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2006年1月

2006年1月17日 (火)

ライブドアと光クラブ

[反戦老年委員会復刻版] 

 今日はビッグ・ニュースが氾濫していた。阪神淡路震災から11年、ヒューザー小嶋社長の証人喚問、幼児誘拐殺人・宮崎被告の最高裁判決、そしてライブドアの証取法違反疑惑である。最後のライブドア関連をのぞいてあらかじめ日程に組まれていたことだが、「世に倦む日日」を拝見しているうちに、「ライブドア」も故意にこの日にぶつけたのかな、なんて思ってしまう。

 いろいろ思いをめぐらしているうちに、50数年も前のある事件を連想してしまった。なにしろ古いことについては、当ブログの常套手段となっているのでその点はご寛恕願いたい。それは、金融業・光クラブ破綻事件である。詳しいことを書こうと思って、家に何種類かある昭和史のどこかに記事があったはずだ、とさがしたがどうしても見あたらない。

 結局、よく使う『20世紀年表』(小学館)に次のようにあるのを見つけた。1949年(昭和24)社会 11.24 金融業「光クラブ」経営の東大生山崎晃嗣、資金に詰まり青酸カリ自殺(アプレ犯罪のはしり)。

 堀江社長との共通点は、東大生現役で起業したことと、時代を先取りする抜け目のない経営感覚、そして金融関係というだけで、世間の耳目を集めたこと以外は似ていない。

 ただ、占領期から復興への大きな時代の転換期にあたり、社会も経済も音を立ててかわりつつあると感ずる中でのできごとだっだけに、現在と比較して妙に生々しく感じられるのである。

2006年1月18日

首相失格

 誰も触れようとしないので、首相にあるまじき発言を平然と繰り返す小泉総理に再度問題を提起する。小泉氏が首相、いや閣僚としても不適格であることは繰り返し述べてきた。このたびは、宮崎被告に下された死刑判決についての記者会見発言である。

 「あれだけ残忍な犯行なので死刑も当然だと思う」(読売新聞)

 「残忍な犯行ですからね。当然だと思っています」(毎日新聞)

 前回指摘(「三権分立」)した不適切発言が、またもやまかり通ってしまった。首相は裁判所の判決に「いい、悪い」などの批判を加えてはいけないのである。首相に罪の有無、刑の軽重を判断する権利がないことは、三権分立をうたった憲法上はっきりしているが、裁判官の任命権がある首相が裁判結果について「当然」だとか「理解できない」などと発言するのは、法の精神からみて全く適切を欠く。

 もうひとつ。「死刑になるのは当然」といういいかたである。どんな犯罪があろうとも宮崎被告は日本国民である。その国民の死が、やむを得ないとか、残念だというならまだしも「当然だ」という神経である。首相がわれわれしもじもなら許される感情論と同列であってはいけないのである。(首相はそれがいいことだと勘違いしているようだ)。

 同問題に対する安倍官房長官の発言、「被害にあわれた方々のご冥福をお祈りし、犯罪から子供を守るための対策をしっかり進めていきたい」(読売新聞)は、官僚が作ったコメントかも知れないが、首相の立場にいる人はこう言わなければいけない。

 靖国参拝の「心の問題」発言も同じだ。個人の心の問題は重いが、中国・朝鮮の大多数の人々の心、日本人のすくなくとも半数を占める人の心を踏みにじって、首相個人の心を優先させなければならない理屈は成り立たない。もう一度言う。首相個人の心だけが特別重いわけではないのだ。

2006年1月19日

「白旗」と防衛

 当委員会では、明治はじめの戦争や防衛に対する考え方について、『三酔人経綸問答』をテキストに数回の記事を作った。さいわい、多くのブローガーのお目にとまり、ことに「今日の活力」様(以下「L氏」)では、「白旗のかかげ方」と題する長文のご意見を2度にわたりご掲載いただいた。

 テーマの「白旗」は、前述のシリーズの最後に、敵が攻めてきた場合「それが最善ならば、白旗を掲げます」と私見を述べたことによる。L氏も言及されているが、この種の事案を議論の俎上に乗せると、言葉の定義や使われ方により、本来求められるべき道筋から離れて迷路に踏み込み、果てしない堂々めぐりか行き止まりになってしまうことがよくある。そこでL氏同様、ここは独立した記事として扱いたい。

 前述の私見「それが最善ならば、白旗を掲げます」であるが、前提を設けたことに複数の方からご批判をいただいた。これは「それが最善ならば、(抵抗せずに)白旗を掲げます」の意で、抵抗を否定しない含みをもたせたつもりだった。しかし、それでも意が尽くせないし言葉として切れ味も悪い。そこで「日本には白旗の準備もあります」に変えようと思ったが、やはり結果は同じだ。

 それは「白旗」が感覚には訴えやすいが、それだけにシンボリックな印象が先行し、誤解を招きやすいからでもある。同じことが「闘争本能論」にもいえる。「獣や昆虫でさえ種族保存のため相争う。人の子も犬猫を追い回して喜んでいるではないか、生物には闘争本能がある、したがって戦争は避けられないのだ」という古典的な意見である。これもわかりやすい「比喩」を多用した三段論法で、議論を本質から遠ざける危険がある。

 当方で持ち出しておきながら、また、L氏には申し訳ないのだが「白旗」はしばらく棚上げにし、次のような観点から、あらためてもう一度仕切り直しをしてみたい。

 ○戦争は絶対悪である。したがってこれを避けるため、最善の策を追求すべきだ。

 ○戦争(国際紛争)は避けられない。現実問題として必要な軍備と体制は整えるべきだ。

 ○上の二つについての折衷案が可能かどうか。

2006年1月21日

戦争と国家

 前回のエントリー(「白旗」と防衛)に多くの感想・意見をいただき、あまり準備のないまま次を続けることになってしまった。その中で「戦争」と「国家」についてまず考えたい。(これまでの関連記事はカテゴリ「反戦論」でご覧ください)

 「国家さえなければ、戦争はおきないのではないか」 こういった素朴な疑問は、戦争被害に打ちひしがれた犠牲者の脳裏に絶えず去来する。戦争と国家の関係は、主にヨーロッパで古くから論じられており、「戦争は政治の継続である」としたカール・フロン・クラウゼヴィッツの『戦争論』(1832)とか、国家・法・暴力の密接な関係を説くヴァルター・ベンヤミンの『暴力批判論』(1921)など、近代欧州史に少なからず影響しているものが多い。

 地政学的に異なる日本で、そのままこのような議論が役に立つとはいいきれないが、冒頭にのべたような素朴な疑問は、単なる空想というより、戦争と平和を考える上で必ず一度は立ち返ってみる必要がある事柄だということを物語っている。

 国はほとんどの場合「軍」という暴力装置をともなって成立する。その暴力装置を維持し機能させるため国は「法」を作って国民に経費を負担させ、権利を制限し、兵役の義務を課す白旗のかかげ方 3参照)。そして、仮想敵国を想定し研究・訓練・軍備を積み上げることが日常の業務となる。

