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2007年10月

2007年10月31日 (水)

なにが憲法違反か

 地元の「9条の会」の活動記録の中に、「洋上給油がどうして憲法違反なのか」ということをわかりやすく説明しにくい、という活動家の声がありました。そこで当塾なりの答えをして見ました。ずばりいえば戦争や武力行使を目的として、自衛隊が海外に行くことはすべて憲法違反です。

 アメリカのアフガン侵攻は明らかに武力行使です。従ってこの目的で活動する艦船に給油することは疑問がありますが、後方支援(間接的なお手伝い)ならばいいという解釈がありました。また、日米同盟があるのだから、9.11のテロに対する自衛権発動でアフガン攻撃をはじめたアメリカに、この程度のお手伝いをするのは当然だという発想もあります。

 ここで問題が3つあります。最初は、アメリカの侵攻が国連決議を経ていないことです。国連はあらゆる武力行使を禁止しています。唯一の例外として、緊急事態がおきて国連による問題解決まで待てない場合、その間の自衛のための武力行使は認めています。しかしこれはもう賞味期間切れですね。

 2番目は、日本がアメリカに手伝う根拠です。日米同盟は軍事同盟ですから一方の自衛にもう一方も協力する、これを「集団的自衛権」といい国連憲章でも認めています。しかし日本政府は、権利そのものはあっても、憲法上それを行使することはできない、という立場をとってきました。

 安倍前首相は、これを緩和変更しようとして準備しましたが、内閣が変わって立ち消えになりました。しかし、憲法改正をせずにいわゆる解釈改憲で他国並みの軍隊に仕立てようという勢力は、まだまだ健在です。

 最後は「後方支援」です。洋上給油などの場合、これが戦争協力に当たらないとする解釈は相当無理があるようです。いわば弾運びをしているのとあまり変わらないということです。アメリカの敵から見て「日本も敵だ」と思われるようなら、明らかに戦争に参加していることになるでしょう。

 以上が民主党などがいう違憲性ですが、国連はその後もいろいろな決議をだしており、その決議も国によって微妙に解釈が違うとか、必ずしも忠実に守られていないとか、なかなか一筋縄ではいかない面がたくさんあります。

 また、小沢民主党代表がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)への参加ならいい、といっていますが、自民党からは「それこそもっとひどい憲法違反」という声がでるなど、政治家の議論も混乱気味です。しかし、今こそ地についた本格的な議論をしてほしいですね。

 今回はこれ以上深く立ち入ることはしませんが、その国の人にたとえ一部でも他国軍の進駐を好まず、重装備がなければいけないような所に自衛隊は行くべきではないと思います。それが日本国憲法だと思います。本当の国際貢献は、紛争が起きないようにすること、紛争の解決に協力することで、武力行使に協力することではないはずです。 
 

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2007年10月30日 (火)

疑獄

 事情が複雑ではっきりしない裁判事件、政府高官がかかわる大型贈収賄事件などを「疑獄」というらしい。守屋武昌前防衛省事務次官の証人喚問が昨日行われたが、これが「疑獄」になるのか、単なる官業癒着、綱紀粛正で終わるのか、昨日の段階では明瞭を欠く。

 質問者の切り込みも、予想通り緊迫感のないもので、守屋証人はさぞかしほっとしたことだろう。また、証人はあらかじめこれを見こしていたのか、ときどき余裕ある表情さえ浮かべていた。接待を受けることに何ら罪悪感を感じない、こういう人種はまれにだが存在するものだ。

 どちらに転ぶにしろ、この問題を等閑視するわけにはいかない。なぜならば、憲法66条にうたわれているいわゆる「文民統制」が今後厳格に扱われるか、単なるおまじないに過ぎないものになるかの分かれ目になるからだ。この際、明治以降軍部のからんだ疑獄2件を見ておこう。

山城屋事件
 廃藩置県が成功し、国家としての兵制が整いつつあった明治5年、陸軍卿(大臣)山縣有朋に早くも不正汚職の疑惑がかかった。かつて長州奇兵隊で山縣の部下であり、その後兵部省御用商人になった山城屋和助という男との関係だ。

2007_10300004_3    男は軍隊創設にあたり多大な利益を上げたが、生糸相場に手を出して失敗した。その穴埋めに兵部省から無担保で65万円を借り出すことに成功、その金でパリへ視察旅行に行った。現地で派手な遊興にふける日本人に不審をいだいた外務省の官吏が調べたところ、金の出所が陸軍であることがわかった。(上図:山城屋の切腹『日本の歴史』中央文庫より)

 そこから司直の手が伸び、山城屋は急遽帰国したが、陸軍省内で割腹自殺をして果てた。証人不在で事件はヤミに葬られたが、山縣は一時辞職せざるを得なかった。

シーメンス事件
 大正3年1月23日日本の新聞は、ベルリンからの外電でシーメンス・シュッケルト電気会社の東京支店社員が恐喝罪で摘発されたことを伝えた。それは、日本海軍の高官に贈賄したことを示す書類を種にゆすりを働いたという内容である。

 これは、政争に明け暮れする国会で早速とりあげられ、大佐と少将の現役軍人が軍法会議にかけられた。またイギリスに発注した軍艦「金剛」をめぐって、三井物産の贈賄も明るみに出た。この関係者も収監検挙されるという連鎖反応に発展した。

 当然のことながら海軍出身の山本権兵衛内閣は、野党の激しい攻撃にさらされ、民衆運動もこれに連動して、3月24日には総辞職のやむなきに至った。

 以上、山城屋事件の山縣は明治を通じて元勲として政界に顔を利かし続け、シーメンス事件では、予算大削減の憂き目を見た海軍も、山本内閣が崩壊した後3カ月めに第一次世界大戦が起き、日本は日清、日露とは違う犠牲がすくなく、もうかる戦争へとなだれこんでいったのだ。
 

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2007年10月29日 (月)

善悪二元論

 「邪悪」とか「正義」、アメリカのブッシュ大統領が演説によく使う言葉である。日本帝国陸軍が愛用した歌曲に「敵は幾万」というのがある。これは日清戦争で国民の戦意高揚を目指して作られた古い歌だが、「味方に正しき道理あり」とか、「邪はそれ正に勝ちがたく」「曲は直にぞ……」といった調子で歌詞のほとんどが善悪二元論で占められている。

 今日の毎日新聞文化欄に、佐藤俊樹東大准教授が沖縄教科書問題などで「二分法で価値評価する前に」という文章を書いている。集団自決は、自由か強制かの二分法で「100%そうでなかったから、こうだ」というような論証のしかたの危うさについて述べたものだ。同感である。

 私も含め、執筆者も検定者もおそらく現場を体験したことはないだろう。だからといって、当時の広範な情勢や背景を勘案(その中には体験者とそれを受け継いだ住民感情もある)せず、一部分を拡張して全体を無視し「軍は無関係」としてしまうことが、果たして軍は「正」ということになるのだろうか。

 全く逆になるが、従軍慰安婦問題についても似たようなことを感ずる。国や軍による強制的徴用とか性的奴隷扱いが普遍的・全体的であり、慰安所を設けた国や軍は「悪」、という主張にも組みしない。もちろん「善」とは思わないが、かつてそれを書いてずいぶんお叱りをこうむった。

 もう一つ、昨日(28日)の同紙書評欄から、防衛大学校校長である五百旗部真氏の言葉を紹介させていただく。巨大化する中国について、日本側の認識がいっこうに成熟しておらず「いい者か悪者か決めつけたがる」姿勢があると指摘し、ある講演会で聴講者から「講師は、中国・韓国を性善説をもって解している」と批判された例を上げている。

