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2007年4月

2007年4月 7日 (土)

安倍首相の火遊び

「反戦老年委員会復刻版]

 安倍首相は5日、憲法解釈で行使を禁じられている集団的自衛権の本格的な研究をするため、と称して月内に「有識者会議」を設置する方針を固めた。メンバーは、小泉元首相の対米政策を支えた柳井俊二前駐米大使を座長に、国連次席大使をつとめた北岡伸一東大教授、アメリカ従属化を是とする評論家・岡崎久彦氏など、答えが最初からわかっているような安倍ごのみの人選だ。

 各紙の観測では、26、27日に予定された首相訪米に際し、間にあわせの手みやげにしたいらしい。憲法9条の改正に露骨な圧力を加えられても、そう簡単にことが運ばないことが次第にはっきりしてきた。そこですでに限界を突破した解釈改憲を、さらにもう一歩進めようということのようだ。 

 北海道新聞によると、首相の念頭にあったのは「《1》北朝鮮から米国へ発射されたミサイルの迎撃《2》公海上で米軍艦船が攻撃された場合の反撃《3》イラクで陸上自衛隊を警護したオランダ軍のように、海外で自衛隊と行動を共にする他国軍が攻撃された場合の反撃―など」だという。

 《1》については、たしかに米駐日大使などが広言してはばからないことがらだ。また、攻撃用兵器が領空上を通過した場合の対処などを検討するということはある。しかし、《2》の場合《3》の場合など、友軍が攻撃されも自衛隊は攻撃されない変な想定で、アメリカ側から期待されたり要望を受けたなど、寡聞にして聞いたことがない。

 《1》のいわゆるMDシステム組み込みは、久間防衛大臣ですら、技術的に「撃墜不可能」といっている。また、北朝鮮のテポドンでは日本上空を越えてアメリカ本土に達する能力などない。アメリカの魂胆ははっきりしている。アメリカ本土の防衛など本当は眼中にない。日本に高価なシステムをさらに買ってもらい、厖大な研究開発費を分担してもらいたいということだ。

 しかし、こんな手みやげで満足するようなアメリカではない。憲法を変え、海外派兵を可能にしてアメリカ兵の代わりをする、血を流す日本軍になってほしいというのが本音だ。久間大臣ではないが「えらそうに」それを言う。いわばナメられているのだ。

 6日には、日本版NSC(国家安全保障会議)なる得体の知れない組織を内閣に設置する法案を閣議決定した。さきの見通しも立たないまま、最近の世界の趨勢に反してやみくもに戦争ごっこや火遊びに走りたがる安倍内閣。国民は、それを許すほどお人好しでないことを、これからの選挙で見せつけなくてはならない。

2007年4月8日

幼児性

 目下統一地方選の投票が進行中である。あと10時間もたたないうちに東京都知事などの帰趨が決まるだろう。それがどう決まろうと、わが委員会は驚かない。そこから次の対策を練っていくだけだ。

 自民党の加藤紘一氏の書、『テロルの真犯人』にこんな一節がある。

 この数十年で、日本人はあまりにも多くのことから自由になった。そしてあたかも糸の切れた風船のように、中空五メートルくらいのところを漂っているのである。そうした風船が、いま日本中に何十万、何百万、何千万と浮かんでいる。あるいは、電荷を持たない「自由電子」といい換えてもよい。ほんの少しの風や、磁力でさーっと動いていってしまう。そういうなかで、みんながなにかに帰属するもの、頼るべき価値観はないかと求めているのである。

 いま多くの人がインターネットの上のミクシィやブログなどのコミュニティに集い、互いに顔を合わせることもないまま一種の「共同体」を形成していると聞く。もう一度そこで、自分のよって立つ場所、もっといえば「居場所」を確保しようと、懸命にもがいているのだ。

 しかし、それがかつてのような地域社会や共同体とは性格が違う。インターネットによるコミュニケーションの特徴は、すぐに取り替え可能なことである。そのコミュニケーション空間が自分にとって居心地の悪いものになったらすぐに「消えて」しまえる。

 そうして、自分にとってもっとも居心地の良い場所を探して、いつまでも漂いつづけるのだ。これこそが、私のいう「地上五メートルを浮遊する風船」という現象である。

 やや長い引用になってしまったが、加藤は、それを政治がナショナリズムで牽引しようとする危険性について言おうとしている。社会現象としては、「言い得て妙」なところがあるが、それを「多すぎる自由」のせいにしたり、主体性をとりもどすために、かつての地域社会や、会社、家族関係に求める、というのが保守政治家の限界であろう。

 わが委員会では数日前に、「終戦」か「敗戦」かというエントリーを上げた。その中で安倍首相と石原都知事の「幼児性」を指摘した。両者の現れ方は違うが、その幼児性が選挙民にとって「かわいい」という、今や日本人の常套語となった、幼児的な価値観で支えられ、彼らを押し上げているのだと思う。

 しかし、安倍首相の「幼児性」はすでに底をつきつつあるし、決して永遠不滅のものでない。ブログ上では、あきらかに幼児性ナショナリズムは後退している。マスコミの責任放棄についても、いずれ反省・改善の機会が来るかもしれない。加藤氏のお見通しとは違って、ブログ言論がわずかながらも「磁力」の発信源になることを信じていきたいものだ。

2007年4月9日

地方選結果

★知事☆
・現職9知事全勝。
・民主党の半身不随ぶり。(東京・神奈川の醜態)
・東京はふらふらスタートで浅野の負け当然。
・都民の苦衷は続く。

☆政令市長★
・広島秋葉市長の楽勝が大きい。世界平和都市安泰。

☆県会★
・嘉田滋賀県知事の与党過半数超えおめでとう。
(与党10増、野党10減)嘉田支持の政治団体「対話の会」を作り、自公を食って4人当選させたのが大きい。
・民主党↑(230→375)。候補者を6割増やした効果。
・社民党↓(73→52)。当地(千葉)でも守りの姿勢顕著。護憲政党としての活気なし。滋賀県の例を見習わなければ参院選での消滅確実。
・共産党・公明党(現状維持)。共産党も候補をしぼる消極策だったようだが107→100に、両党とも鳴かず飛ばず。党勢頭打ちを打開する手は見えてこない。

2007年4月10日

懲りないアメリカ

 昨日の選挙結果報道のにぎわいのかげで、またまたアメリカの危険な対外政策が暴露された。小国の気に入らない勢力を追放するため、自分は手をよごさず、他国または反対勢力に武器、資金などを斡旋提供して紛争に介入し、多くの犠牲者や難民を発生させる常套手段だ。

 古くは中南米でこの手を使った。それが中東に飛び、アフガンでソ連の勢力を転覆させるため、今は天敵のウサマ・ビンラディンを使い、イランをたたくためイラクの独裁者・フセインを使った。それらは現時点で成功しているものがほとんどない。むしろ、アメリカへの不信・憎悪を高めているだけだ。以下、報道を抜粋する。(「毎日新聞」4/9)

 【ワシントン笠原敏彦】米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は7日、エチオピアが今年1月に国連安保理制裁決議に違反して北朝鮮から武器関連装備を輸入していることを知りながら、米政府が不問にしていた、と報じた。エチオピアが隣国ソマリアのイスラム原理主義勢力を攻撃し、米国の対テロ戦争に貢献していたためで、事実なら明白な二重基準といえる。

