ユダヤ教やキリスト教より新しい信仰であるイスラム教徒にとってたえられないことです。 中国・朝鮮と日本の間にも蔑視という差別意識がありました。すくなくとも江戸時代まで中国・朝鮮の文化は、日本人の尊敬の的でした。それが、明治の改革で急速に西欧文明を取り入れ、近代化に成功すると、「日本の親切心がわからずさかうらみをする」後進民族という差別意識に変わりました。

 それは、日清戦争後にではじめ、第1次世界大戦後から露骨になった現象だと思います。そういった見当違いの差別意識が、別の形で現在残っているというか、生まれてきていることは大変残念なことだと思います。媚中派だとか反日を叫ぶ心ない自損行為は、今年あたりでそろそろ卒業してほしいものです。

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2008年1月29日 (火)

帰還兵の殺人

 読売新聞(1/14、電子版)は、米軍帰還兵による殺人事件が多発していることに関し、ニューヨーク・タイムズの記事を次のように伝えた。

     【ニューヨーク=白川義和】米紙ニューヨ
         ーク・タイムズは13日、2001年の米同
        時テロ後にアフガニスタンやイラクに派遣
        された米兵のうち、帰還後に人を殺したり、
       殺人罪で訴追された者が少なくとも121人
       に達していると報じた。

    同紙が警察や裁判所、軍当局などの記録
   から独自に調べたもので、対テロ戦争に参
   加した米兵の「心の傷」の深さや社会への
   適応の難しさを示した形だ。

    同紙によると、121人のうち4分の3は犯
   行当時、米軍に籍を置いていた。犯行の半
   数以上で銃が使われた。被害者の約3分の
   1は配偶者や恋人、子供や親類で、4分の1
   が軍の同僚だった。イラクの激戦地ファルー
   ジャで頭と足を負傷した20歳の男が、テキ
   サス州で2歳の娘を壁にたたきつけて殺した
   事例もあった。

    帰還兵の犯罪率の高さは過去の戦争でも
   指摘され、2000年1月の米司法省報告書
   によると、1998年時点で全米で22万570
   0人の退役軍人が収監された。このうちベト
   ナム戦争帰還兵は5万6500人、湾岸戦争
   帰還兵は1万8500人。収監中の退役軍人
   の約35%が殺人や性的暴行の重罪で有罪
   判決を受け、他の収監者の重罪比率20%
   を大きく上回っている。

 当ブログの前身である「反戦老年委員会」では、清水寛著『日本帝国陸軍と精神障害兵士』を手がかりに、戦争が直接原因となる「戦争神経症」について、問題を要約したいと考えていたが、思うにまかせなかった。

 同著が調査対象とした国府台陸軍病院では、患者総数約1万余名うち約6%が痴愚、魯鈍などと分類される知的障害患者で、約42%の精神分裂症が第一位、以下ヒステリー、外傷性てんかん、精神衰弱そして知的障害の順となっている。

 当時、米軍のイラク派兵などで問題にされている「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という分類はなく、戦争によるトラウマ関連の研究もなかったように見える。

 その裏には「皇軍の精鋭に精神障害者などあり得ない」という建前と、兵士自身にも戦場の「こわさ」とか「おびえ」などは、口が裂けてもいえなかった事情もありそうだ。ましてや名誉ある皇軍帰還兵による犯罪追跡など、できるわけがなかった。

 しかし太平洋戦争激化にともなう入院患者の増加もあり、「戦時神経症」の名で追跡調査がはじまったが、特に「平時」の症例と異なる対症療法があったわけではなかった。その中に、中国戦線で上官の命により多数の住民や、自分の子と同じ年頃の子まで銃殺したことに対する自責の念が起因、という記録も残されている。

 戦争神経症は、目黒克己氏の調査によると、第二次世界大戦での精神障害の中で戦争障害の占める割合は、日本21%、ドイツ23%、米国63%であるという。また、国府台病院では、終戦直後に患者の病像に変化が見られ、約29%が早期恢復を示したという。同書はさらに訴える。

 戦後初期、戦傷病者は「未復員者給与法」によって療養の給付を受けた。その後、援護法制は変わったが戦傷精神障害元兵士の多くは「精神病」にたいする偏見・差別もあって、精神的・社会的にいわば<未復員>状態が続いたようである。2005年3月末現在、「戦傷病者特別援護法」等による入院精神障害者は全国で84人(平均年齢80代半ば)である。

 戦争の被害は、戦地の戦死者をカウントするだけではすまない。上記の記事で見られるような殺人犯の多発には、やはり表面化しない精神障害の存在を考えざるを得ない。戦地ではない母国にも戦争による、死者を増やし続けていることになる。

 以上は、07/2/1のエントリーを参照し再録したものであるが、最後に、『悪魔の飽食』の作者、森村誠一氏の警句を付け加えておく。

 「民主主義と平和は、それを維持するためになんの努力もしなれば自動的に崩壊する傾向がある。それに反してファシズムは放っておけば力を得る」。 

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2008年1月27日 (日)

残夢残月

 日曜はお休みの日だが予定を変更して昨日の続きをエントリーする。「残夢残月」は、枕詞ではなく俳句の季語で、まさに今の時候にぴったり。それはともかく、急に予定を変更したのはSolaさまから次のコメントを賜ったからだ。

<はじめまして。
 埼玉の中堅塾で英語講師をして居ります者です。いつもは拝読させていただいております。
さて、「あおによし」の件ですが、うちの生徒達の話で小耳に挟んだところでは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E7%94%B7%E3%81%82%E3%82%92%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%97
このような小説およびドラマが現在ヒット中とのことでして、そのからみから検索率が上がっているのではと推察されます。こういうところから関心を持ってもらえるのは、いいような、悪いような、複雑な心境ではありますが・・・・。>

 なんでも、万城目学氏の小説『鹿男あおによし』がベストセラーになり、今月からフジテレビのドラマとして放映されているんだそうだ。それが学生の間で人気を呼んでいるせいではないか、というお話。

 木曜日の夜おそくで、まだ見ていないが、視聴者の多くは中・高校生なのだろう。当ブログへの歩留まりはやや悲観的だと思った方がよさそうだ。しかし来ていただくことだけでも有難い。たとえ1%でも続けて見てもらえるなら、「鹿男」より退屈に決まっているけど……。

 さて話変わって、イラクに大量破壊兵器がなかったことは、アメリカCIAなどの調査ですでに明らかになっている。刑死したイラクのフセイン元大統領が核兵器の存在をあいまいにしておいたのは、敵対するイランを牽制するためだった、という証言をしていたことが明らかになった。

 ブッシュ大統領は、イスラエルやパレスチナに飛んで、中東紛争の根元的な問題の解決に向けて仲裁しようとしているが、封鎖されたガザ地区とエジプトの境界(壁)が破壊されるなど、むしろムスリムの反感が高まるばかりだという。

 パキスタンでは、アフガンとの国境地帯を根城とするアルカイダ討伐のため、アメリカが盛んに出兵したがっているが、仮にムシャラフ大統領が国民の反対を押し切ってOKしたとしよう。そして、そんな組織があることさえ疑問視されているアルカイダも、あるとしよう。2008_01270004_2

 その結果、にっくきオサマビンラディンを捕まえて、殺したとしよう。それでテロがピタッとなくなるなんて、世界中はおろかアメリカの国内ですら信ずる人はいないだろう。サウスカロライナ州では、オバマ氏が圧勝した。ネオコンとブッシュの時代はもう終わったのだ。ユニラテラレズムも一極支配もどんどん影が薄くなる。

 「グローバリズムに乗り遅れないよう改革の手をゆるめてはならない!」、テレビで叫ぶ女性閣僚とそれに声を添える田原惣一朗の声が、 空しく聞こえてくる。1月27日お昼前快晴。♪もーすぐ春ですよ~。

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2008年1月26日 (土)

ひなさかる

 11日ほど前に「あおによし」という題のエントリーをあげた。それからなんと、「あおによし」の検索が当塾に殺到しているのである。過去1ヶ月では検索450件中189件の54%、この1週間が235件中134件で57%というのは、どうみても異常である。その翌日、「とりがなく」という枕詞を題にしたが、この方はゼロ。古文の塾ではないのになぜ殺到するのか、理由はさっぱりわからない。

 昨年末、“小学生の検索1位「戦争」”を書いた。その後も「小学生」「戦争の歴史」などという検索が時々ある。これなら当塾の本命テーマだが、小学生向けはなかなかむつかしい。それをきのうやっと《はずかしながら》書いてみた。やはりプロにお願いした方がよさそうだ。 2008_01260002_4

 「あおによし」に敬意を表し、今日は「ひなさかる(鄙離る)」あずまの国の小禅寺の写真を追加しておく。下総霊場十八番札所。禅宗竺園寺との石柱があり、小さいながらも禅寺特有のたたずまい、風格がある。天竺(インド)行きを望みながらついに果たせなかった栄西(1141~1215)の夢が寺名の由来なら、臨済宗かも知れない。

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2008年1月25日 (金)

入門編・戦争とは7

自衛権
 今回は、子供むけに「ドラえもん」をお借りします。

 いまから90年前、第一次世界大戦が終わりました。戦争にまけたドイツを中心に、国民の家も田畑も焼きつくされ、家畜もみかけず人の死がいがだけが目につくというひどい光景に、戦争に勝ったほうの国も大きなショックを受けました。

 そこで、勝った国が集まってこんな戦争を二度とおこさないよう、相談しました。仮にジャイアンをアメリカ、しずかとスネ夫をイギリスかフランス、のび太とドラえもんは日本人としておきましょう。

ジャイアン:もう意見があわないからといってケンカすることは、いっさい禁止しようよ。「ケンカ放棄」宣言だ。
スネ夫:でも、悪いやつがきてなぐられても、なぐられっぱなしというのは困るよ。けがをしないようにふせぐのはいいだろ。
ジャイアン:そんなのは人間の本能であたりまえのことじゃないか。わざわざ約束にいれることじゃないよ。
のび太:そうだなあ、賛成かも。

