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2006年7月

2006年7月20日 (木)

朝鮮善隣時代

[反戦老年委員会復刻版]

 私本・善隣国宝記

 この副題で時代を追ってきましたが、本編をもって一区切りとし、別の発想が生じたらカテゴリ「歴史」で追補することにします。なお、前回まで文中で使った「和冦」は、すべて「倭冦」に訂正させてください。被害を受けた方から言うのだから「倭」の方が正しいと思います。

  安いソフトの漢字辞書にはこれしかなく、つい見落としてしまいました。また、このシリーズで「です、ます文」と「である調」を混在させていますが、今回のように、原文読み下し文をそのまま引用する場合など、読みやすいよう配慮したつもりなので、ご了承ください。

 以下は、田中健夫編『善隣国宝記・新訂続善隣国宝記』(集英社)所載の、徳川家康あて朝鮮国書を原文から読み下し文にしたものですが、味わいのある文なのでできるだけ原文を生かすようにしました。ただし、実際は対馬の大名・宗義智が改竄したものだといいます。宗家は両国をとりもつため、幕府の体面をたてるながら、朝鮮王朝に独自の朝貢をして対話の道を残すなど、命がけで仲介役を果たすのを常としていました。

 朝鮮国王李 えん(日へんに八の下口)
 日本国王殿下に書を奉る
 交隣は道有り、古よりして然り、
 二百年来海波揚らざる(平和が続く)は何ぞ

天朝のたまものに非ざるはなからんや、
 しかして敝邦(我国)またいずくんぞ
 貴国にそむかんや、壬辰の変(秀吉の出兵)、
 故なくして兵を動かし、禍を構え惨を極む、
 しかも先王の丘墓に及ぶ、敝邦の君臣、痛心
 切骨す、義
 貴国と共に一天を戴かず、六、七年来馬島
 (対馬)和事を以て請をなすといえども、
 実に敝邦の恥ずる所なり、承り聞く、今は
 貴国、前代の非を改め、旧交の道を行うと、
 いやしくも斯の如くなれば、すなわちあに
 両国生霊の福にあらずや、故に使价を馳せ
 以て和好のしるしとなす。不腆の土宜は、
 つぶさに別幅(土産品目録)に載す、盛亮
 をこいねがう。
 

万歴三十五年(1607)正月  日
 朝鮮国王李 えん(日へんに八の下口)

 書式に注意して見ましょう。「日本国王」とか「貴国」という場合は、行を変え上に持ってきて敬意を払っています。「天朝」だけがそこからひとつ飛び出していますが、まちがいではありません。明の王朝のことです。「事大主義のおかげで」といっているのです。日本に敬意は払うが、明の方が上だよ、という意思表示です。

 さらに中味を見ると、「共に天を戴かず」とか「非を改めれば」という強い言葉も残しています。しかし、家康はこれを喜んで迎え国交正常化を進めました。そして徳川時代を通じて鎖国の例外としました。

 上の文書には、外交交渉の機微が実によく出ています。肩肘をはって強がりをいうことがだけが愛国心ではありません。国と国民の本当の利益のため、平和を維持する外交がいかに大変かが実感できます。

2006年7月21日

天皇と靖国問題

 富田朝彦元宮内庁長官が残した、昭和天皇がA級戦犯について語ったメモが発見されたことについて、各新聞はセンセーショナルに報道し、一斉に社説を掲げた。わが委員会でもこれまで何度か(リンク下記)触れてきたように、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持っていることは、素人でも容易に想像がついた

 ところが、各紙はそれ以上の情報を持ちながら、それを伏せていたようなところがある。伝聞などて記事にしにくかったのかも知れないが、いまごろそれを明かすのはいかがなものか。小泉首相をはじめ、靖国参拝促進派の前に、腰が引けていたのではないか。

 わが委員会は、当初から靖国問題は国内問題で、外国政府からの発言は内政干渉である、と言い続けた。各紙は、靖国論争で公正、公平かつ正確な報道にどれほど努めてきたか。単に賛否両論を掲げるだけで、傍観していたのではないか。このメモを手がかりとして「国内論争に波紋」などという逃げ口上は聞きたくない。

 各社の社説は、多少力点のおきかたに違いがあるもの、靖国以外の施設を考えるなど、依然として根本的解決にはほど遠い論調である。社内に統一見解がないせいかも知れない。この中で、さすが?は産経新聞である。首相の参拝断固支持である。ところが内容を見ておどろいた。

 メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。靖国神社には、巣鴨で刑死した東条英機元首相ら7人、未決拘禁中や受刑中に死亡した東郷茂徳元外相ら7人の計14人のA級戦犯がまつられている。

 メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。幸いにして『毎日新聞』には、メモの現物写真があり、全文の感触まで読みとれる。

  私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、
  筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
  松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
  松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている
  だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ

 産経の論説委員は、どこを見ているのだろう。「A級が合祀され その上 松岡、白取(鳥)までもが、」ここで余白をいっぱい残して改行している。本来なら(!)が入るところである。「その上」と「までも」を見落とし、固有名詞がないことだけで上の社説を書いたのだろうか。松岡、白鳥は軍人でなく刑死もしていない。本来祀られる理由がない、という意味だろう。メモの趣旨が全く読みとれていない。指摘する方もはずかしくなる。

 賢明な読者はお気づきだと思うが、歴史修正主義の主張には資料のごく一部分、あるいはその曲解で正当性を声高に叫ぶことが多い。それを見破るためには、反対意見であっても精読チェックし、自分の考えをしっかり持つことが肝要だ。

2006年7月23日

靖国問題の決着

 前々回、報道された昭和天皇の靖国問題メモについて記事をあげた。今日は日曜日なので、TV各局の討論番組をにぎわしたが、東京裁判とA級戦犯に対する議論はすでに尽くされており、特段目新しいものがなかった。

 その中で目だったのが、この手の番組に常連として出演する桜井よし子氏である。歴史修正主義者や靖国参拝促進派からは、明快で説得力のあるアジテーターとしての期待があっただろうが、いつもにもまして牽強付会が目立ち、自ら論理の破綻をさらけだしてしまった。靖国参拝派は打撃をこうむったはずだ。

 たとえばこんな調子である。「メモには、松岡、白鳥のほか東条英機などの名前があげられていないから、陛下はA級戦犯全体の合祀に反対されていないのでは」。これは産経新聞の社説にあり、すでに本ブログでも指摘しておいたが、他の出席者からもメモ記述の曲解とか、すでに明らかになっている資料、発言などとの矛盾をつかれると、「そもそも陛下の発言かどうかメモの信憑性が疑わしい」といいだす始末。

 同じメモの評価を180度変えてしまった。それはそうと、途中でちょっと気になったことがある。戦犯容疑者として逮捕直前に服毒自殺した近衛文麿元首相は、どうして「昭和殉難者」にならないのだろうか。桜井氏らの論拠からすれば祀られて当然で、至って不公平な扱いである。

 いずれにしても、小泉首相の最近の発言も、論理的矛盾にふれることなく「心の問題」でかわすのに精一杯の有様である。もはや、靖国問題は国内問題としても議論に決着がつけられる日が近づいてきたのだ。合祀とか分祀とか、たった一人の宮司の裁量により、国内問題、国際問題と大騒ぎするのはおかしい。

