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2007年8月

2007年8月31日 (金)

EUとアジア

 「読売の社説はどうなの・・・2」というkouhei様主管のブログで、14日からマレーシアで開かれる東アジア首脳会議に関する4日付読売・社説を取り上げられた。この中にある「東アジア共同体」構想への同紙の姿勢について『「共同体」の形成は非現実的だ。』などと水を差す必要はどこにもないのではないか。

とコメントされている。これについて、最近膨張や憲法制定でブレーキがかかったように見える欧州共同体(EC/EU)ではあるが、通貨統合までなしとげたEC成立に至る歴史を、かつて西日本新聞欧州総局長を経験された小屋修一氏の著書『欧州連合論』~新パラダイム構築への挑戦~をお借りして報告する。(緑字は「ましま」註)

 欧州統合の理念は、ドニ・ド・ルージュヒンによれば、美王フィリップの顧問法学者ピーエル・デュボアが、欧州の全ての君主に、トルコ軍に対して団結するように訴えた、一連の公開書簡を送った1308年に始まるとされる。トルコ問題はいつの時代も欧州にとって難関のようですね。

 19世紀に入ってから、当時、欧州最強の陸軍を持っていたナポレオン・フランスに対抗するための国際組織結成の動きもあったが、国家主権が”不可侵”の権力だと考えられていたその当時は”超国家的”国際組織の結成などは思いもよらず、主権への脅威が無くなれば、そのような意欲は、たちまち雲散霧消した。

 だが、20世紀になると、欧州の統合を促す大きな変革が訪れる。それは、欧州を主舞台とする二つの世界大戦であった。(中略:第一次大戦後、その巨大な人的・物的の損害の故に「欧州平和確立のため」の方法論として統合が模索されたが、各国の意見不一致や経済恐慌到来で挫折した。また、第二次大戦では再び悲惨な戦場となり、その被害は天文学的数字に達した)。

 とくに、第二次大戦は、『国民国家が、本来その任務とする安全保障、経済的繁栄、社会的安定を提供することができなくなった』ことを証明し、いわゆる「国民国家」の”神話”をうち砕いたのである。(中略:その間、アメリカは連合国の兵器庫となり、空前の経済的繁栄を実現、またソ連は東欧その他で領土を大幅に拡大するに至った。)

 米ソ二大国の地球的規模での対決・抗争のなかにあって、戦後欧州の再建を果たし、「冷戦」のなかで一定の発言権を確保するためには、バラバラの欧州ではなく、『統合された欧州』『政治的・経済的・軍事的一単位としての欧州』が必要であることは、誰の目にも明らかであった。(中略:こうして英国の政権から離れたチャーチル卿の呼びかけなどもあって、欧州連合に向けた組織がぞくぞと生まれるようになった。そのなかで、限定的ながら”超国家的”な組織体が誕生した。)

 この新しい組織体は、「超国家性」を持つ初めてのものとして、人類の歴史上、画期的な意義を有する。その組織体とは、CECA(欧州石炭鉄鋼共同体)である。この組織体こそ現在のEUの萌芽とといっていい。仏、西ドイツなど6カ国などで条約が締結されたのは、1951年4月18日のことである。

 欧州統合の運動に大きな影響を与えた、オーストリアの元貴族R.N.ド・クーデンホーフ・カレルギー伯は、『6カ国の欧州の記録』発刊にあたって、次のように指摘した。

自由な欧州諸国民を打って一丸とした「欧州連合」のみが、われわれの大陸を米国、ソ連と新生中国に対し、平等かつ友好的な世界各国家に変容させるだろう。それのみが、世界を脅かしている最悪の破局---核戦争---から世界を救うことのできる「世界連邦」の創設を可能とするものだと考える。

 以上にみられるように、(1)非常に長い挫折の歴史があり、それを乗り越え、段階を経ながら今日に至った。(2)時の政権というより、自由人的立場にいる人が推進に貢献してきた(上記のほか、古くは哲学者カントの弟子、メッテルニヒ、文豪ヴィクトル・ユゴーなどの提唱もある)。(3)高い理想と崇高な理念に支えられながら、段階的に経済的なメリットを追求するなど、現実的にことが進められた。ことなどを考え合わせる必要がある。

 日本が、読売社説のように狭量で近視眼的発想に閉ざされている限り、世界の孤児となることを免れ得ないのではなかろうか。(05/12/7「反戦老年委員会」より再録) 

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2007年8月30日 (木)

欧州憲法の否決

2005-05-31

 「1958年1月に発足したEECは、経済活動にウエートを置く、すぐれて<Low Political>な組織ではあったが、その設立の重要な契機として、米ソ対立の深刻な冷戦のなかで、欧州の将来を米ソ二核大国にゆだねるのではなく、自らの手にその運命の決定権を握ること、そのためには米ソに対して発言権を有する<強大な欧州>の構築が不可欠であるとの加盟国共通の認識があったと考えられる」(小屋修一著『欧州連合論』)。

 欧州憲法批准に反対、というフランスの国民投票の結果がでた。EUへの道のりは日米安保が構想される前からはじまっている。文豪ヴィクトル・ユゴーが「欧州合衆国」創設を提言したのは1847年、150年以上も前のこと、ここで何もあせることはない。

 あせらなくてはならないのは、こちらの方だ。いまだに将来への理念も描けず、靖国だ、歴史問題だなどでごたごたを続けている日中韓の近視眼的指導者のもとでは、100年、いや500年河清を待たなければならないのだろうか。(05/5/31「反戦老年委員会」より再録)

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2007年8月28日 (火)

日清戦争と朝鮮

[反戦老年委員会復刻版]

 バックナンバーとして、カテゴリ「東アジア共同体」があり、幕末から日韓併合までをシリーズで書いた。この中で、すくなくとも日清戦争までは、日本国家として朝鮮に領土的野心がなかったと説明した。

 その後の日露戦争の発生、朝鮮の内情、列強の帝国主義的野心などから、朝鮮併合に至った経緯を観察し、現在なお一部で信じられている「明治維新以降、対外侵略を念頭に置き富国強兵政策を国是としていた」という考えを否定した。

 それが、中国侵略へと展開していく経緯については、続くカテゴリ「日中関係史考」を参照してほしいが、冒頭に掲げた説明の補強資料を、以下に掲げておきたい。( )は管理人注

 陸奥外務大臣は(明治27年)八月十七日の閣議において、「朝鮮を」如何にすべきや、今日の外交上の操縦においても軍事上の行動においても頗る困難を感ずるをもって、速やかに廟議(びょうぎ=朝廷の評議)を確定せんことを望む」と、将来の朝鮮の位置より考えて、四つの問題を列挙して提案した。

 甲、政府の闡明(せんめい=明確にする)の如く朝鮮国の自主に放任して干渉せず、自力に一任する。

 乙、朝鮮国を独立国とするも、間接直接に永久若しくは長時間独立を扶養し、他の外侮を防ぐ。

 丙、朝鮮は自力で独立維持ができないならば、日本が直接間接にも保護するは得策でないので、将来朝鮮領土の保全は日清両国において担当するを約する。

 丁、朝鮮が自力で独立し得ず、わが国単独で保護に当ることもできず、日清両国にて朝鮮国領土の保全に担保協力ができないならば、ベルギー、スイスの如く中立国とする。(以上公文書としての存在が考えられるが、本引用は西山昌夫『大鳥圭介とその時代』によった)

 これは、とりあえず乙策の大意でのぞむことだけを決定し、恒久策については問題が大きいため、留保されたままであった。この中に領有の案は入っていない。

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2007年8月21日 (火)

ビール

[反戦老年委員会復刻版]

 孫達が涼しい?沖縄へ帰っていった。それが本当なのだから恐れ入る。猛暑は今週も容赦なく続く。例年、8月も下旬になるとビールの味に飽き、日本酒の味が恋しくなるものだ。しかし今年は今しばらく活躍し続けることになりそうだ。

 ビールがそれまで日本の酒類のトップであった清酒を抑えて消費第1位となったのは、昭和34年(1959)だそうだ。それ以来首位の座を明け渡したことはないという。これまで「地球温暖化」のせいにするのは、野暮というもの。