 こうして各国の間で「不戦条約」というのができました。日本の今の憲法第9条「戦争放棄」は、この精神をうたっているものです。ところがのび太は「ケンカ放棄」を約束したのに、となりのよわい子をいじめ、その子がジャイアンに言いつけたので、ジャイアンからボコボコにされました。

ドラえもん:だからいっただろ。よわいものいじめなんかやめときゃあいいのに。
のび太:だけど自衛のためのケンカならいいんだろ。それにケンカじゃないよ。なまいきだから「こらしめた」だけだもの。
ドラえもん:むりだね。だれもそう思ってくれないよ。

 そこで、ジャイアンたちはいいわけができないようにもう一度約束をつくりなおすことにしました。それは、第2次大戦後の「国連憲章」にでてくる話のようです。たんこぶだらけののび太は、まだ家からでらません。

ジャイアン:こんどこそいいわけを許さないしっかりしたものを作ろうよ。
スネ夫:ケンカだろうとこらしめだろうと暴力はいっさいダメ、ということにしないと。それから、自衛の例外はどうする?。
ジャイアン:それじゃあおれたちがかけつけて助けてやるまでは、しょうがないということにしようよ。あっ、それからおれは近所のよわい子と約束があるから、その子の自衛権もおれの自衛権ということにしたいな。
スネ夫:う~ん。なにかよくわからないけど。
しずか:「集団的自衛権」ね。こっちにもそんがなければそれでいいわ。

 そのあと、ジャイアンは約束をまもらず、自分かってな解しゃくをしてケンカばかりしていました。のび太もジャイアンについていれば、安心というたいどです。ドラえもんがひとりごとをいいました。「あ~あ、また自分で考えずにのんびりしているんだから」。

 この話でおかしいと思う点はありませんか。自分で身を守るという個人の権利があるのなら、国にも同じ権利があると決めてしまうことですね。それぞれ性格のちがうものをくらべてしまったということです。

 また、どろぼうに入られないよう、家には戸じまりをちゃんとしてカギをかけるようにしておかなければいけない、同じように国には軍隊が必要だ、という意見があります。これも比較としてはよくありませんが、家にカギをつけておかないのは、どろぼうをしょうれいするようなことにもなりかねません。

 残念なことに、世界にはまだどろぼうのような国が完全になくなったとはいいきれないのです。したがって国の安全を守るというしっかりとした考えと対策は必要です。しかし、どろぼうがくる前にさきに手だしをしたり、どろぼうの家までおしかけていってやめさせる権利までありません。それが、日本国憲法や国連憲章の精神だといえるでしょう。 
 

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2008年1月23日 (水)

憲法改正と恒久法

 自民党、民主党が自衛隊の海外派遣についての恒久法制定に積極的になっている。平和を旗印とする創価学会の意向が強く、改憲や恒久法制定に消極的であった公明党も、この流れに乗り遅れないよう検討を開始するようだ。

 公明党はともかく、自衛軍創設を念頭に置く自民、国連至上主義で自衛隊海外派遣に道を開こうとする民主、いずれも現行の自衛隊を合憲とみなし、さらに、恒久法をてこにして拡張解釈を既成事実化しようとする動きであるとすれば、大変危険である。

 去年の参院選の結果と、改憲積極派を集めた安倍内閣瓦解で、改憲の機運が遠のいたものの、その手続きを経ない実質改憲が議員の過半数で進められる危険性に、9条擁護派がどれほど気づいているだろうか。社共はもとより、たとえ、公明党が全員反対しても阻止することはできないのだ。

 昨年秋まで続いた安倍首相の「集団的自衛権合憲解釈」への策動は、民主党内にも同調者がいる。それを封じるために、どうしても憲法上の歯止めが必要である。そこで、「ごまめの歯ぎしり」ながら、議員に踏み絵を迫る意味を持つ次の改憲案を提唱する。ご賛同の方、ご意見のある方はどうか声を上げていただきたい。

日本国憲法 第2章 戦争放棄 第9条に追加
 
③公務員は法律に定めがある場合をのぞき、武器を携行しまたは利用して外国または日本国領土以外の地域で行動してはならない。

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2008年1月22日 (火)

同窓会の会話

(商社・不動産業・役人のOB)
甲:今日もまた株が暴落しているね。
乙:まるでやけくそみたい。なんでやろ。
丙:外人投資家が逃げてんだろ。
乙:そういえば竹中平蔵がテレビで、グローバル化が足りないとか、政府の節約が中途半端だとかいってたな。
甲:グローバル化したから、外人投資家が入ってきたんじゃあないか。昔は証券会社は野村、日興、山一、自動車なら日産、トヨタ、いすずなどときまってた。今じゃ1社ぐらい残してあとは全部外資に食い荒らされてしまった。
乙:バブルがはじけて日本の市場に魅力がなくなったのかね。

丙:バブルの最初はやはり外人商社だよ。東京に支社をつくるからといって、都心近くにビルを探していた。日本と違って、デスクひとつに囲いなどつけて社員1人当たりの床面積がやに多いんだよな。役員の住宅もプール付きとまではいわなかったけど、セキュリティ万全ならどんなに高くてもいいというんだ。それから地価がおもしろいほどどんどんあがっていったよ。
甲:小泉、安倍は随分役人いじめをしたけど、福田はちょっと違うな。役人もホッしてるんじゃないか。
丙:役人の天下りとか、べらぼうな退職金を何回ももらうなんてひどいもんだ。その上仕事は抜け穴だらけ。お役所の言うことだから、お役人だからという信用が全くなくなった。

乙:俺が役所に入った頃は、民間に就職したやつより全然給料が安いんだよな。なんでも予算で経費が決められているので民間のように会社の交際費で仲間と飲みに行くこともできない。そこで裏金づくりがはじまっちゃった。
甲:中央の役人は朝出勤が遅いんだよ。10時前にはまずいないね。そのかわり残業は遅くまでやっている。夜遅く銀座でタクシーが拾えなくても、霞ヶ関の近くでは、空車が列を作っている。役人のクーポン券による自宅送りが目当てだよね。
乙:そう、残業代がでないから、それくらいあたりまえ――民間にくらべれば――という意識があるね。かつては、給料が安くとも役人は恩給があるから老後は安心というんで我慢もあった。それが年金制度で差があまりないとなると、天下り再就職も当然ということになる。
丙:民間大手にも再就職の口利きというのはあるけど、給料は安くなる一方で最後は退職金もなしが普通だよね。高級官僚はその点まるで逆だ。

甲:守屋次官などあそこまでひどいのは、そういないと思うよ。下の方の役人は優秀だし公平だし実直な人が多い。上が悪いと下もだんだん見習うんだ。だから官僚の上にいる政治家の質が最低ということにもなるんだろ。
乙:話が株から役人にいっちゃったけど。
丙:日本の景気低迷は、なんといっても人口問題が大きいけど、去年は例の姉歯問題で建築確認の大幅遅れもあるというね。
甲:いや、そんなの小さいよ。サブサプライム・ローン、原油とか商品市場先物の高騰、ドル利下げ、円高だよ。やっぱりそれだけだよ。
丙:みんなアメリカがらみじゃないか。アメリカこけたら皆こける。いや日本だけかな。
乙:日本もアメリカべったりからそろそろ抜け出さなければ。
甲:どうやらこれだけは意見一致しそうだ。乾杯といこう!!。

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2008年1月18日 (金)

小出し社会日本

 宮内庁がようやく天皇陵系古墳の学術調査を許可するという。しかも、それが奈良盆地の北端、佐紀古墳群を代表する五社神(ごさし)古墳(墳丘長276㍍)であるということは、古代史マニアにとってわくわくするようなニュースだと思った。

 同古墳は、伝説上天皇の扱いをうけている神功皇后陵として宮内庁が管理している。朝鮮への出兵には、自ら指揮者として渡海し、応神天皇の母親・仁徳天皇の祖母とされている皇后だが、学者の中には実在を疑う人もすくなくない。

 ただ考古学では、奈良盆地西南に位置する発生期巨大古墳群から、ここに巨大古墳の造営が移り、さらに日本最大の大山(だいせん)陵古墳(仁徳陵)がある大阪南部へ移る過渡期の場所で、「なぞの四世紀」解明の手がかりを秘めた古墳群とされてきた。

 各新聞とも比較的大きな扱いになっているが、内容をくわしく見るとがっかりする。墳丘のすそを一段あがったところに立ち入りを許可するだけで、発掘などは許可されない。ちょうどおひな様の飾り棚の牛車や小道具などを置いてある最下段で写真を撮る程度ならいいよ、というのに似ている。

 その程度のことは、これまでも宮内庁による補修の際に許可されていた。安全上の問題云々というが、そんなのはウソだ。しもじもを至尊に近づけたくない神域だからだ。現在の天皇陵指定は、明治になってから取り決めたもので、古代の墳丘墓については指定の誤認が多い。

 つまり、宮内庁所管からはずれていれば調査が可能で、その中からこれまでも「被葬者は、まちがいなく○○天皇」といった墓が発見されている。冒頭に古墳名をふた通り書いているのは、天皇の名をつけた宮内庁サイドの命名を学会で信用していないからだ。

 宮内庁は、そろそろ万世一系の皇国史観から解放されるべきだ。神武以来、歴代の天皇陵をすべて決めておく必要はない。古代の陵墓は調査によって存在を確定できるものもあるだろうし、わからないのはわからないでいい。

 私は、憲法9条のある第2章戦争放棄は厳守すべきだと思うが、第1章天皇も手つかずで残したい。宮内庁が旧弊にこだわり、古墳の調査許可を小出しにすることしかできないようでは、「国民の総意」が天皇制などいらない、となる時代の変化に、いつかは追いこされるだろう。

 日本は、いつからこういう小出し社会になったのか。民間有名ブランドの偽装スキャンダル小出し、政府の年金、医療行政など失政事実や対策の小出し、インド洋の給油中断後の復活、クラスター爆弾禁止に条件付きの賛成、すべて小出しでどれを見ても感激がなく効果もないのだ。

 株価の低迷も、大底が見えない。魅力を失った日本売りはまだ続くのだろう。

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2008年1月17日 (木)