 同紙によると、北朝鮮核実験(昨年10月)に対する国連制裁決議採択後、エチオピアは米国に北朝鮮からの武器輸入計画があることを通告。米情報機関は1月、旧ソ連製戦車の部品などを積んだとみられるエチオピアの貨物船が北朝鮮の港を出たことを確認したが、米政府は阻止しないことを決めたという。

 アメリカは、ソマリアの首都を実効支配していたイスラム原理主義者が気に入らないといって、隣国エチオピア正規軍のソマリア侵入に手を貸していた。南部の拠点爆撃とか海上封鎖だ。気に入らないと言っても、その国のことはその国民が決めるしかないはずなのだが。

 日本も中国侵略に似たような口実を使った。しかし今回は「悪の枢軸」といっていた国の武器の流出を黙認、いやこの場合支援といっていいだろう。日米が協力して採択された国連の北朝鮮制裁決議に明らかに違反し、2ヵ月そこそこで決議を空洞化させていたのだ。

 政府は今日、国連決議を上回る北朝鮮制裁措置を半年延長する閣議決定をしたという。「拉致問題解決なくして国交回復なし」と振りあけた拳は、すでにやりばをなくしている。アメリカにとって、拉致問題など内心はどうでもいいのだ。

 小泉政権以来の「政権維持優先」外交から「国益優先」外交への切り替えが安倍政権に果たしてできるのか。やはり、交替してもらわなければ無理だろう。

2007年4月13日

古代に遊ぶ 

【前方後円墳】
 過去2年間のこのブログを「前方後円墳」で検索したら5件も出てきた。たいした勉強もしていないのに「古墳マニア」であることには違いなさそうだ。「きっこのブログ」で一度多摩川沿いの亀甲山古墳(きっこゆかりのキッコーヤマではなく、カメノコヤマと読むとことわり書きあり)を散歩するコースの紹介記事があった。

 埼玉のさきたま古墳群との関連などをきっこ節で歌い上げるなど「お主できるな」という感じで同好の士かもしれない。宮崎県の観光目的第一が西都原(さいとばる)古墳群だったことを「野良狸の巣」さんへのコメントに書いたところ、故郷の住まいの近くだそうで喜ばれた。

 宮崎コーチン?、知事公邸?そんなシケたものでなく、九州では吉野ヶ里遺跡に負けないロマンいっぱいの観光資源を忘れてはいませんか、そのまんま東知事さん。大小様々な墳丘はどんな時期にどんな人が葬られた墓なのか、場合によれば古代日本史の書き換えになりますよ。

 古墳の中でもなぜ「前方後円」なのか。まず、そのスタイルは誰が考えたのか、同じスタイルがほぼ全国にひろがり、しかも3、4百年続いたのか、大小の差やその位置はなにを示すのか、出土品になにがあるか、もちろん被葬者が誰かは最大関心事だ。

 万世一系天皇論は、神話など神格視して語られるので排撃されてしかるべきだが、前方後円の伝統が卑弥呼の頃から推古天皇の頃まで続けられたというのは、やはり「正統性」の主張が中にあり、引き継がれたからであろう。

 前方後円墳といえば、どの教科書でも欠かさず掲載するのが本邦最大の大山陵(伝・仁徳陵)古墳の空中写真だ。実際に近くを通る飛行機の航路から見ても圧巻である。縄文土器の先進性、芸術性とともに世界に誇れる日本固有の文化遺産だろう。

 しかし、地方にある観光地化してない古墳に近づき、夏ならヤブ蚊とクモの巣をはらって一番高い後円部に登って前方部を確認したり周囲の環境を考察するのが楽しい。葬られた人物を想像し、その時代の近辺に思いを馳せるのことができるからだ。

 「○○天皇陵」ではそうはいかない。域内は立ち入り禁止で、玉砂利を強いて鳥居が立ってたりする。前方後円墳は全部開放するか、せめて学者だけでも調査できるようにできないものか。皇室の開放はそういったところから始めるべきだとおもうのだが。

2007年4月14日

日米同盟を白紙に!

 「太田総理と秘書田中」という番組、昨夜も最初をちょっと見ただけで部屋に引っ込んだ。愚妻が「面白いわよ」というので、戻ってみると、番組後半が「日米同盟を一旦白紙に」というマニフェストで石破元防衛庁長官などと討論し、佐渡に行ってジェンキンスさんの話を聞くという。

 これを書くため、正確なテーマを確認しようと新聞のラテ欄や番組紹介を探したが、この部分のテーマがなぜか載っていない。ふだんTVはあまり見ないが、朝ラテ欄を一瞥して気を引くテーマがあればチェックしておく。これも最初からわかっていればその中に入ったいたはずだ。

 なぜならば、「憲法改正の前に日米同盟(安保)の見直しを」というのは、わが委員会かねての持論であるからである。「アメリカから押し付けられた憲法を、アメリカの圧力のもとでその意向に添った改正をするのは、まずいのではないですか。安倍総理大臣」ということである。

 昨日の番組もそうだが「日米同盟を白紙に」というと、すぐ「反米」とか友好関係を損なう、という方へ頭が向きがちになる。まあ、相手にもそういった発想をする手合いがあるから厄介だが、真の友好親善とはそんなものではないだろう。相手を理解し、尊重し、一定の距離を保つことにより、長続きする強いきづなが生まれるのは、夫婦でも友達でも同じだ。

 これから先日本にとって、アメリカにとって、世界にとって何が大切か、両国の国益のため何をどう協力し合うかのを、白紙に戻してゼロから話し合うべきではないかということである。べーカー前駐日大使が「我々は米英を特別な関係と言ってきたが、今や日米が特別な関係」と持ち上げたそうだが、アメリカとどうつきあうかについて、英ブレアの大人の判断(「EUを知る 5>」参照)を見習ってほしい。

 昨日もちょっと話にでたが、日本政府は、赤坂の一等地にあるアメリカ大使館敷地の地代を9年間もごね得で踏み倒されているのである。1万3000平方メートル、年額250万円からの値上げに応じず、毎日新聞・牧太郎記者の表現(4/10夕)によると「ヤクザ屋さん?ではない。ホームレスでもない。踏み倒し疑惑のご仁は……同盟国・アメリカの歴代駐日大使である」のだそうだ。

 安倍総理、よく勉強して欲しい。安保条約は、あなたが嫌う「戦後レジーム」の米占領軍を残しておくことから始まった。お祖父さま岸首相もそれを恒常化した。だけど、基地を設ける権利は、日本が恩恵的に許可したものだった。退去するのにその費用を日本が負担するようなことは、そのどこにも書いてない。

  現・安保は、「戦後レジーム」に始まり、「冷戦レジーム」で定着したものである。米軍再編でもわかるように、日米ともに見直す時期に来ている。ただアメリカは、現行をいじらないほうが、思いやり予算などで経済的メリットが大きいというだけである。「冷戦レジーム」を後生大事にありがたがっている国は、前々回にもいったけど、日本ぐらいしかないのだ。

2007年4月16日

続・日米同盟を白紙に

 爆笑問題のTVネタから私論を展開したところ、賛成のコメントをいただいたほか、TBのあった「ブログヘッドライン(ブログで情報収集)」にも多くの賛否意見が見られた。否定意見は思ったよりすくなく、太田総理の思いはけっこう伝わっているのだな、という気がした。

 ただ、防衛体制の面で非現実的という感想を持つ人が多く、前回もこれに言及していないので補足しておきたい。これまでもおりに触れて記事にしてきたが単純化して言うと次のようになる。