 カット(省略)は、料治熊太著『明治もの蒐集』から写させてもらった。「○徳利ときかずにアレみづくさいホントいひ切るビール酒に」とある。カットガラスのコップがハイカラな西洋モードを演出したものだろう。

 日本人のビールとの出会いは、江戸時代鎖国政策下にあってオランダ人が、ビールを持ち込み、それを蘭学者達が飲んだのに始まるそうだ。しかし、その感想は、苦く水っぽく「ことのほかあしきもの」という評価たったそうである。

 明治初頭でもこの評価は変わらず、醸造元各社が今日を築くまでほぼ1世紀を要したわけだ。徳利やウイスキーなどの容器と違い、ビールビンというのは何となく風采が上がらない。それも今日、多くの家庭ではカンビールに姿を変えてしまった。

 これはとても酒の入れ物ではない。ポコンと開けたアルミの切り口からは、やはりそれなりの容器に移し替えないとサマにならない。かつて小振りの透明コップがはやったことがあるが、今は陶器製の容器にしている。

 それも内側にうわぐすりのないものが、泡を長持ちさせるのでいい。また外から残りが見えず、飲みきるまでつぎ足しをしないのも利点といえよう。先月中国へ行って「青島麦酒」と「燕京麦酒」というのを飲んだが「ことのほかあしきもの」だった。日本に追いつくには、まだ先が遠い。

2007年8月22日

末期的症状

 27日に予定された内閣改造は、仲良し人事でない、派閥均衡人事でないということになれば、迫力に欠けたぬるま湯人事になってしまうだろう。強力布陣とかサプライズ人事というのは、統率力や指導力のあるトップにしかできないのだ。

 選挙結果に目をそむけた安倍内閣に末期的症状が現れるのは、結局、秋の臨時国会かそれ以後に持ち越されるだろう。末期的症状、つまり膠着状態が限界に達し、次の展開へ向かわざるを得ない事態が目立つのは、安倍内閣ではなくイラク情勢の方である。

 イラクの動向は非常につかみにくい。事態が複雑であるばかりでなく、混乱するバグダッドより有力情報をカイロとかベイルートなどに頼らざるを得ない、ということがあるのかも知れない。今日の各紙には、イラクのマリキ首相がシリアを訪問し、アサド大統領など首脳と会談したことが、小さく報じられている。

 シリアに200万人いるイラク難民のこととか、貿易促進などが話し合われたことは各紙共通しているが、イラクの治安回復や内政への援助要請が最大の眼目であったことはいうまでもない。その中味や背景などについてはそれぞれ報道に差があり、つなぎ合わせると次のようになる。

 マリキ氏が、アメリカの名指しする「テロ支援国家」を訪問するのは、今月に入ってイランに続き2度目である。アメリカの庇護のもと、まがりなりにも民主的に成立させた政権である。もちろん両国を訪問するのは、これが初めてであった。

 それに対してアメリカは、あからさまに不快感を示し反発しているという。しかしそれはおかしい。今年になって、アメリカはイラクへの軍事投入を増やしても治安悪化が止まらず、隣国のシリア、イランの協力が必要だということで、水面下の接触を図ってきた。これにはライス国務長官がかかわっている。

 大国アメリカが接触するのはいいが、無力の傀儡政権がしゃしゃりでるとは何事だ、と言いたいのだろうか。マリキ氏が両国を訪問するきっかけは、アメリカが作ったのではないか。たしかにマリキ氏の政権は、閣僚の離反や職責放棄などて崩壊寸前である。しかしアメリカとしては崩壊されたら困ることになる。

 シリアのオタリ首相とは、きっとこんな話をしただろう。オタリ「アメリカ占領軍の存在が過激派を引きつけ、イラクの治安を悪化させている」。マリキ「まさにその通り。支持基盤であるシーア派でさえ最近はそういっている」。

 アメリカ敗北まであと一歩、こんな共感が三国の間に生まれたら、ブッシュもなすすべがない。不愉快になるのも当然だ。それにしても、アメリカの対外政策の無原則、方向感のなさは目を覆うばかりだ。イラクの現状とアメリカのイラク政策は、今まさに末期的症状のもとにある。日本の取るべき方向を誤れば、安倍政権の命運もそこで尽きるだろう。 

2007年8月24日

続続・末期的症状

 毎日新聞の伝えるところによると、ブッシュ米大統領は22日の演説で、イラクからの米軍早期撤退をしない理由について「ベトナムの教訓」を持ち出した。それは、米軍撤退後に何百万人のベトナム人が「ボート・ピープル(難民)」とか「再教育キャンプ」という新語をもたらすような苦悩を負った、という論拠である。

 これは、かえってやぶ蛇だったようだ。ベトナム戦争の教訓は、「泥沼化」という類似性を無視した履き違いだと民主党議員などが大反発。ジョン・ケリー上院議員は、大統領発言を「無責任で無知だ」と非難し「ベトナムの教訓に注意を払うなら、今すぐにイラク政策を転換すべきだ」と反論した。

 一方、21日のイラク・マリキ首相に対する「指導体制に一定の不満がある」という大統領発言をはじめ、駐イラク大使や議会筋の露骨な内政干渉に、マリキ首相は「大きなお世話」だとばかり反論、「我々の努力を支援してくれる(米国以外の)国々が世界中でたくさん見つかる」と軽くいなされてしまった。

 22日のブッシュ演説では、「マリキ首相は好人物で、困難な任務に当たっている。私は彼を支援する」と軌道修正。前々回指摘したように、アメリカの迷走ぶりはまさに「末期的症状」というべきで、ブッシュはマリキにさえも口論で負けてしまったように見える。

 図に乗っているのがヒラリー・クリントン、民主党の有力次期大統領候補だ。やはり同じ22日、イラク議会がマリキ首相を更迭するように、という声明を出した。そんなことをすれば、かえってイラクの反米感情を高めることにまったく気がついていない。

 彼女は、同党の対抗候補であるオバマ氏が、「テロとの戦いに核兵器を使う気はない」としているのに対抗し、先制攻撃であろうと核兵器であろうと最初から制限する発言をすべきでない、とするブッシュ同様、あるいはそれ以上の力の政策信奉者だ。

 日本憲法第9条にいう。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と。日本の国益と国際平和への貢献とは、アメリカに距離を置き、アメリカの真の友好国として忠告ができるようにすることである。目先の反発を受けることがあっても、それをあえて成し遂げる政権を早く持ちたいものだ。

2007年8月25日

小池防衛相の浅知恵

 あまりよく知らない人の人身攻撃はしたくない。しかし27日に予定されている内閣改造を前に、就任51日目の小池防衛大臣が再任を辞退するかのような発言をした。その行動が暑さボケなのか加齢現象なのか、どうもよく理解できない。

 まず、人事発表の直前に辞意を表明するのは、任命権者に失礼ではないか。もっとも「テロ対策特措法をしっかり実現してくれる人にバトンタッチしたい」というのは、辞意ではないつもりだったかも知れないが、「イージス艦の情報持ちだしの責任をとる」と、バッチリその理由まで言っているのだから始末が悪い。首相の任命責任を2重、3重にあばくことになるのがわからないのだろうか。

 さらに、久間防衛相の時代に発覚(3月)した事件の責任を、今ごろ身代わりになって果たすというのも前代未聞だ。それならば、お忙しい天皇陛下をわずらわし、3度もお召替えをしたあの日の大臣就任はなぜ遠慮しなかったのか。それこそ日本国民全体を愚弄したことになる。

 アメリカ訪問時の苦笑をさそった浮かれ発言や、防衛事務次官人事のフライングなど、続投意欲満々とマスコミに評されていただけに、おそらく総理の内意が伝えられたのであろう。記者を前に「わたしがやめるといっているのよ」と付け足したのは、まさに頭隠して尻隠さずを絵に描いたようだ。

 多分、「更迭ではないのよ」と言いたい気持ちがほとばしりでたのだろう。こんな時、知っていてもだまって涼しい顔をしているのが、普通ならば次のステップへの処世術だ。これまでの経歴を見てよほど知恵の働く人かと思っていたが、どうやらそれも怪しくなってきた。