入門編・戦争とは6

戦争と国連
 「入門編・戦争とは5」(「戦争とは」シリーズのバックナンバーは、左らんのカテゴリをクリックしてください)で、第一次世界大戦であまりにも破かいが大きく、多くの市民が犠牲になった反省から、戦争放棄を定めた「不戦条約」が日本を含む多くの国により結ばれた話をしました。

 この時、アメリカやイギリスなど大国の間で「自衛のための戦争は含まない」とか「自国の安全に大きな影響がある地域を防衛するのは例外」といった、暗黙の了解がありました。したがってその口実さえ使えば合法的な戦争ができてしまうわけで、再び第二次大戦で大きな被害をだしてしまいました。

 日本も以上のような口実のもとで戦争をはじめました。そして昭和20年の敗戦の年、戦いに勝った連合国が中心になって国際連合を作り、国連憲章を宣言しました。これが現在まで続いているわけです。

国連憲章の前文は、次のようにうたっています。

われら連合国の人民は、
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨禍から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上を促進すること、
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、
これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

 ややむつかしいかも知れませんが、前半の精神をうたった部分がわかればいいと思います。国連憲章で「戦争」という言葉が使われているのは、この前文の中だけです。本文で「武力行使」とか「軍事行動」という言葉におきかえているのは、戦争はいっさい認めないという精神からです。そして、戦争と言う言葉を使わなくても、他国に武力を用いる場合を想定して、その制限や手続きをこまかく規定しています。

 国連は、戦争や平和維持のことだけを仕事にしているわけではありません。しかし、一番大きいのは、集団的安全保障(「集団的自衛権」とは違う)の機能でしょう。国連加盟国に対する軍事攻撃には、加盟国が一致してこれに反撃し戦争を防ぐ、という取り決めです。

 国連憲章では、国連独自の「国連軍」のようなものの想定をしていますが、そういったものはまだ組織されていません。指揮を誰がとるか、訓練・装備はどするのかなど、これからも簡単に作れないでしょう。従って、どうしても最近多く見られる多国籍軍のような形になります。

 この集団的安全保障を発動するためには、安全保障理事会の決議が必要です。しかし、米露英仏中の常任理事国には拒否権があり、簡単に議決へ持っていくのが困難です。アメリカのアフガンやイラク攻撃には、これを認める明確な決議がないまま実施に移されました。

 国連決議というのは、多くの場合いろいろな国の主張が入るため玉虫色になりがちで、やはり拡張解釈や独善的な判断が入りやすいことも事実です。国連憲章には、この集団的安全保障のほかに、「自衛権」をうたった条項(第51条)があります。

 これは、加盟国が武力攻撃を受けた場合に、上記の集団的安全保障の措置がとられるまでの間、自衛のために抵抗する権利まで否定しない、ということで、その自衛活動を行使した場合には、直ちに安保理に報告しなければならないことになっています。

 位置づけとしてはあくまでも、緊急避難、例外措置といったところでしょう。この自衛権と列記されているのが「集団的自衛権」です。これは、自衛権といっても中南米諸国のような小さく軍事的に弱体な国では、大国の攻撃に対抗できません。

 そこで、アメリカを含む各国が共同して攻撃に対処できる権利を確保しておきたい、というアメリカの要望があり、その他の大国もその言葉をうまく利用できることにメリットを感じて賛成した、といいます。

 アメリカは、9.11の同時多発テロ攻撃を受け、首謀者とされるオサマビンラディンを、逮捕引き渡さないアフガンのタリバン政権に対し、「自衛のため」といって攻撃を開始しました。自衛には直接関係のない日本国は、米軍と協力して戦争に参加する理由がありません。

 しいてあげるなら、日米安保条約による集団的自衛権の行使ということになりますが、これは同条約、日本国憲法さらには国連憲章第51条の趣旨からみても、そうとう無理な解釈をしなければならないことになります。

 国連および国連憲章の本来の精神は、武力行使をするためのものではなく、あくまでそれを防ぐことにあります。だから、国際貢献とは武力行使に協力することだ、と決めつけるのは、まちがっているのではないでしょうか。平和憲法を持つ日本の国際貢献は紛争の回避につとめること、そして平和を回復させることに全力をかたむけるべきだと思います。

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2008年1月16日 (水)

とりがなく

 「とりがなく」は吾妻の国のまくらことばである。つまり関東はこれでひとくくりにされる。昨日の続きだが、tani兄が訪ねられたお寺がある下野国毛野村(しもつけの国・けぬ村)は「け」=「食」の本場らしい。今の足利市といえば上野国(かみつけの国)も遠くなく、JR両毛線(上野、下野の両方という意味)通る交通の要衝である。

 けの国は、古代(3、4世紀)関東の中心地であった。ここから高崎の方にかけて、奈良の大王クラスの巨大前方後円墳が点在することは、知る人ぞ知るである。さぞかし、こしひかり級のお米がとれる大穀倉地帯だったのだろう。

 ついでに、わが方「とりがなく葛飾」は下総(しもつうさ)の国である。うさ=ふさは植物だが水生のヨシとかそんなイメージだ。東京の方から下総、上総(かみつうさ)と続く。上、下は都に近い方が上と決まっている。上野は東山道で信濃の碓氷峠が入り口になる。

 総の国だけ順序が逆のようだが、古代はそれでよかったのだ。相模国の三浦半島から船で房総半島で安房国に上陸、そこから回り込んで上総、下総の順となる。日本武尊も源頼朝もそのコースをたどった。東京湾岸コースは、川が多く低湿地帯なので道路未整備、歩行困難が敬遠の原因とみられる。

 ついでに、相模と武蔵。これは大昔「む」の国だったに違いない。相模=む(さかみ)、武蔵=むさしも。これは全く反戦塾のヨタ、うそである。今日はまた株式市場が大暴落しているようである。この原因は、テロ新法で給油再開、時代遅れのブッシュのあとをトボトボ付いていくだけで何の新味もなく、EUや中・印のような元気がない日本に海外投資家がそっぽを向いた結果、というのはヨタでないと思うのだが。

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2008年1月15日 (火)

あおによし

2008_01150037  「あおによし」というのは、奈良のまくらことばである。この意味について、「青丹よし」、つまり寺院仏閣の鮮やかな丹色が背景の緑の中で映える、という説を聞いたことがある。写真は、近くの国分寺の山門だが、暮れに丹のお色直しをしてひときわ鮮やかになった。

 緑の映える時期になってから撮ろうと思っていたが、「狸便乱亭」でtani兄のエントリー「親寺」を拝見、前倒しにした。後方に見える本堂とやや不釣り合いだが、この仁王門には「金光明四天王護国之寺」と書いた額がある。2008_01150039

 ちゃちい感じがするが、この寺名は聖武天皇の勅願で建てられた奈良の東大寺と同じである。つまりこの門は奈良時代を擬したもので、この寺創建時の門の半分か3分の2程度のレプリカ?といえるが、その心意気だけは買っておきたい。

 であれば国分寺の総本山・東大寺の末寺で華厳宗ということになるのだが、さにあらず。真言宗の国分山国分寺である。さらに近くに龍珠院と称するこれも由緒ありそうな寺がある。こちらは、門柱に「真言宗豊山派」と書いてある。

 そうすると、奈良も南へ行って大和朝廷発祥の地といわれる纏向(まきむく)、磐余(いわれ)と初瀬川をさかのぼった先にある長谷寺が総本山ということになる。これも天武天皇や聖武天皇とのゆかりがある古刹である。

 ある日、地元の史家と話していたら、龍珠院は国分寺の末寺だという。さあ、ややこしくなった。総本山とか大本山というのはよく聞くが、中本山とか、小本山というのはあまり聞いたことがない。大寺院から分かれた寺というか、協力関係にある寺を末寺と呼ぶことはよくある。

 「前寺」というのがある。これと似ているが「後寺」というのはないので、これは「門前の寺」の意味であろう。そうするとtani翁のいう「親寺」というのがあっても良さそうだ。こんど住職にあったら聞いてみよう。

あおよし」続編

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2008年1月14日 (月)

台湾独立

 台湾の立法院(国会)総選挙は陳水扁総統率いる与党が惨敗し、野党の国民党が議席の3分の2以上を獲得した。この数は総統の罷免案を出せる数で、日本の民主党の勝利などとはけた違いの意義がある。

周知のとおり、陳水扁氏は台湾独立派の象徴的存在である。これで、台湾の国連加盟国民投票への賛成は、急速に勢いをそがれることになるだろう。大嫌いな中国でも、北京オリンピックから招待されればひょこひょこ出ていく東京都知事のご心境はどうか知らないが、私はほっとしている。

 日本の右派陣営が、台湾の独立志向をもつ李登輝前総統の肩を持ち、アメリカのタカ派と組んで中国脅威論を振りまく根拠がなくなるからだ。日本の周辺区域に台湾海峡が入るか入らないかなどの論争も、今後だんだん風化していけばどんなにいいだろう。

 台湾人だって中国が軍事侵攻してくるとは思っていない。台湾が本土反攻とか独立とか言わない限り、得るものより失うものの方が大きい戦争に訴えるはずがない。香港方式の延長上に今日の中国経済の発展があることは既に実験済みだ。

 にもかかわらず、私には心にひっかかることがある。それはもし私が台湾人ならどう考えるだろうということだ。台湾の民主主義や経済水準は、本土に頼らず自らが築き上げてきた。一党独裁が続き、言論・表現の自由や経済活動の自由がなく、子供の数まで党が指図するような国と一緒になりたくない。

  世界を相手に、胸を張って台湾国民であると言いたい。これも、自然の理である。なるぺく波風立てないでほしい、などというのは周辺国のエゴイズムであると思うだろう。もし、国民投票でこれが圧倒的多数になれば、住民の総意、民族自決でバルカンのコソボと同じように考えざるを得ない。

 ただ、台湾は中国人の国であるということである。日本の領土だった小学生時代のことを思い出した。教科書に原住民の高砂族が皇軍に協力する「美談」があり、それを教わった。そして神戸港に遠足、台湾航路を受け持つ当時の大型豪華客船、排水量1万トンの「高砂丸」に乗船して中を見学した。

