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2006年8月11日 (金)

朝鮮情勢急迫?

[反戦老年委員会復刻版]

 韓国、朝鮮日報(日本語版)コラムよりの引用。

 世の中の動きが尋常ではない。どうも2007年の大統領選を待たずに、韓半島(朝鮮半島)最後の決戦が始まりそうだ。金正日(キム・ジョンイル)総書記がやること、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の性質(たち)の悪さ、 金正日シンパ団体たちの‘わがもの顔’に振舞う姿がすべてやぶれかぶれになって「一丁やってやろうか」というようなふうだからだ。その時が来たという意味だろうか、追い詰められたという意味だろうか?そうならば、大韓民国も6・25(朝鮮戦争)の時のようにやられっぱなしではいられない。憲法が定めた‘国民抵抗権’を深刻に考えるべき時かもしれない。

 金正日総書記はすでに、引き返せない橋を渡った。盧政権は、ともすると6カ国協議をうんぬんするものの、「俺はあらゆる犯罪を尽くしてもおまえは何もいわず目をつぶってくれ」という金正日総書記の無理な注文をアメリカが聞き入れるはずがない以上、6カ国協議は終わりだ。彼には「自爆特攻隊」方式以外には選択の余地がない。「より良い」選択のチャンスを自らつぶしてしまったためだ。

 これは、過激な主張で人気を得たい評論家や学者の発言ではない。同紙・柳根一(リュ・グンイル)論説委員の署名記事である。韓国人特有のけんか腰ものいいとして、割引して考えなければならないのかも知れないが、日本国内では想像できない切迫した雰囲気だ。

 北朝鮮のミサイル発射や拉致問題で脅威を論じ、緊張感を高めようとする日本は、韓国から見れば平和そのものだ。南北分断の宿命を負った韓国の苦悩、そして国内世論の二極化と桎梏は、やはり相当深刻なものがあると、想像しなければならないだろう。

 盧武鉉政権にはもうひとつの難問がある。米軍の戦時作戦統制権を韓国に委譲する問題である。同政権が目玉としていた、2011年をめどに統制権を韓国に戻すという方針に対して、アメリカは2009年にしましょう、とそれを早める回答をしてきた。

 韓国は、早く委譲されてもレーダーその他施設とシステム整備が間に合わず、防衛力の弱体化につながりかねない。同政権としては痛いところを突いてこられてきたわけだ。アメリカは、米軍再編のからみがあり「お望みならどうぞお早めに」ということである。中央日報は社説で「真正な同盟国家ならありえないことだ」とまでいっている。

 こういった盧武鉉政権の八方ふさがりの危機的状況を乗り切るには、例の奥の手を使うしかない。靖国、竹島への強硬手段である。国民の目をそっちにひきつけるだけで成功である。北朝鮮と関係修復を図る材料にもなる。大統領は、小泉首相が15日に靖国参拝を強行することを心待ちにしているかも知れない。

2006年8月12日

悠久三千年

 「江沢民の反日カード」カードという題名で、いつも貴重なご意見をいただくlocust72さんが記事を書かれた。コメントを書こうとしたが、制限字数におさまらない気がしたので、ここで私見をのべてみたい。

 結論からいうと、中国は歴史問題(その象徴的な位置に存在する「靖国問題」を含め)を外交カードと考えていない、ということである。悠久三千年の歴史、言い換えれば「中華思想」は、中国人のアイデンティティーであり、血であり肉であるということである。

 日本では江戸時代に国学がおこり、明治以降、万世一系の「皇国史観」に染められていったが、中国は逆に有史以来易姓革命の国で、王朝、支配者が目まぐるしく交替した。その中でそれぞれの王朝、支配者は、その正当性を主張するため、さまざまな道徳律、宗教、哲学などを尊重・駆使するとともに、歴史の編纂に意を用いてきた。中国人はこの文化の中で育っていくのである。

 したがって、歴史に対する思い入れは、日本人の想像をこえるものがあっても不思議はない。日本では明治維新以降、敗戦だけが「革命」的現象だった。中国はこの間、辛亥革命、日本軍の侵略、共産党支配、その中での「文化大革命」、「天安門事件」など幾多の動乱、変革を経ている。

