小沢主義の変遷
5日前のエントリー「小沢原理主義」で、小沢さんは15年前と変わっていない、といいました。ところが文献をよく見ると、国連信奉の精神は同じでも、中身が微妙に変わってきているのです。
たとえば下の文献1では、国連憲章43条にスポットを当てていますが、この条文は国連への兵力提供などのための特別協定手続きを定めたもので、国連軍への参加に言及したものです。この提言は、社共の反対はもとより、自、民内も賛否両論で、「勇み足」提言とも評されていました(奥宮正武『PKOと憲法』PHP、下の引用も同じ)。
文献2は、昨年民主党代表として書かれたもので、『日本改造計画』以来13年ぶりの意志表明です。ここでは、さすがに国連軍を非現実的なものとしていますが、彼がいう国連「御親兵説」も、ひとりよがりの絵に描いた餅、以上ではないと思います。
文献3は、『世界』11月号(文献4)でも言及(2カ月余の党内議論の末決定)している同党の既定方針だといいますが、文献1または文献2の延長線上にあるものだと思っていました。だから、同党の菅さんは「原理主義」だといい、野田さんや前原さんも別の立場から賛成できないでいるのではないでしょうか。
文献4は、具体的に現実に存在し、犠牲者の増大などから参加各国がその活動に疑問を持ち始めているISAFへの参加に踏みこんだ問題発言で、これまでの各発言とは違った波紋を各方面に投げかけました。これにより自民党首脳陣が憲法擁護発言をするようになったことが、怪我の功名かも知れません。
その論理が独善的で普遍性をもたないのは、党内はもとより国民に対する説明もしてないことによるものです。私が出した個人的な質問を無視してもいいです。しかし、これから議会で審議中の「テロ対策特措法」にも関連する参院第一党の代表の真意が明らかにならないというのは、政権交代の意図を捨てたと見られても仕方がないのではないでしょうか。
【文献1】1992年(平成4)「国際社会における日本の役割に関する特別委員会」(通称小沢調査会)による「安全保障に関する日本の果たすべき役割」
①日本が協力しやすいのは、武器輸出の厳格な管理と武器製造の抑制であり、まず日本自身が武器輸出の原則的禁止を貫くとともに、他の武器輸出国にも呼びかけるべきである。
②1日も早く自衛隊を含めて平和維持活動に参加できるよう準備を整えなければならない。
③国連におけるわが国の地位の強化と国連自身の体制強化をはかるべきである。
④国連軍に対して、積極的な助力さらには参加を検討する必要がある。憲法全文の精神を実現させるために、国連憲章第43条の既定を誠実に履行する必要があるからである。現在の政府の憲法第9条の解釈においては、自衛以外の実力行使、集団的自衛権に基づく実力行使は認められていない。しかし、集団的自衛権とは別概念、すなわち国連が国際社会の平和秩序の維持のために、実力行使を含めた措置を担当する集団的安全保障(国際的安全保障)という概念に従えば、憲法第9条に関して新たな解釈を行うことにより、国連軍への参加は可能と考える。また、多国籍軍に対して、どのような協力を行うかも検討しておかなければならない。
【文献2】2006年9月5日、小沢一郎著『小沢主義』
(前略)今の国連には残念ながら、平和のための実力行使を行う自前の警察力、軍事力がない。現在の国連の枠組みでは、国連が平和活動を行うときには各国からの軍隊がそれに参加することになっているわけだが、それではしょせん「借り物」にすぎない。
国連が本当の機能を果たすためには、やはり常設の警察軍を自前で持つのが理想である。
しかし、国連がみずから独自の警察軍を創設することは、今の世界情勢ではほぼ絶望的であろう。
そこで僕がかねてから理想として提唱しているのが、日本が世界に先駆けて、国連にその力を提供するということである。
(中略)といっても、現在の自衛隊をそのまま国連に差し出すのは内外から誤解を受ける恐れがある。だから自衛隊とはまったく別に国連専用の組織を編成し、これを提供するわけである。もちろん、その場合、その部隊は国連事務総長の指揮下に入る。(中略)自衛隊はあくまでも国家防衛に専念する、専守防衛の兵力としておけば、そうした摩擦はなくせる。
【文献3】2006年12月【民主党政権政策の基本方針抜粋】
7.自衛権の行使は専守防衛に限定
日本国憲法の理念に基づき、日本及び世界の平和を確保するために積極的な役割を果たす。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論の経緯に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条に則り、行使する。それ以外では武力を行使しない。
8.国連平和活動への積極参加
国連は二度に亘る大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければならない。
国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。
【文献4】「今こそ国際安全保障の原則確率を」『世界』11月号
(前略)私がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)への参加の可能性を示唆していると書いていますが、私の主張はそんなあいまいな話ではありません。国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しないと言っているのです。もちろん、具体的にどんな分野にどんな形でどれだけ参加するかは、その時の政府が政治判断をして決めることです。
(中略)もちろん、今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。
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コメント
興味深いエントリーですね。ましまさん。
ベルリンの壁崩壊やソ連の分解前後、つまり東西冷戦の終結の頃、唯一の超大国として、アメリカが国連等国際機関をも足枷なしに『指揮』して、米国の利害と一致させうるかのように湾岸戦争でフセイン潰しに行き掛けたけど、国内の批判[ブッシュ父、再選果たせずで頓挫]。ユーゴ内戦で、EUはアメリカの力無しには、欧州を統治できないことを『痛感』し、ソマリアPKOでは、そのアメリカが国連的な軍事介入の『無益さ』に気付き、これまた『頓挫』。98年には、インドの核実験再開も止められず、米国も国連も無力感、漂う。
9・11以降、アメリカの独善的な軍事偏重に歯止めかけられない苛立ちが、各国で米国批判を高めつつも、『お付き合い』せざるをえないという諦めも漂う。
これらに加えて[伴う?]ドル赤字垂れ流し『余剰資金=投資ファンド]による開発[破壊?]驀進による、各国の伝統的な産業構造の『致命的な激震』が、マスマス『不安定化』[過激なナショナリズムや原理主義信仰]を促進しているんでしょう。
こういった歴史に小沢氏の主張の90年代以降の変遷(のみならず日本の対米軍事協力の深化)が、どう影響されているか?
じっくり調べンと、あきませんね。
投稿: 三介 | 2007年10月16日 (火) 17時56分
三介 さま
そうなんです。「反戦」ブログなんで、知識もないのにあまり手をひろげないようにしていましたが、最近は戦争→環境破壊→貧困化・格差激増→緊張拡大→資源価格暴騰→戦争といったサークルが気になり出しました。どこかでこれを断ち切らなくてはなりませんね。
えらいこっちゃ。
投稿: ましま | 2007年10月16日 (火) 19時50分
先般 政治評論家森田実さんの新書読んでみました。角川書店の新刊だったか。で。小沢さんの歩みに納得しました。まず少しは 改憲から遠ざかった。と思う私です。まあ5・6年は大丈夫と勝手に思いました。それには
まず、衆議院選挙で勝ち、まず政権交代を戦後60年で全うに5年か10年は続けて頂くしかありません。と言う思いです。パソ再び故障にて。ネットカフェにて。それにしても
全面改装のブログすばらしい。なああ。では
また。
投稿: 鴨之嘴2 | 2007年10月21日 (日) 19時07分
かも さま
改装開店、何の意味があったのか、反省の記事を書こうと思っていたところなので、元気がでました。
PC故障---残念。早い復活を願っています。
投稿: ましま | 2007年10月22日 (月) 12時54分