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2007年5月

2007年5月22日 (火)

初鰹

[反戦老年委員会復刻版

:  目には青葉 山時鳥
   (ほととぎす)初鰹  素堂

 農産物はバイオ燃料あさりで、魚類は各国の需要増で価格が急騰

(映像略)

河竹黙阿弥「梅雨小袖昔八丈」、「髪結新三」

権兵衛 どこの娘か知らないが、嘸(さぞ)家で案じて居りましょう、親に対して不孝なことだ。

勝奴 この道ばかりは別なものさ。(ト時鳥笛になる。)

権兵 だいぶ時鳥の声を聞くが、まだ鰹の声はきかねえようだ。(トこの時揚幕にて、)

新吉 鰹、鰹。(ト呼ぶ)

勝奴 おお噂をすりゃあ影とやら、鰹の声が聞こえますぜ。

 と、新三が帰って来て、新吉から、鰹を一本買う。と、

権兵 新さん、鰹はいくらだね。

新三 初鰹も安くなりやして、一本三分さ。

権兵 え、お前三分で買いなすったのか。

新三 昨夜ちっと呑み過ぎたから、大作りて゛一杯やる気さ。

権兵 よく思い切って買いなすったね、わたしなどは三分あると単衣の一枚も買います。

新吉 お前さんのような人ばかりあると魚売りはあがったりだ。三分でも一両でも高い金を出して買うのは、初というところを買いなさるのだ。

(池田弥三郎『日本故事物語』より)

2007年5月26日

「醜い国へ」

 以下は4日前、ペルー・リマで「クラスター爆弾禁止会議」が開かれる前日に書いたエントリー「なんでそうなるの」の後半である。

 今回の安倍流日本政府は、ムニャムニャで何を言っているのかわからない。自衛隊が保有するクラスター爆弾は日本国内で敵部隊が上陸した時に使うという。それでは、日本人に被害がでるじゃないか、という質問には、あらかじめ避難を呼びかけ、その上で使うのだそうだ。

 また、「不発弾はあとで自衛隊が完全回収するから心配ない」という説明だ。実戦ではあり得ない詭弁で完全に論理が破綻している。いやこっちの頭がおかしいのだろうか。陸自の対戦車ヘリ84機、対戦車誘導弾など日本に大機動隊が敵前上陸してくる、という冷戦時代ですらナンセンスな話がまかり通っている。

 ただ、「集団的自衛権」を使って将来アメリカと共に海外で使うためならわかる。そうでなければ、日本を仲間にしておきたいアメリカの軍部に、気兼ねしているから、としか言いようがない。一番の安全は、こんな兵器を廃絶させるために、その気運を世界に広めることではないか。

 2日目に入った同会議における日本の姿勢が、早速毎日新聞に報道された。 

 最初に問題提起したのは日本だった。代表団は「同盟国との作戦に於ける相互運用性に与える影響を考慮すべきだ」と主張した。その後、同様に米国と緊密な同盟関係にある英国や豪州、ポーランドも懸念を示した。不発率の極めて高いクラスター爆弾を使用し続ける米国は、これまで同爆弾の規制には反対している。会議ではいずれも米国の名前は挙げていないが、同爆弾を大量に保有、使用する米国などの同盟国と軍事行動を共にするうえで、同爆弾が全面禁止となった場合などに作戦上の支障が生じることを懸念した。

 「なんでそうなるの」の最後尾は、なかば揶揄するつもりで書いたのだ。まさか憲法違反のことを、ぬけぬけと明言し、まっ先に「アメリカのポチ」ぶりをさらけ出すとまでは思わなかった。さらに、昨日になって田母神俊雄・航空幕僚長は記者団の質問に、国内で使用すれば国民に被害が及ぶことを認めざるを得なくなった。

 それに加えて、そのような被害より、使わないで地域を占領される被害の方が何百、何万倍も大きい、と付け足した。そうら出た。暴力装置まるだしの本音が。広島に原爆を投下したり沖縄を見捨てようとした理屈と変わらない。国民の命は一人でも地球より重い。そう思わないのが軍の掟なのだ。

 朝日、毎日は既に社説で禁止に賛成すべきだとしている。また、昨日のTV番組「報道ステーション」は、多くの映像を交えて、日本が禁止にうしろ向きな理由を追及していた。カナダは保守政権ながら全面禁止に向けて大きく舵をきつた。国内世論が高まったことと、議会でも党派をこえて禁止論が高くなり、上院で法案の審議が始まったことによる。

 すでに政府の主張は破綻をきたしている。対人地雷禁止を決断した、故小渕さんのほどの器量も備わっていない「醜い国へ」を指向する政権の態度に期待するのは、もはや無理だ。野党の奮起を願うとともに、国民新党・田中真紀子・田中康夫・鈴木宗男それに公明党や旧宏池会、新YKKまで含めて安倍大包囲網を築くよう、世論を高めてほしい。

2007年5月28日

とりまぜて「雑感」

 わが委員会では、週にすくなくても1回は「反戦」から離れた、できればビジュアルなエントリーをと心がけてきた。それが自分自身とブログの硬直性を避ける方法だと思ったからだ。「古代に遊ぶ」も前方後円墳というテーマで続けていたが、このところ途切れてしまった。やはり、参院選接近や安倍内閣の軍国指向が気になり始めたせいかままならない。

 前方後円墳では、卑弥呼の墓の可能性を秘めた「箸墓」の前方部前面(傾斜部)に葺石が見つかったということを宮内庁が発表した。側面からはすでに発見されているし、『日本書紀』にも書かれていたことなので、いまさら、という内容だ。小泉前首相から「最後の抵抗勢力」などと言われないよう、早く民間の学術調査を解禁すべきだ。

 このところ、クラスター爆弾禁止会議に関連する記事を何度か書いたが「タカマサのきまぐれ時評」さまや「もーチャンの部屋」さまから頂いたTBで、田母神航空幕僚長が記者会見で語った、日本国民に犠牲が出ても敵の占領を防ぐ、といった発言を鋭く突いているのを拝見した。たしかに、「文民統制」を逸脱した発言だが、マスコミがそれ以上の追求をしないのも変。

 また、別に公明党を支持したくなる、という軽いノリのコメントもいただいた。本日の毎日新聞には、内閣支持率が現内閣最低の32%に急落し、不支持が44%にまでなった、とあった。わが委員会はこの種のアンケートをあまり信用しない方だが、公明党の支持率、投票行動に変化はなさそうだ。サンデープロジェクトで田原総一朗が公明党太田代表に対し、首相と憲法への姿勢を異にする与党公明党の矛盾を追求していたが、憲法に対し方向感覚が定まらない民主、改悪反対の絶唱だけで政治能力から見放されている社民・共産から比べれば、公明が9条改変阻止のキャスティングボードを握っているといえるかもしれない。

 また、同放送で田中康男氏が、9条に第3項を設け自衛隊の任務を云々するような意見(民主党の中にも多い)を言っていたが、第2条は「戦争放棄」と言う題名で9条しかない。そこへ性格の違う第3項を組み込み、題名を「安全保証」などに変えるのは、自民党案と同じ手法で9条の精神放棄につながる。公明流の、別の条項を立てて「修正第○条」とした方がまだいい。

 その前にあった「朝まで生テレビ」の討論で、第一章天皇制と第二章戦争放棄が、占領軍の強い意志のもとでセットになっており、不即不離のもの、言いかえると天皇の象徴の意味は「平和」であるという説が披露された。これは前文から通して読むとそのとおりで、第2章を「安全保障」とすると、第一章とのつながりがおかしくなる。まさに同感である。