前に提案したことをもう一度繰り返す。

 合祀の根拠となった厚生省が昭和31年に出した局長通知と名簿について、局長名でA級戦犯に関連する部分に誤記があったので訂正、撤回するという通知を一本出せばそれですむはずだ。宮司がそれに応じようがどうしようが勝手にすればいい。神社としては合祀の根拠を失ったわけだから、その後は、それこそそれぞれの参拝者の心にまかせればいい。もっとも、小泉・安倍内閣の下ではそれは無理だろうけど。

2006年7月29日

「どうしよう」

(画像*略)

 朝鮮日報日本語版で見つけたマンガである。日本に妻子を連れて赴任し、息子を日本の学校に入れて数年後に帰国したら、子供が韓国の学校で20点を取ってきたという図である。吹き出しの字は読めないが、おかあさんが「どうしよう」と困り果てている様子である。

 コラムの中で語られていることは、日本との文化の違いや教育レベルの差を自覚しつつも、母国から数年離れただけで、なにか取り返しのつかない思いをさせられるということらしい。教育の他にソウルの有名な高級住宅街・江南地区に居を求め損ねたことなども例にあげている。

 また一方で、常に人に先んじたエリートでないとバカにされる、という韓国の風俗にも、帰国者はやはり戸惑いを感じているようだ。

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2006年7月 4日 (火)

韓国情報

[反戦老年委員会復刻版]

 このところ韓国発の情報に関心を持っている。ブログ「薫のハムニダ日記」が、「安倍官房長官、統一協会系集会に祝電」の韓国情報を公表し、ブログ内に波紋を広げた。これに対する日本のマスコミの腰の引けた対応は、どうも釈然としない。
 韓国の主要3大紙(中央日報、朝鮮日報、東亜日報)には、日本語のサイトがあり、主要記事や社説、コラムなどを閲覧するのに不自由しない。この3紙は、政権の例えば北朝鮮に対する「太陽政策」についても、いうべきことははっきり主張すへきだとか、盧武鉉大統領の対日強硬政策一本槍にも批判の目を向けている。要は、権力に追随した姿勢ではないのだ。

 したがってこの3紙は、盧武鉉政権にとっては煙たい存在で、御用紙といわれたハンギョレ(新聞)など中小紙を財政面でてこいれしようとしたが、これを意図した法律が憲法裁判所で憲法違反の判決を受け失敗した。つまり、日本の手あかにまみれたような報道ぶりよりはるかにおもしろい。以下、最近の記事から拾ってみよう。まず、韓国版「靖国」事情。

   西海交戦4周忌式典…盧大統領参列せず
 29日午前、京畿道平澤市の韓国海軍第2艦隊司令部。2002年に西海(黄海)の北方限界線上で起こった北朝鮮警備艇との交戦で戦死した、韓国海軍兵士6人の4周忌追悼式典の会場では、国のために若い命を落とした息子らを悼む母親や遺族らのすすり泣きが止まなかった。

 だが、今回も盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領、韓明淑(ハン・ミョンスク)首相ら政府要人の姿は見えなかった。遺族や市民団体が4年にもわたり要望している政府要人の追悼式典参列は、今回も実現しなかった。尹光雄(ユン・グァンウン)国防長官と南海一(ナム・ヘイル)海軍参謀総長は参列はしたが弔辞は述べなかった。(6/30朝鮮日報)

   韓首相、6日に西海交戦の遺族らと懇談会
 韓明淑(ハン・ミョンスク)首相が6日、西海交戦の遺族らをソウル三清洞の首相公館に招き懇談会を行う。西海交戦は2002年6月29日、北朝鮮の奇襲攻撃により韓国の海軍将兵6人が死亡した事件だが、大統領や首相が4年間一度も追慕行事に出席したことがなかった。

 韓国政府関係者は2日、「今回の懇談会は先月行われた追慕式に参加できなかったこととは関係なく、別途に推進してきたこと」とし、「政治的な“ショー”と誤解される恐れがあるため、懇談会の内容は公開しない予定」と伝えた。また、「懇談会は保守・改革統合のためのもので、韓首相がここ3年間首相が出席していなかった韓国戦争記念式に出席したのと同じ脈絡」とした。

 この日の懇談会には西海交戦だけでなく、戦闘機の墜落事故により夫を失った未亡人など、計10人前後の遺族が出席するとされている。韓首相は遺族らと昼食を共にしながら話をし、出席できなかった西海交戦の遺族らには直筆の手紙とプレゼントを贈る予定だという。(7/30朝鮮日報)

 北に気をつかい、戦死者遺族に気をつかう。その分、日本に気をつかわない。次は「遺骨の真相」。

北、日メディア招請推進してめぐみさん事件解明へ?

北朝鮮が、金英男さんの記者会見後も疑問視を続ける北朝鮮拉致被害者(拉北者)日本人の横田めぐみさん関連の論争を鎮めようと、日本のメディアの平壌(ピョンヤン)招請を推進していることが明らかになった。3日、朝日関係に精通したある消息筋によると北朝鮮は、日本政府と非公式接触を行い、日本の取材陣を今月中に平壌に招待する案に対して協議しているということだ。

北朝鮮は招請が実現すればめぐみさん遺族を含み、日本側から提起されているめぐみさん生存説と遺骨の真偽などの疑惑に対し、積極的に説明するものとみられる。(7/3 中央日報)

 この報道について今日、『毎日新聞』が4日から6社が訪朝する予定という記事をだした(社名がなく他紙では見あたらない)。そして《「北朝鮮側は横田めぐみさんの夫とみられる金英男(キムヨンナム)さんの口から、めぐみさんの『遺骨』の真偽について説明させ、この問題は決着しているとのイメージ作りに利用するのではないか」との観測も出ている》と解説している。

 「遺骨問題」は、日本政府の「ニセ遺骨」判定に

 ブログ上でも疑問が投げかけられている。この訪朝団が、ニュースとして新事実をもたらすか、全く無視してしまうか関心をもって見守りたい。

2006年7月7日

北朝鮮の意図

 昨日は矢継ぎ早のニュースで、北朝鮮のミサイル連発の意図を考える間もなかった。今日になって、北朝鮮の「通常の軍事演習」という公式発表も確認することができたので、いささか整理がしやすくなった。第一報を聞いて「気になる予測」と題した記事にしたが、そもそも、根拠にとぼしい予測とか憶測というのはあまり好きではない。

 ワイドショウで執拗にくりかえされる「金英男発言の疑惑、矛盾点」などが、その最たるものだ。レギュラー化した評論家、専門家すじの重箱のすみをつつくようなウソ発言の探求と知ったかぶり。金英男氏ではないが「もうほっといてくれ」といいたくなるだろう。横田滋さんも、最近はうんざりした顔つきだ。その方はおいといて、ミサイル発射意図のうちあり得ないと思われる予測をまずあげてみたい。

・「軍事演習」=①「訓練」と置き換えてもいいが、あんな高価(特に北朝鮮にとって)なものをぼか海に捨てる必要があるのか。実弾を使わない訓練だってある。他国に売りにくくなったので在庫調整?、まさかね。 ②演習であれば、何時にはじめて何時に終わるなど、厳密な時間割がある。思い出したように「追加で一発」なんてあり得ない。

