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2006年3月

2006年3月16日 (木)

人間・宮様

[反戦老年委員会復刻版]

 『高松宮日記第二巻』中央公論社、昭和11年1月8日より抜粋。

 (前略)近頃皇族が芸者に関係ある方あり、又そうした芸者の出る宴会や、待合いに出入りされることが人の話になつて困ったことゝ云ふ話。△△宮が新橋の芸者と関係なさつて胤を宿してゐるのがゐて、話題になつてゐる、そのオカミが相当の腕きゝで、早くなんとかしなくては愈々面倒になるだらうと心配している由。又△△王も△△宮もそうした方でこまったもの、△△宮がどうかしらぬが深入りさせてはならぬと考へる。

 皇族のさうした行動は直ちにお上の御徳に関することである。皇族は道徳的存在としてお上をとりかこんでゐなくてはならぬ、若い方が早くから堕落なさつては真にこまるのである。△△宮もあーした書生的なところのある方であるから、芸者に子を生ましてその処置につき誤りなき様になさり得るか?昔ならそれを方々にオシツケてしまへるであらうが、今は中々さうもゆかぬ、事ム官にしてよくそこを片付けられるだらうか。△△事ム官も近く金銭上の不取締の理由でやるさうだがどうなるか。彼が今までそうしたことはアレンヂしてゐたやうだが、それが居なくなつて結果はよくな[る]か却つて悪くなるか。

 問題は若き皇族も自覚せしめ道徳的に精進せしめるかである。何か青年団と少年団とかの運動に熱心ならしめることもよい方法である。 従来の軍人オンリイ、さはりのない様にの指導方針では余力の仕末にこまつて性的に堕落する。(後略)

 若い皇族の乱脈を分別を持ってお嘆きになる高松宮様も、当時弱冠31歳。兄君・昭和天皇の徳に傷がつくことを心配されその後始末まで気を配られている。そういったところが、かえて兄君としっくりいかなかった遠因なのかも知れないが、「神聖にしておかすへからす」の時代にあって、なんと人間くさい皇族が存在したことよ。

 なにも奨励すべきことがらではないが、この先皇室はどうなるのか。今、男系承継の旗を一所懸命に振りはじめた連中に、「神聖天皇復活」分子がまじっていて、占領軍から強制された「天皇人間」を否定し、皇室神聖化へ逆行させるようなねらいがあるとすれば、これまでのように「女系・男系どうでもいい」などとのんきにしていられなくなる。9条改憲とともに、ウォッチしていくにこしたことはない。

2006年3月18日

アメリカの脅威

 本委員会は今月9日に「脅威論3」という記事をあげ、「アメリカにとっての脅威はテロである」とした。しかしこれはまちがいであることがわかった。ここに「全面的に訂正とお詫び」を申し上げる。最近、アメリカは「国家安全保障戦略」でイランを「最大の脅威」であると公表した。

 そしてさらに9.11同時多発テロ以来の戦いで、「米国は戦時下にある」のだそうだ。したがってテロは、「脅威」ではなく目下「交戦中」に格上げしなくてはならない。

 しかし、あたっている部分もある。アメリカは客観的に見てイラク戦争について勝利したとはいえず、また勝利の見通しも先行き暗い。アメリカ大統領は、世界一の強国を信ずる国民の前で「負けました」とは、口が裂けてもいえない。すると方法は二つしかない。

 国民が選挙で大統領を引きずりおろすか、新たな敵を作ってでも戦い続けるかである。どうやら、ブッシュの報告は後者を指向しいてるような感じである。最終目標を「圧政国家」からの開放においたり、長期的な「思想の戦い」にするなど、これでアメリカ国民の「愛国心」をどこまでつなぎ止めることができるのだろうか。ブッシュばなれは、このところ急速に進んでいると聞く。

 アメリカはイランの何が「脅威」なのだろうか。核開発?。これは口実で本音ではない。イランが国連の意図に反するような強硬姿勢を続けることは、決して平和的とはいえない。だからといってアメリカに原子爆弾が飛んでくるようなことにはならない。「脅威」は、すぐ隣のイラクに大勢の米軍兵士がいて、引くにひけず、もし引いたらアメリカが大嫌いなイランの勢力が一挙にイラクを覆うということだ。そうすると勝利宣言はおぼつかなくなる。

 こうして、「脅威」はまず世論の支持をとりつけるため国内向けに製造される。イランの核開発が「脅威」でないことは、18日、日米豪三国外相会談の声明で「重大な懸念」としたことではっきりした。それはそうだろう。麻生外相が、ライスへのおためごかしに「脅威」などといったら、せっかく手に入れたイラクの石油開発利権をパーにするところだった。

2006年3月19日

国連中心主義

 小泉首相の後継者として、安倍官房長官の人気がアンケートなどでも群を抜いているという。私としてはこれまでの言動からして、麻生外相とともに最も後継者になってもらいたくない人だが、どうしてそんなに人気があるのかわからない。

 そこで「甘いマスク」だけでなく、人柄や政策についてもっと知りたいと思い、図書を探したら1冊だけあった。『この国を守決意』(扶桑社)がそれで、中味は同氏と元外交官・岡崎久彦氏の対談である。岡崎氏はテレビなどにも時々顔を出し、「アメリカについていればいい」という小泉外交の先導的発言を繰り返している人である。

 さて、肝心の安倍氏の政策・信条であるが、親子ほど年の違う聞き役の岡崎氏が一方的にしゃべりまくっている感じで、主役の方は日頃報道などで見る右派的発言に終始しており、特に目立つものはなかった。

 また、おじいさんである岸元首相が持っていたような、個性的な理念や見識といったものも感じられなかった。そのかわりに目についたフレーズが「日教組の教育の弊害」と「朝日新聞の偏向」である。

 安倍氏とは全く異なる発想を持つものであるが、残念ながら日教組の先生から教育は一度も受けたことがなく、皇民化教育や軍国教育の方では安倍氏と比較にならない実地訓練を経験した世代である。また、朝日新聞の批判記事は書いたことがあるが、継続購読をしたことはない。

 防衛のほかは教育問題に関心があるようだが、それが平和教育であろうが愛国教育であろうが、自分の好みに合うような子弟を育てるのが教育だと思われたのでは困る。ということで、この本では安倍氏の発言より、岡崎氏が外務省の国連局政治課事務官だった頃(1956年)次のエピソードの方がおもしろかった。

 私は、上司の課長から(国連中心主義について)原稿作成を指示されたときに、「国連中心主義とは何ですか」とたずねました。その課長は私に、「要するに国連中心主義というのは、アメリカの言うことを聞くということだよ。ただ『アメリカの言うことを聞く』とあからさまに言えば、みんないやがるだろう。だから国連中心主義と言うんだ』と、そう説明していました。

2006年3月20日

対米不安

 このところの本委員会のエントリーを読み返してみると、アメリカに関する記述が多い。それも、すべてといっていいほど批判的な内容で、あたかも「反米老年委員会」のような様相を呈している。そのような先入観念で見られるのは不本意だし、これからも批判を続けることになると思うので、「なかなかそうでもないよ」というところを一本入れておきたい。それに関連して、五百旗 真・神戸大教授の当を得た指摘(06/3/5、毎日新聞)があるので紹介しておこう。

 150年余にわたる日米関係史、それは日本の近現代史そのものである。日米関係は運命的といってよいほど重要であったし今もそうである。ただ、日米双方とも、必ずしもそう認識していた訳ではない。その乖離がさまざまな悲喜劇を産んできた。(それぞれの歴史的事象を省略)こうした事象を列記するだけで、近代日本の歴史にとって、アメリカが度外れた重要性をもつことが分かる。

 その重要性にふさわしい豊かな対米認識を日本人は持っていただろうか。国際政治は「力の体系であり、利益の体系であり、価値の体系である」が、アメリカの場合、三者がそれぞれに強く、独特である。とりわけ価値と理念を奉じ、よどみなくそれを振りかざす点で、米国は世界に例外的である。

 これまでの生涯で、それを「反米」というなら、今ほど反米的であったことはない。もっと区切って言うと9.11テロ後、イラク侵攻に走ってからのことである。それに、上述のようなアメリカの特異性に顧慮することなく、ただ盲従するだけの小泉政権がからんで、これまでにない警戒心を持たざるを得なくなった、いわば「対米不安」におちいったからである。

 個人的に回顧してみると、戦前すでに日本に入っていたポパイやミッキーマウス、子役女優シャリー・テンプルなど子供の時代からなじみだったし、戦後再上映されたターザン映画を見て、戦時中に習った和風泳法の「抜き手」ではなく、主演のジョニー・ワイズミューラーのようなクロールを早く覚えたかった。

 しかし、当時はフランス映画など欧州物の方に人気があり、アメリカ文化の真髄をみた気がしたのは、大人になってから見たミュージカル映画「グレンミラー物語」であった。

 中国を意識して、よく「価値観を同じくするアメリカ」などという人がいるが、これはウソである。アメリカを知らないか、その人個人の価値観である。日本民族の持つ価値観は日本独自のもので、アメリカと同じであるはずがない。太平洋をはさんだ両国は、はやく円熟した大人のつきあいができるようにしたいものである。

2006年3月21日

社民党の急務

 22日に社民・共産両党首脳が、憲法擁護をめぐって「お食事会」をするという。社民党福島党首はさきごろ民主党の前原代表などとも「お食事会」をしたようだ。社民党内部には、「9条を護るためには社共だけでなく、民主、公明、自民の一部まで取り込まなければならない。

 そのためには、共産党が主導するとマイナスになる」という意見があると聞く。憲法擁護を標榜する社・共両党、ことにその元祖であったような社民党が、ここまで凋落してきた経緯を考えても、今「お食事会」や選挙協力など、悠長なことを考えている暇はないはずだ。

 一途な「改悪反対宣伝」や自民党案の勉強会はもういい。今すぐ立ち上げても遅いぐらいの、重要な政策にどうして目が向かないのだろう。そのひとつが日米安保条約(日米同盟)の見直し問題である。同条約は、日本の敗戦と、米ソ冷戦激化という50数年前の世界情勢を背景に、アメリカの圧力のもとで生まれ、一度の改訂を経ているが基調を大きく変えることなく受け継がれてきた。

 その後情勢は大きく変化している。それを受けてアメリカも世界規模の国防体制見直しをしており、日米同盟改訂の時期にあることは十分承知している。しかしそれを言い出さないのは、現状の米国に有利な条件を維持し続けるとともに、同盟関係の「変革と再編」を進めるうえで、すでに違反状態になっている憲法を変えさせた方が好ましい、と考えているからではないか。

 ところが、現憲法を守り通すということになれば、すでに幾多の矛盾を内包している日米同盟を白紙に戻して再検討することが必要になってくる。そして、戦後半世紀も続いてきた日米関係を再構築し安定させるには、これから先また10年20年の歳月を必要とするかも知れない。社民党にはそのためのロードマップを示す用意がなくてはならない。

 次ぎに必要なことは、どうやって自衛力を確保するかに答えることである。「国際紛争解決の手段としての軍隊を持たない」つまり攻撃用の軍隊をもたないことが、一種の自衛手段につながるということは認める。ただし、それは国民の強力な国家防衛意識の裏付けがあってこそ成り立つのであって、「侵略・侵入ご自由に」の態度では、悪意ある国家を誘導・誘発することにもなりかねない。

 「自衛隊を段階的に解消する」のではだめだ。「自衛隊」の名称が問題なら直ちに呼称を変えて、専守防衛の強力な組織にする。「日本の国は、日本が守る」という強い意識を持つことで、はじめて日米安保の改訂が可能となり、平和憲法を守り通せる道が開ける。こういった展望があってこそ、護憲政党に多くの支持を集めることができる。これにも具体的なプログラムが必要になってくるが、果たして社民党の体質でこれが可能かどうか。小所帯の強みをこんな所で発揮するよう期待したい。

2006年3月23日

墨子

 紀元前479年、楚の恵王に対し、公子であった白公勝が内乱を起こした。その時、白公は王子の閭を捕らえて胸に剣を押し当て、「王になるならば殺さないが、そうでなければ殺す」と脅迫した。これに対して王子は「侮るな!、我が親を殺して楚国を得て喜ぶと思うのか。たとえそれが天下であっても、義に反してそのようなことはしない」と叫び、その場で殺された。墨子の弟子・孟山が、その「義」をほめたたえたことに対し、墨子は次のように説いた。

 「子墨子曰く、難きは則ち難し、然れども未だ仁ならず。若し王(楚王)を以て無道なりとせば、則ち何が故に受けて治めざるや。若し白公を以て不義なりとすれば、何が故に王(王位)を受けて白公を誅し、然して王を反(かえ)さざるや。故に曰く、難きは則ち難し、然れども未だ仁ならずと」

 すなわち、どんな立派なことを考えていても王にならなければなにも成就しない。時にはすじをまげてでも、実益を得るように行動しなければ何の意味もない、といっているのである。

 前回の投稿に加えて、これを社民・共産・民主リベラル派の政治家に呈上したい。なお、墨子は戦国の世にあって「非戦論」と「実利主義」を唱えた諸子として知られている。

 「一人を殺せばこれを不義と謂い、必ず一死罪あり。もしこの説を以て往かば、十人を殺さば不義を十重し、必ず十死罪あり、百人を殺さば不義を百重し、必ず百死罪あるべし。かくのごときは天下の君子みな知りてこれを非とし、これを不義と謂う。情(まこと)にその不義を知らざるなり。故にその言を書して以て後世に遺す」

2006年3月24日

ダンスの流行

 団塊の世代が定年を迎えるにあたり、社交ダンス流行の気運が高まっているのだそうです。すると戦後二度目のブームになるのでしょうか。もう50年も前の頃、新しい靴も満足に変えず破れた靴下もつぎはぎの残る時代でした。

 会社の終業時刻になると、事務机を隅に集め床を広くします。そこで一歩先んじてダンスを習っていた社員の指導で講習会がはじまります。「ハイ、スロースロー、クイッククイッイク」。

 田舎ポット出の新入社員も、男女先輩社員に協力しなければなりません。しかし生来の不器用さもあって、結局ものになりませんでした。

 しかし、流行した音楽だけは忘れません。昭和23年「懐かしのブルース」25年「水色のワルツ」、27年「テネシー・ワルツ」「ゲイシャ・ワルツ」。この頃になるとジャズやマンボが花盛りになり、社交ダンスはオジサン芸で下火に向かいました。

 また、スローテンポの歌曲は、「歌声運動」にその座を奪われていきます。

 「歌は世につれ」といいますが、社交ダンスブームがなにか次の目新しい流行を生み出してくれることが楽しみですね。

2006年3月25日

安保の限界 1

仮想定例委員会

*平 安保問題、むつかしいねえ。どこから手をつけたらいいのやら。

*硬 なにしろ最初が1951年(昭和26)締結の全部で5条、60年(昭和35)に改訂して10条、それ以来ずーとそのまま変えていない。

*停 最初の頃は、左の方が「日米軍事同盟だ!」というと、「そうではない、経済と安全で協力しようという条約だ」といって、「同盟」という言葉を避けていたのよね。それが小泉さんはじめ、みんな日米同盟、日米同盟というようになった。いつごろからなのかしら。

*乙 最初に口をすべらしたのが1981年頃の大平首相、続く鈴木首相はアメリカのプレッシャーを受けて文書上でも「同盟関係」をうたうようになった。アメリカにしてみれば「軍事同盟は軍事同盟、まやかしは許されない」ということだろ。

*平 プレッシャーというと?。

*乙 自衛隊、防衛関係予算の増額だ。米軍の占領は終わったが冷戦は厳しさを増すばかり、アメリカは日本列島を共産陣営の橋頭堡として基地を置いておきたいし、日本も全部引き揚げられたら困る。そこで最初の安保条約ができた。それは、アメリカが日本の防衛義務を負うわけではなく、占領を一部継続するような一方的な物だった。その頃からアメリカは国土を自ら守る国防力の増強を吉田首相に迫り、吉田は平和憲法の存在をたてに抵抗した。

*硬 岸首相は、それを独立国にふさわしい相互防衛条約的なものに変えようとした。そして、日本への攻撃は双方の国の安全を脅かすものとして対処・行動することを宣言し、防衛能力の維持増強、米軍基地の極東への影響力行使と協力、経済協力などを合わせて盛り込んだ。

*停 だけど、アメリカの領土が攻撃されたとき日本が助けに行くことになっていないから、アメリカから日本が一方的に守ってもらっている、「安保ただのり論」などといっているのよねえ。

*平 ちょっとまって。これを見ていただきたい。

【ワシントン6日=滝本匠本紙特派員】米国防総省はこのほど、米国外に駐留させている米軍の駐留経費で、世界中の同盟国による2002年度の負担額をまとめた。それによると、同盟国全体での負担合計額約85億ドルに対し、日本の負担額は44億1134万ドルと50%以上を占め、世界的に見ても在日米軍の存在に突出した費用を負担している現状が明らかになっている。

 国防総省がまとめた報告書「共通の防衛に対する同盟の貢献」によると、日本は在日米軍駐留経費全体の74.5%を負担しており、米軍駐留経費の負担額の比率で見ても、他同盟国の中で最も高い割合となっている。

 世界全体で見ると、各同盟国が拠出した総負担額85億ドルは、米国外の米軍駐留経費総額の50%以上に当たるといい、そのうちの半分以上を担う日本は世界の米軍の他国駐留費用の約4分の1を負担していることになる。

 同報告書によると、在日米軍駐留経費で日本は、直接経費負担が約32億2800万ドル、税金や各種手数料の権利放棄などによる間接経費負担が約11億8300万ドルとなっている。(琉球新報)

*停 ええっ!。ただのりどころじゃないよ、これじゃあ。アメリカの方がただのりだわ。

*硬 この24日、在日米軍再編に関する外務・防衛審議官級協議というのがあった。そこでは、アメリカ側が沖縄の海兵隊をグアムに移転する費用として、そこに整備する司令部施設、港湾、隊舎など約100億ドルの75%約8800億円を日本に要求した。(25日・毎日)

*停 75%も?、自分の国に帰るだけなのに、よくはずかしくないわね。

2006年3月26日

解放感

 閉塞感、このところのご時世は、この一語につきる。その最たるものがライブドア関係事件だが、期待した検察の大捜査はその後音なしの構え。国会は前代未聞の「民社詫び状」で機能が麻痺。外交に目を転じても、小泉我流は通用せずアジアはもとより、ポチのご主人まで困っている孤立ぶりだ。

 そんなとき、わずかに開放感を味わせてくれるのがスポーツだ。荒川選手の華麗な技での金メダル。王ジャパンは野球世界一。本来ならばこれらは「一陣の涼風」といった表現になるのだが、世の「閉塞ぶり」があまりにもひどいので、あえて「開放感」にまで気分を昂揚させてしまう。

 私にとっては、これに大相撲がひとつ加わった。26日の千秋楽、ハプニングは魁皇・白鵬戦に起きた。最年長大関の魁皇は先場所負け越し、今場所も負け越せば大関陥落となる。予想に違わず6日目までに2勝4敗の星、引退宣言は今日か明日かと取り沙汰されるなか、「自分で納得できるまで取ってみる」と答えて、7勝7敗にまでこぎつけた。

 片や白鵬、若手モンゴルの星は、大関昇進を決めて絶好調。この日は、魁皇をくだして横綱・朝青竜と1敗同士が優勝を争うはずだった。初優勝の晴れ舞台をみてもらおうと、正装の両親と兄弟も会場に招いてあった。

 ところが奇跡が起きた。大相撲最後の取り組みになるかも知れない魁皇は、見違えるような素早い立ち会いのもと、かつてならした強腕で右上手をとると万全の圧力でよりきった。いつもは可愛い感じの柔和な顔の魁皇だが、取り組み後も珍しく危機迫る気迫の表情を変えなかった。

