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2006年8月

2006年8月19日 (土)

スッポンポン逮捕

[反戦老年委員会復刻版]

2006年 8月17日 (木) 13:43 gooニュース (共同)

 偽の警察手帳を使って無銭入浴したとして、宇都宮東署は17日までに、詐欺容疑で住所不定、無職井上大地容疑者(38)を逮捕した。井上容疑者は「手帳は通信販売で購入した」と話しているという。

 調べでは、井上容疑者は16日午前1時ごろ、宇都宮市内の入浴施設「極楽湯宇都宮店」で私服の警察官を装い、偽の警察手帳を職員に見せて「宇都宮東署の者だ。犯人が中にいるという通報があった」と話し、料金を支払わず入浴した疑い。

 約3時間すぎても井上容疑者が出てこなかったため、施設側が署に連絡。署員が駆けつけると、井上容疑者はまだ入浴中だった。

 井上容疑者は警察手帳以外に、手錠や警棒も購入していたという。

 時代はズーットさかのぼって文久元年(1861)夏6月。場所は下総国、佐原の旅籠から始まる。

 「許せ」。武士の風体だがニセ医者の石坂周造。顔見知りの番頭の挨拶をさえぎるように「暑い、暑い。汗だくの中の土ぼこりじゃ。まず風呂をつかわせ」。「先生、あいにく風呂釜が故障しております。恐れ入りますが近くの銭湯へご案内させていただけませんでしょうか」。「おお、よかろう」。

 石坂周造。異人襲撃テロ共謀罪容疑で、幕府から指名手配を受けているがこのあたりは、比較的知人が多く隠れやすい。脇差し一本を持って銭湯に向かい、脱衣所の籠に全てを脱ぎ捨てて湯船に足をかけた。その瞬間、4、5人いた洗い場の客が一斉に立ち上がり、周造の両腕をねじあげた。と、すかさず、表から正装の捕吏が土足で駆け込んできた。「御用。御用っ」。周造は大変な遣い手――、ということになっている。

 前年、大老・井伊直弼が桜田門外で水戸藩士に斬殺された。吉田松陰など勤皇の志士を殺した張本人として狙われたためである。テロリストを殺すとまた別のテロを誘発する。そこらを見極めたスッポンポン逮捕だったのだろう。犠牲者ゼロで全く無傷のまま逮捕できた。今でいえば、警視庁、千葉県警、旅館、銭湯の水ももらさぬ連携プレーといえよう。

 周造は、清川八郎や山内容堂らの運動もあって翌年救出され、山岡鉄舟などと幕末・維新を暴れまくるのである。(拙著『浪士、石油を掘る』より)

:2006年8月22日

山田長政

私本・善隣国宝記

 前回、1597/5に秀吉が呂宋の壺を買い占めた話をした。武力侵攻で脅迫するアジア政策から、徳川家康は善隣友好政策に一転させた。朝鮮に関しては「朝鮮善隣時代」ですでに書いたように、対馬藩・宗氏が両国の国書を改竄するなど渾身の努力もあって、1607/5に最初の朝鮮信使を迎えることができた。

 対馬の宗氏とは事情を異にするが、2国間をふたまたかけて生き残りをかけていたのが琉球王である。日本での扱いは、薩摩島津家にあずけるという形になっているが、一方で琉球王は明の冊封も受けており、この影響の方が大きかった。

 幕府は、明との勘合貿易復活を琉球王が仲介するよう要求するが、琉球王はこれに応じず、1609/2島津藩が遠征軍を派遣して琉球を制覇した。そのため明はいよいよ日本に不信感をいだき、国交回復は遠のいた。しかし、民間貿易や僧侶等による文化交流に支障はなく盛行する。

 同じ頃、家康はポルトガル(主要基地・マカオ、以下同じ)に加え、オランダ(インドネシア、台湾)、イギリス(ジャワ島)、スペイン(フィリピン・ルソン島)などにも優遇策を示して、貿易の活性化を図ろうとした。ただしキリシタン布教は別で、厳しい態度を貫いた。

 また、日本から出る交易船には免許を証する「ご朱印状」を公布し、取引の円滑を図った。行き先はマカオ、シャム(タイ)、交趾(ベトナム)その他東南アジア各地である。そこには日本人町が栄え、カンボジアのアンコールワットには、寛永9年(1632)の日本人夫婦参詣記念という落書きも残っている。

 シャム(タイ)といえば、おなじみの山田長政の話しがある。戦中の昭和17年、国民学校の教科書に採録されたり、「大政翼賛会推薦」の紙芝居ができたり、長谷川一夫主演の映画ができたりしておおはやりだった。これが、当時日本政府の南進政策にそった歴史教育の一環で、確定史料のない伝説程度のお話しだっということである。

 歴史の捏造や改竄が行われ、「A級戦犯は存在しない」などの修正主義を教育に利用するような国には、二度としたくない。ここにその山田長政に関する教科書の前半部分を紹介しておく。

 今から三百二十年ばかり前に、山田長政は、シャムの国へ行きました。シャムといふのは、今のタイ国のことです。

 そのころ、日本人は、船に乗つて、さかんに南方の島々国々に往来し、たくさんの日本人が移り住んで、いたるところに日本人町といふものができました。シャムの日本人町には、五千人ぐらゐ住んでゐたといふことです。

 二十何歳でシャムへ渡つた長政は、やがて日本人町の頭になりました。勇気にみち、しかも正直で、義気のある人でした。

 シャムの国王はソンタムといって、たいそう名君でありました。<br /> 長政は日本人の義勇軍をつくり、その隊長になって、この国のために、たびたびてがらを立てました。

 国王は、長政を武官に命じ、のちには、最上の武官の位置に進めました。

 日本人の中で、武術にすぐれ、勇気あるもの六百人ばかりが、長政の部下としてついてゐました。長政は、これらの日本人の武士と、たくさんのシャムの軍兵をひきゐて、いつも、堂々と戦に出かけました。長政が、ひをどしのよろひを着け、りつぱな車に乗り、シャムの音楽を奏しながら、都にがいせんする時などは、見物人で、町といふ町がいつぱいだつたといふことです。

2006年8月23日

自虐記者

 「いまやメディアも自分で考える能力がないから、役人の個人情報を保護することと巨悪の追求、どちらを重視すべきか優先順位をつけられない」(勝谷誠彦「月刊現代6月号」)。

 「小泉さんはかつて親しい人物に『オレはこころに入れ墨を入れた』と漏らした。けんかには負けない。この中曽根・小泉ご両所のけんか心が、果たしてひ弱なポスト小泉の候補者にあるだろうか。いやいや、そんなことより、小泉内閣の5年間に、すっかり牙を抜かれた新聞にけんか心は戻って来るか。新聞もたまには『こころの入れ墨』をチラッとみせるべきである」(毎日新聞専門編集委員・牧太郎、同紙8/22夕刊)。

 以上のおふたり、いずれもかつて週刊誌で活躍した人である。勝谷氏はよく知らないが、TVのバラエティー番組にもよく出る人らしい。どう見てもメディアの内部にいて、情報や意見を発信する立場の人である。これに類する内部からの発言は、最近珍しくなくなった。

 なんともやるせない気がするのは、負け犬の遠吠えのようで、自省のことばも「それならばどうする」というスゴミのある対策もでてこないことである。たしかに、権力へのへつらいやスポンサーへの遠慮に抵抗したい気持ちはにじみでているのだが、どこか人ごとのようで空虚である。

 それだけでは情報の受け手にとって、自虐趣味を聞かされているのと同じである。やはり記者も人の子、体制の中にとっぷりつかって保身が優先ということであれば、批判する対象と変わりないではないか。もっと変化を呼ぶドスの利いた発信をしてもらいたいものである。