  しかし2度の大戦は、近代兵器の発達などで非戦闘員に想像を超える悲惨な被害を与え、国境をこえた道義の退廃を招き、また最大の地球環境破壊をもたらした。そこから、国民の利益(公益)を追求すべき使命のある国家(国民国家)が、逆に平和の破壊者として機能するという矛盾を気づかせることになった。その第一歩がワシントン会議(1921)の軍縮であったが、避けられなかった第2次大戦を教訓として戦後国連が生まれ、国連憲章の精神が日本国憲法に盛り込まれた。

 冷戦後、アメリカの一極支配体制や国をこえた宗教・民族紛争など国際環境が大きく変貌している。アメリカによるイラク侵攻が、かつての国民国家の持つ欠陥をそのまま露呈したものなのかどうか、これからの対応次第で近代的国民国家としての真価が問われることになるだろう。結論を冒頭のような素朴な表現にしてみたい。

 「国に暴力装置が必要かどうか、国民にはそれを決める権利がある」

2006年1月22日

暴力装置とは

仮想定例委員会(出席:硬、乙、平、停)

*平 みなさん、明けましておめでとうございます。(一同、おめでとうございます)。雪の日に缶ビールで乾杯じゃあ冴えないけど、今日は最初だから雑談会といきましょう。

*硬 ずいぶん長い正月休みだったねえ。このところ小泉内閣にとって都合の悪いニュースが続々とでてきたがどうなんだろう。サプライズもそろそろ品切れなんじゃないか。

*停 でも、マスコミは依然として腰が引けているから、平気なんじゃない。ところで昨日のエントリーに「国民国家」とか「暴力装置」という言葉があったが、あれは専門用語かい?。

*平 至って簡単な四文字熟語だからその通りに解釈したんだがなあ。

*乙 それでいいんじゃないの。国家論だとか戦争論だとかに盛んにでてくるが、もし定義する人が100人いたら100通りの答えになる、という感じだ。

*領土があって国民がいて法律があり、軍隊もある。領主がいて武士を飼っているような昔の国ではない、というのが「国民国家」か。

*停 それじゃあ北朝鮮は国民国家?。将軍様でも。

*乙 6カ国協議の相手にされているわけだし、国民国家じゃないとはいえないね。ただし国民国家なら無謀な戦争を仕掛けてこないか、ということになると100%保証するわけにはいかなくなる。

*平 「暴力装置」とは軍隊だよね。警察・消防は暴力装置とはいえないだろう。

*乙 私もそれに賛成だ。強制力を持つ権力という意味で警察を入れたり、スト権を持つ労働組合を入れたりする事もあるようだが、殺人まで視野に入れた装置は軍隊しかないだろ。

*硬 装置の仕掛けはいろいろあるねえ。徴兵(兵役の義務)、軍法会議(敵前逃亡、秘密漏洩など死刑を含む処罰)、戒厳令(外出禁止令など違反者は射殺)をはじめ基本的人権の例外扱いがいろいろ出てくる。有事法制など、ビギナーコースみたいなものさ。

*停 じゃあ、自衛隊とは違う?。

*硬 全然!。海外で戦うなんてなことになれば、徹底的に洗脳しなければ使いものにならないだろう。そして戦死者のためには(靖国的)慰霊装置が必要になるというわけだ。

*平 どうも新年会にしては殺伐な話になったね。

2006年1月23日

周辺国の脅威

仮想定例委員会(前承)

*平 昨日の委員会で話題にした「国民国家」というのは、なんとなくわかるようで、現在の国際関係にそのまま当てはめようとすると矛盾だらけになってしまうね。

*乙 アメリカのイラク攻撃について、私は最初から9・11との関連や大量破壊兵器など開戦の大義名分に疑問があると思っていたが、さらに国民国家的な思慮とは縁の遠い、あたかも西部劇の悪漢に早撃ちするような米政府の態度に危うさを感じた。それにもましてショックだったのは、小泉政権の米政府のブラフに易易として応じ一片の反省もないことだ。

*硬 これじゃあ憲法9条第1項ばかりでなく、第2項に手をつけるのは危険だ、何をされるかわからない、ということで本委員会設置の動機にもなった。

*停 民主党の前原代表が「中国の脅威」をいって問題になっているが、世界に一番脅威をふりまいているのはアメリカだよ。中国だって、北朝鮮、イラン、シリア、キューバみんなそう思っているはずだ。

*平 アメリカも「中国の脅威」をいっているが、本当にそう思っているのかねえ。

*硬 まあないんじゃない。経済進出は脅威かも知れないが、アメリカが直接攻撃を受けるなんて。中国だって軍事行動を仕掛けるような阿呆なことしないよ。しかし、中国にとってアメリカは脅威だ。

*停 台湾海峡有事の場合は、必ずちょっかいをだしてくる。しかも沖縄の基地からね。だから、中国からすれば日本も脅威ということになる。

*平 ちょっと待って。そんなことできるのかねえ。平和憲法下で。

*硬 戦争になればなんでもありだ。勝ちさえすればいいんだから。昔の日本も天皇の意志に反した行動をしても、勝っていれば「緊急事態、事後承認OK」ということにいつもなった。

*乙 ここだよ、中国が日本を信用しないのは。行かなくてもいいA級戦犯合祀の靖国参拝を繰り返し、中国脅威論をいい、憲法改正の準備をする。向こうから見ればどうしても悪夢がよみがえるだろう。だからお互いに反中、反日にならないようにし向けなければならないのに、やっていることは逆で、むしろあおっている。

*停 「国民国家」でも、世論の動き方ひとつで何をやらかすかわからない、という例をアメリカが作ってしまったんだよね。その限りにおいては、新たな国防論も必要、ということになるのは皮肉なことだ。

*平 当委員会にとっては、これから重荷の宿題になるね。ただいま、ライブドア堀江社長逮捕のニュースが入った。新自由主義も風雲急だ。

2006年1月24日

怒ぶろぐ

 反戦論は疲れる。多くの人に納得してもらうためにどうしても表現をセーブしたり、感情をおさえてしまう。だから、まっとうなことしか言わない「先生」になってしまう。ストレスは溜まらないが、憤懣は鬱積する。そこで今日はおおいに感情論をぶちまける。

 報道によると、在日中のゼーリック米国務副長官は「日中間の緊張について、日米中3カ国の歴史家による歴史検証作業を仲介する用意がある」ような趣旨のことを、日本政府要人に提唱したと伝えられる。まあ、こんなレベルの低いおせっかいをぬけぬけとよくいえたものだ。

 「これから中国に行くので、中国に伝えてほしいことがあれば遠慮せずに言ってほしい」とも述べたが、谷内次官から中国への伝言は頼まなかったという。(毎日新聞)

 偉い!!。牛肉に背骨がまじっていたことについて、「災いを転じて福となす、にしましょう」などと人為的なミスを災害にしてしまった小泉ポチとは違う。悠久3000年の歴史にはぐくまれた東洋人の間に立って、300年そこそこの米国人とその政府が、歴史のさばきをつけようなど思い上がりもはなはだしい。

