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2006年10月

2006年10月20日 (金)

共謀罪と高見順

[反戦老年委員会復刻版]

高見順『敗戦日記』文芸春秋新社、昭和20年10月20日より一部抜粋。

 十月二十日 古末君を駅に残して、私と橋爪とは内野の家へ行つた。私は、歩きながらこんなことを思つた。これが終戦前だつたら、内野の出獄歓迎会に、こう躊躇なしの明るい気持ちでとても出られはしなかつたろう。内野に会いたいことは会いたいが、出獄歓迎会というような「集合」にうつかり顔を出して、どんなとばつちりをうけるかもしれないと尻込みをしただろう。

 それほど「卑怯」な私でもあるのだが、それほど用心深く身を処さないとどんな目に会うかわからない時代でもあつたのだ。個人的友情というようなことは認められなかつた。それに早速言いがかりをつけられた。シンパ事件のほとんどはそれだつた。

 第一、出獄歓迎会というようなものを、特高の監視なしには到底やれなかつた。そして再建協議というような罪名をつくられてたちまち送局。(変つたものだ) まだその変り方に慣れないので、不思議な感じさえするのだつた。

 折しも、24日に衆議院法務委員会で「共謀法」強行採決か、という情報がブログに飛び交っている。高見順がちょうど61年前の今日、人間としてあたりまえの権利を手にした喜びととまどい。これを強引に暗黒の時代に引き戻そうとする勢力が、今存在する。

 見識ある代議士諸君。これは体を張ってでも阻止すべき案件であることを肝に銘じて欲しい。

2006年10月21日:

海ゆかば♪

 勝っているうちは、ラジオで大本営発表の前に「軍艦行進曲」のメロディーが流れ、負けが込んでくると「海ゆかば」に続いて「○○島玉砕」「○○司令官、名誉の戦死」などとなった。第2の国歌といわれた「海ゆかば」とは、

 海行かば 水漬(みず)く屍 山行かば 草生(む)す屍 大君の 辺(へ)にこそ死なめ 顧みは せじ

という歌詞で、なんとわずかこれだけの中で、死体と死ということばが3回もでてくる。オカルト宗教並みの異常さである。一体こんな詞を誰が作ったのだろうか。答え、大伴家持。心のふるさと万葉集で日本人の皇室に対する素直の気持ちを表したもの。

 エエッ「美しい日本」?。ほんまかいなと思う人は、あらためて万葉集の">原文を見て欲しい(80巻、4094)。題は、陸奥の国で金が発見されたという詔勅を祝う歌である。上の4行は、万葉集で3番目に長いといわれる長歌のほんの一部である。

 その要旨は当然のことながら、歴代天皇の人徳によって得られた恵みであるとヨイショし、ついでに大伴家は神世から天皇家と行動をともにして、代々献身的に忠勤をつくした家柄だよ、というPRが上の部分である。

 したがって、これは家持自身の気持ちを歌ったものではない。当時家持は、僻地(彼の歌によれば)の越中(富山)転勤でくさりきっていた。都では藤原とか橘など新興貴族が権力をにぎり、なんで由緒ある俺がドサまわりなのだ、という宮仕えの気持ちはわかる。

 そのせいか、まもなく階位がひとつあがり、やがて都に帰ってそれなりの地位につくこともできた。そんなこととはつゆ知らず、歌を感激の涙で聞いた(私を含め)戦中の国民がいたましい。

 ついでに、ヒットメロディーで、めったやたら「死」を謳歌した軍歌・戦時歌謡の歌詞を付録とする。

【露営の歌】

1番→手柄たてずに死なれよか

2番→明日の命を誰が知る

3番→死んで還れと励まされ

4番→朱に染まってにっこりと笑って死んだ戦友が

5番→なんの命が惜しかろう

【同期の桜】

1番→咲いた花なら散るのは覚悟

3番→未だ還らぬ一番機

4番→なぜに死んだか散ったのか

5番→花の都の靖国神社春の梢に咲いて会おう

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2006年10月19日 (木)

核アレルギー

[反戦老年委員会復刻版]

 わが委員会は、核兵器やミサイル技術について、研究・検討すべき事柄である、ということを10日の「極論でしょうか」の中で提唱した。これは中川政調会長、麻生外相発言より前のことである。両氏の発言について、野党はもとより与党の中からも批判があがっているという。両氏は非核三原則を否定しているわけでなく、議論すること自体問題はない、としている。

 わが委員会の提唱に表立った批判は寄せられていないが、コメントから「賛成しかねる」といった空気も感じられる。日頃タカ派発言の多い両氏の政治姿勢とは、対極に位置するわが委員会がどうして同じ結論に至ったのか、その説明をしておく必要がある。

 毎年の広島、長崎の原爆記念日には市長の宣言が読み上げられる。その一言一句をかみしめ、誓いを新たにする気持ちになる。今年も小泉首相が参列していたが、果たしてどこまで核兵器廃絶に力を注ごうとしているのか疑問を感じる。

 非人道的大量殺戮兵器、核。核といえば、原発であろうが何であろうが目にするのも耳にするのもけがらわしい。触れてはならない魔の存在である。――そんな感情がなかったわけではない。いわゆる「核アレルギー」である。

 しかし流れは変わった。「北朝鮮がミサイルと核爆発の実験をした。ミサイルが東京の中心に到達し核爆弾を破裂させると何十万人の犠牲者がでる。そうさせないためには、アメリカの核の傘で守ってもらうしかない。そのアメリカとの同盟関係を強固にするには、集団的自衛権行使のじゃまになる憲法9条を改正しなければならない」。この俗論をどう止めるか。

 北が日本に向けてミサイルを発射することはあるのか、その配置状況は、核弾頭を積むことは可能か、そして爆発の規模は、誘導システムと確度は、迎撃体制・報復体制はなどなど、核戦略、核兵器使用戦術および兵器自体の知識があって、はじめて前述の主張に反論することができる。

 核アレルギーの反戦論はもはや捨て去るべきである。日本は時代遅れの「核の傘論」から脱却(アメリカには政治的効果がある)し、核軍縮・核廃絶を真剣にアメリカに進言しなければならない立場にある。核に対する研究も議論も知識もなくて、どうしてそれができようか。

 なお、核兵器を持つ、ミサイルを持つというのは、9条を厳守し、米軍基地をなくしない限り無理である。したがって現政権では実現不可能、ということになる。

2006年10月22日

秋風寒く

 前回、「海ゆかば」の歌詞は、大伴家持が猟官運動のため先祖の功績をPRする部分で使った説明だったと書いた。それだけだと誤解されるおそれがあるので、彼の若い(22歳)頃の死生観、愛人の死に直面した時の歌を、念のため紹介しておこう。

  今よりは 秋風寒く 吹きなむを
  いかにかひとり 長き夜を寝む

  うつせみの 世は常なしと
  知るものを 秋風寒み 偲びつる

  妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ
  我が泣く涙 いまだ干なくに

  佐保山に たなびく霞 見るごとに
  妹を想ひ出で 泣かぬ日はなし

 こういった歌がなんと12も連続する。「海ゆかば」の「顧みはせじ」とは大分距離がある「人間、家持」の姿である。(読み下し文は『萬葉集一』完訳日本の古典2、小学館、による

