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2006年9月

2006年9月14日 (木)

国名考

[反戦老年委員会復刻版

 わが国の隣近所とは仲良くしなれればならない。こんな当たり前のことが「嫌韓」だとか「媚中」などといって攻撃対象にするとは、全く倒錯した嫌な世の中だ。こんな時、相手の国名をどう表現するのかについて考えてみたい。

【朝鮮】このブログでは、地域としての半島、そこに住む民族、言語について「朝鮮」を使ってきた。その根拠は、子供の頃から使い慣れているというだけで深い意味はない。それ以外の用語にすると(例えば韓半島など)どうもしっくりこない。また、韓国内でも「朝鮮日報」という新聞名が使われているので、違和感はないと思う。

【北朝鮮】正式国名は「朝鮮民主主義人民共和国」である。イギリスなど正式国名は一行で書ききれない。寿限無じゃあるまいし、略称がほしいところ。同国内では「共和国」を慣用しているようだが、これでは外国に通用しない。中国は正式略称として「朝鮮」「韓国」というようだが、これも分断を固定するようで使いにくい。すると「北朝鮮」しかないのではないか。

【韓国】太古からみると、「朝鮮」の名は北方にその起源があるのに対し「韓国は」南に多い国名だった。「朝鮮」の名称は統一国家として500年以上使われたが、「大韓」にしたのは日韓併合前の3年前1907年からである。

【Korea】西欧に通用するものの、あくまで英語である。935から457年続いた高麗国からきている。

【倭】律令の完成を間近にした701年、粟田真人を代表とする遣唐使が派遣され、「日本国」の国号を使った。これについて新旧唐書ともに、「倭」の卑字を嫌って「日本」と称した、と好意的に書いている。以来、「倭冦」などと使う場合は別として、公文書から「倭」の字が消えている。なお、日本では「倭」を「やまと」と読んで、『万葉集』などでも盛んに使っていた。

【日帝】北朝鮮や韓国で盛んに使われる。いやな響きを持つ言葉だが、終戦までは、誇らしげに「大日本帝国」を自称していたのだから、当時のことをいうのなら仕方がないのかも。なお、「倭」は近現代に至るまで、中国より朝鮮の方で多用されている。

【日本】「ニッポン」か「にほん」か。「ニッポンに統一しよう」という意見が過去2回起きている。最初は日本が国際連盟を脱退した翌年の昭和9年3月、文部省の国語審議会が案を政府に提出したが、なぜかこの時は正式決定に至らなかった(拙『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)。

 次は日韓共同主催のサッカー・ワールドカップ応援で、ニッポン・コールが国民の一体感を増したということで、新聞の投書欄などに現れた。いずれもナショナリズム昂揚時の現象だ。ひとことでいえば、「ニッポン」というのは中国(漢文)読みで、促音のない「やまとことば」では「にほん」となるのだろう。

【中国】「中華人民共和国」その前が「中華民国」。ことばとしては、中華思想などといわれるようにその起源は古い。しかし現在は正式国名の公式略称になっている。

【支那】石原都知事発言で有名になったが、「中共」(中国共産党)とともに右翼が使いたがる表現だ。それをいうなら「支共」にしなければおかしい。シナ(チャイナ)の音は古代の秦からきているといわれる。「支那」の字はかつて中国人自身使ったことがあるとされているが、意訳すれば「ばらばらに分かれた国」になるので、嫌っている。

「倭→日本」を奈良時代に受け入れてくれた中国に、わざわざ相手が嫌う表現を使う幼児性は、日本にとって恥というべきだろう。

2006年9月20日

韓国近代史考

 このタイトルでのシリーズ化を考えているが、最初に姜萬吉著、小川晴久訳『韓国近代史』を引用して、日韓の歴史認識問題への手がかりを得ておきたい。

【第一章 国民国家樹立の失敗 序説】より

 清日戦争後約十年間維持されてきた朝鮮半島をめぐっての露・日間の勢力均衡は、英国と米国が日本を援助することによって壊れた。その結果は露日戦争、日本側の有利な条件での戦争終結、そして大韓帝国の日本による保護国化および植民地化としてあらわれた。専制君主国家としての大韓帝国が内部の国民革命によって崩れず、外勢の侵略で倒れた事実は、植民地化のその時までも国民国家を持つことができなかった歴史的限界性を示すと同時に、以後の歴史にも大きな負担を与えた。

【同上第五節 植民地への道】より

 「合邦」に対する国際的な反応も一般的に冷淡であった。英国と米国は英日同盟、タフト・桂密約、ポーツマス条約を通してすでに日本の韓国支配を承認していたので、当然「合邦」を支持した。

  英国政府は「日本が韓国においてその勢力を増加するのに対して英国政府は何等反対する理由がない」といいながら、ただ自国の経済的利益問題と関連して関税率の不変、開港場および沿岸貿易の継続を要求した。米国政府も「日本の韓国における行政が非常に善意に満ちており、韓国民の幸福のために力を尽くしている跡が歴然である」といい、ニューヨーク発行の『東洋評論』も「韓国に利益関係にある総ての外国は韓日合邦から生ずる変動に対してなんら不安な考えをいだく必要はない。日本政府は細心に外国の一切の利益を保護するだろう」と論評した。

 第三国としては一番利害関係の深かったロシアの新聞も「朝鮮の運命はすでに露日講和条約で決定され、日本は事実上朝鮮を併合し、今回ただ形式的にこれを発表しただけだ。併合が朝鮮と利害関係がある英国の同意を受けて断行され、ロシアもこれに反対する理由がない」といい、ドイツのある新聞は「朝鮮人がその愛国的精神によって内心では日本の情深い文明統治よりむしろ腐敗した旧政府を選ぶ意思があるのはきわめて自然な道理である」といいつつも、将来日本の支配による朝鮮の経済的発展は疑問の余地がない」といった。ただ清国の諸新聞は韓国の滅亡を憂慮して満州や蒙古が将来同様な運命になることを警戒した。

 大韓帝国の無能と腐敗、そしてそのような政府を倒し国民政府を樹立できない国民的・歴史的条件、日本の野蛮な侵略主義とこれに対する帝国主義列強の援助および承認が、この時機の我々の歴史が失敗することになった重要な原因であるということができよう。

【第二章 反民族運動の展開】より

 朝鮮王朝の専制君主体制が国民革命によって崩壊せず、外勢の侵略で倒れたことは、以後の我々の歴史の大きな負債となったことは勿論、見方によっては二〇世紀初期のわが歴史が植民地に転落することになった第一次的な原因は国民革命が実現できなかった点にあり、またその原因中の一つがブルジョア運動としての愛国啓蒙運動の非戦闘性・非革命性にあったともみることができるのである。

 このやや長い引用をしたのは、この著述が、歴史を美化することではなく、自国の知識人に向けて統一国家への展望ができるような近現代史を構築する、という立場をとっていること、さらに日本人読者を意識せずに書かれたものであるということが、訳者解説などてわかるからである。

 当然、これをもって韓国の歴史学を代表させるわけにはいかない。しかしその行間から学び取れるものは決してすくなくない。以上の引用は、それぞれの章、節の結語として現れたもので、反日闘争や反権力闘争などに多くの文面を割いているにもかかわらず、王朝や自国民の犯した失敗に冷静な反省の目を向けていおり、日本における歴史評価と相反するものではない。