 ①<strong>核の脅威
 核爆弾はすでに実用兵器ではなくなり、身を守るための威嚇効果以上のなにものでもない。
 ②ミサイル
 アメリカとの軍事同盟があっても、先制攻撃が必ず成功するとは限らず、偶発、暴発による攻撃にはほとんど対処できない。
 ③安全保障
 わが国が現行憲法を厳守し、わが国および国内にある基地からの出撃・侵攻がないという保証があれば、ミサイル攻撃や危険の多い上陸作戦で攻めてくる国はない。

 ④自衛力
 非武装中立政策は危険。わが国の領域を守る(専守防衛の)ため確乎たる決意と装備は必要である。その費用は、突出した軍事費を持つアメリカは別として、既に英・仏・中・ロ等の第2位グループに位置しており、これをあてることで十分。不十分なら最低必要の範囲内で増額も可。
 ⑤集団的自衛権
 双務的2国間攻守同盟をこう呼ぶことには疑問がある。国連だけでいい。そして日本は軍縮の先頭に立つべきだ。
 
⑥領土問題 
 現在存在するような問題は、他国の例で見ても交渉や先送りで解決できるし、すべきだ。

 つまりこういうことだ。ミサイルがなにかのはずみに飛んできたら、日米同盟があっても1発目を防ぐことができない。迎撃システムもないよりはまし、といった程度。しかし平和憲法厳守の国に大量破壊兵器弾頭のミサイルを打ち込むようなら、その国はすべての国を敵に回し、生き残ることができないだろう。反撃の権利をどうするかの議論は必要となるが、現在の憲法解釈や日米軍事同盟のあり方の方がよほど危険だ。

 以上、複雑な問題を言いつくすことはできないが、たまたまわが委員会の発想に極めて近い解説図書が発行された。この問題に関心のある向きは、是非一読をお薦めしたい。

 田岡俊次『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』朝日選書、07/03/30、¥740+税。(田岡俊次:軍事ジャーナリスト、朝日新聞防衛庁担当記者から内外大学の研究員、教授等を歴任)

2007年4月17日

加憲論の出番

 わが委員会が、公明党の「加憲」という方法に賛意を表明したのは、05年の8月、1年半以上前のことである。前回、田岡俊次氏の著書『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』を紹介したが、その中で同氏は、朝日新聞入社当時から自衛隊の全員志願制、相手国の同意のない海外派遣の禁止などの制限を憲法に加えて「自主防衛」をする、つまり「加憲論」を持論としていたと書いている。

 それに対して社内から異論がでたり、取材活動や記事で不利な扱いを受けたことは一度もないそうだ。かつて、非武装、絶対平和主義、ガンジーの無抵抗主義をもって理想とする考えが護憲派内にあった。正直なところ、旧社会党のような自衛隊縮小という考えが、わが委員会になかったとは言い切れない。

 このブログのカテゴリに「日韓近代史考」を設け、過去20数回の考察を重ねてきた。その中で韓国に根づいていた「事大主義」(大に仕える、つまり外交や国防を大国に依存すること)が、結果として戦乱の要因となり、近代国家への道を閉ざしてしまったことを見てきた。さらにいえば、国家が存在しなければ無抵抗主義も戦術のひとつだが、国があって無策、無責任でいてよいわけがない。

 それと同一視はできないが、ここのところ「国防意識がないところに平和は宿らない」、という逆説が成り立つのではないかという印象を強く持つようになった。勿論かつての帝国主義的侵略や国際共産主義が復活するはずはない。しかし、アメリカのイラク侵攻とか北朝鮮の先軍主義による無法な行為など、憲法の存在を理由に世界の軍事から超然としているだけでは、決して平和を勝ち取れないというのが現実である。

 そこで、話は加憲論に帰るが、これからの安倍流改憲論の流れを完全に阻止するためには、ただ、国民投票法案成立を妨害するとか、選挙の争点化を避けるだけでは、時の勢いに流される危険がないとはいえなない。

 国民は自衛隊の存在を肯定的に見ている。それが憲法上継子扱いされていることを不合理だと感じている。また、耳ざわりのいい「国際貢献」とか「復興支援」による海外派遣というまやかしに乗りやすい。

 自民党改憲案に対抗して9条をいじらず、自衛隊(現行の組織と混同しないよう「警護隊」などと名称を変えた方がいい)の組織、専守防衛や災害救援任務等を定めた具体的な加憲案を、政党あるいは学界等で検討はじめてもいいのではないか。

 これは、自民党への「対案路線」ではない。「対抗路線」である。護憲勢力は、「改めません」と守るよりは、「改めます!」と攻める方が有権者に強くアピールすることを知るべきである。

2007年4月18日

古代に遊ぶ

【前方後円墳その2】
 古墳をたずねてその土地に入る。車がところどころでしかすれ違えないような道が多い。もう見えてくるはずだが、などと思っていると、民家の裏手に急に現れたりする。直感で「これがそうだ」とすぐわかる。そのドキドキ感はたとえようがない。

 周濠に沿って道のあるような整った古墳や公園化した古墳は別として、大部分はひとまわりする道がない。だけど横穴の有無、丘の高さ、祠などで大体これが後円部、こっちが前方部という大体の見当はつく。

 この、鍵穴のような形はいつ誰がはじめたのか、そして、時代により多少の違いはあるが埴輪の類とか墓の構造・材質とか副葬品など、いわゆる葬祭のしきたりが全国共通になるのはなぜかなど、興味が尽きない。

 日本史には、『日本書紀』『古事記』という文献のほかに、古墳文化の変遷という、奥の深い歴史の証人が存在する。そして発掘や研究の進展に基づき、日々真相を明らかにし歴史を書き換えているのだ。

 戦後間もない頃、江上波夫氏の「騎馬民族説」というのがはやった。5世紀頃、古墳時代中期に古墳が大型化し副葬品に豪華な馬具や武具、装飾品などが増えたことから、大陸の北方民族が日本に侵略、征服したもので、天皇家はその後裔だとしたものである。

 しかし、前方後円墳の形状は以前のままで、農耕民族特有の宮中祭祀も引き継いでいる。同説は歴史研究に大きな波紋をもたらしたものの、やがてこの侵略史観的な説は後退していく。その後のことであるが、前方後円墳は朝鮮半島が起源、という説が韓国、北朝鮮から提起されたことがある。

 ところが、よく聞いてみると造営時期が日本より遅いか、はっきり証明できるものがなかったりする。さらに、たった1、2の墳形が似ているものがあるだけでは、何万とあってそれぞれに精密な研究が進んでいる日本の古墳と単純に比較しても、得られるものがすくないことがわかった。

 それより、日本の弥生時代に存在した直系数十メートル以下の墳丘墓を作る際、周囲を円形、方形に溝を掘り進めて、最後に残った通路部分が残ったものが原形、とする白石太一郎氏『古墳の語る古代史』の説明が、実物も残っており説得力がある。

 こうして見ると、遺伝子学的にはともかく、天皇家が受け継ぐ「万世一系」は捨てがたいような気がしてくる。しかし、もともと日本に自然発生するはずもなく、弥生時代のいつかに大陸から渡来した家系なのだろう。各地にある前方後円墳も、その強い影響力のもとにあった地方支配層の墓ということになる。

2007年4月19日

党首討論に反対

 小沢民主党代表が地方回りに専念し、このところ何週間も国会の党首討論が開けないでいる。マスコミの報道ぶりは、もともと小沢氏の肝いりでできた制度なのに、逃げ回っていてけしからん、といった感触である。

