« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月

2006年12月 5日 (火)

日韓近代史考

[反戦老年委員会復刻版]

【朝鮮、韓国の呼称】
 1897年(明治30)2月、朝鮮国王・高宗は約1年ぶりにロシア公使館から王宮に戻った。高宗がロシア公使館に逃げ込んで政治を執ったいきさつについては、前回に述べた通りである。そして称号を「王」から「皇帝」に格上げし、あらためて即位の儀式をあげた。同時に国号を「朝鮮」から「大韓」に改め、外交上の国書には「大韓国皇帝陛下」の尊称記載を求めた。

 ロシア公使館からでてきていきなり、では唐突の感を免れ得ないが、言わんとしていることはわかぬわけでもない。今や清の冊封をはなれ、ロシア皇帝や日本の天皇と同格であるという宣言である。日本がかねて求め、また同国の憂国の士が期待した「自主独立」であるが、もはや3度目のチャンスにするには遅すぎた。

 現在、同国は「大韓民国」と「朝鮮人民民主主義共和国」に2分されている。わが国にはその両国と民族を表現する適当なことばがない。このシリーズは「日韓近代史考」としたが深い意味はない。日韓併合時は「韓国」になっていたのに、戦時中の子供の頃は「韓国人」とはいわず「朝鮮人」といっていた。逆をいえば、明治のはじめ「朝鮮国に対し『征韓論』というが如し」である。

 そもそも「朝鮮」は、有史以前から半島の付け根部分など北方で主に使われた。また、「韓」は弁韓、辰韓、慕韓などの南の方の民族に使われた。日本が有史時代に入った頃の、高句麗、百済、新羅3国のうち、新羅が半島を統一した。その後国名は、高麗を経て朝鮮となったが、「朝鮮」の名称がが最も長い。

 国名として「韓」を使ったのは高宗がはじめてであるが、わずか3年半で日本に併合された。しかし『日本書紀』を見ると分かるが、日本人は朝鮮から渡来してきた人を、長い間「韓人(からひと)」と呼んでおり、「韓」とは日本史や文化の上で浅からぬ関係がある。

 今ドーハで開催中のアジア大会には、南北両国が半島をかたどった統一旗で入場行進をした。オリンピックをはじめ、既に恒例になっている。将来、両国が統一したら国名はどうするのだろう。英文表示の「コレア」であれば「高麗」の復活である。しかしこれも北方イメージがあるので、漢字は使わずハングルと英文だけの表示になるのか。全く大きなお世話ではあるが。

2006年12月11日

日韓近代史考

【日韓併合へ】
 李成桂が高麗を亡ぼしてから505年続いた「朝鮮」の国名を、高宗が「大韓」と改めた3年半後に日本に併合された。高宗は父大院君に似ずお坊ちゃんで、こと政治については無知無能であったらしい。うしろだてであった王后・閔妃が暗殺されたあとは、嵐を前に舵を失ったポートのような存在になった。

 国名を変えてから一年後の1898年2月、蔭で実権をふるう閔妃を排除するため、たびたび日本が利用してきた大院君が78歳で没した。高宗は父の葬儀に参列しなかったという(『閔妃暗殺』)。また、ロシアや欧米各国に対して、鉄道敷設権、森林伐採権、鉱業開発権などの切り売りが始まり、韓国人の対日感情悪化や、独立促進を求める義兵の決起などが相次いだ。

 さらに、日露間の緊張が高まった1904年に入ると、各国は軍隊を京城へ入れるなど異常な状態におちいった。そして2月9日、日本は仁川に大軍を上陸させ京城へ向けた。翌10日、仁川沖で護送してきた日本の軍艦とロシア艦の間で戦闘の火ぶたが切られた。

 「日韓議定書」が調印されたのは、それから3週間後の23日だった。韓国皇帝を守るという口実で軍事行動の自由を保障させるものだった。勝敗は5分5分とみていた日本にとって、この措置は欠かすことのできないものだった。

 日露戦争の詳細は、ここでは触れない。1905年9月、日本が勝利すると、11月に韓国の外交権のいっさいを回収するという「第二日韓協約」を締結し、事実上の保護国とした。これは、日露戦争中に高宗がアメリカに密使として李承晩(大韓民国復帰後、初の大統領)を派遣したり、ロシアへも密使を送ったことなどが不信をまねいたのかもしれない。

 この段階でもまだ日本には、韓国の自主独立推進派と併合促進派の両論があった。特に伊藤博文初代韓国統監は、併合による経費増大(韓国は多大な対外負債をかかえていた)より、自主独立で韓国を隆盛に導き、日本の安全をはかる方が得策、という考えを公言していた。

 07年4月、これに冷水をかけるような高宗の行動が発覚した。オランダのハーグで開かれた万国平和会議に信任状を持たせた密使を送り、反日を訴えようとしたのである。ロシアをはじめ、列強はすでに日露戦争の結末で日本の朝鮮への宗主権を認めており、新たな国際不安をもたらすような主張に耳を貸すものはいなかった。

 この事件は、高宗の国際感覚の未熟さを暴露し、また日本の名誉を傷つけることにもなった。さらに、伊藤総監がハルビンで安重根に銃撃を受け死亡したことにより、併合論を一挙に高め、10年8月22日の日韓併合条約締結へ向けての強引な誘導が始まるのである。

2006年12月18日

日韓近代史考

【結語(その1)】
 このシリーズは、「韓国近代史より」と題した投稿が始まりである。その内容は、現在両国民を隔てている歴史認識問題、特に日韓併合にかかわる部分で韓国の学者がどういう見方をしているのか、また共通・共有できる視点があるのかどうか、ということを調べているうち、韓国の歴史学者・姜萬吉氏の著、『韓国近代史』(小川晴久訳)の中から、意外なほど率直で真摯な論述を発見し、その一部をを紹介したものである。

 この記事をきっかけとして、幕末からはじまって日韓併合に至るまで、計16回にわたり「日韓近代史考」を掲載してきた。もとより歴史の専門家ではない私が、筋の通った史論を書けるわけがなく、もっぱら雑多な書籍から得た知識や記憶を頼りに、日韓関係の推移を中心に拾い出してみたものである。

 ここで、このシリーズを終了するにあたり、私なりの感想はあるのだが、それは後回しにして冒頭掲げた姜萬吉氏の論証を以下に掲げ、もう一度その主張に耳を傾けておきたい。

【第一章 国民国家樹立の失敗 序説】より

    清日戦争後約十年間維持されてきた朝鮮半島をめぐっての露・日間の勢力均衡は、英国と米国が日本を援助することによって壊れた。その結果は露日戦争、日本側の有利な条件での戦争終結、そして大韓帝国の日本による保護国化および植民地化としてあらわれた。専制君主国家としての大韓帝国が内部の国民革命によって崩れず、外勢の侵略で倒れた事実は、植民地化のその時までも国民国家を持つことができなかった歴史的限界性を示すと同時に、以後の歴史にも大きな負担を与えた。

