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2006年2月

2006年2月17日 (金)

松根油

[反戦老年委員会復刻版]

 空前の原油価格高騰のため、さすがのアメリカも音を上げ、アルコールの一種であるエタノールの増産に乗り出した。ガソリンと混ぜて自動車を走らせるためである。このため原料となる砂糖黍が値上がりし、甘党をおびやかしているという。

これに関連し、毎日新聞・論説室の潮田道夫氏が02/17付同紙コラムで、戦争末期に日本が航空燃料を確保するのに絶望的な努力を払ったことを「松根油」と題して書いている。この記事は「須々万共和国ホームページ」が参照されており、米国戦略爆撃調査団報告にも触れられているが、同報告書のドキュメント部分がないので、以下に紹介する。

 1945年(昭和20)初頭を特徴づけるのは、国内の石油事情を改善するために一連の非常措置が講じられたことである。大豆、ピーナッツ、ココナツ、ヒマの実から採取された油が工業用に加工され、アルコールがさつまいもやその他の植物から製造された。ガソリンに代えて、メタノール、エタノール、アセトンが採用され、ブタノールはイソオクタン源としても、また直接ガソリンとしても使用され、潤滑油はあらゆる種類の植物油ならびに脂肪油から製造された。政府は小売店の棚から酒びんを没収したり、またアルコールに転換するために国民向け砂糖配給を停止したりすることさえ辞さなかった。

 3月には、政府の奨励の下に松根油産業が大幅に拡張された。このプロジェクトは、主として原始的で人手がかかるという点で興味深いものではあったが、5年もたたないうちに日本国内の松の木が1本残らず伐り取られてしまうはずであった。(中略)日本の人口のかなりの部分が松の根を掘り起こす作業にとりかかった。掘り起こされた松の根は乾留され、粗油が集められた。”200本の松の根で、航空機が1時間飛ぶことができる”というスローガンが日本国中に響きわたった。(以下略、奥田英雄・橋本啓子訳編『日本における戦争と石油』)

 松の根掘りに動員された男女は延べ4400万人、10万トンの松の根油とタールが生産された(『日本石油百年史』)。当時、動員された労働者の1人に私がいた。やせた中学2年生だった。3人がかりでも1日に1本の根を掘りきることができなかった。過酷な重労働だったが、シンガポールで接収されたという1台のブルドーザーが、目の前で瞬時に根こそぎ木を倒すのを見た。流された汗は無駄ではなかった。「無謀」ということを知ったからだ。

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2006年2月12日 (日)

ユニラテラリズム

[反戦老年委員会復刻版]

 goo辞書によると、一国主義、一方主義、単独主義、自国中心主義とある。このところ巨大になったアメリカの経済、外交に関連する独断専行ぶりをいう場合が多い。もともとアメリカの伝統的な体質といえる部分があるが、最近の日本ではあまりいい意味で使われていない。

 イスラエルのシャロン首相(77)が脳出血で倒れ、病状はかなり深刻のようだ。まず再起はありえないのだろう。パレスチナ政権が過激派のハマスに取って代わろうとしている中で、難しいかじとりを迫られるイスラエルだが、オルメルト首相代行により「シャロン路線」が引き継がれる模様だ。

 このところのシャロンは、パレスチナとの交渉を拒否しつつ占領地ガザ地区からの撤退を強行する一方、新国境線を一方的に確定させるという、いわゆるユニラテラ路線を決行しつつあった。アメリカ主導の新中東和平案ロードマップに沿うものとしているが、彼の経歴や従来のタカ派的な行動から必ずしも多くの信頼を得るまでには至っていなかった。

 しかし、日本でいえば、やや荒っぽいたとえながら、小泉首相が自ら脱党して民主の一部と新党を結成し、公明党が野党に回るといった行動に出たのは、高齢である彼自身の余命を意識し、民族生き残りの悲願を込めた最後の政治的賭だったのではなかろうか。