2006年8月24日

新聞記事の見方

 記事の種類には、報道記事のほか「解説」「雑感」「ルポルタージュ」「反響」「談話」などがある。しかしこれらの分け方は、必ずしもはっきりとしたものではない。例えば「本記」の中に「解説」「雑感」が織り込まれたり、「雑感」を中心とした本記もある。(以上、『記者ハンドブック』共同通信社’81版より)

 これは、文字通り新聞記者の必携書でありバイブルであるべき同書の「記事の書き方」という章にある。最後の、「雑感」を中心とした本記もある、はひどいが、新聞記事を読む方はこれを心得ておいておく必要がある。そしてどれが本当の「報道記事」かを区別して判断しなければならない。電波媒体の場合は、すぐに消えてしまうのでなおその判断がむつかしい。

 多くの情報操作は、上でいう「本記」以外の露出を多くすることによって達成されるのではないかと思われる。世間にあふれかえる情報を的確につかむには、そのとらえ方に一定の訓練が必要になってくるということである。

 これをテーマにしたきっかけは、毎日新聞の記事(24日)である。奥田トヨタ相談役が「経済格差は社会の活性化につながる限り、むしろ望ましい」という持論を講演会で展開したという記事の最後に、「経団連会長時代に、堀江貴文被告が率いたライブドアの入会を認めたことには言及しなかった」という付け足しをしている。これは「本記」に関係のない「雑感」にすぎず、記事の品格を低める効果しかないのではないか。

2006年8月25日

いまなお未復員

 昨年末、「戦争と精神障害」という題で、1937年(日中戦争開始)から1945年度にかけて障害を負った大半が国府台陸軍病院(写真:現国立精神・神経センター国府台病院、千葉)に送られ、その数は1万人以上に達していたが、戦後は各地の病院に転院し、また死亡、退院などで数が減ったものの、現在でも各地の病院合計で84人が退院できず、通院している元軍人らも59人いる、という記事を書いた。

 雑誌『世界』9月号で、埼玉大学名誉教授・清水寛氏(障害児教育学)が、この件に関する追跡を「死に行く“未復員”兵士たち」としてレポートしている。また、同氏編著で『日本帝国陸軍と精神障害兵士』が近日不二出版から刊行されることになったという。その紹介もかねて上記レポートで引例された資料の一部と、結語を採録させていただく。

●国府台陸軍病院での軍医による問診への陳述(歩兵上等兵、31歳、精神乖離症)

 「河北省ニ居タ時(略)隊長ノ命デ付近ノ住民ヲ七人殺シタ/銃殺シタ/ソノ後恐ロシイ夢ヲ見、自分ガ正規兵ニ捕レタリ部落民ニ捕ハレタリ/又殺シタ良民ガウラメシソウニ見タリスル/頭ノ具合ガドウモ悪ク不眠トナッタ(略)/山東省デ部隊長命令デ部落民ヲ殺セシコトハ自分ニモ同ジ様ナ子供ガアッタノデ余計嫌ナ気ガシタ」

●二度死なせてはならない

 「戦傷精神障碍元兵員たちは、戦時中は身体障碍の傷痍軍人たちに比べれば“置き去り”にされ、戦後は世代交代が進むなかで肉親とのつながりは“疎遠”となり、今や老いて“死にゆこう”としている。しかし、彼等の存在は将来においても忘れられてはならない。

  死者のことを記憶し、想像し、未来世代にわたって語り継ぐ人間的営みを止めたとき、死者は文字通り地上に生を受けなかったのと同じように無化され、そのようにして忘れられた歴史は新たな装いをもって、より残酷に繰り返されるであろうから。それゆえに、彼らを二度死なせてはならない」

 追記:上述の国立国府台病院は、統合民営化の方向が決まり、名乗りを上げていた数医療機関の選考を進めていたが、最近、厚生省天下りが多い東北の某医療機関に低価格で払い下げることを当初から決めていたことことが判明し、民営化自体が白紙にかえった。病院自体が「いまなお未復員」状態である。

2006年8月26日

松下村塾

 松下村塾・塾則
一、両親の命には必ず背くべからず。
一、両親には必ず出入りを告ぐべし。
一、朝起きて、口をすすぎ髪を梳って、先祖を拝し、お城に向かって拝し、東に向かって天朝を拝すること。たとえ病に伏すとも怠るべからず。
一、兄はもとより、年長、または徳高き人には、必ず順い敬い、無礼なることなく、弟は言うもさらなり、品いやしき、年少き人を愛すべし。
一、塾中において、よろず応対と進退とを、切に礼儀を正しくすべし。

 吉田松陰を最も尊敬する人としてあげた小泉首相は、過日、安倍官房長官の地元にある長州の同塾を訪問した。

 なぜ、どこを尊敬するのか定かではない。この塾則で言えば、先祖のかわりに先ず靖国を拝し、天朝(国)を拝するのは一番最後でいいということか。

 4番目の「品いやしき、年少き人」は愛しても、年長者に「順い敬い」は全く逆を実行している。もっとも、小泉首相は「都合のいいところだけをつまみ食い」する名人なので、これで不思議はない。

2006年8月28日

価値感

「同じ価値観を持つ(アメリカ)」などという使い方は、安倍官房長官をはじめ、最近政権筋の発言によくでてくる。「価値」という言葉は、哲学的な含みを持った深い意味があり、軽率に使われるべきではないし誤解を招くおそれも多い。

  たとえば、「同じ価値観を持つ日米が協力してイスラム・ファシストに対抗する」という言い方をすれば、宗教による差別、偏見と紙一重になる。また、「同じ価値観を持つオーストラリア、ニュージーランド、インドをを含めアジアの外交を……」というのも、反アジア、反共主義ととられかねない。

 ブッシュ流にいえば、アメリカ式自由と民主主義を言いたいのだろうが、キリスト教原理主義が幅をきかす国と、国内の反対を押し切って靖国参拝を強行する首相のいる国と、階層社会のあるヒンズー教優位の国を一緒くたにして「共通する価値観」とは、全く乱暴な話だ。

  だれかが使ったからといって、まねをすればいいというものではない。かつての観念左翼や現今のネット右翼ではあるまいし、政治家ならば「自分のことば」で語ってほしい。教育改革をするなら、まずことばの貧困さをただすことから始めるのがいいようだ。

2006年8月29日

コーランでは

 イスラエルがレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラを攻撃し、レバノン各地に瓦礫の山を築いた。そこで子供など多くの非戦闘員が犠牲になっている悲惨な映像は、両国が国連安保理の停戦決議1701を受諾したことにより、ようやくテレビの画面から消えていった。

 国連のアナン事務総長がレバノン入りしたが、前途にはヒズボラの武装解除、イスラエル軍の円滑な撤退など多くの難問を抱えたままである。双方の厭戦気分から真の和平がよみがえってくれればいいが、やはりイラクを含めたアメリカの中東政策のありかたが、最後までそのカギを握るであろう。

コーラン(井筒俊彦訳・岩波文庫)

 (45)時にアッラーは夢の中でお前(マホメット)に彼等(敵軍)をごく少数のように見せ給うた。もし大勢いるように見せ給うたならば、汝ら必ずや弱気になって、どうしたものかと仲間割れしたに違いない。だがアッラーは(汝の気持ちを)落着かせ給うた。人間が胸の中でどのようなことを考えているか、神はことごく知り給う。

 (46)あの時、両方がぶつかった時に、汝らの目には向うが少数に見え、また彼等の目には汝らが少く見えるようにはからい給うた。それはアッラーが、初めから起ると決まっていたことに最後の決着をおつけになるためであった。一切のことは結局アッラーに帰着する。