・「実験」=①新型器なら1発発射して、不具合なところをたしかめる。多くて1回に3発だろう。7種類作ったのでどれがいいかコンテスト?、まさかね。②迎撃ミサイルを攪乱するため、複数のダミーを発射する実験?。全部航跡が捉えられているし、かえって日米に多くのデータを提供したのではないの。

・「脅迫」=逆効果。日本では改憲・軍拡派を手助けし、アメリカには強硬策に口実を与えただけ。そのほか、外交面では孤立をますます際だて、中・露を困らせる。もう特別列車で両国を訪問することも当分遠慮しなければ。金大中さんの直通列車訪問を断ったのも、途中に発射基地があったせい?。

 そうすると、ミニ・クーデター説もなかなか捨てがたくなる。金正日の中国改革開放政策見学以来、同じコースを回る学習が盛んだという。これは、伝統的な先軍主義で、内政・経済にも大きな力を持っていた軍隊の地位低下につながり、軍エリートはだまってはいられないということだろう。

 しかし、建国当時を知る大物軍人はいなくなった。正日将軍をうち倒すほどの力はないが、ミサイルなど科学兵器担当部署が一番発言力がある。そこでガス抜きをしておこうというのは、あり得る話だ。

 もし当っていれば、これから大粛軍政策の実行だろう。これが中・露にとって最も望ましいシナリオである。予測、憶測の嫌いな当委員会であるが、最後の予測が当たってほしいという願望をこめてエントリーすることにする。

2006年7月14日

韓国の姿

 私は太古から現代に至るまで、韓国(朝鮮)と日本の切っても切れない関係に、大きな関心を寄せてきた。それは、それは過去ログを見てこられた方は、よくご存知のことと思う。しかし最近、特に盧武鉉政権になった頃から、情報の多さにもかかわらず韓国の内情や韓国民の意識がどうなっているのかさっぱりわからなくなった。

 韓国へは1度しか行ったことがなく、ハングルも皆目わからない(かつての韓国紙は漢字まじりだったので半分は読めた)。ただ韓国3紙の日本語サイトがあるので(「薫のハムニダ日記」さんによると、3紙が保守系だということで、サイト上に「ハンギョレ」新聞をときどき翻訳公開しておられる)、それらを閲覧することはできる。

 北朝鮮のミサイル発射問題をとってみても、北に理解を示す政府の公式発言がある一方、それにま反対の激しい意見があり、映像では反北朝鮮デモが報道される。その中でアメリカとの関係がどうなっているのか、中央日報で見た署名記事をひとつあげておこう。

 韓米両国は現在、韓米同盟のビジョンを研究中である。 53年の相互防衛条約締結以来、一つひとつやってきたものを集大成する作業だ。 未来像を描くのは容易でない。 韓米同盟は韓半島防御型局地同盟か。 そうはならない。 米国が絶対に反対する。 地域同盟か。 韓国が負担になる。 中国のためだ。 それでも同盟のビジョンの用意は急務だ。 同盟はビジョンと信頼を食べて生きる進化体だから。
   呉栄煥(オ・ヨンファン)政治部門次長

  これだけで、感想を述べることはかなり冒険だが、敗戦国の卑屈さはなく、厳しい国際環境のなかでそれなりに外交の訓練を積んできた韓国が、対等の立場で同盟見直しでアメリカとビジョン構築をしているということは、日米安保条約再検討を主張するわが委員会として、うらやましい限りである。

 反面、「日帝強占反民族行為真相究明特別法」や「親日反民族行為者財産帰属特別法」など、聞いただけで、法の公正さや国の未熟さが疑われるような立法がまかり通っている。まあ、よその国のことだからどうでもいいのだが、韓国が言う「正しい歴史認識」を双方で構築する上で、大きな支障、妨害となることはまちがいない。
 

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2006年7月 1日 (土)

津軽

[反戦老年委員会復刻版]

 狸便乱亭のtaniさまから、本委員会のリニューアルにコメントをいただきましたので、カットに使った津軽みやげの「遮光器土偶人形」にちなんだものを一題あげます。

 津軽に旅したのは3年ほど前になりますが、目的地に選んだ理由に、ややおおげさにいうと、2つの関心があったからです。ひとつは、古代津軽の蝦夷の発生・発展について、もう一つは中世十三湊遺跡の実態とその環境についてです。

 取材というより、レンタカーで風光をめで、温泉宿に泊まる気楽な旅でした。しかし、本州の北端、竜飛岬から津軽海峡を経て北海道、松前方面を眺め、「蝦夷ならばここで何をし、何を考えただろうなあ」などと想像してみるのは、なかなか愉快なことでした。

 十三湖では、中世の大貿易港として栄えた十三湊遺跡の解明が進み、青史にあまり出てこない往事の姿に、大きな関心がわきます。遺跡を抜けて真っ直ぐ南下すると、遮光器土偶のふるさとで縄文晩期の芸術の宝庫といわれる、亀が岡遺跡に向かいます。

 またその先遠くに、秀麗な岩木山をのぞむこともできます。観光バスの行列もなく、豊かな水産物や稲田、そして砂浜と日本海。冬の厳しさもさることながら、まさに日本の原風景を凝縮したような津軽風景でした。

 ところがところが、です。反戦老年委員会としては、たいへん気になるニュースが飛び込んできたのです。航空自衛隊車力分屯基地というと、十三湖の南の端にあたるところですが、そんなに広くなく、普段は気がつく人もすくないでしょう。

 ここに、ミサイル迎撃用の移動式早期警戒レーダーが配備されたそうです。YOMIURIONLINEによると「北朝鮮が長距離弾道ミサイル・テポドン2号の発射準備を進める中、日米首脳会談でミサイル防衛での協力が確認されたこともあり、米軍は試験運用の開始を急ぎ、年内の本格運用を目指すとみられる」のだそうです。

 つまり、アメリカ向けミサイルが飛びだしたら直ちに通報され、それを爆破することになります。相手側にしてみれば、そんな施設はなんとしても事前に叩いておきたくなるでしょう。せっかくロマンチックな津軽旅情を書こうとしていたのに、こんなことで台無しです。申し訳ありません。

2006年7月2日

9条の会・1周年

 地元で「9条の会結成1周年記念の集い」というのが1日に開催された。市内にある大学の「9条の会」も協賛している。発足当時、呼びかけ人・賛同人の一人としてとして名を連ねたが、その後は、時々イベントなどに「その他大勢」で顔をだしている。

 この会はこれでいいのだと思う。もし「憲法改悪阻止国民会議」などの名称で、綱領や規約などに拘束される運動体なら、参加をためらっていただろう。「9条の会」は、それぞれ思想も職業も立場もちがう個人が、ただ9条擁護だけで集まったゆるやかな連合体のようなものだ。

 「記念の集い」は、合唱隊、ピアノとソプラノ、詩の朗読、講演など、レベルは高いがお行儀のいい内容で終始した。お行儀といえば、会場の玄関前を占拠していた右翼の街宣車も変わっていた。音量いっぱいの軍歌ではなく、抑えぎみな男の声で「いまの憲法では、だれがこの美しい日本を守ってくれるのでしょうか」といった説得調だ。こんなにお行儀がいいのなら呼んであげたら・・・と思っ見ていたら、フロントデッキに毛ずねの足を投げ出して、事務局員の抗議を受け流すという風体で、なんとなく安心した。