 子供ごころに台湾は高砂族の国で、あとは日本人だけかと思ってた。今いる本省人(中国人)のことなどは教えず、慈愛に満ちた天皇陛下の恩徳を受ける地という教育方針だったようだ。たしかに、中国にとっても清朝の末期まで、「化外の地」「化外の民」として完全に統治しているとは言い難い状態だった。

 しかしその当時ですら、原住民の国でなく中国語を話す漢民族が主、つまり本省人の国だったのだ。つまり、連綿として続く原住民の文化を守る、あるいは本土と相容れぬ宗教、言語、風習のための独立指向ではないといえることだ。

 そこに、国家というたがをはずした話し合いをすれば、共通する利益やあるべき理想も見いだせる可能性がある。そして、中国人にはそういった知恵もある。どうかその線で行ってもらいたいものだ。「楽観にすぎる」という人もいるだろう。しかし、「反戦」は楽観からしか生まれてこない。
 

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2008年1月12日 (土)

元気がない日本

 昨日、新テロ法が衆議院3分の2で再可決された。民主党小沢代表は議場を抜け出して大阪に向かい棄権したというが、彼ならやりそうなこと、怒ってみてもはじまらない。参院の首相問責決議案も棚上げで、全く緊張感を欠いている。

 こうなった元凶は、小沢氏の「国連決議万能主義」である。本ブログでも繰り返しているが、国連決議ほど軽いものはない。北朝鮮制裁決議なんか、日本をのぞいてみんな忘れてしまったようだし、その他の決議の解釈なども各国でばらばら。その憲章の精神を完全に無視して恥じないのが、強国アメリカなのだ。
 
 国会で、民主の意向を忖度した新法を用意され、また反対するなら対案を、という要求には生煮えのような法案をだして、共闘が必要な社共にまで反対投票される始末。国会議論の対抗軸がないので、防衛省不祥事を突くしかなく、これも本ブログの予想通り検察・与党のペースにはまってしまった。

 予算審議にからめ、年金とガソリン税特別措置延長反対で解散に持ち込むのが方針のようだが、一度失った勢いはそう簡単に戻らない。今までの経緯を見ると与党の作戦勝ち、野党の無策が目立ち、このままでは政局転換を求める国民の意向も先細りになるだろう。

 06年度のGDB(国内総生産)の対前年度伸び率がマイナスだったのは、世界上位60カ国中日本とニュージーランドの2カ国だけ。ODA(政府開発援助)もイギリスに抜かれて第3位。人口減少、学力低下、財政赤字に株価まで1人負けの現今だ。

 こんな中で、ごめんなさい、といって忘れられたころにインド洋に顔を出したら、国の信頼が増して国力増進に寄与するのだろうか。閉店中にイランとアメリカの関係に変化が生じ、パキスタンの方が大揺れになった。東京ではガソリンスタンドの休廃業が相次いでいるが、インド洋はいつまで続ける気なのか。

 日本が元気をとりもどすのは、こんなことではない。まず、政治が元気をとりもどさなければならない。政治の季節に入ったアメリカは元気になった。参院で惨敗した政府与党が、話し合い路線をさぐり低姿勢なのはやむをえない。

 民主党が元気になるためには、憲法9条をしっかり守り、自衛隊は原則として海外に出さないこととし、出す場合の例外は憲法でしばる(これが恒久法)。そして、世界平和、軍縮・戦費削減、地球環境保護の先頭に立つ、こういう決意を国民に示すことしかないのではないか。

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2008年1月11日 (金)

『日本之禍機』4

 前記事「福田首相の信念」の続きとして、首相が外交指南書とする『日本之禍機』の抜粋(その4)を掲載します。ここで転写を終えますが、百年前とは思えないほど現在の状況に当てはまることの多いのに驚かされます。たとえば下に書いた「禍害を望む分子の存在」などは、対象国が違うものの直ちに思い当たるものがあります。

 冒頭に書いたように、本書はネットを使って国会図書館の「近代デジタル・ライブラリー」から全文を容易に閲覧できます。明治時代の文語体にしては読みやすい文章なので、是非一読をおすすめします。

  後編 日本と米国との関係に危険の
  分子少なからざることを論ず
 より

(承前)日本の誠実に国を愛し世を憂ふるもの誰か日米の衝突を望まんや。幸にして日米の関係未だ此の如き危機の片影をも認めず、将来の衝突を予期すべき現在の事情一も之を見ることなし。是れ両国のため天下のために中心より祝賀せざるべからざる所也。

 然るを猶ほ余が此章を草せし所以は、実に今日既に禍害を望む分子の存在せざるにあらざることを示して、読者が動もすれば半上落下に等しからんとする現勢に甘んぜずして、大に国家と人類進歩との前途に向ひて覚悟せられんことを祈るにある也。

 蓋し其の道要するに此等危険の分子をして我に乗ずるの機なからしめ、之をして漸く霧散せしめ、更に進みて彼が正義の分子をして我に傾倒せしめ、絶大なる彼が富強を以て我が勢力の一部たらしむるにあらんのみ。

 之を換言せば、我が日本が支那と同じく東洋にあり、之と人種及び文字相通じ、文明の縁故深く、且つ将来の利害極めて親密なるべき自然の地位に立ち、過去の宣言及び事業を継ぎて、最も誠実に支那の主権を擁護し、最も熱心に支那における機会均等を確保するの主導者となり、之によりて米国と且つ競争し且つ協同し、以て相共に東洋の進歩幸福を助成せんことにあり。

 是れ豈地理及び歴史の自然の配置にあらずや。日本もし正路を踏みて誤まらずば、清国に関する日米衝突の一の理由だになく半の機会だになかるべし。由来日米は東洋商業の好敵手也。男らしき競争によりて始めて両国民の利害を調停すべき余地の充分なるを発見すべく、又之によりて両国の自然の協同は長久なるべし。

 読者願わくは世界人類の大処より観察を下されよ。(以下略)

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『日本之禍機』3

 前記事「福田首相の信念」の続きとして、首相が外交指南書とする『日本之禍機』の抜粋(その3)を掲載します。

 後編 日本と米国との関係に危険の
 分子少なからざることを論ず 
 より

(前略)読者願はくは本章の論旨を統合して其の結論を叱正せられよ。余は最初に米人が日本を誤解し、日本人が米国を誤解することの共に甚だ遍く又甚だ大にして、此浅薄にして有害なる誤解に安んずるの頗る危きことを論じたり。

 而して此誤解の上に更に他の危険の事情あることを示さんがために、論歩を転じて、先ず米国が今後清国において益々新外交の二大原則を主張せざるべからざる所以を説きたり。蓋し是れ日米が東洋における未来の関係を決定すべき根本義なればなり。

 次に余は米国民の東洋に関する与論を分析して、其の中に危険の分子少なからざること、並に此等の分子が米国の民情及び政府を威化せんとの必ずしも空想ならざる場合あるべきことを説き、更に為政者ローズヴェルト氏及びタフト氏の思想を探りて、氏等が自らは有力の政治家なれども、其の思想の中には、かの険悪なる民間の分子に曲解せられ乱用せらるべき卵子を蔵せざるにあらざることを示したり。

 之を要するに(一)日米国民相互の誤解より見るも、(二)米国官民の東洋に対する態度より察するも、両国の将来に関して寒心すべき事情一二のみならざるを信ずる也。

 殊に日本の識者の最も意を潜むべきは、万一不幸にして日米が東洋において衝突することあらば、裏面の真実の事情は如何にもあれ、又争乱の曲直は何れにもせよ、表面の大義名分の必ず我に在らずして彼に在るべきこと是れ也。

 其の理何ぞや。他なし、前に説けるが如く、米国の「世界的強国」主義は既に事実となりたるものにして、此主義が東洋における方面は実に清国の独立保全、機会均等の二大原則の実現と最も密接なる関係を有せるものなれば、米国が此主義を以て其の対清の大政策となさんことは明白なる事実なれば也。

 米国が仮初にも此二大原則を忘れ又は片時にても之に背かんことの如きは想像だにすること能はざる現時の形勢也。故にもし清国に関して日米刃を交ふることあらば、是れ実に彼が此原則を主張せるがためならざるべからず。

 是に至りては、日米如何に全然此原則に反せざる事実ありとするも、世は米国を以て之が擁護者と見做すべきが故に、従つて又日本をば之が悪敵と見做すに至るべきは自然の情勢といふべし。即ち表面の大義は日本の側にあらずして米国の側にあるべし。

 果たして然らば米国の識者は正義の徒も不正の徒も共に等しく此名分の正しきを極力意識し利用すべきが故に、国民の過半は全然正義のために戦へりと確信するに至るべし。余が全段において説けるが如く、「万一清国問題に関して米国が敵の不正と自国の正義とを確信し、之を鼓吹するに彼が特有の愛国心を以てし、且つ之を遂行するに彼が強大なる富強の力を以てし、猛然として戦いにのぞむことあらば、天下如何なる強国といへども之を以て侮るべき敵手となすものあらざるべし」。

◎続きは『日本之禍機』4 の題名で追加、連載します。

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2008年1月10日 (木)

『日本之禍機』2

 前記事「福田首相の信念」の続きとして、首相が外交指南書とする『日本之禍機』の抜粋を掲載します。

前編 日本に関する世情の変遷 より

 (前略)惟ふに欧米何れの処に到るも、いかなる外人に接するも、其我に対する態度の戦前と同じからざるは一瞬にして見ることを得べし。そは如何なる態度なりやといふに、一般の俗衆は只漠然日本を疑ひ又は恐れ又は憎む者にして、其理由を問はゞ彼は答えていはん、日本は戦勝の余威を弄して次第に近隣を併呑し、遂には欧米の利害にも深き影響を及ぼすに至るべきが故也と。

 もし進みて其証拠は如何と問はば、彼は或は日本の兵備の進歩を指し、或は満韓に於る日本の挙動を指し、且つ右の論は世の皆信ずる所なれば疑ふの余地なしと答へん。我もし其疑を解かんとせば複雑なる問題に立入らざるべからざるが故に、彼は却て之を信ぜず、只益々単明なる先入の僻見を固守するのみならん。