 (47)これ、汝ら、信徒の者よ、汝ら(敵)軍に出逢ったら、しっかりと腰を据えて、アッラーの御名を何遍も唱えよ。さすれば、必ず幸福を得よう。<br /> (48)そしてアッラーと使徒(マホメット)の言いつけをよく守れ。決して喧嘩口論などして志をぐらつかせ、ついには順風に見放されれるようなことがあってはならぬぞ。どこまでも頑張り通せ。まことアッラーは辛抱づよい者の側につき給う。:

2006年8月30日

聞かれないから

 小泉首相が、加藤紘一議員宅放火事件について、事件発生後約半月もたってコメントした。すでに各ブログがこれについて言及しているが、これまで発言しなかった理由について、「聞かれなかったからだ。靖国の問題でも聞かれなければいわない」といったそうだ。

 いうほうもいうほうだが、新聞記者も完全になめられている。記者は、国民にかわって質問しているのだ、という気概、気迫がいつの間にか消え失せてしまっている。小泉フレーズにしっかり釘をさせる記者はいないのか。

 記者の質問は、「当然(聞かれなくとも)発言すべき事柄をどうして発言しなかったのか」という意味である。それを記者から質問がなかったからと、投げ返すいつもの詭弁と問題のすり替えで、蛙の面に水である。

 首相や官房長官に民主主義の根幹を守る意志が希薄なことは、これでわかったが、報道関係者は、たとえ要職者が外遊していようが休暇中であろうがニュース発生と同時に政府声明を求めるような動きがあってしかるべきで、遠慮をしていたとすればやはり同罪ではないか。

2006年8月31日

Abe DeBe

  これは、次期総理の可能性が高い安倍晋三についての、私用データベース、というより備忘用のメモである。したがって第三者の閲覧・利用は一切顧慮していない。また、必要に応じ追加、修正、削除をする。(以上ことわり書き)。

【履歴】昭和29年(1954)9.21山口県生まれ。成蹊大学卒、神戸製鋼勤務、安倍晋太郎秘書。【縁戚】祖父・安倍寛元衆議院議員、岸信介元首相。父・安倍晋太郎元外相。【役職】官房副長官→自民党幹事長→官房長官。

【支持団体、ブレーン等】安晋会/慧光塾。ライブドア関連・故野口英昭。ヒューザー・小嶋社長・5人組・外交、教育政策を提言する有識者グループ/下村博文衆院議員、伊藤哲夫・日本政策研究センター。島田洋一・福井県立大。西岡力・東京基督教大。八木秀次・高崎経済大。中西輝政・京大教授。

・日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会/伊藤哲夫、中川昭一・日本教育再生機構設立準備室/中西輝政、八木秀次・北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)/佐藤勝巳会長、島田洋一、八木秀次・「草の根の保守」ネットワーク/(グラスルーツ・コンサバティブ日本版)自民党本部・支部議員、西尾幹二・電気通信大、佐藤勝巳・「立ち上がれ!日本」ネットワーク/伊藤哲夫、中西輝政、西岡力、八木秀次。

山谷えり子、下村博文・保守論客の会(私的サロン)/岡崎久彦・元駐タイ大使。屋山太郎・政治評論家。谷内正太郎・外務次官。北岡伸一東大教授。田中明彦東大教授。金美麗・評論家。渡部昇一・上智大名誉教授。田久保忠衛・杏林大客員教授。

・安保法制懇談会/葛西敬之・JR東海会長。岡崎久彦。柳井俊二・前駐米大使。北岡伸一。田中明彦。坂本一哉・大阪大教授。西元徹也・元幕僚議長。・シンクタンク2005・日本/設立・自民党、鈴木崇弘・中央大

・外交・安保ブレーン/岡崎久彦。河西敬之・JR東海。坂元一哉・大阪大。谷内正太郎・外務事務次官。斎木昭隆・駐米公使。阿川尚之・前駐米公使。

・伝統と創造の会/保守系自民党新人議員、稲田朋美会長・再チャレンジ支援議員連盟/山本有二会長、菅義偉、梶山弘志、94人・安倍晋三応援隊/森派ほか総合選対本部、柳沢伯夫本部長、53人・1期生による安倍晋三先生を激励する会/呼びかけ人・長島忠美、38人・森派/中川秀直、世耕弘成・無派閥新人議員の会/小野次郎代表幹事、37人・公明党/浜四津敏子、高木陽介広報局長

【暴力団・右翼】工藤会・安倍事務所放火事件。大日本同胞会・加藤宅放火事件。その他指定暴力団との風評
【新興宗教】統一協会。慧光塾
【支援団体追加】(人数には重複有り)<br />・シニア会/当選7回以上11人・支える会/当選5、6回・石原伸晃、11人

【その他各界】・芸能界/西田ひかる、片岡鶴太郎、黒岩祐治フジテレビキャスター・アメリカ/シーファー駐日大使、ハドリー大統領補佐官(国家安全保障担当)、クラウチ大統領次席補佐官(同前)、アーミテージ元国務副長官
・経済界/西岡喬・三重工会長、牛尾治朗ウシオ・電機会長、本田勝彦・日本たばこ産業相談役、的場順三元大和総研理事長・加藤良三駐米大使、谷内正太郎外務事務次官、斎木昭隆駐米公使、漆間巌

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2006年8月14日 (月)

東京裁判異伝 1

[反戦老年委員会復刻版]

 これから書こうとしていることは、歴史的事実とか実録とかといったものではありません。かといって根も葉もないことではなく、これまでに解明されてきた各種の研究や、当時の世間の流れから考えて「こんなこともあったんじゃないか」とか、「今考えるとこうに違いない」と感じていることが中心です。

 「東京裁判は勝者による一方的な裁判で、公正を欠く」とか、「国際法上公判手続きに疑問がある」という意見をよく聞きます。まず、最初の問題から取り上げて見ましょう。「戦争犯罪人は日本人の手で裁かれるべきだった」という人もいます。

 そのような動きは実際にありました。ポツダム宣言の第10項には、<吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加えらるべし>とあり、これを受諾した日本は、当然その対策を考えていました。宣言ではその詳細に触れていませんが、当然厳しい追及があるものと予想し、処罰がすこしでも緩和されるよう日本側による「自主裁判」を検討、連合国側に打診してみました。

 連合国側では、準備に時間を要したものの、そのようなことでお茶をにごす気は毛頭ありません。GHQはそんな希望的観測をうち切るように46年3月、その可能性をきっぱり否定しました。一般の日本人は、「天皇や皇族が引っ張られるようなことはないか」と息を潜めていましたが、一番ホッとしたのは幣原首相ではないでしょうか。

 明治憲法では、「第五十七条 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」とあります。天皇の命令で動いた軍人が、天皇の名で裁かれるということになり、天皇は苦境に立たされます。また、新憲法はようやくその姿が見えてきた頃ですが、連合国側が期待するような戦争犯罪を裁くとなればそのための法律が必要となり、主権在民の建前から天皇の立場が当然議論の対象になります。当時の共産党の勢いからみても、何が起きるかわかりません。

 戦後、保守陣営の最大の政治目標は、経済復興と並んで、天皇制の維持と戦争責任者の断罪による民心の安定だったといえます。そのためには、すでに天皇制の利用価値を知っているGHQ主導の裁判で天皇への波及を止め、同時に国論の混乱が回避できれば一石二鳥だったわけです。最近、「東京裁判はGHQと日本政府の合作劇」という評価がありますが、そういった痕跡は十分あるようです。