2006年10月25日

衆院補選総括

仮想定例委員会 出席:硬、乙、平、停

・平 わが委員会では、こんどの補選(神奈川16区、大阪9区)に触れるのはじめてだね。

・停 前の千葉の時は、地元でそれなりの情報がつかめたがけど、今度は選挙区がどこにあるのかもわかんなかったわ。

・硬 各ブログやマスコミでもう解析済みだから、ことさらいうことはないが、投票率が低ければ自民党の勝ち、というのは最初からわかっていた。だから当日のニュースで「何時現在前回より低い何%」というのを聞いて、こりゃあ自民2勝で決まり、と思ったよ。

・平 投票率の低さで公明党と共産党の価値が増す。中でも今回は公明党でしょう。かつては共産党の票に浮動票が相当行っていた。「どの政党でも似たり寄ったり。じゃあ共産党にでもいれるか」なんてね。おれもその口だった。

・停 平さんが今度の選挙区にいたらどうする?。

・平 ウウ~ン。創価学会になって自民党に投票する。どうせバーチャルなんだからいいだろ。そして「9条改正する」なんか云わせないぞ、と自民を脅迫する。

・乙 支持政党なし組は、民主党支持の方が優勢のようだが「投票に行こう」という意思に欠けていた。小泉べったりだった安倍が中国、韓国の首脳と握手、北朝鮮核実験、国連制裁決議に対して、「格差是正」ではインパクトの点で民主党の完敗だ。

・硬 去年の総選挙の時と同じ感じになった。小泉自民の「郵政民営化」「官より民へ」「改革無くして成長なし」にくらべて民主はなんだったけ?。とにかくアピールが下手くそで勝負にならない。

・停 民主党は24日の役員会で反省会をやったそうね。小沢さんに批判は出ずに次の福島、沖縄の知事選をがんばろう、ということになってお開きのようよ。

・平 全然深刻じゃあないねえ。同じ日に外交防衛部門会議というのもあって、前原前代表らが北朝鮮の船舶検査などに小沢さんが「周辺事態法適用とか特別措置法検討はしない」といっていることに異論続出したという報道がある。

・乙 そこなんだよ。小沢さんの言動からすると憲法9条は変えない、という主張になるが前原さんらの10数人は自民党右派なみかそれ以上の再軍備論者のようだ。小沢さんの主張を通すならあえて馬謖を斬る覚悟が必要になる。そうすれば選挙の対立点もはっきりしてくるしインパクトも十分だ。

・硬 党分裂か。そんなことできるかなあ。小沢さんに。

・停 小沢さんってもともとは、それ専門だった人よねえ。小泉さんの「自民党をブッこわす」より地味なようだけど。でも、それしかないような気がする。

・乙 「政治は一寸先は闇」という緊張感が自民党にもなくなったねえ。来年にでも政界再編がないようじゃあ国民が一寸先闇になってしまう。小選挙区で国民世論がためされる年、ということになるかどうか。

2006年10月26日

安保は歴史

 わが委員会は、かねがね憲法改正より、安保見直しの方が先だ、という主張を繰り返している。以下は、「安保と同盟」というエントリーにいただいた、非戦さまのコメントの結論部分である。

 最初は安保反対の闘争だったのが、後半は、市民を巻き込んでの岸首相の暴挙に対する怒りと民主主義を守る闘いだったと立花隆も言っていた。それに対して、政府は大弾圧をして死者まで出した。この安保闘争を正しく認識していない安倍首相は、また弾圧を繰り返すのでしょうか。

 「そうだ、アンポは歴史なのだ!」と今気がついた。安倍総理は、幼児の頃「アンポ、反対。アンポ、反対」といって遊んでいるところを、祖父・岸信介首相の手前たしなめられたという話をしている。46歳以前の人は生まれていなかった時代である。

 老年にとってみれば「一経験」に過ぎなくても、これからの日本を築いていく人々にとっては立派な歴史として扱わなければならない。わが委員会では「戦前・戦後」というカテゴリを設け、歴史については、太古・原始までさかのぼって善隣外交の材料を求め、シリーズ化なども試みてきた。

 しかし、非戦さまのいうように、今さし迫った状況は、戦前・戦後で終わる歴史ではなく、その後の変遷を鏡としなければならないことを示している。とはいうものの、わが委員会の能力ではとてもそれらを概観し、論述していくことができない。

 これから勉強、というのでは遅いかもしれない。しかし、なにがしかの手がかりになれば、ということで1960年の年表を掲げておくことにした。(神田文人・小林英夫編『20世紀年表』小学館、より)

1/24 民主社会党結成大会(新安保条約には反対するが旧安保即時廃棄にも反対)。(管理人注:社会党の安保闘争に反対する右派が離脱)

2/23 皇太子妃、男子(浩宮徳仁)を出産

4/28 沖縄県祖国復帰協議会結成。同月、ダッコちゃん人形発売

5/14 安保改訂阻止国民会議、10万人が国会請願デモ。請願署名1350万と社会党発表

5/19 自民党、衆院安保特別委で質疑打ち切り強行。衆院議長、警官500人を導入、社会党議員を排除し本会議閉会。

5/20 未明、新安保を討論なしに自民党単独で可決

5/26 空前の規模の国会デモ(17万人)

5/.28 岸首相、記者会見で「声なき声」を尊重と言明

6/04 安保阻止第1次実力行使(国労など早朝スト、全国で560万人参加)、「誰でも入れる声なき声の会」のプラカードのもと主婦市民等がデモに参加。同月、、たばこ「ハイライト発売」

6/10 米大統領秘書ハガチー来日、羽田でデモ隊に包囲され米軍ヘリで脱出

6/15 安保阻止第2次実力行使、580万人参加。全学連主流派国会に突入し、東大生樺美智子死亡。

6/16 政府、米大統領訪日延期要請を決定

6/19 午前0時、33万人が徹夜で国会を包囲する中、新安保条約自然成立

7/15 岸内閣総辞職

7/19 池田内閣成立

10/12 浅沼社会党委員長、右翼少年に刺殺される。この年、インスタントラーメン、インスタントコーヒー登場 

2006年10月27日

政界のねじれ

 まず、今日の新聞から拾ってみよう。

 下村博文官房副長官が、従軍慰安婦問題への遺憾の念を表明した河野洋平官房長官談話(93年)の見直しを示唆した問題である。これに対して野党各党は「看過できない」として追求していく方針であり、公明党内でも麻生外相らの核保有議論提起などとあわせて、閣内不一致の印象を持たれると憂慮している。そこで講演会での下村発言要旨(毎日新聞)をたしかめて見たい。

 安倍部首相は村山談話と河野談話について見直すような発言をしていたが、首相になってから違うではないかという批判がある。私は一国会議員としての発言と、首相としての発言は、違って当然だと思っている。村山談話も河野談話も修正するとなれば、閣議決定し直さなければならない。

 今それを議論していく時間はない。時期でもない。安倍首相が考えを曲げたとか、ひよったということではなくて、立場における答弁だと思っている。安倍首相は、村山談話も河野談話も100%そのままということではなくて、首相の立場からと答弁している。