 多少東洋の近時に注目したる識者の感情を察するに、そは俗衆のゝ如くには漠然たらざるに似たり。彼はいはん、世に実力と相伴はざる権利ほど無用の者あらざれば、日本の地位より推して其の兵備の充実を計るは強ち解すべからざることにあらず。

 わが非難する所は他にあり、即ち日本は戦前も戦後も反覆天下に揚言して其の東洋政策の根本之に外ならずと称したる二大原則に己れ自ら背きつゝあるが故に、我は其の専横を喜ばざる也、二大原則とは清帝国の独立及び領土保全、並びに列国民の機会均等是れ也と。

 さらば日本は何処にて之に背けりやと問はば、彼は、韓国は日本の保護国なれば暫く措くも、満洲において最も然りと答へん。君如何にして之を証するやと尋ねば彼云はん、新聞紙の報ずる所一として之を証せざるはなしと。げにも欧米の新聞紙上には北京、奉天、営口、京城、東京、倫敦、聖彼得堡、華盛頓等より恰も申し合はせなれたるが如くに日本の満州における不正を訴え来る通信続々発表せらる。

 世人は或は通信のまゝを信ぜざる者あり、或は之を信じて日本を憎むものあり、或は日本のために憂慮するものあり、或は何国も行はん悪事として寛容するものあり、その他態度一様ならずといへども、只、日本が戦前の公言は一時世を欺く偽善の言に過ぎずして、今は却つて満洲及び韓国において私意を逞くせんとせるものなり、といふ見解においては万人一致し、かく観察せざる外人きわめて稀なるが如し。戦前世界が露国に対して有したる悪感は今や変じて日本に対する悪感となり、当時日本に対したる同情は今や転じて支那に対する同情となりたり。

 請ふ更に進みてこの感情の関する所如何に深きやを察せん。試に先ず満洲を領する支那の態度を顧れば、北清事件以後彼に尽くしたること少からずして、彼亦我が志を諒したることあるにも係はらず、又戦時には日本が重大の犠牲を以て満洲を彼がために保存したるにも係はらず、今や満洲にも支那本部にも日本の恩を感じ日本を愛する支那人果して幾人ありや。

 日本が宿志の如く支那を扶掖して東洋の文化を助成せんことはおろか、実に支那こそは満洲における日本の横暴侵略を世に訴えたるものにして、世は暫く支那の言を容れて之に同情し日本を擯斥したるもの也。(後略)

◎続きは『日本之禍機』3 の題名で追加、連載します。

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福田総理の信念

 交流をいただいているブログでは、圧倒的に反自民を掲げるものが多い。したがって福田内閣も打倒すべき対象になってる。すでに記事にした「福田首相と孔子」などからお察しの方もあると思うが、なぜか私は、心情的に福田さんとソリが合うのである。

 仮に、自民の安倍前首相を中心とする右傾議員や、民主に巣くう好戦分子を排除するための大連立なら、一考に値するのでは、という気持ちさえあった。ただ彼独特の政治姿勢から、簡単にその真意を読みとることはなかなか困難である。世襲ということもあって、所属政党や派閥からだけでは判断しかねる面もある。

 そんな時、毎日新聞の伊藤智永記者の書いた「福田外交の自負心」というコラム(1/9朝刊)を見た。総理が官房長官時代のこととして、明治時代の米エール大学教授・朝河貫一博士の書『日本之禍機』が名著であり、「外交は歴史に学ばなくちゃ」という話を聞かされた、というエピソードである。

 そこに、同記者の「学識を愛する首相」という表現があったが、歴史に学ぶ、というのは本塾のかねての方針である。またそれは、小泉・安倍両首脳の世界観とは次元を異にしており、安易に追随はしないという重みを持つ。私は不勉強のため、この「日本之禍機」を通読したことがなかった。そこで図書館へ行こうとしてまず蔵書検索をした。

 その結果、地元の公立図書館にはなく、国会図書館に出かけなければならなかった。しかし便利になったものだ。同館蔵書をパソコンで家にいながら中味が読めることがわかった。およそこんな手順だ。
     国会図書館サイト→蔵書検索→簡易検索
     窓→「日本之禍機」→全項目を表示→所
     蔵詳細→本文をみる(近代デジタルライ
     ブラリー)→著作権保護期間満了→本文
     をみる
 これで各ページの写真版を見ることができる。また印刷・保存も可能だ。おかげで、上京の機会を失ってしまった。

 それでも面倒だ、という人のために、サマリーを紹介しておこう。本書抜粋はやや長くなるが、要は、日露戦争と第一次世界大戦の間(明治41年)における、欧米先進国の日本・中国に対する関心、および日本外交に対する警鐘で、その後の日中関係や日米開戦までを見事に予見している点である。関心をお持ちの方は、その雰囲気だけでもお汲みとりいただきたい。

前編 日本に関する世情の変遷より

 (前略)今や世人が日本国運の隆盛を謳歌せるに当たり、余竊におもへらく、日本は一の危機を通過して他の危機に迫りたりと。只今日は日本国民が殆ど前身全力を振ひ驚くべき伎倆を以て戦役の危機を通過して後日浅きが故に、既に早く別種の危機の眼前に来たりたることを未だ意識せざるも無理ならず。

 且つ第二の危機は第一の危機と性質甚だ相異れり。戦争は壮烈にして一国の人心を鼓舞振作する力ありしも、今日の問題は頗る抽象的なり、甚だ複雑なり、一見する所平凡にして人を衝動するの力を欠く。之が解決に要する所は超然たる高明の先見と、未曾有の堅硬なる自制力とにありて、かの単純直接の戦闘及び犠牲のみの能く処理し得べき所にあらず。

 故に或は僅少の識者之を洞観せるものあるべしといえども、目前の利害以上を見るの余裕なき大多数の与論に対しては如何ともする能はず、問題の何たるかを国民に告ぐることすら難きならん。今日日本の要する所は実に反省力ある愛国心也。先づ明快に国家前途の問題を意識して、次に之に処するに非常なる猛省を以てするにあらざれば、国情日に月に危かるべし。

◎この続きは『日本之禍機』の題名で追加、連載します。

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2008年1月 9日 (水)

入門編・戦争とは5

不戦条約
 去年の参院選では、左翼政党が「自民党は憲法を改悪して戦争のできる国にしようとしている」と、主張しました。その自民党の改憲草案でも、章の題を「戦争放棄」から「安全保障」に変更し、9条第1項は、「平和主義」に名を変えたもののまま残しています。

 それは、1928年(昭和3年)8月27日にアメリカ合衆国、フランス、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、日本といった当時の列強諸国をはじめとする15か国が署名し、その後、ソビエト連邦など63か国が署名したいわゆる「不戦条約」がもとで、今でも生きています。

 ところが、その後日本は日中戦争をはじめ、アメリカもアフガン戦争をつづけるなど、条約などあってなきがごとしの状態です。それは「戦争」ではなく「事変」だとか、「自衛」のための戦争はいいんだ、とかさまざまな理屈をつけては、勝手な解釈で条約の精神をふみにじってきました。

 だから、第2次大戦を経て誕生した国連の「国連憲章」では、「戦争」という言葉をやめ、すべて「武力行使」という表現に置きかえて規制したのです。安倍内閣当時に「集団的自衛権」という言葉が問題になりましたが、これも拡張解釈のもとになる危険をはらんでいるといえましょう。

 そこで、不戦条約と現行9条、同じく自民党原案をならべてみました。じっくり読みくらべてみてください。

「戦争抛棄ニ関スル条約」
第一條
 締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス

第二條
 締約國ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

 (第3条があるが手続き等を定めたもので省略した。また、第1条の「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」というのは、天皇主権のわが国の国体に反するという右翼や軍部の主張を立憲民政党がとらえ、政府攻撃の材料にしたため、わが国ではその部分を保留して批准した)

「日本国憲法」
   第二章 戦争の放棄
 第九条[戦争の放棄、戦力の不保持・交戦権の否認]日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

「自民党新憲法草案(原案)」
--同党では05年10月、原案の第1項を撤回して現行どおりとし、②項を削除して第九条の二(自衛軍)を新設する草案に変更しました--
   第二章 安全保障
(安全保障と平和主義)
 第九条 日本国民は、諸国民の公正と信義に対する信頼に基づき恒久の国際平和を実現するという平和主義の理念を崇高なものと認め、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する平和国家としての実績に係わる国際的な信頼にこたえるため、この理念を将来にわたり堅持する。

2 前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使または武力による威嚇を永久に行わないこととする。

3 日本国民は、第一項の理念に基づき、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動に主体的かつ積極的に寄与するよう努めるものとする。

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2008年1月 8日 (火)

歴史編・戦争とは

日露戦争 2
 日清戦争の大義名分は、西欧列強が虎視眈々とうかがう朝鮮を、頼りがいのない宗主国・清から救い出して「自主独立の国」とすることであった。それが「隣邦に対する友誼」であり「義侠心」の発露だあるという説明が国内にゆきわたっていた。また、朝鮮の安定が損なわれ、列強が権益を競うようになれば、日本の安全と利益が直ちにおびやかされるという判断も、当時の列強各国間では常識的なものだった。

 それからの10年間、清国から台湾と賠償金を得たものの、弱体化した清国にロシアが取って代わっただけで、朝鮮に求められた近代化と緩衝地帯としての役割は全く機能せず、政治的混乱が戦前にもまして高まった。これは、閔妃暗殺と俄館播遷の2例をあげて前回説明した。

 一方、中国大陸では西欧列強による死肉に群がるハゲタカさながらの猛烈な浸蝕が始まった。ロシアは98年までに満蒙の鉄道敷設権と、日本が放棄させられた遼東半島の旅順、大連両港の25年租借、ドイツが青島の99年租借と膠済鉄道敷設権、同沿線の鉱山採掘権、イギリスも九竜半島租借や長江沿線における同様の諸権利、フランスはベトナムに隣接する南部一帯など、中国はズタズタにされた。

