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2007年9月21日 (金)

飢えるということ

[反戦老年委員会復刻版]

 闊達な文面で薫陶を受けている狸便乱亭さまが、「二番穂」について記事と写真を掲載された。二番穂というのは、稲刈りが終わった後その切り株からまた葉がのびて穂が出てくるさまをいう。もちろん稲穂の中身は空っぽで収穫はできない。

 それを恨めしそうに眺めていたのが、終戦前後中学生の喰い盛りだった小生である。四国や九州の南ではコメが年に2度とれると聞いて、せめて日本の半分がそうであればいいなあ、と思った。子供ながらも新聞、ラジオの今年の作柄予想を一喜一憂しながら聞いたものだ。

 刈り取りが終わる前に、田んぼで追いかけ回したのがイナゴである。見つけ次第パッとつかまえ袋に入れる。家にもち帰り、後ろ足だけギザギザがあるのでもぎ取って佃煮にする。姿は悪いが、貴重なカルシューム源で味は悪くなかった。

 コメの配給が大人一人2合3勺。今、これだけ炊けば老夫婦2人で2日は十分持つ。1食はパンだとか晩酌すればご飯を食べないなど、コメへの依存度が極端に減ってしまった。昔はそうではない。肉や魚を毎日食べていた訳ではない。

 頼りはコメだけである。それが終戦の年の7月11日から2合1勺に減らされ、さらに一部をトウモロコシ、イモ類、砂糖に切り替えられた。穀倉地帯でさえそうである。誰であろうと、ヤミ米を手に入れなければ、餓死しかねない事態になってしまった。事実、東京ではホームレスの餓死者が続出した。

 「朕はたらふく喰っているぞ。なんじら臣民飢えて死ね」というプラカードを立てた食糧メーデーが起きたのは昭和21年5月19日である。その頃、学校では休み時間になっても外へ出ず、体力の消耗をさけて机に突っ伏していたような光景であったことを思い出す。

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