【同上第五節 植民地への道】より

    「合邦」に対する国際的な反応も一般的に冷淡であった。英国と米国は英日同盟、タフト・桂密約、ポーツマス条約を通してすでに日本の韓国支配を承認していたので、当然「合邦」を支持した。英国政府は「日本が韓国においてその勢力を増加するのに対して英国政府は何等反対する理由がない」といいながら、ただ自国の経済的利益問題と関連して関税率の不変、開港場および沿岸貿易の継続を要求した。米国政府も「日本の韓国における行政が非常に善意に満ちており、韓国民の幸福のために力を尽くしている跡が歴然である」といい、ニューヨーク発行の『東洋評論』も「韓国に利益関係にある総ての外国は韓日合邦から生ずる変動に対してなんら不安な考えをいだく必要はない。日本政府は細心に外国の一切の利益を保護するだろう」と論評した。

 第三国としては一番利害関係の深かったロシアの新聞も「朝鮮の運命はすでに露日講和条約で決定され、日本は事実上朝鮮を併合し、今回ただ形式的にこれを発表しただけだ。併合が朝鮮と利害関係がある英国の同意を受けて断行され、ロシアもこれに反対する理由がない」といい、ドイツのある新聞は「朝鮮人がその愛国的精神によって内心では日本の情深い文明統治よりむしろ腐敗した旧政府を選ぶ意思があるのはきわめて自然な道理である」といいつつも、将来日本の支配による朝鮮の経済的発展は疑問の余地がない」といった。ただ清国の諸新聞は韓国の滅亡を憂慮して満州や蒙古が将来同様な運命になることを警戒した。

 大韓帝国の無能と腐敗、そしてそのような政府を倒し国民政府を樹立できない国民的・歴史的条件、日本の野蛮な侵略主義とこれに対する帝国主義列強の援助および承認が、この時機の我々の歴史が失敗することになった重要な原因であるということができよう。

2006年12月25日

日韓近代史考

仮想委員会レポート(1)

・平 今回は、「日韓近代史考」シリーズについて、各委員のレポートをお願いしましょう。まず硬さんから。

・硬 私は、「侵略」と「植民地」という発想が日本にあったかどうかの観点で考えました。結論からいうと、幕末から日清戦争に至るまでは、基本的にそういう発想がなかったと結論づけました。もっとも前回のエントリーにあるように吉田松陰などのような無責任発言があったにしても、志士の妄想をでるものでなく、とても主流とはいえません。

・平 いわゆる西郷隆盛などの征韓論についてはどうですか。

・硬 これまでいわれてきた「士族の不満のはけぐち」という見方を否定する説が多く出ていますが、全くない、とも言い切れないでしょうね。ただいろいろな文献をみていて感ずることが二つあります。 一つは日本の「開国」に対し、朝鮮は「鎖国」を強化するなど、伝統的な隣善関係・秩序に埋めようのない溝ができたこと。これは、日本の政権交代の国書に「皇」とか「勅」などの字があるから受け取りを拒否するというようなところに現れます。日本もまだ成熟した「国民国家」というより、アジアにおける「華夷意識」が抜けきれていない段階にあると思います。したがって「領土」とか「侵略」などということはあまり考えていない。
 もう一つは、米英やロシアなど、昔から往来がある中国・朝鮮に開国を迫る列強、朝鮮の言葉でいえば「洋夷」ですが、日本は特にロシアを幕末のころから警戒していた。南下してきて領土を拡張しむしり取ろうとしている事を知っています。また、岩倉欧米視察団の帰朝もあって、国際公法や軍事力行使に対する知識が格段に高まった時期でもあります。したがって西郷を含め「大義名分」の立たない侵攻は避けるべきだ、という考えになったと思います。

・停 それが変わってきたのは?。

・硬 日本が公然と中国大陸への侵攻を露骨にするのは第一次大戦後で、すでに朝鮮併合は終わっていた。そして日清戦争当時は朝鮮・中国に対する領土的野心はまだなかった。その分かれ目になったのがやはり日露戦争ですね。

・停 「もし、日本を韓国が併合しなければロシア領となり、今の北朝鮮と同じの水準の国になっていた」という人がいるわね。

・乙 良識のある人なら、歴史に「イフ」を持ち込んではいかん、ということぐらいわかっているが、あえて乗ってみようか。ロシアが占領してもその後のロシアの帝政崩壊、社会主義革命の隙に乗じてバルト三国のように独立を果たしただろうね。その後の政体として、アジア最初の社会主義国になった可能性はかなり強い。しかし、それならば日本も満州国独立とか、日中戦争・太平洋戦争に進む必然性もなかったわけだ。

 チョット待って、その前に「日韓併合がなかったら」という「イフ」が既におかしい。日本が日清戦争に勝って、日韓ともに次の段階に進めることに失敗した。日本が日露戦争に向かわざるを得ない状況ができ、さらに日韓併合を強行する道のりにも他の選択肢はなく、一本道だったというか、追い込まれたのだと思えるね。その間に「戦争」が介在する。戦争では暴力装置が機能する。あらゆる“無理”を合法化して見せる装置だ。

・平 では、次回はそのあたりをまた。

2007年1月7日

日韓近代史考


仮想委員会レポート(2)

・平 前回は硬さんの「日清戦争に勝利する前は日本に領土的野心がなく、大陸侵略の意図が露骨になるのは、日韓併合後、第一次大戦のあと」というレポートがあった。歴史にイフは禁物だけど、もし日韓併合をしないですませればそれが最高だったと(笑)。それでは次ぎに、停さんにお願いしましょう。

・停 わたくしは、「事大主義」ということと、「嫌日感情」について感じたことをいいます。まず『広辞苑』でじだい【事大】を引くとこうでてきます。

 『孟子』にでてくることばで、弱小の者が強大な者に従い事(つか)えること。―しゅぎ【事大主義】自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやりかた。―とう【事大党】朝鮮で、1882年から日清戦争に至るまで、伝統を守って宗主国である清国への臣属を主張した保守派。

 とあります。こういった発想は、古代から大陸の勢力と対峙ししたり、冊封を受けて朝貢国になったりする歴史を繰り返し、李朝支配の朝鮮になってほぼ定着した保身術になったように思います。しかしそれだけではなく、儒教を国教としてとりいれたため、身分の固定化、差別が進み、家系重視の風習が進みました。

 「薫のハムニダ」さんに聞いてみないとわかりませんが、親族のなかで誰かが特別えらい高官とか、大金持ちになると、そこに集まってきて寄食したり公然とたかったりするんだそうですね。北朝鮮の「主体(チュチェ)思想」は、事大主義からの脱却のように見えますが、将軍さまへの絶対服従とか、「成分」という新しい身分制度など、李朝時代の伝統が堅持されているといった方がよさそうです。

・硬 明治政府は、そのじだい主義がじたい遅れ(笑)だ、といって改革を迫ったわけですね。改めないと日本の安全が脅かされるのだと。

・乙 その改革の目玉に「宮廷改革」があったため、王朝はうかつに乗れなかったし反発し続けた。

・平 日清戦争に日本が勝ったから強大な日本に事えるということにならずに、ロシアに行っちゃったというのはどうしてだろう。

・停 やはり日本は特別な目で見られていたみたい。つまり長い事大主義の歴史的発想は、華夷思想のなかで冊封を受けている朝鮮、冊封がない島夷の日本、という序列意識が強いので、ロシアに頭をさげても日本には頭を下げたくはない、ということじゃない?。ひとつの「嫌日感情」でしょ。

・乙 まあそんなに単純ではないだろうけどね。

・停 それでなくとも、いつの時代でも加害者は圧倒的に日本なんですよ。近いところからいくと、豊臣秀吉。その前が高麗王朝崩壊の原因にもなった長期間の倭冦襲来、4世紀にもその前にもあった。その点は、きらわれても仕方がないわね。

