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2007年9月

2007年9月30日 (日)

外交にメリハリを

 ビルマでのできごとは、いつものようにうっとうしい推移をたどっている。ネウイン将軍の時代から約50年のほとんどが軍事独裁政権であり、民主化の兆しが見えてアウンサンスーチーさんが最初に監禁された1989年からも18年たっている。

 日本政府は、邦人記者の長井健司さんが至近距離から国軍の手で射殺されたことが明らかになるにつれ発言を強化しているが、欧米が主張する経済制裁発動には消極的だ。2004年当時で日本が世界最高の経済協力開発機構(OECD)による援助国であったのだから、もっとはっきり釘をさすべきだ。

 そうすると中国の影響力が増し、石油・ガスなどの開発利権をねらう中国を利することになる、などという内部の意見があるそうだが、そんなことはいいではないか。激増する中国のエネルギー事情がすこしでも緩和されれるのであれば。

 仮に民衆の力で軍事政権が崩壊すれば、政権維持に手を貸していた国は当然新政府からうとんじられることになる。福田内閣が小泉、安倍の時代と違ってワンフレーズや未熟な独断専行ではなく、一呼吸おいて相談しながら、という重厚さのあるのはいい。

 しかし外交には一定の理念のもと、素早い対応も必要である。安倍時代の「価値観外交」が時代遅れのものであれば、それに変わるべき方向性を早く示さなければならない。生煮えの態度を続けるうちに遅れをとり、世界の外交舞台から置いてけぼりにされるのがこれまでの通弊であった。

 テロ特措法の扱いもそうである。すでに同法を無条件延長した場合の危険性について「洋上給油は終結せよ」や「テロ特措法は爆弾」という記事をあげた。イランから見てみよう。理由をどうつけようと、ホルムズ海峡に近いイラン近海を、アメリカの航空母艦や護衛する軍艦が遊弋している。

 イランの軍隊をテロ集団ときめつけたアメリカが、空爆を始めるとするとここから発進する。欧米のマスコミはすでにその可能性に触れ始めている。イラン軍はすでに敵艦としてマークしているはずだ。これらがアフガン対策に従事していると称して、日本の給油艦から燃料供給を受けいようといまいとイランには全く関係ない。敵艦の補給基地という位置づけになるだけだ。

 アメリカに問い合わせているとか、調査中などと言っている間も、すでに前哨戦は進んでいるのだ。戦争や外交はそんなのんきな話では通用しない。ワン・タイミングおく場合かどうか、もっとメリハリのある外交に進化してほしい。(「反戦老年委員会」より転載)

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2007年9月29日 (土)

もうすこしの我慢!

2007_09300003_5

 

 寒い冬……ではなくて、酷熱の夏をよくのりきったね。もうすぐ北の国から仲間がやってくる。あとちょっとの我慢だよ。
 真ん中で泳いでいるのが渡り鳥のオナガガモ。怪我をしていたのか1羽だけ取り残され夏をここで過ごした。陸にいるのは、留鳥のカルガモ(9/27じゅんさい池)。

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アムネスティ・インターナショナル日本呼びかけ
僧侶・市民への暴力を止めろ!
ビルマ(ミャンマー) 10.2 緊急院内集会
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◇日時 10月2日(火) 12:30~13:30

◇場所 参議院議員会館第一会議室
最寄り駅:東京メトロ有楽町線・南北線永田町駅、
千代田線・丸の内線国会議事堂前駅

◇地図  
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kokkaimap.htm


◇発言(予定)
超党派国会議員、アムネスティ、市民団体、その他集会参加者から


◇主旨
去る8月以来、ビルマ(ミャンマー)において石油価格の高騰をきっかけに始まった抗議行動は、僧侶らも参加し、民主主義を求める反軍政デモとなって各地に拡大しました。


こうした状況のなかで、9月26日の午後、10万人以上になったデモに対して、軍事政権は催涙弾の発射や警棒での殴打、無差別逮捕などの弾圧を加え、少なくとも数人が死亡しました。そして27日にも、銃の発砲などデモへの弾圧を強め、その中で日本人ジャーナリストが死亡する事態となりました。


現在、僧侶、国民民主連盟(NLD)議員、そして一般市民ら数百人が逮捕されたと伝えられていますが、逮捕者に対する拷問や虐待の危険もきわめて高いと懸念されています。


市民らによる平和的な抗議行動に対する弾圧は許されず、国際社会は直ちに行動を起こさなくてはなりません。とりわけ、中国やASEAN諸国、そして日本など、ビルマに対する政治的影響力を持つ各国の断固とした対応が求められています。


私たちは、軍政の対応を非難し、抗議行動を続ける市民を守るために、また長年に及ぶビルマの人権問題を解決するために日本政府と国際社会が直ちに行動をとることを呼びかけます。


国会議員、そして市民の皆様、急な呼びかけではありますが、ぜひご参加ください。


【主催・お問い合わせ】
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町2-2 共同(新錦町)ビル4F
TEL. 03-3518-6777  FAX. 03-3518-6778
担当:川上

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2007年9月28日 (金)

危ない原発と報道

 新潟県柏崎刈羽原発が中越沖地震で受けた被害について、東電は27日に追加発表をした。被害を受けたのは1号機の気水分離器で、地震当時定期点検のため炉外のプール内に置かれていた。被害は地震の揺れで、ステンレス製のガイドピン2本と脚4本が曲がるなど変形していたものである。

 中部電力は27日、静岡県御前崎の浜岡原発から白金製円盤プレート138枚(約1000万円)が盗まれたと発表した。このプレートは、放射線管理区域内の計器室で登録した係員しか出入りできず、かぎ付きのケースに収められていたが放射能は帯びていないという。

 以上の2件は、今朝の毎日新聞に掲載された記事の要旨である。前者はなぜ地震後3カ月以上たった今頃発表されたのか、あるいは今頃になって発見したのかには触れられていない。また後者は、テロリストがその気になれば容易に放射能物質を持ち出せるずさんな管理体制を露呈した記事だ。

 毎日新聞を購読されている方で、以上の記事にお気づきの方は、はたして何人いるだろう。本来なら両方あわせて、電力会社の原発事故隠蔽体質やずさんな管理体制をつく大きな記事になってもいいのだが、後者は31面最下段の「埋め草」扱い、前者は3面最下段の下、「隙間段(注)」である。

 取材した記者は違うし、その所属部とか中央、地方の違いもあるのかも知れない。するとデスクも違い整理部でも気がつかなかった、ということなのだろうか。そんなことは別にしても、環境問題や原油など一次エネルギー価格の高騰から、原子力エネルギーを国民がどう考えるべきかに係わる大切な情報であることを忘れないでほしい。

(注)「隙間段」呼称は知らないが、毎日新聞が頁を真ん中で折ったままでも読めるように設けた特殊な段構成。広告の上下の寸法は、各社共通で決まっており、その寸法調整のために通常の段の半分以下の狭い段を最下部に設けたもの。
旧ブログより転載

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2007年9月27日 (木)

反戦老年委員会解散宣言

 やや過激なタイトルですが、本月末をもって「反戦老年委員会」のエントリーをやめ、10月1日からは新たなプロバイダーサービスで「反戦塾」と名付けたブログを開始したいと思っています。理由は、

 2005年4月10日に、中国の反日デモを題材にした記事がわが委員会による最初の記事で、以来、中国・朝鮮と日本がかかわる原始・古代から満州事変に至るまでの歴史の概観、戦中・戦後の体験記、現在の国内外の政治情勢などを中心に、これまで782本のエントリーを上げてきました。

 この間、小泉首相の靖国参拝強行、郵政解散による自民党圧勝、東京都知事選で石原慎太郎氏の当選など右傾化、ファッショ化の傾向が進行し、安倍氏に引き継がれてからも、教育基本法をはじめ戦前回帰を目指すような法案が続出して、ついには参院選の争点として軍隊を認める憲法改正まで持ち出すようになりました。

 しかし、参院選で安倍自民党が惨敗し、参院で与野党が逆転してから様子が変わってきました。政権にしがみついていた安倍首相は、想像されるどんなケースよりひどいみじめな形で政権を投げだしました。集団的自衛権に息を吹き込もうとした私的懇談会をはじめ、安倍カラーを支えるとりまき組織は空中分解、福田内閣成立によりもはや再起不能でしょう。

 「反戦老年委員会」という名は、やはり攻撃対象のある、キャンペーンであってしかるべきです。いつの時点かで終了しなければなりません。親中勢力が多くハト派といわれる福田氏の内閣が成立し、施政方針演説(中身は期待してませんが)が行われる日を機会に切り替え(バックナンバーのため10月中は利用可能)たいと思います。

 「反戦塾」は、新たなトレンドに沿ってより自由でひろがりのあるものにするつもりです。しかし、やってみなければわかりません。単に題名を変えただけになるかも知れません。いずれにしても、これまで続けてこられたのは、コメントやトラックバックを頂いた多くの方々のご支持のたまものです。ここに深くお礼申し上げます。

 というのは、安倍辞任と同じく表向きの理由で、最近TBがかけにくくなった(特にこのブログを育てていただいた有力ブログが多い「FC2」は完全不通)、スパムの急増で処理に手間取る、サービスが有料で、わずかな金額でも惜しい、など裏の真相もあるようです。(旧ブログより転載

