« 事大主義と国防 | トップページ | 戦争神経症 »

2007年1月25日 (木)

オイ、コラの時代

[反戦老年委員会復刻版]

 戦中、警官は「おまわり」とか「巡査」とよばれる事が多かった。もちろん、特高の「ケージ」という、スパイやアカを取り締まるコワ~い存在もみんな知っている。

 そのおまわりさん。交通整理でも職務質問でも民に呼びかけるときは「おい、こら」といった。「へい、何でございましょうか?」。「非常時にま昼間から活動(写真)の看板など見とって、なにもんじゃお前は、あ~ん?」。

 それが戦後、民主主義になって、お役人は公僕ということになった。「オイ、コラ」はいかん、ということで禁止され改められた。そこで、

 ♪もしもしベンチでささやくお二人さん 早くおかえり陽がくれる~

ということなる。もちろん学校の先生も戦中のようなやりかたでは通用しない。「共に学び、共に遊び、共に考える」先生になった。それですべてがうまくいっていた。

 それがどうもこのところ怪しい雰囲気だ。「おい、こら。そこで何をごそごそそしとる」「いや、ちょっとその、相談事を」「共謀罪実行犯容疑で逮捕する!」となったらどうしよう。

 憲法改正、国民投票法案。共謀罪法案と密告社会。教育制度改革と監視の強化などなど。明日から通常国会の審議が始まる。誰が「オイ、コラ」の時代再現を目指しているのか、しかと目をこらすことにしよう。

2007年1月26日

逃亡兵

 ここに記すテキストは、(映像略) 近刊、清水寛・編『日本帝国陸軍と精神障害兵士』不二出版、によるものである。貴重な研究書であることは言をまたないが、戦争をテレビやアニメを通じて理解しようとする戦後世代にとって、神風特攻隊など美化とは縁のない、裏側にひそむ生への執着や不条理に目を向けさせる好書である。

 明治35(1902)年は日露戦争の前、雪の八甲田山で演習に参加した兵隊が210人中199人凍死した年である。この年「陸軍懲治隊」という特殊部隊ができた。目的は「知的能力の低さもあって、軍令・軍率違反を犯した兵士」を「懲罰と教化」するためである。

 後に「陸軍教化隊」と名を改め(1923)たが、海軍も含めた「軍専用刑務所」とさして変わるところがない存在だった。同隊に編入された兵士の約60%は、はじめての犯罪が入営後に起きており、そのうちの80%近くが逃亡あるいは離隊にともなう犯罪であった。同書はその誘因事例を次のように原資料から引用している。

①「家庭関係」(「父死亡のため家事整理に窮す」「姉が娼妓なることを一般に知らるる」等)
②「妻(内縁の妻を含む)に関するもの」(「妊娠せる妻を処置するため」「妻子生活難のため」等)
③「情婦に関するもの」(「情婦を慕ふ」「情婦の変心を憤る」等)

④「酒色に関するもの」(「上等兵、古参兵其他上官に誘惑せられ遊郭に遊ぶ」等)
⑤「飲酒に関するもの」(「外出先にて飲酒酩酊す」等)
⑥「諸種の原因に依り遅刻し処罰又は古参兵の虐待を恐れ自暴自棄となりたるもの」

⑦「上官より叱責せられ、或は其叱責を恐れ、若は不平を感じたるもの」(「官給品を紛失す」等)
⑧「私的制裁に関するもの」(「古参兵の叱責厳酷」等)
⑨「軍隊生活嫌忌に関するもの」(「学術科劣等にして軍隊に見込なしと感ず」「身体虚弱にして演習其他激務に堪へず成績不良」等)

⑩「前科あるものヽ猜疑心に因るもの」(「前科の記入しある軍隊手帳を恥づ」等)
⑪「不良行為の発覚を恐れたるもの」(「飲食の代に官給品又は他人の時計等を入質す」等)
⑫「悪友の誘惑に因るもの」(「軍隊生活を忌める戦友に勧めらる」等)
⑬「其他」(「特殊部落民たることを苦悶す」等)

2007年Ⅰ月27日

思想要注意兵

 前回エントリーの「逃亡兵」で、逃亡したきっかけを13項目も列記したが、「精神障害」と直接結びつくものはない。しかし精神状態の診断等で精神医学者との連携は緊密に行われていたようである。姫路に設置された陸軍懲治隊における1911年の調査では、50人中44人が「病的異常者(狭義ノ精神病ナラズ)」で残り6人が健常者としている。そして、病型として「痴愚」「魯鈍」「変質者」などに分類し、入隊者の多数が「家庭教育が劣悪」で不就学など「学歴」に問題あり、というとらえ方になっいてる。

 このなかで1人だけ特異のケースが上げられている。以下参考図書より引用する。

 氏名は、「○川○寿」、1888年1月生まれ、原籍は神奈川県、所属は近衛砲兵3聯隊。当時23歳6ヵ月の青年兵士である。懲治隊に収容されるまでの犯罪行為は、「横領及軍用物破壊一[回]」であり、「懲罰」を2度受けている。犯罪の動機については記載なく不明。高等小学校を卒業している。