 なにがともあれ、こういうお方が日本を代表して外交の表舞台に立ち、俊才・ライスさんの仲間であるような振る舞いをするのを、苦々しく思っていただけに、あとが誰になるにしろひとまずホッとした気持ちである。

2007年8月27日

祝・第2次安倍内閣

 どんどん新閣僚が決まっています。与謝野官房長官、町村外務、額賀財務、高村防衛、桝添厚労、鳩山法務……などなど。ともあれ、新閣僚おめでとうございます。もうここまで聞けばあとは関心がないのです。

 福田、谷垣両氏など大物実力者はいませんね。日曜日のサンプロで塩爺さんが「声がかかっても断るんじゃないですか」といっていました。それでも「よくわかんないけど、いいんじゃない」というので、内閣支持率がすこしは恢復するかもしれません。

 「泥舟には乗りたくない」という人がどれほどいたかいなかったかわかりません。わが委員会が最も恐れたのは、公明党冬柴さんの<官房長官横滑り>でした。衆議院選をにらんで、公明党に絶対逃げられないようにするには、これしかありません。

 「自民党の政権離脱、野党陥没を防ぐため危機管理内閣を作ります。どうかご協力を」といって、福田副総理兼外相とか谷垣総務とかのポジションを用意し、泣きつく以外に大物を説き伏せる方法はなかったでしょう。場合によれば古賀さん、山崎さん、加藤さんまで応援したかも知れません。

 派閥出身といってもバックアップしてもらえそうにもなく、官僚の応援もなく、そこそこの知名度では、結局アベシンゾーの指導力ひとつということになります。<冬柴さんとがっちりスクラムを組む>、本当に国を憂い私心を捨てる覚悟であれば、あり得ない絵ではなかったなかったと思いますがねえ。

 ともあれ、新内閣発足おめでとうございます。

2007年8月29日

もうすぐ新学期

 猛暑日、熱帯夜が途切れた。しかし暑さもこれで終わりというわけにはいかない。安倍改造内閣が発足し、新聞調査による内閣支持率も想定通り、夏休みの宿題もこなして次は臨時国会という新学期だ。その焦点はなんといっても、テロ対策特措法延長問題である。

 わが委員会でも、この1年間に何度か取り上げているが、この問題のかなめにあるのが「集団的自衛権」だ。あらためて記事にしたいと思い、資料を掘り返していたところ、1年前の新聞切り抜きに目がとまった。今見ても旧聞にならないところがおもしろく、まずこれを紹介しておきたい(以下毎日新聞06/9/6引用)。

【公明党運動方針案】
(前略)憲法9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の堅持を打ち出したことは、自民党総裁選で優位を固める安倍晋三官房長官の保守色の強い政策に対するけん制になりそうだ。一方で、2年前の運動方針では否定的見解を示していた集団的自衛権の行使については、今回は触れておらず、解釈変更による容認を検討する同氏への配慮をうかがわせる。

(中略)同党は04年に決めた2年間の運動方針で集団的自衛権について「行使は認められていないという意見が大勢」と明記。党内や支持団体の創価学会内に今も「集団的自衛権を認めるのは党の本質と違う。連立解消してもいい」(幹部)などの批判や強硬論が残っている。

 だが現実論に傾かざるを得ない事情もある。(中略)自公両党の連立政権協議を控え、党内からは「集団的自衛権はしばらく慎重に扱った方がいいのではないか」(幹部)との声が出ていた。

 安倍氏と党の中堅議員には友好的なパイプもある。7月12日夜には、赤羽一嘉議員や高木陽介議員ら党所属の当選4~5回の衆院議員5人が、東京・六本木の日本料理店で安倍氏と会食し、初当選時の思い出話にふけった。出席者の一人は「安倍氏は、実際はバランス感覚のある現実主義者。連立はぎくしゃくしない」と期待を寄せるものの、党内では安倍氏への根強い警戒感が残っている。

【自民党総裁選政策比較】
(前略)安倍氏は「新たな時代を切り開く日本にふさわしい憲法の制定」を政権構想の冒頭に掲げた。1日の出馬会見では「戦後レジーム(体制)から新たな船出をすべきだ。新憲法を制定するためのリーダーシップを発揮していく」と語った。

 安倍氏の言う「戦後体制」は「占領時代の延長」を意味する。近著「美しい国へ」では、自主憲法が制定されなければ、本当の独立国にはなり得ないと論じている。

(中略)集団的自衛権については、時間のかかる憲法改正と切り離し、先に解釈変更によって行使を容認することを検討している(後略)。

 これに対し、谷垣氏の24㌻の政権構想パンフレットを見ると、憲法改正が登場するのは17㌻目で、優先度は高くない。「(改正を)進めるためには国民的な議論が必要」「現実的ステップとして合意が得られるところから改正を行うことも考えられる」しいうくだりもあり、早急な前面改憲論とは一線を画している。集団的自衛権の行使については「正面から憲法改正により解決すべきだ」と明言し、安倍氏との対立軸を鮮明にしている。

 麻生氏の場合、もともとは改憲積極論者であり、質問されれば「自主憲法が必要」と答えてきた。集団的自衛権の行使に関しては過去の月刊誌のインタビューで「解釈などではなく、憲法を改正して」と語っていたが、総裁選が近づくに連れ、安倍氏に発言が似通ってきている。

2007年8月30日

民主党に注文2つ

 臨時国会が迫っている。わが委員会にとって最大の関心事はやはりテロ対策特措法に対する攻防だ。小沢代表が国連決議の欠陥をついて延長に反対し、党内外に向けて軟化の態度を示さない。この姿勢は当然であり、立派である。

 民主党の役柄は、アフガンにしろイラクにしろアメリカ独尊の一国主義(ユニラテラリズム)が限界に来ていることを、アメリカおよびアメリカ国民に認識せしめることである。イランで対立したフランスやドイツも、今は首脳が変わりアメリカとの関係を修復しつつある。

 これも、すでにかつてのアメリカ独走主義に変化が見え始めていることと無関係ではない。ブッシュの苦衷はわかるが、小泉首相が敷いたアメリカべったり政策を続け、ブッシュの孤立を救う最後の人身御供になる必要は毛頭ない。

 アメリカに忠告できる立場を作れるかどうか、これは野党党首である小沢代表の姿勢で決まってくる。外交を担うのは政府与党である。野党の硬直的な姿勢を説明して、早期撤退の道筋をつけるよう要求すればいいのだ。

 麻生さんの祖父、吉田元首相はよくこの手を使った。外交交渉とは、北朝鮮であろうがイランであろうがギリギリ、丁々発止のやりとりの中からより固い絆が生まれるものだ。楽をして国際平和を招き入れようなどという考えではだめだ。

 安倍首相の取り巻きは宗主国・アメリカ信奉者で占められているが、彼らの主張がこの2、3年で崩壊しかけていることに気付かなければならない。いまひとつ小沢代表に注文しておきたいことがある。テロ特措法反対姿勢はいいが、その根拠としている国連決議信奉主義である。

 日本とアメリカのリードで、鬼の首を取ったようにもてはやされた北朝鮮制裁決議は、アメリカ自信の手で早くも紙くず同然の扱いになりつつある。かつて小沢ドクトリンといわれた「普通の国」「国連中心主義」論も、もはや骨董扱いにされてもいい。

 大切なのは、個々の国連決議ではなく、国際連盟や国連が生まれた歴史と背景をしっかりふまえることと、今後の国連のありかた、そしてわが国の対応、働きかけをどう位置づけるか、にある。政権奪取を意図する民主党は、この点を直ちに検討・明確化して自民党との違いを国民に示さなければならない。

2007年8月31日

タリバンの人質

 アフガニスタンの反政府武装勢力であるタリバンと韓国政府の交渉が成立し、韓国人人質19人全員が解放されることになった。韓国内では、政府のアメリカ、アフガン政府を抜きにした交渉や条件、人質になった個人・団体(キリスト教奉仕団)の自己責任問題などの検証と議論がこれからも続くだろう。

  この事件で2人の人質が犠牲となっているが、ここで事態が解決されたのは不幸の中で幸いといえよう。発表された合意内容によれば年内にアフガンに駐屯中の韓国軍を全員撤収し、アフガンで活動中の韓国の非政府機構(NGO)所属民間人も今月以内に全員撤収、二度とアフガンでキリスト教宣教活動をしない、ということのようだ。

