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2007年11月 9日 (金)

天智天皇

 前々回、天智天皇がなぜか「紀元は2600年」の昭和16年、近江神宮に祀られた、という話をした。それなら、靖国神社に昭和天皇を祀るというのも「あり」ではないかとしたら、いいアイディアだ、「目からうろこ」という予想外のコメントもいただいた。

 それと関係があるわけではないが、今上天皇は、歴代天皇のうち天智天皇を尊敬されている、という噂をもれうけたまわったような気がする。それがどの点であるのかは定かでないが、まさか、朝鮮・白村江で唐・新羅連合軍に惨敗し、国政建て直しに苦労した点を昭和天皇になぞらえたわけではあるまい。

 やはり、正史が説くように、乙巳の変というクーデターで蘇我家専横から天皇親政をとりもどし、大化改新の基礎を築いたという点や、漏刻という大仕掛けの時計を作るなど、科学者としての素質にひかれたのではないかと思う。

 また、この天皇は『日本書紀』に幼少時から臨終直前まで記述があるにもかかわらず、なぞとされる点が多い。上にあげた乙巳の変の蘇我入鹿謀殺にはじまり、孝徳天皇への皇位禅譲、古人、有間両皇子の殺害、孝徳から皇后であり妹である間人を連れての難波脱走、朝鮮出兵や、後継者指名についてのなぞなど、史家や研究者にとってかっこうの題材を提供している。

 その最たるものが、弟、大海人(後の天武天皇)が、実は父親を異にする年上の兄だとか、皇太子大友や蘇我赤兄など政権中枢が、瀕死の枕元で後継者擁護の誓詞を交わしたはずなのに、馬で山階に出かけてそのまま帰らず、靴がのこっていた所を陵墓とした、などという異伝である。

 いずれも数百年たった中世の書物によるものだが、そういったたぐいは「なぞはなぞ」として頭の片隅におけばいい。沖縄の教科書検定事件ではないが、ある一事をもって金科玉条となし、それこそが真理だとばかり、他の合理的状況を一切無視してしまうのが歴史修正主義である。

 ある事柄ひとつで、歴史が動くのではなく、大きな歴史の動きの中で、そのある事柄がどういふ役割、位置づけになるのかを考えてみる、そういった意味で、聖徳太子と中大兄皇子(天智)の時代は、外交問題もからむ最も興味深い時代ではある。

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