 同氏が国際政治学者として、以前から中国重視の意見を持っているのは知られた事実である。それが「中国・韓国性悪説」をもって国論であるかような風潮がでてきたのは、小泉元首相のせいとは言わないがその時代に増幅されたことはまちがいない。

 安倍前首相は、日中関係改善が唯一の功績であるように言われるが、石原都知事や国民会議に名をつらねる議員、評論家などの敵意まるだしの発想と同一線上にあったことは、疑いないことだ。その間、「媚中派」などという言葉を作り出し、一時は言論封殺の勢いさえあった。

 五百旗部氏は、「日本にとってよいか悪いかを断ずる前に、まず相手に即して内在的に理解するたしなみが、複雑な国際関係をこなすうえで不可欠である。どれほどの日本人がそうした感性をもっているであろうか」、と感想を述べている。

 これまた、同感である。「8月のはじめ安倍首相から任命された防衛大学校校長が、媚中派?」と目をむく右派のみなさん、「防衛大学校校長の発言を評価する、それで護憲派?」といきまく左派のみなさん、そういった二者択一をやめましょう、というのがこの稿の趣旨である。

 しかし、神奈川県で日の丸・君が代拒否の先生のリストを出すのは、思想信条の自由を侵す、という個人情報審査会の決定が出るなど、あきらかに世論が多様化してきた、と感じることが多くなった。これは安倍政変、ひいては参院選結果の見えない功績だろう。永続してほしいものだ。

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2007年10月27日 (土)

宇都宮徳馬氏

 自民党出身の保守政治家、宇都宮徳馬氏が逝去して7年、今、あらためて、氏の信念をかみしめて見る必要がある。以下は、『軍縮問題資料』1994/6月号の巻頭に掲載(緑色部分)されたものである。それから13年間、政治家は何をしていたのか、まさにそれが問われる。(黒字は管理者注)

 (前略)国内では昨今の政界再編(自民党の離党者が続出し、93年8月に非自民の細川内閣、94年4月に羽田内閣、そのわずか2カ月後には自社政権の村山内閣という激動の時代)を機に、従来の「押しつけ憲法改正」的な改憲論に代わって、国連協力を口実にした改憲の主張が台頭してきた。
 つまり、国連の名のもとに行われる行動に日本が参加して、国際的責任を果たすためには、憲法九条を改正しなければならないという主張である。さらに「政治改革」を大義名分にして、護憲勢力に対しても、防衛・安全保障などの面で妥協や政策転換を迫る動きが目につくようになった。

 これに対する社会党の対応が、なんとも歯がゆい。予算編成ではAWACSの購入をあっさり認めたり、北朝鮮の核疑惑で緊張が高まる中にあって、朝鮮労働党と友党であるはずの同党が、平和的な解決に向けて積極的な行動を起こす気配もなく、政界再編の権力抗争に血道を上げている。

 護憲の象徴的な支柱であった社会党が、村山内閣ですっかり去勢され、その系譜を引き継ぐはずであった社民党は凋落を続けた。そして、参院選で憲法改正をトップに掲げた安倍政権に痛打を浴びせるような政策提言をするわけでもなく、選挙戦でもただ死票をふやすだけの戦術に終わった。

 社民党はさらに議席数を減らした。かわりに民主党内の右翼分子をおさえ、自民との対抗軸を際だたせようする小沢代表に期待が集まっている。しかし憲法や平和に対する基本的な姿勢が見えてこず(見せないようにしているという説もある)、護憲勢力の不安は去らない。宇都宮論文は続く。

 (中略)私たち日本人は、この際みずからの平和憲法を世界政治の原理とする活動を、速やかに開始せねばならない。世界の諸民族は、日本が、その深刻な体験から得た平和主義に基づく発言を求めており、日本民族はまた、そのような発言をする道徳的な優位がある。わが国が国連安保理の常任理事国に選ばれるしするならば、その最大の意義と使命は、まさにこの点にある。かりにも、野放図な大国意識を振り回したり、海外派兵を当然視するような姿勢は厳に戒むべきである。(後略)

 来週から本格化するテロ特措法審議を前に、攻める民主党、守る自民党双方とも、この先輩の提言をかみしめ「平和憲法を世界政治の原理とする活動を速やかに開始する」方向をさぐるよう、切に願ってやまない。

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2007年10月26日 (金)

消灯ラッパ

 朝、覚めきらぬ頭の中で何かのメロディーを繰り返す。覚めるに従って、「エッこれは何の歌だっけ」と考えるがしばらくは思い出せない。そのうちに「あっそーか」となる。

♪鉄砲かついだ兵隊さん 足並み揃えて歩いてる 
とっとことっとこ歩いてる 兵隊さんは きれいだな
兵隊さんは 大好きだ

ついでに

♪肩をならべて兄さんと 今日も学校へ行けるのは
兵隊さんのおかげです お国のために
お国のために戦った 兵隊さんのおかげです

 そして「勝ち抜く僕ら小国民」など、子供の頃から音感教育で戦争を刷り込まれる仕掛けがあった。文部省唱歌だからなんらかの記録には残るだろう。ただ、憲法を改正して復活させるなんてことのないようにしてほしいものだ。

 次は軍隊に入ると日常行動がすべてラッパで律せられることになる。戦争末期には小中学校にまでそれが及んだ。村や部落にラッパ手あがりの退役兵などがそれを吹いたものだ。その節回しを替え歌風にうたったもの。

起床ラッパ
♪起きろよ 起きろよ 皆起きろ
起きないと 隊長さんに 叱られる

進軍ラッパ
♪トッテチンボの毛 ワッシャ 凸凹連隊長
お馬が3匹で おけつを並べて プックプクプー

突撃ラッパ
♪でてくる敵は皆々殺せ でてくる敵は皆々殺せ

消灯ラッパ
♪新兵さんはかわいそうだね 
また寝てなくのかね

 学童疎開で母親から遠く離れた子供が、お寺の冷たい布団で哀愁たっぷりの消灯ラッパの音色を聞くと、最初はどこかでシクシクと押し殺した泣き声、それがだんだんひろがって、みんながワーンワン。「子供っていつでも同じだねえ」。

 ちがうよ。父は戦地で母は都会の工場の空襲で、もう二度と会えないかも知れないんだぞ!。

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2007年10月25日 (木)

給油より救癒を!

 自衛艦の洋上給油に関連して、アフガニスタンで武装解除日本政府特別代表を務めた伊勢崎賢治さんの、(日本は軍隊をださず中立だという)「美しい誤解」が消えることを心配する発言があり、先月20日、前身の「反戦老年委員会」でこれを紹介した。

 また、これを「とくらBlog」さんでフォロウアップしていただき、よりくわしい伊勢崎さんの考えを知ることができた。「伊勢崎さんって左なんだ」と思う人は、是非、カレン・アブザイドさん(国連パレスチナ難民救済事業機関事務局長)の意見も聞いていただきたい。(毎日新聞インタービューより)

 パレスチナのガザ地区は過激派のハマスが武力制圧したが、しっかりとした規律と指揮系統で安定した統治が確立しているという。ハマスは当初、穏健派のファタハと統一政府を成功させ、国際社会の一員となろうとした。

 欧米は、ハマスを孤立させることで民衆の気持ちが離れることを期待したが、人々の怒りはむしろ国際社会やイスラエル、米国に向かってしまった。ハマスをテロ組織とみなすことで、人々を隅に追いやり孤立させたため交渉や譲歩の道を閉ざすことになった。インタビューは次のようにしめくくられている。