 怒りと言うより、あまりにも学問に対する無知とお人好しにあきれてしまった。実は、そんなアメリカ人がかつては好きだったが、今や世界の警察官(保安官)気取り。「民主化のお手伝い」など、他民族に親切心ごかしでいうところが嫌われていることにまだ気がつかないのだ。

 だけどいるんだよねえ。しっぽ振りしか知らない単細胞政治家とか、ひたすら有名になりたい歴史学者とかが。

 この項のタイトルは「狸便乱亭」様のカテゴリから勝手にお借りしました。>

2006年1月25日

戦争の大義

 ♪敵は幾万ありとても すべて烏合の衆なるぞ 烏合の衆にはあらずとも 味方に正しき道理あり 邪はそれ正に勝ちがたく 曲は直にぞ勝ち栗の ・・・・

 昔、近所の空き地にある小山で陣取り合戦ごっこをするとき、よく歌った歌である。日露戦争の旅順203高地攻防がイメージされたものだろう。今、アメリカのイラク侵攻について、大義名分の存在に疑義のあることが議論されている。

 戦争に人々が納得する大義がない場合、国際法云々もさることながら、兵士のモラールにかかわり、特に地上戦、接近戦になると戦闘能力に決定的な影響をもたらす。そして、前線では、軍という閉塞社会の中で道義が頽廃し、人の尊厳が失われ、逃れられない拘束の中でトラウマが進行する。

 一方、軍艦、飛行機を使ったハイテク戦になると全く様相を異にする。ゲーム感覚でことが進むだけではなく、兵士もそれにより多くの死者がでることまであまり意識せずに作戦を遂行する。いわゆる軍事オタクが想像するカッコいい戦争はこっちの方だろう。

 戦争の大義に「自衛」を掲げるのは常套手段で、過去すべての戦争がそうだといってもいいほどだ。言い尽くされているように、領土が攻撃を受けている方にしか通用しない論理である。

 次に「膺懲(ようちょう=うちこらしめる)」というのがある。これはシナ事変をはじめるにあたり、日本政府が発した声明の中にある。「独裁政権のフセインをたおす」というのもこれに似ている。それらが大義として国内外にどこまでアピールできるかが問題である。

 以上のことをふまえて、わが国の防衛について考えてみる。まず現行憲法が維持されるとして、仮想敵国が陸戦隊で敵前上陸を敢行し、日本の領土を軍事占領することを想定できるかどうか。仮に米軍が沖縄基地を利用して中国本土に被害をもたらす、などのケースがなければあり得ないだろう。なぜならば日本領土に不法上陸する大義名分がなく、大きな犠牲を払っても得るものがないからである。

 ミサイル攻撃ならどうか。これは可能であろう。しかし、地上軍の展開をしやすくするとか、大東亜戦争末期のじゅうたん爆撃とか原爆などのように、戦争相手の戦意喪失が目的でない限り、散発的、限定的な使用では効果があがらないことがこれまでのケースで明らかになっている。

 要するに、帝国主義的植民地獲得戦争や領土拡張目的の戦争が時代遅れになった今日、周辺国が日本に戦争を仕掛けてくることはないだろう、と想定するのが常識的だ。また、島嶼などの境界紛争は外交交渉にゆだねるべき問題で、これに軍備や戦争を直接結びつけるのは、小児病的発想か意図的な緊張誘発策に過ぎない。

 ほかに、核抑止力とか先制攻撃などの問題もあるが、これは機会あらためて検討する。また、当委員会には軍事専門家がいないので、ご指摘やご教示をいただける部分があれば承りたい。

2006年1月26日

自衛権

■おことわり この記事は、カテゴリ「反戦論」の既投稿記事「白旗」と防衛<から後続する5回の記事と関連があります。できるだけ、それぞれの記事だけで読切り可能になるようつとめていますが、バックナンバーを参考にされる場合は、事最上部の ≫ マークで次ぎに送ってください。

■ 自衛権というのは、そもそもが属人的なものだと思う。命(安全)を守る、土地(財産)を守る、秩序・人権を守る、そういった人々の要求が国という単位で総意となり、はじめて国の自衛権が生まれる。最初から国というものがあって、それを守るために人々が義務を負い、場合によっては命を危険にさらす、というのでは順序が逆ではないか。

 現行憲法は日本国の自衛権を前文でギャランティーしている。すなわち「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することだとしている。そこでいう「諸国民」は漠然と国連を意味しているよう聞こえるが、実相はボスニアでもイラクでもその役割を果たすことのできなかった国連でなく、安保条約のある「アメリカ」一国になっている。

 アメリカ一国に「命あずけます」という外交姿勢が最も国益にかなっている、と公言した元外交官がいた。またそういった方策を信奉する向きは少なくなく、小泉首相発言の端々にもそんな傾向がうかがえる。アメリカの1州になるのならそれでもいいとしよう。しかし独立国の国民として、そのような人から「国益」だとか「自衛」などと言ってほしくない。

 以上のことから、日本の自衛権を担保するための自衛力は持たなくてはならないと思う。社民党のように「自衛隊は段階的に縮小」ではなく、場合によっては、ハイテク設備など増強が必要な部分もあるだろう。冷戦後、イラクは多くの教訓を与えてくれた。湾岸戦争では、イラクが無防備な弱小国・クエートに侵入した。イラクとしての大義名分はあっただろうが、他国の認めるところとはならず、多国籍軍の反撃を受けて国力を衰退させた。

 イラク戦争ではアメリカの大義名分に疑問があるにもかかわらず、9・11の鬱憤晴らしのように攻め込んでいった。「諸国民の信義と信頼」だけでは国土を守れないのである。

 そこで、考えられる最善の自衛力とはどのようなものか。1.領土・領海を守る強力な自衛力、2.海外派遣は、紛争解決後の国連PKO活動および災害救援活動に限定、3.装備は上記の2項に必要不可欠な物で外国攻撃兵器を持たない、 いわば、強力な「自衛警察力」を持つことである。

 従って軍隊(自衛軍)=「暴力装置」ではなく、徴兵制度など軍隊を持つための制度・法律を作る必要はないし、他国の軍隊を模倣することもない。政治家として護憲を標榜するなら、お題目だけではなくこういった方向で議論を高め、世論をリードしてほしいものだ。

2006年1月27日

イラク金網作戦

 イラクに行くと、軍用トラックや装甲車などが、餅や魚を焼く金網のようなもので、周りを囲っているいるのをよく見かける。中には、ネズミ取りの中にそのまま収まっているようなぶざまな車もある。「スラット・バー装甲」というらしいが、全然スラッとしていないし、車幅超過でよく物をひっかけるという。アメリカ、イギリス、オーストラリア各軍が採用しているが、「USアミー」ではしゃれにもならない。

 ところが、これが以外に携帯ロケット砲などのゲリラ攻撃に大変役立つのだそうだ。弾頭が車のボディに達する前に網に当たって破裂するので、車内の兵士が死亡する率がうんと下がるという。軍の車列をねらった攻撃が頻繁に報道されるが、この限りにおいては、サマワの自衛隊にとって、前例もあることだし絶対安全だとはいいきれない。

 このアミ作戦は、もはや米英軍では常識で、軽量簡易型の開発などで特需になっているという。しかし自衛隊にはそれがなく、雑誌「軍事研究」1月号では、「これでいいのか!裸同然のサマワ陸自車両」という緊急提言を行っている。またこの記事の情報も同誌から得たものである。

 まことにもっともな提言で、費用もわずかだろうから即刻実施してほしいことがらだ。しかしそうすると、サマワが安全な「非戦闘地域」ではないことを証明してしまうことになる。苦しい判断をしなければならない。死者が出てからではおそい。これまでのことを「派遣は間違っていました」と率直に反省し、安全に最善策を取り、一刻も早い撤収をはかることができれば立派なのだが。

2006年1月30日

風向きに変化が?