 わが委員会では、日韓関係は日中と違って「靖国問題」ひとつに問題点を凝縮するようなわけにいかず、明治にさかのぼる歴史問題のすりあわせが必要であり、たとえ立場によって違う見方があっても学術・文化の交流、共同研究などの道は開けている、と主張してきた。相互の差を縮めることは可能である。

 ただ、日本に対する韓国人の民族としての感情を読みとり、それに反感をもつのではなく理解していく態度が必要であろう。上記引例で「清日戦争」「露日戦争」など2国を列記する場合は、どんな場合でも必ず「日」を下に置くとか、2番目の引用にあるドイツの新聞の解説のように「日本の支配下に入るくらいなら腐敗した宮廷のもとにいた方がましだ」と考えていたことなどである。

2006年9月23日

日韓近代史考

征韓論以前 1

 日頃交流を頂いてているVIVAさま主宰の「本を読もう!VIVA読書!!」に、「取材学」に関する書評があった。そのコメントに「慣れればやさしい」と書いたが、歴史に関していえば、古代、中世などは、参考にすべき文献、資料が限定され、研究者の手で叢書や資料集にまとめられているので、たしかにそれをたどることはやさしい。

 しかし、近現代になると文字に普及による文書の増加、対象分野の多様化、埋もれている資料など、すべてを完璧に点検することなど思いも寄らない。専門の学者が時間と金と人手をかけて調べるようなことを、素人がやれ、といわれてもどだい無理なのである。

 ただ、一部の評論家やジャーナリストと称する人が、あいまいなソースの資料を誇らしげにかかげて、さも史実めかして発言するのは信じない方がいい。たとえ原資料でなくても、文献として多くの専門家の目に触れ、批判に耐えうるものに準拠するのも正しい態度であると言えるのである。

 さて前回、姜萬吉著『韓国近代史』を手がかりとした記事を書いて、ここから日韓近代史を眺めていきたいとした。以下、すでに発表されている既知の事柄で(前置きで予防線を張っておいたように(^^))オリジナルな史論ではない。しかしこれから日韓の近代史を考える上で、その底流にあるものとして考えていきたい。

 このブログでは、李王朝下の朝鮮にダメージを与えた豊臣秀吉の朝鮮侵攻は省略し、江戸時代からの「朝鮮善隣時代」と明治維新当時の「巨文島」を既に記事にした。そこでもう一度、日本のペルーによる開国前後のアジアの国際状況を年表にしてみよう。

・1840  清国、アヘン戦争でイギリスに敗れ、南京条約締結。これに続いてアメリカ、フランス、ロシアも侵犯。
・1844 フランス船琉球に来て通商を要求。以降毎年のように各国船わが国に近づく。
・1854 幕府ペリーと和親条約締結。
・1858 幕府、日米通商条約、蘭、露、英、仏各国と条約締結。

・1860 桜田門外の変。ロシア沿海州を領有、ウラジオストック港を築く。
・1861 ロシア軍艦対馬に上陸、一部を占拠。
・1866 朝鮮、大同江を遡行したアメリカ船を焼払い、江華島占領軍を撃退。
・1867 幕府、朝鮮に使節を送ろうとして失敗。

・1868 江戸開城。天皇、東京遷都。
・1876 日鮮修好条規締結(江華条約。

 以上の中で、「1867 幕府、朝鮮に使節を送ろうとして失敗」というのに注目したい。これは大政奉還を決意する徳川慶喜の前、家茂の時代の66年2月に計画されたもので、明治新政府になってからも朝鮮に対しさかんに外交接触を働きかけていた。その事情については、次回触れることにする。

2006年9月25日

日韓近代史考

征韓論以前 2

 このシリーズを始めるにあたり、韓国の知識人に向けた啓蒙的な史書として、姜萬吉氏の『韓国近代史』の一部を引用した。またその内容が、客観的な史料の分析から日本が植民地としたことを攻撃することに終始するのではなく、その要因が結果的に自国内部にあったとする結論を導いていることを紹介した。

 にもかかわらず文中に「日本の野蛮な侵略主義」など、過激な形容詞が説明抜きで現れる。また、最近では、韓国の『中央日報』06/05/08付のコラムで、パク・ミョンリム延世(ヨンセ)大政治学科教授が次のような表現をしている。

 独島問題が見せるように、領有権の欲望に加え、恐るべき日本の武力進出まで許される場合、北東アジアの平和秩序は大きく脅かされるだろう。

 街頭デモのスローガンや政界のプロパガンダではない。知識人の最先端に位置する人ですら、そのDNAに「日本の侵略の野心」が刷り込まれているように見えることである。それがどこに始まるのか、倭冦や秀吉の時代はさておいて、前回年表を組んでみた明治維新の頃をふりかえろう。

 嘉永6年(1853)、ペリーの黒船が浦賀にやってきた年である。安倍晋三氏が信奉する吉田松陰が『獄是帳』でこういっている。

「魯・墨(ロシア・アメリカ)講和一定、決然として我より是を破り信を夷狄に失うべからざる。但し、章程を厳にし、信義を厚うし、其間を以て国力を養い、取り易き朝鮮、満州、支那を切り随え、交易にて魯・墨に失う所は又土地に鮮満にて償うべし」

 なんとも強国にはしっぽを振って、貯えた力で弱者に襲いかかろうという豺狼そこのけの露骨な盗賊精神である。もっとも安政6年(1859)刑死する直前になって、西欧列強に対抗するためには朝鮮、満州、支那およびジャバ、ボルネオ、オーストラリアを訪ね、航海通市以外にない、と力づくの表現は訂正している。

 松蔭の過激発言が、朝鮮に伝わったわけではないが、同国から見れば、後世松蔭が予言したとおりになったではないか、というかも知れない。では、幕府は実際にはどういう対朝鮮政策をとったか、前回予告したテーマに入って見よう。

 慶応元年(1865)には、香港の新聞が、「日本名儒八戸順叔先生」の談話として、日本はすでに蒸気軍艦を80余艘ももち、近く朝鮮を征伐しようとしているという趣旨のことをのせたが、それが清朝政府から朝鮮政府に密報され、おおいに朝鮮の対日疑惑を生ぜしめたこともあった。

 幕府は翌慶応2年5月、朝鮮にたいしてその流説を公式に否定し、かつ朝鮮の幸福のために使節を近日派遣すると通告した。朝鮮では、幕府がなぜにわかに使節を派遣するのかその真意を疑い、使節接待の用意ができないとの口実で、幕府の特使来航を拒絶した(9月)。(以上、井上清『日本の歴史』中公文庫)

 使節に予定されていたのは外国奉行平山図書頭で、その後も繰り返し折衝を求めた。しかし当時の朝鮮は、日本同様西欧列強の外圧を受け、徹底的な鎖国政策をとっていた。しかもその年の9月にはアメリカ船焼き討ち事件まで起こし、極度の緊張状態にある。そこへアメリカの軍門に降った日本が接触したいといってきても、そう簡単に受け入れるわけにいかない。拒否するのが当然だっただろう。

【参考文献】『日本の歴史20』中公文庫、金達寿『朝鮮』岩波新書、呉善花『「日帝」だけでは歴史は語れない』三交社、池田諭『吉田松陰』、大和書房

2006年9月28日

日韓近代史考

征韓論以前 3

 幕府の使者派遣を朝鮮から断られたまま、慶応3年(1867)12月、王政復古の号令が発せられた。摂政・関白・将軍らの官は、総裁・議定・参与にとってかわった。微妙な立場にいるのが対馬の宗家である。中世以来日本と朝鮮の間で双方の利益や体面を調整することで、特殊な大名の地位を保ってきた。

