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2007年9月 6日 (木)

EUを知る 5

 ヨーロッパ各国の抗争、角逐の長い歴史、そして第一次・二次世界大戦の惨禍の中から生まれた欧州統合への期待と願望を書いてきた。そして『欧州連合論』はいう。

 1958年に発足したECC/EC/EUは、まず関税同盟を構築し、その後、農業、漁業、エネルギー、環境、教育、地域など各面にわたって共通政策を逐次実施に移し、1993年10月にはヒト、モノ、カネ、サービスの単一自由市場を形成、1999年1月から単一通貨「ユーロ」と「欧州中央銀行」を軸とする「経済通貨同盟」を発足させるところまで成長を遂げた。

 そういった中で、フランス、オランダの国民投票は、一昨年EU憲法案を否決した。また、加盟国の増加には、労働力移入や移民増大などへの不安感などもあって、EUの限界や「共同体」そのものへの幻想を否定する論調もすくなくない。

 しかし、これまでの経緯で示されているとおり、停滞や危機に見舞われたことははじめてではない。また、そのために後退や瓦解することもなかった。これをあえて「欧州魂」と言おう。そこで前回の最後に触れた「欧州防衛軍」のその後を見ることにする。

 冷戦下、EUとNATOの2組織は、それぞれ経済と防衛の役割を整然と分担していた。その間も、EUの原点にある不戦・平和への願が、「独自軍」の可能性をさぐる動きとして続いていた。異変が起きたのは98年9月にオーストリアで開催された臨時EU首脳会議の席上である。

 イギリスのブレア首相が、欧州防衛構想に積極的な参加をする意思を表明したのである。これによりEUの軍事機能づくりが一気に動き出した。これに対してアメリカは不快感をかくすることができなかった。谷口長世はその間の事情を、著書『NATO』でこう解説する。

 かつてドゴール仏大統領に英国は「米国のトロイの木馬」と呼ばれ、EEC加盟を拒否されたことさえある。それが突如、路線変更した当初は、「また米国と、しめし合わせた芝居ではないか」とEU内部でも半信半疑だった。英国の変心について、EU防衛政策高官は「米国の代弁者としての地位を保つためだった」と分析する。「米国にとっては、EUとのパイプは必ずしも英国でなくてもよく、極端にいえばドイツでもいいのだ。英国は積極的に欧州共通安保・防衛へ仲間入りすることで米国のパイプ役として地位を維持したいのだ」。かつて七つの海を支配した大英帝国は六〇年代半ばに「小英帝国」と揶揄された。それが今や小帝国さえ除き「英国」として活路を探し始めたのである。

 同書は、このあと「一枚岩とほど遠いEU」という小見出しを掲げ、EU内の大国同士、大国と中小国、そしてアメリカなどの各国間における国益の衝突、安全保障に対する認識の違いなど、外交摩擦の厳しさを語っている。

 その厳しさがあってこそ、「欧州魂」は磨きがかかり、世界平和への道すじを探求していけるのである。日本は、周辺国と靖国や教科書問題、尖閣そして竹島問題などで無駄な時間を費やしている場合ではない。世界は米一極から米欧の二極化に向かっている。世界第2の経済大国もOECDの政府開発援助では英国に抜かれて3位となり、第3極をになうことすら困難になってきているのが現状なのだ。(07/4/4「反戦老年委員会」より再録)

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