 ここで指摘しておきたいのは、もともと年内に撤収する予定になっていた韓国軍200人が、アメリカやNATO軍のようにタリバンと直接対峙する戦闘部隊ではなく、戦後の復旧と医療支援のためにアフガンに駐屯していたということである。

 つまり、イラクのサマワに駐留した自衛隊と任務は同じだったといえる。しかし、タリバンにとっては正規軍である限り、国土を侵している敵軍に変わりがない。後方支援だとか人道支援などという口実は、戦争の世界では通用しない言い訳である。今日が公開質問状の回答期限である、佐藤正久参議院議員の舌禍事件がいかに深刻であるかがわかる。

 もうひとつは、独善的な宗教活動の危険性である。いまやわが国まで含めて、ブッシュのいう「テロとの戦い」が世界の共通語のようになっているが、米・英・EUなどキリスト教国では、次第にテロリスト、イコール、ムスリムという空気が醸成され、それに反比例して、イスラム国では戒律を無視した異教徒が国土を蹂躙していると見るだろう。

 したがって、タリバンにとっては、宣教師による活動は軍事活動同様の行為で、これを禁止するのは当然と言うことになる。日本は仏教国だからいいだろう、などと考えるのはやめてほしい。一神教、唯一絶対の神を信ずるキリスト教徒に兄弟関係を認めても、コーランでは、仏教徒や無神論者は抹殺されるべき異教徒扱いなのだ。

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2007年8月14日 (火)

見過ごせない暴言

[反戦老年委員会復刻版]

 元陸上自衛隊イラク派遣部隊の隊長であった佐藤正久参議院議員の暴言がブログ(下記)をにぎわしている。この発言の悪質さは、久間元防衛相の「しようがない」発言や柳沢厚労相の「産む機械」、松岡農水相の「なんとか還元水」発言などの比ではない。

 この発言は、JNNの取材に対して答えたもので、TBSがニュースとして流したものである。ところがその他のマスコミがほとんど無視しているため、ことの重大さを知ったのが遅れてしまった。臨時国会を開いてでも政府、自民党を糾弾すべきことなのに、このだんまりはなぜなのだろう。報道の要点はこうだ。

      佐藤氏は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだったといいます。

    「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護)に行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」

 ①もしオランダ軍が攻撃を受ければ=小泉前首相の「自衛隊のいるところは非戦闘地域である」という詭弁がある。攻撃を受けるような地域であれば、自衛隊の撤退を検討するのが先だ。

 ②あえて巻き込まれる=戦争につきものの謀略優先観である。他のブログでも触れているが、満州事変の鉄道爆破、上海事件の日本人僧侶殺害など、すべて軍の謀略と独走が日本破滅のもとになった。

 ③巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れません=現場優先でシビリアンコントロールの精神を無視(憲法66条)。

 ④日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう=戦前、幾多の先走り謀略が裁判にかけられたが、いずれも穏便な措置がとられた。それを見越しての発言だったとすると、それを許した背景と責任。

 ⑤以上の明らかな憲法99条違反=(前略)国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 このような公務員をイラク派遣の責任者にした政府の責任、また国会議員の公認候補者に起用した自民党総裁の責任を不問にしていいのか。日本の平和と安全に対する脅威であり危機である。マスコミそして野党・公明党の奮起をあらためてうながしたい。

2007年8月15日

虚脱感

 このブログをはじめて3度目の終戦記念日を迎えた。わが委員会としては書き入れ時のはずだがなぜか気が乗らない。理由は何だろう。試みに過去の8月15日のエントリーを出してみた。2005年は「さきの戦争は?」と題して、「侵略戦争か自衛の戦争か」という議論のあることを取り上げている。

 ブログを始めたのがその4ヵ月前、中国の反日デモが大々的に報じられた日からである。中国・朝鮮に人々の関心が向き、靖国神社問題が正面からとりあげられた時期であった。そして去年、小泉首相は衆人環視の中ついに靖国神社に昇殿、参拝を強行した。

 その日の題を「東京裁判異伝2」とし、A級戦犯東条英機の逮捕と裁判における彼の態度について書いている。今年の靖国神社はこれまでになく静かなようだ。やがて小泉首班以前のように、人々の関心からは遠い存在になるだろう。

 中国と朝鮮をめぐる緊張感も、明らかに様変わりした。小泉後継で、ある面ではそれ以上に危険な戦前回帰的思想を持つ安倍首相が、年初に参院選の争点として憲法改正を持ち出し、わが委員会も9条擁護に向けて微力を傾けた。

 安倍自民党は、選挙に歴史的大敗北を喫した。本来なら祝杯を重ねるべき場面である。にもかかわらず政権刷新の気運は遠く、暑苦しい日だけがだらだらと続いている。そして、この虚脱感。理由は一体なんだろうか。

 昨日、「見過ごせない暴言」と題して元陸上自衛隊イラク派遣部隊の隊長であった佐藤正久参議院議員の暴言をとりあげた。内容の「暴言」もさることながら、「見過ごしている」マスコミへの抗議の意味合いが強い。ヤメ蚊さんなど何度もこの問題を追求しておられる。

 その、佐藤議員が大きな写真入りで今日の毎日新聞に出た。2ページぶち抜きの「シリーズ平和と自衛」の座談会企画である。出席者は、ほかに昭和史に強い作家の半藤一利氏と、首相の集団的自衛権に関する私的懇談会の知恵袋・中西寛京大教授である。

 新聞にしろ雑誌にしろ、座談会記事というのは、大抵期待はずれである。もちろん、前述の「佐藤暴言」にはひと言も触れていない。収録時のタイミングなのか故意なのか。毎日新聞の最近の論調を評価する人がふえてきた。しかしこの企画は何だろう。意図がわからず報道機能も果たしてない。

 三人の人選はそれぞれ毛色の違う異人種で、大人の中に3歳の子供を1人入れたようなものだ。議論がかみ合うはずもないし、対立点をえぐるわけでもない。三人三様ただいいっぱなし。何の歯ごたえもない。あらかじめ決めてあった政府筋推薦企画の持ち込み企画だとは思いたくないが、紙面の無駄遣いといっていい。

 この3人のうち半藤氏をのぞいて「戦争を知らない」世代である。新聞社の編集企画も司会者もそうであろう。そういったことが「虚脱感」「無力感」につながってくるのだろうか。

2007年8月16日

火遊び

 新聞各社は、アメリカの有力紙の報道として、イラン革命防衛隊を「テロ組織」に指定するという米政府の意向があること伝えている。指定すれば、アルカイーダなどと違い、主権国家の軍隊をテロ組織と見なす初めてのケースとなる。革命防衛隊は、イラン正規軍ではないが革命の父故・ホメイニ師が創設した親衛隊のようなもので、政権の中枢に位置する。

 ブッシュ米大統領は、「テロとの戦い」「テロに屈しない」を口癖にしているように、戦争の相手を国家ではなく「テロリスト」に置いている。イラクもアフガンもアメリカの肝いりでできた政権が現存する。したがって両国を敵とするわけにいない。そこにアメリカを襲ったテロリストがいるということにしないと、派兵の名分が立たなくなるからだ。

 ところが今度は違う。イランの国家そのものを「敵」にすることになる。アメリカの論理からすれば危険と察すれば先制攻撃もできるし、同国国民に対して国際法や国内法を無視した差別的な人権侵害も可能にする。つまり事実上、敵国にしてしまうことになる。

 今までもイランをテロ支援国に指定しており、実質的な変化ではない、という意見もあるようだが、同盟関係にある日本にとっては大いに違ってくる。というのは、最初から敵国を決めてかかるような国と「集団的自衛権」を云々するのは、国連憲章や日本国憲法の精神からかけはなれており、ナンセンスだといわざるを得ないからだ。

 イランの反応は、「アメリカ特有のプロパガンダであり心理作戦で無意味」という強がりである。アメリカの国内事情から見て、そういえないこともないだろうが、ロシア・中国などの後ろ盾はは期待できない。やはり核拡散問題で柔軟姿勢を取ることが世界平和のためである。唯一残されたこの地域での火遊びはやめてほしいものだ。