 個人的には、特に河野談話はもう少し事実関係をよく研究し、科学的な知識を収集して考えるべきではないかと思っている。

 わが委員会は、下村発言の最後の部分、「個人的には」以下について全面的に同感である。その意味で河野談話は拙速にはしり、歴史をゆがめる作用をしたのではないか、とさえ思っている。ただし、河野談話は非常に巧妙な言い回しになっており、それ自体を撤回したり修正する必要はなかろう。

 問題は前段で、「頭隠さず尻隠す」とはまさにこのことである。これは「時間があれば」「時期がくれば」国会議員・安倍としての考えを実現すべく行動しますよという宣言であり、そうでなければ詭弁であり、欺瞞であり、背信であるというほかない。野党は今後もこの点の追求をゆるめないでほしい。

 核の問題についてもわが委員会は、中川政調会長、麻生外相発言がある前から「核兵器やミサイルなどについて議論し研究しておく必要がある」という主張を展開した。これも、「さきの戦争は正義の戦いであってA級戦犯も靖国に祀られるべきであり、憲法を改正して軍隊を持つべきである」という復古右翼の思想を下地にし、権力をにぎった親・安倍勢力の口から出るところが問題なのである。

 民主党の防衛問題に関する大きなねじれ現象については、すでに指摘した。防衛庁の省昇格問題法案は、今日の本会議で趣旨説明と質疑が行われ、民主党も賛成する方針だと報じられている。これも、民主党内のねじれ現象から生じたものではないのか。

 同党に一貫した防衛政策があって、国民に筋の通ったスッキリした説明ができるのなら、理解する余地もある。仮にも前原代表時代の残照が作用し、防衛族の自尊心におもねるだけであるなら、ねじれ現象は政府与党のそれと選ぶところがないのではないか。

 ねじれのない、正論が正論としてその地位を得、国民にわかりやすい選択肢がとれるようにならないものか。それとも、小選挙区2大政党時代の宿命なのか。政界ねじれ現象の放置は、いずれ民主主義の崩壊につながり戦争への危険を増す。わが委員会からの精一杯の警鐘である。

2006年10月28日

わがままな干渉

 早速出ました。日本の防衛議論に対するアメリカ政府のお節介が。電子版にないので「毎日新聞」から次の記事(10/28)全文を引用します。

 シーファー駐日米大使は27日、東京都内で会見し、日本における核武装論について「冷戦時代にフランスのドゴール(元大統領)が、現在の日本と同じような主張をしたが、彼が間違っていたことは証明されている」と述べ、日本の核武装論をけん制した。

 冷戦下で米国から距離を置いたドゴール元大統領は、ソ連の脅威に対抗する形で60年に原爆実験に成功したが、シーファー大使は「フランスの核兵器はソ連に対抗する効果がほとんどなかった」との認識を示した。

 また、ミサイル防衛に関連し、同大使は日本上空を通過して米国などに向かうミサイルへの対応について「日本が撃ち落とすかどうか答えを出してもらいたい」と指摘。日本側の議論の進展へ期待を示した。

 核については、まるで子供に向けたような的はずれの例をあげて、「間違っている」と議論を封じました。ドゴールさんが墓場で笑ってますよ。ミサイルの方は、「さあどうだ、議論して答えをだせ」と迫っているように見えませんか。核については、日本のタカ派のチャンピオンが言い出したことで、いいわるいは別としてもう議論がはじまっています。

 わが委員会は、核廃絶、9条厳守を主張する上で、かねてから議論や研究は必要不可欠である、といってきました。核とミサイル技術は、そもそも一体のものとして考えられ発展してきたものです。それをミサイルだけ切り離して議論をし答えをだせ、とせかしているわけです。

 もう見え透いていますよねえ。アメリカ大使館のHPや「迎撃ミサイル」などを検索して勉強しましょう。大気圏外を飛ぶミサイルを撃ち落とすという、一番お金がかかる軍事支出の片棒をかつげ、といっているのです。

 カナダはとっくに「いち抜けた」とソデにしました。アメリカの軍需産業を太らすだけ、と思ったんでしょうね。さあ、あなたならどう答えます?。

2006年10月29日

国連事務総長

 次期国連事務総長に任命された韓国の潘基文(パン・キムン)外交通商部(外交部)長官が、10月15日、ニューヨーク市内で日本の記者団と会見した。その際、次のような発言があったとされる。

 【ニューヨーク=長戸雅子】次期国連事務総長に任命された韓国の潘基文外交通商相は15日、ニューヨーク市内で日本の報道機関と会見し、「必要なら訪朝し、(北朝鮮の)指導者との会談を含め、主導的な役割を果たすつもりだ」と述べ、事務総長として北朝鮮の核問題解決に意欲を見せた。アナン事務総長と同様、北朝鮮問題担当特使を任命する意向も示した。

 14日に全会一致で採択された対北朝鮮制裁決議を「歓迎する」とし、北朝鮮当局が決議を全面的に拒否したことについては、「極めて遺憾だ。加盟国には決議を履行する義務がある」と決議を順守するよう北朝鮮に要求した。

 一方、日韓の歴史問題に関しては「日本の政府指導者は謙虚さを持って、真摯(しんし)にこの問題に取り組むべきだと考える」と述べ、「過去の歴史の傷を癒やすために行動しなければならないのは韓国の国民ではない。日本国民・政府だけが靖国神社参拝や教科書問題を含むすべての歴史問題に責任を持って対処することができる」と関係改善に向けた日本側の取り組みは不十分だとの認識を示した。

 日本固有の領土である竹島(韓国名・独島)問題についても「日韓両国、特に日本政府が、この過去の問題を克服していないのは不幸なことだ」と日本の対応に責任があるとの見方を示す一方、安倍晋三首相の韓国訪問をきっかけに「両国政府、国民が未来志向の関係を築いていけるよう望む」と語った。

 問題は、「一方」以下である。朝日、毎日にも簡略化はされているが同様の報道があるので、それに近いことは言ったに違いない。出身国とはいえ、1国の立場だけを強調するようでは総長失格である。まだ韓国の閣僚を辞職していないので、その立場からの発言だったと信じたい。

 如才ない調整能力のある能吏型だといわれているようだが、常任理事国に翻弄されながなも平和追求の理想を求め続けたアナン事務総長言葉をかみしめ、力強く引き継いでいただきたい。

(2003/1/20国連安保理外相会合・川崎哲『核拡散』岩波新書より)

 世界のあちこちで、テロリズム(Terrorism)という「Tワード」を使うことで、政治的敵対者を悪霊として描き、言論と報道の自由を抑圧し、正当な政治的異議申し立てを非合法化するという動きが増えています。同様に、さまざまな形態の不安定や叛乱と戦う国家が、政治的交渉を放棄し、安易に軍事行動へと誘惑されることが増えています。……テロ行為を予防することはもちろん重要でありますが、同時に、国連憲章の目標を追求することもきわめて重要なのです。貧困、不正義、苦痛、戦争との戦いに国連が成功することによって、テロの口実となる状況を終わらせることができるのです。