・硬 江戸時代の通信使は日本の方が上だとか、元寇は朝鮮の日本侵略だとか、倭冦は敵情視察だとかつまらないことをいう人があるが、双方の文献などをつきあわせて調べると簡単にボロがでるからやめたほうがいい。

・乙 上とか下とかが差別を産み蔑視につながる。そういう意識のない若い人とかおばさん連中には韓国ブームや韓流が生まれるわけだし、これからは対立点より共通点に目を向けるべきなんだろうけどねえ。

・平 ということで、一応今日の結論としましょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 1日 (金)

外堀を埋める

[反戦老年委員会復刻版]

 昨日衆議院を通過した防衛庁の省昇格関連法案、議論の続く教育基本法改正法案、さらに国民投票法案、これらは直接国民の暮らしに関係なく、また、どうしても今変えなくてはならない、という緊急性もない。

 防衛省については、最初から賛成意向のあった民主党でさえ、会派離脱中の横光副議長の反対票や欠席者を出している。「自・公・民の圧倒的多数で……」とはいうものの、公明の中にも内心疑問を感じていた議員はいたはずだ。「毎日新聞」(12/1)は、その影響を次のように伝えている。

 海外派遣などを通じて省昇格の下地を作ったことから、制服組の発言力は強まるとみられる。既に統合幕僚長は「事務次官と同格」とされ、自衛官の内部部局への登用も検討、防衛庁による自衛隊の「管理」はあいまいになりつつある。
 制服組からは「セルフ・ディフェンス・フォース(自衛隊)の呼称を諸外国と同じようにネイビー(海軍)などに変更してもいいのではないか」との意見も聞かれるようになっている。

 この短い文の中に、「外堀を埋めていずれ改憲に」という下心が露骨に示されている。小泉右傾化容認政策が脈々と息づいている感じである。記事の前半部分は、昔の陸軍省の大臣をはじめ省内の要職に制服組をつけた故事を思い出させ、後半は庁を省といいかえたのと同じように、「隊→軍」が言葉の違いだけだと誤認させるねらいがある。

 辞書を見るだけで、隊=くみ、ひとかたまり、軍=軍人、戦争、という明らかな違いがある。自衛隊の「人を助ける仕事」だけではなく、いくさ(戦)の「人を殺す仕事」が加わる意味の違いを、国民はどれほど深く認識しているだろうか。

 外堀埋め立て工事をストップさせるには、安倍右傾化内閣を早期に打倒するしか方法がない。

2006年12月2日

参院選の争点

 民主党の鳩山幹事長は、1日に記者会見を開き、党員・サポーターへのアンケート集計結果を発表した。その中で「参院選で争点とすべきもの」については約4割が「年金・医療」、約3割が「税のむだ遣い」だったという。

 上記の3割、4割の数字は毎日新聞のベタ記事の中にあったもので、同党HPでは単に「多数」といっているだけである。また、主要各紙のウエブ上にはこのニュースが見あたらなかった。ということはニュース性にとぼしいということで、没にされたに違いない。

 まさか小沢党首がこれをそのまま選挙の争点にするとは思えないが、もしそうならこんな寝ぼけた話はない。「年金・医療」は大切だが、与野党の政策論争では争点にはならない。この点、去年の総選挙の教訓を思い起こすべきだ。わが委員会では、選挙の前から争点の立て方のまずさから自民が圧勝するという予測をたて、的中させた。

 わが委員会にとどまらず、安倍政権が逆コース法案成立に血まなこになっている現状に<危機感をいだくブログが多い。そして同政権の改憲による軍復活の野望をくじくためには、参院選の自民敗退を期待するしかない、という意見が圧倒的になってきている。

 民主党のきたるべき参院選の争点は、「安全保障政策」これしかない。参議院議員の任期は6年、安倍総理は、任期中の憲法改正をいっているのだから、当然選挙の争点にするべきだ。自民は既にある「自民党改憲案」を化粧直しして公約にする余裕や度胸はないだろう。

 民主党は、先月28日に「民主党基本政策案」を発表した。それに基づき、
①現行憲法第2章第9条1項、2項を堅持する。
②自衛隊の海外平和維持活動参加について、①の精神にのっとった厳格な制約条件を規定する。
などの、対自民党対立軸を「わかり易く」提示して戦うチャンスである。さもなければ、再び惨敗に甘んじざるを得ない。

 こんどこそ、わが委員会の予測がはずれるよう、民主党の奮起をうながすこと切なるものがある。

2006年12月4日

石油と税金

 このところガソリン税など、道路特定財源が余っているから、これを道路以外の一般財源に振り向けるのかどうかという議論がある。厖大な国債をかかえ、早く赤字解消の見通しをつけなくてはならない国にとって、使い道のない収入を他にまわす、というのは一見あたりまえのような気もする。

 賛否両論あって、「熊しか通らないような高速道路はいらないにしても、歩道もとれないような町中の生活道路はまだまだ未整備だ」とか、「税金が余るのなら、まず道路を作りますという約束の税金を減らし、納税者に還元するのが筋だ」という主張は、それぞれもっともに聞こえる。

 道路のためのガソリン税は昭和29年(1954)年、幹線道路でも舗装されていなかった日本の現状から「経済復興はまず道路整備から」のかけ声で始まった。そして当時は緊急かつ重点政策としての意味があった。それがいつの間にか政治家の利益誘導の道具と化し、道路公団という怪物まで産んでしまったのだ。

 上の議論には欠けている論点がある。それはこのように石油関連諸税がふくらんできたことの理由である。それは課税に抵抗がすくなく、取りやすいということにつきる。地方税である軽油引取税をのぞけば脱税がほとんどゼロで、徴税経費もすくなくていい。大型の石油受払設備のある港湾、製油所等が徴税場所で、そこさえ抑えておけばいいからである。

 取りやすいから、というだけで税源を不問にし、使途だけを云々するのは、税制に対する冒涜ではなかろうか。やはり必要予算はそれに見合う税源を当てるべきで、取りやすいからといって税源を温存しておく、という発想はやめてほしい。

 徴税コストを少なくすることは、大いに研究しなければならない。民主党は、消費税を福祉目的税化するという案をもっているようだが、消費税をタブー視することなく、徴税コストの面からも利点を活かすような考え方をして欲しい。

【石油と税金の「ひとくち知識】
○リッター当たりの税金
 灯油=2.04円(原油関税相当額)、1缶(18㍑)36.72円
 ガソリン=55.84円(原油関税相当額+ガソリン税)
 軽油=34.14円(原油関税相当額+軽油引取税)
  (関税、ガソリン税にも消費税5%がかかり上乗せとなる)

○石油諸税の総額 
 4兆8744億円。国税の中で占める割合約8%(06年度予算)
 うち道路整備:4兆2951億円(地方を含め5兆7000億円)

2006年12月6日

労働者攻撃内閣

 このブログによくコメントをいただく方から「政府がカタカナやアルファベット文字を持ち出すときは危険」という指摘があった。厚労省は、日本版「ホワイトカラー・エグゼンプション」というのを、来年の通常国会の労働基準法改正案提出に合わせて導入するという。

 exemptionは、免除、除外の意味で、労働基準法の8時間労働制などの規制を除外し、成果などをもとに賃金を支払う制度で、もちろんアメリカ生まれである。日本でもすでに20代の若者に1万円の管理職手当なるものを払い、月100時間もの残業代を払わないというような例が多くなっているという報告もある。