2006年8月15日

東京裁判異伝 2

 今日15日、小泉総理大臣は予想通り靖国神社に参拝しました。中国などでも、天皇メモの発見、政界での論争などを通じて、日本の国内事情を注意深く観察しており、「小泉首相は結局意地っ張り」という位置づけになっているようです。歴史の評価も、田中真紀子さんではないけど、稀代の「変人」首相だった、ということになりかねません。

 小泉首相特異(得意の転換ミス)のワンフレーズは、例えば「戦没者に哀悼の意」といい片方で「A級戦犯はA級戦犯」というように脈絡をつけず、二律背反することでもあえて説明をしないか、話を別な方に振ってしまうという変なくせがあります。これもあとしばらくのご辛抱ですが、彼の残した悪影響、つまり「復古右派」を元気づける政策だけは止めなくてはなりません。

 今日も東条英機元・首相の孫娘、由布子さんが複数のTV局に出演してました。おっしゃることは「国会決議でA級戦犯という言葉はなくなった」とか「合祀は国で決めた」という、復古右派がかつて唱えていた、事実に反する相当無理なこじつけだけで、少女時代にご苦労されているだけにいたいたしい感じがしました。

 そこで、東条由布子さんに申し上げたいと思います。お祖父様は学校の先生がいったような「泥棒よりもっと悪い人」などではありません。戦時中の国家指導者の中で、ただひとり全責任を一身に受けて最後をとげられました。自殺未遂も、あるいは深い考えがあってのことかも知れません。

 自己保身に汲々とする他の戦犯容疑者と違い、公判でも日本の開戦が道理のあるもので間違っていなかった、と綿密な論拠をあげて堂々と主張され一歩も引かれませんでした。他の被告が罪を転嫁しようとしていることを知っても、態度は一貫していました。

 つまり、強い罪状否認で裁判官の心証を悪くしておいた方が、自分に罪を集めやすいと考えたのかも知れません。家族の皆さんに「語るなかれ」とおっしゃったのは、無用な弁解をするな、という意味だと思います。もし、公判で戦争責任の所在が不明確になれば、当然天皇に類が及び、天皇を証人として喚問するということもになりかねない、と心配されたと思います。

 ただ、復古右派のいうように、いわゆる「東京裁判史観」がA級戦犯を悪者にしたという主張は間違いです。東条首相は、戦時中からすでに戦争指導のあやまりと、憲兵や特高を使った独裁体制、和平工作の妨害などで評判を落とし、退陣させられています。

 また、負ける戦争を始めたばかりか、終戦直前まで徹底抗戦を主張し、戦後は自ら戦陣訓で禁止していた「生きて虜囚のはずかしめ」を受けたことなどから、一般民衆の怨みを買っていたことは事実です。それは、東京裁判やGHQによる「真相はこうだ」など宣伝工作の始まる前からです。

 お祖父様の最後のお仕事は、お国のため悪者に徹することでした。そのお祖父様の名誉回復は、靖国神社に祀ることではありません。それを言い張ることは、お祖父様の遺志に反するばかりか真相からますます遠ざけることになります。名誉回復は、歴史修正主義ではなく、今後の正しい歴史の検証の中から生まれるはずです。

2006年8月17日

鴻毛より軽し

 旧盆で陋屋に押し寄せた孫軍団が次々と撤収し、今日は最後になった。中1と中3の孫娘が博多に帰る。たまたま狸便乱停さまの「軍人勅諭」を拝見し、中1当時の淡い追憶がよみがえった。

 初夏のさわやかな日、教練の時間は八幡神社への行軍であった。巻脚絆(ゲートル)と鷹匠(地下たび)だけで軍装なし。参拝の後、境内の一隅で折敷(地面に立膝で座ること)。教官は退役准尉殿。

 「お前たち、軍人勅諭というのを知っているか?」<br /> 「ハイッ」といって手をあげたのは、この反戦老年だけ。「よおし、言って見ろ」。「ひとつ、軍人は忠節を尽くすをもって本分とすべーし」。以下第1項全文をスラスラと口誦した。

 幼い日の幻に似ているのだが、最近でも同期生が証言するから本当なのだろう。実は都会の学校から転校して半月ほどで、転校前の最初の教練の宿題がこれだったのだ。その学期の通信簿、教練だけが「優」ほかはすべて「良」か「可」だった。

 その一節「死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」。天皇が「命は地球より重い」でなく「おおとりの羽毛より軽い」と軍人に教えたのだ。明治16年、まだもと武士が大手を振っていた時代だったとしても、60年間そこから一歩も前進しなかったのが、帝国陸海軍である。それが子供にまで押しつけられた。

 しかし、鴻毛より軽い命は下級兵卒と敵方人民で、高級将校は禁止されている政治にかかわり、命に危険のないところにいることを、兵隊達は知っていた。<br /> 「ひとつ、軍人は要領をもって本分とすべし」。

 階下から声がした。「もう出かける時間だよー」。そう、もう時間がない。台風が近づいているそうだ。孫達の平安無事をひたすら願って送り出そう。

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2006年8月11日 (金)

朝鮮情勢急迫?

[反戦老年委員会復刻版]

 韓国、朝鮮日報(日本語版)コラムよりの引用。

 世の中の動きが尋常ではない。どうも2007年の大統領選を待たずに、韓半島(朝鮮半島)最後の決戦が始まりそうだ。金正日(キム・ジョンイル)総書記がやること、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の性質(たち)の悪さ、 金正日シンパ団体たちの‘わがもの顔’に振舞う姿がすべてやぶれかぶれになって「一丁やってやろうか」というようなふうだからだ。その時が来たという意味だろうか、追い詰められたという意味だろうか?そうならば、大韓民国も6・25(朝鮮戦争)の時のようにやられっぱなしではいられない。憲法が定めた‘国民抵抗権’を深刻に考えるべき時かもしれない。

 金正日総書記はすでに、引き返せない橋を渡った。盧政権は、ともすると6カ国協議をうんぬんするものの、「俺はあらゆる犯罪を尽くしてもおまえは何もいわず目をつぶってくれ」という金正日総書記の無理な注文をアメリカが聞き入れるはずがない以上、6カ国協議は終わりだ。彼には「自爆特攻隊」方式以外には選択の余地がない。「より良い」選択のチャンスを自らつぶしてしまったためだ。

 これは、過激な主張で人気を得たい評論家や学者の発言ではない。同紙・柳根一(リュ・グンイル)論説委員の署名記事である。韓国人特有のけんか腰ものいいとして、割引して考えなければならないのかも知れないが、日本国内では想像できない切迫した雰囲気だ。

 北朝鮮のミサイル発射や拉致問題で脅威を論じ、緊張感を高めようとする日本は、韓国から見れば平和そのものだ。南北分断の宿命を負った韓国の苦悩、そして国内世論の二極化と桎梏は、やはり相当深刻なものがあると、想像しなければならないだろう。

 盧武鉉政権にはもうひとつの難問がある。米軍の戦時作戦統制権を韓国に委譲する問題である。同政権が目玉としていた、2011年をめどに統制権を韓国に戻すという方針に対して、アメリカは2009年にしましょう、とそれを早める回答をしてきた。

 韓国は、早く委譲されてもレーダーその他施設とシステム整備が間に合わず、防衛力の弱体化につながりかねない。同政権としては痛いところを突いてこられてきたわけだ。アメリカは、米軍再編のからみがあり「お望みならどうぞお早めに」ということである。中央日報は社説で「真正な同盟国家ならありえないことだ」とまでいっている。

 こういった盧武鉉政権の八方ふさがりの危機的状況を乗り切るには、例の奥の手を使うしかない。靖国、竹島への強硬手段である。国民の目をそっちにひきつけるだけで成功である。北朝鮮と関係修復を図る材料にもなる。大統領は、小泉首相が15日に靖国参拝を強行することを心待ちにしているかも知れない。