 現在の中国人の存在は、そのままこの歴史を背負ったものなのである。「日本の侵略はなかった」とか「戦争の判断は間違っていなかった」などという、日本の歴史修正主義は中国人のアイデンティティ否定どころか、再侵略の野心があるという飛躍にまでつながってしまうのである。

 私は江沢民の「(歴史問題を)永遠に話さなければならない」という発言は、この意味で受け止めたい。話し続ける中で、中国的歴史観の見直しが必要な場面も出てくるかも知れない。しかし中国に中庸の精神が生きていれば、それを受け入れる度量もあるだろう。それが中華思想である。

2006年8月16日

反日の本質

「今日の活力」さんへの手紙

 こんにちは。日頃の貴重なご意見に感謝します。

 ブログで自らの意見を開陳する、それにコメントをいただき、次の意見を組み立てる糧とする――というのが、個人ブログにおける一応の不文律だと思います。それを超えネット掲示板のような単なる通信手段として使うことは邪道ですが、今回は例外としてこの表現方法をお認めください。

 「反日」というのは、ここでは中国における日本の靖国問題に対する反応を指す、ということにします。前にも述べていますが、韓国のそれや領土問題などまでを包括的に「反日」でくくることは、「偏狭なナショナリズム」の裏返しにほかならず、建設的ではありません。

 次ぎに「反日」という言葉は、なかば感情的な意味がこめられており、必ずしも適当とは思いませんが、感情面がゼロとは言い切れないのでそのままにします。それに関連しますが、政府などの公式な立場と、扇動された大衆の非公式な発言・行動は区別しなければなりません。

 ちょっと前提が長すぎましたが、始めます。まず中国は、公式に「謝罪しろ」などとはひとことも言っていません。日本が村山談話など公式に何度も遺憾の意を表したことをふまえています。ただ、「歴史認識」は繰り返し言っています。

 ターゲットは「靖国問題」です。「さきの戦争は自衛のため」とか「東京裁判は誤った裁判」という歴史修正主義への抗議であって、わが委員会も日本国内の問題として、絶えずこの点を批判しています。また、小泉首相もこういった歴史修正主義に同調していません(安倍さんは問題ですが)。

 にもかかわらず「靖国」に抗議するのは、靖国が今や歴史修正主義の象徴(A級戦犯合祀や遊就館)と化し、首相が参拝することにより、非公式である歴史修正主義者を激励し、公式なものにしようとしている、と考えるからでしょう。

 その意味で、従来は見過ごせたことでも、日本の歴史修正主義が勢いを増し、台湾問題に関連して日米同盟の極東条項を意識せざるを得ない時期を迎えて、厳しい態度をとらざるを得なくなったということでしょう。

 次ぎに「中華思想」です。よく「自らを世界の中心に置いて他を蛮族視する」といった解釈をします。間違ってはいませんが、「覇道」をしりぞけ「王道」につくことを理想とするように、西欧の帝国主義とは異質のものです。

 おおせの通り、第一次大戦まではイギリスをはじめ各国が中国大陸で権益を争いました。しかしその後は国際連盟を作り、各国が植民地支配を牽制しあって自制する気運がでました。ところが日本だけ結果的にそこから抜けて大陸への侵攻を続け、中国の主要部を占領してしまいました。

 前にも言いましたが、中国は易姓革命が続いた国です。その中には元とか清とかの異民族に支配されたことも少なくありません。それにいちいち謝罪しろ、などと過去にとわわれた発想はなかったと思います。中国人にとっては、それが「歴史」なのです。面子と道理が立てば鷹揚なのです。しかしそれだけ歴史の推移には厳格です。中国共産党をはじめ、各王朝はその正当性を証明するため、青史づくりにことのほか熱心でした。

 満州事変後、日本の侵略で多大な人的被害を受け、国共内戦で共産党政権が勝利し、さまざまな試練を受けながら今日に至った、それが今の中国政府であり中国人そのものだ、という意識があります。戦前の日本とちがって、国の恥も栄光もみんな歴史なのです。

 それが、「侵略戦争ではなかった」とか「南京虐殺はなかった」といわれれば、中国の存在そのものが否定されているように思うのでしょう。過去の事実を否定されれば、将来にもつなげられなくなります。最後に申し添えますが、この考えは書物上の知識でしかありません。中国人もいろいろだと思います。観察の足りない点があったら、是非教えてください。返信という形でなくて結構です。