 日本はイスラエル、パレスチナの双方から「一方に偏っていない」と見られている。ヨルダン渓谷でイスラエル、パレスチナ、ヨルダンとの4者で「平和の回廊」計画(大規模な経済開発計画)を進めるなど、経済的な側面からのアプローチはよいアイディアだと思う。

 伊勢崎さんにしろアブザイドさんにしろ国連の現場を担った人は、どうしてこのように公平な見方ができ、意見が一致するのだろう。なんでもかんでも「テロとの戦い!!」を強調するばかりでは、この先何も解決しないということを多くの人が感じ始めている。

 なお、アブザイドさんは、緒方貞子国連高等弁務官(当時)の官房長を4年つとめた現役の女性の国連職員である。

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2007年10月24日 (水)

マニュアル

 最近、公共施設の事故とか、官庁の書類取り扱いだとか、食品会社の品質管理などの不始末について「マニュアルがなかった」とか「マニュアルに反して」という報道に接することが多い。その中身を聞くと、昔では考えられなかった、子供でも犯すことのないような単純ミスばかりだ。

 就職してから数年たった頃のことだったと思うが、アメリカの経営学というのがドーッと入ってきた。アメリカといえばすべて新しく、合理的で見習うべきこととされていた。マニュアルという言葉もその時知った。

 早速、その現物を取り寄せて検討した。イラストが多く小学校低学年のテキストのように見えた。単純繰り返し業務の手引きである。率直に感じたのは、そのとおりやっているとすぐ飽きがきて作業が雑になる、創意工夫が生かされず責任感とか使命感も生まれないということである。

 したがって、最低限の規則とか既定をつくっておけばあとは現場に任す、といった方向でマニュアルという言葉も廃れていったような気がする。その後の高度成長について、終身雇用を含む日本的経営がアメリカでも注目されはじめたのだ。

 今の労働問題や格差の問題、いわゆるワーキングプアというのか、そういった環境では解決できない。人間尊重、個性尊重の中から輸入経営学に頼らず、新しい日本的経営が生み出せないものか。政治にのめり込んで、こけてしまった今の経団連幹部では無理のようだ。

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2007年10月23日 (火)

秋の空

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女ごころ?

男ごころ?

10月20日撮影。この日とその翌日の世論調査(毎日新聞)

内閣支持率46%←57%(福田内閣成立直後)
テロ特措法、テロ抑止に役立っている→32%
        そうは思わない     →61%

世論?

来週以降の国会審議でどうなるか。2007_10220001

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2007年10月22日 (月)

内政干渉の話

 ビルマの軍事政権が僧侶を中心にしたデモに発砲、弾圧した事件は、日本人ジャーナリスト、長井健司さん射殺現場の映像も加わり、国内に大きな波紋を投げかけた。しかし、最近は潮が引くように報道の量も減り、関心の外に置かれようとしている。

 わずかにスポニチが、マレーシアの首都クアラルンプールの日本大使館前で19日、僧侶を含むミャンマー人約100人が、長井さんを追悼する集会を開いたことを伝え、また、昨日はビルマの夜間外出禁止令が解かれたという小さな記事をどこかで見た。そして今日はなし。

 民主化が一日も早からんことを祈るばかりだが、事件当時、国連の決議、経済制裁を声高に唱えるアメリカ、ヨーロッパ各国に対し、影響力がもっとも強い中国が「内政干渉」を理由に反対していることが報道され続けた。

 それも「内政干渉」は、石油、天然ガス開発権やインド洋岸から中国へ貫通する石油パイプライン敷設権を確保するための「口実」であるかのような言い回し方であった。しかし、この「内政干渉」という言葉は、中国にとって非常に重い意味を持っている。

 第2次世界大戦が終わるまで、中国は日本をはじめ列強の内政干渉に苦しめつけられ続けた。革命後もソ連の執拗な干渉に抵抗し戦火まで交えた。そして今、チベットや台湾についての干渉に神経をとがらしている。つまり、帝国主義への本能的反発がそうさせているのである。

 前回、半世紀前の「内灘闘争」を取り上げたがその頃、中国共産党は大陸での支配権を確立した。またインドなど、長い植民地支配を脱し国民国家への歩みをはじめた新興国家は、国際平和のための共通原則を掲げて連携した。

 1955年4月18~24日、インドネシア・ジャワ島の高原都市バンドン(かつて支配していたオランダ人は「ジャワのパリ」と呼んでいた)で開かれた29か国によるアジア・アフリカの有色人種国による国際会議(アジア・アフリカ首脳会議)があった。

 インドネシアのスカルノ大統領は開会演説で、「多様性の中の統一」と「反西欧ではなく、アジア、アフリカ諸国の誇りの上に立った国際協調こそが、この会議の目的である」と述べたが、その格調の高さは全世界に感動を与えた。

会議は、経済協力、文化的協力、人権及び自決、従属下の民族の諸問題、パレスチナなどの諸問題、軍縮と核兵器全面禁止を訴える世界平和と協力の促進、世界平和と協力の増進に関する宣言を盛り込んだ最終コミュニケを採択した。

 その「最終コミュニケ」G項が、反帝国主義・反植民地主義のもとに、民族独立・人種平等・世界平和・友好協力などをうたう「平和10原則」(「世界平和と協力の増進に関する宣言」)である。

 このとき日本代表として参加した高碕達之助・経済審議庁長官は、「わが日本が国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、武力による脅しを行わざる平和民主国家であることを、この機会に再び厳粛に宣言する」と、アジア諸国とまみえる場で、新憲法の精神を強調した。「平和10原則」は次の通り。特に6.7.8.は今日に通用する教訓になっている。

1.基本的人権と国連憲章の尊重
2.国家主権、領土保全の尊重
3.人種、諸国家の平等
4.内政不干渉
5.国連憲章に従い諸国民が個別的、集団的に自国を防衛する権利の尊重
6.集団的防衛機構を大国の特定の利益に用いず、他国に圧力をかけない
7.領土保全、政治的独立への侵略、脅迫、力の行使をしない
8.国際紛争は国連憲章に従い、関係国が選択する平和的手段で解決
9.共通の利益と協力の増進
10.正義と国際的義務の尊重

 この合意には下地があった。ほぼ1年前、ジュネーブで中国の周恩来首相とインドのネール首相が会談し、冷戦の谷間で中立的立場をうたった次の「平和五原則」に合意、共同声明を発した。その中心をなす精神は、内政不干渉と平和共存である。

1.領土主権の相互尊重
2.相互不可侵
3.相互内政不干渉
4.平等互恵
5.平和共存

 その後さまざまな紆余曲折があるが、AA(アジア・アフリカ)会議、非同盟諸国会議さらにはアセアンなどに受け継がれている。安倍前首相のオーストリア、インド、それに日米をくつけて「共通の価値観、価値観外交」などという思いつきキャッチフレーズが、いかに浅薄なものであるかわかる。

 内政不干渉の対極にいるのがアメリカである。パキスタンでブッド元首相車列で大爆発が起き、核保有国である同国の治安が崩壊の危機にある。亡命中のブッド帰国をアメリカが工作したというが、こういったあからさまな内政干渉は、パレスチナ、イラク、アフガンかつての南米各国など例を挙げきれない。

 冷戦後、武器や資金をたれ流して内戦状態を招来したところには、すべてアメリカの手があるといっていいほどだ。ビルマへの圧力は必要だが、内政干渉、不干渉どちらを取るか、人類の血を流さないためにはどの道を選ぶべきか、まさに今それが問われている。

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2007年10月20日 (土)

内灘(その2)