 わが委員会に小沢氏を擁護する意図は全くないが、選挙が連続するこの時期に党首討論を開催することには反対する。たった45分、それも、国民新党、公明党は勿論、民主党、社民党の党首は事実上排除される。これは不公平というより、国民が選挙にのぞむ上で、政策を知る権利を侵害することになる。

 選挙戦たけなわの中、2大政党だけの討論でいいのか。もし政党による論戦なら各党の公開立合い演説会かシンポジュームのようなものにすべきだ。それでも無所属は排除されてしまう。

 規制緩和がいいといえば猫も杓子もそれに引っぱりまわされ、二大政党がいいといえば熟慮もせずに外国の猿まねをする。選択肢をせばめて○×で判断させ、自分で考える習慣を閉ざすような風潮が続く限り、日本はよくならない。

2007年4月20日

美しい国と憲法

 tani先輩に「日本国憲法」第二章ならびに補則の掲載を忝なくし、よって茲に「大日本帝國憲法」を採録、以て「美しい国」の在処那辺にありやを推量せんと欲す。

 音読してください。

◎  大日本帝國憲法

    上  諭

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ與ニ倶ニ國家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム國家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ<br />朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス<br />帝國議會ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議會開會ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ<br />将来若此ノ憲法ノ條章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ権ヲ執リ之ヲ議會ニ付シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ對シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ

◎読めない字が3つ以内だった人には「狸便乱亭大賞」と副賞金10万円を差し上げます。ただし賞金が木の葉っぱになることについては、当委員会で責任を負いません。

2007年4月20日

インデックス

(無効につき全文省略)

2007年4月21日

きらわれる日本

 20日の衆議院の特別委員会で、民主党の菅委員が首相に質問をしていた。沖縄の民間人自決に軍の関与があったかどうかや従軍慰安婦問題などで、アメリカをはじめすでに沈静化していた問題が蒸し返された原因について、首相の従来の主張が関連するのではないかという趣旨である。

 はぐらかしたり攻撃的になったり笑殺したりで、まともな答弁は聞かれなかったが、詭弁もずいぶんある。その最たるものは「歴史は学者にまかせる」ということ。こんな無定見な発言は古今東西聞いたことがない。ブッシュさんはともかく、欧米や中国の首脳がどれほど歴史を重視しているかを知らないのだろうか。

 研究を学者がするのは当然だが、宰相は歴史から片時も目をそらさず、自らの解釈と信念のもとに政治に活かすことが資質として必要だ。政治イコール歴史といっていいほどなのに「歴史は人まかせ」、こんなはずかしいことを平気でいう首相をもつ日本の不幸を、菅さんはもっと突いて欲しかった。

 ところで本題の「きらわれる日本」だが、いろいろ考えてみると、やはり小泉首相の「靖国参拝」に帰結する。その前から敗戦国なのに世界第2の金持ち国になっった「やっかみ」のような潜在的意識はあっただろう。

 わが委員会は、昔から天皇や首相の靖国参拝に反対であった。ただし戦後これだけたっているのだから、「まちがった戦争のため命を落とされ、申し訳ない」という戦争責任を詫びる参拝ならまだわかる。

 それが、A級戦犯を祀り、「戦争は正しかった」という主張をする勢力の意を買っての参拝だったから世界各方面の顰蹙を買ったのだ。極東裁判批判など、まるで日本が勝ったような言説すら押し通す。

 わが委員会では、従軍慰安婦問題について海外からの批判が、日本追求のためややもすると歪曲、誇張されていると見る。これについてのご批判も多くいただいたが、証拠のない問題で歴史の見方を変えるわけにはいかない。ただ、戦争被害者に対する戦争責任があいまいにされている、あるいはそれを否定する勢力が復活しようとしていることに、外国人はどう抵抗し抗議すればいいのか。

 戦争にのめり込んだのは日本だけではない。かつてアメリカをはじめ幾多の国が戦争犯罪を犯し、現在なお続いている。他国が謝らない、責任を認めない、だから日本も責任がないなどとどうして言えるだろうか。

 日本が責任を認めたひとつの証が「日本国憲法」の戦争放棄条項である。これすら改定しようとしている日本を賞賛する国がアメリカの一部をのぞいてどこにあろうか。きらわれないためには、安倍内閣の一刻も早い退陣が必要である。

2007年4月23日

四天王

四 儀=行 住 坐 臥
四 苦=生 老 病 死
四 季=春 夏 秋 冬
四 芸=琴 碁 書 画
四 光=松 桜 薄(月) 桐 (花札の役)
四 書=大学 中庸 論語 孟子
四 姓=源 平 藤 橘
四 則=加 減 乗 除
四天王=時国天 増長天 広目天 毘沙門天
四 方=東 西 南 北
四 民=士 農 工 商

(付録)
四 (?)=安晋会 統一協会 慧光塾 工藤会
四野党=民主 共産 社民 国民新党

 沖縄の参院補選は、四野党推薦の狩俣氏を破って島尻氏が当選した。四野党が四(?)に打撃を与えられなかったのは残念だが、各党間の温度差が違いすぎて基地・安保・憲法を正面に持ってこれず、どれだけカネを持ってこれるかの地方選なみのレベルになった。

 つまり四(?)が勝ったのではなく、四野党の戦略のなさが敗北の原因である。夏の参院選までにどこまでこのこの教訓を生かせるかどうかで、日本の将来が決まる。

2007年4月24日

水野広徳(追補1)

 かつてこのブログで、軍人出身で反戦の言論を貫きとおした水野廣徳を題名にエントリーしたことがあった。木村久邇典『帝国軍人の反戦』(朝日文庫)からの引用を用いたわずか20行の文だが、意外に検索で多くのアクセスを受けていることを知った。

 静岡県立大学国際関係学部教授の前坂俊之氏がHPに記しているように「今や知っている人はほとんどいないであろう」という存在だからであろうか。たしかに水野には日露戦争の際、水雷艇長の体験を書いた『此一戦』というベストセラーがあったほかは、主な反戦の論陣を大正末期に雑誌『中央公論』や『改造』で張っただけで、戦中は文章を公にする自由を奪われていた。

 国会図書館の図書検索で題名に水野広徳がでてくるものは以下の通りで、水野の残した書簡を発表した、松下芳男『水野広徳』が戦後5年目の1950年に発行されたのが最も早く、その他はほとんどが1990年代後半になってからである。

・第一次世界大戦と水野広徳/河田宏、三一書房、1996
・帝国主義日本にnoと言った軍人水野広徳/大内信也、雄山閣出版、1997
・二十世紀の平和論者水野広徳海軍大佐/曽我部泰三郎、元就出版社、2004
・反骨の軍人・水野広徳/水野広徳、経済往来社、1978
・水野広徳/松下芳男、四州社、1950
・水野広徳/松下芳男他、雄山閣出版、1993
・水野広徳著作集第一巻~第五巻/粟屋憲太郎、雄山閣出版、1995

 今回は前掲・前坂教授の『言論死して国ついに亡ぶ』社会思想社、1991から「水野広徳の反戦平和思想」の部分を参考に水野を紹介したい。(《 》は引用部分)

 1991年刊行の『此(この)一戦』で《冒頭の一節は「兵は凶器なり」であるが、最後の一句は「国大といえども、戦いを好むときは必ず滅び天下安しといえども戦いを忘れる時は必ず危うし」と結んでいる》。しかし、この頃の水野は《「一般軍人に通有なる盲目的軍国主義の信仰者」「侵略的帝国主義の賛美者」であった》と自ら述懐している。