2006年10月31日

対米ミサイル攻撃

 シーファー駐日アメリカ大使が、ミサイル防衛に関連し「日本上空を通過して米国などに向かうミサイルへの対応について、日本が撃ち落とすかどうか答えを出してもらいたい」と発言したことを、前々回の記事取り上げた。

 そして「あなたならどう答えますか?」という問いかけをしたが、残念ながら(笑)答えをコメントしてくれる人はいなかった。それでマスコミのアンケートのように、あらかじめ回答を用意して誘導するようにしてみた。

 これでどうでしょう?。(複数回答可)

① 憲法の規定があるから撃墜できない。
② 日米同盟があるから撃墜するのは当然だ。
③ 領空侵犯したミサイルは、どこに落ちようと危険だから撃墜する。
④ 大気圏外は領空でないので、ICBM(大陸間弾道弾)などを撃墜できない。

⑤ ICBMなどを発射時、着弾時以外の中間地点(大気圏外)で撃墜する技術はまだ確立されていなので無理。
⑥ ⑤の技術開発のため日米で共同研究をし、完成したらその迎撃ミサイルをアメリカから購入、日本に配備して撃墜する。
⑦ 日本はやらないから、アメリカが在日米軍基地か軍艦使って勝手にやったら。

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2006年10月 3日 (火)

「その後」2件

[反戦老年委員会復刻版]

【イラク】 陸上自衛隊が駐留していたイラク南部サマワで、地元の市に日本から寄贈されたアスファルト工場用機材(1億円相当)が、利用されることなく野ざらしになっているという。外務省の「草の根無償資金協力」によるもので、市が受け取りを拒否しているからだ。

 理由は単純である。当初約束されていたイタリヤなどの製造元と違ってアルメニア製のものが届いたからだという。業者は外務省に説明して了解を得ていたというが、外務省はどうも市側の事前了解を得ていなかったようだ。

 「ただであげるんだから、喜んで受け取るだろう」、仮にも外務省にそんな不遜な考えがあったとすると、イラク側は、機材が砂漠の砂と化しても受け取らないだろう。イラク人は異教徒に見下されるようなことには、絶対妥協しない。

 また、サマワの目抜き通りの交差点中央にあった「日・イ友好の碑」が9月上旬にシーア派指導者・サドル氏の肖像画の掲示場所にとって変わった。同県の宗教指導者は「碑は日本による占領の象徴だった。肖像画設置で市民は占領拒否を表現した」と語ったという。

 もちろん、日本の協力に感謝する住民も多くいるだろう。しかしアメリカに追随しだけの自衛隊派遣は、アメリカ同様無価値な敗退を喫したといっていい。ただこれまで1人も殺さずにすんだことだけが功績で、まだ続く厖大な税金の無駄使いを一刻も早くやめ、本当に喜んでもらえる方に使ってもらいたい。

【北朝鮮】 

(新聞記事引用)
 北朝鮮の警察機関、人民保安省は今年、麻薬取引、製造、輸出に関した場合の処罰を定めた布告を発布した。重大な違反者を「職位、功労、所属に関係なく死刑」に処し、家族追放のほか、違反者が所属する機関や団体の監督者も責任を負う。

 日本では、朝鮮総連に「小指をつめて」送りつけた「愛国者」が逮捕された。世界には通用しない奇習が知られてしまったようだ。北朝鮮の布告もまさに江戸時代そのもので「職位、功労、所属」それに先祖まで加えて「成分」という身分がものをいうらしい。わが江戸時代も身分により留置所の部屋や待遇も違い、家族連座制、強制労働施設などもあった。しかし、制度としてオープンだっただけにまだましだ。

 先軍主義の国では、警察、保安省などといっても権威がない。事実日本だって、昭和8年に軍人が交通巡査の指示を無視して喧嘩になり、上層部まで問題になった事件があった。軍部が法律を超えて動き、国家の統制がきかなくなるきっかけの一つで、ゴーストップ事件という。

 この布告は、外国向けの信用回復策のつもりかも知れないが、世襲制に加えてとんでもない後進性を自認しさらけだしたものだ。もう、共産主義でも社会主義でも人民民主主義共和国でもない。6カ国協議をボイコットし、誰からも相手にされない最悪のシナリオを進みつつあるのだろうか。

(以上10/3付「毎日新聞」参照)

2006年10月4日

安倍首相の背徳

 衆院では、安倍首相の所信表明演説に続き2日、3日と代表質問があった。安倍政権発足にあたり、「政治道徳の頽廃」と題するエントリーをあげたが、発足後直ちに安倍首相の「不道徳」が露呈した。

 答弁に言う。A級戦犯の戦争責任は、さまざまな議論があり、政府として具体的に断定することは適当ではない、と。「所信表明」演説であることを忘れてはいないか。国民は、税金をはらって議事堂を造ってひな段を設けて、首相の「信ずるところ」を聞きたいという趣旨なのに、その期待を平気で裏切っている。

 さらに続く。共産党志位委員長の従軍慰安婦問題に関する質問ついて、「お詫びと反省の気持ち」を表明した93年の河野洋平官房長官談話を「受け継いでいる」と述べた。これも、国会議員・安倍晋三の所信に相反することは明白である。わが委員会も従軍慰安婦問題は、さまざまな史的評価に疑問があり、河野談話は「政治的配慮」として肯定するにしても、国がいつまでも「お詫びと反省」を繰り返す事柄ではない、と考えていた。その程度のことがどうして言えないか。

 中国や朝鮮に対し、過去を反省し謝罪すべきだ、と考えている人が両国にそれを表明するのでなく、内心ま反対に思っている人がそれを装うことは「背徳」そのものである。これこそ右翼のいう、媚中外交・土下座外交になってしまうではないか。

 もちろん小泉流のぶちこわし外交をせよ、と言っているのではない。信念に蓋をしたまま突っ走り、結果的に国民や外国をだますことになるのを恐れるからだ。

2006年10月6日

ヘボン

 昨日のエントリーで、明治「維新」ではなく、「革命」である、と書いた。今日は、幕末の1859年に来日し、明治が終わる10カ月前96歳の生涯を終えるまで日本人と共通の体験をし、日本人を愛し続けたアメリカ人医師ヘボン(ジェームズ・カーティス・ヘプバーン)のことを、望月洋子著『ヘボンの生涯と日本語』をもとに考えてみたい。

 ヘボンは、ヘプバーンの発音を日本人が「ヘボン」と捉えたために定着したものだが、彼の日本語研究の成果、ヘボン式ローマ字を知らない人はないだろう。彼が苦心惨憺して編纂した和英・英和辞典の再版の序にこう書いている。(太字は管理人)

 最近の政府の革命、政治的社会的大変化と、西洋の科学・文学・制度の導入が原因で、日本語は学問の各分野に重要な語を増やし続けている。これらが安定し通用するに従って、著者は取り入れることにした。

 これは明治5年のことだが、この頃日本人の書いた文章にも「革命」と記されてあるのを目にすることができる。つまり皇国史観が強まる前の明治前半頃まで「革命」が抵抗なく使われていたのではないかと思う。

