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2007年9月 4日 (火)

EUを知る 3

戦乱、抗争が絶え間なく続いたヨーロッパでは、中世から「王侯連合」を提唱するような発想があった。近代に入って、1847年に文豪ヴィクトル・ユーゴーが「欧州合衆国」の創設を提言し、悲惨な結果をもたらした第一次世界大戦後の1923年には、オーストリアのクーデンホーフ伯爵が「汎欧州運動」を開始した。なお同伯の母親は日本人・青山光子である。

 この趣旨が活かされ、動きが本格化したのは第2次世界大戦後である。元イギリス首相・チャーチルの提唱で1948年5月、オランダのハーグで19カ国およそ1000人の欧州統合推進論者を集めて決議を採択した。

 《決議は『国家主義を基礎にした欧州再建は不可能』だとしたうえで、欧州の安全保障、経済的独立と社会的進歩を確保するために「経済的・政治的連合の結成」を訴えるとともに『各国の主権の一部統合に同意することが肝要である』とした(ハーグ決議)。》

 NHKの「その時歴史は動いた」ふうに言うと、「欧州共同体の萌芽ともいうべき欧州石炭鉄鋼共同体(CECA)の誕生まであと3年、EEC(欧州経済共同体)設立のためのローマ条約調印まであと9年であった」となる。

 欧州石炭鉄鋼共同体の構想を推進したのは、フランスのシューマン外相である。欧州人にとって長年にわたる平和への悲願を、国家権力の中枢をにぎる1現職大臣が、理想実現のために行動したのだろうか。この計画は、次の趣旨でフランスの経済・設備投資官僚が慎重に検討していたものだった。

 《冷戦のメカニズムによって、東西ドイツの軍事力が、米ソ両陣営によって強化される事態を強く懸念し、『軍事化されたドイツによる脅威の問題を解決することが、欧州平和にとって必要』だとし、問題解決の一手段として、フランス、ドイツ両国の石炭・鉄鋼を「共同化」することを考えだした。当時は石炭と鉄鋼は、一国の経済力の「カギ」を握るとともに戦争のための武器生産に不可欠の生産財であった》

 こう見るとたしかに現実的な国家戦略がひそんでいるように見えるが、やはり根底には長い時間をかけて、欧州人が国の垣根を越えて平和を希求する、という土壌がなければ成立しなかっただろう。またそれが国家への圧力になっていたはずだ。

 CECA条約はその前文で高らかに宣言した。
 《古来の敵対に代えるに、諸国の本質的利害関係の融合を以てし、経済共同体の設立により、多年、血なまぐさい対立によって離間していた諸国民の間に、一層広く一層深い共同体の最初の礎石を据え、かつ将来の共通の運命を方向付けることのできる制度の基礎を気付くことを決意して、欧州石炭鉄鋼共同体を創設することを決定(以下略)》

(07/3/27「反戦老年委員会」より再録)

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