 その小学校時代の勉学状態については、「勉強心アリテ進歩モヨシ」とあり、「現時ノ智力」の欄には、「頭脳明晰記憶良 文章家ナリ」と記されている。しかし「気質」欄には、「怜悧 尊大ニシテ敬意ヲ欠ク」とある。

 記入者がこの懲治卒に抱いている印象・評価とは別に、厳しい軍紀に屈せず、昂然と自らの信ずるところを貫こうとする一人の青年兵士の姿が彷彿としてこないであろうか。

 当人の「入営前ノ不良行為」に関する記載の全文は次の通りである。「一六歳頃ヨリ雑誌講義録等ヲ講(ママ)読シ社会主義ヲ鼓吹スルニ至ル」、「社会書義者幸徳一派ト気脈ヲ通ジ過激ナル言ヲナス」。

 こういった「思想要注意兵」の年を追っての記録は不明だが、「教化隊」に改名された後も含めて8名あったとされる。この例でもわかるように少年時代からマークされていた者が徴兵され(懲罰的に前線に配属されるなどという噂もあった)、原隊から教化隊へとフダ付きのままたらい回しされたものだろう。

 教化隊では、「容易に改悛の状なく、一般に悪影響を及ぼす虞あるものは、一般教化兵と全く隔離する等、特殊の取り扱いをする」という方針のもと、各室に便所・洗面所を設け、相互の交通・談話ができないようにしたという。非常に好待遇のように見えるが、次の同隊の記録をどう読んだらいいのだろう。

 思想対策、即要注意者の索出、不純思想の感染防止及左傾者の善導、策動防止等は、当隊独特の教育取締及施設で概ね目的を達することが出来る。

2007年1月31日

藤田嗣治と戦争

 「花・髪切と思考の浮遊空間」さんからTBを頂戴しました。お笑い芸人・太田光と画家・藤田嗣治がテーマのページで、戦中・戦後のことがつづられており、感想のコメントを入れはじめました。しかし、長くなりそうなので途中でやめ、こちらに越すことにしました。ごめんなさい(^_^)。

 記事全体には異論がないので、そのつもりで読んでください。ではまず該当部分の引用から。

 戦争画という以上、まずそれが定義されないといけないが、それを仮にここでは戦意高揚のために準備された絵画とする。藤田は、陸軍報道部から要請をうけ描いた。そして、それを描くとき、国のために戦う一兵卒と同じだ、と藤田はいった。

 だから、先にあげた仮の定義にしたがえば藤田は戦争画を描いたことになる。そして、一兵卒として戦うという意識がたとえ純粋であったとしても、それは寸分ではあっても結果的に侵略に結びついているだろう。

 この時代を生きたものとして「戦中・戦後」というカテゴリをブログに設けています。いつも感じるのですが、戦争指導者以外の一般国民に「侵略に荷担」とか、「戦争責任」を問う声があることにどうも違和感があるのです。

 あの時代に、陸軍報道部から要請をうけて拒否できたでしょうか。NOです。軍に批判的だった歌手の淡谷のり子も、漫才のエンタツ・アチャコもその他多くのというより有名な芸能人や文筆家などもすべて軍の要請で慰問などに協力しています。

 藤田は当時すでに相当年輩者だったからあてはまりませんが、仮に太田・田中コンビが当時にいて、軍の要請を受けて断ったとします。軍はすぐ手を回して召集令状を手配するでしょう。そして最も危ない前線に配属します。懲罰とわかっていても兵役義務に抗議はできません。

 軍に協力することが「侵略に荷担」することになるでしょうか。NOです。特に太平洋戦争下では「侵略」もすべったもころんだもありません。生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、勝つか負けるかがすべてです。軍に協力するのは、たとえいやでも国民として当たり前のことだったのです。

 「なぜ当時の人は侵略戦争に反対しなかったのか」という疑問もよく聞きます。私は、日本が大陸に侵略的野心を持って行動したのは、1915年(大正4)の「対華21ヵ条要求」を中国に突きつけてから、と分析しています。したがって、当時の壮年が物心ついた頃にはすでに侵略が常態化し、中国に日本兵が駐留していることに違和感がなかったはずです。

 日本に都合の悪い情報や意見は一切知らされず、今の靖国神社史観のように、日本はいつも正義の国という情報操作のもとにありました。それに疑問を持つのは、共産党・赤化思想とされ、弾圧の対象でした。

 それでもなおかつ、一般国民は終戦で戦争がもたらす罪悪に気付き、軍部を追放し、天皇を象徴化し、基本的人権を持ち、平和を求希する新憲法を受け入れたのです。それで、当然の如く東京裁判を肯定し、戦争責任を果たしたはずです。

 ひるがえって現在、アメリカのイラク侵攻に易々として協力した日本の戦争責任を、将来一般国民が問われることになったら、何と答えるのでしょう。すくなくとも一般国民として現憲法を守りきるしかありません。

|

« 事大主義と国防 | トップページ | 戦争神経症 »

戦中・戦後」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/51185330

この記事へのトラックバック一覧です: オイ、コラの時代:

« 事大主義と国防 | トップページ | 戦争神経症 »