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2007年9月23日 (日)

テロ特措法は爆弾

本ブログはテスト判として、当分の間「反戦老年委員会」と同文を掲載します。 

  テロ対策特措法の延長がいかに危険であるか、わが委員会では再三訴えてきたが、本日(9/23)のTBSサンデーモーニングで、私の知る限りはじめて金子勝慶大教授がこの点に触れた。それはアメリカのイラン空爆説が、このところのイギリスやフランスからの報道とか、アメリカから漏れてくるタカ派の意見でが高まっていることに関連する。

 いろいろ報道されている通り、海上給油を受けた軍艦がどこへ行っているのか(今朝のサンデープロジェクトで麻生前外相もつかんでいないと言っている)、目的外の任務につくことを阻止できるのかは、依然としてあいまいなままになっている。

 政府はアメリカや有志国を信頼して、というだろうが、そういうのを「平和ボケ」という。イラン空爆が始まればイランは公然と自衛権を発動する。即、本格的な戦争である。アメリカ第5艦隊は当然緊急配置につく。「この船は日本から給油を受けてますから例外です」なんてあり得ない。

 イランの沖合、といってもいいような場所も補給地点の一つだ。イランにとっては格好の攻撃目標で、日本の給油艦は当然敵になる。海自は途中で給油をうち切って逃げて帰らなければ憲法違反だ。そんなみっともないことになりたくないなら、民主党の反対をいいことに、ここでうち切ることだ。

 9.11を機に、世界に「テロとの戦い」大合唱がわき起こった。コンダクター・アメリカのタクトにみんな従った。日本は指揮者から「ショウ・ザ・フラッグ!」と名指しされ、「アメリカの自衛戦争に参加しましょう」とひときわ大声をはりあげることになった。

 戦争の相手は、ビン・ラディンを引き渡さないアフガンのタリバン政権という国家である。しかし戦争は2カ月ほどで終わり、その後はアメリカに協力するカルザイ大統領の国になった。しかしビン・ラディンはつかまらず、どこにいるのかもわからない。

 それ以来アメリカは、「テロ」という国か団体か人か、なにか実体のつかめないものを敵に戦争を続けることになった。証拠もないのにイラクをテロ支援国家に指定して国を滅ぼした。しかし「テロ」は減るどころか確実に増殖し続ける。焦るブッシュが次の標的をイランにする可能性は否定できない。

 日本政府も盛んに「テロとの戦い」を口にし、いくつもの国内法を作った。「テロとの戦い」は国際法も国連憲章も適用外だ。こんな危なっかしい「戦争」からは、一刻も早く縁を切って「世界に誇れる国」にしてほしい。なお、テロ特措法は、自民党総裁に決まった福田(当時幹事長)が苦心の末つくりあげたことも記憶しておこう。

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2007年9月21日 (金)

飢えるということ

[反戦老年委員会復刻版]

 闊達な文面で薫陶を受けている狸便乱亭さまが、「二番穂」について記事と写真を掲載された。二番穂というのは、稲刈りが終わった後その切り株からまた葉がのびて穂が出てくるさまをいう。もちろん稲穂の中身は空っぽで収穫はできない。

 それを恨めしそうに眺めていたのが、終戦前後中学生の喰い盛りだった小生である。四国や九州の南ではコメが年に2度とれると聞いて、せめて日本の半分がそうであればいいなあ、と思った。子供ながらも新聞、ラジオの今年の作柄予想を一喜一憂しながら聞いたものだ。

 刈り取りが終わる前に、田んぼで追いかけ回したのがイナゴである。見つけ次第パッとつかまえ袋に入れる。家にもち帰り、後ろ足だけギザギザがあるのでもぎ取って佃煮にする。姿は悪いが、貴重なカルシューム源で味は悪くなかった。

 コメの配給が大人一人2合3勺。今、これだけ炊けば老夫婦2人で2日は十分持つ。1食はパンだとか晩酌すればご飯を食べないなど、コメへの依存度が極端に減ってしまった。昔はそうではない。肉や魚を毎日食べていた訳ではない。

 頼りはコメだけである。それが終戦の年の7月11日から2合1勺に減らされ、さらに一部をトウモロコシ、イモ類、砂糖に切り替えられた。穀倉地帯でさえそうである。誰であろうと、ヤミ米を手に入れなければ、餓死しかねない事態になってしまった。事実、東京ではホームレスの餓死者が続出した。

 「朕はたらふく喰っているぞ。なんじら臣民飢えて死ね」というプラカードを立てた食糧メーデーが起きたのは昭和21年5月19日である。その頃、学校では休み時間になっても外へ出ず、体力の消耗をさけて机に突っ伏していたような光景であったことを思い出す。

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石油相場

以下は、旧バージョン「反戦老年委員会」記事の採録です。

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2006-04-21
石油はさがる
 今朝のニュースで、アナウンサーが「高騰を続ける原油価格が、WTIで遂に73.5ドルの新高値をつけました」といっていました。ガソリンは税金の部分が多いので、値上がり率で見るとそれほどにも感じませんが、灯油は去年より5割も高くなって、お困りの家庭が多かったと思います。

 ”石油はさがります”--何日か前に、石油連盟の渡文明会長が「高値が続くとしてもこれ以上の暴騰はない」といったコメントを出していました。これは気休めではありません。株と同じで、暴騰したものは必ずある程度戻すのが当然です。

 「エッ、石油は限りある資源だしいずれなくなる。それなのに中国などの消費量が爆発的に増えていくから高くなる一方じゃないの。株の値段とは違うでしょう」

 そのこと自体はまちがいではありませんが、今の高値の原因ではありません。そこでWTIについてすこしご説明しておきましょう。WTIはニューヨークのマーカンタイル取引所で先物取引される、あるテキサス原油の名前です。この原油の産出量はごく僅かですが、これまで世界の原油価格の指標になってきました。それが04年1月の平均34.24ドルからわずか2年で倍以上になったわけです。世界的に原油が不足しているわけではないのになぜでしょう。

 「産油国イラクはまだ戦乱状態だし、次はイランが危ない。ベネズエラには反米政権、ロシアはパイプラインが不安定、アフリカも・・・」

 そういった世界情勢による不安材料の反映もありますが、アメリカ独自のもっと直接的な原因があります。この原油は簡単な精製設備で、ガソリンが多くとれるすぐれものの原油です。アメリカは世界一のガソリン消費国で、値段が高くなってもまだ消費が増え続けています。そこへ去年ハリケーンが襲い、ただでさえ不足気味だった製油設備が大被害を受けました。ほかの安い原油を持ってきてガソリンに精製するための設備投資も遅れていて、WTIは一気に人気化しました。世界がそれに振り回されているわけです。

 「例によって反戦老年委員会さんのアメリカ・バッシングみたい」

 いいえ別にそんなことはありません。次回は、あと何年で原油が尽きるか、その年数が増え続けているという話をしましょう。

投稿日 2006-04-21 うんちく・小ネタ

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2006-04-22
原油枯渇の日
 あと何年、原油を掘り続けられるのか、原油が高騰している現在気になることです。毎年当然減っていくものと思ったら、ナナナナナント(←「きっこのブログ」の悪影響)年ごとにぐんぐんふえているのです。(下の可採年数がそれ=石油連盟資料ほか)

暦年 原油確認埋蔵量   可採年数
1930    25,865(百万バレル)18.3 (統計とりはじめ)
1973    627,856             31.2 (第1次石油危機)
2005  1,292,550        49  (去年)

 ちょっとここで言葉の定義をしておきましょう。
【確認埋蔵量】油層内に存在する油の総量(原始埋蔵量)のうち、技術的・経済的に生産可能なものを「可採埋蔵量」といい、通常「原始埋蔵量」の20~30%程度といわれている。「可採埋蔵量」のうち、最も信頼性の高いものを「確認埋蔵量」としている。
【可採年数】ある年の年末の確認埋蔵量をその年の生産量で除した数値。 
 
 確認埋蔵量の増加は、いままで無理だと思われた分も、生産技術の向上で採掘可能になる原油があることと、経済的理由(実はこれが大きい)で掘り出せる量が多くなるということのようです。かみくだいていうと、そこに原油がねむっていることがわかっても、開発のコスト、積み出しや輸送のコストなどを計算し、それが原油市場価格との比較で利益が出せないようなら、確認埋蔵量にカウントされないということです。それが今のように原油が高騰すれば、これまで見捨てていた油田でも、採算に合うところがどんどんでてくるということになります。

 油田ではありませんが、東シナ海で問題になっているガス田でも同じことがいえます。中国側の「春暁」に対抗して日本側に鉱区を設定しても、日本企業は今開発しても利益を生まないと判断すれば、どうしても投資に熱心になれません。そこが社会主義の国営企業とは違うところです。

 石油危機のあった頃は、地球上には理論的に2兆バレルほどの原油が存在する、といわれていました。今はそのまた何倍かになっているでしょう。しかし、石油資源が有限であることにはちがいありません。節約や代替エネルギーの開発を促進しなければならないことは、論をまちません。先進国の石油消費の伸びは、アメリカのガソリンなどをのぞき着実に減ってきています。中国やインドなどの伸びがいちじるしいものの、産油国の生産が順調に推移すれば、そう悲観的に考える必要はないということです。