 そうだとすると、国内外に向けた命を賭けたユニラテラリズムだったということになる。もともと、米ソ対立が激化した時、一方的な軍縮を宣言して緊張緩和に寄与したこともユニラテラリズムとされる。このように場合によっては賞賛されるユニラテラリズムがあるのだ。

 社民党は昨日新宣言を発表した。同党の方針がかつて「一国平和主義」と揶揄され、議論を萎縮させてしまったことがあった。真の平和を獲得するためには、不動の信念と行動が伴わなければならない。どこまでこのユニラテラリズムが貫徹できるかが成否のかぎをにぎることになるのかも知れない。

2006年2月14日

暑さ寒さも

 ・・・・彼岸まで、といいますが、これは全国共通なんですかねえ。沖縄の人は、本州の人より寒がりではやばやと長袖にしたり、ストーブを持ち出すそうですが、意外なことに北海道の人も寒がりである、と気がついたことがあります。

 お彼岸過ぎに全国から集まる合宿の講習会があった時、暖かくなったので宿舎の暖房を切ったところ、「寒い、寒い」と言いだしたのは北海道の人でした。中には風邪をひく人まで出てくる始末。これは、冬の間完全暖房のきいた部屋の中で薄着になれているせいのようです。

 シーズン入りの頃、「暖房省エネ法」という、なにか生活評論家ばりの記事を書きました。灯油価格の高騰はその後も続き、例年ですと今頃はピークを越えて値崩れする時期です。

 そこで私が採用している方法、前の記事にもない窮余の一策(笑)を、ご紹介しておきます。今、昔娘が使っていた勉強机でパソコンを操作しています。その床下?に電気こたつをセットしたのです。欠点は、足をおく場所か制限されるので動きにくいことと、椅子の下にやや隙間ができることです。

 前の記事で、語尾が「ツ」で終わる三つの「ツ」をいいました。まず最初が断熱、狭い空間をふとんで囲う。次ぎに調節、多少の隙間があってもセンサーで(高)こなる時間はわずか。最後に効率、熱を逃がさない、余計なところを暖めない。で省エネ効果は抜群です。

 朝、手先がつめたくてマウスのクリック操作もままならないような時だけ、ストーブやエアコンで室温を高めます。足腰が暖まれば、室温がそんなに高くなくても平気です。「頭寒足熱」といって、昔から暖をとる生活の知恵があったのです。

 そう、「こたつ」「湯たんぽ」「カイロ」、みんな見直すべき暖房具だったのだす。彼岸まであと一月余り、雪国は大雪がとけるまでさらに一月余り、お互いに頑張ってゆきましょう!。

2006年2月15日

防衛論争の危うさ

 反戦を唱える上で、大きなネックとなるのが外交や防衛(軍事)問題に対する認識の浅さである。いずれも元来、不透明さと秘密主義のある分野であるが、基地をかかえる地元以外は、庶民が軍艦や戦闘機または米兵などを目にする機会がすくなく、新聞報道を見てもなかなかピンとこないのが実態だ。

 では、そういったことを熟知しなければ反戦の議論ができないか、というとそんなことはない。日米軍事同盟強化とか憲法改正・再軍備をいう人の出発点は、「外国の脅威論」これひとつで、あとは「フツーの国のアクセサリー論」か「アメリカ追随論」に過ぎない。また、「共産主義の脅威」とか「赤化工作」といった古典的信条の呪縛にとらわれている議論もあるが、異次元の話として捨象すべきだろう。

 したがって、まず「脅威」の本質を見極めるのが先決であり、その脅威を解消または減少させることが可能かどうかを考えてみる必要がある。それをせずに、海上のガス田開発問題とか、潜水艦が領海を通過したという個別の現象を見て戦争の脅威としたり、相手国の軍事費増大を、その意図いかんにかかわらず即・脅威ととらえ、軍拡こそ最大の抑止力という安易なパワーポリティックスにとらわれていないだろうか。

 制服組があらゆる事態を想定して構想を練ったり、戦術を考えることの必要性は否定しない。しかし、第三者が踏み込めないような閉鎖的専門領域を設けたり、文民統制をないがしろにするようなことは、決してあってはならない。旧日本軍の犯した失敗を大きな教訓とすべきだ。