 こういった状況のもと、中国の窮乏農民を中心とした義和団の暴動が始まったが、1900年、清朝は急遽これに便乗して侵略各国に宣戦布告し、体勢挽回をはかった。各国は北京などの在留者を保護するという名目で共同出兵したが、英国の要請などもあり、距離が最も近い日本が先頭に立った。統率のとれた軍紀のもと、鎮圧と秩序回復を実現させたため、各国の高い評価を得た。これを北清事変という。

 この時ロシアは満州に大軍を派遣し、事件解決後も言を左右にして、引き揚げる気配がなかった。さきに述べたように、朝鮮に対する野望を捨てたわけではない。三国干渉以来、日本は「臥薪嘗胆」という状態に置かれていたが、ロシアとの衝突はいずれ避けられないという気運が高まっていた。そういった中、朝鮮国王がロシア、欧米各国に鉄道利権や鉱業権などの切り売りをはじめ、もはや朝鮮の自主改革を待つ余裕すら失ってしまった。

 1904年、日本とロシアの軍艦が仁川で遭遇し、交戦状態となって戦争が始まった。戦争の模様は多くの歴史書、戦記にゆずり、一切省略する。日露戦争は、東洋の小国日本が強大なロシアに勝った戦争として世界を震撼し、日本でもそう信じられている。

 しかし、私には戦争は中断しただけで、終わったとは思えない。その後、第2次世界大戦終結に至るまでの日本の行動の源泉はこここにあり、ロシアから共産主義革命を経たソ連に対する不信、敵視にまでつながっていると思う。

 動員された陸軍兵士94万2000人、そのうちの死者・廃疾者は11万8千人、死傷者数では22万3000人にのぼる。日本が得たものは、樺太の半分と南満州にあったロシアの利権(もともと中国のもの)だけ、賠償はなし、というもの。ロシア側は負けたわけでないから、いやならもう一度やろう、という態度である。

 日本はすでに国力を使い果たしている。この結果をのまざるを得なかった。また、何がなんでも勝ったことにしなければ、多くの犠牲者の追悼を全うすることもできなかった。日本人はここに大きなトラウマを背負うことになったのである。

 国民が戦争で得られたもの、日清戦争でも日露戦争でも犠牲に見合うものはなにひとつなかった。ただ、この戦争は間違いではない、きっと将来に向けて役に立つはずだ、という希望にかけるしかなかった。ここから義戦の兵士顕彰が高められ、それに逆らう者、それをないがしろにする者は、国の内外を問わず、すべて排除される対象になった。

 見えないロシア(ソ連)の脅威を影に背負った昭和の不幸は、ここに端を発する。

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歴史編・戦争とは

日露戦争 1
  日清戦争から日露戦争のまで10年の間隔がある。この間に、日韓日韓関係は決定的に悪化し、相互不信は取り返しのつかない方向に走り出した。歴史は複雑で入り組んだ要因で動く。詳しく述べるいとまはないが、日露戦争や日韓併合の遠因と考えざるを得ない象徴的な事件を2つあげておく。

 それは、日本側による「閔妃(ミンビ)暗殺」と、韓国宮廷の「俄館播遷(アクワンパチョン)」である。双方とも近代国家では考えられない破廉恥な行為とせざるを得ない。いろいろな専門書があり、研究も進んでいるようなので要旨だけにとどめたい。

 王父・大院君と王妃・閔氏の権力闘争や、それを陰に陽に干渉しつづけてきたのが日清両国である。日本は日清開戦を前にして、1万の軍隊で京城を占領状態においた。いわゆる志士とか浪人と呼ばれる民間人を使って隠とん中の大院君かつぎだし、閔政権を倒して親日政権を作らせるためだ。

 そして、内政改革の要求と戦争遂行を前提とした「日朝攻守同盟」を結ばせた。しかしその後改革に進展がなく、再蜂起した東学党と内通しているという口実で大院君をしりぞけた。さらに一転して、国王を表にだし親日政権にてこ入れした。

 前述したように日本は清に大勝をはくしたものの、三国干渉で後退を余儀なくされたことから、朝鮮王朝は日本の力をみくびりはじめ、閔妃がロシアに接近して、政府の親日派を追放し復権を果たした。そこで日本は公使館を中心にまたもや大院君に働きかけ、閔妃暗殺事の陰謀を進める。

 日本政府はこの頃、内外ともに相当追いつめられていたのだ。日清戦争の大義「隣国への義侠心」はものの見事に裏切られ、朝鮮の裏門監視の要衝・遼東半島も返還して、朝鮮の現状は戦争以前よりむしろ悪化していた。こうして1895年10月8日、閔妃暗殺事件が起きる。

 時の公使は三浦梧楼で、外相経験のある大物公使・井上馨が脅迫や懐柔、それに札びらまでみせびらかせての工作が失敗したあとを受けて就任した。角田房子の『閔妃暗殺』によると、三浦は陸軍予備中将で、自ら「外交や政治は素人」だといい、陸奥なども反対したが、「剛気果断の人物」ということで任命された。

 犯行の黒幕は、公使自身と公使館員、領事警察に民間人が加わわっている。実行犯は軍人、警官を含む民間人計40人ほどであった。民間人は志士、浪人、壮士、暴徒などで宮廷に乱入、その狼藉、残虐ぶりから「ごろつき」とも呼ばれた。犯人たちは、閔妃の判別が出来ないため宮女をかたっぱしから斬殺し、死体を庭にに運び石油をかけて焼却した。

 報告書には「誠にこれを筆にするに忍びない」行為まであったとある。まさにごろつき以下の破廉恥ぶりである。この事件は多くの外国人に目撃されており、政府はあわてて公使以下を召還、逮捕の上裁判にかけることになった。しかし、処刑されたのは参加していたという3人の朝鮮人だけで、ほかの日本人は全員無罪か免訴とされた。

 後、伊藤博文がハルピン駅頭で安重根に暗殺されるが、動機は「国母虐殺の恨」をはらすためだったといわれる。この事件は、どう言い訳しようが他国の宮廷に乱入し、見るに耐えない狼藉を働いた上、実権を持つ王后を殺戮したということは、他に例を見ない言語道断の行為に違いない。

 そして、日本人として永久に頭の上がらない道徳的なひけめを残すことになった事件といえよう。京城に義士・安重根の銅像があるが、朝鮮人の心に残した傷を消し去ることも、また同様に不可能なことである。 

 閔妃なきあと後ろ盾を失った国王高宗は、4カ月後の96年(明治29)2月11日、日本側の厳しい改革圧力から逃げるように王宮を捨て、ロシア公使館に逃げ込んだ。もちろんロシア側とあらかじめしめし合わせてのことである。そしてロシア軍の保護のもと親露政権を樹立して約1年にわたり執政した。いわゆる朝鮮語でいう「俄館播遷」である。

 これが、閔妃暗殺と日本の内政干渉に対する高宗の精一杯の抗議であることはわかる。しかし国主が外国公館で政治を執るという、国家より「私」を上位に置いたためか、清国が日本に破れたあと次に強い国をロシアとし、朝鮮独特の事大主義に走ったのか、理解を超える行動であった。

 いずれにしても、こういった事件があとの日露戦争、日韓併合という道筋の引き金になったことは否めない。欧米もロシアの朝鮮進出が日本の安全や利益に関係することを認め、日本が朝鮮を保護国扱いすることに、異議を差し挟まないようになる。

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歴史編・戦争とは

「日韓近代史考」日清戦争 3
 
このシリーズは、「反戦塾」の前身「反戦老年委員会」の記事を一部修正の上再録したものです。バックナンバーは、カテゴリ「戦争とは」をクリックの上さかのぼってください) 

陸奥宗光の心配
 日清戦争の進展にともなって、陸奥は行き過ぎた「愛国心」を警戒するようになった。国の将来に悪影響を及ぼすことなく、諸外国の尊敬が得られるよう責任ある行動が必要、と考えたあたりを、『蹇蹇録』から抜粋する。

     平壌、黄海開戦以前において窃かに結
    局の勝敗を苦慮したる国民が、今は早将
    来の勝利に対し一点の疑いだも容れず、
    余す所は我が旭日軍旗が何時を持って
    北京城門に進入すべきやとの問題のみ。
    ここにおいて乎、(略)将来の欲望日々に
    増長し(略)、唯これ進戦せよという声の
    外は何人の耳にも入らず。この間もし深
    慮遠謀の人あり、妥当中庸の説を唱うれ
    ば、あたかも卑怯未練、豪も愛国心なき
    徒と目されたり。

 この頃、鴨緑江を軍馬で渡った第一軍司令官陸軍大将山県有朋は、明治天皇に意見書を書いた。北鮮の地一帯に日本人を移住させて永く支配する。釜山から新義州まで縦断鉄道を敷設し、支那を横断して直ちに印度に達するの道路する。これこそが「覇を東洋に振い永く列国の間に雄視せん」とするわが日本の道だ(色川大吉『日本の歴史』参照)。明治政権の中枢にあって陸奥とはここまで差が開いている。さらに陸奥の発言を聞こう。

    その愛国心なるものが如何にも粗豪尨
   大にしてこれを事実に適用するの注意を
   欠けば、往々かえって当局者に困難を感
   じせしめたり。スペンサー、かつて露国人
   民が愛国心に富めるを説きたる末、そも
   そも愛国心とは蛮俗の遺風なりといえり。
   これすこぶる酷評なりといえども、徒に愛
   国心を存してこれを用いるの道を精思せ
   ざるものは、往々国家の大計と相容れざ
   る場合あり。

 朝鮮を清の属邦から開放するという「義侠心」から、予想をこえた勝利に酔っていつしか「愛国心」論議にすりかわったことにより、陸奥の心配は現実のものになった。日本の侵略意図を警戒する諸外国の反発が、遼東半島放棄を迫るいわゆる「三国干渉」としてのしかかるのだ。

 以後、列強の仲間入りが実現するが、同時に領域拡大を目指す帝国主義国の一員の地位も得る。つまり、「領土的野心がない」という口実は、もはや意味をなさなくなったということである。開戦を動機づけ、戦争の遂行を予算と士気のあと支えなる愛国心・ナショナリズムも、収拾の段階で適正な政治判断を狂わせ、後に禍根を残す例は今日まで絶えることがない。