 本部の事務局からの挨拶があり、運動論に関連しそうな話もあったので、私見を含めすこし触れておきたい。まず、6月10日に東京で開催された「全国交流集会」に、約800団体(全国結成数は5174団体)から1550人が参加し、大いに盛り上がったこと、呼びかけ人の危機感、特に大江健三郎氏は悲観的な見方をする人だが、参加者は意外に明るい表情をしていたこと、などが報告された。

 このギャップは、議会の護憲勢力が社民、共産に限られ、3分の2確保がむつかしいということ(報告者は公明、民主に不信感を持ち、あてにできないという感触を話していた)、にもかかわらず、参加者は一部の新聞調査に現れたように、国民投票では過半数以上の9条擁護の票が集められるという、活動現場から得られた自信のようなものがあったのだろう。

 水をかけるつもりはないが、私はこれに危険なものを感じる。9条1、2項を保持し、他の条項に現自衛隊の任務(海外援助・災害出動等を含め)を明記しようという加憲論的意見も味方にして、米国主導の改憲・軍国化阻止に3分の2の議会勢力を確保することを、最優先にしなければならないと思うからだ。

 国民投票の国会決議が成立した頃には、国民への世論操作(例えば近隣国の脅威切迫などを使った)や言論の巧妙なしめつけが、すでに準備されていると見るべきである。現在のアンケート調査などはその時点で全く意味を成さなくなる。

 大東亜戦争の前、もし国民投票をやっていれば開戦反対が多分上回っていただろう。しかし、その頃はすでに議会の正常な機能は失われており、新聞の公正さも過去のものとなっていたのである。ナチス・ドイツの例を引くまでもなく、国民投票に最後の命運を託すような考えには、やはり危惧の念を禁じ得ない。

 当委員会は、憲法問題の前に日米安保の洗い直しを主張しているが、ここでは触れないでおくことにする。

2006年7月5日

気になる予測

仮想臨時委員会(硬、乙、平、停)
 昨日のエントリーが「韓国情報」だったが、今朝はNHKが通常の放送を中断して「北朝鮮ミサイルを6発発射」のニュースだ。その間に「韓国調査船竹島周辺に近づく」も挟まっている。

・停 もしかして、南北で相談してやってるとか?。
・乙 いくら韓国情報に関心をもっても、これじゃあ消化しきれないよね。民放TVのコメンテーターも「北の意図」について、これまで言われてきたようなことをあれやこれや言ってるが、どれも当たっていないように思う。もし、予測に「米独立記念日むけの祝砲」「いろいろ撃ってみせる、手品の目くらまし」「正日がヤケをおこした」があれば、どれかに手をあげてみたいね。が、まあやめておこう(笑)。

・硬 「正日がヤケ」というのが最もこわいが、この程度で済ましてほしいね。ところで、前々回の「9条の会・1周年」の記事で、国民投票よりは国会議員選挙で、と書いたところ「鴨の嘴2」さんが「じゃあ10人も当選させる?」なんてコメントを頂戴した。

・平 それで、例の『毎日新聞』の国会議員調査で拾ってみたんだけど、再来年の参議院選挙ではこういうことになる(定数変更を考慮せず)。参議院議員定数は242人、その3分の1超81人が改憲国民投票反対にまわれば改憲できない。

 アンケートでは、非改選議員121人のうち、44人が、9条1、2項とも改正反対か、「集団的自衛権を認めない」としている。この両方が、自民党改憲案のようなものに反対するとすれば、3分1議員数-非改選反対議員=反対新議員必要数37ということで、改選議員数のうち、9条改憲反対議員を37人当選させればいいことになる。これなら楽勝じゃない?。目標なら確実にするため半数の60はほしいわ。

・硬 それには、はっきり憲法を争点にして、候補者毎に『毎日調査』のような内容で公約してもらう必要がある。

・乙 来年でも鬼が笑うのに再来年の皮算用だからなあ(笑)。しかし、国民投票を待っていたら、自民政権のように、アメリカからの圧力もあってどんどん自衛隊の違憲状況を既成事実化されてしまう。それを牽制する意味でも日頃の世論喚起しかないね。

・平 アッ、ニュースの時間だ。どうなったか聞いてみよう。

2006年7月6日

元寇 1

私本・善隣国宝記

 「元寇」、戦時を生きた人にとっては、日本史のエッセンスをこの一点にしぼったような、当時のキャンペーンを思い出す人が多いでしょう。「敵国降伏」「一騎当千」「体当たり」「神国」「神風」「挙国一致」など、物量を誇るアメリカに対抗して戦意昂揚を図るにはこれしかありません。まず、最初に蒙古(元)からきた国書を見ましょう。

 上天眷命 大蒙古國皇帝奉書 
 日本國王朕惟自古小國之君
 境土相接尚務講信修睦況我
 祖宗受天明命奄有區夏遐方異
 域畏威懷徳者不可悉數朕即
 位之初以高麗无辜之民久瘁
 鋒鏑即令罷兵還其疆域反其
 旄倪高麗君臣感戴來朝義雖
 君臣而歡若父子計王之君臣
 亦已知之高麗朕之東藩也日
 本密迩高麗開國以來亦時通
 中國至於朕躬而無一乘之使
 以通和好尚恐王國知之未審
 故特遣使持書布告朕意冀自
 今以往通問結好以相親睦且
 聖人以四海爲家不相通好豈
 一家之理哉至用兵夫孰所好
  王其圖之不宣
    至元三年八月日

 肝心なところは、最後の4、5行です。「ねがわくば今後、通問してよしみを結び、親睦を深めましょう。聖人は四海を以て家となすといいます。一家のように相通好しなければ、兵を用いるに至ります。それは決して好むところではありません」といっています。「仲良くしよう。いやならはり倒すぞ」といういいかたです。

 至元3年(1266)といえば、朝鮮に蒙古軍が侵入し、高麗王朝が実権を失ってから34年たっています。その間、蒙古軍は朝鮮各地を荒らし回り、国土をすっかり荒廃させてしまいました。さらにこのたびは、日本との交渉を高麗が全責任を負うよう厳命されたのです。

 高麗は、交渉がまとまらないと日本攻撃の要員、戦費をおしつけられることがわかっていたので、気が進みませんでした。しかし無理強いされたため来日し、国書が鎌倉幕府に届けられました。それからさらに朝廷にたらいまわしされて、82日もあとになってから「返牒あるべからず」、つまり握りつぶす、という結論をだしました。

 なれていないとはいえ、外交戦術としては最低の結末です。元側は納得せず再三使者を派遣してきました。元から発せられた4度目の手紙には、朝廷が返事を出そうとしましたが、こんどは幕府がそれを「無礼だ」といいがかりをつけてストップさせました。

 国政の中のセクショナリズムというか、責任回避の姿勢、ナショナリズム競争・・・、どうやらこの「国難」の半分は、日本で招いたもののようです。

2006年7月9日

日米同盟空洞化 1

 サンデープロジェクトをまともに見たのは、久しぶりだ。今日も定番の「北朝鮮」で、先週起きたいろいろな事件を話題にしていた。常連の解説者がいいそうなことは大体想像がついていたが、この中で手嶋龍一氏(ジャーナリスト、NHKのワシントン支局長として、最近まで現地からの報道解説をソフトな語り口でお茶の間にとどけていた)の「日米同盟が空洞化していますから・・・」という発言に耳をうばわれた。

 北朝鮮のミサイル発射について、日本では非常に危機感を深め、「さらなる経済制裁強化を」あるいは「万一日本を標的にするようなことがあれば、日米同盟により北は回復不可能な打撃を受けることを知るべきだ」など、メディアを中心に、主戦論的な言辞を弄する傾向が強くなっている。本当にアメリカは、日本のために北朝鮮を攻撃してくれるのだろうか。

 ミサイル発射から間もない時期に、アメリカは国内外にいち早く「ミサイルはアメリカの脅威になるものではない」とコメントし、その後「テポドン2の短い射程距離は、故意になされたものでなく、明白な失敗」という情報を流し続けた。そして国連への対応は、強硬策策定で日本を矢面に立て、自らは二番手でかげにいるような感じである。

 韓国からは、米駐留軍の大幅削減が計画されている。アメリカは国益最優先で、日本の一部保守系が期待するような「友情で日本を守ってくれる」という楽観は、幻想に過ぎないと思っている。そこで冷戦終結の頃から、ワシントンの中枢で外交や軍事情勢を見続けている手嶋氏の発言の真意を知りたかった。これに関する複数の著書が出しているが、とりあえずは氏のオフィシャルサイトから一部を引用して紹介する。

 日本の当局者は、日米関係は戦後のいかなる時期と較べても良好だと言い募るだろう。ブッシュ政権のイラク戦争を真っ先に支持し、自衛隊をサマワにいまなお派遣している日本との関係が悪かろうはずがないと言いたいのだ。だが、実態はまったく異なっている。

 一つだけ実例を挙げておこう。日本外交が悲願としてきた国連の安保理常任理事国入りを葬り去ったのは、誰あろうアメリカだ。口先では「日本が常任理事国となることを支持する」と言いながら、その実、ブッシュ政権は国連安保理の改革案を最後まで示そうとしなかったのである。

 こうしたアメリカの振る舞いにほくそ笑んだのは中国だった。自らは日本の常任理事国入りを阻む汚れ仕事に直接手を染めずに済んだからだ。日米の同盟関係が機能しているなら決して起こらなかった事態だろう。

 中国の胡錦涛主席は、9月の自民党総裁選挙をにらんで「靖国神社に参拝するようなことがあれば首脳会談には応じない」と釘をさした。この発言の異常さは指摘するまでもあるまい。これでは首相の靖国参拝に反対する人々まで反中国に追いやってしまう。中国は、日米同盟の内実が虚ろなことを誰よりも知り抜いて牽制球を投げ込んでいるのである。

 こうした事実を目の当たりにすれば、既成のメディアが言うように、自民党総裁選挙の主要テーマは、対東アジア外交であるはずがない。日米同盟の再構築こそが急務でなければならない。 わが委員会は「憲法改正より、日米安保改正を先に」と主張しているが、「日本はアメリカに何を望むのか、アメリカは日本に何を望むのか」冷戦後の日米関係をゼロから考え直す、という結論は同じである。

 同氏は、前述の引用文の最後をこう締めくくった。「各国のホワイトハウス・オブザーバーがそろって指摘する首脳同士の親密さと次官クラスの対話すらままならない惨状。この落差をどう読み解けばいいのだろう(中略)イラク戦争にアメリカが突き進み始めた頃から、首脳間の秋風はふきはじめていたのである」

 皮肉なことに、米国初代大統領のジョージ・ワシントンはこう言った。「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と。今、日本は愚を犯していないか。
(おわりの4行は「もーちゃんの部屋」からお借りしたものです)

2006年7月11日

日米同盟空洞化 2

仮想臨時委員会(硬、乙、平、停)
・平 前回の記事で、日米同盟が小泉パフォーマンスとは裏腹に「空洞化」しているという、元NHKワシントン支局長の主張をのせたが、その原因は何だろう。

・停 そこをアメリカ人になったつもりで、踏み込んで考えてみようよ。

・乙 その前に誤解があるといけないので、今回のミサイル騒動で北朝鮮と日・米戦闘状態になるということは、絶対にないという前提を置いておこう。それは双方にとってあまりにも犠牲が大きく、何の利益も無いからだ。仮にミサイルが飛んでくることがあるとすれば、それはなにかの事故によるものだろう。そのおそれはいつでも発生し得るし、被害は避けられない。しかし、昔のようにそれが全面戦争の引き金になることは考えられないだろう。

・平 そこで話をもどすと、自衛隊のイラク派兵にアメリカは大喜びしたのではないの?。

・硬 最初はね。国連ではなかなかお墨付きを貰えないし、湾岸戦争の時みたいにフランス、ドイツとか中東諸国などみんながついてこない。「日本が行きます、行きます」といってくれたまではいいがあとが続かない。しかも、サマアのような一番安全なところで、他国の軍隊に守ってもらいながらだ。一滴の血も流さず、しかもイラク人には概して評判がいい。これじゃあ内心「なあーんだ」ということになるんだよね。

・停 ラムズエェルドとかチェニーとかなどが、小声で「憲法、憲法」といっているのが聞こえるようだわ。それに「臆病者」とか「腰抜け」の西部劇の殺し文句。<br /><strong>・硬</strong> 小声どころか牛肉ひとつとっても、けっこう厚かましくやっているよ。「ここまで、憲法をごまかしてきたんだから、もう何も遠慮いらないんじゃない?」というのが向こうさんの本音だろう。

・平 現政権は、米軍の再編とか自衛隊との一体化とか、ずいぶん踏み込んだところまで協力しようとしているじゃないか。思いやり予算だとか移転費だとかまでも貢いで。

・硬 それもアメリカから見ると全然ちがう。同盟といってもアメリカが日本を守るだけの片務条約はおかしいと思っている。冷戦時代と様子が変わってきたんだ。「アメリカは血を流して日本を守る、日本も血を流せ」といってるんだね。「血を流さないんなら、金を出すぐらい当たり前じゃないか」と。

・停 その論理にけっこう乗ってしまっているのよね、みんな。守る、守るといって具体的にどんな攻撃をどう守るのよ。「国の交戦権はこれを認めない」と憲法で決めているんだから、日本の米軍基地から先制攻撃などできるわけがないわよねえ。核なんか持っている国も使って見ようがないし。

・乙 だからアメリカはじれったいのさ。自衛隊はアメリカ軍と一緒に、あるいはかわりに血を流してくれればいい。常任理事国入りや核武装には反対するが、ミサイル迎撃の共同研究に金は分担させたい。アジアであまり力を持つようなことをせず、中国など近隣諸国に波風を立てないでほしいとね。

・停 それじゃあ全く属国ね。

・硬 名前は忘れたがアメリカのある権威者は、もう「属国」だといっているよ。

・平 無茶をする国がなければ、戦争なんか起きない。北朝鮮は少女を拉致したりにせ札を作ったりする無茶をした実績がある。アメリカのイラク侵攻も相当無茶だった。だからやはり戦争にはそなえなければならないと思う。

・乙昔から、国内が勢力争いでばらばらだったり、敵に内通したりするものがいたり、防衛意識が全く欠けていたりする国は、侵略国をよく呼び込んだ。だから強固な自衛意識は必要だと思う。その方法はいろいろあると思うが、今直ちにできるわが国にとっての安全対策は、憲法9条を厳密に確立し直すことしかないのではない?。そうした上でアメリカと何を協力しあえるのか、今の日米同盟の空洞化を埋めるための話し合いをすればいいと思う。 

:2006年7月12日

近江雑感

 やや旧聞に属するが、滋賀県知事の改選で、社民党支持の嘉田由紀子氏が自公民推薦の現職を破って当選した。かつて、地盤、看板、かばんという選挙必勝3点セットがあったが、大政党相乗り、現職、 利益誘導という地方首長選必勝の常識を覆した点で、新鮮な感じを受けた。

 これとは全く関連がないが、「狸便乱亭」tani様から拙著参考図書として『古代近江の朝鮮』のヒントをいただき、あと取材(既著のチェックと新知識の蓄積)のつもりで、図書館から借りてきた。またついでに、より専門的な、胡口靖夫『近江朝と渡来人』にも関心が向き追加した。

 歴代天皇の動静と密着し、古墳の埋蔵文化を担っていた、飛鳥、河内などの漢人(あやひと)集団については研究も多く、なじみもあるのだが、近江については一過性の知識しかなく、系統的に考えたことがなかった。

 近江、琵琶湖というのは、東海道・東山道、北陸道、山陽道、山陰道などを結ぶ日本のへそのような所に位置する。ここに都を定めたのは天智天皇の一代だけである。その遷都の年5月5日、天皇は蒲生野に、一家・群臣をひきつれて薬草摘みにでかけた。

 あかねさす紫野行き標野行き
  野守は見ずや君が袖振る(額田女王)

 この蒲生野は、百済からの亡命人が中心になって開拓したものらしい。そのほか渡来人の集団は近江各地に定着し奈良時代、平安時代を通じて活躍している。また、織田信長もこの蒲生野に目をつけ、安土城を築いて天下布武の中心にしようとした。

 近江といえば、近江商人、井伊大老の彦根藩、近江絹糸(昭和29年、封建的社長のもと女工員が中心の労働争議で有名)などなど、知っていそうで知らないことが沢山ある。これを機に、いもづる式にいろいろさぐって見るのも一興である。

2006年7月13日:

弱い犬ほど

 北朝鮮のミサイル発射についての国連の対応が大詰めを迎えつつある。最初、北朝鮮が世界から孤立している、という感触の報道が多かったが、ここへ来て、被害者意識を強調する日本が、孤立しかねないような風向きも伝えられるようになった。

 「このままでは破局的結果をまねきかねない」、「いまや対決的局面」、「より強力な物理的な対応」。これは北朝鮮・宋日昊(ソンイルホ)日朝交渉担当大使の記者会見における発言である。

 自分でぶっ放しておいていう言葉ではない。また、かつて「東京を火の海にする」などの過激発言も聞かされた気がする。もっとも、どっかの国の首都の知事さんも「平壌を爆撃すれば正日もそれまで」なんていってるようだから、目くそが鼻くそを笑うようなものだ。

 同胞である韓国に乗り込んでまで、「核やミサイルで守ってやるから米を出せ」という国である。相手をよく見ず、考えもなく発作的に「弱い犬ほどよく吠える」ものである。飼い主である中国やロシアも、これには手をやいているようだ。

 ひるがえって、わが日本はどうだろう。「ミサイル攻撃を予防する先制攻撃の議論」とか、「対抗できる兵器の検討」などの閣僚級の発言は、北朝鮮・韓国・中国からすれば、やはり吠えられた、という感じになるだろう。

 以上のような発想は、これが初めてではなく、たしか鳩山総理の頃の国会討論でもでてきている。自衛権としてどこまでが許される範囲かということで、あらためて真剣に討議されなければならない問題である。

 しかし、それが場所とタイミングをわきまえないと「弱い犬の遠吠え」でしかなくなる。ただやかましく、はた迷惑な発言で、どう見ても次期総理総裁候補のいうべき言葉ではない。

2006年7月15日

和冦 1

私本・善隣国宝記

 鎮西の凶党等数十艘の兵船を構へ、彼の国の別島に行きて合戦し、民家を滅亡し資材を掠め取る。行き向ふ所、半分ばかり殺害さる。其の残り、銀器などを盗み取り帰り来たると。朝廷のため太(はなは)だ奇怪なる事か。

 以上は、歌人・能筆家として有名な藤原定家の嘉禄2年(1226)10月17日の日記(『明月記』の一節である)。いわゆる「和冦」のはしりであり、これに対する高麗の抗議文も、翌年5月14日付の『吾妻鏡』にのっている。そしてこのあと、朝鮮や中国の国運を左右するほどの影響を与えるようになる。

 「和冦」とはいわないが、朝鮮古代の史書『三国史記』には、紀元前50年から6世紀までの間に、倭人の侵犯事件が30数回記録されている。中には「掠海辺民戸」とか「掠取生口而去」という説明も散見され、伝承で不正確なものとはいえ、倭人による沿岸の海賊行為の根は深い、といわざるを得ない。

 もちろん、日本沿岸が襲われた事件もある。しかし、北九州一帯を襲った1019年の「刀伊の乱」(死者462人、拉致被害1289人)以外は、小規模なものが数えるほどしかない。戦前から、和冦の原因を元寇の報復だとか、敵情視察だったという説を立てる人がいた。元寇以前から存在し、日本の当局も困惑していることなので、身びいきの過ぎた見苦しい言い訳けだ、というほかない。自虐史観といわれようと、これは史実なのだ。

 李領『和冦と日麗関係史』によると、比較的規模の小さい、高麗軍が撃退できる程度の和冦が、1223年から1265年までに11回あった。その後元寇を経て一時中断したかに見えたが、1350年から1391年までの40数年間に400件近くも発生し、高麗王朝崩壊の一因になったという。

 善隣国宝記は、この間の事情を次のように伝える(概略・訳)。

    「貞治6年(1367)2月14日、高麗使2名、摂津国福原の兵庫島に到着し、書を通ず。その略に曰く、海賊あまた貴国より出できたりて、本省合浦等を侵し、官廨を焼き、百姓を擾し、甚だしきは殺害に至る。今に十有余歳なり。海舶通ぜず、辺民寧処を得ず」。

 将軍はこれに返書を出したが、当時は南北朝時代に当たり、全国的に足利将軍のコントロールがきかなかった。そのため内容は、「南朝が勢力を持つ四国・九州の海賊には厳罰を加えようがない」という情けないものになり、高麗国をがっかりさせた。(つづく)

2006年7月16日

曰く、不可解

 明治36年(1903)5月、第一高等学校(現・東大)の生徒藤村操(18)は、日光華厳の滝に身を投げて自殺した。以下は近くの大樹を削って、そこに残した遺言「巌頭之感」である。

 悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからんとす。ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチーを価するものぞ。万有の真相は唯一言にして悉(つく)す。曰く『不可解』。我この恨を懐て煩悶終(つい)に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。

 日露戦争勃発の前年、富国強兵の国家目標と個人の思想の間の葛藤、煩悶は、当時のエリート青年がかかえた解決しがたい深刻な哲学上の命題だった。同じ年代でも、100年後になると勉強をしろと叱られて親を殺したり自宅に放火する。この断層、乖離はどう説明したらいいのだろう。

 藤村と同級で、のちに岩波書店の創立者となった岩波茂雄は、当時を「立身出世、功名富貴が如き言葉は男子として口にするを恥じ、永遠の生命をつかみ人生の根本義に徹するためには死も厭わずという時代であった」と回顧している。

 六本木ヒルズとやらに巣くらい、詐欺まがいの手管で巨利をむさぼった後輩たちは、これを何と聞く。また、最寄りの駅ビルにある大型書店には、新書、文庫、雑誌その他、岩波書店発売にかかわるものを一切置いてない。これもまた、曰く『不可解』。

2006年7月18日

和冦 2

私本・善隣国宝記

 前回でも触れたが、「和冦」の犯罪性を何とか弁護したいという解釈は戦前からあった。元寇報復説のほかに、「商業活動の約束違反が原因」「島部を中心とした飢饉対策」「和冦を装った現地人の犯行」などさまざまあげている。確かに皆無とは言いきれないだろう。しかし全体をそれで推し量り、免罪されると考えることは、「南京事件まぼろし論」を振りかざすことに似て、とても歴史を語る資格はない。

 古代における沿海侵犯事件を別にすれば、和冦の発生とその性格をおおまかに3分類できるのではないか。最初が元寇の前で、高麗沿岸の略奪を主目的とする小規模な海賊行為、次が1350年頃からはじまった、高麗のほぼ全土にわたる大規模で組織的な侵犯。最後が、中国南部・東京(トンキン)湾にまで達する明国侵犯である。

 上記の2期と3期は、平行・重複する部分があるが、私見では、2期がほぼ日本の南北朝戦乱時代に当たり、主に紀伊、瀬戸内海方面から来た宮方(南軍)水軍の兵糧確保が目的ではなかったかと考えている。高麗の記録によると、その装束、戦法などが南軍にそっくりなのである。馬を運んで内陸まで荒らし回っており、高麗王朝崩壊、李王朝成立のきっかけとなった。

 3期は、明の自由貿易制限などを機に活発化した。これも大きな機動力と組織力を発揮するが、『明史』に嘉靖年間(世宗治世の45年間)の和冦は、「真倭は十の三、倭に従う者は十に七」とあって「中国人の方が多いじゃないか」という根拠になっている。ここでは、首領が倭人ということになるが、平戸・松浦氏の保護を受け同島に居住した中国人の貿易商、王直は五島などの倭人を引き連れて明を荒らしまくっていたようだ。

 犯人の出身がどこであろうと、日本がその基地になっている限り「和冦」のそしりは免れ得ない。この頃の日本の政情は、目まぐるしく変化し複雑化しているのでとても詳述しかねるが、明とどういう折衝があったか、概観しておこう。

 元が崩壊し、漢民族が明国を樹立(1368年)、太祖が即位すると早速日本に向け使節を派遣した。しかし南北朝抗争時代で連絡がつかず、翌年やっと大宰府をおさえていた懐良親王のもとにやってきた。国書の内容は、「人の妻子を生離し、物命を損傷する倭冦を禁止せよ」と「表を奉じて臣従せよ」従わなければ出兵して王を縛る、という強硬なものである。

 懐良は使節7人のうち5人を殺害、回答を拒否した。太祖は翌年再び使節を派遣し、脅迫と懐柔で懐良を説得して、和冦の拉致被害者70余人の返還、馬と方物の朝貢、表の提出にこぎつけた。ところがここまでで、懐良は北軍の攻勢で大宰府から追われ、太祖の目論見は水泡に帰した。

 太祖は、日本に対し「国王無道にして民は賊を為し、生霊を擾害して鬼神ともに怨む」と言い残して世を去ったという。代が変わって日本は足利義満が実権をにぎり、明は恵帝の時代になった。事前折衝を繰り返した結果、1402年に国交回復が実現するのだが、その往復文書が大いに問題になった。

 明から来たものに「爾(なんじ)日本国王源道義、心を王室に存し、君を愛するの誠を懐き・・・・」と忠誠をほめてもらい、その返事には「日本国王臣源表す、臣聞く・・・・」という「媚中外交」を展開したというのだ。

 宮廷すじの悪評は勿論、仏教すじにある『善隣外交記』でもコテンパンにやっつけられている。その要旨はこうだ。

 相手がわが国の将相を「王」というのは、尊称だろうからまだいい。自らを「王」というのは、冊封を認めたことになる。もちろんよくない。また「臣」を用いるのは、日本の皇室に限らなくてはならないのに、もってのほかだ。

 こうして、政府管理下の「勘合貿易」が始まるのだが、明の統制が厳しいため16世紀には不法海賊行為が全盛時代を迎え、蒙古民族の侵掠とあわせて「北虜南倭」と呼ばれる国難に遭遇するのである。これを制御できる勢力を持つには、豊臣秀吉の時代を待たなければならなかった。

2006年7月19日:

皇室報道

 今日の新聞1面の記事は、「パロマ事故、死亡20人に」、「畠山被告を再逮捕」、「前高野連会長・牧野直隆氏死去」などで、その中に居ごこち悪そうに「紀子さま、前置胎盤と診断」という3段抜き記事があった。

 かつて、皇室記事は「ありがたもの」といって、紙面の左上すみに相場が決まっていた。戦中は、敬語、敬称はもとより、文飾にも神経を使い、不敬のそしりを受けると記者の首が飛んだ。伊勢神宮行幸記事の1例をあげると、こんな調子だ。

 「征戦下において、一天万乗の大君御親ら神宮に御参拝、大御神に御告文を奏せられ、親しく戦勝を御祈願あらせ給うた御事は、神宮御鎮座以来未だ嘗て史上にその御前例なく・・・・」

 余談ながら伊勢神宮参拝について、昭和天皇のこんな独白がある。「伊勢神宮は軍の神にはあらず平和の神なり。しかるに戦勝祈願をしたり何かしたので御怒りになったのではないか」(木下道雄『側近日誌』文藝春秋より)。

 また、『昭和天皇独白録』(文藝春秋)によると、戦時中国民を鼓舞激励する意味で詔勅を出していただきたいという要望が各内閣からあったが、天皇は「出すとなると、速やかに平和に還れとも云へぬからどうしても、戦争を謳歌し、侵略に賛成する言葉しか使へない、そうなると皇室の伝統に反する事になるから断り続けた」とある。

 戦後の発言だから、割引して考える必要はあるが、皇室の本領を「反戦・平和」に置いていることを考えると、靖国のA級戦犯合祀に抵抗感を懐いていたことも察しがつく。さて、話が横道にそれてしまったが、昨今の皇室に対するマスコミ報道は、なんとなく自律性にとぼしく扱い方や用語が混乱しているように思える。

 例にあげると、紀子さま、皇后さまなどの「さま」づけである。「皇后」だけで敬称なのだから「さま」の重複はおかしい。落ち着きが悪ければ「陛下」をつければいいのだ。陛下、殿下は古来からのしきたりで、象徴制であっても一向におかしくない。現にカップルの場合は「両陛下」といっている。「王」とか「妃」また「宮」でも同じで、戦前でもことさら「さま」などつけていない。なにもどこかの国の将軍さまと同じにする必要はない。

 「愛される皇室」を意識したのかも知れないが、それなら「愛子さま」より「愛子ちゃん」の方がよっぽど親しみがわく。そういった中途半端と混乱は、かつてのタブー視が残っている一方、「開かれた皇室」の節度を定めかねているマスコミの無定見の表れである。

 紀子妃の記事が1面だったり、図解をのせたりする必要がどこにあるのか。身体に関するプライバシイを報道記事にする意味はなにか。皇太子妃が国外脱出をしたくなる気持ちがよくわかる。

2006年7月22日

イスラエルの道理

 イスラエル軍のレバノン攻撃がひどいことになっています。隣国の首都を爆撃するだけでなく、数千人の陸上部隊を国境を越え南部に侵攻させる計画です。お金持ちは続々と避難していますが、一般市民や出稼ぎ外国人(10数万人)の移動はままならぬようです。

 イスラム・シーア派民兵組織ヒズボラ掃討が目的ですが、イラク同様、民兵と一般市民の区別はできません。大きな犠牲者がでる可能性大です。「イスラエルが悪い」などという段階はすでにこえてしまいました。イスラエルは悪くないのです。

 命がけの喧嘩です。ふりあげた拳はふり下ろさなければなりません。叩きのめしたら死ぬまで手をゆるめないことです。なまごろしにすると、生き返って必ず仕返しされます。女子供だと一瞬ためらったために撃ち殺されるかも知れません。それが(「自衛権」の美名で繰り返された)「戦争」というものです。

 人類は長い長い歴史の中かで、戦争の悲惨さや不合理を反省し、それを回避することに努力しました。それが国際法であり、国連憲章でもあるわけです。アメリカのイラク攻撃は、いろいろ理屈をつけていますが、先制攻撃などいくつかのルール無視に筋道をつけてしまいました。

 13日アメリカは、イスラエル軍のガザ地区侵攻を非難する国連安保理決議を、1国だけの拒否権(日本は賛成)で葬り去りました。その後もアナン事務総長などの仲介努力に耳を貸そうとしません。イスラエルの自衛権擁護とヒズボラの武装解除一本槍です。

 イスラエルはアメリカが作った先例を、ただひたはしっているだけです。アメリカは「いけない」とは言えない立場です。たとえヒズボラを壊滅させても、アルカイダと同じで各地に散らばるだけ、アメリカへのテロ攻撃をより警戒しなければなりません。

 しかし、イラクと違うのはアメリカ兵の血を流さなくてすむことです。血を流すのはイスラエル兵です。アメリカは、イラクの派兵長期化でアメリカ兵の犠牲者がこれ以上増えて、ブッシュ政権の支持率をさげるわけにはいきません。

 アメリカは、日米同盟を「お互いに血を流す関係」にしたい、という願望を持っているといいます。日本が将来、アメリカにとって第2のイスラエルにならない保証は、誰がしてくれるのでしょう。9条を守り抜くしかありません。

2006年7月30日

猿のイモ洗い

 今日は、すでに始まっている第三次世界大戦とか第五次中東戦争、という話題を書こうと思ったが、準備不足と日曜日のエントリーには重すぎるような気がしたのでやめにして、『毎日新聞』日曜くらぶ(06/7/30)に掲載された「宮本亜門の五十音らくがき帳」というコラムの一部を紹介することにした。

 この一文は「理論」と題して、相対性理論とか量子論などという素人にとってはなはだ難解な理論の中で、人間の常識では想像できないような現象が存在し得るという説明に、興味をそそられるという内容である。

 さらにカオスの理論による「バタフライ・エフェクト」(ある地点で蝶が羽ばたくと、巡り巡って地球の反対側で竜巻を起こす)にもふれ、次の猿のケースを紹介した。その最後の部分がわが委員会を含め、ここを訪れてくださるブローガーのみなさまに、自信と勇気をもたらすのではないかと、それこそ「バタフライ・エフェクト」を期待してエントリーした次第である。

 日本のサルが海でイモ洗いをした数が100匹を超えたとき、突然、イギリスでもサルがイモを洗い始める。これはシンクロニシティーという共時性の理論に通じる。まとめると、人間とそれを取り巻くすべては波動で成りたっており、そこで起きる出来事は地球の反対側だろうと影響しあっていることになる。

 そう考えると、今まで世の中のせいにしていたことが言い訳に思えてくる。つまり戦争をやめさせるのも、あなたの気持ち次第。一人一人の思い行動が人々に伝わり、影響しあって、世界を変えることができるのだ。

2006年7月31日

天皇と「屁」

 忠君愛国教育で育った当時の小国民にとっては、恐懼おくあたわざる題名だが、お許しをいただきたい。「陛下、おプウが出ました!」といったのは、昭和天皇がなくなる前、手術が成功したあかしとして、側近の侍従がいった言葉のようである。皇室では、「屁」とか「おなら」などという聖体をけがすような言葉は禁止用語だったのかもしれない。

 当時、信頼できる印刷物で見たものだが、今やその出典をわすれてしまった。このブログですでに記事にしたが、私が小学生の頃、最初は「興亜奉公日」、対米英開戦後は「大詔奉戴日」の1時間目に、先生引率で神社参拝をした。そのさい悪ガキどもがはやしたてて喜んでいたのは、「朕がプウと屁をふれば、なんじら臣民くさかろう」というものである。

 「プウ」の部分が皇室用語と一致する。翼賛政治家の子弟や孫たちが通う学校では、そんなガラの悪い子はいなかっただろうが、わが校の先生は聞こえぬふりして黙殺していた。当時の子供は天皇でも屁をふることは知っていたのだ。

 そんなことを、ことさらなぜ今思い出したかである。靖国参拝賛成派の政治家、ネット右翼(やっと社会的認知を受け、31日付『毎日新聞』社会面では板活字の大見出し扱い)、それにTVお笑い系出ずっぱりの高齢な政治評論家先生までが、天皇は「おなら」をしない、と思っていたらしいことに気付いたからだ。

 戦時中の子は、臣民としてプーのくささを知っていた。天皇のひとことに一斉にひれ伏した。「上官の命令は陛下の命令と心得よ」という無茶も聞かされた。それが、例のA級戦犯靖国合祀についての、天皇のお気持ちメモで、「天皇もおならをするのか」とあわてふためいている人がいる。

 世論調査でも、首相の靖国参拝賛否がほぼ拮抗していたのに、否定派が10ポイント以上の差をつけて急上昇した。世の中、いまだに「屁」の威力絶大である。象徴天皇になってから、国民との間が身近になった、というのはウソである。戦中戦後の方がよきにつけ悪しきにつけ、国民と分かちがたい関係だった。

 そういった歴史を、霧の彼方に隠そうとする人がいる。前述の評論家先生も、「そのようなメモを作った真意を疑う」「天皇の発言そのものではない」「この時期の発表に作為を感じる」などと、年甲斐もなく取り乱されている。

 たとえ、天皇の陵墓から墓泥棒がメモを盗み出し、わざわざこの時期にばらしたとしても、それで史料の価値が減るわけではない。他の史料と比較検討し、整合性の保てるものなら一級の史料として「歴史」を構成する立派な骨組みになる。気に入らなくても、国にとって恥であろうとも歴史を直視する精神と勇気、それこそ真の愛国心だと思うのだが。

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