 つまり、宗家が朝鮮王朝に臣従することで釜山近くに「倭館」をもうけ、許可された範囲の貿易や日本との事務連絡に当たるというものである。新政府も政治体制変更を伝えたいが、ルートはここしかなく、対馬藩にその任務を課した。

 その時の日本の文書に「皇」とか「勅」の字があり、朝鮮側が「この字を使えるのは清の皇帝だけだ」といって受け取らなかった話は有名だ。対馬藩の使節は1年近く文書を受け取るようねばったが、応じなかった。日本を宗主国・清と同等におく気はないということである。

 日本にしてみれば、長年にわたって将軍交替の折に朝鮮通信使が来朝、幕府に挨拶したではないか、それが天皇に変わったからストップするというのは、無礼千万と考えた。いわばどっちもどっちなのだが、文字の問題がなくても「征韓」の意思があったことは、木戸孝允日記などで明らかになっている。

 文書で硬直状態になったため、政府は改めて朝鮮政策を確立する(「征韓」の可否を含め)ため、明治2年(1869)12月、対馬と朝鮮へ4名の調査員を派遣した。その調査項目は、従来の交際様式、独立の程度、ロシアとの関係、港湾や軍備の状況、内治や経済の状況などである。

 その調査項目の中に「竹島・松島が朝鮮付属になった理由」という注目すべき1項がある。松島というのが、いま領有権問題でもめている竹島のことである。ある人は、「日本側資料で現・竹島が朝鮮領であることを認めているではないか」というが、「以前は日本付属だった」という裏があればこその話で、どちらが有利とはいえないと思う。

調査報告は、即刻攻略すべしという過激なものと、順序をふんで正常な国交を結ぶよう説得し、それでもだめなら国際公法の権利を行使して攻撃するという2通りのものがでたが、征韓論を肯定する立場には変わらなかった。

 このあと、西郷隆盛などのいわゆる「征韓論」につながるわけだが、ひとつ付け加えておきたいのは、米英当局や両国の商人は、日本が朝鮮や台湾を支配することは別として、軍事攻撃により開国させることには賛成で、さかんにけしかけていた傾向が見られる。死の商人の暗躍は、日本の内戦、戊辰戦争の中でもあったことだ。

2006年9月30日

上海

 洒脱な書評を展開するVIVAさまのブログに『上海ベイビー』が取り上げられた。VIVAさまは、「上海には行ったことがない」というが、私もそうである。「上海」で想起することといえば、最近では中国政界の上海閥を代表する要人が汚職で追放されたこと、大戦前まで上海租界の公園に「中国人と犬入るべからず」という立て札がかかっていたこと、それに「上海事変」である。

 「上海事変」といっても今や知らない人の方が多いだろう。歴史認識を云々する人にとってこの史実を外すことはできない。以下、当時の新聞紙上いっぱいにおどる主な見出しと記事を見てみよう。

●我軍を悩ました猛烈な市街戦・我軍の死傷七十三名・上海五日の総攻撃・夕刻警備境界線まで後退(以上4段抜き。見出しと小見出し
●敵機飛来し我軍に爆弾投下・けふ根拠地爆撃に決す(同上)
●敵陣地爆撃の艦上機墜落・搭乗三将士惨死す(2段抜き。見出しと小見出し)

●邦人殴打さる(2段抜き見だし。以下はその記事)上海東方製氷社員岡田昂氏(三五)、熊本県出身結城健士氏(三七)は北京路を通行中支那人約二千名の群衆に包囲殴打され顔面、頭部等に瀕死の重傷を受けやつと馳せつけた英国軍隊により群衆を追つ払い折柄通りかヽつた邦人のトラックに救はれて篠原病院にかつぎ込まれたなほ同地方の民衆はいきりたち形勢不穏である

●邦人行方不明
●豊田紡保護の陸戦隊引揚
●十数名の敵を倒す・内藤一等水兵の殊勲(以上一段見出し

●多門師団司令部 堂々ハルビンに入る・各機関、歓迎に忙殺・我軍死傷八十余名(4段抜き。見出しと小見出し)
●各戸に翻る日章旗・邦人婦女子の歓喜
●爆撃また爆撃 輝かしい空の殊勲(以上3段抜き見出し)

 以上の記事は、上海で軍同士の衝突が起きて8日目の模様である。また、破線以下は別の地域で、満州の奥地、ハルビンを侵攻し、満州事変の軍事行動に終止符をうつニュースである。そこでこの時期の時事解説が必要になってくる。日本が管轄する満鉄線の柳条溝で爆破され(実は日本の関東軍が謀略で爆破)、満州事変が勃発したのは、この4カ月余り前の昭和6年(1931)9月18日のことであった。

 この上海事件にも関東軍の謀略があった。板垣征四郎高級参謀は、上海駐在武官の田中隆吉少佐を満州に呼び、2万円の工作資金を与えて上海に騒動を起こすよう依頼した。田中は麗人スパイ川島芳子を使って中国人を買収し、托鉢中の日本山妙法寺(平和活動で有名)の僧侶ら5名を襲わせた。

 その結果2名が死傷し、日本人、中国人市民の対立が一触即発の状態に発展していったのである。また、かねて日本の満州政策に疑問を持っていた諸外国の目をここに集中させ、その間隙を縫って満州全体の軍事制覇を遂げたのが、上のハルビンの記事である。

 最近櫻井よしこ氏などが、「張作霖爆殺事件を日本軍の謀略でなく、ロシア諜報機関の仕業だった」などという説をたて、日本がそのようなことをしなかったという心証にしようとしているが、まともに相手にされていない。歴史全体を読む力を疑われても仕方がない。

 上の新聞は、昭和7年2月6日付「東京日日新聞」である。実は、わが反戦老年委員の誕生日に当たる。新聞はかつて娘が誕生祝いがわりに、同紙をコピーしてくれたもの、因果応報これにつきるものなしというべきか。

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2006年9月 1日 (金)

「自衛」

[反戦老年委員会復刻版]

 過去、ほとんどの戦争は「自衛」を口実に戦われた。第一次、第二次の世界大戦は、国家が繰り広げる戦争の悲惨さ残虐さをあますことなくさらけだした。第一次大戦のあと、1928年に日、米、英、仏、独など、列強の間で「不戦条約」すなわち戦争放棄の条約が結ばれた。

 「自衛のための戦争は例外とする」という考えを持ち込んだのは、その時からである。さらに米英を中心に、自国の安全に係わる地域、利害関係の深い地域にまで自衛権を拡張する。つまりアメリカは中南米の勢力権、イギリスは植民地を含む大英帝国の版図を考えたわけである。

 満州事変も「自衛」、大東亜戦争も「自衛」。そう、そういわなければ戦争ができなかったのである。日本は満州の事情調査を行った国際連盟のリットン調査団報告をけっ飛ばし、連盟を脱退した。そこから華北、上海、南京まで侵略を拡大しても、なお自衛である。

 復古右翼はいう。「ABCDラインの経済封鎖を受け、自衛のためやむを得ず大東亜戦争に突入したのだ」と。その同じ人たちが「北朝鮮を早く経済封鎖しろ」といっている。各国に事前通知しなかった落度はあるが、ロシアの方に向けて「自衛」の訓練ため発射したミサイルを、「そうなったら日本に向けてもいいよ」といっているようなものである。