 以上を観察すると、戦争によってナショナリズムが増殖し、日本の拡張主義が日清戦争の終結をまたずに顕在化していった経過がわかる。しかし、日本が海外から侵略国家とみなされるまでには、まだいささかの時間があったのだ。

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歴史編・戦争とは

「日韓近代史考」日清戦争 2
 前回の「日清戦争 1」(シリーズについては、カテゴリ「戦争とは」をクリックの上さかのぼってください)を補足する意味もあって、日韓がはじめて外交条約を結んだ1876年以降、日清戦争までの韓国事情を年表にしてみた。

・1876 (明治9)日鮮修好条規締結(江華条約)
 鎖国政策の強硬政策をとった大院君から、実子・高宗の即位で王后・閔氏系の開化派に権力が移ったことと、清国の意向にそって不平等条約を受け入れた。

・1882 壬午の軍変         
 軍の不満分子が大院君を担いで反乱、宮廷や日本公使館を襲う。逃亡した閔妃はひそかに清軍の出動を要請。首都を制圧した清軍が大院君を拉致して天津に監禁。

・1884 甲申の政変
 在日経験豊富な金玉均が、明治維新を手本に朝鮮の改革を目指して蜂起。事大派(大きい強い方に仕える派)と開化派の権力闘争。日本軍も高宗の要請をたてにこれに関与。優勢な清軍の攻撃を受けクーデター失敗。金玉均らは海外逃亡。

・1885 天津条約
 日清が朝鮮出兵する際に相互に連絡、調整しあうことを協定。またこの年、ロシアの朝鮮進出を警戒してイギリスが巨文島を占拠。各国の力が均衡したこの時機が、朝鮮の中立と自主的な改革をめざす、1882年に次ぐ2度目のチャンスだった。

・1894 東学党の乱・日清戦争
 宮廷の腐敗に自浄能力なく、農民等の反乱が10年ほど前から各地で発生。首都を脅かす規模のものが発生してまたもや清国に出兵を要請。日清戦争のきっかけを作る。

 詳細に触れる余裕はないが、明治新政府が軌道に乗りはじめてから日清戦争までの朝鮮の動きは、以下の繰り返しであった。すなわち、決断力に欠け飾り物的な国王をよそに、その父・大院君と、頭脳明晰で美貌の王后・閔妃の血みどろの権力闘争。支配層である両班(ヤンパン)官人の無能と功利優先主義。それらが民衆の不満を組織化できず、外国の力を頼りに目的を遂げようとする主体性のなさ。などである。
 
 作家・金達寿氏がなげく「李朝名物党争」に明け暮れした期間で、結局日韓併合直前までこれが続く。こういった状態は日本の安全にとっても憂慮すべき問題と考えられていた。清国の宗主国意識とは違った意味で日本もその都度軍事的圧力を加えたり干渉をしてきたのである。

 このような背景のもとで起きた日清戦争については、既に多くの著述があるのでその方にゆずるとして、概略を次のように箇条書きにしてみた。

【開戦のきっかけ】
・1994年(明治27)2月 全羅道の農民蜂起を発端とする「東学党の乱」は朝鮮南部一帯に拡大する勢いとなる。
・6月1日 朝鮮政府は清国に出兵を依頼。翌日日本政府も派兵決定(双方事前通告、両軍は京城・牙山間で対立)。

【仕掛けたのは】
 日本である。両軍が朝鮮で対峙した頃、東学党の乱は沈静化し派兵の根拠を失った。日本は撤兵を拒み、朝鮮の改革を日清が協同してやることを清に提案した。清はもとよりその必要を認めず、応ずる気はなかった。日本はさらに大軍を派遣し、引退していた大院君をかついで清軍の撤退を迫った。こうして一触即発の状況に持っていった。

【戦争の経緯と結果】
・1994年7月25日 豊島沖の海戦で戦闘開始。
・8月1日 宣戦布告
・9月 陸軍が平壌を占領、海軍は黄海海戦に勝ち制海権握る。
・11月 中朝国境の鴨緑江を渡った陸軍が遼東半島を制圧。翌年にかけて山東半島威海衛攻撃、北洋艦隊全滅させる。
・1995年3月 台湾、澎湖島に進攻。
・3月20日 下関で日清講和会議。
・4月17日 講和条約調印(清国が朝鮮の独立を承認、遼東半島・台湾・澎湖島を日本に割譲、軍費賠償金2億両=約3億円の支払い、開市・開港の増加など)。
・4月23日 露・独・仏、日本の遼東半島領有に反対(5月5日日本政府これを受諾=三国干渉)。  

【日本の真意は?】
 歴史を語る上で、例えば「さきの戦争は侵略戦争である」とか、「自衛のための戦争である」として反論を封ずることは、公正な歴史の判断を狂わせる非科学的な態度といわざるを得ない。しかし「後世の学者の判断にまかせる」といった無定見や逃避も、決して許されるべきではない。裁判と同じで、両論併記はしても、あくまでも判決はひとつしかない。

 日清戦争についてはどうか。厖大な史料を渉猟し、結論をだす能力もいとまもないが、結論から先にいうと、「日本の安全をはかる上で、朝鮮の独立と安定が確保され、中立地帯化することが必要。そのためには、まず清国の属邦体制排除が第一」であり、「朝鮮を占領し、領土化する意図」はなかったということになる。ただし、隣国で不当な軍事行動を誘発した日本を正当化することはできない。

 当時、個人的な心情あるいは扇動的な言動として朝鮮の領有、大陸進出への野心をあらわにする者があったことは事実だ。それは吉田松陰以来のことで、帷幕にあった山県有朋など、松下村塾門下生にその気が全くなかった、とはいいきれないだろう。

 そのあたりを、時の外務大臣・陸奥宗光は外交秘録『蹇蹇録』の中で、次の3通りの意見を「個々人々の対話私語に止まる」と切り捨てた。
①朝鮮の改革を名分に日本の版図を拡張、または保護国として権力の下に屈服せしめる。
②朝鮮の改革を進めまがりなりにも独立国の体面をそなえさせ、清・露の緩衝地帯にする。
③ベルギー、スイスのような列国保障の中立国とする。
 
 そして、社会凡俗の与論は「弱きを扶け強きを抑ゆるの義侠論」であるとし、これを利用し強引な開戦持ち込んだのである。しかし陸奥の真意は、「我が国朝野の議論が如何なる事情、源因に基づきたるが如きはこれを問うに及ばず、とにかくこの一致協同を見たるのすこぶる内外に対して都合好きを認めたり」としている。

 かいつまんでいうと、開戦について「いろいろ議論はあるが、そんなことはどうでもいい。与論が『義侠論』にあるのだからそれでいこう。それが内外に対して一番都合がいい」という、かなり無責任な言い方をしている。あとのことは「国益第一で考えればいいんだ」ということである。

 「内外に対して」というのは、戦端を開く1カ月前に、難航を極めた日英通商航海条約改定の調印にこぎつけ 海外からの非難の緩和が見込めたことと、その前に対外硬派から出されていた衆議院内閣弾劾上奏決議および衆議院解散による政府への攻撃をかわす意味があったのだろう。

 ところが、開戦前に朝鮮の行政改革を清と協同でやろうと提案、清からこれをこばまれたため、日本は単独で改革推進を引き受けるはめになった。「義侠論」に乗ったことと西欧の反応を気にした陸奥は、結果として上記②の方向に進まざるを得なかったのである。
 
(この稿は、このブログの前身「反戦老年委員会」のエントリーを一部修正の上再録したものです。投稿日 2006-11-03 ほか)

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歴史編・戦争とは

「日韓近代史考」日清戦争 1
  日清戦争がなぜ起こったか、端的にいえば、日本の政界が朝鮮をめぐって清国との戦争は避けられない、と思い込み始めたからである。1876年(明治9)の日鮮修好条規締結は、日本が砲艦外交という、相当強引な手を使って朝鮮を開国させた。しかし、朝鮮は激しい攘夷意識を持ちながら、清を宗主国と仰ぐ意識に全く変化はなかった。

 その後も政治の刷新や制度改革などはそっちのけで、王女の実家閔氏と王の父大院君の暗闘が繰り返され、手に負えない反乱騒ぎが起きると、清に出兵を要請するのが常であった。条約上の「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ」は、日本が勝手に期待しただけで、拘束力がない。

 日本政府が決定的な危機感を抱いたのは、巨文島事件以降で、「朝鮮国に当事者能力なし」と判断してからではないかと思う。1885年、イギリス軍が朝鮮海峡にある巨文島に突如上陸し、砲台を築いて約2年間占領した事実である。

 動機は、朝鮮宮廷が日・清の横暴な干渉から逃れるため、ロシアと極秘で進めていた密約がばれたことである。日本海に面した元山近くの港を貸すかわりにロシアの軍事的保護を受ける、という内容であった。当時、ロシアとアフガニスタンで鋭く対立していたイギリスが、すばやくこれに反応したということである。

 イギリスの行動は、清との間の了解事項とされ、その解決についても英、ロ、清の問題として朝鮮は蚊帳の外に置かれていた。清は、宗主国といってもかつての冊封関係の続きで、法的には属国でも植民地でもましてや同盟国でもない。いざとなれば「われ関せず」と逃げをうつこともできる。台湾でも琉球でも同じような外交をしている。

 その24年前、ロシアの軍艦が対馬に勝手に上陸し、一部を5カ月ほど占拠したことがあった。指呼の間にある朝鮮に当事者能力がなく、無責任な清の判断で大国が朝鮮や周辺を荒らしまわる。これは日本の安全にとって放っておけない事態である、こう政府が考えたのも無理のない話であろう。

 まず、清の影響力を完全に断ち切る。そのうえで朝鮮の改革を断行する親日政権を樹立する。これが理想だったはずだ。本当は腐敗した宮廷を排除したいのだが、天皇をいただく日本からは、言い出しかねるだろう。また民衆の力に期待できればいいが、それも「斥倭洋倡義」の排日・排洋運動に凝縮され、思惑通りには行かなかった。

 開戦のきっかけと結果については、次回以降のこととしたい。

注)以上は 2006-10-24 に本ブログの前身・「反戦老年委員会」に掲載したものですが、シリーズとして見返したいというご希望もあり、一部修正の上、カテゴリ「戦争とは」に収録します。

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2008年1月 7日 (月)

米、パキスタンで戦争?