 転機は『此一戦』の印税をもとに、私費で第一次大戦後のヨーロッパを2度にわたって視察してからである。《「その凶暴なる破壊、その残忍なる殺りくの跡をみて、満目唯荒涼、満心唯悲哀、僕は人道的良心より戦争を否認せざるを得なかった」》と、思想を大転換している。

 1921年(大正10)剣をペンに変えた水野は、折から開催されてワシントン軍縮会議の展望や、声高になりつつある対米英強硬外交と右翼的なアジア主義への警鐘や、政治と軍、軍内部の不統一などの追求に月刊雑誌を使って健筆をふるった。

 1923年2月、政府と軍は帝国国防方針を改定し、仮想敵国の順位を米、ソ、中ととした。これに対して水野は日米戦を徹底して分析、《次の戦争は空軍が主体となり、東京全市は一夜にして空襲で灰じんに帰す。戦争は長期戦と化し、国力、経済力の戦争となるため、日本は国家破産し敗北する以外にない――と予想、日米戦うべからずと警告した》。

 《水野は「当局者として発狂せざる限り、英米両国を同時に仮想敵国として国防方針を策立するが如きことはあるまい」と指摘》、ところが当局者のまさかの“発狂”のため20年後にはそれが現実になってしまうのである。

 さらにこう付け加えた。《また、日米の経済関係を重視して「日本は経済生活に於いて米国に負うところ大なることを知って居る。日本潰すに大砲は要らぬ。米国娘が三年日本に絹をストライキすれば足りる」》。

(以下次回)

2007年4月25日

水野広徳(追補2)

 1924年(大正12)秋、日米海軍は太平洋上でそれぞれが大演習を行ない、両国の感情的対立が深まった。前回に引き続き『言論死して国ついに亡ぶ』から、水野の論調(「中央公論」1925/2)を見ることにする。

 《日本は本来、軍国主義的な国民ではないが「大和魂己惚病と戦争慢心病の熱にうかされている」と指摘、日米双方の対立の原因は「相互の猜疑に基づく恐怖心と誤解に因る危惧心以外の何ものでもない」と分析》した。またマスコミや知識人に対して《「無知の恐怖が国際猜疑心となり、疑心暗鬼をかきたて、対外興奮患者、国際神経衰弱病者となる」と帝国主義者や軍国主義者を批判した》。

 言論への締め付けは強化し続け、1932年、満州事変の起きた年に水野が執筆した日米戦争仮想物語の『興亡の此一戦』(東海書院)は、刊行と同時に発禁となった。水野がいう《「新聞雑誌が国家権力の前に雌伏追従せる今日、之に依って我等は国民の真の声を聞くことができない。独り国民の言ばかりでなく、此国に関する外人の声さえ聞くことを許されない」》世になったのだ。

 水野は、わずかに小冊子や友人等への書簡でその意を伝えることしかできなかった。そういった中で《「陸軍の朋党騒ぎが、どこまで発展することやら、前途は予測を許しません。もともと喧嘩相手が無くては日の暮せぬ連中ばかりだから、外部の相手が悉く屈服した今日、仲間喧嘩に花が咲くのは当然の成行で、此も軍隊教育の一つの現われでしょう。結局は外戦になるか、内乱になるか、何うせ血で血を洗うまでは治まりますまい。国体明徴とかに対する軍部の執拗、唯々唾棄の外はありません。今の軍部のやり方は、自家の門前に於てのみ吠ゆる痩犬の醜態であります。寧ろ美濃部博士の毅然たる態度と信念とに敬意を表します」1935/10/1付》

 このように、かつて軍隊に将校として身を置いただけにその内情への観察は鋭く、二・二六事件を予見していた。そればかりか、余生を愛媛県の島で送っていた戦争末期、「1945年中ごろには敗北する」という予言を見事に的中させていた。その年の10月18日、水野は戦後の混乱が続くなか、今治市の病院で息をひきとった。71歳であった。

2007年4月26日

危ないだけの爪

 タカ派なるが故に最高の地位を得た阿倍総理がアメリカに飛ぶ。タカには爪が無くてはさまにならない。能あるタカは爪を隠すが、首相の爪はとぎすまされたものでも、磨き上げられたものでもない危なっかしい爪だ。

 首相が内閣法制局に、集団的自衛権の解釈変更について検討するよう指示したことが、25日にわかった。そのため憲法解釈変更を検討する懇談会を設けるという。短い新聞記事の内容だけでは、この「国の大事」をどうしようとしているのか、全く見当がつかない。

 法制局が時の宰相の意向で解釈をころころ変えるようでは、首相好みのセリフ「法の支配」に反したやり方である。それを隠蔽するための懇談会なのだろう。懇談会のメンバーは見ればわかるとおり、小泉政権のアメリカ追随政策を支えてきた顔ぶれが多い。

 結論が最初からわかっている、という評判もあるが、26日訪米出発に先立ち記者団に「所掌の部署で、私の方針にのっとって研究・整理していくのは当然だ」と語った(NIKKEINET)という。強気もいいがとんだところで爪の危うさを暴露したものだ。

 懇談会のメンバーもこんなに軽く見られていいものか。日本版NSCでも検討するとか、防衛省など関係当局がなにも知らされてないとか、例によって国民の意見の届かない所で官邸主導の「危ない爪」をもてあそんでいる図だ。

 そんな出来そこないの爪をひけらかして、喜ぶ人がいるのだろうか。憲法改正論にしろ北朝鮮強硬論にしろ、危なっかしさを周囲に振りまくだけで、なんら国益に資するところがない。懇談会の結論は参院選後の秋になって出すという。

 首相は参院選後の政局をにらみ、この結論を利用するつもりだろう。早い話がその結論はどっちにころんでもいい。「だから改憲が必要だ」でもいいし「改憲ができるまでこの方法で対処」になってもいい。これが安倍政権維持のために使える道具だ、と思い込むところに阿倍首相の爪の限りない危うさがひそんでいる。

▼有識者懇談会メンバー
岡崎久彦 元駐タイ大使
柳井俊二 前駐米大使
佐藤 謙 元防衛事務次官
西元徹也 元統幕議長
岩間陽子 政策研究大学院大
北岡伸一 東京大大学院教授
坂元一哉 大阪大大学院教授
佐瀬昌盛 拓殖大客員教授
田中明彦 東京大教授
中西 寛 京都大教授
西  修 駒沢大教授
村瀬信也 上智大教授
葛西敬之 JR東海会長

2007年4月27日

バイオマス騒ぎ

 日本のガソリンスタンドでもバイオマスガソリンが売り出されたと、TVで華々しく報道している。製油所段階で3%のバイオ燃料がレギュラーガソリンに混入され、価格は同じである。バイオと聞けばなにか新発明のように聞こえるが、植物からとれるエタノール系、つまり焼酎お酒の類である。

 自動車燃料として使うのも古い話で、ブラジルなどがサトウキビの廃品利用を考えて始めてからもう一昔以上になるだろう。もちろん、日本をはじめ石油消費大国では、石油危機などのたびに検討されたが採用されなかった。

 その最大の理由は、コストの問題だが、トータルで石油消費抑制につながらないということもあった。つまり、バイオ燃料生産のために直接消費するエネルギーや輸送エネルギー(今回販売するバイオ燃料は欧州から小型タンカーで輸入)は、生産された製品以上のエネルギーを消費するということである。

 バイオ燃料はリッター当たり10円高くなるそうだが、それは国と石油業界が折半負担するのだそうだ。消費者はガソリンでないものにガソリン税を払っているということになっている。そのためか、最大の訴求点を「地球温室ガスの減量」に置いている。