 日本人が作った新語として「種痘・消化・心理・伝導」などがあり、「社会・哲学・主席」などは漢字の国・中国へ逆輸出した。その点「革命」は古くから日本人に認識されていた概念であった。

 倒幕ののろしをあげた志士達は「回天」という言葉も使った。一般庶民は「ご一新」と言いならわしている。いずれも「維新」や「王制復古」より「革命」に近い感触だと思うのだがどうだろう。

2006年10月8日

小春月

映像省略

 長い間見えなかった青空、太平洋岸をかすめた台風が去ってようやく秋の日差しを楽しめるようになりました。

 外に出て早速目にした光景です。

(上)私立女子中学時計台

(下)秋祭りの準備

 開闢以来とも言えたいような嵐が過ぎ去った。素晴らしい快晴の朝である。朝花火が2?3発打ち上がった。町の運動会なのかも知れない。
西の空に白い月があった。(写真電線の下、白い月)

2006年10月9日

冷戦復活

 ロシアで、女性記者アンナ・ポリトコフスカヤさん(48)が何ものかにピストルで射殺されたことを各紙が報じている。各紙とも国際記事の中で大きな扱いにはなっていないが、犯人の正体が明らかになる可能性は相当低い。

 ポリトコフスカヤさんは、リベラル派の新聞「ノーバヤ・ガゼータ」の評論員である。ロシア当局によるチェチェン住民弾圧を告発したり、モスクワ劇場占拠事件や武装勢力による学校占拠事件の仲介役を果たすなど人権問題に勇気ある行動をとってきた。

 犯行に政府や諜報機関がかかわっているとは即断できないが、ゴルバチョフ書記長が宣言したグラスノスチ(公開制)が、最近は停滞から後退に向かっているように見えることは、世界平和にとってマイナス材料と言わねばならない。「毎日新聞」では次のような指摘があることを報じている。

  国際非政府組織「ジャーナリスト擁護委員会」(本部ニューヨーク)によると、92年以降、ロシアでは42人の記者が殺害された。04年7月のポール・クレブニコフ経済誌「フォーブス」ロシア版編集長殺害など、未解決事件も多い。同委員会のジョエル・サイモン代表は「ロシアは世界で最も多く記者が殺害される国の一つだ。当局はポリトコフスカヤ氏を殺害した人物を法律で裁き、汚名を返上する時に来ている」と語った。

 しかし、諜報機関がかかわっているとすると問題はそんなに簡単に解決するとは限らない。プーチンの出身母体であるKGBが力を持つと言うことは冷戦時代への逆戻りを意味する。共同通信は9日、続けて バルト三国のリトアニア政府が8日、首都ビリニュスに駐在するロシア外交官に対し、スパイ活動などの疑いがあるとして国外退去を命じた。

 バルトといえば強腕力士でおなじみになったが、ロシア西端の海に面した小国である。また先月末の27日、リトニア同様、旧ソ連から独立した南方のグルジア(こちらは相撲の「黒海」の出身国)政府がロシアの情報担当将校4人をスパイ容疑で逮捕した。この方は一触触発の危機にある。

 一昨年のウクライナ大統領選挙は旧聞に属するが、ロシアとNATO、米英などの間にはげしいせめぎ合いがあった。この際も候補に毒を盛ったとか陰謀や選挙工作があったなど、日本でも種々報道された。上のケースも同様とは言い切れないが、かつての東西対立復活を思わせるものがある。

2006年10月10日

極論でしょうか

仮想臨時委員会 出席:硬、乙、平、停

・平 北朝鮮の核爆発実験が騒ぎになっているので、休眠中の委員会を再開します。特に結論を得ることもないので、自由討論でいきましょう。

・停 これ、どう評価するのかしら。素人の感覚でいうと、ミサイルの時はだまってやったのに今度は「安全な実験」などといってわざわざ予告したでしょ。絶対失敗しない自信があったからよね。だけど小規模すぎて「失敗だった」とか「NTT火薬で核爆発を偽装」なんて声があるぐらいでしょ。わたし最初からそう思ったの。

・平 今後実験を繰り返す、という予測があるがまたNTT火薬というわけにはいかないよね(笑)。ミサイルに積んで空中実験などできないだろうし、あとどうするんだろ。切り札はこれで使い果たした感じだよね。

・硬 国内には明日にも核ミサイルが飛んできそうなことをいう人がすくなくない。兵器として使えるまでにはまだまだかかるはずだが、北朝鮮に完成させる能力がないとはいえない。そこで、世論は国連決議をして制裁強化の一色だ。

・停 そうならないためには6カ国協議に無条件復帰を、だけでしょ。怒っている方も切り札がないのよね。

・乙 それなら、日本も核兵器を持って中距離ミサイルに積むんだな。1年もあれば十分だ。北の何倍もいいのが沢山用意できるよ。

・停 エエーッ。乙さんご乱心!。憲法無視?。まさかあ。

・乙 いや、持つだけなら憲法違反にならないということを、昔、政府が国会答弁したことがある。今のように解釈改憲がまかり通る時代でなく、厳密に9条を守り通せるなら持っただけで違反とはいえないかも知れないね。脅威に対抗するには、アメリカの抑止力におすがりするよりない、というよりよっぽどスッキリしているよ。

・平 じゃあ、持っても使えない原爆だ。

・乙 核保有国だって持ってても使えないのは同じ。特に小さい国は1度使ったらその国はそれでオシマイになる。大国同士なら世界がオシマイだからな。

・硬 だから核兵器はブラフ(脅し)の材料にしか使えない。それも全部の国がみんな持ったらそれも利かなくなるね。

・平 北だって某大国だって常識的に行動するとは限らない。やはりあの国には下手に攻め込めない、というのは必要だと思うな。だけどまちがってボタンを押した、というのだけは防げない。

・乙 だから、核兵器であろうがミサイルであろうが日本も遠慮せずに研究すればいいと思うんだ。目的は核廃絶と軍縮の主導権を握るため。兵器の知識がなければ意見もいえないし説得力もないだろ。

・停 そうなると日米安保は作り直さないと。

・乙 わが委員会の持論だが、日本の安全をどう確保するか、アメリカは日本に何を望むのか、日本はアメリカにどうあってほしいのか、安保締結時と世界情勢は大きく変わっているのだから、そこから考え直さなければなせない。憲法を先に変えて、というのはとんでもないおちぶれ外交だ。

・一同 拍手(あまり世間に通用しないけどね=陰の声)

2006年10月13日

原油価格続落

 以下は、今年4月21日の当ブログの記事です。

 今朝のニュースで、アナウンサーが「高騰を続ける原油価格が、WTIで遂に73.5ドルの新高値をつけました」といっていました。ガソリンは税金の部分が多いので、値上がり率で見るとそれほどにも感じませんが、灯油は去年より5割も高くなって、お困りの家庭が多かったと思います。 “石油はさがります”―― 何日か前に、石油連盟の渡文明会長が「高値が続くとしてもこれ以上の暴騰はない」といったコメントを出していました。これは気休めではありません。株と同じで、暴騰したものは必ずある程度戻すのが当然です。