 前回、過去記事「青年歌集」の歌曲名一覧で内灘高校の先生からメールを頂いた話をした。その要旨は、総合学習の一環として「内灘闘争」を取り上げたいと思っていたところ、「内灘かぞえうた」の存在を知り、ネットを調べていたところこのブログにたどりついた、とのこと。

 ついては、その部分をFaxで送ってくれないか、という依頼である。先生のお歳はわからないが、おそらく事件についてのご記憶はないことだろう。そこで300~400曲ある中から「内灘かぞえうた」「内灘そーらん節」「内灘追分」の3曲をみつけ、さっそくデジカメの機能を駆使して原稿を作りFaxした。

 それに対するお礼のメールをいただいた。それによると、町営文化施設「風と砂の館」に内灘闘争関連のブースがあり、手作りの紙芝居が展示してあるそうだ。これをデジタル化してみたい、というのが企画の内容で、そこへ発掘した曲のバンド演奏を加えたいというお話。「勉強の苦手な生徒もいますが、バンドができると全員喜んでいます」とのこと。

 発表は11月の中頃だそうである。(その1)の記事にさっそくアッテンボローさまからTBをいただいた。山口県岩国基地の海兵隊員、女性を暴行のニュースである。そして解決の目途も立っていない沖縄やその他の米軍基地がいまだに存在する。内灘のように記念館入りする日がいつになるのか、待ちどおしい。

 「砂川闘争」が終わって今年でちょうど50年、内灘は来年55年になる。当時の日米関係、国内の政治や社会情勢を、内灘高校のように振り返ってみるいい機会ではなかろうか。内灘高校の先生、生徒のみなさんのご成功を心からお祈りしたい。

 「内灘そーらん節」は、ソーラン節の替え歌であり、著作権問題もなさそうなので紹介しておく。

一、(ヤーレンソーランソーラン
    ソーランソーランハイハイ)
 おやじ大漁だ昔とちがう
 とれた魚は俺がもの チョイ
 (ヤサエーリヤサーノ ドッコイショ
    アードッコイショドッコイショ)
二、嫁ごとるなら内灘娘
 色は黒いが気だてよい
三、アメ公帰れよこの砂浜は
 先祖代々おらがもの

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2007年10月19日 (金)

内灘(その1)

 「ウチナダ」といってもピンとくる人はそれほどいなくなったのではないか。金沢市の西、日本海に面した人口2万7000人ほどの開けた町である。1952年(昭和27)、当時は砂浜の多い1000戸あまりの漁村だったが、ここで全国をゆるがす事件が起きた。以下長くて恐縮だが『日本現近代史小辞典』(角川書店)より引用する(緑色)。

 内灘事件 一九五二-五三年(昭和二七-二八)における基地反対闘争。五二年七月、日米合同委員会は現石川県河北郡内灘町の砂丘をアメリカ軍試射場として接収することを決めたが、地元民はこれに反対、石川県も反対決議を行ない、しだいに労働組合・学生・知識人などの支援により全国的関心を集めた。漁民特にその主婦たちが先頭に立ち、着弾地付近の「権現の森」に座り込み、「金は一年、土地は万代」のスローガンを掲げて闘った。これに対し政府は警官隊を出動させて、村民のすわりり込み、支援のデモ隊の抵抗を排除して接収を強行した。闘争は不成功に終わったが、戦後最大の基地反対闘争であり、その後の基地闘争の契機となった。なお同試射場は、五七年三月アメリカ地上軍の撤退に際して返還された。

Photo  このテーマをとりあげるきっかけとなったのは、このブログの前身「反戦老年委員会」に、本年5月2日付でエントリーした記事「青年歌集」にある。それは、当時燎原の火のようにひろがった「うたごえ運動」や「うたごえ喫茶」などでの聖典であった「青年歌集」を紹介したものだ。

 拙宅の本棚の奥にかくれていた同歌集は、使い込んでもいないのにセピア色に変色した紙はぽろぽろ、ホチキスは防錆がなく原型をとどめていないという哀れさ。捨てるのもしのびないので、第1集から第4集までの代表的な歌曲名を書き込んでおいたものだ。

 その中に、「内灘かぞえ歌」というのがあった。それを内灘の高校の先生が検索でたずねあてられ、メールをいただいたのである。(以下次回) 

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2007年10月18日 (木)

新造語

  このところ2回にわたって言葉に関するエントリーになったが、韓国の中央日報電子版のコラム(オピニオン「噴水塔」)におもしろい記事がのっていた。その書き出しはさすが中国古典を尊重する国だけある。老子の言葉を引いた。

  かつて老子は道家思想に即して望ましい君主の順位を付けた。最上位は「民たちの生活に直接干与せず、民たちにはいないに等しく感じられる王(帝力何有於我哉)」だった。次は民たちが親愛してほめたたえる王。3位は権力を振りかざして刑罰で治める覇権政治の指導者だった。これよりひどい「最低の王」は民たちによって蔑視あるいは嘲弄の対象になる王だった。

  続いて、いきなり日本の新語(私も知らない)が出てきてびっくりした。このごろ日本で入試シーズンを控え受験生の間で広がっている新造語が「“アタシ、もうアベしちゃおうかな”」というんだそうである。

  「試験をあきらめたい心情」う~ん、わかる。というより「受験を投げだしたい気持ち」も加味され、言い得て妙というべきか。安倍前首相が新造語を通じて嘲弄の対象になった「君主」である、と続けている。さらにもうひとつ‘KY’も紹介している。

  「空気」の頭文字である‘K’と「読めない」の頭文字‘Y’を結合した言葉で、「現実がどうなのかきちんと把握できない人」を意味すると言い、この発信源も安倍前首相だったと解説する。日本のネット右翼に猛反発を食らいそうだが、ちゃんと自国のことも言っている。

  最近韓国の国立国語院が新造語辞書に「ノムヒョンスロプタ」という単語を加えて発刊すると、青瓦台が「国家元首に対する冒涜だ」と言って熱くなった。意味は「期待を裏切り失望させることがある」だそうだ。本は回収されなかったが、青瓦台の抗議のためか、追加配布は中断した。新造語の対象になった当事者は悔しいかもしれないが、多くの国民がうなずけば、それで新造語が成立することは韓国も日本も同じだ。

 そして最後に再び老子の言葉を引き、指導者の最も重要な品性とは「民を信頼し、干渉しないこと」とであり、最も肝に銘じなければならない言葉として「貴言」を挙げ、言葉を惜しむという教訓を示した。さて、わが福田総理大臣「貴言」なのか「棄言」なのかやがてはっきりするが「最低の王」にだけはならないでほしい。

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2007年10月17日 (水)

風が吹けば桶屋

 ハリケーンが吹けばビルマの僧尼がデモをする。ニューヨークの原油先物市場で一時1バレル88.20ドルをつけた(10/16)。90ドルも目前である。その理由としてアメリカ南部に多い製油所を襲うハリケーンの季節は終わっものの、①冬場の暖房需要の増加、②中東情勢、③投機資金の活発な流入などをあげている。

 冬場の暖房需要増加は毎年のことだし、中国等の消費増大などもすでに織りこみ済みのはずだ。中東情勢はトルコとクルド系武装組織の間で緊張が高まったというが、イラクの原油は機能不全で特段世界の原油需給を左右するような話ではない。

 最後の投資資金流入、これだけは確かだろう。例の低所得者向け高金利住宅ローンこげ付きに始まる金融不安で、逃げ出した資金がよりハイリターンをねらえる石油や金などの先物に流れ込んだ。ニューヨーク・マーカンタイル取引所に上場されるアメリカ産原油の1銘柄の価格が投機の対象となっている。