 さあ、どれくらい減るのか。わずか3%のそのまた12%に過ぎない。その程度のものは生産過程で燃料エネルギーを使えばたちまち消えてしまう。地球温室ガスの減量を本気で考えるのなら、ランドクルーザーとか3ナンバーの役所車などを減らした方がはるかに効果的だ。イラクの自衛隊活動をやめるなどとは敢えて言うまい。

 それより問題なのは、トウモロコシなど農産物の世界的な高騰である。食糧を輸入に頼る開発途上国を直撃し、日本でも家畜飼料の値上がりは死活問題になるという。京都議定書にあれだけ冷たかったアメリカが、この燃料普及になるとことのほか熱心なのだ。そのかげでニンマリとしているのが、思わぬ値上がりの利益を享受している南部の農民たちだという。ブッシュなど共和党の地盤などと、不逞な想像はしないことなしよう。

2007年4月28日

古代に遊ぶ

【前方後円墳 その3】
 前方後円または前方後方など、ひしゃくの柄のようなスタイルは、弥生時代にその原形があるという説を前回紹介した。それに多段式に積み上げていくような構築の仕方、はにわなどの祭祀の仕方、副葬品のありかた、そういったものを定型化した最初のものが奈良県の纏向地区に現れ、卑弥呼の墓に擬せられる巨大古墳・箸墓の建造をもって古墳時代のはじまり、大和朝廷の幕開けとされてきた。

 ところが、全長208メートルにはおよばないものの、箸墓の近くにある100メートル前後の墳丘が前方後円墳であることが確かめられ、しかも箸墓より古い3世紀前半、つまり卑弥呼が活躍していた頃のものとされるようなものもでてきた

 この前方後円タイプが、ずーっと推古天皇の頃まで続くということは既に触れた。ところで、関東江戸川河畔に近い拙宅の散歩コースにも前方後円墳が2、3ある。森浩一博士の分類によると全長110メートルが中型と小型の境だというが、当地のものはそのまた半分だから、大、中型の多い奈良・大阪なら目にもとまらないミニ古墳だ。

 しかしれっきとした前方後円墳であることにはちがいない。しかも右上の法皇塚古墳からは、畿内の大王墓から出土してもおかしくないような太刀7振り、武具、馬具、金銀ガラス製品などがでている。6世紀中ごろの中央の埋葬作法にあっているわけだ。

 巨大な前方後円墳が、天皇家の超越した権力を誇示するためとか、人民を威圧する効果があるなどとよく言われる。だが、50メートルそこそこでは庭の築山を大きくした程度で、別に驚くようなものでない。要は、前方後円が「中央直結だよ」というあかしなのだろう。

 その立地のことだが、最初の回にとりあげた「きっこのブログ」紹介の「亀甲山古墳」は多摩川河畔だし、成田に近い利根川河畔も古墳が多い。古代の地方豪族は川筋を監視し、行き交う舟から通行税をせしめたのではないか、という話も聞いたことがある。

 だから、古墳で権威を誇示したというのだが、その位置では舟からは見えないだろうと思われる所が多い。昔の景観そのままではないだろうけど、墓を作るならここが一番というような場所、生活に支障をきたさずかつ見晴らしがよく作りやすい、といったところを選んだにちがいない。

 関東では、畿内で前方後円がすたれても、なぜかしばらくはこの方式が保たれた。関東は関東なりにこの前方後円システムが根づいたということなのだろう。古墳はそのまま現在の風景にとけ込んでいる。(写真左:明戸古墳後円部石棺から前方部方向=映像略)

2007年4月30日

集団的自衛権の幻想

 そもそも「集団的自衛権」という言葉ができたのは、「国連憲章」をつくった時である。どういう意味かということは、後に述べることにして、この権利が本来の意味で行使されたことは、私の記憶する限り一度もない。いま問題なのは、本来の意味からはずれて、たとえば、日米同盟を相互防衛条約化するための虚飾の道具に使われようとしていることである。

 戦争とは、ほとんどすべての場合「自衛のためやむをえず」開始されるものだ。1928年に結ばれた戦争放棄をうたったいわゆる「不戦条約」は、日・米・英・仏など15カ国が原加盟国となり今なお生きている。

 しかし軍事行動を起こしても、宣戦布告しなければ「戦争」ではないという逃げ道があったり(満州事変・支那事変などその例だが)、自衛は国にとっても当然の権利だとして例外にするなど、勝手な解釈が横行し事実上空文化してしまった。

 そのにがい経験から、国連憲章では「戦争」という用語を一切使っていない。また、自衛ですら武力にゆだねることを認ていない。あらゆる武力行使は違法、という大原則を先ずうち立てている。その上で、国連による集団的安全保障措置がとられるまでの間、緊急措置として個別の自衛権を行使するのはやむをえない、という例外規定が各国間の調整の中で生まれてきた。

 そこへ「集団的自衛権」という概念を持ち込んだのがアメリカである。当時、中南米諸国が侵略にそなえて共同で防衛できるよう、いわゆるチャプルテペック決議が存在した。これを強く支持していたアメリカが、大国の拒否権発動で決議の効果に支障を来すという決議参加各国の憂慮をもとに、他国のことでも米州という集団の中で関与できる余地を残すことに成功した。

 労働組合ではないが、弱者による団結権といった感触でとらえるのが「集団的自衛権」だと思う。たとえば、ソ連の核配備に対抗するため欧州各国を糾合したNATOも、その範疇に入るかも知れない。

 しかし、世界で飛び抜けた軍事力を持つ最強国と、戦力不保持をうたった憲法を持つ日本というアンバランスな2国間の組み合わせが、果たして「集団」と言えるだろうか。国連憲章の予定していなかったパターンだと思わざるを得ない。

 浅井元史著『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書)は、このような視点に立って、安保問題の中で、集団的自衛権があたかも国際貢献の切り札になるような安易な発想に対し、鋭いメスを入れている。

 外務省出身の同氏が、最初の章を「なぜいま集団的自衛権なのか」で書き起こし、第五章の「詭弁を弄するだけの日本の安全保障論議」で締めくくった内容は、2002年に刊行されたものであるにもかかわらず、その警告が今日ますます重みを増してきている。

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2007年4月 6日 (金)

罹災日録

[反戦老年委員会復刻版]

 四月初六。晴。五叟子が勤め先なる鮫洲埋立地の海岸には毎日三四人の腐乱せる死体漂着す。いずれも三月九日江東火災の時の焼死者なるべしという。

 四月初七。晴また陰。巻煙草配給一日分わずかに三本となる。朝空襲。正午のころ解除。人心恟々たり。

 四月初八。日曜日。半陰半晴。隣人より食麺麭(パン)を買う。一斤六円。

 五月初五。陰。午前麻布区役所に行く。途すがら市兵衛町旧宅の焼け跡を過ぐるに一隊の兵卒処々に大なる穴を掘りつつあり。士官らしく見ゆる男を捉えて問うに、市民所有地の焼け跡は軍隊にて随意に使用することになれり。委細は麻布区役所防衛課に就いて問わるべしと答う。軍部の横暴なるや今さら憤慨するも愚の至りなれば、そのまま捨ておくよりほかに道なし。吾らはただこの報復として国家に対して冷淡無関心なる態度を取らんことのみ。
   
『日本の文学』永井荷風(二)、中央公論社より。

 この時、敗戦まであと132日。今日まであと62年。

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2007年4月 3日 (火)