 そしてさらに「原油枯渇の日」と題して次のような記事も書きました。

 あと何年、原油を掘り続けられるのか、原油が高騰している現在気になることです。毎年当然減っていくものと思ったら、ナナナナナント(←「きっこのブログ」の悪影響)年ごとにぐんぐんふえているのです。(下の可採年数がそれ=石油連盟資料ほか)

暦年 原油確認埋蔵量   可採年数
1930 25,865(百万バレル) 18.3(統計とりはじめ)
1973 627,856        31.2(第1次石油危機)
2005  1,292,550       49 (去年)

 ところが原油相場は上がり続け、7月には最高値78.40ドルに達しました。マスコミの解説や当ブログへのTBも「もう値下がりはない」の一色です、さあ私も困りました。これでは前言を取り消して降参かな、と正直に思いました。

 その頃の理由付けはこうです。「イラクの治安悪化」「イランの緊張」「パレスチナ紛争」その他の中東情勢、中国・インドの需要増加、設備投資の遅れ、それに産油量ピーク説などです。それらが急転直下好転したわけではないのに、最近次のような報道がありました。

 11日のニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物相場は続落し、米国産標準油種(WTI)の11月渡しは1バレル57.59ドルと今年最安値で取引を終えた。

 3カ月で20ドル以上さがった理由は書いてありません。前にも指摘したように、需給ではなく先物によるマネーゲームに引きずり回されたからです。しかし、原油が有限の資源であることは違いありません。資源の浪費をさけ、代替燃料を開発するなど不断の努力を怠ると再び金融資本の餌食になるおそれがあります。

 ともあれ、前言撤回をしなくてよかった!。(^-^)

2006年10月14日

虐殺否定は処罰

 「南京虐殺はまぼろし」などと公言すると逮捕され、厳罰に処せられる?。いや、これはフランスでのアルメニアに関する話。

 【パリ共同】フランス国民議会(下院)は12日、オスマン・トルコ帝国によるアルメニア人虐殺を演説や出版物の中で否定すれば、罰則を科すとの法案を賛成多数で可決、上院に送った。(中略)虐殺を否定した市民に1年の禁固刑または4万5000ユーロ(約675万円)の罰金を科す内容。(10/13「毎日新聞」夕)

 アルメニア人虐殺――日本ではあまりなじみのない話だが、第一次世界大戦当時までさかのぼる。これがトルコのEU加盟問題などにも関連して、欧米では大きな問題のようだ。フランスにはアルメニア系市民が50万人いるという。その他欧米各国にも難民の子孫がいて、活発なロビー活動を展開しているらしい。

 そこには、イスラム教とキリスト教の対立感情がかくされているのかどうか。現地でのくわしい雰囲気はわからないが、アルメニア共和国に相対するトルコはもとより、隣のアゼルバイジャン(旧ソ連)、イランそして国内のクルド人との関係は。祖国を追われた境遇はユダヤ人に似ているのだが、パレスチナ問題の帰趨に影響があるのかどうか。

 いずれにしても歴史認識問題は、そう簡単に封印したり棚上げにして済ますことができない証左だ。フランスとトルコでは歴史認識に明らかな差があり、それをどう埋めていくのか。日本にとって遠い国の話とばかりはいえない。これからも注目し勉強していく必要がありそうだ。

参考にしたURL:
http://ww1.m78.com/topix-2/armenian%20genocide.html
http://ww1.m78.com/topix-2/armenian%20genocide.htm

2006年10月15日

アンポと同盟

 「アメリカゆきの回数券が必要」といった小池百合子国家安全担当大臣が、TV番組で肩をそびやかしながら得意満面の表情で「日米同盟は……」とのたまわっていました。かつて「日米同盟」という用語は保守政権を攻撃する反安保の左翼陣営がもっぱら使い、政権をになう保守陣営は「決して軍事同盟ではない。経済条項も含む安全保障の条約だ」といって「同盟」ということを嫌がっていたものです。

 それが、ためらいもなく「日米同盟」といいはじるようになったのはいつからでしょうか。湾岸戦争以後だと思いますが小泉政権になってから、いっそう頻発するようになって、今や疑問を抱く人もいなくなったようです。ここで1951年(昭和26)の旧安保と1960年の新安保の頭の部分を読み返してみましょう。(下線は留意点=管理人。そんなの知ってるよ、という人は飛ばして最後をお読みください)

旧安保
【題名】日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
【前文】日本国は、本日連合国との平和条約に著名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。

 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。

 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。

 これらの権利の行使として、日本国はその防衛のための暫定措置として日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、「若干の自国軍」隊を日本国内及びその付近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従って平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため「漸増的に自ら責任を負うことを」期待する。

 よって、両国は、次のとおり協定した。

【第一条】平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒じようを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。(第二条以下略)

新安保
【題名】日本国とアメリカ合衆国との間の「相互協力」及び安全保障条約

【前文】日本国及びアメリカ合衆国は、 両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、
並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し
国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
両国が国際連合憲章に定める個別的及び集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、
よって、つぎのとおり協定する。

【第一条】締結国は、国際連合憲章に定めるところら従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。

 締結国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように<u>国際連合を強化することに努力する。

(第二条、第三条略)
【第四条】締結国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締結国の要請により協議する。

【第五条】各締結国は、日本の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。(以下略)

 読後感はどうですか?。「北朝鮮に経済制裁や船舶の臨検をしてもアメリカがついているから安心」、とか「イラク侵攻に疑問があっても、アメリカは同盟国だから自衛隊が協力するのは当然」といった戦争前提の二国間条約ではないでしょう。新安保もくどいほど国連憲章の精神や国連中心主義をうたっています。

 アメリカ軍は、敗戦後60年も駐留し続けています。独立国では通常考えられないことで、旧安保は一方的といわれながらも「暫定措置」とか「若干の軍」ということわりを入れています。また「守ってもらうなら駐留する権利(基地)も許し与えましょう」ということで、もともとアメリカは、日本を守ることだけに基地を使うわけではありません。

 しかしこれは日本だけではありません。「世界の警察官」を自認するアメリカは各国に基地を持っています。そして最近はこれを世界戦略上、集約再編する方向にあります。日本のための基地ではなく世界のための1基地にしようということです。

 もう、半世紀近くも前の条約と安全保障の概念で日米関係を考えるのは、アナクロニズムではないでしょうか。日本にとって最も必要なことは何か、アメリカは日本に何を求めるのか、友好を確乎不動のものにするにはどうあるべきか、原点にもどって考え直す時機ではないでしょうか。

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2006年10月 1日 (日)

日韓近代史考

[反戦老年委員会復刻版]

【征韓論】

 西郷隆盛、板垣退助、江藤新平など明治新政権武断派が、維新後の処遇に不満を持つ士族の「内乱を冀(ねが)う心を外に移す」発想から熱心な征韓論を唱え、準備を進めていた。しかしこの時、世界に通用するような新政権を立ち上げるため、右大臣岩倉具視をはじめ大久保利通、木戸孝允、伊藤博文など政権幹部一行が欧米視察に出発し、留守中のことだった。

 留守を守る西郷らは、三条太政大臣のもと閣議決定にまで持っていった。しかし帰国した岩倉、木戸、大久保らの内治優先派は辞職をちらつかせるなど、猛烈な巻き返し運動を展開し、ついに西郷の辞職にまで追い込んだ。これを明治6年10月の政変という。