 それではいずれまた。 

2006年8月18日

切り札論

 「今日の活力」さまこんにちは。お許しをいただいたので、靖国問題が中国にとって切り札かどうかについてもう一度記事にします。

 何日か前のNHKの特番でも扱っていましたが、日中国交回復の際、中国側が2分論(日本の一握りの軍国主義者=概念的にはA級戦犯と一般国民を分けて考え、一般国民の戦争責任は問わない)を掲げることで党内の講和反対派をおさえ、両国の国交の基本原則としたことは、ご存じだと思います。それにこだわることは、同国の文化でもある「面子」をあいまいにしないということでしょう。

 中国は、靖国問題を理由に首脳会談を拒否しています。それは、基本原則を無視された、と思うからです。言行不一致だからです。信頼をそこねたと思っています。それ以外のこと(要求)は、当然あります。中国にとって最大の問題が台湾です。

 いろいろな国際間緊張は、話し合いで解決するしかありません。したがって中国は日本との話し合いを望んでいるはずです。これをはばんでいるのは、両国国交の基本原則をうやむやにしたままなしくずしにして次の話しはできない、という歴史の連続性を重んじる中華思想からだと思います。

 最後に、わが委員会は中国の代弁をするつもりは一切ありません。感情面ではどっちもどっち、だけど中国の方が筋を通そうとしているのなら、日本も筋の通った論理を示さなければならないと思うだけです。「心の問題」というのは、それを避けているとしか受けとられないのではないでしょうか。

 また、お目にかかりましょう。

2006年8月28日

巨文島

 領土問題で韓国と対立する竹島問題。この議論の中で、対日平和条約の次の条文がよく取り上げられる。

    第2条(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する

 日韓の間で、ここに書いてある島、書いてない島の解釈をめぐって両国間に論争がある。済州島は、韓国最南端の大きな島でかつて耽羅と呼ばれた独立国だったこともある。また鬱陵島は問題の竹島の韓国寄りにあって、これもよく知られている。

 そして、巨文島は比較的大きな(「巨」の字があるせいか)島だと思っていた。また、一時イギリスが占拠するなど歴史的にも有名な島なので、地図を見ればすぐわかるはずだと思った。ところが見つからないのである。

 ややあせって、ネットで検索をかけると、上記の領土問題のほか観光関係のページがでてきたので、これで大体の位置の見当をつけ、もう一度縮尺の小さい地図を選んで見た。ありました。対馬と済州島の中間。島も小さければその名を書いた字も小さい。これでは見逃すはずだ。

 しかし、朝鮮海峡の中間に位置し、対馬同様、海峡を通過する艦船を環視できる重要な戦略地点であることはすぐわかった。イギリスの東洋艦隊は1885年3月突然この島を不法占領し,要塞工事を行うとともに,朝鮮でロシアにどのような譲歩もしないように清国政府に要求した。

 ロシアは1860年に沿海州を領有して,ウラジヴォストークに港を建設,そこを拠点にその艦隊を南下させて朝鮮の東海岸に出没し、翌61年には対馬に軍艦1隻がおしよせ、兵を上陸させて土地を不法占拠した。さらに、これに抗議した島民1人を射殺し2人を拘束するなどして居座るかまえを示した。

 幕府はこれをイギリスの圧力を借りて解決しようとし、半年後にイギリスの軍艦2隻の派遣を得てようやく退去させることができた。巨文島の占拠は、その後も続いた朝鮮半島に勢力を張ろうとするロシアへの対抗措置で、約2年間続いた。

 この島には当時ここで死亡したイギリス人の墓があるほか、かつては日本人が住み、和冦の巣窟だったこともあるようだ。朝鮮の島が占拠されたのは、このほか46年のフランス、68年のアメリカによるソウル郊外の江華島がある。

 ここは、かつて元の侵攻を受けた高麗王朝が避難した島であり、1875年、測量中の日本軍艦雲揚号が砲撃を受けて、日韓における最初の修好条約締結のきっかけを作ったところでもある。朝鮮半島のへそに当たる要衝だったのだ。いずれにしても、日韓現代史の幕開けは、西欧帝国主義の外圧とこの二つの島から始まると言っても過言でない。

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