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2007年11月

2007年11月30日 (金)

追憶

 前回のエントリー「千里山で昆虫採集」に対し三介さん、仲@ukiukiさんからご丁寧なコメントをいただきました。これについてあれこれ考えていると、やはり本文でご返事するのが妥当なような気がしたので続けることにしました。

 <もしかしたら、その頃の光景が浮かばれて、つらい気持ちをぶり返されたかもって心配もしてます。……と、両兄から気を使っていただきました。相当つらいこと、悲しいことでも、後になると「甘い想い出」に昇華してしまうのが人のつねです。

 ところが、思い出しても自分がズタズタになるようなことだけは、遠ざけるのが自己保存本能だと思います。はやりの言葉でいえばトラウマ(心的外傷)とでもいいますか。戦争では今米軍帰還兵が多くこの疾患(PTSD)で社会復帰できないといいます。

 私は幸い戦地に行かなかったので、そういう思いはありません。しかし、三介さんが言われるように「戦争知らない世代は、景気の好い戦争話にコロッと行かれやすい」ということも、東国原知事の徴兵制度発言などを聞くにつれ深く感じるようになりました。そこで三介さんのコメントにひかれてもうすこし続けます。

     青森へ旅立つ時の名残惜しさとか、これっ
     て今もある寝台特急「日本海」でしょうか
     ?。あれ「北斗七星」だったかな?
     フィリピン戦へ行かれたおじさんは、遺骨
     とかは帰られたのでしょうか?

 父が死んでから母は泣きとおしでした。武庫川駅や梅田駅にはおおぜいの方が見送りに来ました。中学に入学したばかりの私は、戦闘帽に半ズボンといういでたちでした。
 「ぼんぼんはえらい。ちっとも泣きよらせん。長男やさかいしっかりしてや。お母はんを支えんなあかんで。病気させんようにな」
 秋田出身の人は秋田弁で、新潟出身の人は新潟弁でいうことは同じでした。

 青森行きは、現在の特急とほとんど同じコースです。しかし特急というのは東海道線が主で、愛称のない単なる「急行」だったと思います。途中米原あたりまでは起きています。そのさき目が覚めるのは車輪の音がとぎれて長い時間停車しているときです。

 糸魚川か直江津か柏崎、車外で駅員がわびしそうな肉声で連呼した駅名は、そのどこかでした。これ以上の静寂さはないという感じです。「ああ、新潟県まできたんだなあ」と思いながら、電灯のまわりを飛び交う蛾を見ていると、「ボワーッ」というD51特有の汽笛。さすがに「シュン」でした。

 叔母の家に着いてからしばらくして、叔父が入営先から1夜の外泊許可を得て帰ってきました。いよいよ海外の戦地に向かうためです。叔父は変電所の技師で3人の子がいるという、徴兵から一番遠くにいた人です。叔母も母も口にはださないが今生の別れになる覚悟もあったと思います。

 この田舎の駅から叔父が離れていく様子は、ご想像にまかせます。その年の大晦日は積雪が屋根に達するほど積もりました。私は、叔母と二人で地元の八幡様に武運長久を祈りに行きました。なにしろ、関西を出るとき言われた責任が2所帯6人になったので、「男の子」にかかるプレッシャー過多はいうまでもありません。

 終戦の日の茫然自失、無限の開放感はものの本に書かれたとおりです。海外からの復員が始まった秋口から叔母は毎日夫の帰りを待ちました。全く連絡なしにひょっこり門口に……なんていう話が実際にあったのですから。あきらめかきれずにいたある日、戦死の公報が入りました。もちろん遺骨も遺品もなく、フィリピンのどこで死んだのかもわかりません。

 叔母がただ一度だけ靖国に連れて行ってくれ、といったことがあります。その頃は墓もなく仏壇もなく、祀るものもなく、夫に会えるのはどこだろう、と思ったようです。私の反戦原点はそこにあります。戦争体験としては最も軽い方だと思うんですが。

 「戦中も戦争直後も防衛利権というか軍人の闇の特権のようなものがあった」という仲@ukiukiさんのコメントに関連して付け加えさせてください。昭和18年3月に「戦時行政特例法」というのができて、造船業は海軍大臣の所管、自動車製造業は陸軍大臣所管というように、陸海軍の予算の取り合いから、直接重要産業そのものの分捕り合戦のようになりました。

 もう、「闇の特権」どころか国家秩序のあくなき破壊がはじまったのです。父の勤めていた工場のトップの経営権もこうして軍に移ったかのようです。このエントリーの前に「戦争とは」というテーマをあげました。戦争とは、破壊にはじまって、心の「すさみ」と「浅ましさ」だけを残すだけの不毛の愚行である、これはイラクなどでも十分に証明されているのではないでしょうか。

 これからも特別措置法だとか、特例法、臨時○○法などというのは、“特に”要注意の法だと心得ておきましょう。

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2007年11月29日 (木)

千里山で昆虫採集

 “多文化・多民族・多国籍社会で「人として」”ブログのコメント欄に、表題のような体験を書きました。京都には、幼少の頃からなんとなくあこがれのようなものがあり、「京都議定書」ではないが世界に向けた日本文化発信の地であり続けてほしいと思っています。

 ところが、なぜか民主党が右傾色鮮明な市長候補を擁立しそうだとのこと、やはり気になります。まあ、そんなことは抜きにして、気楽にその頃の話を聞きたいという、三介さん・うきさんのリクエストがありました。それをいいことに、今回は昔語りでお茶をにごさせてください。

 先々週の土曜は、孫娘の七五三のお祝です。妻が和たんすから晴れ着を出し、聞いていた寸法に合わせています。御所車や菊の花模様はにぎやかですが地がグレー基調、ちょっと子供が着るには地味ではないかな、と思いました。

 電車とバスを乗り継いで2時間、孫の家で妻と嫁とで着付けてみると、なんとキリリッと引き締まってえも言われぬ上品さです。赤の多い貸衣装などとは違うのです。実は亡くなった私の妹のために、父母が京都の呉服屋に注文した60何年も前のものだったのです。おさがりの5段かざりのひな人形も京都製です。緋もうせんは人絹ですが、ひなの顔立ちもさすがです。

 千里山に昆虫採集に行ったのは、小学校5年か6年、6年なら昭和18年です。住んでいたのは、阪神電車武庫川駅近くで、父は海辺にある軍需工場で石炭から石油を作る担当をしていました。隣には火力発電所があり数本の煙突から日夜を問わず真っ黒な煙を吐き出していました。当時はそれが大阪工場地帯繁栄の象徴だったのです。

 千里山には1人で行きました。父は過労もあってか肺病にかかり枕があがらない状態でした。大阪の天六に良い薬を売る店があると聞き、ここへも1人で買いに行きました。千里山はその何年か前、一家で紅葉狩りに行き「あそこなら珍しい昆虫がいるだろう、夏休みの宿題はこれにしよう」というわけです。地元にはシオカラ、とかギンヤンマしか(それでもいたんだ!)見られず、オハグロとかイトトンボなどをとってきた覚えがあります。 

 家の隣にはベソリックというドイツ人が住んでいました。工場で石炭液化の技術指導に来た人です。ただほとんど家族同士のつきあいはありませんでした。そういう人と話をしているだけで、スパイとまちがわれたくない、ということかも知れません。

 工場の方も、要員をだいぶんインドネシア・パレンバン製油所などに取られ人手不足になっていました。また専属の高級軍人がやって来て物資の配給などの支配権をにぎり、工場長などあってなきが等しい状態だったようです。

 その年の暮れようやく最初の石油が採取でき、同僚の方がサンプル瓶に入れて病床へ見舞いにこられました。父は感慨深そうにそのにおいを嗅ぎ、それからまもなく息を引き取りました。コメントにも書きましたが、今度は父の部下の人と京都、大谷霊廟へお骨をおさめに行きました。

 翌年4月、母と妹と私の3人は、夫を戦地へ送り出した叔母と同居するため、梅田駅から青森行きの夜行列車に乗り関西をあとにしました。退職金、餞別その他5万円は、その後のインフレで2年と持ちませんでした。また、終戦までに父のいた工場は空襲で全滅し、叔父はフィリピン戦線で妻子4人を残して戦死しました。

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2007年11月28日 (水)

戦争とは 2

 「戦争とは 1」を書いてから10日以上もたってしまいました。実は、こんな題を立てて失敗したなあ、と思っているのです。「反戦塾」だから、ほとんどの記事は「戦争とは」になってしまうわけだし、そうかといって、大上段に「戦争論」を展開するほどの材料も能力も持ち合わせていないからです。というわけで、戦争論を書いた本でよく見かける定義のようなものをいくつか考えることにして、この題は終わりにしたいと思います。

 戦乱に明け暮れしたヨーロッパでようやく近代国家が生まれようとしていた19世紀のはじめ、プロシア(ドイツの前身)の軍人・カール・フォン・クラウゼヴィッツが書いた『戦争論』にある言葉を取り上げてみましょう。

 その一つは「戦争はわれわれの意志に従わせるように敵対者を強制する暴力行為である」です。ちょっと聞くと当たり前のような気がするのですが、ここから二つのことを感じ取るのです。一つは、軍隊が超法規的な暴力行為をするための暴力装置であるという位置づけ。そうしてもう一つは、「意志に従わせる」ための、説得・譲歩その他平和的手段を軽視する手段、ということです。