 このごろ何か去年と世間の風向きが違うような感じがしません?。といっても、新聞・TV・ネット上のことで、あるいは私だけかも。たとえば時流に乗らず反コイズミの論調を貫いた森田実さんの新著が、たちまち重版になるとか、あれだけ和製ネオコンの提灯を持った週刊誌が、いつしか微妙に矛先を変えてきたとか。

 相次ぐ金儲け主義の破綻と構造設計偽造やホリエモン事件が、アベシンの足下近くをおびやかしており、コイズミ劇場が三文芝居だったことも知られ渡るようになった。おはこのワンフレーズも「反省すべきは・・・」などと言い直して、生彩を欠くことおびただしい。

 海外の変化も追い打ちをかけていますねえ。ブッシュはだまっているけど、アメリカの要人の間で、首相靖国参拝の「わがまま」ぶりがいかに迷惑か、という報道が目立ってきた。イランでもパレスチナでも安保理改革でもなぜか、お呼びでない。

 政治だけではない。メディアの責任も大きいですねえ。しかし本当に風向きを変えるのはやはり大衆ですよ。ブログもほんのその一端です。そして若い人ですよねえ。民主主義、それも強引な多数決第一ではない、少数意見や弱者に配慮する民主主義が続けば、風向きもいつかは変わります。楽観に過ぎるかも知れませんが。

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2006年1月13日 (金)

天皇物語 1

[反戦老年委員会復刻版]

 皇位継承をめぐる議論は、国民が天皇制をどう考え、憲法上どう位置づけするかという問題にまで発展しようとしている。皇室の日常や今後のありかたについては、国民が考えていけばいい事柄だが、その前提になる歴史認識や評価について、人により大きな開きがあることも次第に明らかになってきた。ここに記そうとしていることは、「歴史」の研究や論評ではなく早く言えばアマチュアの特権としての「独断」である。天皇家の過去にも、いろいろな見方考え方があるのが当然で、硬直した固定観念から開放されなければ建設的な意見もでてこないだろう、ということを言いたい。

*『日本書紀』再検討* 保守復古派が唱える「皇紀二千六百余年」は『日本書紀』からきている。これが誤りであることは、暦が日本に伝来する前のできごとに暦をあてはめ、考古学では説明できない器物が登場するなどのことで、すでに歴史学上の評価が定まっている。

 にもかかわらず、復古派や神社系の人が公然とこれを唱えるのは『日本書紀』を無二の教典として絶対視していることによる。アメリカのネオコンとかキリスト教原理主義者といわれる勢力が、ダーウィンの進化論を学校で教えないように運動していると聞くが、これと同じようなことが日本で起きないとは誰がいいきれようか。彼らは全くナンセンスだと思ってはいないのだ。

 一方で私は、戦後の史学を風靡してきた「津田左右吉史学」も大幅な見直しが必要だと思う。同氏が身を挺した果たした皇国史観へのアンチテーゼには賛辞を惜しまないが、同氏の手法や言辞だけをまねしたと思われる『日本書紀』否定論や軽視論・無視論が続出した。いずれ具体的内容をとりあげてみたいと思うが、中国・朝鮮、特に中国の史書に書かれていることは正しくて、それと矛盾のある『日本書紀』は偽造・捏造されたものという、一種の日本書紀自虐史観といっていいようなものがある。

 『日本書紀』は、世界中で現存する国名を付した青史としては最古(720年)のもので、大いに誇りにしていいと思う。それだけに、外国文献との間に食い違いがあれば、そのどっちが正しいかという先入観念を捨てて、違いのよってくるところを解明することが求められるのではなかろうか。考古学とのすりあわせについても全く同様である。周辺国との歴史認識の違いを解明するには、まずこういったことがベースにならなければらない。

2006年1月16日

天皇物語 2

*天孫族の出身地* 天皇の大先祖は天照大神(あまてらすおおみかみ)という女性の太陽神で高天原(たかまのはら)すなわち天(あめ、あま)を支配していた。いわゆる天孫族が住んでいた「天」には天の岩戸、天の安河などがあり天の浮橋を渡って地上と行き来ができるようになっている。

 その接点に「日向の高千穂の峰」があり天孫降臨の地とされている。大分、宮崎、鹿児島県のどこかと考えられているが、確定できるところはない。また、出発地の「天」を宇宙空間と考えるのが素直な人だが、野暮な人はそれを地上のどこかだろうという。九州では筑後川上流の甘木市や夜須町のあたりが、地名(アマ、ヤス)の類似性や地形などから候補にあがっている。

 私が想像する「天」は、朝鮮である。天孫族とは朝鮮南部に本拠を置いた先進的な倭人で、すでに中国の影響をうけており、銅・鉄などの金属の使用、水耕稲作や土師器製造などの新技術の普及に貢献した弥生時代のエリートだった。

 『日本書紀』(以下、単に「書記」とする)を見ると、天孫降臨、神武東征より前に天孫族である素戔嗚尊が出雲(一書によると朝鮮の新羅ソシモリを経て)に渡り、韓国と交易をしていたような記事がある。また、大和の地にも饒速日尊が天の磐船に乗って先着している。磐船は頑丈な船を想像させるが、饒速日を祭る磐船神社は新潟県など各地に散在する。このように天孫族が広い地域に船で達したとすれば、九州の狭い山間部が出発点というのは不自然だ。「あま」は「海人」で海洋民族のことかも知れない。

 このほか、天孫降臨にまつわる「書記」の伝承は、朝鮮南部にある首露王伝説に似ているところがあり、意味不明のことばも、古代朝鮮語で解釈できることが多いという研究がすでに知られている。それらから「天」が朝鮮南部で、天孫族は「先進的倭人」と考えたのだが、別に倭人でなく朝鮮人(韓国人)であってもいい。なぜならばその頃国境という概念はなく、交易のルールさえ守っていれば誰でも往来自由で、現在よりよほどフリーだったからだ。

 あえて「倭人」というのは、朝鮮にも倭人が住んでいたらしい、ということからである。『魏志』倭人伝でも「ここからが倭国です」というようなことが書いてなく、「その北岸の狗邪韓国までやってきました」という表現だ。対馬の対岸だから韓国からみれば南岸にあたる。それだけなら誤記かな、となるが朝鮮の文献や伝承を総合してみても、風俗・方言などから倭人に分類される人々がその方面にいたことは確からしい(『倭人伝を読む』中公新書)。そこで、天孫族はその人達だったんだろうな、と思ったまでである。