 アメリカはテロと何ら関係のないイラクに、ガセネタまで使って「自衛」のため出撃し、いまだはい出せないどろ沼にはまりこんだ。「自衛隊」もそうだが、今ほど「自衛」ということばが<strong>コケ</strong>にされたことはない。アメリカのために「集団的自衛権」を持ちたがる日本の保守集団は、最大の愛国心をもって、なにが真の「自衛」なのかをここで考えてほしい。

2006年9月2日

共産党宣

 ブルジョアジーは、すべての生産用具の急速な改善により、またきわめい容易になった交通により、すべての民族を、もっとも未開の民族をすらも、文明にひきずりこむ。彼らはその安価な商品を重砲として、中国のあらゆる城壁をもうちこわし、未開人のいかに頑固な排外熱にも降伏を余儀なくさせる。

 すべての民族は、もし滅亡をのぞまないならば、ブルジョアジーの生産方法を修得せねばならない。いわゆる文明を自由にとりいれねばならない。すなわちブルジョアにならねばならない。一言でいえば、ブルジョアジーは、自分の姿に似せて世界をつくるのである。

 ブルジョアジーは農村を都市の支配下に従属させた。彼らは巨大な都市をつくり、都市の人口を農村にくらべて甚だしく増加させ、そして人口のいちじるしい部分を、農村生活の愚昧からひきはなした。

 農村を都市に従属させたと同じく、未開国、半未開国を文明国に、農業国民をブルジョア国民に、東洋を西洋に従属させた。(塩田庄兵衛訳・角川文庫)

 そのことばをほとんど変えなくても、不思議なくらい現在にあてはまってますね。これがなんと、1848年、嘉永元年ペリー来航の5年前のことです。それから158年、地球人類になにが起き、なにが起きなかったのでしょうか。また、なにが進歩し、なにが停滞または後退したのでしょうか。そしてこのさき、どうなっていくのでしょうか。

 マルクスとエンゲルスが問題提起した時代より、現在の方が危機的な状況にあるかも知れません。科学技術が進歩し、地球が狭くなった分、当時以上に先が見えにくくなっているのではないでしょうか。共産主義を標榜する国々は、党による権力の集中と全体主義的な傾向があだとなって、結局自壊してしまいました。

 しかし、共産党宣言そのものが価値を失ったわけではありません。いまなお、もろもろの矛盾を鋭く突いている不滅の名典といえるのではないでしょうか。目先の利害得失を考えるだけでなく、共産主義の興亡と功罪を改めて考えなおし、将来の指針としたいものですね。

2006年9月3日

ミサイル迎撃実験成功

 表題のようなアメリカからの情報が、最近何回かもたらされた。イージス艦からのものもあるが、直近のニュースは、アラスカから発射した模擬弾をカリフォルニアにある地上発射基地からのミサイルで打ち落とした、というものである。

 そういった場合、必ずといっていいほど、北朝鮮のテポドンとかノドンに対応できる、という米国防総省のコメントがつく。なぜ、そういうのか。明らかに日本向けのアナウンスだからだろう。勘ぐれば、迎撃システム日米共同開発のための日本の来年度予算獲得への援護射撃かも知れない。

 今回もテポドン2号を念頭に、といっているが、ウソだと思う。実験の内容は大気圏外を飛来する従来から難しいとされていた迎撃で、過去9回中4回失敗している。大気圏外を飛んでくるとしたら、ICBM(大陸間弾道弾)であり、それを使う能力のある国はロシアか中国であろう。

 テポドン1号は、日本を飛び越えて太平洋の海中に落下したが、大気圏外に高度が達していないことがすでにわかっている。仮に同2号が射程をのばしたにしてもアメリカの南東部に達するような、長距離ミサイルを開発・配備したなどとは考えていないはずだ。

 大騒ぎして国連安保理決議をとった北朝鮮の実験(訓練)だが、途中切離しに失敗して沿海州沖合にポチャンと落ちてしまったではないか。アメリカのこれまでの開発費は10兆円を超えているという。そして、このコースで来るミサイル迎撃は、おとりの弾頭などを同時発射された場合は撃墜の確率が落ちることなどから、開発費は無制限に必要だとされる。

 ミサイルを発射する方は、ほんのちょっとの工夫で迎撃をかわせるのに対して、迎撃する方は厖大な費用をかけてシステム構築をする必要がある。カナダは本当にこれが国土防衛に寄与するのか、アメリカの防衛産業に奉仕するだけになってしまうのではないか、という疑問からか協力をおりてしまった。

 ミサイル防衛は、専守防衛の立場から日本も関心を持って検討しなければならない。しかし、日米の北朝鮮シフトを無批判に受け入れるような安易な態度ではなく、これからも複眼的観察が必要なのではないか。

2006年9月4日

加藤氏脱党勧告

 小泉氏によってぶっこわされた自民党が、安倍氏を核にした巨大星雲のようにブラックホールをつくりはじめた。その外側にいて加藤氏がきら星のように光彩を放っている。加藤氏の政策すべてを支持するわけではないが、当委員会としては、加藤紘一氏に機を見て脱党することを勧告する。

 理由はなんといっても、軍国日本を彷彿とさせる復古調の憲法を、制定(改正ではなく)しようとしていることである。これは、戦後の民主主義と復興の実績を否定するクーデターに等しい。決して誇張や中傷ではない。A級戦犯の史的評価をくつがえし、帝国主義的戦争に協力する道を開く意図がみえみえの案を座視していいのか、ということである。

 加藤氏は、谷垣氏に「推薦人の数があとひとり足りない、というのであれば考えましょう」といったという。それは、加藤氏が自民党の中で将来一定の地歩を確保しようとする野心を持たないからではないか。また、情勢の変化で安倍氏をとりまくチルドレンなどが逆流してきても、それを取り込むような不節操を許す加藤氏ではないだろう。

 政治家として多くの艱難を乗り越えてきた加藤氏である。同志とともに新党を結成するか、民主党と合流するか、またそのタイミングをどうするかは、最善の策を練っほしい。民主党の鳩山由紀夫氏は「ナショナリズムを煽るような方向で憲法改正の議論がされるなら、この時期に憲法改正を俎上に載せるべきではない」と発言しているようだ。

 こういった考えに加藤氏が同調すれば、同氏の行動により安倍改憲阻止の政治勢力が形成され、現野党、公明党をもってその野望を葬ることができる。そこから政治が平和な新生日本を目指す方向に向かえば、当委員会自体、その存在理由が消滅するのである。</p>

2006年9月4日

やった!公明党

 公明党が30日の党大会で提案する今後2年間の運動方針の内容が明らかになった(『毎日新聞』9/5夕刊)

 わが委員会がかねて期待し、前回のエントリーでも言及しているので、文句なしの大歓迎である。おそらく新執行部に対する創価学会員の突き上げが功を奏したのであろう。

 その要旨は次の通りである。

【首相の靖国参拝批判明記】「中国や韓国との首脳間に不協和音を生じさせているのは実に不幸な事態」と明記。首相就任が確実視される安倍晋三官房長官に対し、中韓両国との関係改善に取り組むよう強く促す狙いとみられる。

【憲法9条1、2項堅持】憲法9条1項の「戦争放棄」と2項の「戦力不保持」の堅持を打ち出し、憲法の全面改正に前向きな安倍氏にクギを刺している。

 まだ決議されたわけではない。安倍支援陣営から決議妨害工作があるかもしれない。またありえないだろうが「誤報」という手もある。しかし、素直に考えれば、これで民主党も公明党に敵対するような方針はだせないだろう。