 つづけてクラウゼヴィッツには、「戦争は政治における異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」というのがあります。日本の再軍備論者がよく取り上げるので、この方が有名です。しかしそれは20世紀はじめ、すでに過去の言説になってしまったと言っていいでしょう。

 第一次大戦後の「不戦条約」、「国際連盟」、そして第二次大戦後の「国連」と東西対立の解消を見た現在、2世紀も前のクラウゼヴィッツの定義を額面どおりに唱える国はほとんどありません。あえて言えば、アメリカのアフガン侵攻がそれだ、と言えるかも知れませんが……。

 また戦争論が語られる中で、「国民国家」という言葉がよく出てきます。これも王様が騎士を使ってあい争うのではなく、市民革命などで市民即国民という“国の形”ができてきたことによります。日本でも昔は戦うのは殿様と武士で、平民は迷惑こそすれ関係ありませんでした。

 国民国家になるとそうはいきません。「国民皆兵」、「総力戦」、「国民精神総動員」、「一億一心、火の玉だ~」ということになるのです。だから久間さんじゃあないけれど、大勢の国民が殺されることになっても勝つためには「しょうがない」ということになるのです。

 今までの大戦は、暴力装置という軍隊を持った国民国家の失敗例です。その過ちを繰り返さない工夫が国連憲章にあるのですが、悲しいかな国連というのは国民国家の集まりです。だから、民主党のいうように、国連決議があっても武力行使をすれば、「国権の発動たる……」になってしまうおそれが十分あるのです。

 日本の憲法9条が、世界史に残る壮大な平和への仕掛け、テストケースになってほしいものですね。

(追記)「戦争とは」のシリーズは、カテゴリ(左帯)を新たに設けました。関連記事はそこでご覧ください。

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2007年11月27日 (火)

政局皮算用

 衆院全小選挙区への候補者擁立を目標にしていた共産党が、得票率8%以下でその都道府県に1人も立候補者がいなくなる場合をのぞき、空白区を置いてもいいという方針に変えるようだ。そうなったら共産党票が民主党に行く可能性が高く、毎日新聞(11/26)は、反自公勢力が過半数をとれるかどうか次のような試算をしている。

①共産票が全部民主党に行った場合
 民主255+共社日15=270=過半数240+30
②共産票の半分が民主党に行った場合
 民主238+共社日15=253=過半数240+13
③共産票が民主に行かない場合
 民主221+共社日15=236=過半数240-4

 ただしこれは、民主党圧勝の前回参院選の各党得票率を算定の材料にしており、03年、05年の衆院選データを使った場合には、最善のケースでも過半数には達しない。まさに「皮算用」となる可能性大と言わざるを得ない。しかしまた、結果として絶無のケースであるとも言えない。

 共産党支持者の投票行動を考えた場合、反自公意識が強い一方政策意識も高いので、民社党候補の中から改憲積極派、消費税増税派などを見極めて選別するに違いない。そのため、よくても上記②だろう。民・共の政策協定は考えられず、民主の選挙公約や戦い方次第では、過半数スレスレでも「善戦」ということになる。

 さてそうなった場合の政局である。各党猛烈な多数派工作で何が起こるかわからない。不気味なのが公明党である。参院選に続いて自党議員を減らすとか、自民の減退傾向止まらずと見れば、連立維持にこれまで以上の注文をつけるだろう。

 自民内には、それに反発する勢力が顕在化したり、冷やめし組が新党旗揚げの機会と見るかも知れない。民主党内でも、共産党などとの妥協を快く思わない不満分子がそれに同調することもあり得る。そうなると、政界再編の戦国時代を迎えることになる。
 
 皮算用に憶測を加え、政治評論家のようなことを言ってしまったが、私が気になるのは国会の「ねじれ現象」ではなく、自民、民主両党の中にある「ねじれ現象」である。私は今年の参院選を「護憲派の勝利」と見ていない。結果として改憲は遠のいたように見えるが、実は9条擁護議員はふえていないのだ。

 そういった意味で、これからの国会、政治の動きには、細心の注意を向けていきたいと思っている。

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2007年11月26日 (月)

お詫び

 トラックバックをメールで知らせるシステムが働かず、32本ものTBの認証が遅れました。公開の遅滞をおわびします。 ましま

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世界の孤児 2

 前回の「世界の孤児」は日本に向けて言った。しかしアメリカの孤児ぶりはもっとひどい。ブッシュ大統領は相当あせっている。北朝鮮のテロ支援国家解除について、日本の拉致問題に耳をかす余裕すら失っている。

 今日の報道では、ポーランドの政権交代でトゥスク首相が米国主導のイラク派兵約900人を、来年中に撤退すると表明、さらに米国のMD(ミサイル防衛)システム受け入れも慎重姿勢に転じた。昨日の主要国リストには入れていなかったが、東欧や旧ソ連圏の小国はアメリカの援助やロシアの影響力排除をあてにイラク派兵した国が多い。

 アメリカは、イラクでいっこうに改善しない治安維持と米兵の死者増加に兵力削減もままならず、訓練不足で質の低い民間警備会社などに委託して、米兵の損耗を防いでいる。それがまた民間人殺傷などの問題を起こしているという、いきづまった状態だ。

 こういったとき外国軍隊とくに陸上兵力の撤退は、実質はともかく心理的な孤立感はおおえないだろう。日本の給油作戦撤退も同様に感じとられているはずである。そのイラクへ、アメリカの外交官補充要員約250人の希望者がなければ、あえて強制派遣に切り替えるという(毎日新聞)。自国の外交官にすら見放された様相だ。

 アフガンのカルザイ大統領は、すでにアメリカの宿敵・タリバンの要員を一部地方官庁に採用してしているというし、アメリカには、アフガンの治安はタリバンと話し合いをしないと解決しない、と言っているらしい。

 アメリカはタリバンといっても、交渉相手が誰であるかもはっきりしない、という態度のようだが、かつてのソ連勢力追放以来、さんざんアメリカにだまされたタリバンが「はい、私です」と名乗り出るわけがない。カルザイは、隣国パキスタンの混乱もあり、婉曲に「出ていってほしい」といっているように聞こえる。

 イラクのマリキ首相も、アメリカが嫌悪するシリアやイランと接触し、外国軍撤退の方途をさぐっている。アメリカはアフガンもイラクも指導して選挙で選ばれてきた指導者を無能者扱いにしている。たしかにそうだが、彼らにとってはアメリカの資金援助と駐留兵力しか力の源泉がないためだ。

 ここは、一時の混乱があっても米軍撤退しかないのではないか。それにはブッシュの不名誉とアメリカのいう「テロリストの巣窟」になるという心配がある。前者は自ら招いたものとして甘んじて受けるしかないだろう。また、後者はあり得ない。アメリカが中東から手を引くことで、彼らは勝利し自爆までする理由がなくなるのだから。     
 

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2007年11月25日 (日)

世界の孤児

     米国百パーセント追随スタンスを見直し、
     時と場合によっては堂々と“NOと言え
     る日本”へ変えていくべきである。いつ
     までも米国百パーセント追随では、日本
     の国益を損ない、いずれは日本全体にマ
     イナスが及びかねない。
      日本は米国との協調をベースとしつつ、
     もっと視野を広げ、国際協調、国連重視
     の立場を鮮明にすべきである。日米同盟
     を最重視することは、結果的に対EU、
     対アジアとの関係を希薄化させてしまう。
     国際協調や多国間主義という視点は、米
     国だけではなく日本にもまた該当するも
     のである。

 上の引用文は、今のことではない。約3年前、ブッシュが再選され、一国単独行動主義を見直そうとしている頃、明大教授で経済評論家の高木勝氏が『アメリカ一国支配の終焉』(講談社+α新書)の中で書かれたことである。

 当時、小泉政権のもと、中国・北朝鮮はもとより韓国でも竹島問題などに火がつき、アジア外交は二の次、TV番組などを通じて米国百パーセント傾斜を公然と支持する論者が多かった。あとを継いだ安倍内閣は、対中国関係を「靖国不言及」で修復したものの、改憲や日米ネオコン依存政策はむしろ促進されようとしていた。

 今、参院の与野党逆転、安倍退陣、福田新路線で果たしてうまい舵取りができるのだろうか。テロ特措法の迷走ぶりは世界の中で恥である。「テロとの戦いを放棄するのか」、「給油活動を続けないと国際的信用を失う」などという口実はウソ、そういった小泉時代から一歩もでていない人が、まだ与党に大勢いる。

 福田首相は、海上給油活動中断の結果を点検し復活を断念するとか、イラク空輸協力の段階的撤退の検討を開始するなど、党内の石頭勢力をはなれて福田カラーを前面に打ち出したらどうか。それができなければ、解散総選挙で政界再編を待つしかない。

 最後に、毎日新聞に記載された■ブッシュ米大統領のイラク戦争を支持した主要国首脳のその後■を要約しておこう。
 日本をのぞいて、すべての国で対米追随政策の修正や撤退がはかられており、昨日のオーストラリア総選挙では、労働党のラッド氏が勝利、イラク撤退が現実味を帯びてきた。これはまさに「アメリカ一国支配の終焉」の最終段階で、最後の盟友日本の立場は、そうとう高く売れるのではないか。