 このような、労働基準法の精神に反する労働者酷使が、最近は日常化しているようだ。月100時間の超過勤務がいかに労働者の健康と精神をむしばむものか、身をもって知っているだけに見逃せないものがある。

 労働三法は、現行憲法と同様、戦前までの過酷な労働環境から労働者を開放し、また健全な経済発展に寄与してきた。それが今、目先の利を追う経団連の要望にうながされ、来年の国会を「労働国会」と位置づけるなど、権利の制限、労組の弱体化を加速する方向をたどるのではないかと憂慮される。

 小泉前首相の内閣主導政策を支えた内閣府の「経済財政諮問会議」の中に、経団連などの要望に基づく規制緩和に向けた「専門調査会」が設置される一方、その独断専行を危ぶむ自民党族議員などが「労働調査会」を復活、厚労省も格差拡大への警戒をするなど「労働ビッグバン」議論が活発になるものと見られる。

 「天下の労働者諸君。要警戒!!」(亡き柴又の寅より) 

2006年12月7日

家賃9万、だから?

 「新しい衆議院赤坂議員宿舎、首都中心で家賃月92000円!」。。いいじゃないですか。お国のために身をけずって尽くしてもらっているだから。「周辺マンションは月45万円といわれる中での厚遇ぶり」。。まさか都心を離れ、郊外から電車通勤してもらうわけにいかんでしょう。なにかあれば深夜でもすっ飛んでいけるとこじゃないと。

 「それにしても安すぎる。地元には豪邸があるのに」。。議員さんは国会だけでなく選挙民の声を聞くため地元でも仕事をしなければならない。単身赴任もあり二重生活を強いられる。往復も大変だ。無料パスなんかも当然でしょう。本当なら家賃もただでいい。

 ……なのに……TVはまだしも、新聞まで1面にカラーの航空写真つきで「豪華議員宿舎」報道だ。昔は、井戸塀代議士といって、政治家を1期やると井戸と塀しか残らないという人もいた。落選すればタダの人。よほどの大金持ちでなければ立候補できないようでは困る。「いや逆じゃないんですか。代議士になると歳費のほかにいろいろの名目で手当が出る、いろいろな筋から献金や利権がらみの金も入る、議員になればひと財産できる、でなければ世襲議員などいないるわけないでしょう」

 ……ならば、新聞は庶民のやっかみ根性におもねるようなことをせず、耐震構造計算疑惑とか、詐欺まがい宗教団癒着だとか、暴力団がらみだとか、1面カラー写真つきで報道して欲しいね。家賃9万円ではぐらかしたりせずに。

2006年12月8日

司馬遼太郎史観

 それほど大げさに振りかざすつもりはない。『ロシアについて』(文芸春秋)という著書のあとがきで、たまたま司馬遼太郎の戦争や平和に対する史観の片鱗をうかがわせるものが目にとまったまでである。そこでとりあえずその部分を書きとめておくことにした。

 国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはすがないのである。

 こういえば、「こんにち、たいていの古い国々は、利口になったんです。国々が順次利口になってゆくとして、最後にのこったばかが世界制覇を夢想したとしたら、どうします」 と、皮肉をいうひとがあるかもしれない。しかし世界制覇などというのは歴史の虚妄であって、存在したことがない。存在したものは、その帝国が制覇の形態を示したとたんに自壊していった歴史だけである。

 また平和という高貴でかつ平凡なことばは、その帝国がその上ではじめて使えるもので、他国に対し心理的にも軍事的にもおびえを感じさせている状態のなかで発すべき性質のものではない。

 これは昭和61年(1986)に書かれており、ソ連はゴルバチョフの時代で、まだアメリカとは互いにはりあっていた頃である。上の文章を現在にあてはめ、それぞれ国名をいれていったらどうなるだろうか。まったく違和感なくあてはまり、合点がいく。そしてさらに将来まで見通しているようにみえるではないか。

 これに贅言をついやすことはない。まさにわれわれの目指すべき進路が暗示されているからだ。(旧・大詔奉戴日<日・米英開戦記念日>に記す)

2006年12月9日

イラク政策は?

 米共和党のゴードン・スミス上院議員(54)が7日夜の本会議で、ブッシュ政権のイラク政策について「我々の米兵が同じ通りを同じようにパトロールし、来る日も来る日も同じ爆弾に吹き飛ばされている。馬鹿げているし、犯罪的ですらある。私はもはやこの政策を支持することは出来ない」と述べた。

 中東の衛星テレビ局アルジャジーラで21日、米国の中東政策を担当する国務省近東局の幹部がインタビューに応じ、米国のイラク政策について「最善を尽くそうとしたが、明らかに横柄さと愚かさがあった」と発言した。国務省は「発言が正しく引用されていない」と打ち消したが、幹部本人が22日、発言の存在を認め、謝罪する騒ぎとなった。(以上、アサヒ・コム)

 15日に退任するラムズフェルド米国防長官は8日、国防総省で講演し、イラク情勢について「駐留米軍は可能な限りのことをしているが、いわゆる軍事的な勝利はできない。(宗派間の)和解や政治的プロセスを通じイラク人の手で勝利を勝ち取るべきだ」と述べ、宗派間抗争に陥った現状で、軍事的勝利は不可能と認めた。(MSN-毎日)

 久間防衛庁長官は7日の参院外交防衛委員会で、イラク戦争の政府の支持について「公式に言ったのではない」と答弁した。政府は開戦直後の03年3月に「支持」の首相談話を閣議決定しており、久間長官は8日の記者会見で「認識不足だった」と訂正したが、当時の武力行使について改めて聞かれると「早まったんじゃないか」とさらに踏み込んだ。

 安倍晋三首相も7日、「問題ではない判断だった」と明言しており、整合性が問われる事態となっている。(中略)塩崎官房長官は8日の記者会見で「一政治家としての見解を述べた」と火消しに務めた。(以上「毎日新聞」12.9、より)

 以上はすべて引用文である。日米、どっちもどっちだが、ブッシュ政権はラムズフェルド長官を解任するなど、事実上のイラク政策の誤りを認め、超党派の「イラク研究グループ」の提言を手がかりに政策転換を進めようとしている。しかるに、わが国ではまだこんなていたらく。

  はい、どこまでもアメリカさまについていくだけで、自分の考えなどありません。

2006年12月12日

大学生の愛国心

 日頃、新聞社による電話アンケートの類は、傾向はともかく、数字には信をおかない主義だが、12日付毎日新聞の「記者の目」欄における鳥取支局のレポートは目を引いた。《なぜ今愛国心、「格差」はぐらかすためか》という見出しは感心しないが、鳥取県内、大学生(400人)という地域限定・対象限定の調査は面白く、こういったことはこまめにやってほしいものだと思った。以下はその結果(設問は略記)。

・愛国心を感じたことが    「ある」77%
   ↓どんな時に「スポーツイベント」71%
    「学術文化などで評価・活躍」30%
    「領土問題など国際摩擦の時」22%
    「日の丸・君が代による行動」6%

・愛国心を感じたことが    「ない」22%
 愛国心は「必要」         63%
 ↓教育基本法に盛込むことに 「反対」51%
                   「賛成」14%
・教育基本法に規定されると
   日本の社会が      「悪くなる」34%
                  「よくなる」15%