投稿日 2006-04-22 うんちく・小ネタ

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2007年9月 6日 (木)

EUを知る 5

 ヨーロッパ各国の抗争、角逐の長い歴史、そして第一次・二次世界大戦の惨禍の中から生まれた欧州統合への期待と願望を書いてきた。そして『欧州連合論』はいう。

 1958年に発足したECC/EC/EUは、まず関税同盟を構築し、その後、農業、漁業、エネルギー、環境、教育、地域など各面にわたって共通政策を逐次実施に移し、1993年10月にはヒト、モノ、カネ、サービスの単一自由市場を形成、1999年1月から単一通貨「ユーロ」と「欧州中央銀行」を軸とする「経済通貨同盟」を発足させるところまで成長を遂げた。

 そういった中で、フランス、オランダの国民投票は、一昨年EU憲法案を否決した。また、加盟国の増加には、労働力移入や移民増大などへの不安感などもあって、EUの限界や「共同体」そのものへの幻想を否定する論調もすくなくない。

 しかし、これまでの経緯で示されているとおり、停滞や危機に見舞われたことははじめてではない。また、そのために後退や瓦解することもなかった。これをあえて「欧州魂」と言おう。そこで前回の最後に触れた「欧州防衛軍」のその後を見ることにする。

 冷戦下、EUとNATOの2組織は、それぞれ経済と防衛の役割を整然と分担していた。その間も、EUの原点にある不戦・平和への願が、「独自軍」の可能性をさぐる動きとして続いていた。異変が起きたのは98年9月にオーストリアで開催された臨時EU首脳会議の席上である。

 イギリスのブレア首相が、欧州防衛構想に積極的な参加をする意思を表明したのである。これによりEUの軍事機能づくりが一気に動き出した。これに対してアメリカは不快感をかくすることができなかった。谷口長世はその間の事情を、著書『NATO』でこう解説する。

 かつてドゴール仏大統領に英国は「米国のトロイの木馬」と呼ばれ、EEC加盟を拒否されたことさえある。それが突如、路線変更した当初は、「また米国と、しめし合わせた芝居ではないか」とEU内部でも半信半疑だった。英国の変心について、EU防衛政策高官は「米国の代弁者としての地位を保つためだった」と分析する。「米国にとっては、EUとのパイプは必ずしも英国でなくてもよく、極端にいえばドイツでもいいのだ。英国は積極的に欧州共通安保・防衛へ仲間入りすることで米国のパイプ役として地位を維持したいのだ」。かつて七つの海を支配した大英帝国は六〇年代半ばに「小英帝国」と揶揄された。それが今や小帝国さえ除き「英国」として活路を探し始めたのである。

 同書は、このあと「一枚岩とほど遠いEU」という小見出しを掲げ、EU内の大国同士、大国と中小国、そしてアメリカなどの各国間における国益の衝突、安全保障に対する認識の違いなど、外交摩擦の厳しさを語っている。

 その厳しさがあってこそ、「欧州魂」は磨きがかかり、世界平和への道すじを探求していけるのである。日本は、周辺国と靖国や教科書問題、尖閣そして竹島問題などで無駄な時間を費やしている場合ではない。世界は米一極から米欧の二極化に向かっている。世界第2の経済大国もOECDの政府開発援助では英国に抜かれて3位となり、第3極をになうことすら困難になってきているのが現状なのだ。(07/4/4「反戦老年委員会」より再録)

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2007年9月 5日 (水)

EUを知る 4

 このシリーズは、小屋修一氏の著作『欧州連合論』を主な参考文献として使っているが、同書の中でEEC/EC/EUと書かれた部分が各所にある。それぞれ日本人にとってなじみのある略称であるが、その違いや意味ということになるとよく説明できる人は少ないのではないか。

 さらにEECやECではなく、CEEやCEが正しいなどと言われるとますます混乱してくる。その理由は、英語とフランス語の違いで、EECやEC発足当時は、イギリスは未加盟だったからだ、ということらしい。

欧州経済共同体
EEC=European Economic Community(英語)
CEE=Communauté économique européenne(仏語)
欧州共同体
EC=European  Community(英語)
CE=Communaute européenne(仏語)
欧州連合
EU=European Union

 このシリーズの目的は、その中味をくわしく解説することではないので、前回に書いたようにCECA(欧州石炭鉄鋼共同体)が始まりで、その成長にともなってEEC→EC→EUと、あたかも出世魚のように名を代えた、とだけ覚えていただければいい。

 その中で、日の目を見なかった一つの組織がある。それがCED(欧州防衛共同体)である。この話は古く、朝鮮戦争直前のことで、ソ連の軍事的脅威増大と西ドイツの再軍備構想のなかで生まれてきた。シリーズの2で記述したように、米主導の軍事同盟・NATOはこの時すでに存在する。

 これを提起したのはアメリカである。フランスはドイツの復活を警戒しておりアメリカはドイツを含めた統一欧州軍が米軍の指揮下に入ることが望ましい、と考えていた。結局、冷戦進行など情勢の変化とアメリカの覇権を望まないフランスの反対で流産した。

 わざわざこれを取り上げたのは、その後もこの構想が復活する気運が消えていないからである。その説明の前に、同案の一部を前掲書から抜粋しておく。

 a.「欧州防衛軍」は、共通の予算を持つ「超国家的性格」を持つ、史上初の軍隊である。
 b.契約国のいずれかの国に対し、または、「欧州防衛軍」に対して行われる攻撃は、全締結国への攻撃とみなされ、全締結国と「欧州防衛軍」は、被攻撃締結国とその軍に対して、軍事的、その他の援助を与える。
 c.「欧州防衛軍」は締結国が提供する兵員によって構成され、共通の制服を着用する。また、その組織、訓練、装備はNATO軍最高司令官の管轄下に置かれる。
 d.締結国が、独自の国防軍を持つことを禁じる。
(以下略)

(「反戦老年委員会」より再録)

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2007年9月 4日 (火)

EUを知る 3

戦乱、抗争が絶え間なく続いたヨーロッパでは、中世から「王侯連合」を提唱するような発想があった。近代に入って、1847年に文豪ヴィクトル・ユーゴーが「欧州合衆国」の創設を提言し、悲惨な結果をもたらした第一次世界大戦後の1923年には、オーストリアのクーデンホーフ伯爵が「汎欧州運動」を開始した。なお同伯の母親は日本人・青山光子である。

 この趣旨が活かされ、動きが本格化したのは第2次世界大戦後である。元イギリス首相・チャーチルの提唱で1948年5月、オランダのハーグで19カ国およそ1000人の欧州統合推進論者を集めて決議を採択した。

 《決議は『国家主義を基礎にした欧州再建は不可能』だとしたうえで、欧州の安全保障、経済的独立と社会的進歩を確保するために「経済的・政治的連合の結成」を訴えるとともに『各国の主権の一部統合に同意することが肝要である』とした(ハーグ決議)。》

 NHKの「その時歴史は動いた」ふうに言うと、「欧州共同体の萌芽ともいうべき欧州石炭鉄鋼共同体(CECA)の誕生まであと3年、EEC(欧州経済共同体)設立のためのローマ条約調印まであと9年であった」となる。

 欧州石炭鉄鋼共同体の構想を推進したのは、フランスのシューマン外相である。欧州人にとって長年にわたる平和への悲願を、国家権力の中枢をにぎる1現職大臣が、理想実現のために行動したのだろうか。この計画は、次の趣旨でフランスの経済・設備投資官僚が慎重に検討していたものだった。

 《冷戦のメカニズムによって、東西ドイツの軍事力が、米ソ両陣営によって強化される事態を強く懸念し、『軍事化されたドイツによる脅威の問題を解決することが、欧州平和にとって必要』だとし、問題解決の一手段として、フランス、ドイツ両国の石炭・鉄鋼を「共同化」することを考えだした。当時は石炭と鉄鋼は、一国の経済力の「カギ」を握るとともに戦争のための武器生産に不可欠の生産財であった》

 こう見るとたしかに現実的な国家戦略がひそんでいるように見えるが、やはり根底には長い時間をかけて、欧州人が国の垣根を越えて平和を希求する、という土壌がなければ成立しなかっただろう。またそれが国家への圧力になっていたはずだ。

 CECA条約はその前文で高らかに宣言した。
 《古来の敵対に代えるに、諸国の本質的利害関係の融合を以てし、経済共同体の設立により、多年、血なまぐさい対立によって離間していた諸国民の間に、一層広く一層深い共同体の最初の礎石を据え、かつ将来の共通の運命を方向付けることのできる制度の基礎を気付くことを決意して、欧州石炭鉄鋼共同体を創設することを決定(以下略)》

(07/3/27「反戦老年委員会」より再録)

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2007年9月 3日 (月)

EUを知る 2

 EU加盟27カ国首脳は昨25日、ベルリンで欧州統合の原点となったローマ条約調印50周年を祝い、結束を再確認する「ベルリン宣言」を採択した。今回は、もうひとつの組織で、最近麻生外相などが接触を深めつつある軍事同盟・NATO(北大西洋条約機構)をからめたクイズを出してみたい。(Yes,Noで答えてください)。