スペイン アスナール首相  
     04年4月 総選挙敗北で辞任 
イタリア ベルルスコーニ首相
    06/5   総選挙敗北で辞任
日本   小泉首相       
    06/9   総裁任期切れ安倍後継
イギリス ブレア首相
    07/6   支持率低下で辞任
オーストラリア ハワード首相
    07/11  総選挙敗北で辞任へ
 

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2007年11月23日 (金)

物部守屋

 今日は「勤労感謝の日」、なにかとってつけたような偽善的な名目がついているが、本来は「新嘗祭」、新穀の恵みを神に感謝する日だ。古きをたずね、パラパラっと本をめくっていたら、突然「物部守屋」が目に飛び込んできた。それで、福田さんをはじめ今日はお休みの日なので、お遊び「守屋占い」でもしようかというわけ。

 時の人、守屋武昌前防衛事務次官と物部守屋の関係?、どこにもありません。ただ重大な共通点があります。両方とも武器の調達、保管、管理の最高責任者で、物部氏は神武以来その任務についていました。物部守屋は6世紀後半、敏達・用明天皇の時代大連(おおむらじ)という要職に就いています。

 同じ時代の有力者に大臣(おおおみ)の蘇我馬子がいます。ここから先、必ず日本史のテストに出てくるところなので、学生さんはしっかり覚えておきましょう。二人の要職者が衝突したのは、朝鮮を通じて伝来する仏教を受け入れるか禁止するかについてです。

 くわしくは教科書で見ていただくとして、「仏像を拝むから伝染病がおさまらない」「いや、そうじゃない」などと、厚生労働省桝添さん所管のようなことまで言い争っています。585年に敏達天皇が亡くなると、この対立は権力抗争として抜き差しならぬものになりました。

 蘇我派は有力豪族、諸皇子などを味方につけ、用明天皇崩御のあと587年7月に物部氏の本拠がある河内、難波の方まで攻め込んで守屋を戦死させ、一家を滅亡させました。多くの歴史書は、蘇我馬子を外国の文化を導入しようとする革新派とし、神道など古来の伝統を重視する物部守屋の保守派を破った、と書いています。

 さて、守屋前次官を証人喚問で責め立てる蘇我馬子役は誰でしょう。野党総大将の民主党小沢代表かも知れません。物部氏を討ち取った蘇我氏は、その後蝦夷、入鹿と代を重ね、天皇の権威を脅かすほどの全盛時代を迎えます。

 民主党は果たして天下を取れるのでしょうか。しかし油断はなりません。皇太子中大兄のテロリズムに始まった乙巳の変(645年)で蘇我本宗家は壊滅します。入鹿は飛鳥を警察国家にしましたが、皇族参加のテロには油断がありました。日本の将来がそんなことにならないよう、今日はそれを祈る日にしましょう。

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2007年11月22日 (木)

筋金入り

 前回の「日中韓連合に期待」を、政治ブログでは鋭い分析で知られるkojitakenさんの「きまぐれな日々」で紹介していただいた。その前置きに「たいへん信頼できる筋金入りの護憲派ブロガーの方である」とのありがたいご託宣で、ややあわてている。

 実は、復古改憲をねらう安倍政権が崩壊することを最大眼目として続けてきた当ブログの前身「反戦老年委員会」が、安倍放り出し辞職で支え棒をはずされ、政治をどう考えるかに迷いを生じたのは、他のブロガーと同様である。

 「反戦老年委員会」を解散したのは、他に理由もあるが、一旦「目的を達成」したものとしてけじめをつけ、臨戦態勢から解放された「反戦塾」に衣替えをして記事のフリーハンドを得たいという願望もあった。アクセス数の激減も「引っ越しをすれば当然」ということで、新規参入の心構えで望むことにした。

 さて、今日の題はおほめ頂いた「筋金入り」である。すでにご承知の方も多いと思うが、当ブログでは憲法9条を手つかずで置き、自衛隊の存在を前向きに考えて、必要があれば後ろの方の「章」に9条に反しないよう、その活動範囲と任務を明記するという加憲派なので、社・共支持者の方の中からはひんしゅくを買っているかもしれない。

 ここから、前回の続きとなるが、EUに関しては、憲法草案がフランスなどの国民投票で否決されるとか、トルコ加盟で各国の意見が一致しないとか、日本ではマイナスイメージで報道されることが多い。しかし、「だから元にもどそう」などということはあり得ない。

 ヨーロッパ各国は、独仏間にあったような抜きがたい不信感を克服し、域内から戦争の要因をなくして永遠の平和を実現しようという点では、まさに筋金入りなのである。前身ブログを含め、検索をかけたら「欧州連合」で6本、「EC」8本、「EU」では15本のファイルが引っかかった。そこからとりあえず一、二を採録しておく。
 
2005.12.7
EUとアジア

 「読売の社説はどうなの・・・2」というkouhei様主管のブログで、14日からマレーシアで開かれる東アジア首脳会議に関する4日付読売・社説を取り上げられた。この中にある「東アジア共同体」構想への同紙の姿勢について

『「共同体」の形成は非現実的だ。』などと水を差す必要はどこにもないのではないか。

とコメントされている。これについて、最近膨張や憲法制定でブレーキがかかったように見える欧州共同体(EC/EU)ではあるが、通貨統合までなしとげたEC成立に至る歴史を、かつて西日本新聞欧州総局長を経験された小屋修一氏の著書『欧州連合論』~新パラダイム構築への挑戦~をお借りして報告する。(中略:は、ましま注記)

     欧州統合の理念は、ドニ・ド・ルージュヒン
    によれば、美王フィリップの顧問法学者ピー
    エル・デュボアが、欧州の全ての君主に、ト
    ルコ軍に対して団結するように訴えた、一
    連の公開書簡を送った1308年に始まるとさ
    れる。

         19世紀に入ってから、当時、欧州最強の陸
    軍を持っていたナポレオン・フランスに対抗
    するための国際組織結成の動きもあった
    が、国家主権が”不可侵”の権力だと考えら
    れていたその当時は”超国家的”国際組織
    の結成などは思いもよらず、主権への脅威
    が無くなれば、そのような意欲は、たちまち
    雲散霧消した。

     だが、20世紀になると、欧州の統合を促す
    大きな変革が訪れる。それは、欧州を主舞
    台とする二つの世界大戦であった。(中略:
    第一次大戦後、その巨大な人的・物的の損
    害の故に「欧州平和確立のため」の方法論
    として統合が模索されたが、各国の意見不
    一致や経済恐慌到来で挫折した。また、第
    二次大戦では再び悲惨な戦場となり、その
    被害は天文学的数字に達した)。

     とくに、第二次大戦は、『国民国家が、本来
    その任務とする安全保障、経済的繁栄、社
    会的安定を提供することができなくなった』こ
    とを証明し、いわゆる「国民国家」の”神話”
    をうち砕いたのである。(中略:その間、アメリ
    カは連合国の兵器庫となり、空前の経済的
    繁栄を実現、またソ連は東欧その他で領土
    を大幅に拡大するに至った。)

     米ソ二大国の地球的規模での対決・抗争
    のなかにあって、戦後欧州の再建を果たし、
    「冷戦」のなかで一定の発言権を確保するた
    めには、バラバラの欧州ではなく、『統合さ
    れた欧州』『政治的・経済的・軍事的一単位
    としての欧州』が必要であることは、誰の目
    にも明らかであった。(中略:こうして英国の
    政権から離れたチャーチル卿の呼びかけな
    どもあって、欧州連合に向けた組織がぞくぞ
    と生まれるようになった。そのなかで、限定
    的ながら”超国家的”な組織体が誕生した)

         この新しい組織体は、「超国家性」を持つ初
    めてのものとして、人類の歴史上、画期的な
    意義を有する。その組織体とは、CECA(欧
    州石炭鉄鋼共同体)である。この組織体こそ
    現在のEUの萌芽とといっていい。仏、西ドイ
    ツなど6カ国などで条約が締結されたのは、
    1951年4月18日のことである。

         欧州統合の運動に大きな影響を与えた、オ
    ーストリアの元貴族R.N.ド・クーデンホーフ
    ・カレルギー伯は、『6カ国の欧州の記録』発
    刊にあたって、次のように指摘した。

          自由な欧州諸国民を打って一丸とした「欧
    州連合」のみが、われわれの大陸を米国、
    ソ連と新生中国に対し、平等かつ友好的な
    世界各国家に変容させるだろう。それのみ
    が、世界を脅かしている最悪の破局---
    核戦争---から世界を救うことのできる
    「世界連邦」の創設を可能とするものだと考
    える。

 以上にみられるように、(1)非常に長い挫折の歴史があり、それを乗り越え、段階を経ながら今日に至った。(2)時の政権というより、自由人的立場にいる人が推進に貢献してきた(上記のほか、古くは哲学者カントの弟子、メッテルニヒ、文豪ヴィクトル・ユゴーなどの提唱もある)。(3)高い理想と崇高な理念に支えられながら、段階的に経済的なメリットを追求するなど、現実的にことが進められた。ことなどを考え合わせる必要がある。