 北朝鮮との和解に熱意を入れ、イラクとアフガンは、手なづけた政権からも冷たくされて進退きわまり、せっかくあおり立てたイランとの核をめぐる対立も、CIAの「兵器開発は取りやめている」という報告で腰砕けのブッシュ政権。

 オサマビンラディンは、相変わらず落ち着いた声でどこからかのビデオ出演。こうなれば、潜伏が疑われている国内大混乱のパキスタンに武力介入を強行するしかない。私は、どなたかのコメント欄でこう予告した。

 ところが、こんな素人のアテズッポーが、ニュースとして新聞に載っているではないか。今日の「毎日」7面のベタ記事である。ベタ記事であるわけは、ニューヨーク・タイムズの記事紹介で、しかも共同通信扱いのため、と察した。

 ちなみに、気位の高い「朝日」「読売」は、予想どおりネットで探す限り出てこない。こんな国民が知っておくべきニュースが新聞社の沽券で左右されては困る。反面、外電を共同に多く依存する地方紙にはでてくる。その代表として、1日早く記事にした「河北新報」版を紹介しておく。

     【ニューヨーク6日共同】米紙ニューヨ
    ーク・タイムズ(電子版)は6日、米ブッ
    シュ政権が、国際テロ組織アルカイダ
    の勢力拡大が指摘されるパキスタン
    部族地域で、拠点攻撃などの秘密作
    戦実施を検討していると報じた。複数
    の政権高官の話として伝えた。
    米政府はブット元首相暗殺後の治安
    悪化に乗じ、アルカイダがテロ攻撃な
    どでムシャラフ政権の弱体化を図るこ
    とを懸念しており、先手を打つ方針と
    みられる。
    作戦は米中央情報局(CIA)が主体
    で、軍部隊も支援。米国はパキスタン
    に50人の軍部隊を駐留させている
    が、特殊部隊の参加が見込まれると
    いう。
    同紙によると、チェイニー副大統領、
    ライス国務長官ら国家安全保障担当
    の政権高官が4日、ホワイトハウスで
    作戦案を討議したが、現段階では何
    の決定もされておらず、ムシャラフ政
    権への通告もないという。

 このニュースは、まだ未確定要素が多いが、米国民の反応を見る観測気球かもしれない。しかし日本国民もこのアドバルーンを見る権利がある。また、反応の遅い日本の政治家にも見せておく必要がある。毎日新聞の同じ面のコラムに、イランの反米主義の空洞化についての記事もあった。

 インド洋の洋上給油再開に、3分の2条項で強行採決など、「おとといこい」の話なのである。巨大媒体の奮起をうながしたい。

注)「読売」は08/1/7/11:26に配信

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2008年1月 6日 (日)

アフガンはこれでいこう

 今日は、書評からの引用である。こんなことははじめてだが、書評そのものより、その内容がニュースだと思ったからだ。その本の著者は医師が本業で、モンシロチョウの起源があるといわれるアフガンに興味があってでかけたのだという。

 現地で100万人といわれる旱魃難民を目のあたりにし、なんとか救済したいと思った。そこで用水路を引くことを考え、寄付を集めて故郷の九州で堰などを調査研究した結果、江戸時代の技術が参考になることがわかった。

 著者は、自らもブルドーザーを運転するなど、現地で献身的な努力を重ね、ついに数千町歩の畑に水が供給できる用水路を完成させた。同じ「蝶」が趣味でも、テロリストと友達の友達がいるどこかの法務大臣とは違う。以下が書評に現れた現地の実体で、そのまま引用する。  

・養老孟司評
・<中村哲著『医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む』石風社>
・毎日新聞(1/6)所載

     (前略)外務省は危険地域として、アフガ
     ンへの渡航を控えるようにという。著者は
     アフガンに行きませんか、と私を誘う。危
     険どころじゃない、現地の人が守ってくれ
     ますよ。そりゃあそうだろうと思う。唯一の
     危険は、用水路現場を米軍機が機銃掃射
     することである。アフガンでの戦費はすで
     に300億ドルに達する。その費用を民生用
     に当てたら、アフガンにはとうに平和が戻
     っている。米国に擁立されているカルザイ
     大統領ですら、そう述べた。著者はそう書
     く。(以下略) 
 

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2008年1月 4日 (金)

入門編・戦争とは4

 赤木智弘さんというフリーターの方が、「希望は、戦争」という論文を書き、去年の論壇をにぎわしました。このブログでも一度取り上げましたが、『若者を見殺しにする国』という単行本をだされ、これを見ないうちは真意がわからないかもと思って、正月をはさんで読んでみました。

 読む前とそう大きく変わった点はなかったのですが、論拠のあげかたや独特な分析のしかたなど、読み手を引きこんでいく手法などはなかなかのものです。わが子より若いお方ながら、学者・評論家先生の論文よりずっと共感をもって読めました。これからは“さん”でなく“氏”と呼ばさせていただきます。

 ただひとつ、重大な指摘をさせていただきます。それは「平和」であることが、フリーターから抜け出せないという格差を固定するものであるから、「戦争」の中で平等を獲得するのだ、という文脈です。ここでは「平和」の反対は、いきなり「戦争」という極端な飛ばしがあります。

 氏の論述で非常に目立つのは、多くのものごとを「類型化」することです。まず自らもはまってしまっている「俗流若者論」などという「年代区分」、正社員とフリーター、都会と地方、強者と弱者、男と女そのたもろもろです。

 自然科学では類型化が進歩の基礎かも知れませんが、「世の中にはAとBしかない、それは厳しく対立する」という決めつけ方はすこし乱暴なのではないでしょうか。「平和」でないことは「戦争」だけではありません。暴動やクーデター、ゼネストとか大政変、そして自然災害でさえ続発すれば、平和な世の中とはいえないでしょう。

 9.11テロの直後、ブッシュ米大統領は「これは戦争だ」といって、アメリカ国民がこれに立ち向かうように演説しました。前にも言ったとおり、戦争は国民国家が国民国家に対し、国軍と軍備を投入して争うことです。アフガンのタリバン政権を倒すまでは、たしかに戦争だったかも知れません。しかしその後は戦争の相手国がなくなり、その候補として「テロ支援国家」というものを決めました。アメリカのいう民主主義を取り入れない国は邪悪、テロリストは敵、敵とは戦争、つまりAかBかです。

 結局アメリカの戦争は、どこの格差是正に寄与したのでしょう。世界的に見ればますます戦争が格差を拡大させているではないですか。日本がよくなれば、他の国、民族は差がついてもいいのだ、とは赤木氏もお考えにならないと思います。「希望は……」のあとは是非変えて欲しいものです。

(追記)「戦争とは」のシリーズは、カテゴリ(左帯)を新たに設けました。関連記事はそこでご覧ください。

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2008年1月 2日 (水)

福田首相と孔子

 旧臘、福田首相が中国山東省・曲阜にある孔子廟を訪れ、訪中のしめくくりとしたことに大きな関心をもっている。これに政治的な意義づけをしたマスコミ報道はまだ見ないが、首相の個人的関心からきているとしても、その真意を聞いてみたいものだ。

 このブログでも断片的に書いたことがあるが、私は日本の弥生時代を作ったのは、山東省からの渡来人で、われわれの先祖に関係すると固く信じている。それは、孔子の生きた春秋時代にもあったことだろう。また、近代では、第一次世界大戦で日本軍がドイツ租借地のある山東省に攻め込み、その後の日中関係を有史以来最悪なものにするきっかけを作った。

 孔子で代表される儒教は、すくなくとも聖徳太子のころに仏教と共に定着したと見られる。当初は政治規範として、また江戸時代から戦前までは庶民の道徳律にも深く根ざしていた。共産・中国で毛沢東から批判を受けたこともあるが、中国、朝鮮、日本を結ぶ消すことのできない長い紐帯である。

 首相は、同地で論語の「温故知新」をもじった「温故創新」で揮毫をした。久間氏が書いた「防衛省」の看板より自信に満ちた味わいのある字に見える。私が関心をもつのは、以上のような観光地的要素からくるものではない。孔子の生き様と見えにくい首相の政治理念に重なりあうものをがあるかと思ったからである。

 孔子は周公の時代の政治・文化を理想的なものとする啓蒙主義者で基本的には、歴史に教訓を求める保守主義者である。しかし、群雄が割拠し戦乱のたえない春秋時代には、彼の説く政治改革をもってするしかないという強い信念のもと、各王侯を歴訪行脚した。

 だが、これは諸国に容れられるところとならず、多くの弟子たちを経て漢以降に、ようやく国教として確立されることになる。そしてその目指すところは、教養の整った中央集権的官僚組織であった。またその政治倫理には、「仁」を置いたのである。

 「己立たんと欲して人を立たしめ、己達せんと欲して人を達せしむ」や「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」、前回の総裁選で安倍候補擁立を見て、身を退いてみたりするのを、そうだとはいわない。しかし、儒教的な発想がなければ理解しがたい行動だ。

 また、儒教や啓蒙主義の神髄は合理主義と実践にある。出身地の魯の国で大臣の地位を得た孔子が、理想の実現に向けて改革を推進しようとした。ところが、豪族の総反撃にあって失敗、国外に出奔したこともある。孔子にはつかみにくいところがあるが、それにもまして福田首相の向かう方向が明確でない。

 「美しい国」などというきなくさい「おまじない」など、もううんざりである。民の求めるところを、実践で力強く推し進め、「古きをたずね、新しきを創る」に邁進する福田首相であれば、たとえその後継者が実現するにしても支持をしたい。
 

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2008年1月 1日 (火)

謹賀新年

2007_12300003  わが家では「国内産」と「越後」が売り物のお手軽鏡餅。

 プラスチックの偽物重ね餅の中に丸い本当の切り餅が10個入っています。

 去年の一字漢字は「」。そのチャンピオンは、すべて「純国産」の名門ブランドでした。

 偽物文化全盛時代。あまり、目くじらをたてないでください。

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