 ① ローマ条約が契機となり、集団的自衛権をうたった相互防衛機構・NATOが誕生した。
 ② NATOの調印式は、本部のあるベルギーの首都・ブリュッセルで行われた。
 ③ トルコはEU同様、北大西洋から遠く欧州と見なされないのでNATO加盟を許されていない。
 ④ ベルギーに本拠を置く欧州連合軍総司令部の総司令官は、各国軍持ち回りで任命される。

 NATO創設50周年首脳会議は、1999年4月、ワシントンで行われた。折からNATO初の軍事行動てあるコソポ紛争が長期化し、連日連夜のようにNATO軍によるユーゴ空爆が続行されている最中であった。

 前述からわかるとおり、EUの前身発足より8年も早い1949年、アメリカの主導でワシントンの国務省講堂に12カ国(米国、カナダ、英国、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベネルクス三国)を集めて条約調印したものである。さらにそのあと、ソ連封じ込め作戦として1952年ギリシアとトルコの加盟を実現させ、1955年に再軍備が認められた西独も加盟した。

 人事については、「米国人が、NATOの“征服組”のトップの欧州連合軍総司令官(SACEUR)のポストにつく不文律になっている見返りに、事務総長は欧州同盟国の少なくとも外相か国防相経験者というのが不文律」とされている。(谷口長世『NATO』岩波新書)

 以上のように、答えはすべて「No」である。わが委員会も関心を持たなければ正解率ゼロだったかも知れない。EUによる平和維持機能との関連で、イギリスを含む欧州各国は、冷戦後のNATOのありかたを大きく見直す気運にある。ここでもわが国がアメリカのメッセンジャー以上の意見を持てるのか、はなはだ心もとないといわざるを得ない。(2007-03-26「反戦老年委員会」より再録)

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2007年9月 2日 (日)

EUを知る 1

 あす25日は、EU(欧州連合)発足のもととなったローマ条約調印50周年に当たる。これに関連して毎日新聞が中1面をさいて平和への貢献を中心にした特集を組み、産経新聞も複数の見出しを立てて扱っていたが、他の全国紙では目立つものがなく、読売、日経からは見いだすことができなかった(それぞれ電子版)。

 わが委員会は、中国・朝鮮との対立軸を解くためには、究極的にEUを手本にした東北アジア共同体を目指すべきだと考えるので、よりくわしいEUに対する知識と情報を日本にもたらすよう、各マスコミに要望したい。

 ここに、かつて知遇をいただいたことのある元・西日本新聞論説委員長・小屋修一氏の著『欧州連合論』(非売品)があるので、それを引用させていただきながら、知識を深めるよすがとしたい。《 》引用部分。

 《欧州連合の理念は、ドニ・ド・ルージュヒンによれば、美王フイリップの顧問法学者ピエール・デュボアが欧州の全ての君主に、トルコ軍に対して団結するよう訴えた、一連の公開書簡を送った1308年に始まるとされる。》

 日本では鎌倉時代、強国・オスマントルコが勃興して間もない頃で、いかにも早すぎる。なぜならば王侯貴族が争い、民族・宗教間の攻防はあっても、主体となる近代国家、国民国家がまだ成立していなかった時代だからだ。しかし現在、トルコ加盟の是非をめぐって独・仏など西欧諸国民の間で、イスラム国に対する違和感がぬぐい去れないという。当時の皮肉な遺伝子を今に残しているからだろうか。

 具体的議論となるのはそれから数世紀先になる。第一次世界大戦後の巨大な人的・物的損害による勝者なき惨禍の中から、「欧州平和維持機構」としてのヴェルサイユ体制が築かれ、1929年の国際連盟総会にフランスのブリアン外相が「欧州統合」を提案した。しかしこれは、折からの世界恐慌勃発や英・独・伊の消極的態度で実現しなかった。

 第二次世界大戦は、またしても欧州を激しい戦火にさらした。そして世界の兵器庫の役割を果たしたアメリカが主導する「バックス・アメリカーナ(米国の軍事力により保たれる平和)」と、東欧と極東で領土を拡大したソ連軍事大国の二極化の時代に入った。

 反面、戦いには勝ってもかつて英・仏をはじめ世界に雄飛した欧州植民帝国の姿はすでになく、《「冷戦」の中で一定の発言権を確保するためには、バラバラの欧州ではなく、『統合された欧州』『政治的・経済的・軍事的一単位としての欧州』が必要であることは、誰の目にも明らかであった。》 

(以下次回)

(07/3/24反戦老年委員会より再録)

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2007年9月 1日 (土)

「共同体・序章」はるか

 昨日エントリーした「東アジア共同体」構想に関連し、『毎日新聞』が今日から「共同体・序章」と題する特集を開始した。第1回目のタイトルは、<「対米配慮」際だつ日本>、<「広域化」望まぬ中国>、<「靖国」こだわる韓国>で、その内容として、米国、インド、EUなどの思惑が交錯する中、主導権争いだけが先行する混沌とした状況を伝えた。その中でEUと関連する気になった部分の引用をする。

  歴史問題を焦点にした韓国の「多角外交」は、すでに始まっている。欧州を歴訪した潘基文(パンキムン)外交通商相は1日、欧州連合(EU)の本部があるブリュッセルで「(EU加盟国で構成する)欧州議会の議員も(小泉首相の靖国参拝を)認めがたいという反応をみせた」と述べた。歴史問題の解消策としても重大な役割を担った欧州共同体(EUの前身)が置かれた象徴的な場所での発言は、小泉首相の靖国参拝が、中韓だけの問題ではなく、ましてや「共同体構想」とはかけ離れた次元であることを暗示している。(後略)【ソウル堀信一郎】

 EUの反応については、伝聞報道なので正確なところはわからないが、靖国参拝の韓国側の主張を支持したということではなく、共同への大目的を前に、首相の私的な行動で進展をさまたげている事実について、疑義を差し挟んだものと解釈してよさそうだ。

 これを、小泉個人が招いた一時的な現象として見過ごしていいのだろうか。アジアのつまはじき者となり、アメリカへの傾斜をますます深めなければならないようなところへ追い込まれることが、日頃の小泉発言からみて、果たして杞憂といいきれるのだろうか。(05/12/8「反戦老年委員会」より再録)

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拝啓 前原誠司さま

[反戦老年委員会復刻版]

 拝啓 前原誠司民主党副代表さま。前に一度お断りになった副代表のポストですが、このたびはお受けになりました。まずもっておめでとうございます。副代表にどういう権限と影響力があるのか存じませんが、以前とは違って参院選大勝利を受けてのことです。必ずや貴兄の能力を最高度に発揮され、政権奪取に全力をつくされることと確信しております。

 わが委員会内部にも、軍事オタクで自民以上にタカ派の貴兄に声援を送るとは何事だ、という意見があります。しかし、戦前回帰の隔世遺伝しか念頭にないような安倍首相とは違い、石破・元防衛庁長官などとともに、戦前・戦中・戦後の軍隊や防衛問題を「冷めた目」で分析評価できる数少ない人材だという評価もあります。

 ちなみに雑誌『諸君!』3月号の対談記事では、次のようにいっておられます。

  今われわれがしなければならないのは、今後数十年はアメリカと良好な関係を保ちつつ、日本が主権国家としての矜持を取り戻すための布石を打っておくことではないでしょうか。布石の第一は米軍基地における「主権回復」。

沖縄をはじめ、「占領」された土地がいまだに治外法権的に米軍の下で管理されていますが、米軍が管理するという現行の地位協定の条項を変え、あくまで日本が管理して米軍に貸与するという仕組みに変えなければならない。次ぎに航空管制圏を完全に取り戻すこと。いまだに首都圏の皿の大半が横田基地の管制圏下にあり、民間機が遠慮しながら飛ばなければならないのは異常な事態です。

  さらにインテリジェンスの充実と防衛産業の育成も課題です。(中略)後世の人々が「あの時、先人がこちらに舵を切ってくれたんだ」と判断してくれる程度の仕事をしなくてはいけない(後略)。

 ちょっと国粋主義的な言いまわしが気になりますが、まず安保条約の見直しをすべきだという点は、わが委員会と同意見です。しかしそのさき、いかにして国の安全を図るかという点で、貴兄が集団的自衛権行使に積極的であることとは、相容れません。また、憲法9条の変更にも断固反対します。

 貴兄も言われるとおり、安倍首相の方針には「戦後レジーム脱却」とか「美しい国」云々の空疎な言葉の羅列だけでその先の理念が見えません。それに、小泉前首相以来とられてきた対米従属一本槍の姿勢や、最近の米ブッシュ政権の腰のすわらない世界戦略から、国民は「集団的自衛権」に不安を持ち始めていることも、最近の世論調査などで明らかです。

 また、お説の通り、防衛政策はグローバル化や国際情勢に即応できるものでなければならない、そこで安倍ファミリーとどれほど違う政策が立てられるか、臨時国会でテロ対策特措法反対で、どういう対案がつくれるかが兄にとっての正念場だと思います。

 それを成しえず、結果として安倍政権の延命に手を貸すだけであれば、民主党副代表を返上し自民党に移籍されることをお薦めします。民主党とすれば痛手でしょうが、日本の将来にとってはその方がプラスになるかも知れません。

 最後にお願いがひとつあります。中国を誹謗し、中国要人から面会を断られるようなことだけはしないでください。それだけで、安倍首相にも及ばない軽率な政治家だと評価を下げます。

以上失礼の段、重々お詫び申し上げ今後のご健闘を祈ります。

2007年9月3日

ヤケクソ解散?