 日本が、読売社説のように狭量で近視眼的発想に閉ざされている限り、世界の孤児となることを免れ得ないのではなかろうか。 

2005-12-08
「共同体・序章」はるか

 昨日エントリーした「東アジア共同体」構想に関連し、『毎日新聞』が今日から「共同体・序章」と題する特集を開始した。第1回目のタイトルは、<「対米配慮」際だつ日本>、<「広域化」望まぬ中国>、<「靖国」こだわる韓国>で、その内容として、米国、インド、EUなどの思惑が交錯する中、主導権争いだけが先行する混沌とした状況を伝えた。その中でEUと関連する気になった部分の引用をする。

    歴史問題を焦点にした韓国の「多角外交」
    は、すでに始まっている。欧州を歴訪した潘
    基文(パンキムン)外交通商相(現国連総長
    :ましま注)は1日、欧州連合(EU)の本部
    があるブリュッセルで「(EU加盟国で構成す
    る)欧州議会の議員も(小泉首相の靖国参
    拝を)認めがたいという反応をみせた」と述
    べた。歴史問題の解消策としても重大な役
    割を担った欧州共同体(EUの前身)が置か
    れた象徴的な場所での発言は、小泉首相
    の靖国参拝が、中韓だけの問題ではなく、
    ましてや「共同体構想」とはかけ離れた次
    元であることを暗示している。(後略)
    【ソウル堀信一郎】

 EUの反応については、伝聞報道なので正確なところはわからないが、靖国参拝の韓国側の主張を支持したということではなく、共同への大目的を前に、首相の私的な行動で進展をさまたげている事実について、疑義を差し挟んだものと解釈してよさそうだ。

 これを、小泉個人が招いた一時的な現象として見過ごしていいのだろうか。アジアのつまはじき者となり、アメリカへの傾斜をますます深めなければならないようなところへ追い込まれることが、日頃の小泉発言からみて、果たして杞憂といいきれるのだろうか。

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2007年11月21日 (水)

日中韓連合に期待

  20日、シンガポールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日・中・韓)で、プラス3だけの会合が行われ、今後はASEANから離れて3国だけのサミットを持ち回りで開くことが決まったという。

 これは、毎日新聞が1面で報じたが、わが塾にとっては大きなニュースである。というのは、非戦、安全保障問題ではじまったEUのアジア版にならないか、という淡い期待からである。そこで各新聞の社説に目を通してみた。

 その中で、「将来の東アジア共同体をにらんでの協調も……」と書いたのは朝日だけであったが、小泉・安倍と受け継がれた靖国問題や歴史認識問題の解消をとりあげ、相互信頼のもとでの3カ国の連携を歓迎するという、さきの戦争を意識した意見は、毎日でも共通していた。

 3国の連携にはまだ名前が付いていないが、全国紙でまともに取り上げたのはこの2紙だけで、読売、産経は、東シナ海のガス田問題や北朝鮮拉致問題など個別対立点を強調する方が先になり、小泉時代には想像もできなかった、3国首脳が同じテーブルに着くという意義づけは黙殺した。

 日経が、もっぱら経済問題に焦点を当てているのは当然のようだが、2006年3月に経済同友会が次のような提言をしている。(庄司克宏『欧州連合』岩波新書)
    「日本が東アジア諸国と今後、未来志向
    の関係を構築する上で重要なことは、日
    本が二〇世紀前半に東アジアでどの様な
    ことをしたのかを踏まえることが前提と
    なるが、ペースとなるのは、終戦五〇周
    年の村山総理談話と終戦六〇周年の小泉
    総理談話である。村山談話では、半世紀
    にわたるアジアへの侵略と植民地支配と
    いう事実を認め、加害者としての反省と
    謝罪にたって、過去と決別した戦後の平
    和国家日本をコミットしている。小泉談
    話は、村山談話を踏襲しつつ、戦争への
    反省を行動で示した平和の六〇年」を強
    調している。」
     提言書はまた、「将来の東アジア共同
    体実現及び、その第一段階としての東ア
    ジア自由貿易圏の構築は、日本と中国及
    び韓国の信頼関係がなくては、実現は不
    可能である」と指摘している。

 このたびの温首相の発言「日中関係は重要な発展の歴史的段階、転換期にある」や、福田首相の「戦略的互恵関係」「新福田ドクトリン」の中身が明らかでないので過大な期待はできない。しかし、欧州連合が、中世以来の民族間抗争や第一次、第二次大戦を経て、戦争の根を絶つための英知と根気と努力の積み重ねで今日のEUに発展した、という経緯を踏まえてのことであれば、大賛成である。

 ひるがえって、福田、小沢大連立構想の話も下火になったが、かりに両党から小泉・安倍的要素を排除し、前向きな平和・安全保障政策で安定勢力を作る話ならば応援したくなる。自民か民主か、と言っているだけでは問題解決にならない。安倍氏は早くも右派再興に向けて動き出すという。これが成功するような悪夢だけは決して見たくない。

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2007年11月20日 (火)

懲りないアメリカ

 前回のエントリーの最後に、「米国議会やマスコミなどが、かつて同国がイランのパーレビ国王に肩入れした失敗した経験から何も学んでいない」という対テロ戦争政策への批判があることをを紹介した。読み返してみて、これだけでは不十分な気がしたので、備忘録がわりに今アメリカと最も厳しく対立しているイランについて追記しておきたい。

 イランはイラクのメソポタミアと共に世界の最も古い文明が栄えたところである。古代はペルシャとして栄え、その文化は唐を経て日本にまで影響を及ぼした。民族はイラクではエジプトなどと同じセム語族が多いのに対し、イランは、インド・ヨーロッパ語族のアーリア民族で異なる。

 双方ともイスラム教国で隣り合っているが、イランはシーア派が圧倒的に強く、イラクはスンニ派と混在している。かつてはスンニ派のフセインが政治的主導権を握っていたが、現在は人口比の多いシーア派が優勢である。また、両国は世界で屈指の産油国であり、周辺諸国の中では近代化も進んでいた。

 イランの現代史の簡単なおさらいをしておこう。
 1926年からずーっと王政が続くが石油利権は英国がにぎる。1951年モサディク首相が石油国有化宣言を行い、世界に波紋を投げかける。翌年クーデターでモサディクを倒し国王復帰。その後アメリカやイスラエルの影響が強まる。

 1963に宗教指導者ホメイニ師を国外追放、国王に権力が集まる。1977年、反国王の学生デモが広がる中で米国カーター大統領が国王と連携を深める。翌年にかけてデモやストが続発し、暴動も発生。米国はひきつづき国王を支持。

 1979年、パーレビ国王が出国、ホメイニ師が帰国してイラン革命となるが混乱は続き、11月4日に学生が米大使館を占拠する。途中救出強行作戦を立てるが失敗、444日後、米が内政不干渉を誓約して全員解放が実現する。

 この間、イラン、イラクが国境問題などを理由に本格的な戦闘を開始した。アメリカは憎きホメイニのイランを倒すため、今回のイラク侵攻で最大目標だったサダム・フセイン大統領をかげで支援していたのである。 
 
 このように、アメリカが独裁者に武器や資金を援助して反対勢力を駆逐しようとしたことは一度や二度ではない。昨19日付のニューヨーク・タイムズはトップニュースで、パキスタン国境近くにいる民兵組織に装備を直接援助など3億5000万ドルを提供し、タリバンやアルカイダにあたらせると伝えた。

 多くの優秀な専門スタッフを抱えているはずのアメリカ、平和日本と同盟する友好国アメリカが、どうしてこういった過去の過ちに懲りず、いつも同じ轍を踏むのだろうか。どうしてもわからない。

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2007年11月19日 (月)

小兵力士・小沢

 大相撲九州場所も今日から折り返しである。政界場所を見ていると、どうも小沢民主党代表がベテラン小兵力士に見えてきた。大連立密談では、ナベツネ+福田大型力士に押し詰められて土俵を割ったように見えながら、結局は勇み足で小沢の勝ちになっている。大阪市長選がその現れか。

 強腕といわれるが、腕力ではなく突進型の突き押しで早い勝負をねらう。それでなければ、相手の懐に飛び込みいい位置のまわしをつかんだり、足をはらうといった小技を使って小兵の不利をカバーする。それが時として大型力士の弱点や意表をつく見事なきまり技になる。

 フジテレビ2001という番組はあまり見ないが、昨日は日頃露出のすくない小沢代表が出演し、次の2点のような発言があったらしい(MSN産経ニュースによる)。いずれも、自民党はもとより、民主党の政治家ですらめったに口にしない言葉だ。当然のことだがなぜか新鮮に感ずる。

①   「新テロ法案は『通してもらいたいけど、
    通らなくとも仕方ない』といった話もあっ
    た。(略)」

        --首相は新テロ法案成立に 「こだわっ
    ている」というが

    「連立が最優先で、そのためなら『仕方が
    ない』と言っていた。連立がなしになつた
    のだから『どっちだっていい』なんて言いっ
    こない」

②   「給油がなかったから日本は国際貢献し
    ていない、なんてとんでもない話だ。ブッ
    シュ米大統領のアフガン・イラク戦争は誤
    りだったと米国でさえ言われている。日米
    関係に影響はない」