2006年8月12日

悠久三千年

 「江沢民の反日カード」カードという題名で、いつも貴重なご意見をいただくlocust72さんが記事を書かれた。コメントを書こうとしたが、制限字数におさまらない気がしたので、ここで私見をのべてみたい。

 結論からいうと、中国は歴史問題(その象徴的な位置に存在する「靖国問題」を含め)を外交カードと考えていない、ということである。悠久三千年の歴史、言い換えれば「中華思想」は、中国人のアイデンティティーであり、血であり肉であるということである。

 日本では江戸時代に国学がおこり、明治以降、万世一系の「皇国史観」に染められていったが、中国は逆に有史以来易姓革命の国で、王朝、支配者が目まぐるしく交替した。その中でそれぞれの王朝、支配者は、その正当性を主張するため、さまざまな道徳律、宗教、哲学などを尊重・駆使するとともに、歴史の編纂に意を用いてきた。中国人はこの文化の中で育っていくのである。

 したがって、歴史に対する思い入れは、日本人の想像をこえるものがあっても不思議はない。日本では明治維新以降、敗戦だけが「革命」的現象だった。中国はこの間、辛亥革命、日本軍の侵略、共産党支配、その中での「文化大革命」、「天安門事件」など幾多の動乱、変革を経ている。

 現在の中国人の存在は、そのままこの歴史を背負ったものなのである。「日本の侵略はなかった」とか「戦争の判断は間違っていなかった」などという、日本の歴史修正主義は中国人のアイデンティティ否定どころか、再侵略の野心があるという飛躍にまでつながってしまうのである。

 私は江沢民の「(歴史問題を)永遠に話さなければならない」という発言は、この意味で受け止めたい。話し続ける中で、中国的歴史観の見直しが必要な場面も出てくるかも知れない。しかし中国に中庸の精神が生きていれば、それを受け入れる度量もあるだろう。それが中華思想である。

2006年8月16日

反日の本質

「今日の活力」さんへの手紙

 こんにちは。日頃の貴重なご意見に感謝します。

 ブログで自らの意見を開陳する、それにコメントをいただき、次の意見を組み立てる糧とする――というのが、個人ブログにおける一応の不文律だと思います。それを超えネット掲示板のような単なる通信手段として使うことは邪道ですが、今回は例外としてこの表現方法をお認めください。

 「反日」というのは、ここでは中国における日本の靖国問題に対する反応を指す、ということにします。前にも述べていますが、韓国のそれや領土問題などまでを包括的に「反日」でくくることは、「偏狭なナショナリズム」の裏返しにほかならず、建設的ではありません。

 次ぎに「反日」という言葉は、なかば感情的な意味がこめられており、必ずしも適当とは思いませんが、感情面がゼロとは言い切れないのでそのままにします。それに関連しますが、政府などの公式な立場と、扇動された大衆の非公式な発言・行動は区別しなければなりません。

 ちょっと前提が長すぎましたが、始めます。まず中国は、公式に「謝罪しろ」などとはひとことも言っていません。日本が村山談話など公式に何度も遺憾の意を表したことをふまえています。ただ、「歴史認識」は繰り返し言っています。

 ターゲットは「靖国問題」です。「さきの戦争は自衛のため」とか「東京裁判は誤った裁判」という歴史修正主義への抗議であって、わが委員会も日本国内の問題として、絶えずこの点を批判しています。また、小泉首相もこういった歴史修正主義に同調していません(安倍さんは問題ですが)。

 にもかかわらず「靖国」に抗議するのは、靖国が今や歴史修正主義の象徴(A級戦犯合祀や遊就館)と化し、首相が参拝することにより、非公式である歴史修正主義者を激励し、公式なものにしようとしている、と考えるからでしょう。

 その意味で、従来は見過ごせたことでも、日本の歴史修正主義が勢いを増し、台湾問題に関連して日米同盟の極東条項を意識せざるを得ない時期を迎えて、厳しい態度をとらざるを得なくなったということでしょう。

 次ぎに「中華思想」です。よく「自らを世界の中心に置いて他を蛮族視する」といった解釈をします。間違ってはいませんが、「覇道」をしりぞけ「王道」につくことを理想とするように、西欧の帝国主義とは異質のものです。

 おおせの通り、第一次大戦まではイギリスをはじめ各国が中国大陸で権益を争いました。しかしその後は国際連盟を作り、各国が植民地支配を牽制しあって自制する気運がでました。ところが日本だけ結果的にそこから抜けて大陸への侵攻を続け、中国の主要部を占領してしまいました。

 前にも言いましたが、中国は易姓革命が続いた国です。その中には元とか清とかの異民族に支配されたことも少なくありません。それにいちいち謝罪しろ、などと過去にとわわれた発想はなかったと思います。中国人にとっては、それが「歴史」なのです。面子と道理が立てば鷹揚なのです。しかしそれだけ歴史の推移には厳格です。中国共産党をはじめ、各王朝はその正当性を証明するため、青史づくりにことのほか熱心でした。

 満州事変後、日本の侵略で多大な人的被害を受け、国共内戦で共産党政権が勝利し、さまざまな試練を受けながら今日に至った、それが今の中国政府であり中国人そのものだ、という意識があります。戦前の日本とちがって、国の恥も栄光もみんな歴史なのです。

 それが、「侵略戦争ではなかった」とか「南京虐殺はなかった」といわれれば、中国の存在そのものが否定されているように思うのでしょう。過去の事実を否定されれば、将来にもつなげられなくなります。最後に申し添えますが、この考えは書物上の知識でしかありません。中国人もいろいろだと思います。観察の足りない点があったら、是非教えてください。返信という形でなくて結構です。

 それではいずれまた。 

2006年8月18日

切り札論

 「今日の活力」さまこんにちは。お許しをいただいたので、靖国問題が中国にとって切り札かどうかについてもう一度記事にします。

 何日か前のNHKの特番でも扱っていましたが、日中国交回復の際、中国側が2分論(日本の一握りの軍国主義者=概念的にはA級戦犯と一般国民を分けて考え、一般国民の戦争責任は問わない)を掲げることで党内の講和反対派をおさえ、両国の国交の基本原則としたことは、ご存じだと思います。それにこだわることは、同国の文化でもある「面子」をあいまいにしないということでしょう。

 中国は、靖国問題を理由に首脳会談を拒否しています。それは、基本原則を無視された、と思うからです。言行不一致だからです。信頼をそこねたと思っています。それ以外のこと(要求)は、当然あります。中国にとって最大の問題が台湾です。

 いろいろな国際間緊張は、話し合いで解決するしかありません。したがって中国は日本との話し合いを望んでいるはずです。これをはばんでいるのは、両国国交の基本原則をうやむやにしたままなしくずしにして次の話しはできない、という歴史の連続性を重んじる中華思想からだと思います。

 最後に、わが委員会は中国の代弁をするつもりは一切ありません。感情面ではどっちもどっち、だけど中国の方が筋を通そうとしているのなら、日本も筋の通った論理を示さなければならないと思うだけです。「心の問題」というのは、それを避けているとしか受けとられないのではないでしょうか。

 また、お目にかかりましょう。

2006年8月28日

巨文島

 領土問題で韓国と対立する竹島問題。この議論の中で、対日平和条約の次の条文がよく取り上げられる。

    第2条(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する

 日韓の間で、ここに書いてある島、書いてない島の解釈をめぐって両国間に論争がある。済州島は、韓国最南端の大きな島でかつて耽羅と呼ばれた独立国だったこともある。また鬱陵島は問題の竹島の韓国寄りにあって、これもよく知られている。