 遠藤農林大臣が辞任した。遂にスリーアウト、チェンジの様相だ。安倍自民党が悪あがき政局から脱却する残された手は、一つしかない。それは、テロ特措法延長を参議院で否決させると同時に解散総選挙にでる手だろう。

 民主党を反米政党に仕立て上げ、日米離間により経済の悪化、安全保障の崩壊を声高に(マスコミ操作をして)叫ぶ戦術だ。今度は公明党の支援も得にくいだろうから、徹底的に民主党を攻撃する。

 キャッチフレーズは、「アメリカと仲良くするのか、中国・北朝鮮・テロの側につくのか」だ。 国民はそんな禁じ手に簡単に乗るとは思えないが、絶妙なタイミングで最大の効果を得ようとすれば、あり得ない話ではない。民主党の追いつめかた次第で、イチかバチかのヤケクソ解散になるかも知れない。

 なにか、昨今のスキャンダル続出報道を見ていると、日本の政治のレベルはその程度でしかないのではないかとさえ思えてきた。民主党は足元をすくわれないよう、十分に注意してほしい。

 なお、本ブログはパソコン不調のため、しばらくは不規則な投稿になることをご了承下さい。</p>

2007年9月6日

「ひげの隊長」記事批判

 わが委員会は日頃、毎日新聞の回し者ではないか、と思われるほど同紙を評価する記事を書いてきた。しかし今回は、徹底的な批判を試みたい。9月5日付夕刊の「特集ワイド」【藤原章生】、である。

 例の8月10日に放送されたTBSニュースの発言についてである。その録画まで含めた記録はすでにネット上から消えている。この問題は、多くのブログが問題として取り上げ、わが委員会でも触れたが、マスコミでは殆ど無視され、わずかに弁護士等の公開質問状発表を毎日新聞や東京新聞などを、後追いで記事にしただけである。一応この件を7段抜きで1面の半分以上を費やしてフォロウ・アップしたようだが、中身は違っていた。

 一口で言うと、遠慮が先に立って及び腰な報道姿勢である。これまでの大臣発言、たとえば久間防衛大臣の「しょうがない」発言とは、比較にならないほど危険であり、今後の防衛政策に関連してくる発言内容なのに、ただつじつまのあわない、こじつけの弁解を「親しみをこめて」聞いてやった、という記事である。

 ちなみに、見出しを紹介しておこう。

 リード見出し……ヒゲの隊長佐藤正久さんに聞く――PKOでの駆け付け警護
 本見出し……本音は「もっと自由に」?
 サブ見出し……自衛隊の武器使用どこまで

 まず、インタビューしたのは「ヒゲの隊長」ではなく、自民党参議院議員ではないか。発言は、隊長時代ではなく、参議院議員になってからである。マスコミが政治と金問題にあれほど執拗に迫り、政治に関係のない過去の私生活まで追っかけているのとは大違いである。

 オランダ軍を警護に行き、武器使用せざるを得ない状況になったとして、佐藤氏は「その代わり日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」と明言している。それを「司法が判断すべきだ」といった意味だとし、誤解されたというのは、それこそ苦しい弁解だろう。

 藤原記者は、佐藤議員の気持ちを察して「武器をまともに使えないのなら、むやみに外に出すな、という思いだろう」いっている。戦前、元軍人の水野広徳が「強大な軍隊と精鋭な兵器を手にした軍人は、空砲を撃つだけでは満足できなくなり、敵を求めて実弾を撃ってみたくなる。職業心理というやつは恐ろしい」書いているのとどこが違うというのか。

 最後につけ加えておこう。記事の中で質問状を出した「護憲派の弁護士ら」という表現を使っている。詭弁だが、弁護士というのは憲法を守り法律に従うのが仕事だ。わざわざ「護憲派」をつける意味は何だろう。

 わが委員会は、専守防衛の自衛隊を憲法に明記すべきで、それが本当に必要なら増強もあり得るという改憲派である。藤原記者はサマワで取材活動をした経験があり、当時の佐藤隊長の世話になったことがある既知の仲かも知れない。それで「自衛隊派」として記事を書いたとすればなにおかいわんや。抗議を無視した佐藤氏らと同じ立場で、読む価値はない。

 文末にはこう書いている。「小泉純一郎前首相的な詭弁がいかに現場を苦しめるか・戦場を知る(佐藤議員の)目で糾弾してもらいたい」。おいおい、待ってくれよ。佐藤議員はイラン派遣に反対した野党議員ではない。与党自民党から公認を受けたピカピカの一年生ではないか。

2007年9月8日

江戸の秋(追加しました)

 金ひとつ 合ってる日なし 江戸の秋
            (よみ人知らず)

 松岡利勝・赤城徳彦・遠藤武彦氏と、農林水産大臣が3代続けて国民から預かった金の勘定が合わず辞職した。参院選で国民の厳しい批判を浴び、安部首相が強引に居座って内閣を改造したもののまだ止まらない。

 坂本由紀子政務官、上川陽子少子化担当相、この先どこまで続くのだろう。わが委員会は、議員宿舎が豪勢であろうと無料パスが支給されようと、そんなことには目くじらを立てない。それ以上に国民のお役に立ってもらえればそれでいいのだ。

 江戸城の無血開城に力を尽くし、明治天皇の養育係りとして心血を注いだ山岡鉄舟は、晩年次のように詠んだ。

  宮内大丞より御手紙到来、翌日出頭、
  華族となり恐縮々々

  喰てねて働きもせぬ御褒美に
  か(蚊)族となりて又も血を吸

(翌8日、以下の通り追加)

[毎日新聞当日社会面より]
●増田総務相も記載ミス 資金管理団体が混同
●宮路衆院議員も経費を二重計上 元副厚労相
●鴨下環境相が資産報告訂正
●小泉財務政務官も

【訂正】7日朝刊、「丹羽元厚相支部印刷代二重計上」の記事で、印刷代が「50万800円」とあるのは「51万800」円の誤りでした。

新聞社まで「誤記」をする江戸の秋
              (よみ人知らず)

2007年9月9日

日本人の気概

 吉田茂元首相が、「GHQ」の意味をマッカーサーに聞いたら、けげんな顔をして、 「General Herad Quarter」&nbsp; &nbsp; だと言った。その時、そうですか、日本人はまた、 「Go Home. Quickly」 (早く帰れ)の略だと思っていました、という話を池田弥三郎さんが紹介(『日本故事物語』河出書房新社)している。

 もちろん実体のないギャグだろうが、戦前駐英国大使として国際舞台で腕を磨き、戦時中は反戦の容疑で逮捕された経験のある吉田さんだ。彼なら占領軍の総元締め、マ元帥にそれくらいのことをズケズケ言ったかも知れない、と当時の人は思っていた。

 「ばか野郎」と議会で怒鳴り、それが原因の「ばか野郎解散」をしたり、和装白足袋をトレードマークとする貴族趣味は、小泉さんや就任当時の安倍さんのように人気を前提にした政治とは縁がない。日本人として、対等な人間としてマ元帥の前に立ったのだ。

 テロ特措法延長期限切迫を目前にして、アメリカ政府は公然と、臆面もなく圧力を高めている。ブッシュ政権がこれから仲良くできそうな国は、北朝鮮とオーストラリアぐらいになってしまった。占領下でもないのに、日本はまだ恫喝が利くと甘く見られているようだ。

 民主党・小沢さんのシーファー駐日大使に対する応接が、今までの日本の政治家にない、新鮮で歯切れのいいものだったので、このところ左右双方からの支持が高くなっているという。アメリカ側は、大使側から出向いたり会談の公開に応じるなど、慣例無視の低姿勢を示すことで日本国民の理解が得られると思ったらしいが、これはどうも逆効果になったようだ。

 今、実現の可否は別ともかく、面と向かって「Go Home. Quickly」とアメリカの指導層に直言できる政治家が一体何人いるだろう。それこそ、占領下のような「戦後レジーム」を抜けきれていない安倍さん以下の面々に、政治家のありかたや外交のイロハから勉強しなおしてもらいたい。

2007年9月10日

次の戦争

 アフガン、イラクと続いたアメリカブッシュ大統領のオハコ「テロとの戦い」、行き詰まると次の戦争の模索が始まる。いわずと知れたイランの攻撃である。「まさか」と思ってはいけない。イラク侵攻も「まさか」と思っているうちに始まったのだ。

 イランは核開発を進めている。査察を受け入れるといってもアメリカは信用しない。北朝鮮も最近まで同じ扱いだったがアメリカが大幅に譲歩して急接近中である。これもイランに力を集中するため、ととれなくもない。

 北朝鮮は中東まで遠い。イランはイラクであろうがアフガンであろうが地続きだ。核物質がテロリストの手に渡り米軍やイスラエルに向けて使われる、いや警戒の目をくぐってアメリカ本土に持ち込まれるのではないか、とアメリカ市民は心配している。

 北朝鮮が脅威だといっても、戦後日本は北朝鮮人を一人も殺していない。アメリカはすでに9.11の何倍ものアラブ人やムスリムを殺している。果てしない報復の連鎖を恐れるだけの理由がある。ここで核開発をストップさせないと手遅れになると思うのだ。