 世界で当たり前のことを、どうして日本の政治家、マスコミが正面から言えないのか。政権担当能力云々を気にする民主党、その代表自身が密談のなかでズバリ言っているのだ。つまり、相手の懐に飛び込んで「まえみつ」をつかんだ感じである。ただし、大成して横綱になるには小兵の悲しさ、限界もありそうだ。

 しかし、こういった論議は国会でどんどん続けてほしい。最近緊迫しているパキスタン情勢について、毎日新聞(11/17)は、米国議会やマスコミなどが、かつて同国がイランのパーレビ国王に肩入れした失敗した経験から何も学んでいないなどという、対テロ戦争政策への批判の高まりをつぶさに伝えている。

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2007年11月17日 (土)

戦争とは 1

 フイリップ・ナイトリー著、芳地昌三訳『戦争報道の内幕』からの引用。

①第二次大戦後、アメリカの作家ジョン・スタインベックの自己反省。
     「われわれはすべて戦争努力の一環だっ
          た。われわれは戦争努力に協力した。しか
          しそれだけでなくそれをいっそう助長する努
         力もした。何事であれ真実は自動的に秘密
         で、それを軽率に扱うことは戦争努力を妨げ
         ることになるという考え方が徐々にわれわれ
        の心のなかに植えつけられた……われわれ
        は戦争の一部分しか書かなかったが、当時
        それが最善のことと誠実に信じていた……」

②著者によるベトナム戦争分析。
     戦争にうまく勝利するには、敵を非人間的
    に見ることを将兵が学ばなければならないこ
    とは、あらゆる政府が気付いている。これを
    達成する最も簡単な方法は、国家主義的ま
    たは人種差別的感情の一方、あるいはその
    両方を燃え上がらせることである。こうして、
    まず第二次世界大戦時に全国的規模で高
    まり、そして朝鮮で復活したアメリカの人種
    差別主義は、ベトナムで頂点に達した。

 本著は1975年、ベトナム解放軍がサイゴンに無血入城した年に完成しているので、著者は四半世紀後に、ベトナム同様あるいはそれ以上の破廉恥な戦争がくりかえされるとは、夢にも考えなかったに違いない。教訓は生かされなかったのだ。

 軍隊、国防分野の秘密主義や現場優先主義については、何ら改善されておらず、平和憲法を持つ日本でさえその悪弊に染まりつつある。②の人種差別や、民間人殺傷をともなう非人道主義は、建前として国家レベルで否定しても、現場では通用しない。

 殺さなければ殺されるのが戦場だ。途中の方法はどうあろうと勝利に最大の価値が求められるのが軍人である。そして、命をかけている軍隊にクレームをつけたり、軍人の名誉を傷つけることを言うと、留守家族などの猛反発を受ける。その危険を避けるため、報道は自制され、言論も封印される。

 戦争や軍事力行使に「正義」はない。他国にでかけていく戦争を排除しない限り、ベトナム、そしてイラクの愚行は今後もやむことがないだろう。

 (追記)「戦争とは」のシリーズは、カテゴリ(左帯)を新たに設けました。関連記事はそこでご覧ください。

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2007年11月16日 (金)

はこ物

 箱物(はこもの)とは、行政が設置する公共施設のうち、特に中身(住民の利用や運営に必要な専門スタッフなど)が追いつかない状態のものを揶揄的に表現した言葉。(ウィキペディア)

2007_11100003  写真は近くの市立博物館の階段下のスペースである。全国の博物館、美術館のポスターやチラシなどのコーナーで、ほかにも階段の途中などあらゆるスペースにあふれかえっており、ここに写っているのは全体の3分の1程度である。

 全国の市町村にはほとんどと言っていいほど郷土資料館とか歴史博物館といったができたようだ。このほかホール、記念館、レジャー施設など、最近は利用者がすくないのと維持経費がかかるので厄介者扱いにされているケースも少なくない。

 そういった施設担当者にとっては、利用者を一人でもふやすことが至上命令になっているのだろう。その現れがコーナーかも知れないが、ここでも費用対効果の実があがっているようには見えない。

 「はこ物」といっても、一概に不要な設備投資、税金の無駄遣いとはいえない。教育施設、文化施設として恒常的に地域に根付いている施設も少なくない。また、旅行者などにとって、その地域を手っ取り早く知る便宜も提供している。

 そういったニーズを的確につかんで、綿密に計画された「はこ物」なら失敗はない。建設投資を増やすためとか、根拠のない地域振興策の皮算用で多額の借金までして作るから廃墟同然の施設になってしまうのだ。

 最近、地方財政の逼迫により、役に立つ施設でありながら「はこ物」なるが故に要員を減らしたり、経費を削減する傾向が見られる。これは本末転倒で、地方の衰退を促進することになりかねない。活かすも殺すも人次第である。行政をもうけ仕事にさせてはいけない。

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2007年11月15日 (木)

守屋追求の限界

 15日は、午前の山田洋行社長・米津佳彦氏参考人質疑と午後の守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問が参院で行われた。ときどき居眠りをしながら、珍しく最後までTVにおつきあいした。山田洋行の元専務・宮崎元伸容疑者と宴席で同席した閣僚として、額賀財務相と久間元防衛相の名前が飛び出す場面もあったが、これが今国会の山場であって、これ以上の真相追求は、国会では無理なような気がした。

 もちろん、今後委員会討論などを通じて厳しい政府追及の手をゆるめないでほしいが、野党の方にも政権を追いつめて早々に首相問責決議に追い込む自信や気迫はないだろう。ここは、すでに逮捕者まで出している検察に真相解明をゆだね、国際貢献や自衛隊のありかたの本格的議論をはじめてほしい。

 前回、表現をかえたシンボリックな話題として「ガンダム」をエントリーしたが、憲法、日米安保、国際協力、そして自衛隊の今後などのことである。テロ特措法などのことは、国際関係、外交上配慮せざるを得ない面もあるので、とりあえずの決着をはかるのはやむを得ないところだろう。

 今、アメリカの世論でさえ過半数以上がイラク撤退などを支持している現状を考えても、上記のような課題について根本的な再検討を加える絶好のチャンスであるはずである。解散総選挙のかげにおびえ、党利党略のスキャンダル追求合戦に終始していては、日本の将来がない。大連立を組まなくても、このような取り組み方はできるのではないか。

 また今国会で結論が出なくても、議論の糸口がつくだけでもいいではないか。特に良識の府である参議院に期待したいところである。「無理」?。どこからかそんな声が聞こえてきた。しかし日本に真の平和をもたらすのか、憎悪と混乱の深淵に沈めるのかの分かれ道のような気がする。悲願をかなえてほしいものだ。

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2007年11月14日 (水)

ガンダム

 防衛省が人気アニメ「機動戦士ガンダム」の装備をモデルに、自衛隊員が陸上戦闘で装備する“未来”のシステムを研究しているという(毎日新聞)。ハイテクはいいが、新聞報道で見る感じではなんともグロテスクな感じだ。Photo

 「国際協力」「国連決議」「復興支援」「治安維持」「民生援助」などなどいろいろいうが、こんな格好で自衛隊が、たとえばアフガニスタンに派遣されたら現地人はどう思うだろう。現在、アフガンにしろイラクにしろ、正直、外国軍隊に来てもらいたくないのだ。

 もし、当該国の要請に基づいて自衛隊を派遣するなら、迷彩服などミリタリールックは一切やめて、派遣国の民衆や子供にも親しまれるよう明るくて目立つ、消防のレスキュー隊のようなものをデザイナーに研究してもらうべきだ。

 装備も、強盗に襲われない程度の最低限の防具か携帯用火器に限ることとし、車両は防弾仕様であっても戦車まがいのものは持たない、塗装もパトカーや国連車のように白基調にするとか、消防車のような目立つ色がいい。

 それで武装勢力に襲われ、犠牲者が出たとすれば、それは甘んじて受けなければならない。そのような紛争国へ自衛隊を派遣したのが、そもそも憲法の精神に反しているからである。命が惜しいから、血を流すのがいやだというのではない。すぐにでも撤退し、外交努力や問題解決の方策をさぐるべきである。

 これからも参院で国際協力論議が続く。その中で、どうしてこういう提案が政治家の中からでてこないのだろう。もっとも基本的なことだと、私は思うのだが。

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2007年11月13日 (火)

5W1H

 このタイトルは、本塾の前身「反戦老年委員会」で使ったものである。約800本のエントリーのうちなぜか検索ランキング第1位だった。そこで内容の大部分を採録(楽をしようとの魂胆?(^^ゞ)の上、加筆したものを本塾の教材として残しておくことにした。

 いつ(When)どこで(Where)だれが(Who)なにを(What)なぜ(Why)どんなに(How)――ニュースはこの6要素(5W1H)が原則として含まれる。
 この6要素のうちどれが一番重要性をもつかは個々のニュースによって違ってくるし、どんな記事にも6要素が含まれるというわけでもない。最大多数の読者の関心は何か、伝えるべき焦点は何かをまず判断することが大切である。