 同紙はこれを次のように総括している。
▽愛国心は必要だが、教育基本法に盛り込むことに反対が多数派。
▽教育基本法に規定することで、日本社会が「悪くなる」が「良くなる」を大幅に上回る。
▽9割が高校卒業まで愛国心を教わった経験がない。

 さらに、わが委員会ならこう付け加える。
○愛国心を学校で教わらなくても、77%が愛国心を感じ、63%が必要なものだと思っている。
○若さを売り物にし愛国心強制に固執する首相より、今の若者の方がはるかに愛国心があり「健全」である。 

2006年12月13日

ロシアの闇

 元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐が亡命先の英国で、放射能物質と見られる毒物による変死事件は、当ブロクでも「あまりにもロシアの関与をうかがわせるものが多すぎ、プーチンを陥れようとする筋の犯行ではないか」というようなことを書いた。

 なぞがなぞを呼び、その後もマスメディアは扱いをエスカレートさせている。それも、ロシアにおける暗殺、またはその疑いのある事件の続発、さらにはトロツキー殺害までさかのぼって論評するなど、ロシアに的をしぼる傾向が強くなってきた。

 当ブログの連続シリーズ「日韓近代史考」の下調べ中に、帝政ロシアの時代、すでに日本政府の中枢では「暗殺はロシアのお家芸」という認識を持っていたことがわかった。その出所は角田房子著『閔妃暗殺』で、田岡良一著『大津事件の再評価(新版)』の引用である。

 すなわち、大津事件のロシア皇太子襲撃犯の死刑判決が無理だとわかり、外交上内閣は苦境に立たされた。このため伊藤博文首相は、閣議で戒厳令を発令して裁判権を司法部から取り上げるような相談までしたが、疑問も出されまとまらなかった。その後のことである。

 「しばらくして(陸奥農相)が後藤(逓相)を伴って再び来訪して言うには、『裁判のことが困難だとすれば、一策がある。刺客を使って犯人を殺し、病死と公表することは容易である。現にロシアでは時々こういうことが行われているのではないか』と。伊藤はこれを窘(たしな)めて『国家主権の存する所においてそのような無法な措置が許されようか。人に向かって語るも恥ずかしいことだ』といって別れ、十一時の汽車で京都に向かって出発した」

 偉い!!。さすがは日本の首相。「刺客」など語るも恥ずかしい、と。小泉さんにも是非聞かせたい。もっとも、上記の記録は「伊藤博文秘録」にあるもので、ひ孫引きに当たる。この点は筆者も恥ずかしいが。

【大津事件】明治24年(1891)当時来日した大津遊覧中のロシア皇太子ニコライが、警備中の巡査津田三蔵に斬りつけられた事件。大国ロシアを恐れる明治政府は津田三蔵を大逆罪で死刑にするよう迫ったが、大審院長の児島惟謙は刑法どおり無期徒刑とし、司法権の独立を貫いたことで有名。

2006年12月14日

手毬唄

 ここ数十年で完全に消滅したものに手毬唄がある。あるいは「そんなことないわ」とおっしゃる女性の方もいるかも知れないし、民俗学などの専門家から異論がでるかも知れないが、こと私に関する限り、身の回りや、街角で聞いたことがない。

 前回に続いて、日露戦争関係である。手毬唄「一裂談判破裂して」の後半を知らなかったが、古本の整理をしていたら、それが出ている本があった。池田弥三郎著『日本故事物語』河出書房新社、である。

  一裂談判破裂して 日露戦争始まった
  さっさと逃げるは ロシアの兵
  死んでも尽くすは 日本の兵
  五万の兵を引き連れて 
  六人残して皆殺し
  七月八日の戦は
  ハルピンまでも攻入って
  クロバトキンの首を取り
  東郷元帥万々歳

 およそ少女の歌う唄にしては、残酷きわまりない戦争賛歌だ。しかし、裾をはしょって鞠をつく風景は平和そのもの。数え歌、手毬唄というのは、平安・室町時代の昔からすでにあったもののようだが、残っている歌詞は風景、自然といった牧歌的なものが多かったのではないか。

  一つとや、人々忠義を第一に 第一に
  仰げや高き君の恩 君の恩

 これは、美しい大日本帝国文部省の推薦に違いない。

  一リットラ ラッカケットシ
  シンガホケキョ おのマニラ陥落
  昭南島

 太平洋戦争当時、筆者が記憶しているもので意味全く不明。昭南島はシンガポールを日本が占領して改名したものである。「きっこの日記」ではないが、ゴロにテンポがが合えば、ことさら意味は問わないでいいのだろう。そういえば、上の日露戦争も海軍の東郷元帥が、内陸深いハルビンまでも攻め入るわけがないのだが。

2006年12月15日

政治の機能不全

 戦後このかた、ずいぶんつまらないことで衆議院が解散になったり、首相が辞職したりしたことがあった。1953年は吉田首相のバカヤロー解散、衆議院予算委員会で首相が挑発にのって「バカヤロー」と不規則発言をしてしまった。それがもとで議会は解散。

 宇野宗佑総理は就任早々、週刊誌に神楽坂の彼女のことを暴露され、1989年6月3日からわずか54日で退陣してしまった。また、自民党を野党に追いやった細川首相は、佐川急便から1億円借金していたという理由で内閣を投げだす。

 いずれも、その地位の重さにくらべやや軽すぎる感なきにしもあらずだが、首相にはそれだけの厳しさが要求され、緊張感をともなっていたものだ。野党はもとより、与党内部、マスコミ、世論、それぞれが機敏に反応し、その結果を国民に示した。

 今国会で暴露されたタウン・ミーティングなど「やらせ」問題。公金を使った不正な世論操作に首相が自ら減給処分するなど、前代未聞の不祥事であるにもかかわらず、辞任に追い込むことができないでいる。これは、すでに重症の政治機能不全に陥っているということではないか。

 去年の郵政解散は、手段として疑問だらけのものだった。しかし、小泉流の緊張感を政治にもたらしたことはまちがいない。それが、このところの反民営化議員の自民復党さわぎで議員の無節操ぶりをさらけだし、その一切を帳消しにしてしまった。

 もうこうなると、日本の民主主義の将来に暗雲がたちこめている、という心配もあながち老婆(爺)心ではなくなるのではないか、というのが最近の心境である。選挙であれ市民運動であれ、こんな傾向はいち早く吹き飛ばしたいものである。

2006年12月16日

北朝鮮の核保有

 6カ国協議を前に、北朝鮮の代表団が盛んに強気な発言をしている。そもそもどこまでこの協議をまとめる気があるのか疑わしい。今、協議の進展を一番望んでいるのはどこだろう。アメリカも中間選挙の結果を受けて柔軟姿勢に変わっているが、北朝鮮の言い分を丸呑みしてまでも急がなければならない理由はない。

 その他の国も、東アジアの安定をおびやかす、極端に言えば日本・韓国・台湾などが核競争に加わりかねないという、古ぼけた核バランス論を持ちだして、けん制する程度である。かつては、北朝鮮にとって核開発のための時間稼ぎ、といったことがいわれたものだが、北朝鮮が実験のカードを切ってしまった現在、もはやあまり意味がなくなってしまった。