 テロリストには先制攻撃も辞さない、とブッシュは宣言している。イラン革命防衛隊はすでにテロリストに指定されている。そこに国内の政治的要因も加われば、国連決議を拡大解釈してでも勇ましく戦端を開き、国民の喝采を受ける。こういう想像を誰が止めることができようか。

 インド洋やアラビア海に展開するアメリカ海軍の艦艇は、直ちに緊急配備につく。日本の海上自衛隊から洋上給油を受けた艦船が、それを理由に作戦に加わらないなどということはあり得ないし、日本も「テロとの戦い」に行き先を限定する権利はない。

 イランも当然ペルシャ湾やインド洋上の敵艦船をミサイルや空軍の力で攻撃する。自衛隊の給油船は後方支援だからやめておこうなど、決してあり得ない。その重要性は、米国当局や日本政府がこのところ喧伝しているように明らかだ。こうして、憲法で禁止している軍事力行使に正面から巻き込まれる。

 「友人が困っているのを見捨てて引き上げることはできない」などという理由は通らない。そうなったら、日本が輸入する原油の10%をしめるイラン原油がまずストップする。さらに地図をみていただきたい。ペルシャ湾ののどのどもとホルムズ海峡が封鎖されれば、クウェート、バーレーン、UAEなどの残りの殆どの中東原油が止まる。

 日本が備蓄で食いつなげるのはわずか3カ月。それだけではない、テロ攻撃の目標にさえなるのだ。平和憲法を持つ日本がどうしてそんな目に遭わなければならないのだ。

 今日の結論!!。テロ特措法を決して甘く見てはならない。

2007年9月11日

モデムに落雷

地震、雷、火事、親父。
 かつて四天王という題で記事をあげたが、この四つはとりあげてなかった。往年、戦時火曜「隣組」というのがあった。「♪とんとんとんからりと隣組」で始まるこの歌は、「地震、雷、火事、泥棒」で親父を泥棒に置き換えた。当局の検閲のせいかどうかは知らない。

 とにかく、四つのうち私はなんといおうと雷が一番コワい。その理由や狼狽ぶりは身内は知っているがここではいうまい。ところが今日はコワくなかった。なぜならば、遠雷も黒雲もなくいきなり「パーン」ときたのである。曇りガラスを通して目前を閃光が縦に走った。ただそれだけ。

 こわがる暇もなく終わってしまったからである。案の定、漏電ブレーカーは落ちていた。復旧させておそるおそるテレビをチェック。OK。照明その他家電関係OK。アレッ!。モデムが点滅していない。パイロットランプは全部真っ暗。

 パソコンは、電池でついたままになっていたが、「接続されていません」というメッセージが出いるから、まあ大丈夫らしい。ケーブルテレビでIP電話を使っており、当然ネットはだめ。ああ、電話も信号音が聞こえない。

 「公衆電話でメンテ会社に知らせなければ」とあせったが、考えて見ればNTT回線のモジュラージャックをモデムからはずして電話機に直接挿せばいいわけだ。これだけのことを思いつかないのだから、やはり相当狼狽してたのかな。

 メンテのおじさんが2時間半後ぐらいにやってきて、モデムの結線を全部はずし、耳元で振っている。「やられてますね。交換だ」といった。昔、白熱電球を振ってみて断線を確かめたことを思い出した。会社と連絡しながら再設定、まもなくめでたく復旧したが、モデムへの落雷は防ぎようがないらしい。

 「ご苦労さんでした」。実直そうなおじさんをそう送り出したが、その返事にはやや傷ついた。 「こわれたのが、ただ(無料)の機械だけでよかったですねえ」

2007年9月12日

安倍辞任の衝撃

 なんという醜態。もはや二の句が継げない。
 なんという無責任。国を投げだす職責放棄。

 おととい所信表明演説をし、これから代表質問が始まるという今日この日にだ。
 日本の過去にも、広い世界でもこんな例を聞いたことがない。
 「ボクちゃんやめンの」。ブログの世界ではなく、TVインタビューで町のおばちゃんにまでこうくさされている。

 結果として、こんな首相を選んでしまった日本国民が、参院選でようやくノーを突きつけた。「美しい国へ」「戦後レジームの脱却」。自分でもわからないから他人はもっとわからない。辞任のタイミングも理由もそれ以上にわからない。

 政府、自民党の中枢にいる人が、これまで言語明確意味不明をなんとか解説してつくろってきたが、今度だけは、どうやら匙を投げた形だ。政府与党内は麻のごとく乱れている。19日に総裁選、という話だがどうなることやら。

 1.麻生氏だけが立候補。無投票当選。
 2.麻生氏、谷垣氏、第3の当て馬候補。
 3.プラス福田氏、その他意外な大物。

 どうなったにしてもたいした変化は起きず、自公体制に変化はないだろう。やはりジリ貧与党だ。最善の道は、選挙管理内閣を作って解散し、すっきり野に下って新規まき直しをはかることだ。これが残された党再生の最も確実な手段だ。

 しかし、これまでに大きく変わったことがある。憲法改正機運、対米従属一本槍政策だ。我が委員会創設の目標に、半分とまではいかないものの、ようやく3分の1程度には到達した。すくなくともアメリカの好戦路線にもの申す端緒ができたのだ。しかしまだ安心はできない。この先後退するおそれは十分残っている。

 しばらくは天下の情勢を見極めなくてはならない。それを口実にする訳ではないが、沖縄旅行計画もあり、この先我が委員会の更新がやや不規則になることをお許しいただきたい。

2007年9月14日

これからの政局

 前回の投稿で自民党総裁選に出馬する次の3つのケースを考えた。そしていずれも本格的な安定内閣にはなり得ないだろう、と書いた。
 1.麻生氏だけが立候補。無投票当選。
 2.麻生氏、谷垣氏、第3の当て馬候補。
 3.プラス福田氏、その他意外な大物。

 そのうち3が一番近いようだが、報道されている限りでは内容が大いに異なる。安倍政権下では考えられないハプニングが起きようとしている。谷垣氏は政策が近い福田氏の支持をいちはやく表明し、津島派の額賀氏も、立候補を撤回して福田氏についた。自他共に本命候補であることを疑わなかった麻生氏、このままでは20人の推薦人を集めることさえ難しく、慶応病院に入院したい心境だろう。

 大きいのは「その他意外な大物」の動向であった。大物としてイメージしていたのは、YKKの残る2人・山崎、加藤両氏、それに古賀氏だ。また、あり得ないとは思ったが小泉・森元総理のカムバックである。ところが、なんとその全部が福田氏を支持するというではないか。逆にいえば、こういった人達がいかに安倍政権に冷淡だったかがわかる。

 自民党のなだれ現象で福田内閣が成立し、聖書に造詣の深い谷垣氏の外務大臣起用などで、民主党の主張に近い形でのテロ特措法解決が図れたとすれば、民主党は当面の切り札を失うことになる。安倍首相がテロ特措法の人身御供になったともいえよう。

 また公明党は、アキレス腱だったタカ派指向内閣への不本意な協力から解放され、連立維持に力が入る。こうして、解散は最も政府与党の都合のいい時期まで引き延ばされるだろう。一方、攻めにくくなった民主党は、小沢代表のいうように、あわてずこれまでの方針をじっくり固めて淡々と進むしかない。

 せっかく時間が与えられたのだ。民主党は、テロ特措法の議論を足がかりに、安全補償問題で自民党との違いを際だててほしい。それには国連の生い立ち、すなわち国連精神の再構築と、国連の将来にわが国がどうかかわり、平和に向けた国連の役割にどう貢献するかを具体的に示すことが第一だ。

 これは、当然憲法問題と日米安保の根幹にかかわる問題で、半世紀にわたる米軍基地をどうするかも決まってくる。さらに、財政再建や福祉政策を推進する上でさけて通れない消費税の扱いなどもある。これらから逃げず、国民に率直に問いかける姿勢があってこそ、はじめて総選挙に勝てる責任政党といえるのではないか。

2007年9月16日

イラク年表+

 テロ対策特措法の国会審議を前に、一夜漬けであっても一応の復習しておいた方がよさそうだ。そのため簡単な年表を作ってみた。その要所にコメントや引用文を入れておく。

2001/09/11 米国同時多発テロ。国防総省、世界貿易センター等で3000人近くが死亡。
2001/10/07 米・英の率いる連合軍がアフガニスタンに軍事介入(不朽の自由作戦)。約3500人の民間人と連合軍側420人の犠牲者が出る。

2001/10/26 米議会、国民の自由を制限する「パトリオット(愛国者)法」を可決。
2002/01/29 ブッシュ大統領がイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び対抗策を確約。
2002/06/14 アメリカ領事館へテロ攻撃。死者12人。

2002/10/11 米議会、イラクに対する武力使用を承認。
2002/10/12 バリ島でテロ事件。死者約200人
2003/02/05 コリン・パウエル米国防長官が、安保理で映像や盗聴テープを使い説明。以下は最上俊樹著『国連とアメリカ』による。

【引用】USニューズ・アンド・ワールド・レポート誌(2003/3/9号)に掲載された記事)によれば、最初チェイニー副大統領のスタッフたちによって作成された演説草稿は、裏付けに乏しい「言いがかり」に満ちた、「ごたまぜのイラク非難」に類するもので、パウエル周辺の政府関係者があきれるほどだった。
 