 いずれにしても、改憲をめぐって政局となり、衆参同時選挙などもちらついてくる。政界再編のタネはまかれた。油断はできない。

2006年9月7日

集団的自衛権

 個人には正当防衛権というのがある。同じように国に「自衛権」というものが自然に備わっているかどうかの問題があるが、一定の社会秩序と人格を保証するための「国」は必要である、という前提に立ち「自衛権はある」としよう。

 今、この集団的自衛権が政策上の大きな問題になっている。このことばは「自衛権」とともに国連憲章に採録されており、多数の国が共同して行使する自衛権、ととっていいだろう。この権利は、日本では歴代内閣が「権利はあるが、現行憲法上行使できない」という見解で統一してきた。

 安倍晋三氏は、この解釈をひっくり返そうとしている。「歴代内閣の解釈は間違っていた」として解釈改憲をまた一歩進めることになる。小沢一郎民主党代表は1992年、自民党時代に小沢調査会答申で「国連軍参加は合憲」という解釈を出したことがある。これも集団的自衛権を憲法前文を使って認める解釈改憲である。

 この議論が活発化したのは、1990年の湾岸戦争以来である。その後2001年の9.11同時多発テロが発生し、ブッシュ大統領、小泉首相のもとの日米関係そして、イラク侵攻に対する各国と国連の対応の変化などから、従来とは違った見方が必要になった。

 しかし日本の政治家は、湾岸戦争当時からの使い古されたことばを繰り返すだけで、一歩も前進していない。どういうことかというと、現在、日本では「集団的自衛権」といえば、アメリカ自衛権のことであり、国際貢献はアメリカ貢献にほかならない、ということである。

 国連軍が創設され、安全保障に威力を発揮するようになれば、これは「集団的自衛権」の行使である。しかしそのような能力が付与され実現する可能性はゼロに近いといっていい。その理由は、過去どの場合でも、国連派遣軍の指揮権をアメリカが手放そうとはしない(他国の指揮下に入ることを拒否)ため、イラクのように有志多国籍軍派遣が精一杯、ということになる。小沢答申は、今や画餅といっていい。

 同じ敗戦国であるドイツは、NATOの集団的自衛権のもとにある。ここでも制服組はアメリカが主導しているが、欧州の大小26カ国の意に反した軍事行動はとれない。日本の軍事同盟国が1カ国しかないのとは同列に論じられない。集団的自衛権というのは、同盟国の相手国を攻撃する権利であり、義務なのだ。現在の日米関係でこれが何を意味するかは、明白であろう。

 自民、民主ともにこの問題は「慎重な検討が必要」といっている。単に通過礼儀とすることではなく、一度白紙の状態に返し、わが国の安全と日米の友好協力のあり方を見直すと、いうところから始めてほしい。

2006年9月8日

検証・戦争責任

 このブログとしては、初の試みだが、「書評」に挑戦する。

読売新聞戦争責任検証委員会『検証・戦争責任Ⅰ』中央公論新社[¥1800+税]

 まず同書のあとがきからそのなりたちを紹介することから始める。
 この検討委員会(プロジェクトチーム)は、読売新聞の渡辺恒雄主筆の提唱で去年の夏に設置された。その背景には、戦後60年のふし目と小泉首相靖国参拝の議論などがある。チームメンバーは全員戦後生まれの新聞記者で、企画は随時新聞に掲載された。それをまとめたものが本年6月に(Ⅰ)として刊行され、(Ⅱ)もひきつづきこの秋出版される。

 全体を見ると明治時代からの論述があるが、既存の史料検討、識者からの聞き取り、新聞記事や世論動向など、新聞記者の手法を駆使した内容で、学者が作る史書ではない。しかし、従来見られなかった新たな視点が至るところにあり、歴史を補強する上で十分な役割を果たしていると思う。

 基本的には筆者の歴史認識に相反するような記述はなかったが、「修正が必要かな」と思わせるような内容もいくつかあった。その一つは昭和初期の相次いだ政治テロへの反応である。被害を受けた要人に対して世論に同情がなく冷ややかだったこと、それが犯人に対する温情判決に結びついた、という分析である。これに妥当性を認めるなら、軍部、右翼の圧力を過大に見るだけではいけない、ということになる。

 もう一つは、新聞がとった戦争への協力体制である。検閲の強化や用紙割り当ての権利乱用、記者の懲罰応召などの言論統制が存在はしたものの、満州事変の頃から3大紙を中心に、戦争への荷担に方向転換したという。それは、戦局の報道がそのまま購読部数の増加に結びつき、商業主義に走ったこと、軍部と癒着した若手記者の好戦記事をコントロールできなかったことなどが理由で、反省点としてあげている。同書の表現をかりると、新聞はかならずしも「統制に嫌々協力させられた」わけでなく、積極的に戦争推進にまわった、としている。

 最後に御厨貴氏、加藤紘一氏、櫻井よしこ氏など6人のパネル討議がある。このなかで櫻井氏から常識にない新知識を授かった。張作霖爆殺事件はソ連の諜報機関が日本軍の仕業に見せかけた犯行で「新事実」だそうだ。『GRU帝国』というモスクワで出版された本に載っているというが、それだけで傍証がなく出所の怪しさを疑った形跡もない。

 こういうことにまともに反論する気になれないせいか、それについて出席者の突っこんだ発言はなかった。筆者も研究していないので評価は避けるが、関連したホームページがあったので関心をお持ちの方のために紹介しておく。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chousakurin2.htm

2006年9月9日

アベイズムの危険

 小泉首相は、靖国神社参拝を押し通した反面、さきの戦争への反省、A級戦犯存在の肯定など、いわゆる歴史修正主義とは一線を画す発言をしていた。整合性に欠けた言動ではあったが一応信用しておこう。

 しかしそのあとを継ごうとしている安倍晋三氏は、政策提言が抽象的だとか美辞麗句のはりあわせだという批判はあるが、その中に小泉氏になかった危険性を秘めていることへの指摘はすくない。小泉氏の靖国参拝強行がその危険性を引き出したものとすると、別の意味での日本破壊がこれからはじめられることになる。

 「戦後レジーム(体制)から新たな船出」「占領時代の延長である戦後体制の脱却」「戦後民主主義からの脱却」などが安倍政策のルーツであるとすると、「歴史の否定」であり「人格の否定」である。

 満州事変が中国に拡大する頃この世に生をうけ、中2で終戦、講和条約締結は社会人1年生、以後は高度成長の中で過ごせた。それぞれの時代を精一杯生きてきた。そしていつの時代でも「美しい国、日本」であった。生まれ時から「反戦老年」ではないのだ。

 戦前であろうが、戦後であろうが歴史上その時代を脱却する(抜けて捨て去る)ことはできない。それを見ないようにしよう否定しようということは、その時代を生きてきたものへの冒涜であり、人格の否定につながる。

 それぞれの時代から教訓をくみ取り、次の時代へひきついでいく、この連続が「歴史」ではないか。わが委員会は、これまで例えば靖国神社・遊就館のような考えでいる人を「復古右翼」と称してきた。アベイズムがこれとどこが違うのか見いだすことができない。

 巷間でもいわれ、本人も否定していないが、岸元首相のDNAを云々する人がいる。昭和初期、革新官僚で頭角を現し、満州国経営に手腕を振るい、東条内閣の閣僚でありながらその倒閣にも手を貸し、A級戦犯の起訴を免れ、首相となって今の安保体制をつくったのが安倍氏の祖父岸氏である。彼のいう「美しい国」はそのどこかにあるのだろうか。