 なんとか還元水で高名な、松岡農林水産大臣、議員宿舎で首つり自殺を図り死亡。安倍内閣、もうただてはすまない。(14.20)

2007年5月29日

気になる木


(映像省略)

境界守る気

他国の領土は1㎝たりとも侵略しません。

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2007年5月14日 (月)

不戦の誓い 1

[反戦老年委員会復刻版]

 1928年(昭和3年)8月27日にアメリカ合衆国、フランス、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、日本といった当時の列強諸国をはじめとする15か国が署名し、その後、ソビエト連邦など63か国が署名したいわゆる「不戦条約」と呼ぶこものがある。

 わが委員会でも過去4回ほどこの条約をとりあげたことがあるが、現在この国際法が有効であることを知っていても、その条約成立の背景にはじまり今日に至るまでそれが世界でどう扱われ、また国連憲章にどう影響したかなどについて、ほとんど関心が払われていないのは残念である。

 それが、安倍首相の生半可な発想で国の自衛権や「集団的自衛権」に新たな憲法上の地位を与えようとしていることで、さらにその「不戦の誓い」を形骸化させようというたくらみが進んでいる。今までその条文を掲載したことがなかったので、あらためて見てみよう。

   第一條 締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス

 第二條 締約國ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

 このほか、第3条があるが手続き等を定めたもので省略した。また、第1条の「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」というのは、天皇主権のわが国の国体に反するという右翼や軍部の主張を立憲民政党がとらえ、政府攻撃の材料にしたため、わが国ではその部分を保留して批准した。

 第一次世界大戦が、それまでの軍隊が中心となる戦争ではなく、一般国民をまき込んだ「総力戦」に変貌したことで、その悲惨な結末が勝者、敗者の別なく世界に大きなショックを与えた。地球上から戦争をなくしようと言う、強い意志がこの条約に働いていることがわかる。そこで第二次大戦後、直ちに起草された現行憲法第2章とくらべてみていただきたい。

        第二章 戦争の放棄
 第九条[戦争の放棄、戦力の不保持・交戦権の否認]日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 九条が不戦条約の精神を受け継いでいることがよくわかる。「戦後レジューム」でも「占領軍の押し付け」でもない。第2項は、不戦条約が機能しなかったことをふまえて誕生したばかりの国連憲章の精神にのっとり、侵略戦争(海外にでていって行う戦争)に明確な封印をしたものであろう。それが、「自衛権」という汚辱にまみれた口実への訣別宣言を意味する第2項である。

 自民党の改憲案は、第二章の題名を「安全保障」にすり変え、第九条の二に(自衛軍)というのをつけ加えた。この改ざんは20世紀に人類が絶望からはい上がり、試行錯誤をかさねながらたどってきた平和への悲願に逆行する暴挙といわざるを得ない。

2007年5月15日

不戦の誓い 2

 安倍首相は「集団的自衛権」を自然権だとか天賦の権利と言い、「権利があっても行使できないのは禁治産者」といった法律用語を使って自説を押し通すくせがある。それでかえって地金を現してしまうのだが、民法、刑法上個人に認められた「正当防衛」や「緊急避難」といった概念をそのまま国家にあてはめて、「誰だってそう思うでしょう。違ってますか?」といったたたみかけ方をする。

 個人の場合でもどこまでが正当防衛なのか過剰防衛なのか、それぞれの場合や状況で判定がむつかしい。判断も人により社会によって違ってくるので万能の権利とはいいがたい面がある。人間には「自己保存本能がある」というのならわかる。それを国家固有の自然権になぞらえるのは無理がある。

 国家として「自衛」が議論されたのは、前回述べた不戦条約の交渉の際が初めてである。フランスが自衛のための戦争は例外とする条文を入れようといったのに対し、それは当然のことだからわざわざ条文に入れる必要はない、としたのがアメリカである。

 そのほか、イギリスが植民地とか、自国の勢力のおよぶ範囲を守るのも自衛だ、と言いだすなど各国とも自国に都合のいい解釈がまかり通るようになった。日本の大陸侵略もこの「自衛の拡張解釈」だし、アメリカのイラク侵攻に至ってはそれ以上とさえ言える。

 誤った情報でイラクに攻め込み、無辜の市民を殺傷して泥沼の内戦状態を招き、そして退くに引けない状態におちいっている。これが侵略でなければ日本の過去も侵略でないことになる。もし、これが第二次大戦以前より世界が後退していない結末を招くためには、ブッシュが非を認めアメリカ国民が選挙で誤りをただす、つまりアメリカの復元力を示すしかない。

 いまどき「自衛権」などをまともに受け取る国はない。だから各国が主張する「自衛権」を国連憲章では、国連が措置をとるまでの間の緊急避難でしか認めていない。それにアメリカが「集団的自衛権」という概念を発明し、それに便乗させたまでだ。

 当時、中南米諸国が自衛力の欠陥を補うために協力しあう動きがあったので、アメリカが勢力範囲のこととしてこれに飛びついたことは、前回にも述べた。また、ソ連に対抗する意味での集団的自衛権をNATOで見ることができた。しかしそれも、コソボ空爆という実力行使で反省に迫られている。

 真の日米友好とは何か。アメリカの軍事力に協力することではない。復元力に力を貸すことではないか。「集団的自衛権」はすでに骨董品である。それをあえて振りかざす日米当局の真意は何か、考えればすぐにわかる。 カネと血だ。

2007年5月16日

しろ藤

(映像:略)
栃木県足利市「あしかがフラワーパーク」で。

入園料は花の咲き具合で900円から1300円。21日からは300円から900円の変動相場制。</p>

2007年5月17日

気疲れ

 終戦前後のことである。ラジオがこわれたという話があれば、「どれどれ」と言って中学生の小生が直した。4球のうち1本の真空管が切れていたら、すぐに換えが手に入らないので3球に直したり、廃品のラジオの部品を再利用したり、真空度の落ちた管を火であぶって復活させたり、いろんなことをした。

 なぜそんなことを言うかと言えば、小生、村ではちょっとした電気通信系のオーソリティだったのである。それが今日はすっかりくたびれてしまった。拙宅の諸通信系統をケーブルTV会社に切り替えたためである。

 まあ、同級生でネット活用者が数少ないことからみれば、ましな方かも知れないが、TVのデジタル化、IP電話、携帯電話等の多様化、DVD、次世代のなんたらたんたら。せっかく慣れ親しんだと思うともう時代遅れだという。とてもついていけない。畏友のtani先輩もVISTAでご苦労をされたとか。

 ブロバイダーの変更で、これまでのブログの蓄積を放棄したくない。うまく、かつ経費をかけず現ブログを維持するにはどうすればいいのか。何度かブロバイダーに電話して、「ただ」とはいかないがまあなんとか決着をつけた。

 アルファベット、カタカナ用語がわからない。キーボードも片手で仮名入力、正式に講習を受けたこともないし、相談する仲間もいない。まあ、認知症にならないといわれれば慰めにもなるが、これからのことが思いやられる。

 というわけで、本日「反戦」はお休み!。

2007年5月18日

手抜き取材

 掻いた親の首を持参で警察に自首する。前代未聞、理解不能の猟奇事件が続発している。「戦争がないから人を殺せない」と言ったともいう。マスコミに現れる識者、学者の評論はいずれも空しい。この、社会の病理現象に宗教家も政治家も、心に響く言葉を持たない。