 どうしてそれがビルマの僧尼を騒がすことになるのだろう。ペルシャ湾岸から積み出される日本を含むアジア向けの原油は、本来アメリカの石油市場と直接関係がない。しかし売り渡し価格は、古くからニューヨークの取引価格を一定期間平均した価格にスライドする決めになっている。

 日本でもガソリンや灯油価格が相当厳しいことになりそうだが、ビルマの場合、低い消費水準の中で、輸送交通費、家庭用光熱費に原油価格の高騰が直接影響し、生活に大きな打撃を与えているようだ。原油価格の高騰は農作物をバイオ原料に転換させ、温暖化にともなうアジア・アフリカの砂漠化などで食糧不足も深刻になり、農畜産物価格を押し上げている。

 こうして、貧困化が進むことにより地域間、民族間、階層間などの格差がひろがり、抗争と緊張が高まり戦争のたねにもなる。そして、投機家が資源の供給不安をあおりたて、膨大なキャピタルゲインを手にすることになる。貧しい者はますます貧しく富める者はますます富む。

 風が吹けばビルマの僧尼がデモをし、金融ブローカーが儲かる仕組みは、アメリカ主演で世界を舞台にまだまだ続きそうだ。

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2007年10月16日 (火)

漢字復権を

 このテーマを書くきっかけからまずお話ししたい。実は全然別のことを書くつもりで文案を練っている時、「トイレ」のことを書かなければならなくなった。ズーット端っこにいても、一応は「物書き」。「トイレ」という怪しい日本語を文字にすることになんとなく抵抗を感じて、とうとうそのテーマをやめてしまった。

 子供の時覚えたことばは「便所」である。そのうち占領軍が入ってきて、町中の便所が「WC」に書き換えられた。そして今や「トイレ」以外の言葉は使えない勢いである。なぜ、いつからそうなったのだろう。おそらく、「便」は大便、小便、便器、便通というから、排泄物そのものを指すと誤解されたせいではなかろうか。

 辞書を見ていただきたい。本来「便」は、通ずるとかくつろぐなどいう意味で、「ふん」「くそ」「尿」「いばり」とは違う。中国語の厠所、日本語の「かわや」はともかく、「雪隠」や「はばかり」よりはるかにいいと思う。

 と、言っても「便所」がそんなに簡単に復権することはないだろう。しかし、英語などの切り貼りはもうやめてもらいたい。今朝の新聞見出しに、「パワハラ」で労災初認定、とあった。パワハラは「パワーハラスメント(地位を利用した嫌がらせ)」のことだという。

 「セクハラ」が市民権を得たからだろうけれど、同じ新語を考えるなら漢字で考えてほしい。「性圧」とか「位攻」とかにすれば2字ですむ。中国の「電脳」と同じ発想で、カタカナ語大好き人間の安倍さんはいやがるかも知れないが、「経済」「社会」「哲学」「主席」など、明治時代日本で作られた言葉が、そのまま中国で使われているのだ。

 同様な経過をたどった韓国(朝鮮)では、ハングル尊重、漢字追放の影響で文化の断絶や交流に不便を生じ、このところ漢字復活論がでているという。日本の新聞で「盧泰愚」「金大中」などと書いていても若い韓国人には読めないし書くこともできない。

 電子空間では、「顔文字」が飛び交っている。これは漢字と同じ表意文字(象形文字)である。また、今や無数と言っていいコンピュータ画面の「アイコン」も、絵ひとつで意味を読みとらせようという工夫である。

 携帯電話とメールはもはや生活そのものである。あの小さい画面にカタカナ書きの外来語を連ねるより、気の利いた漢字表現をする方が入力も読みとる方もずっと楽だ。漢字は決して過去のものではないことをさとってほしい。

 ついでに新聞にひとつ注文しておきたい。縦書きなのに数字を100億5000万円などと書く。従って数字が次の行にまたがり読みにくい。これを百億5千万円とすれば字数は半分以下になり、読み違いもずっとなくなる。

 

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2007年10月14日 (日)

小沢主義の変遷

 5日前のエントリー「小沢原理主義」で、小沢さんは15年前と変わっていない、といいました。ところが文献をよく見ると、国連信奉の精神は同じでも、中身が微妙に変わってきているのです。

 たとえば下の文献1では、国連憲章43条にスポットを当てていますが、この条文は国連への兵力提供などのための特別協定手続きを定めたもので、国連軍への参加に言及したものです。この提言は、社共の反対はもとより、自、民内も賛否両論で、「勇み足」提言とも評されていました(奥宮正武『PKOと憲法』PHP、下の引用も同じ)。

 文献2は、昨年民主党代表として書かれたもので、『日本改造計画』以来13年ぶりの意志表明です。ここでは、さすがに国連軍を非現実的なものとしていますが、彼がいう国連「御親兵説」も、ひとりよがりの絵に描いた餅、以上ではないと思います。

 文献3は、『世界』11月号(文献4)でも言及(2カ月余の党内議論の末決定)している同党の既定方針だといいますが、文献1または文献2の延長線上にあるものだと思っていました。だから、同党の菅さんは「原理主義」だといい、野田さんや前原さんも別の立場から賛成できないでいるのではないでしょうか。

 文献4は、具体的に現実に存在し、犠牲者の増大などから参加各国がその活動に疑問を持ち始めているISAFへの参加に踏みこんだ問題発言で、これまでの各発言とは違った波紋を各方面に投げかけました。これにより自民党首脳陣が憲法擁護発言をするようになったことが、怪我の功名かも知れません。

 その論理が独善的で普遍性をもたないのは、党内はもとより国民に対する説明もしてないことによるものです。私が出した個人的な質問を無視してもいいです。しかし、これから議会で審議中の「テロ対策特措法」にも関連する参院第一党の代表の真意が明らかにならないというのは、政権交代の意図を捨てたと見られても仕方がないのではないでしょうか。

文献11992年(平成4)「国際社会における日本の役割に関する特別委員会」(通称小沢調査会)による「安全保障に関する日本の果たすべき役割」
 ①日本が協力しやすいのは、武器輸出の厳格な管理と武器製造の抑制であり、まず日本自身が武器輸出の原則的禁止を貫くとともに、他の武器輸出国にも呼びかけるべきである。
 ②1日も早く自衛隊を含めて平和維持活動に参加できるよう準備を整えなければならない。
 ③国連におけるわが国の地位の強化と国連自身の体制強化をはかるべきである。
 ④国連軍に対して、積極的な助力さらには参加を検討する必要がある。憲法全文の精神を実現させるために、国連憲章第43条の既定を誠実に履行する必要があるからである。現在の政府の憲法第9条の解釈においては、自衛以外の実力行使、集団的自衛権に基づく実力行使は認められていない。しかし、集団的自衛権とは別概念、すなわち国連が国際社会の平和秩序の維持のために、実力行使を含めた措置を担当する集団的安全保障(国際的安全保障)という概念に従えば、憲法第9条に関して新たな解釈を行うことにより、国連軍への参加は可能と考える。また、多国籍軍に対して、どのような協力を行うかも検討しておかなければならない。