 昨年の10月に、在日米軍再編の「中間報告」という形で日米協議の内容が公表された。それぞれの基地に関連するデータはすでに新聞などで報道されている。それらを総覧した場合、どのような印象が浮かび上がるのか、以上のことを念頭に置いて、軍事リポーター(元朝日新聞編集委員)石川巌氏のコメントを『軍事研究』1月号の中から抜粋、紹介しておこう。

*行間に隠されたもの
 「中間報告」を読んでいると、行間に隠されたものが一杯あるように感じられる。例えば「(米日の)情報共有及び情報協力の向上」という項がある。「共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置をとる」とさりげなく書いてある。これなど行間にはスパイ防止法や秘密保護法の制定の意味が隠されているのだろう。そういう部分を細かく取り決めている膨大な非公開の文書があるはずだ。その証拠にマスコミが報じているデータの多くは当局の補足説明でわかったものだ。

*米軍と自衛隊の一心同体化
 もうマスコミが書き尽くしているので、つけたすことはあまりない。嘉手納やキャンプ・ハンセンの自衛隊との共同使用、グアム、ハワイ、アラスカなどへの訓練誘致などむしろ米軍の方が熱心なので驚いた。こんどの協議の過程で日米安保の所感を、長年抑えられてきた防衛庁が外務省から奪還したように見える。米日七光りがだんだん出てくるだろう。
 --負担軽減というが(略)
 --矢臼別移転消える(略)
    
*移転費は日本へ請求
 「グアムへの移転費は日本が払ってくれ」とちゃんと書いてある。新聞によると、厚木から岩国移転に2000億円余、沖縄からグアム移転に400億円かかるという。グアムの新司令部の建設費まで払わされる。
 --韓国のケースと比べて(略)

 *米国務長官の鼻息荒らし
 米国務長官が「中間報告通りにやる。どこにも反対の連中はいる」と11月1日の定例会見で強気の発言をした。そういう中で、稲嶺恵一沖縄県知事はじめ関係地元の首長や議会、住民団体の反対運動の高まりはこれまで過去に見なかったものがある。相模原や座間の市長は「生命を賭して反対する」といっている。

 (中略)ある消息通から「おそらく政府は膨大なカネで地元を揺さぶってきますよ。防衛施設庁には自治体に自由に使わせられる巨額の覆面資金があるんです。表面と裏の動きはちがいますよ」と教えられた。米国務長官あたりはそこらを承知なのだろう。

2006年2月18日

愛国心を問う

愛国心とは---

*人から教育されあるいは強制されて育つものですか。

*日の丸、君が代に敬意を動作で表わすことですか。

*史実に目をつぶり、「物語」の歴史を信じることですか。

*靖国神社に参拝し、過去の戦争を美化することですか。

*憲法を変え海外にも出ていく強力な軍隊を持つことですか。

*隣国への敵意をあおり、友好の道を閉ざすことですか。

*男系、男子の天皇にこだわることですか。

*権力に従順で、世界の強国にへつらうことですか。

 全部に○をつけた人は、愛国心のない人です。

では本当の愛国心とは---

*自分を愛し、家族を愛し、人を愛し、郷土・国土を愛す心。

*自然をおそれ、いつくしみ、めでる心。

*いさかいを避け、和を貴び、互いに助け合う心。

*固有の言葉・風習・文化・芸術・学業を守り育てる心。

*だれからも強制されず、自然に身にそなわる美しい心。

 ではないでしょうか。国があるから人があるのではなく、人があるから国が成り立っていることを忘れてはいませんか。本当の愛国心を持ち、一致団結して国を守る強い決意があれば、意味もなく攻めてくる敵国などありません。

2006年2月19日

人的資源

 「防衛力の在り方検討会議」の「まとめ」という防衛庁の内部文書がある。その中の「防衛体制の基本」という項があって、1.統合運用の強化。2.情報機能の強化。3.科学技術の飛躍的発展への対応。4.人的資源の最大限の活用。5.関係機関や地域社会との協力。という五つの柱があげられている。前置きが長くなったが、実はその内容をここで紹介する意図はない。4.に「人的資源」ということばが不用意にでてきたことについてである。