2006年1月28日

天皇物語 3

 ○日ノ本は 大和神楽の昔から 女ならでは 夜の明けぬ国 (古川柳)
 ○元始 女性は太陽であった (平塚らいてふ)

 天の支配者、アマテラスから初代天皇・神武までは、男系相続など全くうかがえない。さらに神武もアマテラスの直系ではないらしい。まあ、排泄物や器物の破片から子供が生まれる神話の時代なのだから、そこらを詮索してもはじまらないだろう。男系による皇位継承は神武から、ということになるが、応神や仁徳朝の中国文化が日本に流入する前の日本の姿はどうだったのだろう。

 その時代がわかる貴重な文献が『三国志』のいわゆる「魏志倭人伝」である。女王・卑弥呼の擁立について、歴史学者・岡田英弘氏と考古学者・森浩一氏の間で次のような論争がある。(『倭人伝を読む』森浩一編)<br /> 岡田=「その国、もとまた男子を以て王となし、とどまること七八十年、倭国乱れ相攻伐すること暦年、すなわち共に一女子を立てて王となし」とあるから、もともとは男子承継が本来の姿。<br /> 森=長崎県平戸の根獅子遺跡で、頭に銅鏃の刺さった女性の人骨が出てきて、女が集団の先頭に立って戦っていた---そういうことが日本的な特色としてしられていたのではないか。

 これについては、日本の文献『日本書紀』で見る限り森氏に軍配を上げざるを得ない。すなわち、神武東征の途中紀伊から熊野にかけて二名の女賊(酋長)を破り、その翌年にも新城戸畔という女賊を誅している。崇神天皇の世には、武埴安彦の反乱があり、この軍を率いたのは妻の吾田媛だった。さらに景行天皇の熊襲征伐では、九州で5人の女性首長が記録されている。また、神功皇后紀には筑紫・山門の田油津媛との交戦記事もある。こうして見ると、この時代の地方首長は半分近くが女性だったのではないかと思わせるほどである。

 上述のことは、当然伝承に基づくものに違いないが、神功皇后自身の新羅親政は別として、誇張や粉飾で首長を女性にしなければならない理由はない。また、九州の女性を葬った墳丘墓や大和を中心とする古墳における女性被葬者の研究が進めば、もっと古代日本の女性の姿が浮かび上がってくることになるだろう。日本の男系天皇の承継は長い歴史を持つが、なにも神武以来の伝統と誇張することはないのではないか。

2006年1月31日

天皇物語 4

 天皇物語 3で、中国文化が波及する応神・仁徳以前は、地方の首長の半分近くが女性だったのではないか、と書いた。『日本書紀』の上では、神武以降すべて男性天皇が継いでいることになっているが、その間、天皇以上の扱いを受けている女性が二人いる。一人は神功皇后である。『書記』に天皇以外で1巻を割り当てられている人は他にいなく、妊娠中に新羅征伐をするなどの行動は、まさに自ら戦いの矢面に立つ古代女性首長の行動そのものである。

 もう一人はそれより前、崇神時代に活躍した倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)である。この人の墓が、箸墓という名で伝承され、奈良県櫻井市に現存する。全長280mの巨大前方後円墳で、古墳時代のはじまりを意味する重要な遺跡である。『書記』にはその建造過程まで記録さており、「天皇」とはいってないが、天皇以上の政治的実力者であったことはまず疑いない。

  さて、ここで問題なのがこの時代の謎の女王「卑弥呼」のことである。魏志倭人伝に符合するようなことは、『書記』にも『古事記』にも書いてない。卑弥呼の最後について、倭人伝は次のように記す。<br />  「(意訳)卑弥呼は狗奴国の男王卑弥弓呼と対立していた。これを朝鮮半島の出先、郡役所に訴えてきたので支援することにし、詔書や軍旗とともに役人を派遣した。(以下読み下し文)卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径は百余歩、葬に徇ずる者は奴婢百余人」

 また、以下は『書記』の描くモモソヒメの墓の作り方だ。「(意訳)大物主との仲が破れ、後悔して箸で陰部を突きなくなられた。そこで大市に葬った。それで時の人は墓を箸墓と名付けた。この墓は日中は人が作り、夜は神が作る。大坂山の石を運んで作るため、山から墓まで人民が列をつくって手渡をする」

 双方とも建造する「墓」が大きなニュースとして取り上げられていることに注目しなければならない。やはり画期的なできごとだったのだ。問題は、墓が作られた時期と場所である。時期については、魏志倭人伝で卑弥呼の死が247年か8年であると特定できる。一方の箸墓は、周辺から出土する考古学上の遺物から造営時期が繰り上がる傾向にあり、3世紀中葉、260年頃である可能性も出てきた。

 これで、考古学者を中心に「邪馬台国論争は大和で決まり」、そして卑弥呼は大和王朝の先祖のひとり、という意見が勢いを得ている。しかし、九州説もなかなか根強く、まだまだこれからの研究と論争が楽しみだ。

2006年2月11日

天皇物語5

 一般に女帝第1号は、推古天皇であるとされている。だけどそれは『日本書紀』の上のことであって、私は実質天皇(最高権威者)第1号が卑弥呼(ヤマトトトモモソヒメ)、第2号神功皇后、第3号飯豊皇女、推古は4番目だと考えている。

 すくなくとも、天武天皇(686年没)の頃以前には天皇という呼称がなく、すべて大王(おおきみ)だったと考えている。あるいは、男性「たらしひこ」、女性「たらしひめ」だったかも知れない。大王は王の中でも特別な王という意味だから、「皇帝」的な響きではなく複数あってもおかしくない名称だ。万世一系といった意識もそんなになかったのだろう。

 推古天皇は、聖徳太子や蘇我氏の存在、遣隋使等の外交活動などもあり、興味深い女帝である。ところが「推古天皇は幻の天皇」とか「聖徳太子はいなかった」などの珍説をなす人が以外に多いのである。その全部を説明すると何冊かの本になってしまうほどだ。

 たとえば、隋から日本に派遣された特使・裴世清の報告が『隋書』にあり、同書でいう倭王・多利思比孤(たりしひこ)に世清が面談したことが書いてあるが、女王とは書いてないので推古女帝はうそ……、いった類である。また同報告に「筑紫から東に行くと秦王国があり住民は中国人と同じ」とあるから、日本はまだ分立国家で国の体をなしていない、などと説く人もいる。

 まあ、種々仮説を立てるのはいいが、これらは外国文献に絶対的権威をもたせ『書記』を粉飾の書と決めつける、いわば自虐史観古代版ではないか。世清が会ったのは聖徳太子で、「王」と呼ばれてももいい立場にあり、現に「法王」という記録も残っている。考古学上でも、推古が、死んだら先立たれたの竹田皇子の墓に合葬してほしい、と遺言したという『書記』の記述に合致する古墳があることが00年8月までの調査でわかった。橿原市の植山古墳である。

 ここで言いたいことは、推古の時代は、『書記』を編纂した720年前後から見ると祖父または曾祖父の時代である。たとえ伝承が不正確であったにしても、すでに豪族など有力者の家には「家記」とか「墓誌」が残せる時代になってきている。そのため、『書記』編者が実在した人を幻にしたりありもしない事跡をでっち上げたりすることはできないし、またあり得ないと考えるのである。