 以上のことは、手元にある共同通信社発行『記者ハンドブック』1981年版、「記事の書き方」という章の冒頭に書いてある。特に最初の4Wは欠くことのできないもので、読者もその要素を通じて記事の性格、信憑性、背景、展開などを理解する手がかりとした。

 たとえば「消息筋によると」という記事があれば、いつ、どこで、なにを、からWhoを想像するとか、外電の情報源によってニュースの信頼度を判断するなど、読者にとっても「記事の読み方」として、また情報を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で情報を解析・整理する上で大切な要素だった。

 それが最近では昔ほど厳密でなく、きちんと守られていないという。なぜなんだろう。個人情報の規制がからんでいるのか、一種の流行なのかわからないが、あまりほめた傾向ではない。受け手の方も、レトルト食品のように、どういう材料、てかずの加わったものかを吟味せず、「チン」しておいしくいただけるならそれでいい、というのでは明らかに退歩になるだろう。

 「一億総白痴化」というのは古びたことばだが、活字の退潮が「劇場型政治」や安易なポピュリズムに拍車をかけている原因のひとつになっているようなら、もう一度考え直してもらいたい要素だ。これは科学性を欠いた歴史認識や歴史の評価についてもいえることである。(以上、投稿日 2007-01-12)

 さて、今日の新聞をチラッと見ただけで、肝心の「When」が全くない記事を目にした。某金融会社が、新型ファンドを売り出すというものである。「知りたければその会社に照会しろ」という事かも知れないが、いつ発表したかも書いてないのだからニュースとしては失格だ。

 それはそうと、ニュースと会社の宣伝との境目が、最近はないに等しいのが気にかかる。もちろん、厳密な区分はしかねるだろうが、宣伝費に換算すれば数十万から数千万円を下らないこともある。しかし社会的、経済的に影響をもたらすような新商品の発売や書評などは、記事から抜くことができない。

 逆に最近の食品会社の表示詐称スキャンダルなどのキャンペーンで、有力競争会社が消滅するようなことがあれば、残った会社に億単位の利益をもたらすかも知れないのだ。何をどう記事にするかは、記者と新聞社の胸先三寸で決まる。まさに「無冠の帝王」といわれる所以である。

 そういったことからこの種の記事に、どうしてこれを取り上げるかの「Why」は、欠かさないようにしてほしいものだ。

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2007年11月12日 (月)

ナベツネ さん

 大読売グループの会長、読売巨人軍のオーナー、そして読売新聞の現役主筆である「ナベツネ」こと、渡邉恒雄さん。別名大連立の仕掛け人「さる人」。フィクサーのはずが、このところすっかりメディアに名を売ってしまった。

 また古い話で恐縮だが、それで思い出すのが、戦時中朝日新聞の主筆をしていた緒方竹虎さんである。フィクサー的な仕事に精出したことは同じであっても、なぜか全く違う印象を受ける。ご両人には会ったことがないが、一口で言えば緒方さんに感じるすがすがしさが、ナベツネさんには全くないのだ。

 ウイキペディアで見ると、祖父が幕末に大坂の「適塾」で緒方洪庵の教えを受け、塾頭となって緒方姓をもらったという。蘭学者として種痘を普及させ、大村益次郎、佐野常民、橋本左内、福沢諭吉などを輩出した適塾を、私は松下村塾などよりよほど高く評価している。

 また、本人は中学生時代に山岡鉄舟について、無刀流免許皆伝を受けている。鉄舟は武士道に生きた日本最後の武人と称されており、勝海舟の依頼を受けて、高輪藩邸における西郷隆盛との会談実現のため命がけで静岡へ往復したことで知られている。

 刀、禅、書をよくし、西郷隆盛をして「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、何分にも腑の抜けた人」と言わせた傑物が、緒方少年時代の師である。頭山満や中野正剛という本格的な右翼を通じての人脈も豊富で、朝日新聞入社後は主筆から副社長まで務めた。

 ナベツネと違う点は、本格的な政界裏面工作を展開するのは、新聞社を辞めてからである。中国・蒋介石政権と和平工作をはかった、昭和19年秋から20年はじめにかけての繆斌(みょうひん)工作は、情報局総裁としてタッチしたものであり、戦後のそれは衆議院議員になって、政治家としての活躍だった。

 前述した山岡鉄舟の「腑の抜けた」に対し、緒方は朝日新聞当時から「空気のような」と評されていた。かつて「朝・毎・読」と言われた発行部数が、「読・朝・毎」になって久しい。その拡販攻勢はなやかな頃、地方紙やブロック紙関係者から、仁義なき(えげつない)読売の物量作戦への苦情を聞かされた。2007_11120229

 読売が政権党・自民寄りであるのに対し、地方紙が反権力的なのは、広告収入に左右されない通信社経由の記事が多いこともあるかも知れないが、購読者を総ざらいするような読売の記事・論調への反感もある、と言えばうがちすぎになるだろうか。

 ナベツネの覆面工作からは、どうしてもある生臭さが抜けきれず、「天下国家」といっても、独善的で浅薄なものしか感じられないのだ。
 

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2007年11月10日 (土)

迷走する世界

 新聞から目が離せない。アメリカ一極支配の構図がくずれ、世界が迷走しつつある。テロ特措法をめぐる日本の政界の混乱・迷走もその一環と言えなくもない。このところ、めまぐるしく変動する外電をしっかりマークしておく必要がある。

 もはや、姿が見えてこない「テロとの戦い」や「テロの恐怖」そしてアメリカと同義語の「国際」貢献の話は聞き飽きた。日本の政治家が考えるより激しいスピードで世界は動いている。以下は今日の新聞記事(毎日)から拾ったものである。

パキスタン 「ブット元首相軟禁」←(朝刊)。「ブット氏軟禁解除」←(夕刊)
 事実上の戒厳令といわれる非常事態宣言下、ムシャラフ大統領がおそれる美人の政敵を自宅に軟禁した。自爆テロなどの攻撃からブット氏を保護する、ということを名目にしている。しかし同時に支持者が1000人も逮捕されているので、反政府デモをおそれてのことであることは明白だ。

 ところがその日の夜になって、軟禁が解除された。アメリカの圧力に応じたものだという。インフレや失業などで国民から見放されているムシャラフに対し、ブットの人気でなんとか政権のてこ入れをはかりたいアメリカ。もちろんムシャラフの独裁体制は、民主主義に反するという建前もある。

 アメリカにはジレンマがある。ブットのねらいは民衆の支持をバックに政権の座にすわることだ。それで国内の混乱が長びくようなことがあれば、アメリカのアフガン戦略に決定的な打撃を与える。その点、内心は混乱がおさまれば独裁者ムシャラフに居座ってもらう方がいい、という気もあるだろう。手がつけられなくなる寸前でくい止める、という寸法だ。

アフガン 地方に広がるタリバン登用
 ウサマビンラディンをかくまったとして追放されたはずの、旧支配勢力タリバンのメンバーが、アフガニスタン北西部の二つの州政府に、それぞれ100人ずつ計210人ほど採用された。中には行政区長までいるという。

 アメリカにとっては不倶戴天の敵であるはずのタリバンではあるが、アフガン政権としても、その行政能力や規律の高さ、市民の人気と支持をみて活用せざるをえなくなったのだろう。とはいうものの、アメリカの支援をあてにしなくては治安の維持もできない。

 その支援による武器や新規採用の要員が、反政府の武装組織や麻薬密売組織に流れてしまうようでは、アメリカは6年前にアフガンに攻め込んで、多くの国を巻き込み、多くの犠牲と費用を費やしたのは一体なんだったんだろうということになる。

ビルマ スーチーさん、対話に意欲
 アウンサンスーチーさんは8日、「政府(軍事政権)との協力の用意」があるとの声明を発表した。9月下旬の僧侶デモ弾圧以後2度にわたってビルマを訪問し、政府とスーチーさんの対話を取り持った国連のガンバリ特使の「ガンバリ」が効をそうしたのだろう。この方は4年半ぶりの快挙だ。

 当塾は、制裁強化一本槍の欧米に対し、内政不干渉を唱える中国の肩を持つような意見を書いたことがあるが、独裁政権も民衆を把握しきれないとみれば、いずれは話し合いの糸口をさぐらざるを得なくなる。

 それにしても、日本の「さる人」とガンバリさんの違い、「国民民主同盟」(NLD)にしっかり支えられ4年半もその日を待ったスーチーさんと「プッツン切れた」り「恥をさらして」の代表者の違いではお恥ずかしい次第だが、「大連立」でもいいから、世界が拍手するような対話の結論をだしてもらいたいものだ。

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2007年11月 9日 (金)

天智天皇

 前々回、天智天皇がなぜか「紀元は2600年」の昭和16年、近江神宮に祀られた、という話をした。それなら、靖国神社に昭和天皇を祀るというのも「あり」ではないかとしたら、いいアイディアだ、「目からうろこ」という予想外のコメントもいただいた。

 それと関係があるわけではないが、今上天皇は、歴代天皇のうち天智天皇を尊敬されている、という噂をもれうけたまわったような気がする。それがどの点であるのかは定かでないが、まさか、朝鮮・白村江で唐・新羅連合軍に惨敗し、国政建て直しに苦労した点を昭和天皇になぞらえたわけではあるまい。