 もちろん高性能化を目指して2度目、3度目の実験にエスカレートさせるということはある。しかし、これもより強硬な国連決議を招くだけで、交渉のカードには使えない。一番早期決着を望むのは、拉致問題を表面に掲げる日本かもしれないが、受け手がなく、ボールは場外に飛びだしたままだ。

 経済制裁が効果をあげていれば、北朝鮮が最も決着を急ぐはずだがどうやらその気配もない。すべてないないづくしである。ただ、世界的なステージで見えすいた茶番が演じられようとしていることだけが気になる。

 北朝鮮は、「アメリカの侵略にそなえた核抑止力なので、放棄することはあり得ない」といっている。核兵器は世界に3万発あるといわれその96%がアメリカとロシアにある。しかし半数を占めるロシアで実際に使えるものの数はすくないと見られるので、アメリカが圧倒的な核大国となっている。

 核保有国といっても、その他の国は数百あるかないか、北朝鮮の10発未満などアメリカからすればもののかずではない。知られているように、核兵器は、核弾頭、その運搬手段(ミサイルや潜水艦など)およびコンピュータの3つが揃ってはじめて機能するので、弾頭部分の爆破実権に成功した程度では核兵器保有国とはいえない。

 北朝鮮が「核」保有を強調するのは抑止効果である。つまり「核脅威論信奉者」ということである。これは皮肉なことに、アメリカが世界に強調し続けておきたいことなのである。圧倒的な核戦力を持ち、核の傘への依存度を高め、すべての国に対する軍事的優位を信じ込ませておく道具になっている。

 もちろん、アメリカはテロリストと称する対敵者に核技術や核物質が渡ることを恐れているし、いわゆる核拡散が国際的な懸念であることには違いない。しかし、国連決議などで包囲網が完成すればそのおそれは大幅に軽減する。6カ国協議はそういった観点からも観察しておきたい。 

2006年12月19日

呼ばれない日本

 国連による北朝鮮の経済制裁で先頭に立ち、安保理決議を成立させたことをもって安倍外交を評価する向きがある。しかしアメリカの中間選挙でブッシュの基盤、共和党が敗北し、国連からネオコン一派として安倍外交にウマがあったボルトン大使が引退することになった。

 これから先、手嶋元NHKワシントン支局長が指摘する「日米同盟の空洞化」が再び進行するのではなかろうか。6カ国協議は始まったばかりだが、拉致問題に手足をしばられて主導的な役割が果たせない。また、アメリカ追随でイランでにおけるかつてのプレゼンスも失墜してしまった。

 かつてわが委員会でも取り上げたことのあるクラスター爆弾の禁止を目指す国際会議(ノルウェー主催)が2月に開催されるが、招待35カ国のリストに日本はない。理由は、国連の枠外での禁止協議に消極的(毎日新聞)だからである。

 また主要な生産・使用国である米、ロ、中、イスラエルも招待されていない。対人地雷全面禁止条約もそうだが、そういった武器使用、輸出国が安保理常任理事国をつとめる国連では、なかなかこの種の国際条約を主導・実現することがむつかしい。

 我が国は、まだ常任理事国入りに固執しているようだし、民主党も依然として国連中心主義から脱却しきれていない。国連が唯一の地球規模の機関でありこれを強化・改善していくことは当然であるが、それだけで人類の平和と進歩がはかれるわけではない。もっと現実的・機動的な外交がなければ、日本はいつもおいてけぼりにされるだろう。

2006年12月20日

民主党の限界

 民主党は12月18日、「政権政策の基本方針」マグナカルタと称するものを両院議員総会で決定した。わが委員会では、この案が「たたき台」として提示された先月末と今月のはじめに、不安と期待を抱いてその検討結果を見守る、という記事を書いたが、関心事の安全保障は全く手をつけることなく決定された。

 結果は不安がそのまま的中してしまった。他の部分でもそうだが、方針そのものがずさんでこなれてない。第一、文章に感動させるものがない。「日本」「わが国」「我が国」など表現が不揃いなことだけでも感興をそぐ。官僚の作文以下である。

 教育基本法をはじめ、防衛庁設置法その他、かずかずの憲法9条改訂準備法案を、国民にはわかりにくい中途半端な「対案路線」で対応したため、迫力ある法案阻止ができず、結果として政府与党に手を貸してしまった。

 この安全保障方針も、自民の改憲案にくらべ「よりまし」という程度にとられる。なぜならば、当面は憲法を変えず、国連平和活動協力の名目で、イラク特措法のようなものを恒久化にしよう、という自民の政略にとりこまれる可能性を残しているからだ。

 いわば、解釈改憲ロンダリングのようなもので、それならばスッキリと憲法を改正したほうがいいし、それが正道だということになりかねない。いや、きっとそうなるだろう。まさに自民党のねらいどころはまりこんだ形で、民主党はその責任の一端を負わされることになる。

 自民党は、公明党との調整があるので、改憲問題は参院選の争点からはずす作戦をとるだろう。今度の参議院選で当選した議員は議員総数の半分だが6年間在籍する。安倍総理が改憲目標としている5年目にかかる。民主党があえて争点にあげて自民党を追い込むせっかくのチャンスである。しかるに、それをみすみす見逃すことになるのだろうか。

 われわれは、憲法9条を守りたい。そのためには改正案に反対する議員を1人でも多く当選させなければならない。だから当選の可能性があり、はっきりと公約してくれる人を選ぶ。もちろん、民主党候補にはゆるぎない信念を持っている人がすくなくない。反面、同調できないという人もいるだろう。その色分けをはっきりさせなければならなくなる。これが分裂工作のようになってもやむを得ないことではないか。

【以下関連部分抜粋・民主党HP、PDFファイルより】
7.自衛権の行使は専守防衛に限定
 日本国憲法の理念に基づき、日本及び世界の平和を確保するために積極的な役割を果たす。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論の経緯に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、我が国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けたばあいに限って、憲法第9条に則り、行使する。それ以外では武力を行使しない。

8.国連平和活動への積極参加
 国連は二度に亘る大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければならない。
 国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、我が国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。

国連憲章(参照:管理人注釈)
 第41条〔非軍事的措置〕
 安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。

 第42条〔軍事的措置〕
 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による威、封鎖その他の行動を含むことができる。

2006年12月21日

通勤電車

 10何年ぶりかで通勤時間帯の電車に乗った。とても新鮮な感じを持ったことふたつ。乗車駅のホームの売店の朝刊。「日本経済新聞」だけが一段と高く筒状に積み上がっている。昔は「スポニチ」かなにかが多かったが、こんなに積み上がっていなかった。

 難しくても日経の経済記事ぐらい目を通しておかなければ、仕事に差し支えるのだろうか。日経とか日刊工業など、デスクに配られた新聞を女子社員が入れた渋茶をすすりながら見るのは、課長の朝の仕事だった。昔の課長さんは偉かった。昨今の課長は何で差をつけるのだろう。

 JRの電車は、以前ならどの方向から来ても東京駅でがらがらになる。今回乗った電車は、東京を過ぎ、新橋を過ぎ、品川まできてようやく空席ができた。そうだよね。あれだけ超高層のビル群ができれば、サラリーマンの流れだって変わるわけだ。

 最初の売店の新聞の話になるが、電車の中で読むのだろうか。私の乗った電車ならまあ読めないことはない。かつてのように、各駅のホームに「ひきはがし係駅員」(超満員の電車に乗ろうとする乗客を、扉がしまらないので引きはがす役)がいる時代とちがい、混んでいても新聞ぐらい読めるようになったのか。