 このことばが、日本で盛んに使われるようになったのは、日中戦争の長期化で危機的な様相を呈してきた昭和13年、「国家総動員法」が議会に上程されてからである。その第一条に「本法ニ於テ国家総動員トハ戦時ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及ビ物的資源ヲ運用スルを謂フ」とあり、聞き慣れない言葉「人的資源」が人口に膾炙する(人々にはやされる)ようになったのである。

 特に陸軍が同法成立に熱心で、国会審議の途中、説明員の佐藤中佐が議員に「黙れ!」と怒鳴り問題になったことで有名だ。この種の法律にはとかくありがちだが、具体的な内容がなく拡張解釈しやすいようにできている。そのため太平洋戦争に入ると、石油をはじめとする資源・物資の不足を「人的資源」で補い戦争遂行能力を維持するという思想が出てきた。

 前々回の記事「松根油」はまさにその具体例である。終戦間際になって、飛行機もない船舶もないでいよいよ資源が枯渇してきた時、「まだ人的資源がある」という言われ方をした。

 「生めよ殖やせよ」のスローガンで、悪童連が「○○○するのも国のため」(オッと戦時中の伏せ字は×××だった)とはやしていた時期はまだよかった。適齢の男性すら枯渇してくると、人的資源は学徒や女性に向かい、果ては朝鮮人や大陸の人まであてにするようになってきた。人間魚雷とか神風特攻隊、自爆テロ、みんな発想は「物的」に代わるべき「人的資源」なのだ。

 もっとも最近は、単純労働に代わるべき能力開発など、経済学の新しい分野のことばとして脚光をあびるようになった。戦時中に使われた言葉と全く趣を異にする。前述の防衛庁文書の引用は、中味が定員の充足や合理的配置を言っているに過ぎないようだが、おそらく元軍人であったOB達が使っていた言葉を、自衛隊用語として反復したものなのだろう。

 いずれにしても、戦中派をドキッとさせるような無神経な使い方をせず、平易な表現をするように心がけてほしい。

2006年2月22日:

記者だろっ!!

 毎日新聞記者・玉木研二君に告ぐ。貴君は、2月21日付「毎日新聞」夕刊掲載の特集記事「戦後60年の原点」の最後に次のように書いた。

    テロは物理的破壊だけではなく、人々の心を傷つけ、冷静な思考をまひさせる。2・26の青年将校らがそれを企図しなかったとしても、その後軍部の専横を正面切って批判する政治家や新聞はほとんど影を潜めた。過去ではない。私たちは今なおそうした「恐怖」から自由ではなく、それは、拡大、多様化する気配にある。

 これが、新聞記者の書いた記名入り記事だろうか?。《私たちは今なおそうした「恐怖」から自由ではなく》、本当にそうなら、大変なことだ。何が「恐怖」なのかいってほしい。警察か、暴力団か、右翼か、特務機関か、自衛隊か。そんな実態がないのに言ったとすれば、貴君は、恐怖心をあおり、市民の言論を封殺しようとする勢力に、手を貸していることにならないか。

 何の力を持たない一般庶民が、不安を口にするのならわかる。君たち新聞人は違う。警鐘をうち鳴らせる特権階級ではないか。《その後軍部の専横を正面切って批判する政治家や新聞はほとんど影を潜めた》。そんなことはない。体を張り命がけで抵抗した多くの先人達がいたではないか。

 民政党の斎藤隆夫代議士は、その年5月の衆議院本会議で軍当局の責任を追及し、言論の自由が拘束されている現状を憂慮する「粛軍演説」を行った。さらに中国戦争が泥沼化し、日米開戦前年にあたる昭和15年1月の同本会議では、有名な「反軍演説」をぶって国会の除名決議にかけられる。そして、これに反対し欠席する代議士も多くいたのだ。