 そんな中で、「学校では動揺する生徒を集め、校長が『命の大切さ』などについて話をした」という一片の記事が判を押したようにでてくる。こういった「決まり文句」は、訴訟を受けた側の「訴状を見ていないのでコメントできない」などというコメントも同断である。

 訓辞をする校長は、校友の犯罪で動揺する生徒の心を安定させ、あすに向けた最善の言葉を必死でさがし求めて生徒に訴えかけたはずだ。幼稚園じゃああるまいし、「命の大切さ」を小学校も中学も高校も同じように話すだろうか。その内容によっては、社会への影響も考慮して要旨ぐらい報道してもいいと思う。しかし、どうしても警察発表が中心であり、そんな例を聞いたことがない。

 安倍首相の答えになっていない答え、そして開き直りの常套発言(これは石原都知事を真似したか?)などについて、このところ毎日新聞の追求が急になっている。「行ったか行かなかったか、言わないことにしてます」、「そのどこがいけないのですか」といった矛盾隠しや恫喝である。

 それに対する取材記者のつっこみのなさも、読者が指摘し始めている。記者の現場の苦労はあると思うが、読者が知りたいこと、知れば役に立つことについて取材に手を抜き、落としどころを最初から決めてかかって記事にしているのではないかとさえ邪推してしまう。

 報道の仕方、記事の書き方に長年親しんできたパターンがあるのだろうが、それを破る新機軸があってこそ、多様化する情報戦争を勝ち抜く機会があるのだと思う。いまや報道が横並び仕事の最後尾にいることを意識して欲しい。

2007年5月19日

無視される教訓

      それは前例のない戦争、最前線のない戦争となり、簡単に識別できる敵、簡単に説明できる目的もなく、国家の憎悪を集中できる明確な悪人も存在せず、本国には何の脅威も与えず、一般の犠牲も必要とせず、したがって愛国主義の全国的昂揚もない戦いとなった。それはCBSのバーナード・カルブが言ったように「わが国史上、最も特徴のない敵」を相手にする邪悪な戦いであった。

 以上はイラクのことではない。1963年に戦闘がはじまったベトナム戦争ののことで、1975年に完成したフイリップ・ナイトリー著“The First Casualty”(芳地昌三訳『戦争報道の内幕』)にある一節である。

 9.11の衝撃で愛国心をかき立て、首謀者・ビンラディンを悪人とし、敵をアルカイダとするアフガン戦争までは、まだ「特徴ある敵」がいた。イラクにはそれがない。ブッシュ肝いりの「悪の枢軸」をこしらえてみたものの、フセインは亡く、金正日は交渉相手になって、いつの間にか立ち消えになってしまった。

 日本の場合は、もっとひどい。全く戦争に参加する大義も口実もない。もちろん自衛のためではない。しかもいまなお、自衛隊に空輸の協力をさせている。そこで安倍流「集団的自衛権」なる「珍妙な」解釈改憲謀議が始まろうとしている。アメリカはベトナム戦争で手痛い教訓を得ているものの、冷戦勝利という大枠のなかに止揚することで忘れ去った。

 しかし今度の傷口を癒す特効薬はない。どうやってアメリカン・スピリットを保とうとするか。日本は決して誤ったシグナルを送ってはならない。先の戦争の教訓まで無視しようとする安倍首相はともかく、集団的自衛権を検討する安倍とりまきの知米派が、どこまで良識を披瀝できるか、絶望的ながらも見守ることにしよう。

参考エントリー 「不戦の誓い 1」  「不戦の誓い 2」

2007年5月20日

カーターの爆弾発言

 前回記事「無視される教訓」に、そのままつながるカーター元米大統領の爆弾発言が報道された。あまりにもタイミングが合いすぎていて、書いた本人もびっくりしている。続けてお読みいただくといいのだが要約しておく。

 アメリカは、簡単に識別できる敵、簡単に説明できる目的もなく、国家の憎悪を集中できる明確な悪人も存在せず、本国には何の脅威も与えず、史上最も特徴のない敵を相手にする邪悪な戦いであったとというベトナム戦争の自省と教訓を生かせず、イラクで同じ失敗を繰り返した。前回は、冷戦勝利という流れの中に収斂させてしまったが、今度の傷口を癒すのは容易なことではない。

 どうやってアメリカン・スピリットを保とうとするか。アメリカ以上に大義に欠け、盲目的にアメリカに手を貸し続けている日本は、ここで決して誤ったシグナルを送ってはならない。先の戦争の教訓まで無視しようとする安倍首相はともかく、集団的自衛権を検討する安倍とりまきの知米派が、どこまで良識を披瀝できるか、絶望的ながらも見守ることにしよう。

 というのが、前回の結論である。そこにカーターが、退陣間もない英国のブレアー首相に追い打ちをかける爆弾発言を行った。原爆投下を日本のせいにするいつものアメリカの論法で感心しないが、毎日新聞(5/20)の記事を掲げ、小泉→安倍ラインがアメリカから逆恨みされないように忠告しておく。

 【ロンドン町田幸彦】英BBCは19日、イラク戦争に関連してカーター元米大統領が、ブレア英首相のブッシュ米政権への「盲目的支持」を厳しく批判したと伝えた。カーター元大統領はBBCとの会見で「ブレア首相の支援がブッシュ大統領に役立ったことは明らかだ。(イラク問題で)誤った助言を受けた政策だったのに、英国のほとんど揺るぎないブッシュ政権支持は、世界の大きな悲劇につながった」と酷評した。

 イラク戦争反対の姿勢を表明するカーター元大統領は、この会見で「ブッシュ米政権は開戦後、対イラク政策を修正できたが、ブレア首相の支持を口実にして、戦争を長期化させている」とも指摘した。イラク戦争の影響について、元大統領は「国際的な基盤に深い分裂をもたらした」と強調した。カーター元大統領は、来月27日退任するブレア首相の後継者、ブラウン財務相に対し「(イラク戦争をめぐる)支持の熱意が小さくなるよう望む」と強調した。

2007年5月22日

なんでそうなるの

 ここに一人の非常識人がいる。世間ではあまり疑問を持たないことが気がかりだったり、常識とされていることが「ばかげたことだ」と思ったりする。精神科へ相談に行く前にその症状を告白しておこう。

 世間では、北朝鮮がミサイルを持ち核実験をしたことで明日にでも原爆が飛んできそうなことを言う人がいる。原爆は高くつくだけでなく、使ったら最後、世界を敵にして国が壊滅することを覚悟しなければならない。

 それより、同じミサイルに積むなら生物・化学兵器とか面制圧兵器のクラスター爆弾の方がうんと安上がりで現実的だ。しかもMD兵器でこれらをもれなく撃ち落とすことなど不可能だ。どうしてこの方をおそれないのだろうか。

 アメリカは、核の傘があるから日本は安全だ、だからアメリカに向けたミサイルは日本が撃ち落とせ、といっている。そのアメリカは、北朝鮮の核ミサイルなど飛んでくるはずがないことを知っている。本当に恐れているのは核拡散の方だ。つまり核の独占的優位を維持したいことと、MD開発費を持ってもらいたいということだ。

 クラスター爆弾に話が飛ぶ。2008年までにこの非人道的な爆弾の生産、使用、移動等を禁止しようというオスロ宣言が3月に採択された。日本は重い腰をあげて会議に出席したが、参加した先進国の中で唯一決議に賛成しなかった。

 明日からペルーのリマで2回目の国際会議が開かれる。イギリス、フランス、ドイツなど欧州各国は条件付きだがより前向きな対応をとろうとしている。ペルーもノルウェーに劣らず熱心だ。日本はかつてアメリカの思惑にかかわらず、当時の小渕外相の決断で、対人地雷禁止の条約に賛成した。