 それでもその草稿の中から使える部分は拾いつつ、2月5日に使うための草稿作りを試みたが、なお無根拠な箇所がたくさん残ったのであろう、2月1日に予行演習をした際、怒ったパウエルが「こんなばかげたもの(bullshit)が読めるか」と言って数ページを宙に放り出したという。

【コメント】その使える部分に残ったのが次の3項目である。
1.生物兵器
 ・数万人単位の人間を殺傷できる量の炭疽菌およびボツリヌス菌を1カ月以内で製造可能。 
 ・そのための移動式製造装置を保有。

2.化学兵器
 ・100トンから500トンの化学兵器用物質を保有。
 ・イラン-イラク戦争時からの行方不明兵器も多量。
 ・死刑囚を使った人体実験も実施。

3.核兵器
 ・1995年に簡単な核兵器製造の緊急計画に着手。
 ・1998年には核分裂物質入手計画を本格化。
 ・製造計画を続行中。

イラクへの軍事侵攻(イラクの自由作戦)、米軍24万人、英軍26000人。

【コメント】ほかにオーストラリア、スペイン、ポーランド、日本などが派遣したが、2007年の今日までにスペイン、イタリア、オランダなどがすでに撤退。その他の派遣各国も英国をはじめ多くの国が一部撤退または撤退を検討中。

2003/05/01 ブッシュ大統領、戦争終結宣言。
2003/12/13 フセイン元イラク大統領、米軍により国内で拘束。
2004/03/11 スペインで列車に対するテロ事件。死者191人。

2004/03~04 米兵によるイラク人捕虜に対する虐待写真流出、公開される。
2004/09/30 CIAダルファー報告(上記の「大量破壊兵器の隠匿と実戦配備の即応性」を否定)。

【コメント】侵略を先に決め、無理矢理理由付けしたダーティな戦争だということがはっきりしている。現在叫んでいる「テロとの戦い」も後付けにすぎない。米軍の行動がテロを分散蔓延させてしまっているからだ。(以下次回)

2007年9月17日

続・イラク年表+

 前回の年表の一部を拡大、日本と国連決議の動きを付け足して観察したい。

1990/08/03 イラク軍クウェート侵入、全土制圧。
1990/08/30 日本、多国籍軍の後方支援に10億ドル支出を決定。
1990/11/29 国連安保理決議678。

【コメント】クウェートに軍事侵攻したイラクに対し多国籍軍が武力行使することを授権した。その撤退期限が切れた1991/01/17、多国籍軍による戦闘を開始。

1991/04/03 国連安保理決議687。

【コメント】イラクが大量破壊兵器を廃棄し国連の査察に応ずることを義務づけた。

1991/04/06 湾岸戦争終結(国連安保理確認)。

1991/12/30 ソ連解体 
1993/01/01 EC発足
1994/04/10 ボスニア紛争でNATO軍が空爆

1998/08/07 ケニア、ナイロビの米大使館付近で爆発。274人死亡。
1998/08/20 米、アフガニスタン、スーダンの「テロ関係施設」を報復攻撃。
1998/08/31 北朝鮮「テポドン1号」発射、三陸沖に落下。 

1998/12/17  米英軍、査察妨害等を理由に20日までに97ヶ所に対し「湾岸戦争」時を上回る巡航ミサイル数でイラク攻撃、「砂漠のキツネ作戦」。日本政府は攻撃支持を表明。

【コメント】イラク攻撃はこのころからの既定方針か。

2001/09/11 米国同時多発テロ。国防総省、世界貿易センター等で3000人近くが死亡。
2001/09/12 国連安保理決議1368。

【コメント】9.11の翌日ななされたもの。テロの非難と「テロリズムと闘うため必要な手順をとる用意がある」という内容で、特定の武力行使をさしたものではない。

2001/10/07 米・英の率いる連合軍がアフガニスタンに軍事介入(不朽の自由作戦=OEF)。
2001/10/26 米議会、国民の自由を制限する「パトリオット(愛国者)法」を可決。
2001/10/29 日本で「テロ対策特措法」成立。安保理決議1368を根拠にしている。

2002/01/29 ブッシュ大統領がイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び対抗策を確約。
2002/10/11 米議会、イラクに対する武力使用を承認。
2002/11/08 国連安保理決議1441。

【コメント】イラクが安保理決議違反を繰り返しているとして、大量破壊兵器対する査察再開の受け入れと、査察妨害など重大な義務違反をしないよう命じたもの。重大な義務違反があった場合「安保理は直ちに招集され、事態を検討する」とのべており、自動的な武力行使を避ける趣旨を含んでいる。大量破壊兵器へのでっち上げは前回の年表を参照。

2003/03/20 イラクへの軍事侵攻(イラクの自由作戦)、米軍24万人、英軍26000人。

【コメント】国連決議のない戦争突入として、自衛権行使、先制攻撃、人道的介入、体制変更そのいずれも合法性が認められない。そこで直前の国連決議1441に、湾岸戦争当時の国連決議687、678を結びつけ3つの決議をセットにして合法性があるという主張をアメリカも日本もしている。7年前の青信号は黄色から赤に変わり、また青になるに決まっているから無視して当然、というしろうと考えでも無茶な話なのである。湾岸戦争は一旦終わっているのだ。

2003/07/26 アメリカの圧力のもと、日本のイラク特措法成立。

【コメント】目的は人道復興支援活動と安全確保支援活動で陸自のサマワ派遣部隊は撤退したが、航空機による物資、人員の輸送活動はいまだに続けている。

2003/05/01 ブッシュ大統領、戦争終結宣言。
2003/12/13 フセイン元イラク大統領、米軍により国内で拘束。
2004/03/11 スペインで列車に対するテロ事件。死者191人。

2004/03~04 米兵によるイラク人捕虜に対する虐待写真流出、公開される。
2004/09/30 CIAダルファー報告(上記の「大量破壊兵器の隠匿と実戦配備の即応性」を否定)。

 漫然と延長してきたテロ特措法、イラク特措法に即時破棄でなくとも本年度末程度で目途をつけるようアメリカに進言したらどうか。多くの国から(国際的な)非難を浴びるなどウソである。特売期間はもはや終わっている。アメリカも何かの機会を待っているはずだ。

2007年9月18日

総裁選と政策

 わが委員会をおたずねいただくありがたいお客様の多くが、反安倍(Abend)から反自民(自End)に標的をシフトされた。安倍晋三氏とそれを支える和製ネオコン攻略が、わが委員会最大の目標だったことから、それなりのご評価をいただいたものと感謝している。

 しかし、「反戦」を名乗るわが委員会は、反安倍イコール反自民という乗り換えができるほど身軽さを持っていない。自民党が将来どう変貌するか、また解散総選挙その他で政界再編が進むのもわっていない。「自民党の体質は変らないよ。誰がやっても同じさ」という声が聞こえてくる。しかし、わが委員会は無党派の立場を堅持し、何党であろうとその時々の政策を批判し、また支持をする立場でいたい。

 まだ新首相の施政方針演説もなく、2人の総裁候補の政策についても「それほど違わない」というマスコミの論調が多い。わが委員会では、前首相が最優先させていた「憲法改正問題」や「日米同盟のありかた」などをどう考えるのか注目していたが、故意か偶然か全くと言っていいほど触れていない。

 ところが、外交政策の中で上記の二つの問題に決定的な影響をもたらす大きな対立点があるのだ。それは、福田氏の「東アジア共同体を目指す」と麻生氏の「自由と繁栄の弧」構想である。単に「アジア重視」であれば、安倍氏でさえそのそぶりを示していた。

 福田氏がどこまで考えているかわからないが、東アジアといえば日・中・朝鮮だ。もちろん北朝鮮も地勢上包括される。共同体構想は、「この地域から戦争を永久に排除しよう」というEU発足の原点に学び、日本の平和と安全を確保したいという考えだ。

 麻生氏の「自由と繁栄の弧」は、オーストラリア・インド・中東を結んだ支援体制で、麻生氏は否定するが中国包囲網とも思われている。アメリカの世界戦略に一脈通ずるもので、安倍内閣の外務大臣として対外的に表明したばかりなので、違うことはいえないだろう。

 福田氏の構想は、アメリカにとってセンシティブな問題である。両氏とも日米同盟堅持をうたっているが、アメリカ側に「思い通りになる日本」という観念から脱却させ、イギリスのようにEUとの間に立つ、というところまで考えなければならない。

 こういったことは、寡聞にして他の政治家から聞いたことがない。社・共には能力がなく民主の政権構想にもないとすれば、たとえ打ち上げ花火だろうとしても、この際大いに期待しておきたいところである。

【追記】福田候補政策、「3年後の憲法改正案発議、事実上棚上げ」。(9/18、20:47、共同通信)

2007年9月19日

国連謝意決議の危険

 報道によると、国連安保理では、日本の海上自衛隊が洋上給油をしていることに謝意を表する決議案を、明20日早朝にも採択するという。政府、自民党は、これで小沢民主党代表の鬼の首をとったとばかりはしゃぐだろうが、全く従う必要はない。