 失礼ながら安倍氏では、怪物といわれたお祖父様の思想や体験を洞察したり、その力量にあやかることは無理である。ただ、こわいのは小泉政権以来の右傾化傾向とポピュリズムである。「なだれ現象」というが、これは決して自民党内のことだけではない。各種メディア、学者、有識人といわれるオピニオンリーダー、そしてブログ社会も「アベイズム」には厳重な警戒が必要である。

2006年9月10日

ゴーヤ

  名松に からんで実る あおゴーヤ

いま、健康食材で大人気の沖縄伝来のゴーヤ。庭の片隅に植えたたったひと株が、たちまち松の木にはいのぼって、思いもかけない大豊作。

 知り合いにお裾分けしたら、「なっている姿を見たい」と、これまた見物客でおお賑わい。

 今年の夏の我が家のハプニングでした。

【ゴーヤー】にがうりとも呼ばれる熱帯アジア原産のウリ科ニガウリ属の植物で一年草。日本へは、約300年前に「薬として」中国から琉球(沖縄)へ伝わったとされている。沖縄の日常の食卓では夏野菜として非常に人気がある食材。ゴーヤーの種に含まれる成分がダイエット作用のある共役リノール酸という脂肪酸に摂取後変わるとして話題となっている。

一名、蔓茘枝【つるれいし】。熱帯アジアが関東にまで達したということ。喜んでいいのか悲しむべきか。いずれにしても、【カボチャ】一名唐ナス、ナンキン、ボーフラ。【サツマイモ】一名カライモ、リュウキュウイモ、ツルイモと同じ地位を得ること請け合いである。

2006年9月12日

9.11の現実

 世界で現在戦争をしている国はどこでしょう?。いわずと知れたアメリカだけである。ブッシュ大統領語録。「対テロ戦争、これは21世紀の大いなるイデオロギーの戦い」「自由対イスラム教ファシズムの長い戦争」「文明のための戦い」「歴史が与えた試練」。いずれも最近における発言である。

 直感的に思いついたこどばをただ貼り合わせただけ。理性にはほど遠い、およそ大統領のいうせりふではない。それはいいとして、その戦争の相手国は?。……ありません。そんなら相手の人物は?。ビンラディン?。アフガニスタンで3000人以上の民間人が空爆などで犠牲になり、イラクでは死者4万人、米兵も2000人をこえる戦死者がでて、それでもまだ彼は捕まっていない。

 もはや、ビンラディンが捕まればテロがなくなるなどと思っている人は世界中にいない。同時に「すでにこの戦争は、アメリカの負け」という判定が下されている。やがて輝かしい勝利の日がくる、と信じているのは、ブッシュさん、あなただけですよ。

 さらにいう。「いま敵を打倒しなければ、我々の子供達が核兵器で武装したテロ国家と急進的独裁者によって侵略された中東に直面することになる」(11日)。次ぎのお目当てはイランですか。冗談じゃない。どれほど人が死ねばいいのですか。どれほど貧乏人を餓えさせて戦費をばらまけば気が済むんですか。政治的不人気挽回のため米国民を扇動することは、いいかげんにやめてほしい。

 EU(欧州連合)は、ここ連日イランと話し合って核問題について相互の理解が深まりつつある。イギリスのブレア首相も、イスラエルとパレスチナを9日、10日に訪問して中東和平に乗り出し、対イラクでの汚名挽回に懸命である。このところアメリカの孤立は目を奪うばかりだ。

 こういった中、自民党が次期政権で展開しようとしている外交政策の後進性、時代錯誤は目に余る。世界平和に尽力し日本の将来に光明をもたらすような、憂国の士はいないのか。せめてアメリカ追随だけを取り柄とする絶望のシナリオから抜け出そうとする政治家はいないのか。長嘆息する日々はまだ続く。

2006年9月13日

お役人以下

【毎日新聞9/13】 安倍晋三官房長官は12日の記者会見で、72年の日中国交正常化に際し、中国が日本の戦争指導者と一般国民の責任を分け自国民を説得した経緯にについて「私はその会談の場にはいないから、どういうやりとりがされたかは知らない。私が知りうる情報は(公の)文書がすべてだ」と述べ、戦争責任に関する中国側の論理を容認しない考えを改めて示した。

 わが委員会では、当初この記事を「歴史修正主義の手口」としようとしたけど、やめました。そんなレベルの話じゃないですよね。こういういいかたをするのは、そうお役人、それも下の方のお役人でしょう。お役人でもトップクラスの方は、そんな無責任なことはいわない。

【Nikkansports.com】安倍氏、靖国参拝問題で外務省と食い違い
 安倍晋三官房長官は11日の討論会で、中国政府が72年の日中国交正常化の際、一般の日本国民をA級戦犯など戦争指導者と区別する論理を使って戦争賠償請求を放棄した経緯について「そんな文書は残っていない」と述べ、中国独自の立場だとの認識を示した。谷垣禎一財務相の質問に答えた。

 中国側はこの論理に従い、A級戦犯を合祀(ごうし)する靖国神社への首相参拝に反発してきたが、安倍氏は「日本国民を2つの層に分けることは中国側の理解かもしれないが、日本側は皆が理解していることではない。やや“階級史観”風ではないかという議論もある」と疑問を呈した。

 これに関連し、外務省の谷内正太郎事務次官は同日午後の記者会見で、賠償放棄を明記した72年の日中共同声明を念頭に「中国政府がそのような立場でずっときていることは事実として認識している」と表明。「それについて良いとか悪いとか日本政府として立場は基本的に明らかにしていない」と述べた。

 これらの報道について、精査はしていませんが、ネット上では「朝日」と、この役所(外務省)のコメントを載せたスポーツ紙しかありませんでした。他紙は、日本の首相候補としてあまり恥ずかしい発言なので割愛したのだと思います。

 総理大臣というのは、過去の歴史を担って未来へつなぐ重要な役柄です。その候補が自分の気に入らない歴史には(文書がないからといって)無視したり、反対意見の人には“階級史観”などという新語を持ち出して非難する。そんな人を総理大臣にしてもいいのでしょうか。

2006年9月15日

「安倍」という姓

 最初にお断りするが、この記事の内容は自民党総裁選にも「反戦」にも全く関係ない。たまたまkojitakenさま主宰のブログ「気まぐれな日々」で、「安倍晋三は安倍家の面汚し」を拝見し、またTBの紹介を受けて「月刊『記録』編集部」さんの「属性しか語らぬ安倍晋三の正体不明」を読ませてもらったことが動機である。

 晋三さんの父・安倍晋太郎さんが岩手など東北地方で、蝦夷の勇将・安倍宗任の後裔と称して人気を得ようとしたという話が発端になる。それにどの程度の信憑性があるのかということでコメント欄に感想や解説があった。

 古代名門豪族・阿倍比羅夫や安倍貞任の裔とされる「松浦党」に係わる著作を手がけた者として、「ここに一言あらずんばあらず」でコメントしようと思ったが、長くなりそうなので自ページに掲載することにした。ご用とお急ぎのない方はごゆっくりと。

 阿倍氏は、古くは景行天皇の妃として、また飛鳥時代は蘇我氏に次ぐ有力豪族として『日本書記』に頻出する。本拠は、今の奈良県櫻井市である。阿倍比羅夫は、大化改新の頃から、朝鮮の白村江の戦時代に活躍した海将で、3度にわたる蝦夷地遠征が名高い。