 昭和2、30年代はすごかった。東急電鉄のTKKのマークは「とても、混んで、苦しい」の略だ、などといった。「見切り発車」という。ドアに乗り切れない客が押し合いへしあい。車掌は仕方なしに発車の合図をする。電車に入りきれない乗客は必死でドアにつかまる。

 よくしたもので、袋にものを詰めるのと同じ。電車が揺れると少しづつ隙間ができて中に入れる。ドアが閉まったのををみはからって電車はようやくスピードを上げる。痴漢活躍の余地はないし、鉄道従業員も管理・監督でしばられることもない。マニュアルではなく人間が街を支配していたのだ。

2006年12月22日

民主党の限界 2

 前々回、民主党の「政権政策の基本方針」(以下、「同方針」)を疑問とする記事を上げた。同方針がわが委員会の期待からはずれていたため、あいまいな文章表現を攻撃するのに急で、具体的な内容に踏み込まないという同じ過ちを犯してしまった。そこで疑問点を2、3付け加えたい。

 最大の問題点が、国連憲章第42条の軍事的措置に積極的に参加するという点である。このことが憲法違反にならない、という法的根拠はきわめてあいまいである。「国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致」という憲法前文の理念を、即、軍事行動に参加することと解釈するのはあまりにも強引過ぎはしないか。

 国連憲章の理念(精神)は、あくまでも「戦わないこと」であり「戦うこと」ではない。国連憲章にそって積極的役割を果たすということは、いかに「戦わないこと」に貢献するか、と解釈すべきであって、例外の規定、第42条をことさらクローズアップするのは邪道というほかない。また日本国憲法の精神にも反している。

 同方針では、「集団的自衛権」を概念上の問題として論争を放棄した。しかし、国連そのもが加盟国による「集団的自衛権」を担保する形で発足している。だから「敵国条項」などもあるわけだ。その後日本をはじめ加盟国が増大し、日米安保やNATOなどの地域同盟も自衛権のひとつである「集団的自衛権」とみなされるようになった。

 同方針の「自衛権の行使は専守防衛に限定」というのは、《国連憲章42条に定められた国連が持っている「集団的自衛権」であれば、「専守防衛」以外でも「軍事的措置」を行使できる》、ということばの上の矛盾撞着をきたさないか。国連憲章に明記されている「集団的自衛権」の解釈を避け、あえて複雑な二重基準を持ち込むことが、国民にとって外交にとってメリットになるとは考えられない。

 わかりやすく言えば「日本を守るだけで敵地を攻撃しない戦争に限り、日米が共同して戦います。ただし国連から要請があれば、世界中どこへでも出かけていって軍事力を行使します」ということになるのだろう。

 その際の歯止めとして、「我が国の主体的判断と民主的統制の下」という文言があるが、その具体的な中味は何も示されておらず、これだけではあいまいで「甚だ危険」な方針といわざるを得ない。最後にもうひとつの疑問を掲げておく。

 これまでも、日本の自衛隊は「専守防衛」に則った装備と配置になっている。同方針でも、この方向を固めていくことになる。ところが国連憲章第42条に基づく協力となると、全く別の装備や配置が必要になってくる。この二つを混在させることは、まさに憲法9条の空洞化に等しく、憲法違反状況を一挙に加速させることにならないか。

 以上のことを勘案すると、イラク特措法をさらに強化したような恒久法の策定、さらには矛盾解消のための改憲に進むという懸念が解消できない。民主党には「必要があれば他の部分の憲法改正を検討することがあっても、憲法9条1、2項だけは死守する」といってほしかった。それがいえない理由があれば、国民を欺かずに教えてほしい。

2006年12月23日

吉田松陰3題

 『獄是帳』に曰く。

 「魯・墨(ロシア・アメリカ)講和一定、決然として我より是を破り信を夷狄に失うべからざる。但し、章程を厳にし、信義を厚うし、其間を以て国力を養い、取り易き朝鮮、満州、支那を切り随え、交易にて魯・墨に失う所は又土地に鮮満にて償うべし」

 この時代、こんな露骨な東アジア侵略をいった人はない。日露戦争当時の帝国主義時代を先取りすること半世紀。先見の明?がありすぎる。

 松下村塾で守るべき塾則は、次の順となっている。「両親への孝」「先祖に礼拝」「藩主に礼拝」「天朝に礼拝」「目下に慈愛」。一方で「一君万民」、つまり至尊・天皇以外はすべて平等という考えを打ち出すが、時と場所が変わればモットーも変わる。

 辞世の句にはお気の毒ながら文法上の誤りがある。

 身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも

 とどめおかまし大和魂

 「まし」は反実創造の助動詞で、実際にはなかつたことを想像するのだから、「とどめおかまし」はとどめておいたらよかった――のに、とどめなかった――ということになってしまう。(池田弥三郎『日本故事物語』)

 小泉・安倍と続いた首相が崇拝してやまぬ歴史上の人物だが、前からどうも好きになれない。

2006年12月26日

対立より融和を

12/25「毎日新聞」より。

 クリスマスが近づく中、イタリアで小さな話題が二つ目を引いた。一つは同国中部シエナの小学校が、恒例だったカトリック大司教の説教訪問を拒んだこと。学校側は理由を、イスラム教など少数派の異教徒を「尊重することにならない」と説明した。大司教は「我々のアイデンティティーの深いルーツを軽んじてはならない」と不満顔だった。

 二つ目は、キリストの生誕場面などを表現した伝統人形「プレゼーピオ」の販売を、大型チェーン家具店がやめたことだった。家具店は品の売れ行きが鈍いことに加え、非キリスト教徒の客に配慮したとされる。今年はプレゼーピオや十字架を飾らなかったり、賛美歌を歌わない学校も話題になった。伊政界で右派は「非常識だ」と目くじらを立てた。

 カトリックの総本山、バチカン(ローマ法王庁)のひざ元にあるイタリアでさえも、世俗化と多文化主義が年々じわじわと進んでいる。

 ひるがえってわが日本では?。在日朝鮮人の子供をいじめたり、学校に脅迫状を送りつけたり。また6カ国協議では相手にされず、国内の組織にガサを入れたり重箱のスミをほじくるような「経済制裁」をしたり。さらには、矮小化した「愛国心」を押しつけたり。日本人は、いつからこんなに「ケツの穴」がちいさくなったのだろう(怒)。

 「いえ、そんなことはありません。省エネルギーはものかは、クリスマスに備えて家の屋根までとどくイルミネーションの競争、正月はポチまで<おせち>で祝い、神社に初詣。世俗化と他文化主義に徹しています」。

 あ~あ、「美しい国日本!」。来年は、どうか世界からおいてけぼりになりませんように(願掛け)。

2006年12月27日

沖縄がんばれ

 沖縄県知事選で与党推薦の仲井真氏が当選したことにより、落胆したブローガーがずいぶん多かった。しかし、知事は地元の意向を反映しながら健闘しているようだ。25日に開かれた政府と地元自治体が話し合う協議会では、久間防衛庁長官、麻生外相、塩崎官房長官らが出席、仲井真知事の初陣となったが政府側にとっては決して甘くなかった。