 こんな決議案を出させ、また採択されたとすればますます妥協の余地がなくなる。民主党はよほどしっかり国会論争を戦わせてほしい。その理由を言う前に、前文に謝意が入るだけで義務づけるものでないらしいことと、全文、英文のテキストも見てないことをおことわりしておく。

 まず、米英を中心とする有志国が参加する「不朽の自由作戦(OEF)」は、アフガニスタンにおける戦争である。この決議は、同国で展開する「国際治安支援部隊(ISAF)」の任務を1年延長することを本旨としているが、その前文でOEFの活動と、その一環をになう海上阻止行動に参加している自衛隊にも謝意が表されるという。

 この決議により、日本は戦争(作戦)に参加していることが公認される。これは大変なことではないか。アメリカは9.11を受け、自衛を口実に侵攻した。その他の国は、先制攻撃をするほどの「自衛権行使」を理由にできない。したがってNATO加盟国などは「集団的自衛権行使」と見てよさそうである。

 しかし、日本は集団的自衛権行使が憲法上行使できないという解釈をとっている。これまで補給活動への後方支援だとか、イラクは復興支援だとか「特別措置」という隠れ蓑でごまかしてきた。それが国連を使って「作戦(戦争)への参加」を堂々と公認させる、という搦め手戦術を使ってやってくるのだ。

 素人考えでまちがっているかも知れない。しかし、日本は「法」を厳密に解釈し「法」に従う開かれた国であってほしい。民主党にかわって今度は政府が国連を利用する。しかも、非常に危険な裏口からの実質改憲をねらっている。ただ国連を振り回せばいいものではない。臨時国会で国民になっとくのいく議論・説明を期待してやまない。

2007年9月20日

洋上給油は終結せよ

 このところ、わが委員会では、「次の戦争」にはじまり「イラク年表+」、「続・イラク年表+」そして昨日の「国連謝意決議の危険」まで、テロ対策特措法の違法性、危険性につてい訴えてきた。その努力?を一切空しくするような大特集シリーズが、今日の(9/20)「毎日新聞」に現れた。

 朝・読にくらべて頁数のすくない同紙が、「シリーズ・平和と自衛」と称して見開き連続4頁も費やし、むつかしい内容を、色刷りのグラフや地図を用いて丁寧に解説している。これは護憲派・改憲派、政治のプロ・アマを問わず必見の価値がある。

 まだサイト上では見られないようなので、さわりを紹介しておきたい。まず海自の活動区域と米第5艦隊の守備範囲を示すマップ(省略)である

【海上自衛隊の活動区域と主な補給ポイント】補給ポイント①パキスタン沖合、②ペルシャ湾口、③アデン湾口の3点を結ぶ洋上が活動区域。

 これで見ると、①はわかるとして、②はホルムズ海峡に向かうイランとオマーンに挟まれたところで、イラクが海に接するペルシャ湾へ行く艦船が通る要。③はソマリア、ケニア、エチオピア、スーダン方面に行く船が通るところで、給油対象がアフガニスタンに関連する作戦、洋上捜索に限るというのがウソであることがわかる。

【米第5艦隊の守備範囲】アラビア海(狭義のインド洋は入っていない)と上に上げた各国、さらにエジプト、地中海ぞいのレバノン、シリア、カスピ海ぞいのトルクメニスタン、カザフスタン、さらにウズベキスタンまで入り、その中心に位置するのがイランである。自衛隊がアメリカの世界戦略の中に位置づけられていることを忘れてはいけない。

 次に、アフガニスタンで武装解除日本政府特別代表を務めた、伊勢崎賢治氏の発言を引用する。

 そこで強調したいのは日本の役割です。これまでアフガニスタンの「治安分野改革」で成功したのは、日本の武装解除だけです。なぜか。現場の私たちは「美しい誤解」という言葉を使いました。アフガン人はテロ特措法など知りません。日本は軍事行動をしていないという「美しい誤解」が、疑心暗鬼の武将たちに信頼醸成させた。

 毎日新聞が触れていないのは、ヨーロッパでも必至の状況と見られているアメリカによるイランの空爆、そして米イ戦端開始である。イランは米国軍艦に無料給油する日本を敵と見ないわけがない。イラン近海にいる自衛艦をイラン空軍が攻撃することは容易である。

 同紙でも、該当地区が日本の原油輸入にとって生命線であり、自衛隊派遣の意義を認めようとする意見が見られる。しかし米イの衝突があればイラン原油の10%はもとより、ペルシャ湾積み出しの全量が重大な危機に陥ることは明白である。

 イランが「美しい誤解」をしていてくれるうちに、洋上給油をうち切り、米イ衝突を回避するための渾身の努力を傾けるのが、日本のあるべき外交ではないか。国連で今朝「謝意決議」が通った。ロシアは、1国の国内問題のために国連決議をするのは邪道、という理由で棄権したようだ。また、民主党も国連決議の如何を問わず、特措法延長反対を通す方針を決めた。ここで、国内議論をもう一歩進めてもらいたい。

2007年9月23日

テロ特措法は爆弾

 テロ対策特措法の延長がいかに危険であるか、わが委員会では再三訴えてきたが、本日(9/23)のTBSサンデーモーニングで、私の知る限りはじめて金子勝慶大教授がこの点に触れた。それはアメリカのイラン空爆説が、このところのイギリスやフランスからの報道とか、アメリカから漏れてくるタカ派の意見がその方向に向かっていることに関連する。

 いろいろ報道されている通り、海上給油を受けた軍艦がどこへ行っているのか(今朝のサンデープロジェクトで麻生前外相もつかんでいないと言っている)、目的外の任務につくことを阻止できるのかは、依然としてあいまいなままになっている。

 政府はアメリカや有志国を信頼して、というだろうが、そういうのを「平和ボケ」という。イラン空爆が始まればイランは公然と自衛権を発動する。即、本格的な戦争である。アメリカ第5艦隊は当然緊急配置につく。「この船は日本から給油を受けてますから例外です」なんてあり得ない。

 イランの沖合、といってもいいような場所も補給地点の一つだ。イランにとっては格好の攻撃目標で、日本の給油艦は当然敵になる。海自は途中で給油をうち切って逃げて帰らなければ憲法違反だ。そんなみっともないことになりたくないなら、民主党の反対をいいことに、ここでうち切ることだ。

 9.11を機に、世界に「テロとの戦い」大合唱がわき起こった。コンダクター・アメリカのタクトにみんな従った。日本は指揮者から「ショウ・ザ・フラッグ!」と名指しされ、「アメリカの自衛戦争に参加しましょう」とひときわ大声をはりあげることになった。

 戦争の相手は、ビン・ラディンを引き渡さないアフガンのタリバン政権という国家である。しかし戦争は2カ月ほどで終わり、その後はアメリカに協力するカルザイ大統領の国になった。しかしビン・ラディンはつかまらず、どこにいるのかもわからない。

 それ以来アメリカは、「テロ」という国か団体か人か、なにか実体のつかめないものを敵に戦争を続けることになった。証拠もないのにイラクをテロ支援国家に指定して国を滅ぼした。しかし「テロ」は減るどころか確実に増殖し続ける。焦るブッシュが次の標的をイランにする可能性は否定できない。

 日本政府も盛んに「テロとの戦い」を口にし、いくつもの国内法を作った。「テロとの戦い」は国際法も国連憲章も適用外だ。こんな危なっかしい「戦争」からは、一刻も早く縁を切って「世界に誇れる国」にしてほしい。なお、テロ特措法は、自民党総裁に決まった福田(当時幹事長)が苦心の末つくりあげたことも記憶しておこう。

2007年9月24日

僧侶デモ

 「ミャンマー」もようやくなれてきたが、戦中派には「ビルマ」だ。そこで長年にわたる軍事独裁政権に反対する仏教寺院の僧侶が、連日デモを繰り返していると報道されている。僧侶は約5000人、ほかに少数の尼僧も参加しているようだ。そこへ一般市民も加わるようになり、2万人(一夜あけたら10万人になっていました。25日記)の規模となって軍政当局が警戒を強めているという。

 最初は、市民を危険な目にあわせることはできない、ということで僧侶のみの行動で始まった。しかし、一部で逮捕者がでるなど弾圧を受けたり、ガソリンの値上げに苦しむ市民の支持の幅広い支持に励まされ、規模拡大に方針転換したようだ。

 この国もタイやカンボジアのように多くの国民が仏教徒で、僧侶は民衆の尊敬を受けている。日本と違って小乗仏教だが、修行中の托鉢僧に市民が飯米などの喜捨をして手を合わす姿は、かつての日本にもあったものだ。やはり、イスラムのような強い権力を持つ聖職者・イマームがいて、聖戦や殉教を説く一神教とは違う。

 上記の方針転換も、若い僧侶が主導的に動いたためらしい。日本でも日蓮のように強い個性の指導者がいて政治に迫るといったタイプと、一遍上人や念仏系宗派など民衆の間から盛り上げるタイプがあるが、僧侶が平和的な手段で世直しに一役買うという姿はうらやましい。

 日本では、かつては原水爆反対に自発的な主婦の姿があった。安保反対の原動力は学生であり、チェック機能には、組織された労働組合もあった。これからの日本にそういった安全弁はないのだろうか。日本の若者は、マスコミで紹介される秋葉原や渋谷に見る姿だけではないと信じたいのだが。

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