文献22006年9月5日、小沢一郎著『小沢主義』
(前略)今の国連には残念ながら、平和のための実力行使を行う自前の警察力、軍事力がない。現在の国連の枠組みでは、国連が平和活動を行うときには各国からの軍隊がそれに参加することになっているわけだが、それではしょせん「借り物」にすぎない。
 国連が本当の機能を果たすためには、やはり常設の警察軍を自前で持つのが理想である。
 しかし、国連がみずから独自の警察軍を創設することは、今の世界情勢ではほぼ絶望的であろう。
 そこで僕がかねてから理想として提唱しているのが、日本が世界に先駆けて、国連にその力を提供するということである。
 (中略)といっても、現在の自衛隊をそのまま国連に差し出すのは内外から誤解を受ける恐れがある。だから自衛隊とはまったく別に国連専用の組織を編成し、これを提供するわけである。もちろん、その場合、その部隊は国連事務総長の指揮下に入る。(中略)自衛隊はあくまでも国家防衛に専念する、専守防衛の兵力としておけば、そうした摩擦はなくせる。

文献32006年12月民主党政権政策の基本方針抜粋
7.自衛権の行使は専守防衛に限定
 日本国憲法の理念に基づき、日本及び世界の平和を確保するために積極的な役割を果たす。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論の経緯に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条に則り、行使する。それ以外では武力を行使しない。
8.国連平和活動への積極参加
 国連は二度に亘る大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければならない。
国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。

文献4】「今こそ国際安全保障の原則確率を」『世界11月号
 (前略)私がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)への参加の可能性を示唆していると書いていますが、私の主張はそんなあいまいな話ではありません。国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しないと言っているのです。もちろん、具体的にどんな分野にどんな形でどれだけ参加するかは、その時の政府が政治判断をして決めることです。
(中略)もちろん、今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。

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2007年10月12日 (金)

いかなる風か

2007_10110034_3 Dscf0348 畑の先の森は、いわゆる「斜面緑地」で、その下10数メートルには市道が通っている。かつては小綬鶏さえいたが、今でもウグイスやコゲラなどが棲む。だが、このあたりもゆっくりと開発が進み、緑地は確実に減っている。

 右の写真は、大木に覆われた斜面緑地がコンクリート擁壁に変わったところで、たぶん急傾斜地災害予防のための「社会資本整備計画」による公共事業であろう。さすがに大昔からある山岳信仰「仙元宮」の祠だけは残された。

 昨日11日は、「全国都市緑化祭」というイベントがあったらしい。公園かどこかで偉い人が苗木を移植していた。この緑地の破壊と育成は、両方とも国土交通省の仕事である。公明党ご出身の冬柴大臣、この矛盾をどうおさばきになるか。洋上給油とともに悩ましいことではある。

武蔵野や 行けども秋のはてぞなき
        いかなる風か 末に吹くらむ

      新古今和歌集・左衛門督通光 

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2007年10月11日 (木)

続・小沢原理主義

 前々回のエントリーの補足です。小沢代表は昨年末に発表した「政権政策の基本方針」を以てアフガンのISAF参加が党の方針として決定済みだといっています(『世界』11月号)。また、党内にいろいろ異論のあることについて「党の方針に従えない人は出ていってほしい」とまで言っています。

 これは、かつての小泉首相以上の独裁者的な発言ではないでしょうか。民主党内の反対者は左右双方に及ぶと思います。国民の支持もうけておらず、このままかたくなな姿勢をつづければ、出て行かざるを得ないのは代表の方になるかも知れません。

 ご参考までに、私が昨年同党に宛てた下記の質問書の内容をご覧にいれます。なお、これは完全に黙殺され、「着いた、見た」という返事さえありませんでした。

【民主党への質問事項(06/12/22付)】
1.安倍首相は任期中に改憲を実現するといっています。「政権政策の基本方針」マグナカルタ(以下「同方針」という)を拝見する限り、選出参院議員の任期中は、第9条に関する改憲をしないと読みとれますが、それなら憲法問題が最大の争点になるはずなのに、明記されていないのはなぜですか。

2.憲法前文の「国際社会において、名誉ある地位」というのが国連憲章への協力を指すことは認めます。しかし国連憲章の精神は、ご高承のとおり、あくまでも平和の構築と維持であって、軍事力の行使ではありません。国連憲章第42条への積極参加が、名誉ある地位獲得であるという解釈は、憲法の曲解になりませんか。

3.現在の自衛隊は、専守防衛の装備と配置で構成されています。国連憲章第42条に参加するためには、実戦参加の装備と配置が必要になると思います。防衛省や自衛隊でこの双方が任務となると、外見的には現在以上に憲法9条を形骸化することになります。二重基準でなくする方法はありますか。

4.「我が国の主体的判断と民主的統制」というのは、具体的な基準を定める立法が必要だと思いますが、参院選までにその骨子を提示する意図はありますか。もしその構想があるなら教えてください。

 もう一つ付け足しておきます。小沢代表が主張するように、テロ対策特措法は、アメリカの自衛のための戦争に荷担することになり、集団的自衛権を行使できないわが国にとって違法なものである――という主張は、やぶへびになりませんか。

 仮に当時はそうであっても、その後この「不朽の自由作戦(OEF)」は、国連の1746決議(07/03/23)などで追認されていることから、小沢代表のいう「積極的参加」をしてもいいことになります。この主張が、与党の用意する新法にどう対抗できるのかさっぱりわかりません。

 昔あった1学説の法理論に固執し、世界情勢の変化を無視するするだけでは、参議院の数の力を誇示できたにしても、国民に対して納得のいく説明にはならないと思うのですが。

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2007年10月 9日 (火)

小沢原理主義

 これは私の命名ではない。小沢民主党代表がアフガンのISAF(国際治安支援部隊)に参加する意思を表明したことについて、菅代表代行がTV番組で「原理主義」と感想を述べたことによる。そもそもは、雑誌『世界』11月号上に「公開書簡」という形で所見を述べたことに端を発している。

 民主党・小沢さん。惑わされてはいけません。国連教狂信者のようなチョット気になるところはあるけど、目をつぶりましょう。「憲法違反だ!!」でがんばってください。応援してます。

というのは、1週間前に「新語候補大賞」という題で書いた記事の最後のくだりである。そしてそのすぐあとに『世界』への投稿が報道された。これは由々しきことを言っているな、と思ったが報道内容だけで論評するわけにいかない。

 そこで発売日の今日、大枚780円をたたいて『世界』を買ってきた。全文を見て行間からなにか読みとれるものはないかと思ったからだ。しかしどうやら、それは無駄だった。「前言撤回」と言いたいところだ。

 「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です」という信条を繰り返し、「私の主張はそんなあいまいな話ではありません」とISAF参加に踏み込んだ内容である。

 「私の解釈」「私の主張」という「私」が、安倍前首相の口ぐせ「私の内閣」を思い出させたが、全く逆の意味で、民主党のオーソライズを受けていないという意味か、選挙に勝っても首相にはならない、という意味かとも思った。ところが、昨年末に作った「政権政策の基本方針」で既定の方針だと、同文中できっぱり言い切っており、ここにきて同党の公式サイトのトップにもかかげている。本気なのだ。

【民主党政権政策の基本方針】
7.自衛権の行使は専守防衛に限定
 
日本国憲法の理念に基づき、日本及び世界の平和を確保するために積極的な役割を果たす。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論の経緯に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条に則り、行使する。それ以外では武力を行使しない。
8.国連平和活動への積極参加
 国連は二度に亘る大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければならない。
国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。

 問題は8.にある。国連憲章第42条は、空軍、海軍、又は陸軍による軍事的措置を定めたものだ。しかしわが国には自衛隊はあっても、陸海空軍は憲法上持たないこと(実体はどうあろうとも)になっている。

 だから、上の7.と8.は二律背反する概念なのだが、かつて民主党議員から「国連改革が実現した暁には」とか「国連総長指揮下の国連軍が創設されたら」といった解説を聞いたことがある。これは15年以上も前、自民党内からも異論がでてお蔵入りになった小沢調査会の結論にそっている。