2007年8月17日

40.9℃

 ブログではこの暑さを題にしたものが多い。なにも右へならえする必要はないが、昨日、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で、74年ぶりの国内最高記録更新とあれば、やはり触れておきたくなる。

 散歩に行かなければ足腰が弱ったり体調をそこね、行けば、よくぞ脱水症状にならなかったというほど汗をかく。夜暑さで寝苦しくとも扇風機やクーラーつけっぱなしは体によくないという。ところが、寝床で熱中症のため亡くなる人があとを絶たない。

 老人にとって、冬の寒さより夏の暑さの方が、明らかに鬼門になってきた。テレビに、0.1℃の差で74年間の記録を破られた山形市の街頭が写った。ウラ若い女性が笑顔で「残念です~。頑張って記録を取り返してほしいです」。若さとはいいものだ。

 ところで前の記録は1933年7月25日のこと。この年はどんな年だったのだろう。その記録がわが家に存する2冊の年表に載っていない。まさか軍事機密だったとは思えないのだけど。そこでほかのことを今年と見比べてみるのも、一興だ。

*1月30日 ヒトラー、独首相に就任。

*2月 シャンソン「暗い日曜日」、厭世観助長の理由で発売禁止。
 2.20 逮捕中の作家・小林多喜二、拷問死。弔問客も検束。
 2.24 国際連盟で「満州国不承認」賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム)で松岡洋右代表席を蹴って退場、

3月27日 国際連盟正式脱退。
 3.3 三陸沖地震(M8.1)、死者3008人。

4月22日 鳩山一郎文相、京都大滝川幸辰教授の辞職を要求。抗議の辞職教授等続出(滝川事件)。

6月.17日 大阪の天六交差点で信号無視の兵士とそれを咎めた巡査が衝突。軍と警察の対立に(ゴーストップ事件)。

7月 長崎県警、海水浴場に柵や浮標を設けて男女混泳を取締まる。

8月 新民謡「東京音頭」大流行。

9月1日 豊田自動織機製作所、自動車部設置(トヨタ自動車の前身)。

12月5日 米、禁酒法撤廃
 12.23  皇太子・明仁(現・天皇)誕生。

2007年8月19日

安倍訪印の怪

 安倍首相は21日からインドを訪問する。そこで、東京裁判の判事をつとめた、故ラダ・ビノード・パール氏の子孫に会うことにしているそうだ。パール氏は、11人の判事のうちただ一人A級戦犯全員の無罪を主張したことで知られている。

 官邸における「ぶらさがり取材」で「A級戦犯を非難しているアジア諸国などを刺激するとのでは」という記者の質問に、「いや、そんなことにはならないと思います」と答えていたようだ。マスコミもそれ以上の深追いをせず受け流しているが、靖国問題などの国内報道が近隣国の反日感情に火をつけたという反省からきているとすれば賢明だ。

 しかし、首相の見通しは甘かった。韓国の有力紙『朝鮮日報』は16日付で「インドで戦犯無罪のアピールをもくろむ安倍首相」という社説をあげている。その中で、著書『美しい国へ』で「国内法上の犯罪者ではない」としたり、靖国神社への明確を欠く態度にが各国の疑念を深めていることを指摘している。

 さらに、パール判事に勲一等瑞宝章を授与したのが1966年の、岸首相の時代であるとか、2年前の2006年、靖国神社の境内にパール判事の顕彰碑が建立されたことと、今回の子孫訪問は無関係ではないという評価をしている。

 先週NHKは、2本の東京裁判に関する特番を流した。そのうちの1本はパール判事に関するものである。この企画が放映されたのは、とても偶然とは思えないのだが、安倍首相はこの番組を見たのだろうか。毅然とした法律家で、信念を貫き通した逸材であると同時に、反戦意識の強い平和愛好家でもあった。

 岸信介氏が建国にいそしんだ満州国を不当なものと批判し、日本軍が行った残虐行為の証拠は明白であるとするなど、侵略行為と戦争に対する反感を隠そうとはしなかった。安倍首相の思惑とは違うかも知れないが、一日本国民として故・パール氏に敬意を払うことには何ら抵抗がない。

 しかし問題は、同時に明らかにされた故スバス・チャンドラ・ボース氏の子孫とも会うという計画である。同氏はガンジー翁のように無抵抗主義でインドの植民地解放闘争をした人達とは違い、日独などの軍事力をあてに開放を企てた人である。

 ナチスドイツを潜水艦で脱出、日本の潜水艦を乗り継ぐなどしてシンガポール(日本占領中は「昭南島」といった)に臨時政府を樹立した。東條英機とは親交があり、相当の財宝(軍資金)を贈られたという。

 事実、日本軍はインパール作戦を強行し、同氏のインドでの拠点作りを企図したが、作戦的に無理があり失敗した。同氏は日本敗戦直後ソ連に向かおうとし、飛行機事故により台湾で死去した。遺骨は現在も日本の寺にあるがいまだに引き取られていない。

 大東亜戦争を植民地解放戦争と見るのは、マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスを「帝国領土と決定(1943/5/31御前会議)」していることからも無理があり、国際的にもそういう認識はされていなかった。

 以上で見るように、チャンドラ・ボース氏は戦争を利用し、日本も片棒を担ぐ利用価値を求めていたことは明らかである。当初からインドでの評価はわかれており、日印友好のシンボルどころか日本にとっては「敗戦のシンボル」である。

 ところが安倍総理の父親、故安倍晋太郎外相をはじめ、森・小泉両首相など自民党首脳は、とかくチャンドラ・ボース氏を両国間の話題にしたがる。これでは前述のパール判事につていも、朝鮮日報並みの評価を受けても仕方があるまい。

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2007年8月 1日 (水)

絹の道(中国紀行)

[反戦老年委員会復刻版]

 イランでホメイニ革命が起きたその年、今から28年前になる。アシスタントを務めてくれた女子社員の結婚式に招かれスピーチをすることになった。しかし、新婦お色直しで不在のタイミング。そこで、石油会社務めとはいえ、話題をあらぬ方向に振ってしまった。

 「今、皆様の前にあるごちそうに、キュウリがあります。ゴマ油のドレッシングやコショウも使われているようです。その共通点は何でしょう。漢字で書くとみんな胡の字がつきます。胡はイランつまりペルシャで日本とも古くから関係のある国です」

 今考えると衒学的で赤面ものだが、このたび訪問した西安(旧名・長安)のガイドもまったく似たような解説をした。ほかに胡桃(クルミ)、胡弓(こきゅう)、胡姫(こき)などの言葉もある。胡は必ずしもイランだけを指した呼称ではないが、唐の首都でシルクロードの起点でもあったここが、世界随一の国際都市であった。

 五陵の年少(少年) 金市の東
 銀鞍 白馬 春風をわたる
  落花 踏み尽くして 何処にか遊ぶ
  笑って入る 胡姫の酒肆の中
                   (李太白)

(映像・略)

 この胡服をまとい白馬で乗り付けた酒場のホステス胡姫は、美貌のイラン娘であった。大都市長安に集まる青年にとってあこがれの的だったのだ。写真の城門のさきに伸びる道は、シルクロードに向かう道であり、玄奘三蔵が西方の知識をもたらした道である。そして奈良時代の日本も、ここを通して西域文化を手に入れ、つながっていた。

 今、イランはアメリカにとって核開発、イスラム問題などで最大の課題をかかえる国であり、中国にとっても座視できない位置を占めている。しかし、日本は蚊帳の外なのだ。

2007年8月2日

小沢民主の正念場

 前々回の記事「足もとに火が」で取り上げた自衛隊の海外協力活動に関し、小沢民主党の存在価値を問われる正念場が早くもやってきた。以下、毎日新聞(07/8/2夕)から引用する。

 参院選で圧勝した民主党の小沢一郎代表に対し、シーファー駐日米大使が会談を申し入れたが小沢氏が難色を示したため、民主党側が返答を留保していることが2日分かった。

 民主党によると、1日に米大使館から小沢氏との面会を要請するファクスが届いた。小沢氏が反対を表明したテロ対策特措法延長に関し、翻意を求める意向とみられる。小沢氏は周辺に「会う必要はない」と伝えており、現状で会談実現にめどは立っていない。(以下略)