EUを知る 4

「反戦老年委員会復刻版]

 このシリーズは、小屋修一氏の著作『欧州連合論』を主な参考文献として使っているが、同書の中でEEC/EC/EUと書かれた部分が各所にある。それぞれ日本人にとってなじみのある略称であるが、その違いや意味ということになるとよく説明できる人は少ないのではないか。

 さらにEECやECではなく、CEEやCEが正しいなどと言われるとますます混乱してくる。その理由は、英語とフランス語の違いで、EECやEC発足当時は、イギリスは未加盟だったからだ、ということらしい。

欧州経済共同体
EEC=European Economic Community(英語)
CEE=Communautѐ conomique europѐenne(仏語)

欧州共同体
EC=European&nbsp; Community(英語)
CE=Communautѐ europѐenne(仏語)

欧州連合
EU=European Union

 このシリーズの目的は、その中味をくわしく解説することではないので、前回に書いたようにCECA(欧州石炭鉄鋼共同体)が始まりで、その成長にともなってEEC→EC→EUと、あたかも出世魚のように名を代えた、とだけ覚えていただければいい。

 その中で、日の目を見なかった一つの組織がある。それがCED(欧州防衛共同体)である。この話は古く、朝鮮戦争直前のことで、ソ連の軍事的脅威増大と西ドイツの再軍備構想のなかで生まれてきた。シリーズの2で記述したように、米主導の軍事同盟・NATOはこの時すでに存在する。

 これを提起したのはアメリカである。フランスはドイツの復活を警戒しておりアメリカはドイツを含めた統一欧州軍が米軍の指揮下に入ることが望ましい、と考えていた。結局、冷戦進行など情勢の変化とアメリカの覇権を望まないフランスの反対で流産した。

 わざわざこれを取り上げたのは、その後もこの構想が復活する気運が消えていないからである。その説明の前に、同案の一部を前掲書から抜粋しておく。

 a.「欧州防衛軍」は、共通の予算を持つ「超国家的性格」を持つ、史上初の軍隊である。
 
 b.契約国のいずれかの国に対し、または、「欧州防衛軍」に対して行われる攻撃は、全締結国への攻撃とみなされ、全締結国と「欧州防衛軍」は、被攻撃締結国とその軍に対して、軍事的、その他の援助を与える。

 c.「欧州防衛軍」は締結国が提供する兵員によって構成され、共通の制服を着用する。また、その組織、訓練、装備はNATO軍最高司令官の管轄下に置かれる。

 d.締結国が、独自の国防軍を持つことを禁じる。

(以下略)

2007年4月4日

EUを知る 5

 ヨーロッパ各国の抗争、角逐の長い歴史、そして第一次・二次世界大戦の惨禍の中から生まれた欧州統合への期待と願望を書いてきた。そして『欧州連合論』はいう。

 1958年に発足したECC/EC/EUは、まず関税同盟を構築し、その後、農業、漁業、エネルギー、環境、教育、地域など各面にわたって共通政策を逐次実施に移し、1993年10月にはヒト、モノ、カネ、サービスの単一自由市場を形成、1999年1月から単一通貨「ユーロ」と「欧州中央銀行」を軸とする「経済通貨同盟」を発足させるところまで成長を遂げた。

 そういった中で、フランス、オランダの国民投票は、一昨年EU憲法案を否決した。また、加盟国の増加には、労働力移入や移民増大などへの不安感などもあって、EUの限界や「共同体」そのものへの幻想を否定する論調もすくなくない。

 しかし、これまでの経緯で示されているとおり、停滞や危機に見舞われたことははじめてではない。また、そのために後退や瓦解することもなかった。これをあえて「欧州魂」と言おう。そこで前回の最後に触れた「欧州防衛軍」のその後を見ることにする。

 冷戦下、EUとNATOの2組織は、それぞれ経済と防衛の役割を整然と分担していた。その間も、EUの原点にある不戦・平和への願が、「独自軍」の可能性をさぐる動きとして続いていた。異変が起きたのは98年9月にオーストリアで開催された臨時EU首脳会議の席上である。

 イギリスのブレア首相が、欧州防衛構想に積極的な参加をする意思を表明したのである。これによりEUの軍事機能づくりが一気に動き出した。これに対してアメリカは不快感をかくすることができなかった。谷口長世はその間の事情を、著書『NATO』でこう解説する。

 かつてドゴール仏大統領に英国は「米国のトロイの木馬」と呼ばれ、EEC加盟を拒否されたことさえある。それが突如、路線変更した当初は、「また米国と、しめし合わせた芝居ではないか」とEU内部でも半信半疑だった。英国の変心について、EU防衛政策高官は「米国の代弁者としての地位を保つためだった」と分析する。

  「米国にとっては、EUとのパイプは必ずしも英国でなくてもよく、極端にいえばドイツでもいいのだ。英国は積極的に欧州共通安保・防衛へ仲間入りすることで米国のパイプ役として地位を維持したいのだ」。かつて七つの海を支配した大英帝国は六〇年代半ばに「小英帝国」と揶揄された。それが今や小帝国さえ除き「英国」として活路を探し始めたのである。

 同書は、このあと「一枚岩とほど遠いEU」という小見出しを掲げ、EU内の大国同士、大国と中小国、そしてアメリカなどの各国間における国益の衝突、安全保障に対する認識の違いなど、外交摩擦の厳しさを語っている。

 その厳しさがあってこそ、「欧州魂」は磨きがかかり、世界平和への道すじを探求していけるのである。日本は、周辺国と靖国や教科書問題、尖閣そして竹島問題などで無駄な時間を費やしている場合ではない。世界は米一極から米欧の二極化に向かっている。世界第2の経済大国もOECDの政府開発援助では英国に抜かれて3位となり、第3極をになうことすら困難になってきているのが現状なのだ。

2007年4月11日

EUを知る 6

 本題に関係ないが、本日を以てブログ開設3年目に入る。本題はシリーズ6回目で一応の区切りにするつもりだ。こういった史的シリーズには、通常コメントやTBがほとんどない。しかし、本ブログの特徴記事として評価をいただき、バックナンバーまで見ていただいているありがたい読者がいることを知って励みにしている。

 それにしては、カテゴリなど整理・分類が悪く見にくい構造になっている。そこで3周年記念?に時間をかけて、整理しなおすことを考えている。それまでの不自由はお許しいただきたい。さて、本シリーズでは、欧州各国間の長い敵対・抗争関係の反省をバネに、統一欧州の夢を実現させるための知恵をだし、屈折を重ね危機を克服して、統一通貨を持つまでに至った経緯を簡単に書いてきた。

 今年、ローマ条約調印50周年を迎え、EU憲法制定挫折など様々な困難に直面していることは、日々の報道に現れている。しかし、これからいよいよ成熟期を迎え胸突き八丁にさしかかるところで、世界連邦に向けた高い理想を放棄したり、後退を望む人はいないだろう。最終回は、この先100周年に向けたEUをになう若者の教育問題や、歴史認識などについて、「毎日新聞」(3/24)の特集記事を参考に記述してみたい。

 過去、欧州の戦火の多くが独仏間の勢力争い、相互不信に起因していることは知られている。これを氷解するための努力が、エリゼ条約(独仏友好協力条約)40周年にあたる03年の青年会議で始まった。両国共通教科書の作成である。

 昨年その一部が完成し、すでに学校現場で本格的に使われおり「欧州人としての自覚を育てる」として高く評価されている。教科書は写真や絵、ポスターなどが多く使われている。それはあくまでも素材の提供であって、授業の中心は生徒の活発な討論である。