 しかし、やがて良心的な大学教授が学園から追放され、治安維持法や不敬罪などが一般市民の上にも猛威をふるい、権力にたてつくと懲罰応召が待ちかまえるというような時代がやってきた。君たちの先輩も、当局の意にそわないと用紙の配給が制限されるなど、言論が封殺され「恐怖」が現実のものとなった。

 ここでもう一度言う。基本的人権を守る現行憲法がある。いまなら間に合うのだ。何が「恐怖」なのか明らかにしてほしい。それをなくし、二度と過ちを繰り返さないようにするのが君たちの任務ではないか。「批判する新聞が影をひそめた」など、他人事のようなことは二度と言ってほしくない。

2006年2月23日

滝川事件メモ

 いただいたコメントの中に、「滝川事件」があったので復習しました。

*蓑田胸喜(みのだむねき)*
 狂信的右翼で雑誌『原理日本』(読んで字の如く国粋原理主義の本)を創刊。東大を粛正?した張本人(立花隆『天皇と東大』にくわしい)。京大・滝川教授もかねて攻撃の的にしていた。<b

*滝川幸辰(たきがわゆきとき)*
 京都大学・刑法担当教授。著書に大審院長も推薦していた『刑法読本』など多数がある。

*菊池武夫(きくちたけお)*
 貴族院議員。1933/1滝川教授等の追放を議会で要求。ほかに美濃部達吉教授の天皇機関説攻撃、中島久万吉商工大臣追放など過激な演説で政府に迫るのが彼の常套手段。しかしその内容はほとんど難癖といえるお粗末なもの。

*鳩山一郎(はとやまいちろう)*
 鳩山由紀夫民主党幹事長祖父。文相当時、京大に滝川教授の罷免を要求、1933/5/25 総長の具申がないまま滝川教授の休職処分を強行。

*京大の抵抗*
 1933/5/26 法学部教授・助教授・講師・助手39名辞表提出、学生総退学運動展開。993/7総長交代、辞表受理と差し戻しの分裂工作が進み、抵抗は失敗。

 こういった、いわゆる「国体明徴運動」の犠牲者は、蓑田ら右翼、在郷軍人会など軍部、支援財界、それを代弁する菊池ら一部代議士による連携プレーで生み出されたようです。

2006年2月24日

ニュースの美醜

 今朝のニュースから。美しいですねえ、荒川静香嬢のフィギュアスケート、オリンピック金メダル。メダルは逸したが村主章枝嬢の演技もすばらしかった。わずか10年ほど前、亡くなった母がよくいっていたものだ。「日本人は足が短くてスタイルがよくないから、いくら頑張ってもだめよね」と。今、それが見違えるほどになった。

 しかし、二人ともお顔は典型的な日本人の顔だ。演技も奇をてらわず、名工が伝統工芸を仕上げるようにじっくりとした味わいを見せてくれた。あがった日の丸はたったひとつ。それでもトリノを長く印象づけるに十分な成果だったといえよう。

 それに引きかえ、そう、民主党の代議士・永田寿康。つかまされたガセネタをもとに政府与党を攻撃したが、相手に足下を見透かされていて簡単に返り討ち。思いあまって辞意を申し出たが幹部に押しとどめられ、精神状態が不安定で、入院だとお~?。

 複数の友人代議士によると、電話で泣いていたそうだ。おお!、なんという国辱。どこの国に自分の国会発言失敗でベソをかくような泣き虫議員がいるか。泣くのならもっとほかのことで泣いてくれ。これでは○○チルドレンにも劣る。

 楢崎弥之助元代議士は「爆弾発言は命がけでするものだ」といったそうだ。そう、ここは「切腹覚悟」の武士道でやってほしかった。戦前復帰に反対する「反戦老年委員会」だが、「大和魂」のかけらすら持ち合わせない今の<男の子>には改めて慨嘆せざるを得ない。