 同紙の別項では、ケーシー米国務省副報道官が1日、ワシントンの記者会見で、「日本政府は日本が(テロの)被害を受ける可能性があり、実際に脅威にさらされ、過去にはテロ攻撃を受けたことを十分に理解している。日本政府と国民が対テロ問題で米国と協力していくことに何ら疑いを持っていない」と、けん制発言をしたこと報じている。

 過去に受けたテロとは、何をさすのか不明だが、日本国民はアメリカの中東軍事政策に荷担しない方が、テロから身を守るより有効な方法であることを知っている。また、アメリカ国民自体、イラクから手を引く方向を望んでいることも知っている。

 小沢代表が、国内の議論さえこれからという現在、米国の出先との面会を断ったのは当然だ。アメリカに対し、日本は小泉ポチの時代とは違うのだ、ということをはっきり認識させなくてはならない。しかし、米国との友好関係を構築していくこともまた小沢民主の重要な課題である。

 そこで、選挙では表面化させなかった外交、日米同盟、憲法といった政策理念を、小沢氏の政治的蓄積と力量で党内意見を一致させ、筋の通った政権交代能力を持つ政党として崩壊寸前の安倍内閣を追い落とす態勢を築くこと、これもまた急務であることは言うまでもない。今回の選挙圧勝でその力がそなわったはずである。

2007年8月3日

「いらつく」

 梅雨明け宣言はでたが、快晴の盛夏到来とはいかず、日本海にある台風のせいか薄日のさす中やたらに蒸し暑い。わが委員会は日ごろ新聞記事をテーマにすることが多く、熱帯夜の明けた今朝も5時に起きて新聞に目を通した。

 しかしどこを見ても琴線にふれるものがなく、ただ「いらつく」気分だけが残る。安倍首相が「自分を選ぶのか、小沢を選ぶのか」といいながら、舌の根も乾かぬうちに天下にさらけ出す食言。それを責めきれず死んだふりの、谷垣、古賀、加藤、山崎といった自民党党内野党の有力者。

 小沢フアンではないが、1日休養をとって「おかげさまでもうしばらく永田町でご厄介になることになりました」と、勝者のおごりとは無縁な小沢さんのすがすがしさと謙虚さこそ、「美しい日本」流の表現である。「私の内閣が……」などと、他を顧みない幼稚な独善は好かれない。

 口さがない「きっこのブログ」さんのように、このまま居座ってもらって馬脚をあらわす方が国のためになる、という発想もある。しかし、やはりこのままでは「美しい日本」の醇風美俗がけがされ、平気でうそをつく総理では子供に説明がつかず、世界に対しても格好が悪い。

 この不定愁訴が、どうやら「いらつく」もとになっているらしい。ところで「いらつく」という言葉がはやっているが、これは正しい日本語ではない。若い頃にはなかった言葉だ。そこで『広辞苑』(4版、1991)を引いてみたらありました。「いらつく」、堂々と載っていました。

 そこでまた「いらつく」ことになる。まてよと、わが愛用の和洋併用ペン字入『模範国語辞典』(塩田良平編、1968)を引っぱりだす。「まごつく」「むかつく」はあるが「いらつく」はない。いらいらした状態をいうなら「いらつ」か「いらだつ」である。

 これでやっと「いらつく」のはどうにかおさまった。老年は猛暑に弱い。この夏、せめい「いらつく」ことだけはすくなくしてほしいものだ。

2007年8月4日

兵馬俑(中国紀行)

 世紀の大発見、本場の兵馬俑をたずねた。どう感動したかを書かねばならないのだが、東京で開かれた特別展などにより、幾体かの像や発掘物のレプリカを実見しており、古代とは思えない正確な写実性や彩色技術の高度なことは、予想していた通りであった。また、秦の始皇帝の桁外れな投資と、一連の遺跡群についても、すでに書籍から知識を得ていたので、想像していたことを再確認するに止まった。(映像・略)

 世界遺産の指定を受けているだけに、遺跡の管理は万全で、展示施設も行き届いているようだ。まだ本格的発掘に手をつけられていない始皇帝陵は、予備的な調査で、地下数メートルのところに南北460メートル、東西392メートルの地下宮殿が確認されているが、中国2000数百年の史的遺産として慎重に取り扱い、発掘を急ぐ気はないようだった。

 高松塚古墳の拙速な失敗を考えると、賢明な策であろう。ただ、墳丘に囲いをめぐらし、高速道路のサービスエリアのような感じのところへ観光客を呼び込んで、陵に登る道の入場料を取っているのには驚いた。日本最大の仁徳陵古墳では考えられないことだ。

 現地・西安の説明員は、見事な日本語で格調ある説明をこなしていたが、日本の平城京、平安京のモデルでもあった西安(長安)と日本の関係にはほとんど触れずじまい。これは他地域でもそうだったが、日本人も中国人ももっと両国の友好や深い関係を築こうとした人々を知った方がいいと思った。

 独断もいいところだが、わが委員会選定の日中関係尽力者10傑である。どれだけ知名度があるかはわからない。水戸黄門、忠臣蔵、太閤記、風林火山もいいが、こんな人たちの日中合作テレビドラマがあってもいいのではないか。

徐福=秦の始皇帝特派?
卑弥呼=倭を代表して国交
小野妹子=聖徳太子の特使
伊吉連博徳=日・唐関係で尽力
安倍仲麻呂=玄宗皇帝お気に入り
鑑真=命をかけた布教
孫文・宮崎滔天=辛亥革命にかける
田中角栄・周恩来=日中国交回復

2007年8月6日

テロに弱腰

 毎日新聞が4、5日に実施した世論調査によると、内閣支持率が選挙直前の7月25、26調査に比べ31%からわずか10日で9ポイント下落し22%になった。支持率は今年に入って、4月の突出した一時点をのぞき、漸減または横ばいだったのが一挙に急落、不支持率は12ポイント増の65%という、選挙後の劇的な急変が注目される。

 これは、選挙の結果を言葉の上だけの反省ですませ、いさぎよさがなく見苦しい首相の姿に反応した結果だろう。別に和製ネオコンばりの復古思想や、小泉首相を受け継ぐ対米従属政策にNOを言ったわけではない。政党支持率の自民22→17、民主24→33についても、ほかの質問に対する回答の傾向を見る限り、政策の違いを評価したのではなく、アベ退陣に向けた民主党の追撃にエールを送ったまでのことだろう。

 外信面ではアフガニスタン情勢が急を告げている。韓国人拉致被害者救出の行き詰まり、イラクへの増派で背負いきれなくなったアメリカにかわって、治安維持を受け持たされたNATO軍の犠牲者の増加が目立っている。

 特にカナダは、国民100万人当たり1.98人(66人)とアメリカの1.40人(421人)を上回っており、国民の間で派兵に反対する機運が高まっているという(毎日新聞)。しかし一方で軍隊撤収が「テロに対して弱腰」という批判にさらされてることを恐れる空気も存在する。

 それが遺族の間で強いということは、日本の靖国神社問題にも内在する。肉親の戦死は犬死ではなかった、としたい心の整理の問題があるのだろう。ここに現れる「テロに弱腰」の「テロ」とは何だろう。「テロとの戦い」「テロに屈しない」はブッシュ大統領のオハコであり、人権を無視した盗聴合法化にまでつき進んでいる。

 その起点が9.11にあることは明瞭である。そして、その首謀者がオサマビンラディンであり、その犯人引き渡しを拒むアフガンのタリバン政権を攻撃した、ということは法的手続きに若干問題があったにしろ、国連安保理の決議をよりどころにできた。

 この場合、敵はテロリストではなく、「テロを指揮したと見られる」犯人を秘匿するアフガンのタリバン政権である。アメリカの「自衛権」というのはやや苦しいものの、そう解釈できないわけではない。しかし、NATO各国や韓国が「集団的自衛権」でかりたてられ、テロとはまったく無関係で、国連決議もないのにイラクに走ってしまったアメリカの尻ぬぐいをさせられている現状は、想定されていなかった。