 この政争の真相については、いまだに多くの議論がある。閣議決定までしながら、国民はおろか陸海軍の卿までその事実を知らなかったことから、士族に配慮する武断派と官僚支配派の権力闘争だったという解釈が有力になっているが、その詳細は他に譲る。

 次の勝海舟の談話は、25年もあとのことだが、それだけに真相をついている部分があるはずだ。欧米視察から帰ってきた大久保らやすぐ判を押さなかった天皇も、征韓論は経済、外交、軍事、内政いずれをとってみても現実性にとぼしく、メリットのない冒険主義だと断じたのだろう。またそこには、領土的野心の入る余地もないと判断できる。

 今の伊東[祐亨]ネ。この間も来たから、話して笑ってやったのだが、アレが、軍艦に兵粮まで積み、すっかり用意をして朝鮮征伐に行こうというのだ。もう五、六日で行くというようになった。すると三条[実美]から、「お前は知っているか、どうだか、こういう訳だ」というから、『ナニ、私が海軍卿だから、安心して任せていらッしゃい』というてやった。それから、内へ五、六人呼んで、『お前達は、朝鮮征伐をやらかそうというそうだが、それは男らしくて面白い、お遣んなさい。だが、その跡はどうするのだ』と聞いてやると、みンな弱ってしまった。

 「それではどうしましょう」というから、『それよりまずシナから台湾の方へ行って見ろ』と命じてやった。「それが出来さえすればありがたいが、どうでしょう」と言うから、『ナニ、己が許すのだから、構うものか、行け』と言った。その頃は、まだあの辺りへ行くことは出来なかったのだからネ。それでみンなが喜んで、行って、初めて外国を見て、驚いてしまって、朝鮮征伐は止んだよ。それから帰って来たから、みンな賞めてやって、官を上げてやった。すると、勝はどうひッくりかえるか知れぬというのて、大層嫌われて、己は引込んだよ。(巖本善治編『海舟座談』ワイド版岩波文庫)

2006年10月5日

日韓近代史考

【国権外交】 前回は「征韓論」だった。これは明治6年10月、西郷隆盛らの主張が破れて、無期限中止しいう結末になった。今回は、それに続く近隣外交をとりあげる。当時日本の領土、守備範囲はまだ確定していなかった。政府は、琉球・台湾(7年10月)と樺太・千島(8年5月)問題を短期間で決着させた。そのあと、朝鮮開国のきっかけとなった江華島事件(8年9月)が起きる。

 大久保利通らが欧米視察をして痛感したのは、明治革命で発足した新政権は、即、「国民国家*」でなければならないということと、国際問題は国際法と軍事力をバックとした国力がすべてを規定する、という2点でなかったかと思う。多難な内政改革と同時に、これだけの外交問題をわずか2、3年で解決した手腕は、現在の政治家とは比較にならない。
(*封建制の身分制的枠組みを破り国民的同一性を基礎として成立した近代的中央集権国家。近代国家。民族国家)

 なお、ここで「明治維新」といわずに「革命」といったのは、「万世一系」「王政復古」をいいたい保守派と、共産主義の定義にはまらない「革命」を認めたがらない左派、いずれも「維新」で逃げているが、私は実質「革命」だったと思っている。(拙著『「浪士」石油を掘る』所載)

【樺太】南樺太は、幕末の頃には奥蝦夷として漁民などが進出していた。そのころ北樺太に進出したロシア人が逐次南下して紛争を生じるようになり、日・ロ雑居状態が続いた。両国の国境交渉はあったものの進展せず、ロシア軍の投入が進んだ。これを見て、北海道開拓使の黒田清隆は、樺太全土を放棄しかわりに千島全島を確保して北海道防衛に全力をあげる案が現実的であると考えた。

【千島】国論はさまざまであったが、明治8年5月、政府は榎本武揚を特命全権大使としてロシアに派遣し、樺太・千島交換条約を締結させた。当時の国力から見てこれで精一杯だろうが、樺太の漁民を見捨て、樺太に比べ経済的価値が格段に劣る千島を押しつけられるようにして領土と確定したのだ。したがって千島はどこから奪ったものでもない。

【琉球】琉球は古来独立国で、中国に朝貢し冊封を受けていた。徳川家康が大御所として実権を振るっていた1609年、島津藩に琉球を与えるとしたため、同藩は軍隊を差し向け属国として支配した。幕末に至ってもこの体制は変わらず、琉球は中国の冊封国であるとともにアメリカやフランスと和親条約を結んだりしていた。

【台湾】明治4年11月、琉球の漁民66人が台湾に漂流し54人が殺されるという事件が起きた。政府は清国に責任を問うたが「犯行は化外の民の蛮族の行為で政教の及ばぬところ」という責任回避の態度だった。それをいいことに、「それならこちらで行ってこらしめてやりましょう」とばかり、7年2月に日本政府は台湾征討を決定し、6月には犯人達を降伏させた。

【清国】清国もそこまでされては、心穏やかではない。日本はすでにアメリカなどに根回しをして琉球が領土であることの了承を得ていたので、清国と事後処理の交渉に入った。その結果、「台湾は清国の領土」、「日本の行動は住民保護の義挙」という了解が成立し日本軍は撤退した。これにより日本は琉球が日本領であることを清国が認めたものと解釈した。

【沖縄県】7年10月に清国との協定が成立した後も、琉球藩王や高官・士族は清国との関係を維持する独立志向が強く、清国に援助を求めた。そのため、政府は12年4月に400人の兵と160人の警官を送り込み、強引に沖縄県設置を公布した。

2006年10月17日

日韓近代史考

【日清戦争まで】 このシリーズの「征韓論以前 1」に書いた年表の続きである。(シリーズについては、カテゴリ「東アジア共同体」をクリックの上さかのぼってください)

・1876 (明治9)日鮮修好条規締結(江華条約)
 鎖国政策の強硬政策をとった大院君から、実子・高宗の即位で王后・閔氏系の開化派に権力が移ったことと、清国の意向にそって不平等条約を受け入れた。

・1882 壬午の軍変
 軍の不満分子が大院君を担いで反乱、宮廷や日本公使館を襲う。逃亡した閔妃はひそかに清軍の出動を要請。首都を制圧した清軍が大院君を拉致して天津に監禁。

・1884 甲申の政変
 在日経験豊富な金玉均が、明治維新を手本に朝鮮の改革を目指して蜂起。事大派(大きい強い方に仕える派)と開化派の権力闘争。日本軍も高宗の要請をたてにこれに関与。優勢な清軍の攻撃を受けクーデター失敗。金玉均らは海外逃亡。

・1885 天津条約
 日清が朝鮮出兵する際に相互に連絡、調整しあうことを協定。またこの年、ロシアの朝鮮進出を警戒してイギリスが巨文島を占拠。各国の力が均衡したこの時機が、朝鮮の中立と自主的な改革をめざす、1882年に次ぐ2度目のチャンスだった。

・1894 東学党の乱・日清戦争
 宮廷の腐敗に自浄能力なく、農民等の反乱が10年ほど前から各地で発生。首都を脅かす規模のものが発生してまたもや清国に出兵を要請。日清戦争のきっかけを作る。