2006年2月25日

2.26事件メモ

<発生日時>昭和11年(1936)2月26日午前3時から5時頃にかけて。前夜半頃から吹雪模様で積雪あり。

<襲撃場所> 首相官邸、内大臣私邸・官邸、教育総監私邸、湯河原伊藤屋旅館、侍従長官邸、大蔵大臣私邸、陸軍大臣官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部、東京朝日新聞社ほか通信社新聞社等5社。

<決起趣意>
・趣意書書き出し「謹んで惟るに我神洲たる所以は、万世一神たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生成化育を遂げ、終に八紘一宇を完ふするの国体に存す」
・趣意書による決起の目的(陸軍省発表による要旨)「内外重大危急の際、元老、重臣、財閥、軍閥、官僚、政党等の国体破壊の元凶を芟除し以て大義を正し国体を擁護、開顕せんとするにあり」

<決行者>尉官級22名、下士官・兵約1400名。西田税ら右翼若干。

<犠牲者> 死者・斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監、松尾伝蔵=岡田啓介首相(海軍出身で後に東条内閣打倒に成功)の義弟で首相と誤認され殺される=首相は無事。重傷者・鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)、斎藤春子(内大臣夫人)、その他警備の警官等。

<真崎甚三郎> 陸軍皇道派の大物、反長閥派。事件影の演出者とされる。参謀次長・教育総監を経て当時軍事参議官に更迭。現場に駆けつけ前後措置に主導的役割、当初は後継総理に擬せられる。後、軍法会議で無罪。

<北 一輝> 国家主義者。『日本改造法案大綱』を書き、ファシズム運動の中心的理論家となる。資金を三井合名などから引き出し事件の黒幕的存在とみなされた。軍法会議では死刑(軍の責任を転嫁されたような形)。

<永田鉄山> 陸軍軍務局長。統制派中心人物。1935/10、真崎教育総監の更迭に関与したとして、皇道派の相沢三郎中佐に公務中の室内で斬殺される。統制派、皇道派の激しい主導権争いがこの事件の背景にある。

<天皇の決意> 「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは真綿にて朕が首を締むるに等しい行為である。朕自らが近衛師団を率ゐて鎮定に当たらん」(本庄繁手記)。陸軍は大混乱におちいったが、奉勅命令や「兵に告ぐ」のビラや放送で帰順に向かう。

<メモのメモ>・陸軍内の権力闘争が作用しているようだ・天皇は皇道派・真崎などを嫌っていたみたい。その分、後に統制派の東条などを頼ったのかも知れない。・軍による政治テロはこれが最後だが、その後も伝家の宝刀のようにすごみをきかしていた。・昭和天皇の決断は、これと終戦時が光る。

2006年2月26日

脅威論 1

仮想定例委員会(出席:硬、乙、平、停)

*平 久しぶりの委員会だが、今日は「脅威論」というテーマでいきたい。そしてタブーなしの自由発言でいこう。ただし、放談会ではないよ。「脅威」というと、いまだに共産国の侵略といった一昔の概念から抜け出せていない議論が大手をふっているからね。

*停 だけど北朝鮮やイランなどへの対応を見ると、最近、中国とロシアがまた共同歩調をとることが多くなったのではないの。それにキューバとかシリアとかも。

*硬 そりゃあアメリカへの一極支配への反発はあるさ。だけど中味は武器輸出とかの経済問題に共通点があるだけで、かつての思想の輸出などは遠い夢だろ。ロシアのチェチェン、中国のチベット、台湾なども独立運動をいかに阻止するかということで、内側の問題だ。ただ外部からの干渉されるとなると別だがね。こういった悩みを抱えている国はほかにもすごく多い。

*乙 脅威を考えるには、潜在的脅威、顕在的というか直接的脅威、定性的には核の脅威、テロの脅威、ジェノサイド(大量虐殺)を招く宗教対立とか民族対立もあるねえ。ただ、第2次大戦後、帝国主義的植民地侵略が成功した例というのはないだろ。