 この点、私は津田左右吉流を悪用した「歴史修正主義」は認めないし、まず『書記』の記述を尊重しその裏付けをさがしてみる、という立場の「国粋派」なのかも知れない。

2006年2月16日

天皇物語 6

*皇極天皇・斉明天皇* 推古天皇に次ぐ女帝は、皇極天皇である。この天皇の波乱に満ちた生涯も、古代史の中で特筆に値する。まず、ご本人の目の前で、わが子・中大兄皇子らが、蘇我入鹿を惨殺した乙巳の変。続いて弟の孝徳天皇への譲位。大化改新・難波遷都の後孝徳が病死し、大和に帰って二度目の即位により斉明天皇となる。そして北海道を版図に入れ、次いで朝鮮に出兵。このとき自ら筑紫の朝倉に遷座し、終焉の地となる。

 推古天皇の時の聖徳太子同様、この時代も中大兄にスポットが当たり、天皇としての実績評価があまりされていないが、決して「中継ぎ」のお飾り女帝ではない。それは『書記』を通読して見るとわかる。まず、皇位継承に前例のない新機軸を打ち出したことである。

 乙巳の変のショックだったのかも知れないが、「生前譲位」の敢行が第一、それに弟・孝徳の死後カムバックして重祚したことを第2とする。その点、むしろ孝徳の方が「中継ぎ」役だった。なお、中大兄はこの3代(20年)の間、皇太子であり続けた。

 天皇を彼女というの変だが、本名の天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)では寿限無になってしまうので、以後親しみをこめて「彼女」にさせてもらう。彼女は、基本的には「保守的」で「国粋主義者」のように見える。皇極紀冒頭に「天皇、古の道に順考へて、政をしたまふ」とあり、雨乞いの祈祷効果などは抜群だったというから、卑弥呼の再来を理想像に描いていたのかも知れない。

 新嘗祭などの祭祀にも積極的に対応している。また、朝鮮・中国との往来も卑弥呼以来の盛んな時期に入っていたが、中国(唐)と新羅はお気に召さなかったようだ。それは、新羅が貢ぎ物をケチるとか、中国帰りの僧が、本来は巫女の占いの領域である占星術に口を挟むなどが理由だったかも知れない。これに対して、そういった中国帰りから教育を受けた中大兄や中臣鎌足、そして孝徳は、革新派であり海外事情にも精通していた。大化改新はまさにその成果である。

 もうひとつ、彼女を特徴づけるのは、大型公共工事である。大木を切り倒し山を崩し、運河を掘って石の山や垣をめぐらすのに延べ10万人を動員し、しかも中途半端で終わらす。そういったことが庶民の怨嗟を買ったと『書記』に明記する。00年2月に発見された亀を通る水路の遺跡が評判になったが、その他の石造遺構とともに、当時あらたに支配地になった東北・北海道、奄美などの住民そして海外使節等へのデモンストレーション効果をねらったもの、と考えている。

 そんなところから、唐・新羅連合軍から百済を守る目的の朝鮮出兵は、通説に反するが彼女自身の発案に違いない思っている。でなければ、老躯をおして九州まで戦陣を進める理由がない。結局、敗戦の憂き目を見ずに死去するが、『書記』はこれを鬼神のたたりのように書く。以上を見ると冷酷で男勝りなイメージがするが、中大兄と皇后の間に生まれた男系男子の一粒種の孫・建王が夭折したときは悲しみに暮れて次のように歌った。

 飛鳥川 漲らひつつ行く水の 間もなくも 思ほゆるかも

2006年2月21日

天皇物語 7

*孝謙天皇・称徳天皇* 皇室典範に関連して古代の女性天皇を取り上げ、7回のシリーズになった。天武天皇の皇后で事跡を継いだ持統天皇など有力な女帝があるものの、全てを網羅するつもりは最初からなかった。しかし皇極・斉明と同様、生涯で二度天皇位についた孝謙・称徳女帝だけは、歴代に例を見ない特異な存在として、シリーズの最後にもってきた。

 まず、彼女が特殊な境遇におかれた最初は、女性でありながら皇太子であったことである。聖武天皇と藤原氏出身の光明子の間に生まれた子であるが兄弟に男が生まれず、ほかに腹違い(県犬飼氏)の男子が生まれたため、藤原系優先を理由に急遽強引な手段で皇太子にさせられた。その前後、いろいろな宮廷内勢力のクーデター騒ぎがあるのだが、詳細はとても書ききれないので、以後の大きな動きを年表に要約する。

・749年7月 聖武天皇、皇太子に譲位し孝謙女帝即位。
・756年5月 聖武太上天皇没する。
・758年8月 孝謙天皇譲位して藤原仲麻呂が推していた大炊王が即位、淳仁天皇となる。
・760年4月 光明皇太后没する。

 ここで藤原仲麻呂らは後ろ盾を失って、孝謙をコントロールできなくなる。看病禅師・弓削道鏡との怪しい関係がはじまったのは、その翌年のことだ。まず目障りとなる淳仁天皇(32歳)を廃して淡路へ流し、自ら復位して48代称徳天皇となった。そして仲麻呂を追いつめ処刑した。こうして、一切の障害を取りのぞき奔放に振る舞うことになる。

 早速、道鏡を大臣禅師という位につけた。以来彼女の道鏡に向けた「寵幸」が都人の口の端にのぼるようになり、紀伊への行楽にも同行させた。その翌年には「法王」の称号を与え、批判の芽を摘むために、あらゆる口実で皇族や貴族の処刑・殺戮が繰り返された。当然の事ながら行政は停滞し、寺院建造などで財政が逼迫した。

 このような暴政に取り入ろうとする取りまきがでてくるのも、世の常である。769年、「道鏡を天皇にすれば天下が太平になる」という豊前・宇佐八幡宮のご神託があった、と報告してきた者があった。彼女はさすがにこのまま神託を採用するわけにはいかず、和気清麻呂を勅使に立てて再確認させることにした。ところが清麻呂は彼女と道鏡の意に反し「天つ日嗣は必ず皇緒(皇族)を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」という神託があった、と報告した。彼女は激怒し、清麻呂の官位を剥奪して大隅に流した。

 この事件があった翌770年8月、彼女は後継者を指名しないまま53歳で病死した。後任には天智系の白壁王が就いた。光仁天皇である。天武系には処分された者が多く臣籍降下した者以外に候補がなかった。当然、道鏡は放逐され、清麻呂は復帰した。光仁は百済系帰化人の娘高野新笠を妻としており、次代の桓武天皇はその血をひく。ついでながら今上天皇が誕生日の記者会見でその話を持ち出し、韓国人を驚かせたという。

 さて、超駆足で彼女の時代を追ってきた。許されない「仮に」の話で恐縮だが、もし道鏡が天皇位についていたら、彼女の子は無理であったにしろ、男系の維持が危機にさらされていた可能性なきにしもあらずである。戦前、天皇の意に反した行動をとったにもかかわらず、和気清麻呂が楠木正成にならぶ忠臣に列せられていたのもむべなるかなといえよう。