 教科書の執筆者は、共通教科書に不可欠な要素として▽両国間の歴史認識の一致▽過去の過ちへの反省▽さまざまなレベルの交流――の3点を強調しており、記者は次のように例示する。

 仏独間ではかつて、第一次大戦の発端は「ドイツが原因」とされたが、現在は「英仏独の帝国主義など」と修正された。一方、第二次大戦の原因は「ヒトラーの侵攻」で一致する。また、独側はナチ時代を、仏側もビシー政権下の対独協力や仏政府の植民地政策を自己批判している。

 独・ポーランド間でも共通教科書の話はあるが、国家間の利害関係もありまだ進んでいない。しかし、この壁もいずれ若者の力で取り崩される日がくるだろう。それにしても、今日本が進めようとしている教育改革との格差とは比べようがない。

 討論ではなく、日の丸、君が代の強制。国を愛する態度の評価。沖縄の事例など戦争への反省、自己批判の封印。ためいきがでることばかりだが、これからでも遅くはない。アメリカの正か邪かの論理ではなく、EUの融和と協調の態度を追いかけようではないか。

2007年4月12日

政経分離と面従腹背

 昨日、わが委員会が開設3年目に入ったことについて、日頃ご薫陶にあずかっている
tani兄から丁重なコメントをいただいた。その上スタートのエントリーまで見ていただけた。この上ない光栄である。

 実は私自身読み返してなかったのだが、2年前の中国で吹き荒れた「反日デモ」直後の感想を収録したものである。たまたま昨日、温家宝中国首相が来日し、報道もそれを大きく扱っている。

 安倍首相は、自著『美しい国へ』で、中国に対して「政経分離」で、と主張した。政治家としては当然とるべき姿勢で、今回の国交修復措置は率直に評価したい。しかし本来政経分離とは、ささいな政治的対立により経済交流を阻害してはならない、という意味で首相の場合はやや首をかしげざるを得ない。さらに同書では、中国との関係を説く一方こうも言っている。

 わたしは日韓関係については楽観主義である、韓国と日本は、自由と民主主義、基本的人権と法の支配という価値を共有しているからだ。これはまさに日韓関係の基盤ではないだろうか。

 どうも、「共通の価値観」というのは「反共」の言い換えのように聞こえる。過去のウルトラ言動からすると「政経分離」ではなく、「面従腹背」なのではないか。だとすると、いずれ馬脚を現すことになろう。今や、世界中で古典的な反共主義にこり固まっている国は探してもない。将来を誤らないでほしい。

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2007年4月 2日 (月)

「終戦」か「敗戦」か

[反戦老年委員会復刻版]

 歴史に関する書を中心に、格調高い書評を読ませていただいている「本に溺れたい」のrenqingさまから、拙稿「娑婆」に対し、次のようなコメントを頂戴しました。お許しを得たので以下に転載します。

 遠い昔、亡父とちょっとしたことで言い争うことがありました。私が「終戦記念日」というのはおかしい、「敗戦記念日」というべきだ、というと、烈火のごとく怒るのです。あの時、父を怒らせたものはなんだったのか。傍らで肉塊となって四散した戦友への慙愧の念なのか、己の青春への冒涜と感じたのか。今ではもう、確かめることが出来ない褪せた写真のような記憶となっています。

 これについて、終戦当時中学生だった私の体験と感想を記録し、言葉の持つ意味がどう変わっていったのかを考えてみたいと思いました。これまでも断片的に、このブログのカテゴリ「戦中・戦後」でふれてきこととの重複はお許し下さい。

 まず私自身ですが「敗戦」と言おうが「終戦」と言おうが抵抗感はまったくありません。体験から申し上げると、終戦の詔勅放送そのものは、すぐ理解できませんでした。しかそれに続く解説的報道では、休戦、終戦といった言葉は使ったにしろ、「敗戦」ととれるような内容の言葉はなかったように思います。

 だからといいますか、8月20日に登校した際、生徒の間で「われわれは負けていないぞ!」と気勢をあげたりしていました。と言うことは、逆にみんな負けたことを意識はしているということです。9月2日の降伏文書調印、当時TVがないのに映像をしっかり覚えているのは、ニュース映画を見たからでしょうか。しかし「敗戦」を受け入れるような気分になったのは、もう少し先のことです。

 9月11日、開戦時の首相・東条大将が戦犯容疑者として逮捕される直前に、ピストルで腹部を撃ち、自殺未遂となりました。我が家にある3種類の年表でこの事実を確認しようと思ったのに、これに直接触れた記述はありません。この一件は、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という戦陣訓を発した当人ののしわざにしてはあまりにもお粗末で、すくなくとも私の周りでは軽蔑の失笑を買い、軍人不信に輪をかけました。このことは、戦後の人心の動きの中で、天皇の「人間宣言」におとらない事件だったと思います。

 通っていた学校に駐留軍が武器等のチェックにやってきました。歩兵銃、模擬手榴弾などはあらかじめ処分が終わっていましたが、生徒の私物である剣道用木刀が校庭に集められ、へし折られたりしました。遠巻きに見ていた生徒は「こん畜生」とか「バカヤロウ」などと言いましたが、先生が「やつらは、そんな日本語を知っているぞ」とたしなめられたことを覚えています。そしてやがて、丸腰の彼らを街で見かけるようになり、「鬼畜米英」とはほど遠い、スマートで柔和な存在だと知りました。

 そんなところに新憲法案がでてきます。自由、人権、民主主義、それらはもともと日本人の血の中にあったものです。それが復活できたのは、軍部や国粋主義者から「戦争に負けることで勝ち取った」ものなのです。このころ、「日本は戦争に負けてよかった。もし勝っていたら軍部が威張りちらし、どなん世になってしまってたかわからない」という述懐を大人から何度も聞きました。

 こうして戦後から、高度成長へと平穏な時期が過ごせたわけです。したがって私は「敗戦」でもなんらこだわりません。冒頭のrenqingさまの父上の話ですが、お子さまでもわからないことを私がわかるわけがありません。ただ、――記念日ということになると、特に戦死させた部下を持つような将校であれば、非常に抵抗があると思います。まあ、それだけに戦争責任を強く感じておられたのかも知れません。

 最近、近所の元・海軍下級将校にそれとなく聞いてみました。自慢話が多く、戦争を美化した話も多かったのですが、偶然靖国神社の話がでて、聞きもしないのに「A級戦犯の合祀、あれはいけないよ。まちがっている」という話になりました。

 今日の新聞報道によると、石原慎太郎都知事候補はなかなか優勢のようです。彼は私より1学年下ですが、かつて海軍兵学校の予備校といわれた湘南高校の出身です。エリート指向の戦後転換がうまくいかなかったようで、私とは全く相容れない思想の持ち主ですが、「第三国人」などを差別意識なしに使っていた体験は共通してます。彼は幼児性から抜けきれず、その幼児性を小説や政治の売り物のようにしてきたような男だと思います。

 その点、戦中・戦後から目をそむけ、祖父の遺訓だけにとらわれている幼児性を隠蔽し、力ずくで側近政治を進める安倍総理の方に危うさを感じます。彼なら断固「敗戦」は使いたくないでしょう。「年代は違うけどこの点は納得できる」というものが全くないのです。そして彼にとって「歴史」は、学ぶものでなく「都合のいいところだけを利用」するものに過ぎないのだ、と考えているような気がするのです。

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