 新聞によって多少表現の差はあるが、政府が沖縄の意向を聞かず、頭越しでアメリカと基地移転問題に合意したことにあらためて抗議、「今後は丁重に対応させていだだく」とまず一本をとった。その上、公約にかかげた、普天間基地の危険性除去や3年以内に閉鎖状態にすることを説明、「研究する」という言質を得た。

 一方で、名護市のキャンプ・シュワブ沿岸への滑走路移設には、はっきり反対を表明し、さらに海兵隊のグアム移転は前倒しでやるぐらいの取組みを要請した。また、移設の進展にともなった地元振興策などについても並行的に話し合っていくという態度で、沿岸案に一刻も早く手をつけたい政府のペースにはついに乗らなかったようだ。

 安倍内閣も年末を目前に、またもや、佐田行革相の政治資金不正経理で辞任か、という大揺れ状態だ。しかし、野党はとてもとどめを刺せる状態ではない。沖縄の選挙が終われば、波が引くように無関心では困る。沖縄県民の悲願が達成できるよう大いに応援しようではないか。

2006年12月28日

不安の種

 阿倍内閣に短命の相が出てきた。どうやら小泉後継工作の失敗といえそうだ。これを盛り返すには相当のエネルギーが必要だが、どこにそれを求めるか。来年の内政には「不安」がいっぱいだ。それに劣らず直近の外電は、立て続けに不気味な「不安の種」を伝えている。

 (その1)イラクの元大統領が国内法廷で死刑の判決を受けた。通常は判決後30日以内に刑が執行されるのだそうだ。東京裁判は「勝者による裁判」として日本の右翼に評判が悪いが、法廷は国際的な秩序に従って進行した。

 フセインはイラクの法に基づき、イラク人が裁いた。だけど、実質的にはアメリカ軍の占領状態が続いており内戦状態にある。歴史がこれを「公正・公平な裁判だった」と評価する可能性は限りなくすくない。せっかく「独裁者」として断罪されたのに、彼は悲劇の主人公で殉教者に祭り上げられる可能性が75%はある。

 シーア派、スンニ派、クルド人に分裂した果てしない国内抗争の火種を残すことになった。ヨーロッパをはじめ、アメリカの世界史的犯罪から距離を置こうとする潮流は速度を増している。日本は早くそれに気付かなければならない。

 (その二)アフリカの角と称されるこの地域で最も不安定な国、ソマリアにまた火がついている。1993年にアメリカを中心とする国連軍が内戦に介入したが成功せず、2年後に撤退した経緯がある。以後事実上無政府状態のままだ。

 現在、首都モガディシオは、イスラム原理主義組織「イスラム法廷連合」が制圧しているが、隣国エチオピアは、自国の安全確保を理由に軍隊が国境を越え、首都制圧に向かっいる。しかし民衆の支持を頼みとする法廷連合側の抵抗で早期決着は困難だ。

 ソマリアはかねてよりテロリストの隠れ家といわれ、アルカイダとの関連が取り沙汰されている。もちろんアメリカはエチオピアの肩を持ちたい気分だ。イラクの失敗をこっちで取り戻そうと考えたりすると、傷口は果てしなく大きくなるだろう。

 (その三)中国と日本で歴史の共同研究が進められることになった。これに対して台湾の学者が神経をとがらしているという。つまり、日本が日清戦争の結果、中国固有の領土・台湾を占拠した、という結論を簡単に認めたくないということだ。

 すなわち、清朝以前は台湾を直轄領有しているという意識が薄く、中国から切り離された存在だったとことを証明し、台湾独立に合理的根拠を求めようというものだ。たしかに、日清戦争前に琉球の漁民が台湾に漂着し、現地民に殺害されたことを日本政府が清国に抗議した際、清は「化外の民のやったことで、清の国権の及ぶ所でない」といった責任回避をしたことがあった。

 歴史的事実はひとつひとつ確認しあえばいい。しかし、日清講和条約、日本の統治、敗戦に基づく領有放棄と中国への移管という動かし得ない史実もあるのだ。「日本の開戦は自衛だった」とするのと同じで、だからその後の歴史を変えるというわけにはいかない。中国に度量があれば、日中、台で共同研究するのが平和構築への近道になるのだが。

2006年12月29日

世の中は

 ☆世の中は、すむとにごるで大違い。はけに毛があり、はげに毛がなし

 ☆世の中は、すむとにごるで大違い。福にとくあり、ふぐに毒あり

 ☆世の中は、すむとにごるで大違い。人は茶をのみ、蛇(じゃ)は人を呑む

 ☆世の中は、すむとにごるで大違い。総理に箔なし、草履に履くあり

 ☆世の中は、すむとにごるで大違い。おごる自民に、怒る市民

 ☆世の中は、すむとにごるで大違い。公害起こせど、公開はせず

:
2006年12月31日

フセインの死刑

 判決後間髪をいれずに、フセイン元イラク大統領が処刑された。フランスをはじめアメリカの盟友イギリスまでも死刑執行反対の声が強かった。そして、イラクの現大統領(クルド族出身)が刑執行の署名を拒むなか、首相の指揮で絞首刑が決行された。

 いつもは慎重なマスコミが、裁判の公正さや手続きへの疑問、アメリカの意向や関与、内乱状態の激化などについて、忌憚のない報道を続けている。ここでは触れないが、アメリカのかつての行動に関して、フセインの口を封じておきたいことがまだ沢山残っているはずだ。そのため、これ以上アメリカが不名誉をさらしたくない、という気持ちになるのはわかる。

 かといって、この処置は恥の上塗り以上のなにものでもない。ブッシュの意向があったとすれば、もはや正常な判断力さえ失われているのではないかとさえ思う。フセインは最後の言葉に「アッラーの名」が入っていたが、彼と宗教はもともと無縁だ。むしろ遠ざけるべき存在だったのだ。

 そのかわり必要だったのは、異なる宗派、異なる部族を統一するための独裁的強権だった。数多くの失政や判断ミスが重なり、遂に自ら破滅への道をたどったことは自業自得というほかない。民主主義の本家を任じるアメリカの差配で、フセインを英雄や殉教者にしてしまったら、こんな皮肉なことはないだろう。以下に、アメリカ国内世論の変容ぶりをNikkansports.Comから引用する。

      「06年を代表する悪役」にブッシュ米大統領(60)が選ばれた。AP通信などが29日までに行った調査で、ブッシュ大統領は、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の3倍以上、フセイン元イラク大統領の4倍以上となる25%の“支持”を集め、断トツの悪役となった。泥沼化するイラク情勢を立て直せない大統領に対する米国民の憤りが、浮き彫りになった。

    AP通信とアメリカオンライン(AOL)が調査した「06年を代表する悪役」ランキングで、米国民は国のトップを最悪のヒールに選んだ。「今年1番の悪者として最初に頭に思い浮かぶのは誰か」という質問に、ブッシュ大統領の名前を挙げたのは25%。1004人の投票者の4人に1人が答えた。

    2位は、「テロとの戦い」を掲げるブッシュ大統領が追い続けるビンラディン容疑者だが、大統領の3分の1以下の8%で、大統領の「悪役度」には遠く及ばなかった。

    3位、4位、5位は、イラクのフセイン元大統領、イランのアハマディネジャド大統領、北朝鮮の金正日総書記。ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と呼んだ3カ国の指導者だが、ブッシュ大統領への批判票は悪の枢軸3人を足した数字(13%)を大きく上回った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »