« 文化庁と愛国心 | トップページ | 不審船 1 »

2006年5月 8日 (月)

横田さんが心配

[反戦老年委員会復刻版]

 拉致被害者、横田めぐみさんのお父さん滋さんが、娘婿と判明した韓国の金英男さんの親族に会うため渡韓を準備していると聞く。その前にアメリカでブッシュ大統領と面会を果たして帰国したお母さんの方は、疲労からか体調をくずして休養中という報道もあった。

 余計なことかも知れないが、両親より年上であるだけに、ふたりが複雑な国際政治の中で翻弄されている姿に心を痛めている。被害者の家族や、それを取り巻く団体などが、解決の延引にしびれを切らして「経済制裁」を声高に叫ぶが、それが解決の早道になる、という保証はどこにもない。

 韓国の拉致被害者家族と連携して、ということも甘い空想に終わりそうな気がしてならない。子供を引き離された親の立場は同じでも、めぐみさんと夫とされる英男さんでは、異民族か同民族か、北朝鮮における政治的地位と使命感の有無その他で、被害者奪還の方法が全く違ってくる。

 その上、日本と韓国の北に対する政策は両立しない。現に、韓国の李統一相は、滋さんに会う必要はないといい、韓国人救済のために有効なら経済援助を増やすという、いわゆる太陽政策を前面に打ち出していると聞く。韓国から北朝鮮に行った行方不明者が全て拉致とはいいきれないということもあり、自由往来の促進こそ解決への早道、と考える点では、日本の制裁促進策とは相容れない。

 横田夫妻もアメリカや日本とは違うということは、十分承知しているだろうが、英男さんの親族とも、なにか気まずい関係しか残さなかったとすれば、滋さん自身にとっても心の傷になりかねない。政府は被害者家族の止むに止まれぬ行動を、ただ傍観しているだけでいいのだろうか。6カ国協議だけでほかにうつ手がないというのも、芸のない話だ。

2006年5月24日

蔑視の危険性

 「支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず」。

 これは、かの有名な福沢諭吉の「脱亜論」(1885/3/16『時事新報』社説)の一節である。この記事の評価や真意についてはいろいろな議論があり、書いたのは福沢自身でないという説もあるが、当時こういった蔑視が存在したことはくつがえせない。

 同様に、日清戦争の外交秘録である陸奥宗光の『蹇蹇録』には、「朝鮮人の特色たる猜疑深きの邪念と陰険なる手段を施すに憚らざるの悪徳」などという表現もある。ネット右翼やプチ右翼の諸君、「明治の昔からそうだったじゃないか」などと喜んでいてはいけない。

 両先覚とも、君たちの何百倍も中国・朝鮮の歴史や文化に精通しており、両国の安定を願い行方を心配していたのだ。陸奥は同書でこのようにも言っている。

 (前略)愛国心なるものが如何にも粗豪厖大にしてこれを事実に適用するの注意を欠けば、往々かえって当局者に困難を感ぜしめたり。スペンサー、かつて露国人民が愛国心に富めるを説きたる末、そもそも愛国心とは蛮俗の遺風なりといえり。

 これすこぶる酷評なりといえども、いたずらに愛国心を存してこれを用いるの道を精思せざるものは、往々国家の大計と相容れざる場合あり。(後略):岩波文庫・新訂版参照

 明治時代の指導者が、いかに東亜の開明を願い中国・朝鮮の現状に慨嘆して言ったにしろ、一般民衆の間では、形を変え姿を変えた両国民蔑視の風潮がいつしか定着し、ついには日中戦争にまで行き着いてしまった。

 蘆溝橋事件直後、近衛首相は「戦線不拡大、日中友好」を唱えたが、その後も抗日行動があとを絶たないため、政府は「支那軍の暴戻を膺懲(ようちょう)し、以て南京政府の反省を促す」という方向に向かっていった。「膺懲」、難しいことばを持ち出してきたものだ。「たたきこらしめる」、こんなに為をおもってやっているのにまだわからないのか、といった被支配者に対する侮蔑をこめた感触である。

 この蔑視がついに日本を抜け出せない泥沼に追い込み、果ては太平洋戦争につながって、何百万、何千万の犠牲者を出すに至った。民族間、宗教間の差別意識・蔑視という問題は、現在のアメリカをはじめどこの国にもある。人間が背負った業なのかも知れない。しかし、世界はこれを克服するため多くの犠牲と努力を払ってきた。戦前の右翼の大物も、北一輝をはじめ大アジア主義に立つ者が多く、隣邦を感情的に軽蔑するようなことはなかった。

 心ない小児病的な蔑視や差別、これを人気取りに利用しようとする政治家達が、どんな害毒を国内外にもたらすかはかり知れない。蔑視には必ず蔑視の報いがある。優越を信ずるなら信ずるほど、そのような言動をとらないはずである。

2006年5月25日

中国・韓国の違い

 中東・カタールで23日、日中と日韓の外相会議が個別に行われた。この中で両国の日本に対する姿勢が、関係改善に柔軟な中国と、強硬姿勢を貫く韓国という違いが見えてきたという。

 これまで、靖国参拝とか歴史教育問題、島嶼領有問題などで、首相のワンフレーズ発言をはじめ、国民世論、マスコミ論調など画一的な反応しか示してこなかったように思う。

 しかし、本来は靖国ひとつをとってみても、中国はさきの戦争の相手国、韓国は日本国の一部であったことなど、それぞれの国民感情に違いがあるはずで、その視点から議論を起こすべきことなのである。この点、偏狭なナショナリズムをあおる人も、首相も全く一方的でワンパターンの反応しか示さず、孤立状態を招いてしまった。

 中国が柔軟姿勢を示しているのは、いい機会である。個別にもっと中味に踏み込んだ議論を展開すべきである。当委員会が竹島問題について、盧武鉉大統領の発言が、平和解決を閉ざしているという記事を書き、某著名ブログにTBしたところ、即座に削除された。

 どういう立場にあろうと、中国・朝鮮の問題をワンセットにして硬直的に考えるのはよくない。問題解決をますますあと送りさせるばかりである。ましてや、わが国への脅威などと称して、軍事対立を浮き立たせようとするような陰謀は、断固排除しなければならない。

|

« 文化庁と愛国心 | トップページ | 不審船 1 »

東アジア共同体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/50920578

この記事へのトラックバック一覧です: 横田さんが心配:

« 文化庁と愛国心 | トップページ | 不審船 1 »