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2006年10月20日 (金)

共謀罪と高見順

[反戦老年委員会復刻版]

高見順『敗戦日記』文芸春秋新社、昭和20年10月20日より一部抜粋。

 十月二十日 古末君を駅に残して、私と橋爪とは内野の家へ行つた。私は、歩きながらこんなことを思つた。これが終戦前だつたら、内野の出獄歓迎会に、こう躊躇なしの明るい気持ちでとても出られはしなかつたろう。内野に会いたいことは会いたいが、出獄歓迎会というような「集合」にうつかり顔を出して、どんなとばつちりをうけるかもしれないと尻込みをしただろう。

 それほど「卑怯」な私でもあるのだが、それほど用心深く身を処さないとどんな目に会うかわからない時代でもあつたのだ。個人的友情というようなことは認められなかつた。それに早速言いがかりをつけられた。シンパ事件のほとんどはそれだつた。

 第一、出獄歓迎会というようなものを、特高の監視なしには到底やれなかつた。そして再建協議というような罪名をつくられてたちまち送局。(変つたものだ) まだその変り方に慣れないので、不思議な感じさえするのだつた。

 折しも、24日に衆議院法務委員会で「共謀法」強行採決か、という情報がブログに飛び交っている。高見順がちょうど61年前の今日、人間としてあたりまえの権利を手にした喜びととまどい。これを強引に暗黒の時代に引き戻そうとする勢力が、今存在する。

 見識ある代議士諸君。これは体を張ってでも阻止すべき案件であることを肝に銘じて欲しい。

2006年10月21日:

海ゆかば♪

 勝っているうちは、ラジオで大本営発表の前に「軍艦行進曲」のメロディーが流れ、負けが込んでくると「海ゆかば」に続いて「○○島玉砕」「○○司令官、名誉の戦死」などとなった。第2の国歌といわれた「海ゆかば」とは、

 海行かば 水漬(みず)く屍 山行かば 草生(む)す屍 大君の 辺(へ)にこそ死なめ 顧みは せじ

という歌詞で、なんとわずかこれだけの中で、死体と死ということばが3回もでてくる。オカルト宗教並みの異常さである。一体こんな詞を誰が作ったのだろうか。答え、大伴家持。心のふるさと万葉集で日本人の皇室に対する素直の気持ちを表したもの。

 エエッ「美しい日本」?。ほんまかいなと思う人は、あらためて万葉集の">原文を見て欲しい(80巻、4094)。題は、陸奥の国で金が発見されたという詔勅を祝う歌である。上の4行は、万葉集で3番目に長いといわれる長歌のほんの一部である。

 その要旨は当然のことながら、歴代天皇の人徳によって得られた恵みであるとヨイショし、ついでに大伴家は神世から天皇家と行動をともにして、代々献身的に忠勤をつくした家柄だよ、というPRが上の部分である。

 したがって、これは家持自身の気持ちを歌ったものではない。当時家持は、僻地(彼の歌によれば)の越中(富山)転勤でくさりきっていた。都では藤原とか橘など新興貴族が権力をにぎり、なんで由緒ある俺がドサまわりなのだ、という宮仕えの気持ちはわかる。

 そのせいか、まもなく階位がひとつあがり、やがて都に帰ってそれなりの地位につくこともできた。そんなこととはつゆ知らず、歌を感激の涙で聞いた(私を含め)戦中の国民がいたましい。

 ついでに、ヒットメロディーで、めったやたら「死」を謳歌した軍歌・戦時歌謡の歌詞を付録とする。

【露営の歌】

1番→手柄たてずに死なれよか

2番→明日の命を誰が知る

3番→死んで還れと励まされ

4番→朱に染まってにっこりと笑って死んだ戦友が

5番→なんの命が惜しかろう

【同期の桜】

1番→咲いた花なら散るのは覚悟

3番→未だ還らぬ一番機

4番→なぜに死んだか散ったのか

5番→花の都の靖国神社春の梢に咲いて会おう

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