 これで「頑張る」魁皇の顔を来場所も見られる。あとの取り組みも来場所に大きな楽しみを残した。栃東が横綱を破り、来場所も横綱昇進を期待することが可能になった。横綱と白鵬が2敗同士となってやはり優勝決定戦となった。モンゴルの先輩・朝青竜も、新進気鋭を寄せ付けない、という横綱の意地をみせ、みごと16回目の優勝を飾った。

 野球ほど騒がれないので、あえて記事にしたが、来場所は琴欧州を含め、横綱・大関陣6人中3人が外国人となる。しかし相撲の醍醐味からそれへの抵抗感は確実に薄れてきた。若手も力をつけてきており、野球より相撲の復権の方が早いのではないかという感じの場所であった。

2006年3月29日

安保の限界 2

仮想定例委員会

*平 安保の歴史は長い。しかし環境はすっかり変わった。安保のあり方や役割も劇的に変化しているのだがあまり気づかれずに過ぎている。その詳細は研究書などに譲るとして、庶民感覚で見るとどうだったのだろう。

*硬 最初が占領軍撤退のあとの空白を埋めるため、つぎに共産主義の防波堤として、さらに米軍の経費を負担しながら基地を恒常化する方向に進み、最後はブッシュの新世界戦略に即応した米軍再編の一環にを果たす役割を負っている。簡単にいえばそんなところだろうね。

*停 安保というのは、外交と軍事だわね。だから当然秘密がからむ。協定書なども、英語、日本語の違いで微妙な解釈の違いが出てくる。もう一ついえば、実態以上に政治目的が先行しちゃうということかしら。なかなか素人にはわからない。

*硬 むつかいしねえ。戦前でいえば、松岡外交が強引に日独伊三国同盟を方向づけて、日米開戦を避けられなくしたとか、そういうこと?。

*停 うーん。実例ではうまくあてはまらないけど、やはり反共とかテロ組織撲滅というような、単純で粗雑な戦略目標を掲げてしまうということかしら。それに、政治と現場のズレというのもあるわね。

*硬 対共産主義というのは相当長く続いた。しかし、今反共を唱えている人の多くは共産主義など知らないよ。共産中国や北朝鮮とその手先の日教組と朝日新聞といった短絡思考しかないんだなあ。

*平 アメリカののど元といえるキューバなど中南米まで社会主義革命が押し寄せ、東欧、アジア、アフリカなどでも次々とソ連の勢力圏がふえていく、アメリカや日本の保守層が真剣に日本の共産化や中立化を恐れていたという時代が、過去にはあったんですね。

*乙 1950年前後だろうね。急速に普及したマルキシズムは、その論理においても知識人を引きつけるだけの魅力があったし、アジアでも中国、朝鮮、ベトナムなどでは腐敗や独裁が目立つ自由主義陣営より、計画経済や農民開放などを掲げる共産陣営の方が勢いがあったね。大学の講義なども「マル経」一色だった。

*硬 冷戦下の安保は、国内の過激な共産主義者というか、共産主義特有のインターナショナリズムに染まり暴力革命を肯定する一派がいた。それを共産国が支援するという「間接侵略」だな。旧安保は米軍がこれに対処できることになっていた。もう一つは「代理戦争」といわれる局地的な熱い戦いだ。朝鮮でもベトナムでもアメリカがその矢面に立った。その意味で、日本はアメリカの安全にとって非常に大切な防波堤だったわけだね。

*停 ソ連解体からもう10年余りたっているのよねえ。今ごろ、共産国だから中国や北朝鮮が攻めてくるとか共産主義を輸出するとか考えている人っているのかしら。

*硬 ロシアも中国も国内にイスラム教徒をかかえていることだし、対テロ対策でアメリカと共同戦線を組みたいぐらいじゃないのか。国際共産主義なんていうのは、ソ連崩壊前から幻想だった。

*平 日本が共産主義の防波堤、というのはすでにない。アメリカも世界戦略を変えている。その中で安保はそのままでいいのか。そこらを次ぎの回につなげたい。

2006年3月30日

安保の限界 3

 当委員会は、これまでの討議の結果、次の理由で、現・安保条約改訂を検討すべき時期にあることを宣言し、政治家の奮起をうながすものである。

[改訂すべき理由]
 安保条約は締結以来45年間一度の改訂もなく、次に見るように締結後の情勢の変化に対応できていない。

1.冷戦が終結し、日本が異なる政治体制の国(共産国)から攻撃される理由、状況が消滅した。

2.締結当時からみて、日米の経済力、技術力の格差が縮小した。

3.米軍基地の配備、任務、役割などが大幅に変化した。

4.相互防衛条約と日本国憲法の整合性に問題を生ずる事態が多くなった。

5.国連改革、あらたな集団的自衛権構築、全方向平和外交推進などの障害となる。

6.安保の存在が現行憲法を改定する有力な根拠になっている。(憲法と安保の改訂について、憲法を先行させるのは邪道)

[改訂の過程]

1.従来の外交姿勢から、小泉内閣またはその亜流内閣では改訂不可能。日中、日韓の関係正常化と発展の実現が前提。

2.改訂の申し入れから交渉開始まで数年かかると思われるので、素案の検討は直ちに開始しなければならない。

3.改訂には非常な困難を伴うと考えられるが、吉田首相や岸首相、それ以後の首相も米国の圧力を回避するため、時には野党の攻撃を盾にとるなど、国益を最優先して対抗し交渉に当たった前例がある。

4.前回にくらべ、改訂の時期として基地縮小問題など日本に有利な条件を持ち出しやすい。

 ソ連崩壊後10数年経過しているが、当時刊行された『日米関係の構図』の著者、東京国際大学・原彬久教授は、その巻末で冷戦後の安保の姿を次のように予測している。

 米ソ冷戦崩壊後の延長線上に生まれる新しい安全保障システムは、ソ連を排除し中国を除外しつつ日米をその中核にしてつくられるということはありえない。長期的視野に立てば、個別的、閉塞的な安全保障から普遍的な安全保障への道は必然的である。アメリカは「アメリカの安全」を守るために、つまり、アメリカの国家的、個別的安全を守るためにこそ、日本、ソ連、中国その他のアジア太平洋諸国を加えた、より普遍的な安全保障体制に向かわざるをえなくなるであろう。

 この予測を大きくくつがえす要因は、現在のところ見あたらない。しかし今まで放置されたままになっている理由は、最初の回に触れたように、現条約を維持することで、アメリカ側は、本国を含め最も低コストな日本の軍事基地を確保しておけることと、日本の政治家が安保の隠れ蓑に安住し、諸般の外交努力を怠っていたこととなどしか考えられない。

2006年3月31日

山岡鉄舟

 勝海舟と西郷隆盛が、官軍の江戸総攻撃を前に高輪の薩摩藩邸で会談し、江戸を戦火から救ったという、有名な話がある。この予備折衝というか、会談の結論を事前に導き出した功績者が当時33歳の旗本・山岡鉄舟である。ところが日本史の上では、勝海舟の手紙を持って使い走りをしたという程度の評価しかしていない。

 山岡が事前に勝に会って相談し、手紙を預かったことは事実だが、将軍・慶喜の恭順と和解の意を官軍に伝える大任を指示したのは将軍自身で、直接山岡に会って命令している。山岡を推挙したのは、将軍の身辺警護にあたっていた義兄の高橋泥舟である。したがって山岡と勝は面識がなく、最初は山岡も玄関払いにさせられるところだった。

 この打ち合わせで、勝は山岡の見識がただ者でないことを見抜き、本陣を駿府(静岡)まで進めてきた官軍説得に同意するのである。そこで、勝はすでに先鋒が川崎あたり迫る中、どうして本陣に達するのかということを聞いてみた。

 鉄舟は「臨機応変は胸中にある」と答えた上、「縷々として説明した」という。その説明した”口述”の内容は、『両雄会心録』に「官軍の営中に到れば、彼ら必ず余を斬るか、将た縛るかの外なかるべし、然る時は、余は双刀を解きて彼らに渡し、縛るならば尋常に縛につき、斬るとならば斬らすべし、何事も先方に任して処置を受くべし、去りながら何程敵人とて、是非曲直を問わず、只、空しく人を殺すの理なし、何の難き事かこれあらん」と説明したと記されているから、多分その事を指したものであろう。(大森曹玄『山岡鉄舟』)

 一介の下級武士に過ぎなかった山岡だが、剣道と禅の修行で武士道の真髄をきわめ、知力、胆力、気力それに至誠と体力がそなわる人材が、将軍側近の高橋によって見いだされた。そして、西郷との交渉でもその本領を発揮し、和平交渉を成功に導くことができた。前述のような武装を解除した「無手勝流」も、山岡の能力と至誠があってこそ、その効果を最大限に発揮できたのである。

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2006年3月12日 (日)

脅威論 4

[反戦老年委員会復刻版]

仮想定例委員

*平 アメリカにとっては何が最大の脅威かといえば、「テロ」だという結論を得たので、次ぎに中国を見ることにしよう。

*乙 その前に、アメリカの中東政策の失敗がだんだん表面化しそうになってきたね。ベトナム戦争で屈辱を味わったアメリカがその戦後処理をどうしたか、これは大いに研究しておく必要がある。特に1980年に就任したレーガンの頃から、戦争の大義を否定しその失敗を明らかにしようとする左派陣営に対し、ユダヤ系リベラル雑誌「コメンタリー」誌に集まった新保守主義者(ネオ・コンサーヴアティブ)達が、傷口を早くいやしたい大統領と利害が一致し、勢力をのばした(西崎文子『アメリカ外交とは何か』岩波新書)ことに注意しておきたい。