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2006年1月 6日 (金)

白旗と愛国者

[反戦老年委員会復刻版]

: さて、前回予告しておいたこと「敵が攻めてきたら白旗かかげるの・・・?」に、当委員会として答えなければなりません。それではズバリいいます。「YES。それが最善であれば、白旗をかかげます」

 中江兆民えがく『三酔人経綸問答』の南海先生でさえ口にできなかったことが、その後の日本の歴史上、実際に起きてしまったのです。そう昭和20年8月14日、宮城内の地下会議室の御前会議で、本土侵攻を前にした連合国に白旗をかかげることが決まりました。

 ♪轟沈 轟沈 凱歌はあがる・・・・と景気よくはじまった大東亜戦争ですが、だんだん押し返され開戦後2年半で太平洋上の要衝・サイパンも玉砕、制空権を奪われて急に敗色が強くなってきました。「このままではいかん」憂慮した海軍は戦術転換を首相・東条英機に進言しましたが、単細胞的な彼は耳を貸さない。 それどころか陸軍大臣を兼務して憲兵隊を握り、反対する者を徹底的に弾圧しました。

 イエスマンで周辺を固め、批判する者は「懲罰徴兵」で前線に飛ばされ、前首相の近衛さんまで、尾行・自宅監視がつき、元外相・吉田茂は逮捕され、代議士・中野正剛は切腹(東条の側近・四方東京憲兵隊長は「おれが殺した」といっている)するなどの恐怖政治をはじめたのです。

 東条を引きずりおろして和平の道をつけないと日本は滅亡する、近衛さんなどの重臣、海軍の一部、皇族など宮中の一部からこういった動きがでてくるのは、当然の成り行きでした。なかには、東条暗殺計画まで考えた人もいます。

 もちろん極秘でみんな命がけです。この東条包囲網で、東条が好きだった天皇も政権交代やむなし、と考えるようになりました。あとは、どうやって終戦に持ち込むかです。

 東条辞職の昭和19年7月18日からほぼ1年、東京大空襲があり、沖縄では敗退し、原爆が落ちても、東条の影響力が残る陸軍は、まだ徹底抗戦・本土決戦の姿勢を変えませんでした。和平派は過激な軍人からいつ暗殺されてもおかしくない状態です。

 御前会議は、ポツダム宣言受諾賛成派つまり米内海相など白旗組と、阿南陸相など反対組がほぼ同数でした。鈴木貫太郎首相は討議を途中でうち切り、天皇の発言を求めた結果が終戦のご聖断ということになったのです。

 この決定がなく本土決戦となれば、戦闘の邪魔になる女子供は殺され、天皇は長野の山中に避難し、天皇制の継続は絶望的になったでしょう。 さて、この白旗組と反対組、どっちが真の愛国者でしょうか?。

 当委員会は白旗組に手をあげます。今日の復興と発展は白旗組がいたおかげであり、仮に反対組ならば一体何が残ったでしょう。当委員会は「専守防衛」を肯定する立場(別途言及)にいますが、白旗を軽蔑したり捨てたりするようなことは決してしません。

 なお、ついでながら、中江兆民についてカテゴリまで設けておられる「再出発日記」さんからTBいただきましたので、ここにご紹介しておきます。

2006年1月7日

テロ標的国

 国際テロの封じ込めのカギは「イラク」と「パレスチナ」にある、ということをかねがね考えていたが、その傾向は最近もますます顕著になっているように思える。(以下は1/7『毎日新聞』より)

    「テロ組織にとってイラク侵攻は今でも米国を攻撃する絶好の口実だ。反米感情を抱く若者が各地で組織に加わっている。欧州ではイラクに軍を出す親米国の英国、ポーランドが第一の標的だ。狙われやすいのは米国関連施設、米系のホテルや会社。テロの口実であるイラク占領やパレスチナ紛争を解消することが、最終的なテロ対策」(英ブラッドフォード大ロジャース教授)

   「東南アジアに広がるイスラム過激派ジェマー・イスラミアは、幹部の爆死もあって弱体化しているが、昨年末からも、キリスト教会や西洋人を狙った報復テロへの厳重な警戒が続く」(同紙記者・ジャカルタ)

   「テロ封じ込めのカギは、イラクでの駐留多国籍軍の縮小とイスラム教スンニ派の真の政治参加の二つ」(エジプト・民間シンクタンク=アラビックセンター・アリ所長)

   「米国の中東政策とイラクの実質的占領状態に変化が見られず、小規模グループや個人がアルカイダを模倣し、聖戦思想を体現し危険は増大」(エジプト・アハラム政治戦略研究所ラシュワン研究員)

 日本は中東や中央アジアで覇権を競ったり、同地区の地域紛争に荷担したことが一切なく、白人国でもキリスト教国でもない。本来テロの標的にされるいわれのない国だ。それが自衛隊のイラク派遣で、標的国と紙一重のところに置かれるようになった。

 それにもかかわらず、失政つづきの小泉外交は、アメリカとの一体化を演出する「テロ対策基本法」を策定しようとしている。これは、治安当局がテロ組織やテロリストと認定しただけで、拘束や盗聴などの強制捜査権行使を認めるという、アメリカの法律をモデルにしている。最近はアメリカでもイスラム教徒やアラブ人というだけで人権無視がまかり通る悪法として、大きな問題になっている。

 どうして嫌われ者のアメリカとそんなにベタベタしてまで、テロ標的国になりたいのか。どうして日本には日本の発想を持って、平和構築に貢献しようとしないのか。常任理事国入りでアメリカに冷たくされ、こんどはアメリカにすり寄って新案を作ったら、以前のドイツなど同志国4カ国からも見放され、3カ国+1国案にされてしまった。ああ、世界の孤児。どこからも相手にしてもらえない。こんなことって、日本の近代史上例がないのでないか。

2006年1月8日

旗はた

 前々回、「白旗」も時には必要、という記事を書いた。旗、はた・・・。そういえば♪秋田名物八森はたはた・・・、の「はたはた」の語源はなんだろう。大雪のお見舞いもさることながら、一時絶滅?が心配されたハタハタ、このところ関東のスーパーにも豊富に出回ってきた。まずはご同慶。

 共産党の「赤旗びらき」が今年も行われた。今では俳句の季語にもなってるそうだが、われわれの懐く赤旗イメージは、革命戦士の血で染めた色であり、戦士の屍を包む旗という革命歌の歌詞から来るものである。昔は労働組合旗もアカと相場が決まっていたが、若い人はどこまで知っているだろう。今はメーデー会場に林立する風景もない。

 「軍旗」といえば、陸軍の連隊旗と軍艦旗がある。どちらも日の丸から放射状に16の筋がついている。だが、こまかい違いがあるのかどうかわからない。連隊旗には中味が抜けてまわりの枠につく房だけのものがあった。日露戦争で砲火をくぐったせいだという。天皇から下賜された旗だから、なくしたら当然切腹もの。頭の中にラッパの音とか軍艦行進曲がよみがえってきた人は、70歳以上。