 そして、巨文島は比較的大きな(「巨」の字があるせいか)島だと思っていた。また、一時イギリスが占拠するなど歴史的にも有名な島なので、地図を見ればすぐわかるはずだと思った。ところが見つからないのである。

 ややあせって、ネットで検索をかけると、上記の領土問題のほか観光関係のページがでてきたので、これで大体の位置の見当をつけ、もう一度縮尺の小さい地図を選んで見た。ありました。対馬と済州島の中間。島も小さければその名を書いた字も小さい。これでは見逃すはずだ。

 しかし、朝鮮海峡の中間に位置し、対馬同様、海峡を通過する艦船を環視できる重要な戦略地点であることはすぐわかった。イギリスの東洋艦隊は1885年3月突然この島を不法占領し,要塞工事を行うとともに,朝鮮でロシアにどのような譲歩もしないように清国政府に要求した。

 ロシアは1860年に沿海州を領有して,ウラジヴォストークに港を建設,そこを拠点にその艦隊を南下させて朝鮮の東海岸に出没し、翌61年には対馬に軍艦1隻がおしよせ、兵を上陸させて土地を不法占拠した。さらに、これに抗議した島民1人を射殺し2人を拘束するなどして居座るかまえを示した。

 幕府はこれをイギリスの圧力を借りて解決しようとし、半年後にイギリスの軍艦2隻の派遣を得てようやく退去させることができた。巨文島の占拠は、その後も続いた朝鮮半島に勢力を張ろうとするロシアへの対抗措置で、約2年間続いた。

 この島には当時ここで死亡したイギリス人の墓があるほか、かつては日本人が住み、和冦の巣窟だったこともあるようだ。朝鮮の島が占拠されたのは、このほか46年のフランス、68年のアメリカによるソウル郊外の江華島がある。

 ここは、かつて元の侵攻を受けた高麗王朝が避難した島であり、1875年、測量中の日本軍艦雲揚号が砲撃を受けて、日韓における最初の修好条約締結のきっかけを作ったところでもある。朝鮮半島のへそに当たる要衝だったのだ。いずれにしても、日韓現代史の幕開けは、西欧帝国主義の外圧とこの二つの島から始まると言っても過言でない。

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2006年8月 1日 (火)

第三次世界大戦

[反戦老年委員会復刻版]

 第三次世界大戦とか第5次中東戦争などという言葉が、これまでなんとなく不用意に使われてきた。しかし局外にいるわれわれにとってさえ、最近の動きは、それが架空のものとばかりはいいきれないような気がしてきた。

 7月26日、gooニュースに掲載されたフィナンシャル・タイムズによると、米国防総省防衛政策委員を務めるニュート・ギングリッチ氏や、イスラエルのダン・ギラーマン国連大使がすでにそういった表現で発言しており、ブッシュ米大統領も、5月のテレビ取材で、2001年9月11日の同時多発テロでハイジャック犯と戦った旅客機の乗客たちは「第三次世界大戦に最初の反撃を仕掛けた」のだとあっさり発言した。

 そういった発想に、当然の事ながら欧州の人々は本能的に拒絶反応を示す。とかく行動があいまいになりがちの英国でさえ、イスラエルの非人道的なレバノン攻撃に世論が反目し、アメリカの孤立化がより鮮明になりつつある。しかし、同誌は世界戦争をいう根底に次の2点があることを指摘する。

 第一の主張は、イスラム過激主義者がすでに多方面から戦争を仕掛けているというもの。アフガニスタン、イラク、レバノン、パレスチナですでに戦いは始まっていて、イランとの対決も差し迫っている。これは多方面戦争などではなく、広範囲で起きている地域紛争に過ぎないと説明したがる向きには、イスラム・テロリストがニューヨークやマドリード、ロンドン、バリも標的にしたではないかと、「第三次世界大戦論者」は反論するわけだ。

 第二の主張は、各地での一連の紛争は全てつながっているというもの。なぜならイスラム主義というのは「途切れない全体主義運動」だからだというのだ(イスラムをこう呼んだのは、イスラム・テロについて新著を発表したばかりのマイケル・ゴブ英保守党議員)。ゴブ氏や多くの米ネオコン主義者に言わせると、イスラムとは西洋的な自由主義ま真っ向から対敵するものであって、二十世紀に台頭した全体主義の直系子孫ということになる。

 この論理は、これまでに起きた事件を無理矢理脈絡あるものにしようとする、意図的なものであることがわかる。イスラムを仮想敵国としてイランに標的を合わせ、これまでのつじつま合わせをしようとしているようにも見える。

 アフガニスタンでは、オサマビンラディンの捕縛ができず、対敵していたタリバンの勢力が復活のきざしを見せている。また、イラクの治安回復は先が見えず、シーア派を主体とする政権にはイスラエル支持を期待することもできない。

 つまり、あれだけの戦力と人命を投入して、一度も勝利していないのだ。またイスラム相手では、これからも際限なく戦争を続けなければならない。そこで、そこから手を引くためには、第三次世界大戦しかない。なぜならば、世界戦争ならば、最終的な勝利が得られなくてもどこかで妥協が図られ、アメリカが負けたことにならないからだ。

 世界戦争にするためには、アメリカに同盟する連合軍が必要だ。いまのところ、イスラエルと利益誘導につられて加わる東欧など弱小国がいくつかつくだけで、それだけでは世界戦争にならない。NATO諸国が無理なら、せめてカナダ、オーストラリア、インド、それに日本ぐらいがつかないとさまにならない。アメリカが対イスラムから、なるべく米軍の血をながさず巧妙に手をひくには、これしかなさそうだ。安倍日本に、それに乗せられないだけの器量がそなわっているかどうか、はなはだ疑問だ。

2006年8月2日

消費税10%

 明日は木曜日。当地、リサイクル廃棄物収集の日である。雑誌、本、紙類もそこに入る。本も心して整理していかないとどうしても自然増殖し、限界に来た本棚の隙間をなくする。そこで、ご退去願えそうなものとして、昭和60年発行『自民党税制調査会』東洋経済新報社、というのを見つけた。

 処分する前に、一応パラパラ(もしかして万札が――そんなことはない(^-^)よね)とするのは、本に対する訣別の礼儀である。そこで一瞬手が止まったところを紹介することにした。

 昭和53年12月に大平内閣が誕生した。この直後、自民党税制調査会は「一般消費税を55年1月から実施する」という税制改正大綱を決定する。翌年秋には解散、総選挙が考えられ始めていたため、春先ころから党内で一般消費税反対の大合唱が起き始めた。

 大平もついに9月26日になって、遊説先の新潟市で、導入を事実上断念する談話を発表した。しかし時すでにおそし。自民党は当選者246人で過半数を大きく割り、敗北した。一般消費税は直前に取り下げられていたとはいうものの、敗北の原因が増税にあったことは間違いない。そして同書はいう。

 一般消費税を掲げて選挙をたたかった大平首相は、ある意味ででは正直すぎた、といえよう。「財政は国民につくした。だから今度はは国民が……」という理屈は、大多数の国民には通用しなかった。国民はわかってくれるはずである、と素直に信じたところに大平の人柄がにじみ出ているのだが、政治家としての現実的な判断という点では、やはり甘かった。

 さて、いまや小泉後継者を自認して独走態勢にある安倍晋三を追いかける谷垣禎一財務大臣。消費税10%論を忌憚なくかかげて清新さを前面に出した。果たして27年前と国民の意識がどれだけ変わっているだろうか。対北朝鮮強硬策だけが売り物で、靖国参拝には口をにごし、経済政策にはうとそうな安倍よりは、ややましに見えるのだが。