*停 今のネオ・コンというのもこの頃が始まりなのかね。

*乙 いや、よくわからない。そういった現代史の分析は、本委員会の手に負えるところでないが、ちょうどその頃、日本では、鈴木善幸内閣の閣僚が終戦記念日にそろって靖国参拝をしたり、教科書で侵略を「進出」と書き直すなどの問題がでてきた。敗戦の屈辱をくつがうそうという傾向が、日米に共通した現象として現れた点が研究の課題だね。

*平 さて、本題にもどって中国にとっての脅威とは何だろう。

*硬 かつてはソ連がありインドだったこともあった。今はやはりアメリカかねえ。

*乙 というより、内部の独立の動きだろ。台湾とかチベットとか西域のイスラム教徒とか。台湾は微妙だけど中国はあくまでも国内という原則をくずしていない。パンダを送るとかオリンピック聖火ランナーを走らせるとかを計画し、独立阻止にあらゆる手をつくしている。その意味で台湾の外側の太平洋も中国の防衛権圏に入ると思ってるのかも知れない。台湾の存在をいつも考えておく必要がある。

*硬 前にもいったことがあるが、台湾問題が平和解決しない限り、アメリカと日本を潜在的脅威と考える続けるだろうね。その意味で、先の戦争への反省を、日本がないがしろにするような動きを見せると、敏感に反応する。まだ、アメリカの方が信用できると思っているのかも知れないよ。

*停 06年度の国防費予算が4兆1100億円、89年以来2けたの伸びが続いている。だけどこれには兵器購入費や研究費などが入ってなくて、実際には2、3倍あるといわれているねえ。発表された金額が主に人件費じゃあインフレもあるし、たいして驚くような伸びではない。中国でも、日本に比べて低いレベルといっている。日本政府が「懸念」だといっているのは、主に不透明性のことだろうねえ。

*平 中国も気にしていて、近く米軍との交流を開始するような話もあるそうだ。民主党の前原代表のように「現実的脅威」などといっているようじゃ、このまんま日本だけ置いていかれるだけだよ。とにかくお互いが忌憚なく話せるような状態じゃあないものなあ。

*乙 中国にアメリカに対抗するだけの軍備を持とうという気はないだろうしできない。ただ東アジアの盟主的な存在になりたい、という野心はあるんじゃない。そのためには単に力で脅迫するだけではだめで、覇道より王道を選ばなければならない、というのが中国の伝統的文化だと思いたいね。

*硬 いやに楽観的だが、東シナ海のガス田問題も外交交渉で解決する構えといえるのかな。

*乙 その通り。ただ今までの日本の外交ではダメだね。ここは、アメリカの威を借りるということでなく、日本の国益を押し通す一途さ、これが相手に対する国交上の礼儀というものだ。

*平 私は最近、スターリンの評価が高まってきているというプーチン・ロシアの方が脅威だと思うんだけど、国内でそんな意見はあまり見えないねえ。結局「脅威」というのは、その時々の政治的事情で人為的に作り上げていくものだ、という気がしてきた。

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2006年3月 7日 (火)

敗戦の足音

[反戦老年委員会復刻版]

 高見順『敗戦日記』より抜粋(当用漢字、かなづかいとする)

・昭和20年2月27日 (前略)家に帰ると(東京から北鎌倉へ)新聞が来ている。東京の悲劇(25日の大空襲で都心から下町にかけて壊滅的被害を受けた)に関して沈黙を守っている新聞に対して、言いようのない憤りを覚えた。何のための新聞か。そして、その沈黙は、そのことに関してのみではない。

 防諜関係や何かで、発表できないのであろうことはわかるが、--国民を欺かなくてもよろしい。国民を信用しないで、いいのだろうか。あの、焼跡で涙ひとつ見せず雄々しくけなげに立ち働いている国民を。(後略)

・同年3月6日 (前略)敵の本土上陸の予想が新聞記事に公に出たのは、ついこの間のことであったが、今日の新聞あたりはどれも大きく、敵は必ず上陸すると書き立てている。朝日新聞は「をみなわれら断じて戦ふ。皇土を護り抜くのみ、驚かじ敵の侵入上陸」という三段抜きの見出しで、侵入上陸に対する女性の覚悟を羽仁説子、松平俊子、氏家寿子の三女性に尋ねて、それを大きく記事にしている。侵入上陸があった際、国民が狼狽しないようにとあらかじめその時の覚悟を固めさせておこうというのだろうが、こういう記事ばかり読まされては、一体日本はどうなるのだろうとかえって浮足立ちはせぬかと会(文学報国会)の人々は言っていた。「必勝の信念」をぐらつかせるというのだ。だが、そういう人たちは口には出さないが、「必勝の信念」をすでに失っているのではないか。

 昭和天皇は、このころやっと「必勝の信念」を失ったようだ。つまり、一般国民が敗戦を意識し出した頃になって、ようやく自覚し始めたのだ。しかし、ここで天皇が自覚しなければ、アメリカとソ連による上陸作戦にまで進んでいた可能性は極めて大きい。今の平和憲法がなくなった場合、日本には戦争を終結させるシステムがない。

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2006年3月 5日 (日)

改憲と世論

[反戦老年委員会復刻版]

 新聞の世論調査というのは、あまり信用しない方だが、今日の毎日新聞トップの見出し「改憲賛成 最高の65%」にはギョッとした。しかし私は「加憲論」(現行憲法はそのままとし、必要改正事項は末尾に付加する)だから、選択肢としては、上の65%に入る可能性があるということになる。見出しにつられてはいけない。

 さらに中味を見ていくと、9条について、「1項、2項とも改めるべきでない」41%とあり、逆の、「1項、2項とも改めるべきだ」の20%の倍を越している。また、この選択肢には、「戦力の不保持を定めた第2項だけ改めるべきだ」21%というのがある。私も、アメリカのイラク侵攻と自衛隊派遣の特措法がでるまでは、もし専守防衛の自衛隊が規定できるなら2項改訂もあるかな、と思っていたので、それならばここに入ることになる。

 しかしその後、小泉政権の対米従属姿勢、そして民主党の一部まで含めた軍事力強化指向や、集団的自衛権肯定論などに強い不信感と危機感をいだいた。そして、これは1、2項とも手つかずで守らないと、拡張解釈で戦前同様の軍隊「暴力装置」ができてしまうと考え、歯止めとなる9条死守に趣旨がえをした。

 だから、1、2項とも変えずの21%はなかなかの数字だと思うし、「自民党の自衛軍保持の改訂案に賛成する」17%から見ると心強い気がする。だが油断してはならない。冒頭に書いたように、見出しの立て方ひとつで大勢に順応するようにし向けたり、改憲賛成の理由第1位だった「時代に合っていないから」53%をかかげて、一括賛否を問うようなことがあれば、はずみで国民投票の過半数を獲得する可能性がないとはいえない。

 繰り返すが、新聞の世論調査はあてにはならない。また、いちいち数字に振り回される必要はない。しかし、まだ国民に問題が咀嚼されているようには見えず、憲法論議はまさにこれからが勝負どころ、ということだけは示されているように思う。

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2006年3月 3日 (金)

嫌中の深層

[反戦老年委員会復刻版]
(以下2編はコメントの一部を末尾に付加します)

:  反戦とか脅威を論述していると、どうしても避けて通れないのが、今の日本人に多い嫌中意識である。これは嫌韓も同じだが「意識」より「感情」と言った方がいいのかも知れない。戦前は、あきらかに「蔑視」があったが「嫌中」ではなかった。プチ右翼がさかんに使いたがる「支那」だって、昔は、屋台ののれんに「支那そば」と書かれていた懐かしい味と親しみある表現だった。今の「ラーメン」では味わえない。

 一般民衆の蔑視はあったものの、明治以来政治家、学者、芸術家あるいは、右翼壮士に至るまで、中国との関係を重視し、中国の指導者層と親交を結ぶ人が多かった。また、日本に亡命中の共産党支持者・を近隣住民が暖かく受け入たり、漢詩のひとつもひねれないようでは、教養人といえない、といった感覚もあった。したがって、周恩来氏などの日本留学経験のある指導者は、おおむね日本人に好感を持っていた。

 過去の蔑視が下敷きにあったとしても、最近の嫌中は全く新しいものである。それはどこからきたのであろう。政治を抜きにして考えた場合考えられることが二つある。ひとつは来日中国人による犯罪報道である。その中味が九州であったような家族惨殺といった凶悪犯罪とか、ピッキングといった日本にかつてなかった窃盗犯罪の続出である。統計上はごく一部の人達によるものだろうが、決定的なイメージダウンにつながった。

 もう一つは経済問題で、生産拠点の中国移転にともなう空洞化現象である。家電製品から衣料品まで、身近な商品がすべてMade in Cainaに占領されてしまった。ちょうどバブル崩壊とも重なり合い、一種の被害感情がでたことである。中国人にも、段違いな経済発展を遂げた日本の経済進出に対する抵抗感があるとすれば、勘定摩擦でなく相互の感情摩擦であろう。

 麻生外相は「民主党の前原代表が中国の脅威をいったら、首脳との会談を断った。だから靖国の問題を解決しても必ず違う問題を持ち出してくる」(『Voice』)といった発言をしている。中国の反日世論に迎合するため、といいたいのかも知れないが、こちらがそう考えれば当然先方もそう考えてもいいはずだ。だから、ことさら日本の嫌中感情をあおるような政策・行動をとらないようにするのが、外交の要諦ではないか。今はその逆を行っている。

COMMENT:
: 飲兵衛トシ

 最近の歴史学者の研究で、中国人や朝鮮人に対する日本人の差別意識の源泉がどこにあるのかを研究テーマにした論文がいくつか発表されています。まったく180度違う立場からも、例えば西尾幹二氏や藤岡信勝氏らの「新しい歴史教科書を作る会」でも別の角度から論じているようです。それらを概括すると、凡そ、江戸期の佐藤信淵、平田篤胤、藤田藤湖、佐久間象山、吉田松陰、江戸末期から明治にかけての西郷隆盛、福沢諭吉、板垣退助などに起源を求めている論文が多いようです。