 やはり、正史が説くように、乙巳の変というクーデターで蘇我家専横から天皇親政をとりもどし、大化改新の基礎を築いたという点や、漏刻という大仕掛けの時計を作るなど、科学者としての素質にひかれたのではないかと思う。

 また、この天皇は『日本書紀』に幼少時から臨終直前まで記述があるにもかかわらず、なぞとされる点が多い。上にあげた乙巳の変の蘇我入鹿謀殺にはじまり、孝徳天皇への皇位禅譲、古人、有間両皇子の殺害、孝徳から皇后であり妹である間人を連れての難波脱走、朝鮮出兵や、後継者指名についてのなぞなど、史家や研究者にとってかっこうの題材を提供している。

 その最たるものが、弟、大海人(後の天武天皇)が、実は父親を異にする年上の兄だとか、皇太子大友や蘇我赤兄など政権中枢が、瀕死の枕元で後継者擁護の誓詞を交わしたはずなのに、馬で山階に出かけてそのまま帰らず、靴がのこっていた所を陵墓とした、などという異伝である。

 いずれも数百年たった中世の書物によるものだが、そういったたぐいは「なぞはなぞ」として頭の片隅におけばいい。沖縄の教科書検定事件ではないが、ある一事をもって金科玉条となし、それこそが真理だとばかり、他の合理的状況を一切無視してしまうのが歴史修正主義である。

 ある事柄ひとつで、歴史が動くのではなく、大きな歴史の動きの中で、そのある事柄がどういふ役割、位置づけになるのかを考えてみる、そういった意味で、聖徳太子と中大兄皇子(天智)の時代は、外交問題もからむ最も興味深い時代ではある。

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2007年11月 8日 (木)

小沢再登板

 今回の首相・小沢会談、大連立、小沢辞表そして慰留復活、一連の動きに対して当ブログは距離を置いてきた。それは、ことの内容や真相がさっぱりわからなかったことによる。憶測を書いてみたところで簡単にくつがえる事実がでてくれば、洒落にもならない。

 まだ不明な点はたくさんあるが、昨日7日夕の小沢記者会見である程度の小沢氏の主張はわかった。そこから当塾の考え方を整理してみると次のようなことになる。

① 小沢氏への信頼度は、期待もこめて65点ぐらいであったが、落第点の40点程度になった。
② その理由は、ナベツネに呼びつけられ、怪しげ(天下国家などという時が一番危ない)な口車に簡単に乗ったこと。党首の立場を忘れ、連立というあめ玉にすくなくとも関心を示したこと。またもや策士策におぼれてしまったこと。の3つである。
③ それでも、再登板でほっとしているのは、ほかに有効な今すぐ役に立つ選択肢がなく、自民が一番手強い、と感ずる陣容が維持されること。また、小泉、安倍シフトにブレーキがかけられることもあげられる。

 次に昨日の議員総会の姿勢(総決起大会の感あり)は、それはそれでいいとして、今後の民主党に、特に憲法解釈を明確にするよう要望しておきたい。

① 党内ですくなくとも福田・小沢会談なみの徹底的な腹を割った議論をしてほしい。社会党、さきがけ、民社など出身政党のイデオロギー(東西対決当時のような)を捨てること。いま世界にそんな基準で国策を決めている国はもはやない。

② 安全保障、国際協力に関する小沢ドクトリン、特に国連優先主義は国内はもとより党内でもコナレテいない(自己流の解釈で満足している)。当塾では、国連決議が大国の干渉により解釈に幅ができ、決して自衛隊派遣の錦の御旗にはなり得ないことをたびたび指摘してきた。これを党是として掲げるのであれば、細部をより明らかにし、国民の信を問うべきだ。

③ 当塾では、前身の「反戦老年委員会」当時から、安保条約の再検討やその後の諸協定、憲法解釈の洗い直しを主張してきたが、その点にも改めて踏み込んでほしい。

 

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2007年11月 7日 (水)

靖国神社を平和神宮へ

 神宮と名の付く神社は、非常に古いいわれを持つ神社か、天皇を祀った神社に限られる。その天皇といっても、歴史上存在が確かな天皇の神宮となるとそう多くない。近代になってからの新しくできた明治神宮は、遷座の場所の良さと外苑などを含めた広さなどからもっともなじみある神社だ。

 昭和16年、すなわち皇紀2600年に新しい神宮が3社誕生した。崇徳天皇と淳仁天皇を祀った京都の白峰神宮、天智天皇を祀った大津の近江神宮、それに安徳天皇を祀った下関の赤間神宮である。なぜか、天智天皇を除いてすべて非業の死を遂げた天皇だ。

 天智天皇も、直系の唯一の皇太子大友が天智の弟で後に天武天皇となる大海人と戦争になり、大友が負けて自殺を遂げた。説によっては遺志を弟に踏みにじられ、怨念を残した天皇にかぞえられることもある。

 国威発揚、戦意高揚のキャンペーンが華々しく行われた年にどうしてこういった神宮ができたのか、よくわからないが、もともとは恐るべき神、害をなす神の御霊の鎮魂することが神社古来の本旨だとすると、明治神宮のように顕彰ではなく、災いを避けるための「お札」のような役割を担って生まれたのかも知れない。

 靖国神社は、去年までの騒ぎをよそにすっかり静かになったが、考えてみると昭和天皇はいろんな意味で神宮に祀られてもいい天皇のような気がしてきた。それも新築するのではなく、靖国神社を平和神宮と名を変えて祭神に加え、その性格も他の神宮と同じようにすればいい。

 せっかく「昭和の日」もできたことだし、国民が昭和と戦争を振り返り永遠の平和を祈る神社にすれば英霊も遺族もやすらぐことができるだろう。また、A級戦犯問題や海外の批判も霧散するにちがいない。靖国で苦労した福田さん、いかがでしょう。

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2007年11月 6日 (火)

日本、クラスター禁止に変身?

 地雷と同じ非人道兵器、クラスター爆弾禁止条約に消極的だった日本政府が、規制反対の中・露を説得する側に回るという。これは、小沢民主党代表がやめるやめないより大ニュースだ。毎日新聞の報道を要約すると次のような内容になる。

 7日からジュネーブで始まる「特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)」締結国会議で、日本は同爆弾の規制条約づくりに向けて、中国やロシアなど交渉入りに難色を示す国々を2国間協議などにより、説得に当たるという。

 当ブログの前身である「反戦老年委員会」の記事で、過去一年間の「クラスター爆弾」を検索して見たところ、月別ファイルだけで8本ヒットした。全部は見切れないがそのさわりだけご紹介する。

☆1996年の国連人権委員会の決議で、生物・化学兵器のほか大量破壊兵器・無差別殺傷兵器として、劣化ウラン弾、燃料気化爆弾、クラスター爆弾などを指定した。
☆2003年4月17日、防衛庁は1987年度から16年間、数千発148億円分の同爆弾を購入・配備したことを明らかにする。
☆これについて、当時の福田康夫官房長官は「専守防衛に必要であれば、廃棄の必要がない」といい、石破防衛庁長官も「敵の着上陸侵攻に際して侵攻部隊の陣地、戦車等車両の集積所を攻撃し、侵略を阻止するのに有効」と表明。

☆2007年1月6日記事。来月オスロで、同爆弾禁止条約に関する国際条約が開かれ、北欧諸国を中心に25カ国が集まる。ドイツは昨年6月、当面使用を中止(NATO軍として使ったことがある)、10年以内に全廃を検討する意向だが、日本は消極的なため招待もされていない。
☆2月24日記事。23日のオスロ会議の5日前、日本は突如参加を決めた。しかし、参加49カ国中、このオスロ宣言を指示しなかったのは、アメリカの目が気になるポーランド、ルーマニアと日本だけだった。アメリカ、ロシア、中国、イスラエル、インドは最初から参加していない。

☆3月22日記事。英国政府が方針を大きく変え、主要国として初めて同爆弾の一部禁止に踏み出した。該当する爆弾はもともと米国製でライセンス生産されているものだから、米英間ですでに交渉が持たれ、ある了解に達しているのではないかとの憶測あり。
☆5月26日記事。オスロ会議に続き、ペルーのリマで「クラスター爆弾禁止会議」が開かれた。日本の代表団は「同盟国との作戦に於ける相互運用性に与える影響を考慮すべきだ」と主張、日米同盟のしばりをはっきり表に出した。反対にカナダは保守政権ながら全面禁止に大きく舵をきった。

☆小渕外相(当時)は、アメリカの思惑にかかわらず、「対人地雷禁止条約」に賛成することを決断した。なりふりかまわずアメリカのポチとなった小泉政権、その後を継いだ戦前回帰の傾向がある安倍政権、国内で使用すると国民に被害が及ぶことは避けられない、使わないで地域が占領されるよりは何万倍もまし(田母神俊雄・航空幕僚長)とまで開き直った。

 それが安倍内閣の崩壊、そして民主党のがんばりで、福田、石破コンビも前言をひるがえして軍縮の先頭に立つ大変身。これが大ニュースでなくて何を大ニュースというべきか。「専門家会合では交渉開始の合意には至らなかったが、米国が従来の慎重姿勢を転換し支持に回るなど、交渉入りへの機運が高まっていた」(毎日新聞11/6)。