 遠征先は、秋田・八郎潟周辺、津軽・十三湖、それに北海道石狩川河口付近ではないかと思われる。戦争もあったのだが、まだ搾取・弾圧といった段階にはなく、蝦夷に自治権と名誉を与えることにより大和朝廷の版図とした。

 そのの阿倍氏の系譜に、8世紀に中国で名をあげた阿倍仲麻呂や、平安時代の陰陽師・安倍晴明がいる。阿倍氏のものと見られる古墳群があるところに、安倍文殊院があり、安倍晴明の木像も置かれている。櫻井市には近くに阿部という地名もあり、安倍、阿倍、阿部の違いについて市役所に照会したところ「姓については平安時代に好字の安倍に統一した」という回答を得られた。

 さて、前九年の役で破れ九州に流された安倍宗任は、文武兼ね備えた名将として中央でも人気があった。蝦夷の「安倍」は、先祖を豪族の阿倍とする伝承もあるが信憑性はなく、阿倍比羅夫遠征の際姓を賜ったという確証も存在しない。

 話は飛んで、「松浦党」である。安倍晋太郎の先祖は、源平の合戦で水軍を率いて平家側についた松浦党が壇ノ浦で破れ、沿岸に上陸して生き延びた、と説明する。そして松浦党の多くが安倍宗任からでているとしている。晋太郎邸に古文書か系図でもあれば検討の余地があるが、かなり怪しい。

 というのは、保元物語・平治物語・源平盛衰記・平家物語には、松浦党も松浦小次郎、松浦太郎重俊(高俊)といった固有名詞もでてくるが、安倍姓を名乗る者はない。また松浦半島を中心とした同党の各氏にも「安倍」はでてこない。

 しかし『源平盛衰記』に「(宗任の)子孫繁盛して今にあり。松浦党とは是なり」とあり、平家物語にも同様な記述があるので根も葉もない話ではない。ただ実際にはすべて「源氏」を名乗り、嵯峨源氏の伝統である一字名を今でも子孫が守っている。

 その理由は、ほんんどが鬼退治で名高い渡辺の綱の子孫という系図に依存しており、『尊卑分脈』で端末を「鎮西松浦」と記していることが根拠である。したがって、安倍、源両氏双方が先祖だったとしても、俘囚の「安倍」ではなく貴種の「源」を名乗るのが当然の成り行きだったのである。

2006年9月16日

ブログと選挙

 わが委員会が当面ターゲットとしなければならないのは、来るべき参院選挙である。「自民党案」憲法を阻止するには、3分の2以上の反対議員を当選させなくてはならない。そうするためにわが委員会で何ができるのか、を考える時機にきている。

 そこへ、いつも啓蒙を受けているいくつかのブログ運営者さんから「藤原紀香さんに自民党からの立候補を思いとどまるようメールを」というTBをいただいた。実は日頃TVをほとんど見ることのない私は、藤原紀香さんの予備知識ゼロなので正直あせったし、「即、メール」というのにも抵抗があった。

 しかし、今朝のブログ情報ではどうやら杞憂だったようで、まずはおめでとうと申し上げたい。そこで選挙対策のことだが、いまのところ旗幟鮮明なのは共産党と社民党だけである。公明党は、現・第2章(9条1項および2項)を変えないという方針を発表した。民主党は藪の中、自民党は改訂案を撤回し、より復古調の安倍3次案が出てくる可能性がある。

 参院選で選ばれる議員の任期は6年、衆院は解散がないと3年後に改選。安倍政権が5年内に改憲を目指すとすれば、来年の参院選までに各党の改憲案が提示されなくてはならないわけだ。しかし国民投票法案の行方すら定まらない中、(故意に)成案なしで選挙戦に入ることも考えられる。

 そのあと、政界でどんな変化技で国民の意思を裏切ることが起きるかわからない。今の自民党に現れいる「安倍なだれ現象」のように、政治家の節操は地におちている。次の衆院選が小泉郵政改革選挙のような手法で成功したら、もう暗黒時代は目前といっていい。

 政党別の態度がはっきりしない(させない)ようなら、例えば「9条の会」あたりが、立候補者に次のような簡単なアンケートをし公表することにより、選挙民は最低限の判断が可能になる。

 ○あなたは現憲法第2章を変える必要があると思いますか。Yes No
 ○あるとした場合、次のどれですか。①自衛軍を持つ。②現行自衛隊の任務を国際貢献を含め明確にする。③その他

 しかし「9条の会」の性格・趣旨からして、全国的な選挙活動は無理だろう。また現在の公職選挙法の複雑な「べからず条項」の解釈はとても素人の手に負えるものではない。そこでインターネットに活躍の場が期待されるのだが、規制の内容はいまだに固まっていない。

 予想されることは、自民改憲派にとって不利になりかねない方法や、直接民主主義を想起させるような方法は、徹底して規制対象とするだろう。ブローガーはまずこの点の警戒を怠ってはならないのだと思う。

2006年9月19日

自己中

 世相はまさに「自己中」の時代である。道で人にぶつかると、謝る前にまず相手をにらむ(男女を問わず若者に多い)。電車の中で化粧をするなどあたりかまわぬ不作法。子は親を殺し子は親を殺す。「むかつく」とか「じゃまになる」とか「むしゃくしゃする」との理由で。

 私は死刑廃止論者ではない。しかし最近、判決がでたときの被害者遺族の発言に違和感を抱くことが多くなった。「死刑は当然です。すぐ霊前に報告します。なぜこんなに時間がかかったのか、犯人が死んでも○○は戻ってこない」という遺恨に満ちた鋭いまなざしで。

 被害者遺族の心情は、察してあまりがある。しかし遺族の中には私情に流されず、故人の無念さを再発防止に託しておだやかに話す人もいる。こういう人を仏性のある人というのだろう。「人をのろわばあなふたつ」「罪をにくんで人をにくまず」。すくなくとも30年前まではこんな格言が通用したように思う。

 加害者であろうが悪人であろうが、人格や人命をおろそかにしてもいいという発想、風潮が国家に及んだ時、戦争となる。その戦争は報復の連鎖反応を繰り返し破滅へと突き進む。この愚かさを断ち切る叡智が人類にあることを信じたい。

2006年9月21日

アファール猿人

 自民党総裁安倍氏に……、予測された結果と予測された反応と予測された論評。

 それより「エチオピアで最古の子供の猿人化石発見」――この方がニュースとしてはるかに興味を引いた。(写真:頭部化石「毎日新聞」。図表「日本人はるかな旅展」より)

 この化石は、331~335万年前の「アウストラロピテクス」に分類される猿人で3歳未満の女児のものという。

 現人類の祖先というが、子孫のうち北京原人やネアンデルタール人は、すでに絶滅した。この猿人の仲間がアフリカ大陸に闊歩していた期間は、図表によると100万年を超えるようである。われわれと同じ「ホモ・サピエンス」が現れたのが10万年前、歴史が始まってから数千年しかたっていないのとくらべてほしい。

 類人猿の発生を600万年前とすると、ホモ・サピエンスは1日の時計に換算して午後11時36分に現れ、歴史が始まったのはわずか1分前の11時59分である。

 この悠久の祖先の歩みに対し、現人類はそんなに遠くない将来に「絶滅」するのではないか、という不安を抱き続けている。宗教が作り出したかつての世紀末思想とは違う。

 戦争、大量破壊兵器、自然環境破壊、科学の暴走、道徳・倫理の衰退、人口爆発などなど。いずれも最後の1分で人類が自らの頭脳で作り出した危機である。もはやわれわれは、これから類人猿にかえることはできないのだ。