 しかし総裁選が人気投票に堕した今日、過去以上に政策論争が意味を失い、谷垣の意図を理解して支持者をふやすことは困難だろう。国民の政治意識も高度になっているとは言い難い。そしてそれより前に、集団的自衛権を肯定し、憲法改正を指向することを公約する限り、わが委員会の選択肢に入いってくることはあり得ない。

2006年8月3日

パトリオティズム

 ナショナリズムといっても、いろいろお国柄があってそれぞれニュアンスが違う。市民革命で「自由・平等・博愛」を普遍的原理として国民国家をうち立てたフランスが、やはり元祖として光彩を放っている。この新しい価値観・文化を他におよぼすことにより、伝統とか人種をこえたより進歩した国の枠組みをうち立てようとしてきた。

 ドイツの場合これと全く異なる。国家としての統一が遅れたドイツは、言語、旧来の文化、ならびに人種としての一体性を築くことから始まった。したがって「民族固有の文化」と「純血」が強調され、閉鎖的、排他的な傾向を帯びざるを得なかった。

 アメリカではナショナリズムという言い方をあまりしない。基礎となるのは州(ステート)に対する開拓時代以来のパトリオティズム(郷党心)であり、それを連邦政府に拡大させた愛国心=パトリオティズムが存在する。ことに後者は、新移民の増加にともない、フロンティア精神を外に向けた富と自由の追求、というコンセプトに変えている。

 さて、日本の場合である。自民党を中心とする保守層が、教育改革に求めるいわゆる「愛国心」は、パトリオティズムそのものであろう。しかし元来自発的であるべき心的領域に、日の丸、君が代の強制という(あるいはそれに類した)矮小化した政策を国家主導で実現しようとしている。また、徳育教育をこれと結びつけようとする試みは、かつての修身教科書の再現そのものといえよう。

 さらに特異の現象として、朝鮮・中国に向けた偏狭なナショナリズムがある。これは優越感を味わうために理由なく相手を侮蔑する、という低次元な情感から来ているが、これが為政者の行動や言動で増幅されている面があり他の先進国ではあまり例をみない。また、かりそめにもこれを以て国際緊張を高め、政治目的化するようなことがあってはならない。

 戦争は、どのような些細な行き違いでも動機になり得る。また冷静さを失った世論が引金を引くこともある。ナショナリズムは、どんな場合も戦争の主役であり、その帰趨をにぎることのある厄介な存在である。

2006年8月4日

怨讐の彼方

 レバノン情勢は日一日と混迷を深めている。国連はアメリカの反対で解決の道をふさがれ、その他の仲介を志す国の善意も宙に浮いたままだ。イスラエル軍部は完全に狂犬と化し、政府は遠慮がちににしか物がいえない。

 イスラエルを動かせる唯一の強国アメリカも、ライス長官では手に負えず、すごすご引き返させることしかできなかった。なにしろ、イラクで見本を示している以上、簡単に説得できるはずがない。イスラエルがレバノンに攻め込んだのは1982年以来のことである。

 西ベイルートが占領され何万人ものパレスチナ難民が殺された。ここにヒズボラ誕生の原点がある。今回のイスラエルの行動とそれを容認したアメリカに、どんな将来があるだろうか。第2、第3のヒズボラを産むだけである。しかも今度は、レバノンの国境をこえてどこまで広がるかわからない。(「第三次世界大戦」参照)

 数世紀さかのぼって、オスマン帝国下でのムスリムとユダヤについて見てみよう。(山内昌之『民族と国家』岩波新書、より)

 ユダヤ教徒への偏見もまずなかったので、中東欧やイベリア半島にいた多くのユダヤ人がカトリック教徒の迫害をのがれて、オスマン帝国の領土に亡命してきた。それどころか、ユダヤ教徒は「啓典の民」のなかでもいちばん古い由緒を誇っていたので、オスマン帝国では一般に尊敬されるのが常だった。現に、スルタンのムラト二世(在位1422-51)の侍医を務めたヘキム・ヤァクブのような存在は珍しくなかった。:

2006年8月6日

地下資源の常識

 フジテレビの番組に、小沢一郎民主党代表と、稲森和夫京セラ顧問が出演していた。その続きに、出演したのが常連化した櫻井よしこさんと、自民党の山本一太および桝添要一両代議士である。TV局としては、小泉政権に精一杯気を遣った人選だろうけど、話す内容の重厚さは完全に前者が勝っており、後者はどうも人選を誤っていたようだ。今日はその内容に立ち入らないが、靖国問題に関連して櫻井先生が中国の圧力として例にひいた、オハコの春暁ガス田という地下資源の話を取り上げてみたい。

 櫻井先生は、「日中中間線の中国寄りで、中国がガス・石油を採掘すれば日本側にある資源が、ストローで吸い上げるように中国に持って行かれる」という主張をされた。天然ガスと石油(原油)では違うのだが、それはさておき、大筋として正しい。

 ただ別に耳新しいことではなく、そうしたことは、新潟・秋田などで国産原油採掘が盛んな明治・大正時代、鉱区所有者の境界に同種の係争が多発した。それで境界に沿って互いにボスボス穴をあけると、地下の圧力が減り、自噴していた石油も揚がらなくなって、双方とも得られるべき利益をみすみす地下に放置してしまうことになる。

 そこで、双方が話し合い、結果によっては一方がパイプに蓋をして、残した井戸からあがる利益を折半するなどの協定をして解決した。それが石油井戸掘りの常識であった。だが、そこに国境を挟んだ政治的思惑が入ると厄介な問題になる。

 アメリカのイラク侵攻の最初のきっかけとなったイラクとクエートの間にも、この問題があった。イラクの主張によると、クエートがイラク国境沿いの油田から24億ドル相当の原油を盗掘したということになっている。

 おまけに、クエートがOPECの協定を破り増産しつづけたため、バーレル当たり18ドルの原油価格が11ドルに急落し、1ドルの価額低下は年間10億ドルの損害を招くとして交渉が決裂、イラクのクエート侵攻を招いた。

 さて、春暁のことだが、中国に対抗して日本側でも鉱区を設定、帝国石油に探査の権限を与えた。これで日本側でも探査ができるわけだが、試掘、採掘さらに日本までのパイプライン、ということになるとその必要投資は天文学的数字になる。

 民間の開発会社では、その投資額が商品(この場合天然ガス)の市場価格で回収可能でかつ利益を生まなければ実行に移せない。中国は体制の違う国の事業だから、総合的に考えればいいので一カ所の採算ベースを考えないですむ。

 日本が対抗措置をとるためには、撤廃した巨大な「石油公団」をもう一度復活させ、税金を湯水のようにそこに注ぎこむしかない。さあ、それをやりますか?。話し合いのテーブルについて一日でも早く合意点をさぐらないと日本の損害の方が多くなる。中国脅威論の材料にし続けることが「国益に反する」ことになるひとつの例である。

2006年8月8日

防衛意識

仮想定例委員会(出席:硬、乙、平、停)

・平 わが委員会の主張は、「反戦」をいろいろな角度から点検・追求することで成り立つ。今日は反戦論者に耳の痛い事もどんどん言っちゃおうじゃないか。

・硬 まず、自民党が自衛隊に軍隊としての任務を与えようしているのに対し、護憲勢力は現自衛隊をどう位置づけようとするのか、社民党、共産党のいずれも段階的に縮小して解消する案だ。それに米軍基地もいらない、としている。

・停 ここ泣き所なのよねえ。北朝鮮がミサイルを打ち込んできたり、中国が島などを武力制圧しにきたらどう対抗するのかって。

・平 「そのようなことは現実に起こりえない」というのか、「当分はアメリカに守ってもらう」というのかなあ。それじゃあどうも弱いね。

・乙 戦争を三つに分けてみる。まずA、国対国の戦争。次ぎにBの内戦、最後がCでテロと国の戦い。古典的なAにあたる戦争は、もう姿をなくした、といえるかどうか。だけど、Cだといっておいて近代兵器と陸上部隊を駆使し、政権をたおしたアフガン、イラクは実質的にAとかわりない。戦争というより、討伐だ。Bは、いろいろだねえ。宗教や民族がらみの独立志向というのが一番多いようだが、数からすると単なる権力闘争も後をたたない。アフリカ各地とか東チモールなどね。

・硬 イスラエルとヒズボラの戦いもC変形A型で、この先どうなるかわからない。全く新たなタイプでD型の世界大戦になったら大変だ。

・乙 日本は今のところ幸いにしてBとCに巻き込まれる可能性の最も低い国と言えそうだ。Cがあるとすればアメリカの身代わりになることだ。するとさしあたり古典的なAが心配、というわけになるな。

・停 たしかにA型で戦争になる確率は少なさそうね。けれど絶対にないとかミサイルも飛んでくることはない、といいきれるかというと、自信ないな。だって、アメリカや北朝鮮のやりかたみていると、あり得ないと思ったことでも平気でやってしまうものね。

・硬 「先軍政治」だとか「世界の警察官」の危うさだよね。アメリカ国内の警察官とやりかたが同じだ。そんな暴力装置をかかえた国家が存在する限り、国民の「防衛意識」を確認しておく必要がある。

・乙 私も賛成だ。過去、東西の歴史の中で自存・自立の意識に欠け、国内が分裂状態の国は必ず好戦国の餌食になる。言っちゃあ悪いが朝鮮だってその例だ。さて、日本は自存・自立の意識がどれだけあるか、国論は統一されているか、ということになると、どうなんだろう。それに乗じられて、ということはないだろうが、島国の宿命で突っこんだ考えがない。

・停 「復古右派」がいってる防衛意識=愛国心的な発想とどう違うか。ちょっと複雑だわ。

・乙 うん。だから護憲派は逃げていないでそれを示さなければならない。例えば「9条の厳守が、抑止力で際限ない軍拡競争より自衛に役立つ」とか、「専守防衛のために必要な組織と装備はこれです」という信念を、説得できるような材料で意思表示しなければならない。

・平 ミリタリーバランスとかミサイル防衛システムなどというと、それだけでアレルギー反応を起こす、それでは議論にもならないし勝てないということか。

・停 それでもやはり「戦争は悲惨だ」「戦争はこわい」という、感性に訴える部分がどうしても必要だと思うの。小泉政治以来、劇場型政治が国運を支配するような、私にいわせれば恐ろしい状況になってきているんだもの。

・平 この問題、1度じゃあとてもすみそうがないね。ひとまず、休憩宣言。 
:
2006年8月9日

憲政の神様

 大正2年2月5日、衆議院本会議における尾崎行雄の内閣弾劾決議案提案理由演説。ここから尾崎は「憲政の神様」といわれるようになる。

 彼等は常に口を開けば直ちに忠愛を唱え、恰も忠君愛国は自分の一手専売の如く唱えておりますが、その為す所を見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執って居るのである。彼等は玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代えて政敵を倒さんとするるのではないか。

【尾崎行雄略歴】
1858年(安政5)神奈川県に生まれる。
1882年(明治15)報知新聞記者となる。立憲改進党の創立に当たる。
1887年 保安条例により3年間東京退去を命じられる。
1890年 第1回衆議院議員総選挙に当選する。
1898年 大隈内閣において文部大臣に就任。いわゆる「共和演説」事件により辞職。

1900年 立憲政友会の創立に参画。
1903年 政友会を脱党。東京市長に就任。
1912年(大正元)桜の苗木3000本を東京市から米国(ワシントン)に贈る。憲政擁護運動を起こし、犬養毅とともに「憲政二柱の神」として陣頭に立つ。
1913年 桂内閣に不信任案を提出。桂内閣の弾劾演説を行なう。

1914年 第2次大隈内閣において司法大臣に就任。
1920年  普通選挙運動の陣頭に立つ。
1921年  軍縮運動を開始。軍備制限に関する決議を国会に提出するが否決。単身全国遊説を始める。
1941年(昭和16)日独伊三国同盟締結に反対。大政翼賛会を攻撃する質問書を近衛内閣に提出。

1942年 東条内閣に公開状を送り、翼賛選挙の中止を勧告。不敬罪容疑で起訴され、巣鴨拘置所に入所するが、1944年、大審院で無罪判決。
1945年 休戦と新世界建設の構想」「平和的新世界建設の要件」の2論文を起草する。「世界連邦建設に関する決議案」を議会に提出。
1947年 「平和会議に関する決議案」を議会に提出するが、上程を阻止される。

1953年 衆議院名誉議員、東京都名誉都民(第1号)となる。
1954年 神奈川県逗子市の風雲閣で永眠(95歳)。

2006年8月9日

付随的被害

 チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本武力依存の構造』屋代通子訳、集英社新書より。

 9・11テロの翌日、ジョージア州選出の民主党上院議員ゼル・ミラーは「やつらを吹きとばしてしまえ。目的のための犠牲かが出るなら、それもいたし方ない」と公言した。「目的のための犠牲」(collateral damage)とは、これもまた、防御するすべを持たない者たちの殺戮を隠蔽する、ペンタゴンお得意の婉曲語法だ。イラクやセルビアで、サダム・フセインやスロボダン・ミロシェヴィチを追い込むために行われたはるか高みからの空爆で、命を落としたり手足を失ったりした市民について言うときに、米軍広報官が使った用語なのである。

 コラテラル・ダメージは、広島・長崎ですでに始まっていた。そして今、レバノンでそれが繰り返されている。60年間、一歩も進化させることができなかった。われわれの子孫にどういって申し開きができるのだろうか。

 せめてせめて、日本がこれらの尻馬に乗ったり、お先棒を担ぐような馬鹿なまねは、絶対しないで欲しい。そのため、もし危険にさらされるようなことがあるとすれば、あえて身をさらす覚悟をしようではないか。

2006年8月10日

パロマとプール

 「経産省、パロマに立ち入り」と「文科省調査、プール不備2339カ所に」が、今日の夕刊トップ記事である。それにやや旧聞に属するがシンドラ・エレベーター。

 この三つには、なにか共通点があるような気がする。どの場合も被害者のユーザーにはさしたる過失がなく、こんな事故にあうとは夢にも思わない日常生活の中で突然殺された。

 どのケースにも関係者として、メーカーと管理責任者とメンテ業者、それに監督官庁があり、どのマスコミも手近な所から映像になる犯人を探すのに大わらわだ。

 姉歯設計事務所の強度計算偽造事件では、結局本丸に迫るところまでいかなかったようだ。それほどの深まりはないにしろ、やはり各関係者に責任感がない、つまり他人事にしてしまう体質がこれらの事件を産んでいる。

 パロマはガス燃焼機器メーカーの名門だが、ガス事業法を管轄する経産省の指導のもとにある。同じ燃焼機器でも、石油を使えば消防法の「危険物」ということで、総務省(旧・自治省消防庁)管轄である。

 以前から、経産省(旧・通産省)は、産業保護発展の責務を負っているので規制が甘く、消防は本来が地方自治なので、本庁が規制強化の方向で突き上げられる、という噂があった。

 パロマの件で、あまり報道されていないが、ガス供給事業者が「型式認定」などに強い権力を持っていたといわれる。だが、報道ではガス会社を当事者には入れていない。これも準お役所だ。

 いずれにしても、安全問題は自治の精神から出発しなければ、必ず見落としや地方の実情にそわないものが出てくる。これからは、「国がやることだから安心だ」とは、ますますいえなくなるのだろう。

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