 「私は変わる」とおっしゃった小沢さん、世界も日本も変わったのにあなたは何も変わっていない。菅さんだけではない。枝野憲法調査会長まで首をかしげている。どうか「ヤキが回った」などと言われないようにしていただきたい。あなたの首相の芽はどうもこれであやしくなった。

  テロ特措法について憲法がどうの国連決議がどうのという解釈論争は、国民にとって難解だ。いくら国会で議論をつくしても、それを理解し判断するというのは無理だろう。だから国民は現実をもって判断せざるを得ない。

 それは、国連決議なしにアメリカがはじめたOEF(不屈の自由作戦)と国連決議のあるNATO主体のISAFの区別などアフガン人にわかるはずがなく、双方ともタリバン等の攻撃目標になっていること、そして次のアフガニスタンで武装解除日本政府特別代表を務めた、伊勢崎賢治氏の発言である。

 そこで強調したいのは日本の役割です。これまでアフガニスタンの「治安分野改革」で成功したのは、日本の武装解除だけです。なぜか。現場の私たちは「美しい誤解」という言葉を使いました。アフガン人はテロ特措法など知りません。日本は軍事行動をしていないという「美しい誤解」が、疑心暗鬼の武将たちに信頼醸成させた。

 「美しい誤解」については、すでに「洋上給油は終結せよ」で既述したが、上記の『世界』11月号でも「日本は『美しい誤解』を生かせ」というインタビュー記事を収録している。小沢原理主義が国際主義を指向しているようで、実は党内や国会内の論争の具でしかないことががわかる。

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2007年10月 8日 (月)

お祭り

Photo_2  わが家のある部落から今年は盆踊りと秋祭りが消えた。理由はまだ聞いていないが、これまでは子供会に大人が協力するような形で続いてきた。

 土地柄は非常に古く、昨今開発された新興住宅地ではない。しかし、3代以上続く家は1割程度だろうか。似たような隣の部落がなかなか盛り上がっているので、単に少子化現象ともいえないようだ。

 盆踊りも秋祭りも、かつて全国どこにでもあったようなもので、特に守るべき伝統文化があったわけではない。最近は、阿波踊りであろうが七夕であろうが、良さそうと思えば全国どこでも採用する。

 クリスマスであろうがハロウィンであろうが、すぐまねしたがるお国柄だ。所在地や環境は特に関係ないだろう。これは、どうも親の世代の問題ではなかろうかという気がする。

 かつては、よほどの幸運に恵まれないと3連休などなかった。それでも、休日をつぶした勤め先主催の運動会や球技会なども盛んだった。今はどうなんだろう。

 日頃の残業、労働強化で休みの日は、家でぐったりなどということはないのだろうか。それに子供もお祭りや盆踊りよりゲームに興味、となれば率先して準備する人もいなくなる。

 こうして、「美しい国」、日本のふるさとが失われてしまうようなことがなければいいのだが。知力、体力それに情操まで下降線では、これから先えらい問題だ。

 

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2007年10月 7日 (日)

テロとの戦い

 「テロとの戦い」、この言葉はアメリカはブッシュのおはこだが、日本の政府もよく使う。個人の権利を制限し、日米同盟を強調し、自衛隊の行動と予算計上を合理化するための殺し文句である。9.11で飛行機を乗っ取り、乗客を巻き込んで目標にした建造物にぶつけ、多くの罪のない人を殺した。

 その犯人をとらえて罰する。これは当たり前である。だけど実行犯はすべて死んだ。すると、首謀者、あるいは未遂犯の検挙が目的で、これが戦うべきテロの実像だろうか。仮にそうだとすればこれは警察の仕事で、軍隊がでる幕ではない。

 しかしアメリカは、首謀者・ウサマビンラディンをかくまっているということで、軍隊を使ってアフガニスタン国のタリバン政権を攻撃した。すこし苦しいが「自衛のため」だという。そのタリバン政権が崩壊したのに、ウサマビンラディンは捕まらないまま6年が過ぎた。外国軍隊はそのまま、アフガンに平和はよみがえらない。

 その間にアメリカの勘違いでイラク国に戦火がおよび、フセイン政権を倒したものの、ここでも撤収ができず軍隊の増派までしている。その軍事行動による犠牲者はすでにテロ犠牲者の何十倍にも達した。「テロとの戦い」とは、そして膨大な近代兵器を駆使して戦う相手とは一体何なんだろう。

テロ テロル・テロリズムの略
テロリスト【terrorist】テロリズムを奉ずる人
テロリズム【terrorism】①暴力或いはその脅威に訴える傾向。暴力主義。テロ。②恐怖政治(以上『広辞苑4版』)
テロル〔恐怖の意〕あらゆる暴力的手段を行使し、またその脅威に訴えることによって、政治的に対立するものを威嚇(いかく)すること。テロ。(『大辞林 2版』)

 結局、今の「テロとの戦い」のテロには抽象的な意味しかない。つまり軍隊を投入すべき対象はどこにも存在しない。そもそも、軍隊とは相手の国家を想定して成り立つものである。アメリカの「テロ支援国家」の指定は、その対象を明確化するためものである。

 日本におけるテロ特措法など議論に欠けているのは、国連憲章であろうと、日本国憲法であろうと「国権の発動としての軍事行動」などというように、国または国家集団を規定したもので、幻のような「テロとの戦い」など全く想定していないという事実である。こうなると、すべてが違法な軍事行動であるといってもよさそうである。

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2007年10月 5日 (金)

美しい日本?

○やれ打つな 蠅が手を擦る 足を擦る
○やせ蛙 そこのけそこのけ お馬が通る

●南京大虐殺 従軍性的奴隷 民間人自爆軍令

 ○●どっちが本当の日本人だろうか。
 ●は、本当にあったのだろうか。
 
 子供ながら当時の空気を吸っていた者として、南京と性的奴隷=現場ではあり得たが、軍中枢の考えではなかった。民間人自爆軍令=当然あり得た。と考える。

 どうして、そう考えるのか、軍部は占領地の住民宣撫工作に相当力を入れていたので、虐殺など認めるわけにいかない。また、国の方針として朝鮮人には相当気を使い、学校でも差別やいじめなどをする子は非国民とされていた。

 どうして○が●になったのか。戦争は相手を殺さないと自分が殺される。疲れとストレスの中で集団ヒステリー状態となる。中央の方針より「命をかけて戦っている兵士に感謝」の方が優先されて中央のコントロールが利かない。つまり「戦争絶対悪説」?、その通り。イラクやベトナムを見ればわかる。

 沖縄で軍が民間人に自殺を強いたこと。現場は知らないが、東条英機の作った「戦陣訓」は、軍人が捕虜になることを禁じている。また、国民に対しては、「銃後の婦人も子供も、兵隊さんと一緒に鬼畜米英と戦いましょう」と、一体感を持たせることに腐心していた。

 だから、ある軍人が「おれはそんなこと命令してない」などといっても沖縄の人は承知できるわけがない。ある程度は、自発的にそうさせられたといってもいい。つまり「しょうがない」と?。久間発言が問題になったのでいいにくいが、その通り。

 原爆被害も「こんな戦争を起こしたのだから、負けたのだから」、「しょうがない」という気持ちが怒りと共にあった。日本が先に原爆を作っていたら風船爆弾でそれを使うことを考えたに違いないし、また国民もそう願っていた。

 ただ、「しょうがない」というのは、当時の国民のあきらめの心境である。ここにきて、再び同じことが起きないよう、また、小泉・安倍路線が復活しないよう、こうして「反戦老年委員会」ブログを作り「反戦塾」につないでいるのだ。 