 アフガン政権は、すでに各国の肝いりでできたカルザイ政権にかわっていてもはや敵国ではない。そして、ブッシュ曰く「ならず者国家」もいつしか消えてしまった。オサマビンラディンもどこにいるのか行方不明である。一部民衆の支持を得てタリバンが復活しているというが、何派もあって一筋縄ではいかないようだ。

 イラクで猖獗を極める自爆テロも、シーア派、スンニ派、越境組など行動も動機も一様ではない。パレスチナ、レバノン、アフリカそれにロンドンの事件など、散在するこれらのすべてが、国家として対決すべき敵なのだろうか。

 今や「テロに強腰」にでようとしても、槌をふり下ろす場所がないのだ。敵意をむきだしにすればするほど、イスラム教対キリスト教、西欧対アラブ、白人対有色人種、富裕層対貧困層という対立さがしの迷路へ踏み込んでいくおそれがある。

 だから、敵なる「テロ」、殲滅すべき「テロ」は既に存在しない。日本に於いても「テロ対策特別措置法」という法律があるが、立法の趣旨は、あくまでも9.11の発生をふまえて、「国際的テロリズム」防止・根絶をめざす、としてある。

 今、何をさして国際的テロリズムというのだろう。内戦への介入や人権確保などの名目ではこの法律を使えないはずである。見えないテロと戦うおろかさを捨てて、テロが起きないような環境づくりを優先させる時代が、近くくるはずだ。安倍内閣もこのような観点から、その後進性を追求し、追いつめたいものである。

2007年8月7日

徐福

 前々回のエントリー「兵馬俑」(中国紀行)に、独断と偏見で日中関係尽力者10傑をあげたところ、locust72 さまから「10傑なんて考えたこともなかったですが、徐福が入ってるのが楽しいですね」というコメントをいただいた。

 徐福をはじめ、いずれ記事にすることもあるかな、とは思っていたが、たまたま昨日の夕刊(毎日新聞)で、作家・陳舜臣さんの記事「海の世紀<始皇帝と徐福>」を目にした。<楽しい>ことは早くしたほうがいい。早速、この記事をもとにして見ていきたい。

 「秦の始皇帝は天下を統一するまで、海を見たことはなかった。それも当然で戦国七雄(燕・斉・趙・魏・韓・楚・秦)の中で、秦は最も西に位置していたのである」という書き出しである。始皇帝は独占欲の強い男で、<皇帝>という呼称を自分のために作り、だれでも使えた<朕>という第一人称を独占することにした。そういった意欲のすさまじさは、発掘された兵馬俑を見ればすぐわかる。

 徐福のことは『史記』に記されている。紀元前219年に斉の方士(神仙の術を使う)徐福が始皇帝に言った。「――海中に三神山があり、仙人が住んでいて、不老不死の薬を知っている」と、そこで童男童女3000、五穀の種、百工(さまざまな技術者)を準備し、9年たってから再び始皇帝に催促された。

 徐福は、大鮫魚(こうぎょ=クジラ)出現のため出発が遅れていると言い訳をした。この口実は800年近くもあとの敏達朝で、高麗へ渡海することを命じられた吉備海部直(きびのあまのあたい)という男も使っている(『日本書紀』)。

 『日本書紀』の編者が『史記』からヒントを得て使ったのかどうか分からないが、渡海の危険性を強調し、報酬のアップをねらったとも考えられる。とにかく徐福は出発した。しかし、始皇帝はその帰りを待つことなく、間もなく死んでしまうのだ。

 『史記』はその後の徐福について、「平原広沢を得て王となる」と書いている。そこから、日本上陸説がでてくる。「徐福上陸の伝説の土地は十一カ所あり、墓と称するものも二カ所ある。そんなことがよけい徐福をあやしくみせるようだ」と陳舜臣は書く。しかし、彼自身は『史記』を著した司馬遷が取材・考証に厳しい態度であったことから、徐福の存在および渡海そのものは信用できる、としている。そして、1989年に佐賀で「徐福シンポジュウム」というのがあったことを次のように紹介している。

 来日した古代史の泰斗汪向栄氏は「一九四〇年代に私は徐福架空説を唱えたが、その後実在説に転向した。ただし、日本に渡来したかどうかは確証がないというのが私の意見です」と、おっしゃった。<br /> 日本側の樋口隆康、梅原猛、福永光司氏たちはとうぜん徐福来日を前提に話をされていた。そのころ、香港の学者が徐福が行ったのは日本でなく、アメリカだと主張していた。「平原広沢」は日本にないからだという。

 そこでおまえはどうなんだ?。はい、よくぞおたずね下さった。日本渡来確実論者です。新しい年代観(炭素法による歴博年代)によれば弥生中期中ごろ、もっとも人手を要する水耕稲作の発展途上国であった。つまり、整備された水田でお米を作る技術が、長江(揚子江)中・下流を起点に山東省あたりまで普及し、海を越えて朝鮮南端・九州に達していたのが、近畿、東海とどんどん北上している最中にあたる。

 その最初は徐福よりはるか前の代で、斉、すなわち山東省、江蘇省あたりでは、日本の存在がおぼろげながら知られていたとしても不思議ではない。徐福は、始皇帝の圧政を逃れるため、そのご本人を利用して、壮大な日本への脱出・移民を用意周到に準備していたのだ。大勢の子供などを連れた渡航が、そういった移民計画を意味することは、後の記録(『日本書紀』)にもある。

 さらに、縄文人とは違う弥生人の典型的な人骨として有名な、山口県の土井ヶ浜発掘の人骨が、長江から山東省方面にかけて梁王城など数カ所から出る人骨に類似していることも、何らかの関連を物語っているのである。

 それで、どこに上陸したか、平原広沢はどこかについては、まったくお手上げ。いろいろな伝承はネットで検索すると11カ所どころではない。まあ、徐福直筆のなにかでも発見されない限り、夢は永遠に続くとしておこう。

2007年8月8日

平和宣言で流れを読む

 明日は長崎の原爆忌です。毎年この時期には、広島、長崎の原爆忌そして終戦記念日と、戦争をふりかえるセレモニーが続き、TVのニュースも同じような映像を流し続けます。平和を願うあなた、あなたにとっても、正直なところすこし退屈でうんざりする気分になりませんか?。

 わが委員会が8月6日に「テロに弱腰」という投稿を終えたあと、ホッとした気分で夕刊を取りに行きました。そしてすぐ、1面トップにある見出しの「時代遅れ指導者」という言葉に釘付けになったのです。

 投稿したばかりの文章の最後が、パクスアメリカーナ(アメリカの軍事力、経済力支配の構図)から抜け出せない日本の姿を批判し「安倍内閣もこのような観点から、その後進性を追求し、追いつめたいものである」だったからです。

 核抑止力信仰にしばられ、核軍縮に本気で腰を上げようとしない為政者を「後進性」と非難したものの、「北朝鮮の核攻撃に対抗するアメリカの核の傘」を信じる人に、「後進性」とか「時代遅れ」といってもどれだけわかってもらえるのか、いまひとつ自信がなかったのです。

 でも、秋葉忠利広島市長の読み上げる平和宣言の「時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです」、という言葉に勇気づけられました。

 時代は確実に流れているのです。その流れは、アベ自民党も、買弁マスコミや御用学者にも止めることはできません。実はまた私ごとで気がひけますが、2003年に上梓した拙著のあとがきに次のように書きました。

二〇〇三年の広島平和宣言がいう「国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代はまさに戦後から戦前へと大きく舵を切っている」という時期だけに、本題(「海と周辺国に向き合う日本人の歴史」)を掲げスタートに立ち返ってみたい、これが著者のねがいである。

 どうでしょう。4年前から見て、明らかに潮流が大きく変化したと感じられませんか。このように広島・長崎の平和運動は、鋭い視点で世界の流れを感知しているのです。無味乾燥で官僚作文の「首相挨拶」とは雲泥の差があることに注目してください。

 明日の長崎の宣言は、非業の凶弾に倒れた市長のあとをになう田上富久市長と市民が作り上げる宣言となります。大いに期待しましょう。そしてたった今、盧武鉉韓国大統領と北朝鮮・金正日が28日に会談すると報じられました。ことの成否はともかく、アベ政治の「時代遅れ」を大きく叫びつづけようではありませんか。