 詳細に触れる余裕はないが、明治新政府が軌道に乗りはじめてから日清戦争までの朝鮮の動きは、以下の繰り返しであった。すなわち、決断力に欠け飾り物的な国王をよそに、その父・大院君と、頭脳明晰で美貌の王后・閔妃の血みどろの権力闘争。支配層である両班(ヤンパン)官人の無能と功利優先主義。それらが民衆の不満を組織化できず、外国の力を頼りに目的を遂げようとする主体性のなさ。などである。

 作家・金達寿氏がなげく「李朝名物党争」に明け暮れした期間で、結局日韓併合直前までこれが続く。こういった状態は日本の安全にとっても憂慮すべき問題と考えられていた。清国の宗主国意識とは違った意味で日本もその都度軍事的圧力を加えたり干渉をしてきたのである。

2006年10月18日

北朝鮮の将来

仮想委員会レストタイム

・平 北朝鮮、核爆発再実験は、明日かも知れないしそのあとどうなるのか誰にも予測がつかない。

・停 安倍新内閣は、支持率70%で理由は「清新な感じがする」が最高だって。

・硬 ブログの中の汚辱にまみれた「不道徳感」とはまったく逆だな。スキャンダルがらみの爆弾がいつ爆発してもおかしくない。内外ともにえたいの知れない爆発物だらけで落ち着かないね。

・平 ということで、今日は北朝鮮の将来について茶飲みばなしをしよう。皆さんどう?。

・乙 日本が目標とする北朝鮮の核武装放棄と拉致問題完全解決は、金正日体制の崩壊以外にありえな感じになってきたね。

・停 「拉致問題は解決済み」と何度もいっているのに「ごめんなさい生きていました」とはいえないでしょう。

・平 アメリカの金融制裁措置もそうだ。「ニセ札、ニセたばこ、麻薬。もうしませんから制裁解除してください」と詫びを入れることもできない。それで、核兵器を持つことでそれら一切を不問にできる、と思ったのかなあ。

・硬 国連の制裁決議に対する落としどころとして、6カ国協議復活があるが、それで北朝鮮が核廃棄に応ずる可能性はまずない。アメリカと直接対話しても妥協できる話はもうないね。だって北朝鮮はルビコン川を渡っちゃったんだもん。引き返す所がもうない。

・乙 経済制裁は承知の上でやったことだ。2度目の実験で制裁強化しても、それも「想定の範囲内」で効果がない。最大の効果は、日本の強硬派を元気づけることだけということになる。

・停 一番怒っているのは中国だと思うの。血の盟約があるなどといっいたが、今度はちょっと違うみたいね。独自の制裁にも力がこもっている。

・乙 共産国同士などという、古い発想しかできない人がいるけどもうそんなのはない。中国としては難民がどうのこうのじゃあなく、国境付近の勢力バランスに大きな変化があることを恐れているだけだ。だから核兵器をかざして周辺を不安定にすることに反対するのは当然だし、アメリカの介入や影響力行使のスキを与えたくない。6カ国協議が唯一の砦だったわけだ。

・平 その6カ国協議が機能しなくなると?。

・乙 中国はNPT(核拡散防止条約)復帰などを持ち出す手はあるが、インド・パキスタンの核保有、また半ば公然化しているイスラエルなの条約不参加を黙認しているアメリカのダブルスタンダードがある限り説得はできないだろう。

・平 すると北朝鮮は、暴発?、崩壊、孤児さんどこへ行くんだろう。<br />・乙 昨日のエントリ「日韓近代史考」ではないが、どうも李朝末期の朝鮮に似てきたような気がするんだな。

・停 というと?。

・乙 今は「先軍主義」だそうだが、長らく「主体(チュチェ)思想」をいっていた。これは李朝の中にあった「事大主義(大きいものに仕える)」の裏返しで、唯我独尊の精神だ。それが世界に受け入れられないとなると、また新たな事大主義にもどるのかも知れない。

・硬 李朝末期では、日清の狭間にあって双方から改革圧力を受けていた。そこで宮廷の権益を保護してくれそうな……。そうか、ロシアに逃げ込んだのだ。

・乙 アメリカが相手をしてくれなければ、もうひとつの核大国、ロシアと組む手がある。ロシアの南進欲望は遺伝的なものだし、東アジアでの発言権がますことで悪い気はしないだろう。アメリカもロシアが核をコントロールしてくれるなら黙殺するかもしれない。

・平 ううーん。そもそもがソ連と組んでできた国だものな。だけどやはりここだけの「茶飲みばなし」だよね。

2006年10月24日

日韓近代史考

【日清戦争 1】
 日清戦争がなぜ起こったか、端的にいえば、日本の政界が朝鮮をめぐって清国との戦争は避けられない、と思い込み始めたからである。1876年(明治9)の日鮮修好条規締結は、日本が砲艦外交という、相当強引な手を使って朝鮮を開国させた。しかし、前回述べたように朝鮮が清を宗主国と仰ぐ意識に変化はなかった。

 政治の刷新や制度改革などはそっちのけで、閔氏や大院君の暗闘が繰り返され、叛乱が手に負えなくなると清に出兵を要請するのが常であった。条約上の「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ」は、日本が勝手に期待しただけで、拘束力は全くない。

 日本政府が決定的な危機感を抱いたのは、巨文島事件以来で「朝鮮国に当事者能力なし」と判断してからではないかと思う。これは以前記事にしたことがあるが、1885年、イギリス軍が朝鮮海峡にある巨文島に突如上陸し、砲台を築いて約2年間占領したことである。

 動機は、朝鮮宮廷が日・清の横暴な干渉から逃れるため、ロシアと極秘で進めていた密約がばれたことである。日本海に面した元山近くの港を貸すかわりにロシアの軍事的保護を受ける、という内容であった。当時、ロシアとアフガニスタンで鋭く対立していたイギリスが、すばやくこれに反応したということである。

 イギリスの行動は、清との間の了解事項とされ、その解決についても英、ロ、清の問題として朝鮮は蚊帳の外に置かれていた。清は、宗主国といってもかつての冊封関係の続きで、法的には属国でも植民地でもましてや同盟国でもない。いざとなれば「われ関せず」と逃げをうつこともできる。台湾でも琉球でも同じような外交をしていた。

 24年前、ロシアの軍艦が対馬に勝手に上陸し、一部を5カ月ほど占拠したことがあった。指呼の間にある朝鮮に当事者能力がなく、無責任な清の判断で大国が朝鮮や周辺を荒らしまわる。これは日本の安全にとって放っておけない事態である、こう政府が考えたのも無理のない話であろう。

 まず、清の影響力を完全に断ち切る。そのうえで朝鮮の改革を断行する親日政権を樹立する。これが理想だったはずだ。本当は腐敗した宮廷を排除したいのだが、天皇をいただく日本からは、言い出しかねるだろう。また民衆の力に期待できればいいが、それも「斥倭洋倡義」の排日・排洋運動に凝縮され、思惑通りには行かなかった。

 開戦のきっかけと結果については次回以降のこととしたい。

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