*硬 イスラエルがヨルダンの西岸地区を占領しっぱなしになると、植民地になっちゃうんじゃない。

*平 そうかあ。いずれにしても日本ほど脅威のすくない国はないような気がしてきたな。海に囲まれているし、宗教や民族問題だって遠い話だし。

*乙 そこいらをついて、「平和ぼけ」だとか「安保ただのり論」だという。冷戦当時は日本がアメリカにとってまさに「共産主義の防波堤」だったし、自衛隊や安保の存在をそれで説明しやすかった。しかし、今は事情が全く変わってきた。日米当局だってそれは認識している。

*停 だから、脅威が中国や北朝鮮に変わったわけか。ガス田開発や核ミサイルの問題もあるし。

*平 先週だったかのサンデープロジェクトで、石破元防衛庁長官、志方帝京大教授、田岡コメンテーターの専門家3人が「軍事費増大といってもインフレ率を考えればそんなに突出したものでないし、ついこの間まで中国は兵器の博物館といわれるほど旧式な兵器しか持っていなかったことを考えれば、脅威とはいえない」ということで意見が一致していた。

*停 それじゃあ潜水艦が領海を通ったり監視艇が東シナ海をうろうろしても。

*平 そう、すくなくとも「顕在的脅威」にはならないとね。

*硬 私は、最大の「潜在的脅威」はアメリカだと思うよ。仮に台湾海峡有事のさいアメリカが沖縄から出撃するようなことをすれば、日本も中国の攻撃目標になるもの。それがなければ、中国や北朝鮮が日本を攻撃しても何のメリットもないし、いまのところ国内問題でそんな余裕もないよ。

*乙 やっぱりブッシュ政権の先制攻撃肯定論やユニラテラリズムがどこまで世界に通用するのか、これから先が問題だね。はっきりいって日本もすこし距離を置いた方がいいんじゃないか。

*平 自衛隊、日米安保をどうするか、難問があとに残るが今日はここまてで。

2006年2月27日

9条の会雑感

:
 地元の市に9条の会を作りたいという案内があったのは、一昨年のことである。その際、呼びかけ人になってほしいという依頼を受け、承諾していた。このたび自宅から300mほどのところで、この地区最初の映画上映、自民党案学習会といった催しがあったので、顔をだしてみた。公民館の会議室いっぱいになったが、参加者は32人とのことだった。

 まず感じたのは、参加者がお互いに挨拶を交わし、談笑しあっていることである。おそらく、何らかの組織活動で旧知の間柄同志なのだろう。それはそれでよく、別にさしつかえない。事務局を含めそういった人達がいなければ、ポスターもちらしも作れないし賛同者を増やすこともできない。ありがたいことである。

 私と同じように、ポツネンと借りてきた猫のようにしていた女性がひとり最前列にいた。会合の最後に「9条を絶対守らなければならないと思いますが、私はどうすればいいんでしょう」という質問をした。会場内で一瞬苦笑めいた空気がながれ、司会者の「やっぱり活動をひろげ・・・」といった月並みな返事が返っていたようである。

 しかし、彼女の質問の真意は違うところにあったのではないか。ここには9条を守ろうという強い意志の人だけが集まっている。そういう人達を啓蒙したり、学習したりするだけではなんとなく不安だ、ということではないか。その前の意見には、マスコミの不当な報道には電話でしつこく抗議する、とか駅頭のビラ配りを妨害する右翼らしい人とわたりあっている、という話があった。

 私も、そういった活動は必要だと思う。一方で、改憲賛成の人に反対の組織活動(ビラ配りなど)をぶつけてみても逆効果になるのではないかという疑問もある。9条の会の本旨は、「ああ、あの人が反対している。この人も」というところから始まり、「ああ、ここでも。あそこでも」というふうに全国に広げていって、いずれそれが当然の常識になるような世情にすることだと思う。

 そのために、まず身の回りの人、隣人、友人にシンパ(ああ古いなあ!)を作っていくことから始めるしかない。なにしろまず3分の1以上の議員を議会で確保することが目標だ。ただやりました、の自己満足で終わってほしくない。私は故あってマスコミへの投書をやめているが、このブログをしこしこ続けていくことが私にできる最大の効果ある活動だと思っている。

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