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2007年10月 4日 (木)

オバマ氏、核廃絶宣言

 アメリカ民主党大統領候補オバマ氏は、核全面廃絶を政策として掲げる宣言をした。報道では他の候補と差別化をはかる意図、などとしているが、多くのアメリカ市民の共感が得られるという、オバマ氏の自信や背景がなければ出てこないはずだ。

 アメリカが圧倒的な量の核兵器をを持っていれば、世界に君臨できるしどこからも攻撃を受けない、という核抑止力信仰は依然として健在なはずである。そして、日本でもその傘の下にいれば北朝鮮からの核攻撃から守られる、とほとんどの人が信じている。

 今、6カ国協議で北朝鮮の核開発凍結に向けた話が進んでいるが、アメリカは本土が核攻撃を受けるなどとは思っていないし、北朝鮮も日本にぶち込もうなどと思っているわけではない。北朝鮮は、こわがる国がある限りは、唯一のカードとして手放したくないということだけだ。

 アメリカが心配しているのは、シリアとかイランなどへの技術移転である。これにより、核を持っているはずたとされるイスラエルと、周辺イスラム諸国との間の軍事バランスが変化すること、または小型化された兵器や汚染物質などがテロリストの手にわたることである。

 核爆弾は脅しとして使えるだけで、実際には使えない。62年前に2発使われたのが最初で最後である。米ソで大量生産したため、もはや使ってみようがなくなった旧式の兵器である。ただ昔のくせが残っており、依然として脅しや抑止力として使われているのである。

 インド、パキスタン、北朝鮮が持ち、リビア、南アフリカは無益だとばかり持つことをやめた。日本はもとより、韓国、台湾その他ほとんどの国にとって核開発はそんなにむつかしいことではない。相応の国力、技術力があれば、それらはすべて潜在的核保有国といえる。

 そうなれば、抑止力にも脅しにもならない。ただ、「まちがって」とか「気が狂って」の暴発はあり得る。そこらを見極めたオバマ氏が、最大の保有国であるアメリカが率先して核廃絶を唱道することが国益であり、その実現を宣言したものと信ずる。本来は、日本が先頭に立つべきであったが、道なお遠しである。
 

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2007年10月 3日 (水)

新語大賞候補

オイル・ロンダリング」、これはどうでしょう。

 アメリカは、北朝鮮のブラック・マネーがマカオの銀行で「マネー・ロンダリング」されているとして金融制裁をしていたのを、アッサリ解除しました。「変だなあ?」と思っていたことがやっとわかりました。

 アメリカも、アラビア海で似たようなことをしていたのです。これでは、北朝鮮を悪く言うわけにはいかない。日本の海上自衛隊から受けたアメリカ軍向けの艦船燃料のうち、6割強が補給艦だったそうです(朝日、毎日等各紙)。

 補給艦、つまりマカオの銀行と同じ感じですね。ここを通れば、その先どう使われようと転売しようと知ったことではない。アメリカも公表する気はないでしょう。お人好しの日本なら押し切れるという魂胆のように見えます。

 ブッシュさんとジョンイルさんの合唱が聞こえてきます。
 ♪マネー・ロンダリング、オイル・ロンダリング

  ダブル・スタンダードはいけません たがいに
  すんだことをほじくるのは やめましょう
  このさき、よければそれでみんなしあわせ

 民主党・小沢さん。惑わされてはいけません。国連教狂信者のようなチョット気になるところはあるけど、目をつぶりましょう。「憲法違反だ!!」でがんばってください。応援してます。

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2007年10月 1日 (月)

9条と天皇制

 安倍晋三内閣の壊滅で改憲機運が遠のいた。これからは、ないがしろにされがちだった現行憲法の精神を再構築することと、9条を生かした外交方針を、国論としてもり立てるよう努力しなれけばならない。

 いま、右翼陣営は体勢建て直しに必死だが、もともとその論拠が浅いだけでなく、一貫性にも欠けていたので、勢いを取り戻すのは容易でないだろう。また、護憲陣営からは、改憲、論憲を言うだけで対立勢力と見なされる、そんな呪縛も解けてきた。

 そこで今日は開塾記念に、「とんでも改憲論」をひとつご披露する。それは「第一章天皇」である。全くの(形骸的で意味のない)象徴天皇に、平和に関する限定的な大権を付与しようという、相当思い切った改正案である。

 内容は、自衛隊の海外派遣に対する拒否権と海外派遣中の自衛隊帰還命令権の二つである。なにをねぼけたことを、とおっしゃる方は、憲法の前文、第一章天皇、第二章戦争放棄までをじっくり読んでいただきたい。

 ここまでがワンセットで、以後国民の権利義務など具体的な条項が続くことがわかる。明治憲法は、陸海軍の統帥など軍の関係は、第一章天皇の中の一部分であった。スタイルとして、現行憲法が明治憲法を踏襲していることはよく知られている。

 前文でわかるとおり現行憲法の骨子は、国民主権と平和である。制定当時、占領軍が天皇制維持と戦争放棄をバーター取引したとか言われている。もしそうなら、日本国民の総意に基づく「日本国の象徴」と「日本国民統合の象徴」とはなんぞや。まさか手を振るお姿や宮城ではあるまい。

 ずばり9条を含めた「平和」そのものである。占領政策を円滑に進めるのも平和、連合国との戦争を防ぐのも平和、天皇はその平和を担保するために置かれたのである。そうすれば、昔の統帥権相当の権限を保持していても何らおかしくはない。

 「和をもって貴しとなす」……例外はあっても、庶民を「おおみたから」とよんだ昔からの皇室の伝統であろう。もし、これからさきの戦争のようなことがことが起き、終戦の「ご聖断」をくだすような人が存在しない現在を思うと、ゾッとするのである。

 ビルマとタイ、軍の力の強いのは同様であるが、国勢や国情の違いは何か、タイには軍の上に王がいるがビルマには軍の上になにもない、ということがあるそうだ。シビリアン・コントロールといっても何となくお寒い感じがする日本の昨今である。

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既著

 2005年4月、中国で激しい反日デモが起きました。戦中・戦後を体験している者にとって、中国・朝鮮など周辺国と仲良くせず、さきの戦争を美化する傾向さえ出はじめた世情をだまって見過ごすわけにいきません。

 そこでブログという慣れない方法で始めたのが「反戦老年委員会」で、2007年9月末までに780余編のエントリーをあげました。これも多くのコメントやトラックバックをいただいたみなさまのおかげだと感謝しています。

 一時はヒトラーのように振る舞った小泉首相、その跡を継ぎ軍隊を作る改憲を目標に掲げた安倍首相。そういった右傾化ナショナリズムは、この夏の参院選で大きく後退し、無惨な安倍退陣とハト派と言われる福田氏とその内閣の登場で流れは変わった、と見ました。

 そこで「反戦老年委員会」も臨戦態勢を解いて一旦終結させ、肩の力を抜いた寺子屋のような「反戦塾」に改題、広く自由に題材を拾っていきたいと考えています。どうぞ引き続きおつきあいのほどよろしくお願いします。

既著 ・『浪士、石油を掘る』(日本図書館協会選定)・『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』(古代ロマン文学大賞受賞)、その他企業史、団体史など多数。

Book 「浪士」石油を掘る―石坂周造をめぐる異色の維新史

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海と周辺国に向き合う日本人の歴史―飛鳥の将軍・阿倍比羅夫/中世の海と松浦党 Book 海と周辺国に向き合う日本人の歴史―飛鳥の将軍・阿倍比羅夫/中世の海と松浦党

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