2006年9月22日

<国旗・国歌>判決

 わが委員会は、東京都の教職員に国旗・国歌への敬意を強制し、従わないものを罰したことに対する東京地裁の判決を、近来稀に見る名判決であると評価する。その理由は、判決文の「結語」に凝縮して示されている。

 国旗、国歌への正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てることは重要なことで、式典で国旗を掲げ、国歌を斉唱することは有意義なものといえる。しかし、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは、言わば少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置であると思われる。

 国旗、国歌は国民に強制するのではなく、自然のうちに国民の間に定着させるのが国旗・国歌法の制度趣旨であり、学習指導要領の理念と考えられる。

 この判決に賛成する人も反対する人も、注意して欲しいのは、「日の丸・君が代」がいいとも悪いとも言っていない点である。ただ、良心としてその強制に従いたくない、という少数者がいることを指摘しているだけである。

 したがって、「日の丸・君が代」論争は脇に置いて、この判決の重要な柱となっている憲法19条の意味をあらためて噛みしめて欲しい。ということは、すでに制定された国民保護法をはじめ、共謀罪法、さらにはアメリカの愛国者法のような基本的人権軽視の法律がまかり通る風潮を、防がなければならないからである。

 第19条[思想及び良心の自由]思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 第11条には「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とある。その精神を尊重することこそ、国旗、国歌に誰しもが誇りを持てるような国になる第一歩ではないか。

2006年9月26日

田舎館村

 青森県 田舎館村で24日、4色5種類の稲で俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を描いた「田んぼアート」の稲刈りが行われ、約900人が約1.5㌶をカマで手刈りした。(写真は田舎館村HPより管理者複写)

 県産米をベースに、古代米の黄稲や紫稲で肌や頭髪を表現した。見学者は93年の開始以来最多の約20万人に達した。(以上「毎日新聞」9/25記事)

 田舎館村といえば、もっと貴重な見所と文化財がある。それは「垂柳遺跡」とそれを保存する埋蔵文化センターである。青森県といえば、かつては遮光土偶が出土した亀ヶ岡遺跡、近くは大規模開発された三内丸山遺跡が有名である。

 特に三内丸山は、青森観光の定番になりつつある。ところがこの垂柳遺跡は、上のような報道があっても紹介されることがなく、見過ごされている。三内丸山を見て弘前方面に向かうなら、道の駅に隣接して寄りやすい場所にあり、必見の観光スポットであろう。

 小区画の畔がある田んぼを、多分親子連れが通った足跡である。これが岩木山の火山灰に埋もれたまま、約2000年もたって昭和57年に発見されたものだ。

 なぜ「驚き」かというと、卑弥呼の前にここで水田耕作が行われていた、という事実である。縄文文化の三内丸山に続いて、ここ本州の北の果てまで、南方渡来の稲作技術が進出し、弥生時代を開いていたからである。両遺跡見学により、はじめて縄文・弥生と連続して原始が味わえる。

 考古学の常識は、縄文のあと北海道、東北の北半分は寒冷地のため水耕稲作が普及せず弥生時代はなかった、というもので縄文に次ぐものとして「続縄文文化」とか「擦文文化」という別の区分をしていた。

 縄文と弥生を特徴づける最大のポイントが、水耕稲作の普及の有無であるなら、従来の説は撤回訂正されるべきだと思う。ところが考古学者の講演会で質問してみても、どうも歯切れが悪いのだ。

 平安時代までは、この地方を蝦夷の住む未開の地という差別意識があった。まさかその伝統によるものではないだろうが、アイヌ差別につながるなどと言われないうちに素早い対応をすべきではなかろうか。

2006年9月27日

祝・安倍内閣誕生

 かつては仕事柄5紙もの新聞を取り、郵便受けを大型なものに変えたほどだったが、年金生活の今は1紙しかない。そこで安倍内閣誕生にあたり、ネットを借りて主要各紙の社説を大急ぎで巡ってみた。

 チェックした新聞すべてに見られた「評判」は、取り上げ方の軽重こそあれ「論功行賞」の4文字に尽きる。以下の各紙論調は、予想通りでサプライズもないせいか安全運転に徹している。その中で強いて「ツボ」をさぐりながら寸評すると次のようになる。

【日経】「実績の積み上げを見る」という表題で、お手並み拝見という中立的な評価か。ただ「歴史認識」にあいまいさはNO、発言には注意を、とつけ加えている。
【産経】ただ一紙だけ、北朝鮮などへの強硬姿勢に「期待」を寄せている。
【毎日】表題の「改革の熱意が伝わらない」と「目立つのは内輪の論理;」が内容のすべて。

【読売】「方向が見えてこない」「明確でない」オンパレードである。ただ、同紙の社是である改憲についたて「戦後のレジームからの脱却」を唱える首相のもとでの前進を期待している。戦後のレジーなら、米軍主導の安保体制であることについては頬かむり。読売改憲ももう古い。
【東京】久間防衛庁長官は、自衛隊の海外派遣に関する恒久法に消極的で、安倍首相は前向きに取り組む姿勢をみせているが、東京新聞は、高市早苗沖縄対策担当相などとの間にも距離があることを指摘している。そして結論は「答えは参議院選で」と結んでいる。

【朝日】「果たしてどこへ行く」が表題で、後半の多くを、この布陣の右傾化人脈に割いている。安倍氏を含め、中川昭一(政調会長)、高市早苗、下村博文(官房副長官)が「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」という、歴史修正主義と線引きのむつかしい会に所属ていしたことをあげたことは、大きな危機感の表れといえる。

 以上を総合してみると、「仲良しクラブ」ではあるが、政策を推進する迫力に疑問があり、弱点を露呈するのにそんなに時間がかからないような気がする。ということは、参院選に向けて与党過半数割れをねらえる、慶祝すべき内閣の船出といえよう。

2006年9月29日

政治道徳の頽廃

 これから言おうとしているのは、官僚の汚職、裏金づくり、選挙違反といった古典的、慢性的な腐敗、因習のことではない。もっと深刻で嫌悪を催すものだ。それを端的に表現したものが安倍内閣の成立である。

 韓国、中国との関係改善に注力するという。しかし靖国参拝は背中に隠したまま、あるともないともいわない。安倍氏は小泉氏とちがって東京裁判やA級戦犯を認めない考えを持っている。

 両国が全く相容れない政治理念を持ったまま、国交改善をはかり首脳会談をするという。それが政治的に可能だったにしても、会談の際顔が突っぱったり目がうろついたりしないで済むのだろうか。関係改善といっても、信義や道義に裏付けられた関係ではなく野合である。

 さらに、首相指名までの政治家の行動がある。安倍有利と見ると総裁選候補から逃亡したり、安倍批判勢力のはずが雪崩現象をおこして、安倍取り巻き組になってへつらうさま。専守防衛から抜け出すための改憲を目論み、公言してはばからない安倍に票を投ずる公明党議員。

 テレビの顔写りや年の若さだけで、政策の内容や老練さに欠ける資質を問わわない新聞アンケートの回答者。またそれを大量生産生産するマスメディアもそうだ。国が向かおうとしている危機的状況をよそに、スキャンダルをまき散らしながら安逸をむさぼっている。

 小泉にかわって毎日TVに映し出される安倍首相の顔が、そういった「不道徳」を象徴するように見えて仕方がない。教育改革を優先するなら、わけのわからない「美しい国より」、某政治家が言った「信なくば立たず」あたりから始めてほしい。

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