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2007年10月19日 (金)

内灘(その1)

 「ウチナダ」といってもピンとくる人はそれほどいなくなったのではないか。金沢市の西、日本海に面した人口2万7000人ほどの開けた町である。1952年(昭和27)、当時は砂浜の多い1000戸あまりの漁村だったが、ここで全国をゆるがす事件が起きた。以下長くて恐縮だが『日本現近代史小辞典』(角川書店)より引用する(緑色)。

 内灘事件 一九五二-五三年(昭和二七-二八)における基地反対闘争。五二年七月、日米合同委員会は現石川県河北郡内灘町の砂丘をアメリカ軍試射場として接収することを決めたが、地元民はこれに反対、石川県も反対決議を行ない、しだいに労働組合・学生・知識人などの支援により全国的関心を集めた。漁民特にその主婦たちが先頭に立ち、着弾地付近の「権現の森」に座り込み、「金は一年、土地は万代」のスローガンを掲げて闘った。これに対し政府は警官隊を出動させて、村民のすわりり込み、支援のデモ隊の抵抗を排除して接収を強行した。闘争は不成功に終わったが、戦後最大の基地反対闘争であり、その後の基地闘争の契機となった。なお同試射場は、五七年三月アメリカ地上軍の撤退に際して返還された。

Photo  このテーマをとりあげるきっかけとなったのは、このブログの前身「反戦老年委員会」に、本年5月2日付でエントリーした記事「青年歌集」にある。それは、当時燎原の火のようにひろがった「うたごえ運動」や「うたごえ喫茶」などでの聖典であった「青年歌集」を紹介したものだ。

 拙宅の本棚の奥にかくれていた同歌集は、使い込んでもいないのにセピア色に変色した紙はぽろぽろ、ホチキスは防錆がなく原型をとどめていないという哀れさ。捨てるのもしのびないので、第1集から第4集までの代表的な歌曲名を書き込んでおいたものだ。

 その中に、「内灘かぞえ歌」というのがあった。それを内灘の高校の先生が検索でたずねあてられ、メールをいただいたのである。(以下次回) 

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 風邪を引いていて頭が痛いので、夕食後、寝室で布団に横になりつつ携帯電話からミク [続きを読む]

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昨日(2007年10月18日)の記事 :『驚愕! 防衛省からの返信 −「駆け付け警護」発言について−』http://tokidokilogos.blog109.fc2.com/blog-entry-53.html にてお知らせいたしました、佐藤正久氏の「駆け付け警護」発言についての... [続きを読む]

受信: 2007年10月20日 (土) 00時48分

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