 ウ~ン。やっぱりこれか。がっかり。大ニュース取り消し、いいニュースに格下げします。

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2007年11月 4日 (日)

小沢代表が辞表

 民主党小沢代表は、4日午後4時記者会見を開き、代表の辞表を執行部に提出したと発表した。党内の賛成が得られないだろうことは、部外者でも容易に想像がついたのに、なぜか、大連立という最も強い爆薬を抱いて自爆したように見える。安倍首相の辞意表明とともに政界7不思議のひとつになりそうだ。

 後継者が決まるまで解散総選挙はないだろうが、テロ特措法の扱い方によっては短期決戦に打って出るかも知れない。その場合、民主党がよほど一致団結しないと、政界再編の嵐をまともに受け、大連立をしたのと同じ結果を生む。

 「一寸先は闇」の政界の話はおくとして、パキスタンのムシャラフ大統領が、実質的な戒厳令を宣告したと報道された。当面する敵は国内のイスラム武装組織と最高裁だという。つまり、すべての国家権力を軍部に集中する「内戦宣言」だ。

 パキスタンは、自衛隊給油所の最大のお客さんだった。洋上給油を中断していてよかった。もし、内戦をはじめた国、しかもアメリカもイギリスも戒厳令を非難しているような国の軍艦に、どういって給油を断るのだろう。無償給油の法的根拠はどうなるのだろう。

 あるいは、求められれば惰性で給油するのだろうか。軍艦を動かすのは戒厳令司令部、でなければ反乱軍である。こういった場合、日本の「文民」がよほどしっかりとした指揮命令を下さなければならない。防衛省内部の乱脈処理やねじれ現象の政争で、それどころではない、ではすまされないのだ。

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2007年11月 3日 (土)

福田流「新体制」?

 福田首相と小沢民主党代表の密室会談からでた「大連立構想」は、あっさり民主党幹部からけとばされた。両首脳の発言の中身とか真相は、いろいろな憶測はあるが当分は藪の中だろう。もっとも「政治は一寸先が闇」のたとえで、安倍首相の放り出し辞職ではないが、何が起こるかわからない。

 その中でちょっと気になったのが、福田首相が「連立」とはいわず、記者の前で盛んに「新体制」という言葉を連発したことである。「新体制」の語感は、われわれにとって太平洋戦争の前年、近衛文麿が言い出した挙国体制を想起させる。

 福田首相は、多分そんなことは意識していないだろう。「一寸先は闇」だから半分お遊びで近衛流「新体制」と比較をしてみよう。まず、首相就任のいきさつ。近衛は2.26事件の後、天皇から組閣の大命を受けていながら健康上の理由をあげてこれを固辞する。

 その2代あと、不人気であった林銑十郎首相は、誰も予想しなかった国会会期末日に国会を解散する。これを「食い逃げ解散」という。その理由はただ首相をやめたかっただけのようだ。こうして昭和12年6月に再び請われて首相に就任したのが近衛である。この点は似たところもある。

 「新体制」は、昭和15年第2次近衛内閣発足直前の記者会見で出た言葉である。軍部の専横はますます強まり、それに取り入ろうとする政党人や離合集散の絶えない政党の無力化、そういった機能喪失ぎみの政治を、挙国一致の「新体制」で乗り切ろうということだ。また、中国戦線の拡大硬直化をどう打開するかという問題もかかえていた。

 「新体制」には仕掛け人というかブレーンがいた。昭和研究会といい、後藤隆之助、蝋山政道、有馬頼寧をはじめ新聞記者、官僚やスパイ・ゾルゲ事件で有名な尾崎秀実までいた。それにくらべて、福田流が中曽根康弘、森喜朗、渡辺恒雄、中川秀直であったとすれば、生彩にかけることおびただしい。

 鳩山民主党幹事長が「これでは大政翼賛会になる」と力んでいたが、昭和15年10月に発足した同会には、当初、軍部・元老・政府の手に独占されていた基本的な国策決定の権利を国民の場にとりもどす、という考えも存在した。しかし福田流「新体制」にはその構えもない。

 すべての点で、福田流「新体制」は近衛流よりグレードが低い。「新体制」というほどの中身もなく政治の水準が当時より高いとはどうしても思えない。いずれにしろ、それから滔々として戦争に突っ込んでいった過去の歴史だけは、繰り返さないようにしてほしい。「新体制」には反対である。

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2007年11月 2日 (金)

恒久法は危険だ

 福田首相と小沢民主党代表の会談実現により、自衛隊の海外派遣を規定する「国際平和協力法」といった、時限立法ではない恒久立法を、両党で検討立案するという動きが出始めた。これは、国際平和活動のあり方について、各国の考え方がこのところ流動的であるということと、国内の議論が成熟していないということから、現時点での法制化は反対である。

 私はかねてから、憲法9条(第2章)はそのまま温存し、自衛隊による拡張解釈(解釈改憲)をふせぐため、章をあらためて自衛隊の役割と任務を定める改憲を主張していた。その限りにおいては、自衛隊が海外で国際貢献をする場合の歯止めとなるルールをしっかり決めておくことに反対の理由がない。

 ただ、自民党の頭の中には、小泉政権下の昨年8月30日に起草した「国際平和協力法案」というベースがある。これは、有事法制3法案にはじまり、自衛隊法改正案、防衛省設置法案とつなげてきた、自民党の憲法9条の改正案、つまり戦争のできる軍隊を公認しようという構想の一里塚をなすものである。

 安倍前首相は、官房長官時代からこの路線をひた走ってきた。それが参院選でストップがかかり、公明党の抵抗もあるのでもと通りにはいかないだろうが、民主党内には小沢流の国連信奉主義や自民党以上の軍国主義者もいることから、油断ができない。

 両党が総選挙も視野に入れて、テロ特措法の落としどころにこの法案を考えているとすれば、物のはずみで共同提案されないとも限らない。つまり究極の「解釈改憲法案」だ。この動きはアメリカにとって洋上給油に代えられない贈り物となるだろう。

 わが国の真の国際貢献、つまり宗教対立や民族対立などの地域紛争解消への寄与、社会基盤、医療、環境問題に関する支援、核を含む軍縮、武器輸出の制限などに効果ある貢献をするのか、軍事力行使優先・拡大に寄与するのかを国民が選ばなくてはならない局面にさしかかている。

 この法案は3分の2ではなく、過半数で決められてしまう。よほど腰を据えてこの法案の行方を監視しないととり返しのつかないことになりかねない。安倍退陣を機に「反戦老年委員会」を解散した当ブログだが、ここて改めて警鐘をならしたい。

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2007年11月 1日 (木)

国民戦闘組織

 下記の資料は、昭和20年(1945)4月13日の閣議決定。
(注)4月1日 沖縄本島に米軍上陸開始。戦闘用艦艇318隻・補助艦艇1139隻・参加兵力約50万人・上陸兵力18万3000人。
6月23日 沖縄の日本軍全滅。軍人軍属の死者約12万人・一般県民の死者約17万人。
 下記資料にある年齢は「かぞえ歳」で、満年齢なら1~2歳引かなければならない。ほかに本塾からのコメントなし。

資料(『日本現代史15』大月書店)

  情勢急迫セル場合ニ応ズル国民戦闘組織
  ニ関スル件閣議決定

一億皆兵ニ徹シ其ノ総力ヲ結集シテ敵撃滅ニ邁進スル為情勢急迫セル場合国民義勇隊ハ左ニ準拠シテ之ヲ戦闘組織ニ移転セシム

一、情勢急迫セバ戦争トナルベキ地域ノ国民義勇隊ハ軍ノ指揮下ニ入リ夫々郷土ヲ核心トシ防衛、戦闘等ニ任ズル戦闘隊(仮称)ニ移転スルモノトシ之ガ発動ハ軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ命令ニ依ル右ノ為兵役法ニ規定スル者以外ノ帝国臣民(概ネ年齢十五歳以上五十五歳以下ノ男子及年齢十七歳以上四十歳以下の女子ト予定シ学齢以下ノ子女ヲ有スル母親等不適格者ヲ除ク)モ新タナル兵役義務ニ依リ「兵」トシテ動員シ統帥権下ニ服役セシメ得ル如ク必要ナル法的措置ヲ構ズ

二、戦闘隊組織ト国民義勇隊組織トハ表裏一体タルモノトス
地方長官ハ軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ指示スル所ニ基キ義勇隊組織ニ付戦闘隊移転ヘノ準備態勢ヲ整備スルモノトシ右軍事訓練、軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ担任トス

備考
(一)在郷軍人防衛隊ハ之ヲ発展解消スルモ在郷軍人ハ戦闘隊訓練指導ニ当ラシムルモノトス
(二)国民義勇隊ノ幹部タル在郷軍人ノ一部ハ戦闘隊トナリタル場合ニ於テモ軍ニ於テ個別ニ招集スルコトナク依然戦闘隊幹部トシテ残ス如ク別途措置スルモノトスル
(三)国民義勇隊中戦闘組織ニ編入セラレザル者ノ本場合ニ於ケル組織等ニ付テハ各地方長官ニ於テ別途定ムルモノトスル

 

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