 なお、暦年の両市平和宣言を時系列でデータベース化しているのは、大新聞のサイトでは「毎日」だけです。暇があったら見くらべてみてください。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/etc/nagasaki-j/
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/etc/nagasaki-j/
(長崎)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/etc/hiroshima-j/
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/etc/hiroshima-j/
(広島)

2007年8月9日

観光開発

 前々回のエントリーが「徐福」、昨日が「平和宣言の流れを読む」、そして今日長崎の原爆忌を迎えた。長崎県は南北に長い。鎖国時代に唯一開かれていた海外への窓口、歌謡曲に歌われ、原爆の洗礼を受けた長崎。その長崎市は同県のほぼ南端に位置する。

 反対の北の端には、壱岐水道に面した松浦市がある。この松浦市に、徐福伝説の「不老山」がある。288メートルの低い山だが、登りやすく頂上は四方に視界が開けており、全体が公園のようになっている。いわくありげな観光用のハコモノや変な銅像など見あたらず、長崎市と違って観光客はまれで閑散としているため、かえってロマンチックな想像の世界にひたれる。(写真は松浦市公式ホームページより・略)

 西隣の平戸市は、橋が架かっているが一つの島で、長崎開港の前にポルトガル、中国貿易などで栄えた大坂の堺と並び称される開港都市であった。フランシスコ・ザビエルの遺跡など見所はすくなくないがやはり落ち着いた漁港のような感じである。

 ここを私が知った理由は、両市および近隣の吉井町(今は合併して佐世保市)に取材したことによる。前述の不老山もこの時はじめて知った。ネットで検索すると、徐福関連の伝説や施設を持つ場所は、20都府県にのぼり2カ所以上のところもあるので青森から鹿児島まで、どこにでもあるといっていい。しかし、どうしたわけか長崎県にはまったくカウントされていない。

 吉井町に行ったのは、松浦党の土豪・志佐氏の山城(直谷城)跡があるからである。これも一部の研究者や郷土史家に知られるだけであった。中世山城の立地として原形がそのまま残されており、ここでの戦記があることなどからも興味深い遺跡である。

 たまたま、拙著が取り持つ縁で地元出身の篤志家が吉井町中心のホームページ「松浦党と中世の海」を開設された。直谷城の詳細についてはその方を見ていただきたい。

 松浦の地名は、魏志倭人伝により朝鮮半島から対馬・壱岐を経由した上陸地や、神宮皇后紀の地名説話として知られ、元寇、中国・西洋文明の流入など海外の玄関口でもあった。また佐賀県側だが唐津、伊万里、有田など焼き物でも名高い。

 ハウステンボスのような巨大投資の観光開発が限界に来ていることは、すでに実証済みだ。この地域を、大きくは釜山、対馬、壱岐を結ぶコース、小さくは島と海の風光や遺跡を巡るコース、それにサイクリングコースの開発や地元ボランティアによるガイドシステムなどはどうだろう。前記ホームページがそんなことに役に立つようであればいいな、と思っている。

2007年8月10日

シーファー・小沢会談

 8日に行われたシーファー駐日米大使と民主党・小沢代表の会談について、どうも割り切れない気持ちが残ってしまう。まず両者の接触を米大使が望んだことは、役職がら当然のことで、目的は「真意をききたい」という範囲に止まるのが常識的だったと思う。

 それを、テロ特措法延長に賛成してくれ、というのなら外交窓口である政府をさしおいた二重外交、内政干渉にもなりかねず、小沢代表が当初、一旦断ったというのは良識的な判断だ。結果として全面公開の条件を飲まされた上での会談ということは、米国にとっても外交慣例上異例の措置だったのではないか。

 北朝鮮への相次ぐ譲歩に見られるように、ブッシュ政権はイラク・イラン・アフガンなど外交と軍事の面で相当追いつめられている結果ではなかろうか。死に体の安倍内閣にまかせてはおけないという焦りがあるのかも知れない。

 新聞の「会談要旨」では、本当の中味が見えないが、小沢代表の回答もここを突くべきだった。「日本国民は、事態がいつまでも改善されず、現地の反米感情が日増しに強まり犠牲者が増えていることにあきあきしています。手を引くなら早いほうがいい。お国でもそうではありませんか」と。

 それを、国連の手続きがどうだったのこうだっの、と終わってしまったことを言っても仕方がない。日本政府とアメリカ政府が合意の上進めて来たことなのだ。また民主党が反対してきたことの弁明をしてみても、相手に通用する話ではないし、党内の対米従属賛成派を刺激しないよう原則論に終始したとなれば、それこそ政権担当能力を疑われることにもなりかねない。

 しかし、未熟な安倍首相とは違う。海千山千の政治家小沢だ。今後の政局を見ながら9条を守る日本の将来に向けで慎重な戦略、構想を練っているものと期待しておこう。

2007年8月12日

柳井懇談会は解散せよ

 安倍首相が参院選を控えた5月に立ち上げた有識者会議、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」というのは、前駐米大使柳井俊二氏ほか対米従属派を主とするメンバーで固められており、マスコミからも「最初に結論ありき」で、集団的自衛権肯定の道筋をつける隠れみのとされてきた。

 首相が最初選挙の争点に掲げた憲法改正、特に9条については公明党からもNOを突きつけられ、スケジュール化が難しいと見るや、訪米のブッシュ大統領への手みやげとして、独自の憲法解釈を9月にも成立させるという案を思いついた。

 その諮問事項として、(1)公海上の米艦防護(2)米国向けの可能性があるミサイル迎撃(3)PKOなどで他国軍が攻撃された場合に駆け付けて警護する(4)海外での後方支援活動の拡大、の4つがあるという。

 これを見ると、あらためて赤城前農水相の光熱水費800円の説明を得々とする首相の姿が二重写しになってくる。本筋をはずしたセコい話なのだ。さすが、参院選の惨敗を受けて9月答申は時期が悪いと感じたらしい。

 さらに11月1日に期限切れとなる「テロ対策特措法(米艦などへのインド洋上給油作戦)」に民主党など野党が反対することへの対策もあり、結論を11月に持ち越す(結論は最初からでているのに)ことにしたという。

 もういくらのばしても、そういった方針を持ち出す時期はこないだろう。なぜならば、そういった方向づけを国民が支持していないことがはっきりしたからだ。以下の「毎日ボートマッチ」の調査を見ていただきたい。柳井懇談会は既に存在する理由がなくなったのだ。正解は、今すぐ解散することだ。

【参院当選者アンケート】
・現憲法下で集団的自衛権の行使は
→認められる  23%
→認められない 67%

・憲法9条と自衛隊について
→海外でも武力行使できる軍隊の保有を憲法に明記すべきだ  3%
→専守防衛を前提に自衛隊の保有を憲法に明記すべきだ    43%
→憲法9条を改正せず、自衛隊も現状のままでいい      30%
→憲法9条を改正せず、自衛隊は縮小すべきだ        15%

 なお「毎日ボートマッチ」利用者、約40万人の調査資料もあるが、以上の当選者の結果とほぼ同様の傾向を示しており順位が逆転するものもない。ここで、もし有識者の綿密な議論を経て結論を得なければならない問題があるとすれば、43%で最大の支持を得ている「専守防衛」の定義の方だろう。ただしその仕事は安倍内閣の下では無理だ。

 集団的自衛権4類例のかわりに「専守防衛4類例」、これならばこれからこの先議論するだけの価値はある。さて、あなたならどう考える?。

1.専守防衛なら海外に出ていって戦争はできません。もし国際貢献のため海外に行くとしたら、その条件は

2.日米安保は半世紀も前の冷戦時代を反映した条約です。現状にそわない点があり解釈も変わってきています。改定の必要があるかどうか、もしあればどこをどう改定しますか

3.国連憲章と憲法9条の間に問題があるという人がいます。もしそうであれば、どう整合性をとりますか

4.あきらかに危険が察知された場合の先制攻撃、再発を防ぐための報復攻撃、ミサイル防衛、偵察衛星、核兵器の研究、邦人に危険がおよんだ場合の救出などをどう考えますか

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