 しかし、歴史学者の研究レベルではないにせよ、庶民レベルでの中国人・朝鮮人差別がどこで、どのように醸成されてきたのかを研究することは意味があると思います。例えば、1923年の関東大震災の際に、自警団や憲兵隊が意図的に流した「朝鮮人が井戸に毒を撒いた」というデマで数千人もの在日朝鮮人が犠牲になったことは、その根底に何らかの差別意識がすでに形成されていた証左でもあります。
 
 少なくとも江戸時代には、明・清との交易は平戸や長崎で継続されていたわけだし、朝鮮に至っては、「朝鮮通信使」という国賓級の外交団を受け入れていたわけなので少なくとも江戸時代の幕府に対中国・朝鮮への差別意識があったとは考えられません。

 西郷隆盛らの「征韓論」は余りにも有名ですが、西郷らに思想的影響を与えたということでは、吉田松陰や福沢諭吉あたりがそのルーツになるのかナ?と僕は睨んでいます。そして、それを決定付けたのはやはり日清・日露の二つの侵略戦争だったと思います。

 朝鮮半島や満州を戦場にしたこの二つの戦争で、日本軍は現地の人々を軍人か民間人かを問わず殺戮しています。そして、復員した侵略兵たちは自慢話として中国人や朝鮮人をいかに多く殺したかを滔滔と聞かせたのです。そういう「武勇伝」を聞いて育った世代が「満州事変」以来のアジア太平洋戦争の全期間を通して各地で蛮行を抵抗無く働く原動力となった、と僕は見ています。

COMMENT:
: locust72

 こんにちは。
 嫌米というのは結構前からあったと思うのですが、ここ最近の嫌中嫌韓の勢いはそれを遥かに凌ぐものがありますねえ。
 しかし、冷静に考えると差別意識を持つにも足りぬほど彼の国々のことを知らないなあと自省。
 雨降って地固まるといいんですけどね。
 

COMMENT:
: ナイトトレイン

 いつも子供の頃の話し位しか無くて深みの無い投稿ですが、田舎の町で育った頃(’60年前後)遊び仲間の一人にM本くんという子供がいました。散々一緒に遊んで何年も後になって彼が本名は違う子供(朝鮮の金くん)だったことをぼくの母親から聞きました。
 何故近所の人もぼくの母も子供の頃にそれをぼくに教えなかったのか、時々考えています。(認識が無ければ差別も無いのか、差別しなければ認識も必要ないのか、、、?)

 それから、高校生だった頃、たまに小遣いがあると駅前の「老虎(ろうこ)」という中華飯屋で友達と連れ立って¥50円也の“学割ラーメン”を食べるのが愉しみでした。店主はたしか劉さんと言ったように覚えています。’66~67年ごろの事です。
みんな近所の人たちで、子供だったぼくは特別な関心も感覚も無いまま育ちました。

 今の子供たちは感じ方や接し方が違うのでしょうかねえ。

COMMENT:
: 飲兵衛トシ

ナイトトレイン 様
 僕の田舎の隣家も在日朝鮮人(「林」さんという日本名を名乗っておりましたが、とても優しい方でした)でしたが、僕の父親の乳母だった人がその方の奥さんでした。その奥さんは福島の会津若松出身の気丈な人でしたが、在日朝鮮人のご主人と結婚されて苦労の連続だったと子供心に覚えております。
 そして、僕の周囲にも同い年か、その前後ぐらいの在日の子供たちがいて、いつも一緒に遊んでいました。でも時々、僕たちの「縄張り」以外の連中が来ると「朝鮮人!朝鮮人!」と露骨に差別するのです。僕の親友だった金(金山君)や李(山田君)はその度に悲しい顔をしていました。その時、僕はその連中が「敵」に見えてケンカしたのを覚えています。僕は子供の頃は一番体格が良くて、ガキ大将でしたから、僕がビンタを張ると一目散に逃げるだけでしたが、何故、僕が在日朝鮮人と何ら分け隔てなく一緒に育ったかと言うと、多分、父親の影響があったと思います。
 父親は1920年生まれで7年前に脳梗塞で死亡しましたが、大学の工学部冶金学科に在学中に「学徒出陣」となり、1943年秋に横須賀にあった陸軍重砲学校に入隊し、その後、ソ満国境にあった要塞基地の重砲の測距手として、計算尺ひとつで仰角・俯角の弾道計算をして薬量を決めて発射する係りだったようです。この父親が1945年の8月9日のソ連参戦でそれこそ第一撃を喰らった部隊にいたのですが、それは半藤一利氏の「ソ連が満洲に侵攻した夏」(文芸春秋社刊)にも詳しく描かれています。口径20サンチ(cm)以上の重砲は海軍だけの専門技術で、そのために陸軍重砲の教育部隊が横須賀という海軍の街にあったそうなのですが、ソ連軍参戦時、その重砲(戦艦大和の主砲クラスを配置していたようです)を一発も打たずに、ソ連軍の手に渡らぬよう粉砕したそうです。それは、砲身を水平にして砲口から砲弾を装填し、あとは普段どおりに砲尾からも装弾して発射すると砲身がラッパ状に粉砕されて二度と使えないようにしてから、今度は歩兵として戦ったそうですが、8月15日の玉音放送を受信した通信兵の報告を父親の大隊長は「神国日本が降伏するなどあり得ない!」と一喝し、そのまま戦闘を継続したそうなのです。要塞基地とはいえ補給もないままにソ連軍の重戦車部隊と重砲部隊に完全に包囲され、夜陰に乗じて脱出し、ゲリラ戦を展開している時に、数人の朝鮮出身の「脱走兵」と遭遇したそうです。その時、父親の中隊長が「軍規」を理由にその朝鮮出身の「脱走兵」(単に、父親の集団には中隊長という中佐がいただけで、彼ら朝鮮出身のグループには下士官クラスしかいなかったというだけなのですが・・・)を処刑するよう命令したそうです。いつも威張り散らしていた小隊長の幹候上がりの少尉(僕の父親も大卒なので幹部候補生として将校になるよう何度も上官から説得されたようですが、父親は拒否したために筆舌尽くしがたい制裁を受けたそうです)がガクガクと膝を震わせてだらしなかったので、僕の父親(当時は兵長)と数名が、その朝鮮出身者を斬首したそうです。この真実は僕の父親が亡くなるまで僕ら兄弟に話し続けてくれました。そして、その部隊もやがてソ連軍に包囲され、コウリャン畑に逃げ込んだ時に、ソ連軍部隊の迫撃砲の一斉射撃で僕の父親は吹き飛ばされ、朝鮮出身の衛生兵の手当てを受けて、さらに脱出を試みた時にソ連軍歩兵の「マンドリン」の一斉射撃に遭い、僕の父親の横にいたその朝鮮出身の衛生兵は「ウツ!」と呻ったきり絶命したそうです。そして、僕の父親はソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留され言語を絶する生き地獄を4年間も過ごして1949年に舞鶴に復員したのです。
 今日は土曜日で仕事も休みなので朝からビールを飲みながら書き込んでいます。少し長くなってすみません!
 僕の父親は、1949年に復員してから、「何故、無謀な戦争をしたのか?」「戦争責任は誰にあるのか?」を真剣に考え、悩んだそうです。村の友達も、先輩も後輩も何十人もの戦死者を出して、「いったい、戦争とは何なのか?」ということを現象面だけではなく、哲学的にも考えたそうです。
 そして、その結論は、おそらく僕自身だったのです。つまり、憲法9条を絶対的に守り抜こうとする2世を作ったことだと思います。

2006年3月4日

反日の深層:

 このテーマは本当は荷が重い。膨大な日中関係史を誰かが完成させたとしても、中国人の対日感情なり国民性の違いなどを抽出し特化することなど不可能にちがいない。結局、中国の広大さと、双方に共通する東洋の遺伝子が、その時々で融合しまたは反発するという結論になりそうな気がする。

 最近の中国の動向を見ると、基本原則はあくまでも変えないものの、対日強硬策を微妙に変化させつつあるように思える。オリンピックの荒川静香選手の活躍ぶりを特別扱いで報道していることはともかくとして、最近の中国の論調は、中国でいう「区別論」(1972年の戦争賠償請求放棄に際し、周恩来総理が「日本政府指導者と一般国民・兵士は区別して考える」という発言ong>)を持ち出し、「小泉がそれをほごにした」という点に重きをおいているように見える。

 これは、首相の任期切れをにらんで、後継者を牽制するとともに、日本国内の靖国参拝支持勢力を孤立させ、あわせて次期オリンピックに向け国際的な信用力を高めよう、という意図からだろうが、「反日は国益に寄与せず、解消すべきもの」という方向性も感じられる。「靖国を解消しても必ず次の要求をしてくる」と説く麻生外相の敵対的な発言が何を意味するのか、それこそ理解に苦しむ。

 しからば昨年4月の反日デモは何だったのか。その後いろいろな解析や報道がなされたが、その詳細は省略する。ただ、中国人の反日感情の深層について日本側の理解は全く進んでいない。当時も中国政府の反日教育だとか、当局の誘導があったという、理由を先方だけに帰す解説が多かった。

 今、中国人は「日本はそのうちきっとアメリカと組んで中国に攻めてくる」と心の底で思っている。日本人が、「平和憲法はあるしそんなはずはない」といっても、信用しない。首相が靖国参拝にこだわり、戦争肯定派や核武装までいうタカ派を勢いづけているではないかと疑う。日本人でさえ最近の風潮に危惧の念を持つのに、台湾という不発爆弾を持っている中国が過敏になるのはある意味でやむを得ない。「今になってなぜ、ではなく、今だからこそ」いいたくなるのだと思う。

 次ぎに歴史認識である。南京虐殺の人数に誇張があるとか蘆溝橋でどっちが戦線を拡大したかなどは枝葉末節である。要は日本がなぜ、どういう方法で中国を侵略し続け、中国人民を苦しめたかである。

 よく、日本軍が謀略をもって満鉄線を爆破し、満州事変および15年にわたる戦争の発端とした過去をあげる。これに対して、中国への帝国主義的進出は欧米各国が競って行ったことであり、日本はむしろ東洋の植民地解放に向けた行動を起こした、などという人がいる。

 歴史修正主義者からの軽率な受け売り発言だろうが、残念ながら満州事変よりはるかに前、第一次世界大戦の結末をつけるためのパリ平和会議(1919年・大正8)で、戦争による惨禍の反省から、国際連盟創設、民族自決などを討議し、帝国主義的植民地獲得競争自制の方向が話し合われていたのだ。しかし日本だけ火事場泥棒よろしく中国での利権を主張し、暗殺、買収を含む謀略や強引さをもって中国での勢力拡張に走った。

 北京で学生による反日デモが起き、日貨ボイコットとなったのはこの時期である。そして最後まで中国主要部に居座ったのは日本だけで、中国人の心の深層に、深い恨みを買う相当の理由があったことに気がつかなければならない。

COMMENT:
針尾三郎

皆さんのコメントを読ませて頂いて、あの満州での事などから、昔の映画ですが、仲代達也主演の〝人間の条件〟を思い出しました。
私なども、あの時代に兵隊として、満州や中国に行っていた人たちから随分と、色々な話を聞きましたが、確かに一部の人たちの中には、満人や中国人を人間扱いをしなかった人たちがいたのは、事実のようです。
そして数年前に、私たち昔の海軍の同期の者たちで、中国の上海へ行った時、当時日本の租界地であった地区の入り口に架かっていた橋に〝支那人と犬、此処より入るべからず〟と言う看板が、立てられてあったことを聞いて、言葉がありませんでした。
その看板に書かれていたという文言が、当時の日本の中国人に対しての〝対し方〟が如実に表われていると思いました。
ですから今に至るも、中国の人たちの、日本人に対する〝怨念〟は、一部の人たちの間では、抜きがたいものが、あるだろうなと思っております。

OMMENT:
アッテンボロー

 2月の19日なのですが、日系企業が中国でおこなっている非人間的な労務管理について書きました。現在の日本企業の多くが中国を生産基地にして欧米に間接的な輸出をしているわけですが、それを支えている中国では本当に酷いことがおこなわれています。昨年春の抗日運動は過去の戦争における侵略問題と今日の経済侵略とが二重写しになっている点があると思います。

COMMENT:
笹野権三郎

初めまして。
たまたまの検索の流れのなかで、このブログ、そしてひと月前になる、このお話を読ませていただきました。

わたくし自身、日本と中国、あるいは日本と韓国、北朝鮮との関係に興味とある考え方を抱いております。ブログ主さんとは、おそらく反対側に位置するようなところで。

それはさておき、中国人の日本に対する根深い感情の一例として、昨年4月の反日デモをあげられていたように感じます。わたくしは、もちろんその現場に居合わせたわけではなく、テレビニュースでその模様をみていただけなのですが、ブログ主さんはデモをし、投石をする若者たちの表情を覚えていらっしゃるでしょうか。

残念ながらわたくしには、彼らの表情から「反日」というものを感じることができませんでした。むしろレクリエーションのひとつであるかのように、ただ騒ぎに盛り上がっている楽しげな顔であるかのように、わたくしの目には映りました。

要するに「反日デモ」とはいわれているものの、彼らの目にも表情にも日本に対する激しい怒りを、わたくしは感じることができなかったのですが、ブログ主さんはいかがだったでしょうか。

ただ立ち寄っただけに過ぎないわたくしがこのブログを拝見して思いましたのは、ブログ主さんが「中国人」と表記している箇所のすべては中国人ではなく、「中国政府」だということです。

また、わたしのような無学文盲の者は、日中戦争当時、さも中国はひとつの中国であったかのように勘違いをしてしまうのですが、果たして当時、中国はひとつであったのでしょうか。国共の激しい内戦があったという前提をなくして「日中戦争」と解して過去の日本をみていくのは乱暴かとも思います。

さらに、現在中国に進出している日系企業の悪行を紹介するかのようなコメントもありましたが、多くの日系企業がいかに中国人ワーカーと「人的つながり」を持つことに腐心し、努力をしているのか、果たしてご存知なのだろかと思いました。

長くなってしまいました。申し訳ありません。また折りがあれば、触れて読ませていただきたいと思っております。

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2006年3月 1日 (水)

前原民主の落日

[反戦老年委員会復刻版]

仮想委員会番外飲み会

*平 昨日の民主党永田議員の会見、見たかい?。印象はどうだった?。

*停 深々としたお辞儀の繰り返しと、ガセネタ否定。それだけだね。マスコミの評判も最悪といっていい。

*硬 入院してからこれまでの態度、選挙民から付託を受けた国民の代表だという立場が完全に抜け落ちている。個人的な感情と党員という立場だけだ。

*乙 最初から予想はしていたが、これほどだとは思わなかったね。野田国対委員長が50点、鳩山幹事長40点、前原代表、永田議員は零点かマイナスだね。疑惑追求はこれで完全に足をすくわれ、情報処理やその活用で自民党に完全に水をあけられた。前原体制の軽さだけが際だっている。

*硬 前原代表といえば、この前「中国は現実的な脅威」といったようなことを外国で発言しちゃった。麻生なども怪しいけど、しっぽをつかまれないように役人がカバーしている。あまりにもの軽率発言に自民党の中からでさえ批判の声がでている。当委員会のレベル以下じゃないか。</li>

*乙 軍事オタクだというからまるっきり無知ではないと思うが、なにか小泉のまねをして、防衛、改憲ではまとまらない党内を、自分の意見を突出させて一点突破をはかろうとしている、という考えのようだ。

*停 そりゃあ無理だよ。解散権があって権力やポストを握っている総理だからこそ強引で冷酷な手も使えるが、永田議員と同じ「思いこみ」で事態が動くと信じているようでは、こりゃあますます相手にされなくなる。9月まで持つのかねえ。

*平 まあ無理だろうな。小沢、菅いずれも墜落する飛行機と運命をともにする気はない。もうずーと半身の構えで充電中だ。野田と鳩山も墜落前に落下傘で飛びおりる準備ができている。

*乙 自民党も、武部が告訴するとかわめいているが、本心はこのまま双方引き分けでおさめたいのがみえみえ。懲罰動議とか、議員辞職で幕引きだろう。国民にはすっきりしないが、政府はなにか別のことに国民の関心を振り向けることを考えるよ。さしあたり、イラクの撤退とか、北朝鮮とか。

*硬 野党の覚悟ひとつでいつ政界再編があってもいい状況があるけど、小泉以外に政局を動かすエネルギーを持った政治家がいない、というのも困ったものだ。お~い。お酒っ。

2006年3月20日

脅威論 2

仮想定例委員会

*丙 前回の続きだが、ザッとおさらいをしておこう。脅威には潜在的脅威と直接的な脅威があり、区別して考えなくてはならない、ということ。冷戦(共産主義への恐怖)や、新たな植民地侵略などは既に過去のものとなっており、これを前提とした想定は非現実的であること。さらに、日本は海に囲まれており、宗教、民族その他の理由による侵攻も考えられないなど、恵まれた環境にあるを話した。

*停 これとは別に9.11以降顕著になった「対テロ戦争」がある。ほかにパレスチナ紛争、ロシアや東南アジアなどにあるムスリムがらみの紛争、さらに独立志向の内戦やアフリカなどで起こる民族抗争などがあるが、これらを一般的な「戦争の脅威」として論ずるには、ちょっと無理な面があるようだね。

*乙 アメリカのブッシュ政権が、まさにそのジレンマのまっただ中にいる。ウサーマ・ビン・ラーディンをかくまったアフガニスタンのタリバーン勢力に、近代兵器で攻撃をかけるとこまでは、まだ国民国家の戦争に似た形があった。しかし肝心のテロの親玉がつかまらないので、矛先を変えイラクに突っこんだ。口実としてガセネタが使われたけど、これは戦争とはいえないね。単なる破壊活動だ。

*硬 かといって、引くに引けないから、テロとの戦争に勝利するための正義とか愛国心とか、聞き飽きたせりふで演説し続けなければならない。アメリカもベトナムの二の舞を心配する時期にさしかかってると思うよ。

*平 さて、問題は日本への脅威だ。前回は中国からの直接的脅威はない、としたが「今のところ」というかっこつきだから、「潜在的」にはあるということになるのかねえ。

*停 前回アメリカが最大の潜在的脅威という話もでたが、極論すれば外国は全部潜在的な脅威だ。

*乙 まさにかつてのヨーロッパがそうだ。土地を接しあって攻めたり攻められたり、いつもどこかで殺戮や侵犯が繰り返された。それが第二次大戦後はEUという形に発展させ、すこしずつ垣根を取り払っていった。だから例えばドイツとフランスは宿敵ではなくなり、それ以外もEU内部では相互に脅威の対象という関係は解消したんじゃあないか。ただ軍事的には、冷戦時に続いてアメリカが加わったNATOの形のままで微妙な点は残るがね。

*平 そうかあ、そこが日米安保と違うところだ。隣近所はみんなお仲間なのだ。いまどき、反日だ、反中だなど低レベルのことで騒いでいる場合じゃあないっていうことに気がつかなければいけないということか。次回はもっと具体的な日本の対応を考えたいね。

2006年3月8日

家庭菜園

 わが菜園の特産品は「とう菜」である。「とう」はとうが立つの「とう」、本ブログ指定席に坐す狸便乱亭の好事家・tani様は、「蕗の薹」(ふきの「とう」)で天下の銘酒を嗜まれる。

 早い話が「菜の花」であるが、そんじょそこらの・・・ではなく、一名「新潟菜」「三月菜」ともいい、親指ほどの太さの薹をぽきんぽきんと折って、おひたし(江戸弁で「おしたし」)、塩漬け、サラダなどにする。グリーンアスパラの和風版のようだが、かすかな苦みがあって風味をます。

 今頃から1か月ほどが収穫期なのだが、今年はやや遅れている。毎年、新潟にいた娘から種を送ってもらっていたが、他県に転出したので入手先を探していたところ、トーホクという種苗会社にあることがわかった。そこで、地元農協に頼み、たった1袋だがとりよせてもらった。

 今頃はブロッコリーも、げんこつのような花蕾を収穫したあとにわき芽のような小玉が沢山つく。これも柔らかく食べやすいので近所に配っても好評だ。いずれもスーパー、八百屋では売っていないところが自慢の種というわけ。

 ところが、このところどうも作物に元気がない。葉の先が欠けて茶色になる現象だ。霜のせいかな、と思ったがどうも鳥につつかれるせいらしい。犯鳥を目撃したわけではないが、最近かすみとかネットで畑を覆っているのを多く見かけるようになったのはそのせいか?。

 カラスかキジバトかムクドリかなにか知らないが、かつてはこんなことはなかった。野生の猿だけでなく、野生動物の人間に対する総攻撃が始まったのだろうか。都市化と過度な鳥獣保護が生態系を狂わしているのだろう。

2006年3月9日

脅威論 3

仮想定例委員会

*平 今日は提案のあった、アメリカと中国がそれぞれ何を以て脅威と感ずるか、について話し合ってみたいと思う。まずアメリカから。

*停 冷戦後は「脅威」ってないんじゃない。昔、キューバがソ連のミサイルを配備するとかしたとかで騒ぎになったけど。

*乙 だからこそ、テロリストが最大の「脅威」という国是になったわけだ。なにしろアメリカの富を象徴する高層ビルと国防総省がもろに爆破されたということは、鼻っ柱に一撃を食らったのと同じだ。何がどうあろうと、相手を気絶するまで叩きのめさなくてはならない。これがアメリカ流だ。

*硬 ところが人違いでイラクのフセインを叩きのめしちゃった。だいたい何国人と特定できないテロリストのかわりに「テロ支援国家」を勝手に決めて、最新式近代兵器で攻めまくるというのはどうだろう。見えない蜂の巣にマシンガンを撃ちまくってるようなものだ。

*平 テロの脅威に対しては、世界一の軍事力をしても抑止力にならないということでしょ。相手が国民国家という前提では通用しない「新たな戦争」に決め手を持たない、ということだ。

*停 アメリカは果たしてこの戦いに勝てるのか。また脅威はいつなくなるのだろう?。

*乙 まず最初の問題だが、非常に悲観的だ。屈辱的な撤退で事実上敗北宣言をするか、新たな「敵国」を設けて「テロとの戦い」を果てしなく続行するかのどちらかだろう。たとえ、ビン・ラーディン1人をつかまえて殺したところで勝利とはいえないし、これだけ多くの時間と費用を費やし2000余人の戦死者をだしても、それに見合う石油利権など入ってくるわけがない。勝利の姿が描けないのだ。

*停 そんなにテロは続くかねえ。なんでイスラム原理主義はアメリカを敵視するんだろう。

*乙 なにかがきっかけでテロが終息に向かうことは、あり得るだろう。しかしここへ来てアメリカは結果的にムスリムを究極的な敵であるかのような状況に追い込んでしまったのだ。アメリカご推薦の民主的な選挙の結果がイラクではシーア派、パレスチナではハマスとアメリカには手強い強行派が圧勝してしまった。そもそも中東ではアメリカは全然信用されていない。

*硬 アフガニスタンがソ連寄り政権だった頃、ビン・ラーディンなどを影で支援していたこととか。

*乙 そう、イラン・イラク戦争ではイラクのフセインを公然と支持していたしね。それが終わると湾岸戦争でイラク攻撃だ。その際、イラク国内の反フセイン派を扇動して反旗をひるがえさせた。しかし政府軍に追い散らされ、サウジに難民として逃げ込んだ。それらは亡命も認められず砂漠の真ん中に放置されたままだ。

*停 イラク北部のクルド族にもあったんだよねえ。CIAに協力を求められて反政府活動をしたのに亡命先からイラクに追い返したりテロ容疑者として検挙するなど、味方を平気で裏切った。

*乙 まあ、いろいろあるけど、根っこはパレスチナだ。ムスリムはアメリカがイスラエルというかユダヤに肩入れしているしていることを疑わない。ヨルダン川西岸の占拠だとかイランとイスラエルの核保有に対するダブルスタンダードだとか、そう思われても仕方がないことが多すぎる。

   本稿については、必要に応じ次の記事も参考にしてください。

(2006/02)「先制攻撃」「アメリカの誤算」「ユニラテラリズム」「脅威論1」
(2006/03)「脅威論 2」

2006年3月10日

テロ房総を襲う

 7日、千葉県富浦の岬に国籍不明のテロリストが上陸した(千葉でテロ攻撃訓練、小学生が初参加=読売オンライン。この訓練に小学生125人を含む住民、武装した自衛隊員、警察、海上保安庁など約400人が参加している。

 本委員会は、昨日のエントリー「脅威論 3」で、テロを国家最大の「脅威」に位置づけているのはアメリカであり日本でないことを指摘した。日米安保でアメリカと共通する軍事目標を立て、イラクに自衛隊を派遣し、「国民保護法」など作って、あたかもアメリカの一州であるかのようにしむけているのが政府与党だ。当のアメリカはもとより、児童をまきこんでこんな訓練を実施している国が他にあるのだろうか。<br /> さすがに、このばかげた訓練を中止するよう、社民党県連などが事前に知事に申し入れていた。ところが昨9日の県議会で、堂本暁子知事は、「防衛は国の話」と前置きしたうえで「(テロリスト上陸など)細かくは認識していなかった。テロは起きてほしくないが、備える訓練は大事」と述べた。(10日「毎日新聞」地方版)

 こんな見識のない国政に対するノンセンスな発言がよくできたものだ。もともと女史の資質には疑問を持っていたが、マスコミ出身で国会議員だっただけに愕然とする。1989年に社会党から立候補し参議院議員となったが、自らのホームページや公的な履歴には「社会党」出身であることをかくしている(「さきがけ」移籍以後は党名を明記)のは、一種の履歴詐称ではないか。

 千葉県知事には、勝手連など市民の支持を受けて当選したが、結局は仮面をかぶった権力亡者にすぎなかったようだ。本委員会にしては過激発言となったが、小学生の孫を持つ身になれば看過できない問題なのだ。

2006年3月11日

千年王国説

 アメリカにとっての「脅威」は「テロ」であり、その根源をなすものはパレスチナ問題であるとした前々回の記事「脅威論 3」の補足である。以下の引用は米英にとって、ユダヤが宗教上特別な意味を持つとした解説の一部である。(板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』岩波新書 
 
パレスチナ現代史を振り返ると、周知のとおり、イギリスによるユダヤ人のためのナショナル・ホームの建設に賛成したパルフォア宣言(1917年11月)、そして30年後の国連パレスチナ分割決議案あるいは国連総会決議181号(1947年11月)という、植民地大国と国際社会による約束としてパレスチナにおけるユダヤ人国家の建設が実現していった。

 パレスチナに以前から住んでいた人々は「非ユダヤ人」という消去法的な呼称でよばれることによって、その存在は抹消された。つまりパレスチナ人たちはパレスチナの運命を決める主体ではなくなっていたのである。(中略)

 イギリスとパレスチナの精神的なつながりは、直接的には19世紀前半に遡る。1830年代にイギリスが地中海岸の港町ヤーファー(英語名ジャッファ)、そして1838年にエルサレムに最初のイギリス人領事を派遣して衛領事館を設立したことが発端であった。

 なぜイギリスはパレスチナに領事館を設立したか。それは、パレスチナのユダヤ教徒を保護するためであった。イギリスがユダヤ教徒を保護しなければならなかったのは、フランスがカトリック教徒、ロシアがギリシア正教徒をプロテジェ(被保護民)として保護したのに対抗して、プロテスタントの英国教会であるイギリスには聖地に権益などのつながりがなかったので、ユダヤ教徒に関心を持ったのである。

 それとあいまって、17世紀イギリスのピューリタン革命期に生まれた終末論が「ユダヤ人の復興」という神学的な考え方を生み出した。その終末論によれば、ユダヤ人が約束の地で祖国を建設することが、キリスト者の千年王国を樹立することの前提となる。

 この千年王国説は、プロテスタントの福音主義者、つまり福音書を字義どおり厳密に解釈し、異説との妥協を許さない「キリスト教原理主義」者が信奉している。その予言どおりであれば、まずイスラエルの建国が実現し、次いで千年王国の時代を迎えるということになる。

 それが国家の政策を規定しているとは考えられないが、ブッシュがこういった心情を持つ宗教団体を支持基盤に持っていることは、広く知られている。また、テロリストの温床のようにいわれている「イスラム原理主義」というのは本来存在せず、キリスト教原理主義から転用した言葉である。いずれにしても、欧米人の深層心理はともかく、遙か昔に人類が克服したはずの宗教戦争に似た状況に追い込むことだけは避けてほしいものだ。

2006年3月12日

脅威論4

仮想定例委員

*平 アメリカにとっては何が最大の脅威かといえば、「テロ」だという結論を得たので、次ぎに中国を見ることにしよう。

*乙 その前に、アメリカの中東政策の失敗がだんだん表面化しそうになってきたね。ベトナム戦争で屈辱を味わったアメリカがその戦後処理をどうしたか、これは大いに研究しておく必要がある。特に1980年に就任したレーガンの頃から、戦争の大義を否定しその失敗を明らかにしようとする左派陣営に対し、ユダヤ系リベラル雑誌「コメンタリー」誌に集まった新保守主義者(ネオ・コンサーヴアティブ)達が、傷口を早くいやしたい大統領と利害が一致し、勢力をのばした(西崎文子『アメリカ外交とは何か』岩波新書)ことに注意しておきたい。

*停 今のネオ・コンというのもこの頃が始まりなのかね。

*乙 いや、よくわからない。そういった現代史の分析は、本委員会の手に負えるところでないが、ちょうどその頃、日本では、鈴木善幸内閣の閣僚が終戦記念日にそろって靖国参拝をしたり、教科書で侵略を「進出」と書き直すなどの問題がでてきた。敗戦の屈辱をくつがうそうという傾向が、日米に共通した現象として現れた点が研究の課題だね。

*平 さて、本題にもどって中国にとっての脅威とは何だろう。

*硬 かつてはソ連がありインドだったこともあった。今はやはりアメリカかねえ。

*乙 というより、内部の独立の動きだろ。台湾とかチベットとか西域のイスラム教徒とか。台湾は微妙だけど中国はあくまでも国内という原則をくずしていない。パンダを送るとかオリンピック聖火ランナーを走らせるとかを計画し、独立阻止にあらゆる手をつくしている。その意味で台湾の外側の太平洋も中国の防衛権圏に入ると思ってるのかも知れない。台湾の存在をいつも考えておく必要がある。

*硬 前にもいったことがあるが、台湾問題が平和解決しない限り、アメリカと日本を潜在的脅威と考える続けるだろうね。その意味で、先の戦争への反省を、日本がないがしろにするような動きを見せると、敏感に反応する。まだ、アメリカの方が信用できると思っているのかも知れないよ。

*停 06年度の国防費予算が4兆1100億円、89年以来2けたの伸びが続いている。だけどこれには兵器購入費や研究費などが入ってなくて、実際には2、3倍あるといわれているねえ。発表された金額が主に人件費じゃあインフレもあるし、たいして驚くような伸びではない。中国でも、日本に比べて低いレベルといっている。日本政府が「懸念」だといっているのは、主に不透明性のことだろうねえ。

*平 中国も気にしていて、近く米軍との交流を開始するような話もあるそうだ。民主党の前原代表のように「現実的脅威」などといっているようじゃ、このまんま日本だけ置いていかれるだけだよ。とにかくお互いが忌憚なく話せるような状態じゃあないものなあ。

*乙 中国にアメリカに対抗するだけの軍備を持とうという気はないだろうしできない。ただ東アジアの盟主的な存在になりたい、という野心はあるんじゃない。そのためには単に力で脅迫するだけではだめで、覇道より王道を選ばなければならない、というのが中国の伝統的文化だと思いたいね。

*硬 いやに楽観的だが、東シナ海のガス田問題も外交交渉で解決する構えといえるのかな。

*乙 その通り。ただ今までの日本の外交ではダメだね。ここは、アメリカの威を借りるということでなく、日本の国益を押し通す一途さ、これが相手に対する国交上の礼儀というものだ。

*平 私は最近、スターリンの評価が高まってきているというプーチン・ロシアの方が脅威だと思うんだけど、国内でそんな意見はあまり見えないねえ。結局「脅威」というのは、その時々の政治的事情で人為的に作り上げていくものだ、という気がしてきた。

2006年3月13日

脅威論 5

仮想定例委員会

*停 昨日(12日)、オランダのハーグ国際法廷で、旧ユーゴ大統領・ミロシェビッチが亡くなったわね。死因がはっきりしないというけど、なにかうっとうしい感じがするのよねえ。

*平 ユーゴはこのブログで記事にしたこともある。ナチスのユダヤ人虐殺やカンボジアのポルポトなどジェノサイド(大量虐殺)も、戦争の脅威として取り上げなければならない問題ではあるが、今回は省略して「核の脅威」を考えよう。

*乙 いきなり暴言をはくようだが、別に気が狂ったわけじゃないよ。まじめに考えてほしいんだ。核拡散防止というのが、イランや北朝鮮をめぐって話題になっている。俺は逆に原爆作れる国はどんどん作ったらいいと思っているんだ。「どうぞお好きなように」ってね。

*一同 えー~っ!。

*硬 テロリストの手に渡るとか。北朝鮮が核弾頭を持ってしまうとか。ちょっと問題発言じゃない?。

*乙 自爆テロに原爆を背負ってくる奴はいないだろう。どの国だって原爆を作っても使えないんだ。最初に開発したアメリカが広島、長崎で使っただけで、あとソ連、英、仏、中国と核拡散したけど一度も使われたことがない。さらに、カシミール問題を抱えていたインドとパキスタンが他国の憂慮をよそに両方とも作っちゃった。お互いにそれを使うどころか、最近はだんだん仲がよくなってきた。

 大都市が一発で吹っ飛んじゃうような、いわゆる戦略核だね。使っちゃったらその報復も簡単にされちゃうことがわかった。「国どころか世界を台無しにするようなことは意味ないね」、という暗黙の了解のもとで、1973年に米ソ間の協定ができた。

*平 ブレジネフがアメリカへ行って調印した。ニクソンの時かね。

*乙 それより前の1964年、中国が初めて核爆発実験に成功した時、「中国は世界から核兵器を無くすことを強く念願するが故に自ら核兵器を持つことに踏みきった。あなた方も核兵器を世界からなくそうと思うなら、一国も多くの国が核兵器を持つようにしたらよい」と声明した。当時は、米ソが依然として核競争を支配していることへの当てつけというか、同国特有のプロパガンダだと思ったが、以外に真相をついている。

*停 イランの原爆が完成しても、イスラエルに向けてぶっ放すというわけにはいかないわよねえ。エルサレムの聖地もパレスチナ人も一緒に吹っ飛んじゃうもの。ほかに使うところあるのかしら?。

*乙 核兵器保有のメリットは、脅したり怖がらせることいわゆる「核抑止力」と、国威発揚に尽きる。だから査察はさせたくない。しかしどの国も持っていたら、特別の脅しにはならなくなるし抑止力じゃあなくなる。すべてはチャラだ。だから高い費用をかけて持っているほどの意味がないということになる。

*平 それで南アフリカとかリビアは「どうせ使えないんなら」っておりちゃったのかねえ。

*硬 麻生外相がアメリカで「日本も核を持つ」など、タカまるだし発言をしたという噂があるが、世界を核の緊張から開放するため?(笑)。

*乙 「北朝鮮の核」と聞いただけで明日にも東京に核爆弾が飛んでくるような「脅威」を口にする人がいるけど、それはまさに北朝鮮の思うつぼだ。それだけ経済援助の値をつり上げられると思わせるだけだよ。もし、これから「よーい・どん」で核弾頭とミサイルを作る競争をしたら、日本の方がはるかに多く作れちゃう。「それだけの能力がある」と思わせるだけで、日本の「核抑止力」は成立している。

*停 それに関連して「核の傘」ってよく言うわよねえ。アメリカの。

*硬 例えば日本が核攻撃をどこからか受けた。そうしたらアメリカが報復攻撃をしてくれる、そんな約束なんか別にないだろ。するかも知れないがしなくてもいい。相手がそういう恐怖心を持つがどうかだけの問題で、要は幻の傘だね。ただ、日本では、平和利用であろうが軍事目的であろうが、現に稼働している原発を持っている限り、核や安全の研究は高い水準を維持すべきだ。

*乙 同感だね。唯一の被爆国として核軍縮に果たせる役柄があるはずだ。それには何も時代遅れの核武装などする必要がない。かりにそれをしたところで得られるメリットはなにか。中国と北朝鮮に馬鹿にされない?。わかったよ(苦笑)。

2006年3月14日

3月、雪解け

 今日は母の祥月命日ですが、時候としては子供の頃から一年を通じて一番好きでした。学年末の試験は終えたので、これから勉強しても無意味、宿題のない春休みは間近。それに雪国ではこんな自由も味わえるのです。

 「しみわたり」。通学の長い道のりです。雪に覆われた田畑の上を、道路を通らず近道していけるのです。それは都会の歩行者天国などとは比較にならないほど自由な気分でした。

 真冬なら首まで埋まってしまいそうな雪原ですが「しみわたり」のできる日なら、その上が舗装道路と同じようにどこでも通れるのです。しかしそれは毎日ではありません。

 前日気温が上がって雪がシャーベット状になる。夜中に放射冷熱で表面が凍る。したがって「しみわたり」ができる日は、雲一つない春の陽光が注ぐよう朝が多いのです。

 「しみわたり」をした雪国を離れて60数年近くたちました。今日の予報は、雪国では一日雪。当地はまぶしいほどの晴天ですが、朝の激しい冷え込みに、在りし日の「しみわたり」を想い出しました。

2006年3月15日

無防備地域宣言

 郵便受に「平和・無防備条例をめざす市川の会」のチラシが入っていた。チラシとしては中味の濃い内容だが要約して紹介する。

1.自治体に「無防備地域宣言」の条例を作らせる。
2.そのためには、1カ月に有権者の50分の1の署名が必要。
3.宣言は国際人道法(ジュネーブ条約)に基づく。

  「第2次世界大戦後に戦時の非人道兵器の禁止や民間人保護を定めた条約。日本を含む世界の161カ国が加入。追加第一議定書(04/8/31日本加入)第59条に規定する無防備都市宣言は、自治体で宣言できます。相手の国が、その地域を攻撃すると、戦争犯罪として国際的に処罰されます」

4.ジュネーブ条約の定める無防備地域の条件。
  「①戦闘員・移動兵器が撤去されていること。②固定された軍用施設などが敵対的に使用されていないこと。③当局又は住民による敵対行為がないこと。④軍事行動を支援する活動がないこと」

5.全国各地の取り組み。
  「札幌市・苫小牧市・市川市・東京都大田区・同板橋区・同荒川区・同品川区・国立市・日野市・藤沢市・大津市・京都市・高槻市・枚方市・大阪市・奈良市・西宮市・愛媛県愛南町・鹿児島市・石垣市・沖縄県竹富町」

 内外の政治情勢をにらんで、このところ平和運動に関する市民運動が活発になりいろいろな「○○の会」が各地で多くなった。その究極の目的は同じであるにしろ、手段とか主張・表現はさまざまで、やや戸惑いを感ずることもある。しかし「全国各地、ここてもあそこでも」という賑わいこそ、マスコミや政治を動かす原動力であることには相違ない。求められれば当然署名する。

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