« 日韓近代史考 | トップページ | 外堀を埋める »

2006年11月 9日 (木)

馬鹿も休み休みに

[反戦老年委員会復刻版]

 教育基本法の論議が続いている。わが委員会ではあまり取り上げてこなかったが、TBいただいたブログにコメントしているうちに、新聞だったかTVだったか、いつ、だれがもあいまいだが「今の教育基本法が制定された頃には、教育勅語がまだ生きており不十分な点をカバーしていた」という主張を思い出した。

 安倍首相もそうだが、「新憲法はGHQのスタッフによって、10日そこそこという短期間で書き上げられたもの」という、受け売りの短絡思考しかない危険きわまりない論法だ。部分的に正しいとしても、その前後にどれだけ多くの日本人がこれにたずさわり、抵抗し、また国会で議論して受け入れたか、その後はどうだったか、の経緯や先輩国民の努力に対する視点が欠けている。

 そこらが「岸血脈」のワンパターン、ワンウエイ史観の貧困さであり、危険視される所以である。児島襄の『史録日本国憲法』は、いかに押しつけられたかという立場からのドキュメンタリーだが、あの憲法文体が完成するまでどういった経緯があったかなど、一度玩味熟読して欲しい。

 さて、最初の話しにもどる。この題の付け方も乱暴だが、言っている議論の内容はもっと乱暴だ。1947年(昭和22)3月、教育基本法・学校教育法の公布により6・3制や男女共学が採用される。教育勅語が国会決議により撤廃されるのは、たしかに翌年6月である。

 もともと法律でも法令でもない同勅語を、国会手続きで失効させたのは、憲法との矛盾を放置できないという趣旨で、すでに同勅語が死んでいることも議会で認めている。それもGHQの指示だといえばそうであろう。

 しかし、学校では勅語が安置されている奉安殿に礼拝する義務は、終戦により自然消滅したし、勿論儀式で校長が読み上げることもなくなった。それはそうだろう、一旦緩急あれば兵役に応じるような内容のものを持ち出せるわけがない。指示指導より良識が優先する。

 その前に、国家主義、軍国主義はもとより封建色のある教科書記述は一切黒塗りして戦後教育が始まった。「教育勅語と教育基本法が相補って」など、馬鹿も休み休みいってほしい。教育基本法は基本的に教育勅語の否定から始まっているのだ。

占領下、GHQの抑圧のもと涙ながらも堪え忍んだのだろうか。とんでもない。何十年にもわたる戦争の抑圧と死の恐怖から解放され、未来に限りない明るさを感じながら飢えを忍んだのだ。

 ♪古い上着よさようなら さみしい夢よさようなら ----青い山脈
 ♪心うきうきわくわく 世界の歌 楽しい歌 ----東京ブギウギー

|

« 日韓近代史考 | トップページ | 外堀を埋める »

戦中・戦後」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/51160693

この記事へのトラックバック一覧です: 馬鹿も休み休みに:

« 日韓近代史考 | トップページ | 外堀を埋める »