 今回の安倍流日本政府は、ムニャムニャで何を言っているのかわからない。自衛隊が保有するクラスター爆弾は日本国内で敵部隊が上陸した時に使うという。それでは、日本人に被害がでるじゃないか、という質問には、あらかじめ避難を呼びかけ、その上で使うのだそうだ。

 また、「不発弾はあとで自衛隊が完全回収するから心配ない」という説明だ。実戦ではあり得ない詭弁で完全に論理が破綻している。いやこっちの頭がおかしいのだろうか。陸自の対戦車ヘリ84機、対戦車誘導弾など日本に大機動隊が敵前上陸してくる、という冷戦時代ですらナンセンスな話がまかり通っている。

 ただ、「集団的自衛権」を使って将来アメリカと共に海外で使うためならわかる。そうでなければ、日本を仲間にしておきたいアメリカの軍部に、気兼ねしているから、としか言いようがない。一番の安全は、こんな兵器を廃絶させるために、その気運を世界に広めることではないか。

 しかし、参院選を前にしながら野党もさしたる追及をしない。ただ朝日、毎日両紙は社説をかかげ、日本が軍縮の先頭に立つべきだとしているだけである。両紙とも私と同じ症状になってもらっては困るのだ。(内容は5/21付「毎日新聞」特集その他で構成しました)。

2007年5月23日

9条改変賛成か反対か

 選挙はかつて政党・政策より人柄で選ぶという傾向が長く続いた。したがって地盤・看板・かばんの「3ばん」がなければ、立候補も当選もできない、というのが当たり前だった。「かばん」は選挙資金の入った鞄である。田舎では買収もなかば公然とおこなわれた。

 地域の資産家が地方議員になり、そこから顔を広げるため県議などのステップを経て国会議員になる。革新系も労組の役員の階段をのぼりつめ、大組織の委員長になると組織票をもらって議員になる。こういった慣習がゼロになったわけではないが、地域の衰退や映像文化の影響もあり、候補者本人の識別より政党、それもトップのイメージで結果が左右されるようになった。

 この傾向は、ヒトラー再現の悪夢につながりかねない危険性をはらんでいる。それを防ぐためには政策、それもマニフェストなどというこ難しい(それも必要だが)ものではなく、庶民にアピールするキャッチフレーズがどうしても必要なのだ。前衆院選の「郵政民営化に賛成か反対か」がそれを証明している。

 わが委員会は昨年来、「憲法を参院選の争点にすべきだ」という主張をしてきた。国の将来にかかわる重要問題に対し、争点化を避けるとした民主党・小沢代表の方針は、政党の論理としてあり得ても、選挙民の選択権を封ずる暴挙だ、とまでいってきた。

 民主党は、安倍右傾化路線に対して明らかに守勢に立っている。それが暴走ぎみで攻撃しやすいにもかかわらず、自らその手をしばっている。このままでは、この先2ヵ月の間に逆転攻勢をかけることができるかどうか甚だ疑問である。

 昨日、横路衆院副議長の憲法と平和に関する講演を聞いてきた。基本的な護憲の発想はわが委員会以上に明白である。自民党改憲草案はもとより、民主党で作った構想案にも「反対だ」と断言した。そして「民主党にもいろいろな考えの人がいるが、9条を擁護するという候補者に投票してください」とまでいった。

 言葉のはしはしに、党籍離脱した現在の職責もあり、党運営に正面から関われない無念さがにじみでていたが、同時に選挙民の支援や地方党組織の確立に期待する気持も披瀝している。党を守ることもぶっこわすこともできない立場では、これ以上の発言を期待することに無理があろう。

 それでは、憲法を守るために選挙民は誰に投票すべきか。この難問から抜け出すことができない。その意味で、ブログ「反戦な家づくり」さまが主導される自民党、民主党参院立候補者に対するアンケート作戦は、大いに意義がある。

 すでに数十の有力ブログの賛同を得て、準備を進められている。これには非協力や妨害や非難などさまざまな困難があると思うが、各党、すくなくとも民主党にとっては大きな刺激剤となり、護憲指向の候補者への激励にもなると思われる。成功を大いに期待したい。

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2007年5月 2日 (水)

青年歌集

[反戦老年委員会復刻版]

Dscf3819  わが国音楽書最大のベストセラーだという。半世紀ほどまえ、「歌声運動」とともに爆発的に売れた。当時独身サラリーマンだった小生も、ハイキングやメーデーに参加して歌を知らないと恥をかくので買い求めたものだ。(大半の歌は知らないが)。

 その現物がまだあった。写真(再撮影)のように風化寸前である。別にボロボロになるまで使ったわけではない。高松塚ほどではないが、昭和20年代後半から30年代にかけて一世を風靡した社会現象の証として、消滅前に記録しておきたいと思ったまでである。(選曲は管理人の独断)

第一篇         第二篇
【主要曲目】       【主要曲目】
美しき祖国のために   仲間達
若者よ           心の歌
おおスザンナ        早春賦
金髪のジェニー      夏はきぬ
オールドブラックジョー   赤トンボ
ネリーブリー       山小舎の灯
アロハオエ         朝
武器はみんなすてろ  捨吉の歌
麦畑          これが二人の恋さ
アンニーローリー     母なる故郷
村祭り          大漁節
サンタルチア      ずいずいずっころばし
フニクリフニクラ     三池炭坑節
おおソレミオ       ジングルベル
トロイカ         谷間の灯
仕事の歌        オ・ブレネリ
赤いサラファン      別れの曲
カリンカ          灯
カチュヘシャ       エルベ河
開放歌          アリラン
輝く朝鮮         赤旗
晴れた五月      インターナショナル
世界をつなげ花の輪に 世界民主青年の歌
町から村から工場から
--------------------
発行日付 不明      昭和28年3月1日初版

第三篇         第四篇
【主要曲目】       【主要曲目】
祖国の山河に      東京-北京
平和を守れ        オール・マン・リバー
仲間達          ハイリリ・ハイロー
青春の歌         ピクニック
権兵衛と田吾作     ゴーホーム・ヤンキー
ローレライ          おお牧場はみどり
乾杯の歌         嘆きのセレナーデ
チリビリビン       私たちのブカレストにて
家路            よさこい
ワルシャワの労働歌  内灘音頭
黒い瞳の         箱根八里
モスクワ行進曲     守れ妙義
秋田音頭        水爆犠牲者を忘れるな
もずが枯木で      ぼくらの歌
五木の子守歌     ミネトンカの湖畔
ゆりかご         麦打ちの唄
かっこう         老犬トレイ
内灘かぞえ歌    国際学生連盟の歌
民族独立行動隊の歌
---------------------
昭和29年7月15日発行 昭和30年4月10日発行
以上各篇A6版140頁定価70円地方売価75円送料10円

2007年5月3日

憲法記念日の新聞

 今日憲法記念日の毎日新聞は、60周年で安倍首相が参院選の目玉に憲法改正をしようとしているせいか1面の世論調査結果をはじめ、社説を含めて各面「憲法オンパレード」だった。外出の予定もあるのでおおざっぱな感想を主に述べたい。

 というわけで、世論調査の分析は他にゆずるが、ひとつだけ上げておこう。「日常生活の中で、あなたは憲法を意識したり、考えたりすることがありますか」という質問に、「時々ある」42%と「よくある」10%をあわせ約半数で、残りが「あまりない」36%「まったくない」5%「無回答8%」であった。

 要するに「改憲賛成」51%といっても、国民の半数が深く考えてのことではない、という結果になっており、これから選挙までの間どれだけ関心が高められるかが、安倍改憲路線阻止のかぎとなりそうだ。わが委員会はかねて「憲法を争点にしない」という民主党の方針に反対してきた。それは憲法に対する国民の意識を高める趣旨に反するからだ。

 「この頃の新聞」で取り上げたが、毎日新聞は、記者の記名記事や特集記事だけを見ていると、「護憲新聞」ではないかと思ってしまう。しかし社説をみると、依然として「論憲」の立場だと言うし、登場する識者の意見も9条に対する「護憲」意識をちらつかせながら、自衛隊の位置づけもはっきりさせよう、という線が多いように見えた。

 わが委員会の持論でもある「加憲論」が、この紙面でもやや多くなってきたような気がする。しかし、その方法については「9条に別の条項を設けて」などと、自民党案に似通った方法を述べる人がすくなくない。わが委員会でかねがね指摘しているが、これは危ない。

 「換骨奪胎」されるおそれ大だからである。現行憲法は、第2章の名称を「戦争放棄」とし、その内容は第9条1、2項だけである。自民党案はその名称を「安全保障」にすり替え、2項以下を戦争放棄とは相容れない軍隊を持つ条文にしてしまったのだ。

 そういったことから、公明党がいうように第2章はそのまま残し、全く別の追加条項を設ける方法に、加憲論を統一した方がいい。だから「9条を守ろう」ではなく「第2章を守ろう」で戦線統一をはかるということだ。これについては「加憲論の出番」も参照願いたい。

 安倍首相は、外遊先で改憲議論は自民党草案をもとに推進する、と明言している。上記のことがらを含めて、総じて新聞論調は「甘い」のではないかという印象が強い。現行憲法成立と定着の歴史をクローズアップし、押し付けられた憲法、戦後レジューム云々という観念優先論を否定する企画もでてきており、NHKとの歩調も合っている。「論憲」からもう一歩踏み出してほしいところだ。

 さらに、わが委員会が取り上げたばかりの「集団的自衛権」という概念の誤用や、アメリカへの軍事協力も場合によってははっきりと断るカナダやイギリス、それでも友好関係をこわすことにならない例をあげるなど、政府PRとは別筋の報道もではじめている。

 政党の現状に悲観せざるを得ない現在、新聞のこういった動きに期待し応援することが国民の投票行動に影響をもたらす第一歩ではないか。

2007年5月4日

古池や

古池や かはづ飛び込む 水の音

(清澄公園・映像略)

2007年5月7日

婦系図

婦(おんな)系図
泉鏡花作

湯島の境内。新派極めつけの場。

主税 「お蔦…俺とこれっ切り別れるんだ」

蔦  「冗談じゃ、貴方、無さそうねえ。…切れるの別れるのって、そんな事は、芸者のときに言うものよ。…私にゃ死ねと言って下さい。蔦には枯れろ、とおっしゃいましな」

 この場面を昭和52年3月に柳永二郎(82歳)と水谷八重子(71歳)の高齢コンビが演じ、「150歳の湯島だ」とゴシップに書かれた。

【『ことばの知識百科事典』より】

2007年5月6日

好戦路線の破綻

 今月に入ってから「集団的自衛権の幻想」と「憲法記念日の新聞」という二本のエントリーを上げた。そのフォローをかねて書き足したい。5日の毎日新聞に「集団的自衛権」に関する安倍語録がのっていたので、まずそこから。(一部略)

▼93年~衆院議員
 「権利はあるけれども行使はできないという極めて珍妙な新発明」(99年4月1日、衆院日米防衛協力指針特別委で)

「かつての禁治産者は財産の権利はあるが行使はできない。わが国が禁治産者と宣言するような極めて恥ずかしい政府見解だ」(00年5月11日、衆院憲法調査会で)

 【コメント】2段目は、禁治産者に対する侮辱発言では?……。

▼03年9月~自民党幹事長
「軍事同盟は血の同盟だ。日本が外敵から攻撃を受ければアメリカの若者が血を流すが、今の憲法解釈では日本の自衛隊はアメリカが攻撃された時に血を流すことはない。完全なイコールパートナーと言えるだろうか。日米同盟関係も集団的自衛権を前提にしている。『それはできない』と言えるのか」(04年1月の岡崎久彦氏との共著「この国を守る決意」で)

 【コメント】安保条約第3条を読んでないね。
第3条 締結国は、個別的に及び相互に協力して、計測的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれそれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。

▼04年9月~党幹事長代理
集団的自衛権は自然権としてある。完全に我々の権利なので(新憲法に)いちいち書く必要はない。そもそも与えられた権利、天賦の権利だ。我々が集団的自衛権を行使でき、彼ら(米国)も行使できて初めて対等になる。完全に対等になる。(日本)独立の完成にもなる。日本を守るために集団的自衛権を使った方が明らかに利益がある。誰が考えたってそうだ」

 【コメント】「自然権」「天賦の権利」……個人としての人間について言うならともかく、新学説ですね。もっともこの新学説がアメリカ製という解説ならありますが。たとえは悪いが、やくざの大親分がチンピラを一人連れて街を闊歩している、これも「集団的自衛権」で「自然権」ですか。

 次に、憲法と新聞。今日もTV「サンデープロジェクト」で、朝・毎・読の論説主幹を集めた番組を田原総一郎の司会で放映していたが、素人にアピールするものがなく失敗企画だった。まあマスコミの限界といえば限界なのだが、毎日の「論憲」と朝日の腰が引けたような慎重発言は、前回述べたように「危機感」の欠落のように感じた(「この頃の新聞」)

 厳密な分析ではないが、ネットで追ってみた結果、読売、産経が「改憲」、朝日、東京、中日、西日本が「2章(9条1、2項)擁護」、毎日、北海道が「論憲」でその他多くの地方紙がこれに近いのではないかと思った。

 論憲といっても、毎日は「安倍思想による改憲」には反対する姿勢を前述の放送で明言しているし、多くの地方紙もその線に近いのではないかと観測している。そのほか、日々報道されているように、世界の情勢が大きく変わろうとしていることが支援材料だ。

 なんといっても、イラク撤退のアメリカ世論、ブッシュ・ネオコン路線の後退、中東各国の和平・協調気運、北朝鮮の非妥協的態度への柔軟姿勢その他、もう一度アメリカの世界戦略を考え直す時期が迫っているのだ。

 新聞の「論憲」姿勢も、より多くの国民を2章擁護に引きつけるため、旗幟を鮮明にせずじわりじわりと安倍路線を追いつめる高等戦術と考えたい。しかし、これもまた「楽観論だ」と叱られそうな気がする。

2007年5月8日

拉致問題に手がかりを

 以下はちょうど1年前の今日のエントリーである。</p><blockquote dir="ltr"><p> 拉致被害者、横田めぐみさんのお父さん滋さんが、娘婿と判明した韓国の金英男さんの親族に会うため渡韓を準備していると聞く。その前にアメリカでブッシュ大統領と面会を果たして帰国したお母さんの方は、疲労からか体調をくずして休養中という報道もあった。

 余計なことかも知れないが、両親と同年輩であるだけに、ふたりが複雑な国際政治の中で翻弄されている姿に心を痛めている。被害者の家族や、それを取り巻く団体などが、解決の延引にしびれを切らして「経済制裁」を声高に叫ぶが、それが解決の早道になる、という保証はどこにもない。

 日中関係改善をよそに、拉致問題は1年前に想定した線から何の進展もない。横田さんは被害者の会の会長を降りたいという意向を示されたという。拉致関連の団体は依然として制裁強化一本槍である。そして、被害者家族の心情はたしかにそうだと思う。

 ブッシュ大統領は、明らかにこの一年間で、国際問題の解決は外交交渉を第一にするという方針に転換しており、ライス長官をはじめ米外交官は、その線で世界各地を奔走している。北朝鮮制裁の国連決議は完全に宙に浮いているのだ。

 こういった実態を外務省が知らないはずはないのに、なすことをしらずただ手をこまねいているのはなぜか。意地を張る安倍晋三と金正日のかたくなな態度を溶かす努力をしていない、ということにつきる。このさき1年で解決のめどがつくか。このままでは無理であろう。

2007年5月9日

古代に遊ぶ

【前方後円墳 その4】
 前方後円墳その1で名をあげた奈良県の箸墓は、古墳時代到来を告げる大型古墳の代表選手である。時代が接近していることから、卑弥呼の墓ではないかと期待されている一方、日本書紀では、皇女で神秘的な予言能力を持ち、三輪山の神・大物主と結ばれたヤマトトトヒモモソヒメの墓とされ、箸墓と名付けられた由来などを詳しく記載している。

 現在ある箸墓が、書紀に書かれている墓そのものであることは、天武天皇前紀の記述から推しても間違いなさそうである。となると、神代以来見ることのなかっった巨大な墓を、天皇でない女性のために造営し、その作り方まで書くというのは極めて異例といわざるを得ない。国際的に認知された卑弥呼ならでは、という気がしないでもない。

 現代語にするとこう書かれている。「この墓は、昼は人が作り、夜は神が作る。それは大坂山(二上山の北側の山)の石を運んで作る。即ち山から墓まで人民が並び、手から手へ渡して運ぶ」。傾斜面の葺石や石室の用材など、大坂山のものであることは、証明されている。

 最大の前方後円墳の大仙(仁徳陵)古墳は造営には、延べ140万6000人で4年がかりという試算から、同680万7000人で15年という試算まである。後者は埴輪の制作人数などまで含んだ積算で完成年数はもっと減らせるかも知れない。

 いずれにしても、一日数千人を動員できる体制が必要で、一地方の事業では成り立たない。大仙古墳の場合は、朝鮮からの労働力移入も考えられるが、箸墓の場合でも大和一国では不可能で、各地域豪族の連合体制がこの頃完成していたことを物語る。

 前回までに、地方の小型前方後円墳や、纏向地区にある箸墓の先駆的な前方後円墳に触れたが、全長40~50mのものであれば、その容積が大仙古墳の1000分の1ということになり、100人で半年もあれば作れるということになる。これならば市町村レベルの事業といえそうだ。

2007年5月10日

外電記事から

【イギリス】
 ブレア首相は今日退陣声明をする。まだ54歳の若さである。後継首相・労働党党首にはブラウン財務相がつくことになりそうだ。ブレア政権後の課題は、米ブッシュ政権のイラク侵攻を積極支持し、英国民の離反を招いたことの後遺症の克服だという。

 スコットランドは労働党の支持基盤のひとつだったが、3日に投票された自治議会選挙で、1票の差でスコットランド民族党に第一党の座をあけわたした。これは次期総選挙で保守党を勢いづかせることになる。しかし、対米関係では一歩間を置くことになりそうだ。

【フランス】
 社会党のロワイヤル女性候補に大統領選で快勝した右派与党・国民運動連合のサルコジ氏(52)は、地中海マルタの保養地で自家用ジェット機し豪華ヨット(推定週賃料3240万円)を使ったゴージャスな休暇をとり、9日に帰国予定。

 早速マスコミの批判を浴びているが、6日夜には「米国の友人達へ」というメッセージを送った。シラク大統領時代のぎくしゃくした関係は改善されそうだが、「フランスは必要とされる時、常に米国のそばにいる。しかし、友人でも意見が違うこともある」という内容だという。日本の首相には言えそうにもない言葉だ。

【トルコ】
 トルコの政界が揺れている。国会による大統領選挙がきっかけで、イスラム派と世俗派が正面衝突しているからだ。ほとんどがイスラム教徒のトルコは、建国以来の政教分離で他のイスラム国とは違う近代化に成功した。

 現在、与党はイスラム系の公正発展党で、予定されている総選挙が国の行く手に影響を与えることになる。行き詰まっているEU加盟問題や低所得層対策がからみ、イスラム派優勢は続くと見られるが、世俗化に慣れた女性や軍隊などにはイスラム化に対する警戒心があり、危機意識が強い。いずれにしても、中東情勢に影響することは避けられないだろう。

【北朝鮮】
 北朝鮮の金剛山で9日、南北離散家族再開事業が始まり、北朝鮮に拉致された漁民と母、弟と39年ぶりに再会した。同事業で韓国人拉致被害者が家族と会うのが14人目というが、ベタ記事でその詳しい事情はわからない。

 そこで日本語版のある朝鮮日報等3紙をネットで探したが、最高齢者感激の再開という共同取材による写真があっただけで、拉致等に触れた記事は見あたらなかった。その代わり朝鮮日報にこんな記事があった。要約すると、

 脱北者支援にかかわるチョン牧師は、「タイ・バンコクに滞在し米国行きを希望している脱北者約80人のうち、約30人は1度韓国に入国したことのある脱北者」と語り、また「一部の脱北者は韓国に脱北した事実を隠し、バンコクに滞在しながら米国への難民申請を行っている」と述べた。

 というものである。脱北しても韓国の生活になじめず、再び第三国への逃亡をめざす危険をおかす、ということである。韓国で肩身の狭い思いをすることがあっても、暮らし向きは北朝鮮と比較にならないだろう。飢餓とか政治的弾圧だけではない、国と人を隔てる深い隙間を見た思いがする。
 (上記以外は10日付「毎日新聞」による)

2007年5月11日

安倍首相の歴史観

 民主党の小沢代表は、歴史が好きだという。では安倍首相の歴史観はどうか。例の安倍晋三『美しい国へ』を見てみる。「第一章 わたしの原点」の中に「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」という見だしを立てた項がある。

 この見だしは、まさに至言。私の信条そのものなので驚いた。ことに歴史を書くということになると、自分がその時代にタイムスリップして、そこで数年は同じ時代の空気を吸う、くらいの気持ちでないと、自信をもって人に説く勇気はでない。

 だから首相は、従軍慰安婦問題で歴史的な評価を「歴史家の判断にまかす」と言ったものと善意に解釈しておこう。しかし、私は子供ながらその時代の空気を吸っている。戦地も慰安所の現場も知らないが、その結果が戦争の悲惨さ残酷さを示すものであったにしろ、その結果を国家が強制したとは考えにくい。したがって、米議会などに働きかけた一連の動きには疑問を持つ。

 話が横道にそれたが、この問題は韓国、中国と日本の対立と離反をはかろうとする勢力に手を貸すことにはしたくないので、みっともなかったが安倍首相のとった一連の措置を可としよう。そこで首相の言う「その時代に生きた国民」というのは、一体誰をさすのだろうか。

 お祖父様の岸信介氏のことだろうか。彼は戦争前からのエリート革新官僚として日本、満州の国家権力で辣腕をふるい、開戦時の東条内閣閣僚として全面的に戦争責任を負っている人である。つまり国家権力そのもので「国民の目」ではない。意に反する国民に「非国民」の烙印を押した方である。さすがに気が引けるのか同書で次のように言う。

 歴史を単純に善悪の二元論でかたづけることができるのか。当時(学生時代=引用者注)のわたしにとって、それは素朴な疑問だった。
 たとえば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったのひと言でかたづけられることが多い。しかしはたしてそうだろうか。

 たしかに軍部の独走は事実であり、もっと大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には「断固、戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持していたのではないか。

 フウーッ。「その時代を生きた国民」としてためいきがでてくるのだ。昭和16年、中国で泥沼におちいり厭戦気分のでかかったところへ開戦の詔勅。♪轟沈、轟沈凱歌はあがる、と最初はよかった。ところが17年にはミッドウェー海戦で風向きが変わってくる。国民には内緒だが、18年には押され気味なことがうすうすわかってくる。

 だけど、負けたら大変だ。「断固戦うべし」で国運をかけるのは、たとえ反戦主義者がいたにしても当然の意見だ。それから、戦時の新聞見だしイコール民意とみる単純さはおくとして、一国をになう宰相であれば、せめて、首相を応援している読売新聞がまとめた、『検証戦争責任』ぐらいは熟読してそこに至った経緯を知ってほしい。

 あなたは、戦前、戦中、戦後あなたが物ごころつく頃までの「時代を生きた大多数の国民の目で歴史を見直す」ことを怠っている。いま進めようとしている誤った危険の多い政策は撤回すべきだ。それができなければ一刻も早く政界から引退することを勧告する。

 

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2007年5月 1日 (火)

この頃の新聞

「反戦老年委員会」復刻版

「ふと思ったのですが、読売さんや毎日さんは、憲法記念日を前に、どういった切り口で憲法を語っているのでしょうか?ご存じの方教えて下さい。m(_ _)m

 「お玉おばさん」からこういう呼びかけのTBをいただいたので、答えにはならないかも知れないがそれに便乗したエントリにした。わが委員会は、すでに文面でも告白しているとおり、購読紙の「毎日新聞」からの引用が多い。

 しかも、「わが意を得たり」というような社説や報道を取り上げることになるので、「毎日新聞のまわしもの」と思われはしないかと時々気になる。お玉おばさんの質問の趣旨は憲法問題だが、やや古いものの、1/18付のエントリ「争点かくし」をあげさせてもらう。

 毎日新聞に限らず、今年に入ってNHKなども現行憲法成立の経緯などを肯定的に伝える報道が多くなったような気がするが、基本的には読売さんのような「旗幟鮮明」というわけにはいかない。ただ、毎日新聞の売り物である「記者の目」その他の記名コラムを見ていると、「毎日の記者は全員護憲派じゃないか」と思えてくるのである。

 しかし油断は禁物。1週間前に別件で引用したばかりの前坂俊之氏著『言論死して国ついに亡ぶ』で目にした教訓を後段に掲げておく。

 『中央公論』(一九三六年三月号)は「混迷せる新聞界の現状を論ず」という特集を組んだが、このなかで、稲原勝治「この頃の新聞」の冒頭部分――。

「この頃の新聞は、誠にダラシがないと、十人寄れば、七、八人までは言って居る。ここに政党に対すると同じく、慢性的不信任の声が、挙げられて居ると見るべきであろう。

 ……この間も或る席で、政治家と、新聞記者との間に、一場の問答が行われた。記者の方では、この頃の政党のザマは何だ。なっていないではないかと言ったところ、政治家の方では、新聞記者だって、個人的に話して見ると、多く傾聴すべき議論を持って居るのに、それが少しも紙面に反映されて居ないのは何ういう訳なのだ。……結局水掛け論に終った。斯るイタチごっこ的心理作用が横行している間は、政治も、新聞も断じて善くなりっこはない」

 広津和郎も、この特集のなかで「八百長的な笑ひ」と題して次のように書いているが、内容は静かな口調だが胸に刺さる。

「第一の不満は、今の時代に新聞がほんとうの事を言ってくれないという不満です。……日本のあらゆる方面が、みんなサルグツワでもはめられたように、どんな事があっても何も言わないという今の時代は、……新聞が事の真相を伝えないという事はたまらないことです。――信じられない記事を書く事に煩悶している間はまだいいと思います。併し信じられない記事を書かされ『何しろこうより外仕方がないから』と、いわんばかりに八百長的な笑いをエヘラエヘラ笑っているに至っては沙汰の限りです。――最も尊敬すべき記者諸君が、これでは自分で自分を墓に埋めてしまう事になると思います」

 二・二六事件で言論の自由は完全に息の根を止められた。

 1936年すなわち昭和11年2月26日早朝、2・26事件が起きた。ちょうどこの雑誌が市中に出回った頃であろう。マスメディア最後の「煩悶」の記事であった。

2007年5月12日

海ゆかば(増補)

 今日は、旧暦を無視すれば大伴家持が「海ゆかば」の歌を作ってから、ちょうど1258年目にあたる。このブログのアクセス解析を見ると、06/10/21に記事にした「海ゆかば」への検索によるアクセスが、他を引き離して圧倒的に多く、首位を保っている。この一週間だけで25件というのは、弱小ブログにとって決してすくなくない数字だが、コメントもなくその動機はわからない。

 せっかくおいで下さった方にとって、不十分な内容であったかも知れない。そこで、作詞者である大伴家持の歌全文を収録し、歌そのものが家持自身の覚悟を歌ったものでなく、陸奥の金鉱発見にことよせた、大伴家の先祖の功績を宣伝するためのものであったことを、あらためて確認する機会としたい。

 なお、そんなことにはかかわりなく、美しい時代の美しい詩であり曲である、と感じられる方の気持ちを裏切ったり、戦死者の鎮魂の歌と信じられている方の心情を踏みにじる気は毛頭ない。ただ、自分が水ぶくれの土左衛門になったり、死体から草が生えたりするのはいやだな、と戦時下に思っていただけである。

 陸奥より金(くがね)を出せる詔勅を賀(ことほ)く歌一首並に短歌

葦原の 瑞穂の国を 天降り
しらしめしける 天皇の
神の命の 御代重ね 
天の日嗣と しらし来る
君の御代御代 敷きませる
四方の国には 山川を
広み淳(あつ)みと 奉る
御調(みつき)寶は 数へ得ず
尽しも兼ねつ 然れども
わが大君の 諸人を
誘(いざな)ひ給ひ 善き事を
始め給ひて 金かも
たしけくあらむと 思ほして 
下悩ますに 鶏が鳴く 
東の国の 陸奥の 小田なる山に 
金ありと 奏し賜へれ 御心を 
明らめ給ひ 天地の 神相うづなひ皇御祖の
御霊助けて 遠き代に かかりし事を
朕(わ)が御代に 顕してあれば
食国(をすくに)は 栄えむものと 神ながら
思ほし召して もののふの 八十伴の雄を
まつろへの むけのまに 老人も 女童児も
其(し)が願ふ 心足ひに
撫で給ひ 治め給へば ここをしも
あやに貴み うれしけく いよよ思ひて
大伴の 遠つ神祖の その名をば 
大来目主(おおくめぬし)と 負ひ持ちて
仕へし官(つかさ) 
海行かば 水漬く屍 
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
顧みは せじ
と言立(ことだ)て 丈夫の 清きその名を
いにしへよ 今の現に流さへる
祖(おや)の子どもぞ 大伴と
佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立
人の子は 祖の名絶たず 大君に
奉仕(まつろ)ふものと 言ひ継げる
言の職ぞ 梓弓 手に取り持ちて 
剣太刀 腰に取り佩き
朝守り 夕の守りに 大君の
御門の守護 吾をおきて
また人はあらじと いや立て 
思ひし増る 大君の 
御言の幸の(一云、を)聞けば貴み
(一云、貴くしあれば)

  反歌三首

丈夫の心思ほゆ大君の御言の幸を(一云、の)
聞けば貴み(一云、貴くしあれば)

大伴の遠つ神祖の奥津城は著く標立て
人の知るべく

天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く

   天平感宝元年五月十二日、越中国守
   の館にして大伴宿祢家持作れり。  

佐佐木信綱編『新訓万葉集下巻』岩波文庫による。

2007年530月日

バターン死の行進

 従軍慰安婦問題で「強制連行を証明する記録はなかった」という発言に、「軍は不利な記録を全部焼却した」という主張をして、だから、その事実は「なかった」とか、また「あった」という結論を導き出すのはまちがっている。

 戦後、主流に躍り出た津田左右吉史学の信奉者が、『日本書紀』に書かれていることは、すべて虚妄であり、書かれていない憶測こそ真実である、という説をたてるのが、さも権威的であるかのような風潮があった。以上のようなことを、学者の肩書きを持つ人が今なお公言する。私に学はないが、こういった学際的でない答えは信用しないことにしている。

 市の図書館に、清水寛編『戦争と障害者』という図書購入申請をしたが、「高額になり予算の関係で……」と断られ、その後忘れていた。ところが3ヵ月もたって「県立図書館で購入したので取り寄せた」という連絡があり、行って取り敢えず流し読みをしてきた。

 これは、旧・国府台陸軍病院の入院患者関連記録をそのまま写真版で載せたもので、史料価値としてはほぼ完璧に近い。その中に、アメリカ側で日本軍の残虐行為の代表例としてよく取り上げられる、フィリピン戦線の「バターン死の行進」(←検索オススメ)関連で、当時の日本兵がわの記録があったので採録する。なお、これをどう見るかは読者におまかせする。(当用漢字を代用、カッコ内引用者注)

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 事 実 証 明 書
  陸上勤務□□中隊
  補充兵役陸軍一等兵 □□ □□□

一、内地港湾出発年月日 昭和十六年十月十九日(宇品港)<br />一、事変地到着 年月日 昭和十六年十月卅一日(海口)
一、勤務ノ概要<br /> 自昭和十六年十月四日至昭和十六年十月十七日<br />  歩兵第四十二連隊補充隊ニ於テ動員業務

 自同年十月十八日 至同年 十月三十日
 輸送業務
 自同年十月卅一日至昭和十七年三月四日
 南支那海南島海口市ニ於テ待機、訓練並ニ駐屯地勤務
 自同年三月五日 至同年三月十三日
 海口出発、十一日比島上陸、十三日サンフエルナンド着、輸送業務

 自同年三月十四日 至同年四月十一日
 第二次バタアーン攻略戦ニ参加シ貨物廠ニ於ケル追送品運搬、残敵掃蕩、鹵獲兵器弾薬ノ蒐集、道路交通整理、俘虜護送
 自同年 四月十二日 至五月廿二日
 コレヒドール要塞攻略戦ニ参加、鹵獲兵器弾薬ノ蒐集、交通整理、俘虜護送、追送品輸送、患者運搬、戦場掃除

 自同年五月廿三日 至同年八月一日
  俘虜護送、カバナツアン第一俘虜収容所警備
一、発病年月日 昭和十七年七月三十日<br />一、発病場所  比律賓呂宋島ヌエバモシバ州ガバナツアン
一、病名 (空白、ただし別紙で「マラリア精神障害兼癡愚」とある)

一、発病状況
  バタアーン戦に於ケル乾天酷熱ノ日夜ヲ砂塵膝ヲ没シ蒙砂トナリテ渦巻キ天ヲ覆フジヤングル行ニ将亦身ヲ海中ニ沈メテノ敵前上陸部隊ヘノ追送品運搬患者揚陸海中鉄条網ノ撤去等ノ諸難作業ニ昼夜ノ別ナク従事シ常ニ夾雑物多キ河水ノ使用不規則ナル食餌剰ヘ夜ハ天幕露営ニ雨露ヲ凌キ為ニ疲労次第ニ累積ス而ルニ其後ニ於ケル部隊ノ移動ニ次ク移動ハ其身ニ寸時ノ休養オモ許サス俘虜警備ニ就クヤ不穏ナル四周ニ配慮シツツ寡兵以テ能ク警戒シ身ノ疲労ハ顧ミルコトナク重且大ナル任務ノ遂行ニ心ノ悦ヒオ満シツツ日夜奮励セシモ醸サレシ疲労困憊ハ完ク抗病力消失セシメ遂ニ該病誘発スルニ至ル之全ク非衛生的環境ニ於ケル激務ニ依リ発病セルモノニシテ公務ニ起因セルモノト認ム

  右 証 明 ス

 昭和十七年八月二日
  陸上勤務□□中隊長 陸軍中尉 吉岡  信
  同 隊 附     陸軍軍医中尉 高田 秧一
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2007年5月31日

戦時知能テスト

 前回の「バターン死の行進」の続きである。バターン作戦参加日本兵に対する戦地罹病の「証明書」は、明らかに「戦争神経症」の典型のように見える。しかし九死に一生を得て帰還できた(送還された)のは幸運であった。マッカーサーの反攻で制空権、制海権を奪われ、戦死日本兵のほとんどが餓死であったという悲惨から逃れられたからである。

 陸軍病院には、当時「戦争神経症」という言葉はなく、先天的な精神障害を含め「癡愚」などと分類されていた。その診断に際しては下記のような質問が用意され、それで「小学生○年程度」という判定を下していた。称して「大阪方式」といったらしい。(引用前掲書)

(1939/10/6)

「何ノ為支那ト戦フノカ」
「忘レマシタ」

「警察ハ何ヲスル所カ」
「悪イコトヲ為タ人をシラベル」

「悪イコトトハドンナ事カ」
「泥棒、人殺シ……」

「御前ハ悪イコトヲシテ居ラヌカ」
「隊ヲ抜ケマシタ、スミマセン」

「忠孝ドチラガ大切カ」
「忠義デス」

「不忠トハドンナコトカ」
「忘レマシタ」

天長節トハ「四月二十九日」

伊勢山田ハ「天照大神様ヲ祭ツテアリマス」

楠正成ハ如何ナル人カ「天皇ヲ助ケテ勤皇ノ為ニツクシタ人」

明治維新トハ「明治天皇ガ位ニ即カセラレテカラ明治維新ト云フ」

一・五銭ノ蜜柑十五箇買ヘト云つて五十銭渡サレタラオ釣リハ幾程カ「二十八銭……二十八銭五厘」

軍隊ハ嫌ヒダ内務班デ殴ラレルカラ家ニ帰シテ呉レト云フ

 次は、入院の知らせを受けた老父(母はすでに死亡)からの手紙の一部と見られるもの。

(1942/3/30) とても兵隊に出るのを待っていました。令状を受け取った時にはこれで自分も男として仕事が出来る、体は国に捧げたものだで父さんは決して帰ると思ってくれるな今度の帰りは白木の箱の中だと笑ひ顔を致してました。後に残るは父だけ妻も子もなく思う残しはないと言っていました。とても神仏を信仰する子供です 行って見てやりたいのは山々ですがそれも出来ませんくれぐれも宜しく頼みます こちらに届いたのは十一月十日頃 南支より三本はがきをお□しました元気に勤務致して居るから安心せよと言って来ました。

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