 軍専用ではないが、手旗信号がある。「赤あげて、白あげて・・・」のような小旗を持って、主にカタカナのイロハに似せたような振りをする。無線だってあるのにどうして訓練したのだろう。全く「うんちく」にはならないが、「旗はた」の与太ばなしで、今日は「おひらき」。

2006年1月9日

成人の日

 成人の日は、1948年が最初ですって?。へー、チッとも知らなかった。ということはその年はまだ未成年だから、該当年に祝ってもらった記憶があってもよさそうなのに、全然それがない。20歳の時は勤め人だったし夜学生だったし、誰の保護も受けていない成人であることを疑ってもみなかった。

 現今つらつら考えるに、七五三みたいないいおべべを着せられ、役所のエライ人の話をかしこまって聞いたり、餓鬼のようにひっくり返って騒いだり、よくもまあ恥ずかしくないものだ。おそらく当時の20歳は今の40歳ぐらいの見識とプライドがあったと思うよ。

 小泉チルドレンに不安を感ずるのも、そんなところに原因がありそうだ。昔だったら徴兵検査の年。当委員会は、徴兵制度反対だがそんな所で騒ぎまくっていると「韓国の青年は立派だよ」などといって、徴兵復活になるよ。ホントに。

明治デモクラシー

2006年1月11日

 このところ、中江兆民の『三酔人経綸問答』を取り上げているうちに、明治新政権発足から、同23年(1889)の帝国憲法発布までの20年前後が、日本史上最も自由と民主主義について闊達な議論が交わされた時期ではないか、との思いが強くなった。これには、かつて仕事で国会に先行してスタートした地方議会(県会)などを調査をした経験も重なっている。

 通史では、板垣退助などの自由民権運動や民撰議員論について触れられることはあっても、「大正デモクラシー」のようにそれらを「明治デモクラシー」と呼称することはなかったように思う。ところが、全く同じ名前で坂野潤治東大名誉教授の著書が、去年3月に岩波新書で出ていることを最近知った。

 同書の内容は、現代史に精通していないと難解の部分があり、「大正デモクラシー」や「戦後デモクラシー」との比較検討が妥当かどうか、直ちに判断できるだけの能力はない。しかし、これからこういった視点が現代史の検証に欠かせないものになっていくのではないかと思っている。

 現在の改憲勢力のバックボーンには明治天皇の教育勅語がある。しかしその前、ご一新で文明開化になった、しかし憲法も議会もこれから、という時期に中央・地方を問わず、職業・貴賤を問わずいきいきとした健全で自由な意見発表が飛び交っていたことも知るべきであろう。

2006年1月14日

後継者

 このところ自民党総裁の後継者争いの報道がかまびすしい。安、麻、谷、竹、福それに山、武までからんで大にぎわいである。「政治は一寸先は闇」といったのは古い言葉で、今は「サプライズ」という。首相と幹事長は、「国民に支持される人の方がいい」などといい、安倍官房長官で決まり、みたいな論評もある。

 下馬評の高い人は、裏をかかれて失速するケースもすくなくない。もし首相が安倍に固執するなら、あえて総裁選前の解散だってあり得ることを前にも書いた。史上稀に見る暴挙だが、彼にはすでに前歴がある。野党からも国民からもさしたる糾弾を受けなかった、とあればやりかねないだろう。

 いずれにしても、小泉劇場第2幕はすでに開いている。ひるがえって野党・民主党の影の薄いことよ。自民党の新総裁に対抗する役者の顔が、さっぱりみえてこない。前原氏の対抗馬が誰なのか。噂さえでてこないようでは、マスコミのせいにするわけにいかない。役どころとして小沢氏だけというのはあまりおもしろくないのだ。

 緊張と迫力を欠く野党第一党の現状は、国民と民主主義にとって最大の不幸というべきで、戦わずして敗北するようでは旧社会党と同じ轍を踏むことになるだろう。前原流改憲志向を掲げる民主党に明日はない。落選議員を含め前原氏対抗の烽火を掲げる党員が一日も早く出現し、マスコミの耳目を集めることしか生き延びる道は残されていない。

2006年1月15日

共産党大会

 「首相=田中康夫(長野県知事)、外相=田中真紀子(元外相)、総務相=橋本大二郎(高知県知事)、女性・少子化対策相=福島瑞穂(社民党党首)……。このような閣僚名簿を国民に示し、国会で多数を占めるべく行動できないか」。

 奈良県の党員からの提案である。護憲勢力の社民党だけでなく、民主党の一部や、公明党の支持母体・創価学会との連携を求める声まであった。 以上は、『毎日新聞』(01/15・朝)が伝えた共産党大会の模様を伝える記事からの引用である。執行部がこれに対してどんな回答をしたのか、ネット上をザーと探してみたが、引用をした内容を含め、他(含・赤旗)には見あたらなかった。

 限られた紙面の中でこのことを伝えた毎日の記者とデスクは、ブログの上でも活発な議論と期待がある「中連合論」を意識し、ナンセンスとは思わず報道価値を認めたのだろう。執行部は、おそらく苦笑しながら「お気持ちは理解しますが」といいながら、運動方針の関連部分を棒読みしただけに違いないと想像する。

 しかし、一党員が笑殺覚悟で発言したのは、相当思いつめたうえでのことだろう。これを、全国紙のうちたとえ一紙だけであろうと取り上げているのだ。昨日のエントリー「後継者」の中で、自民党との対抗軸を持てない民社党は、<落選議員を含め党員がのろしをあげよ>と奮起をうながしたのは、まさにこのことをいっているのである。

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2006年1月 4日 (水)

三酔人経綸問答 2

[反戦老年委員会復刻版]

謹賀新年

 この題目は昨年5月9日に一度掲げたことがある。ところが、旧臘28日にエントリーした「誤解」を読み返してみると、前回の取り上げかたが中途半端であったことに気がついたので追加の上再掲する。

 今から120年前の1887年、中江兆民は『三酔人経綸問答』の中で、去年あった状況をあたかも予測していたかのような議論を、「南海先生」「豪傑君」「洋学紳士」三人にさせている。歴史は繰り返すのか、社会が一歩も進歩していないのか、考え込ませる同書であるが、兆民の卓抜した「新しさ」にも改めて敬服する。

 今回は管理人の現代語訳でやや長く引用をするが、岩波文庫に同名のテクストと桑原武夫・島田虔次訳・校注があるので、是非全文を見て当時の国際情勢と現在の比較をお願いしたい。

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 南海先生曰く、(中略)中国のように、その風俗習慣や文物や地勢を考えて見ても、周辺の国々はこれと友好関係を維持すべきで、つとめて恨みを転嫁するようなことを無くさなければならない。産業が発展し通商が盛んになれば、中国国土の広大さと民衆の規模から見て、わが国の販路は無限に拡がり利益の源泉になる。

 これを考えずに、国体を張る、などの観念で些細な行き違いをあおり立てるのは、まるで計画性のない行動に見える。ある論者はこんなことをいう。「中国はもともとわが国に恨みを持っている。こっちが礼を厚くして友好を求めても、周辺他国の関係をうかがいながら、それらまたは欧州強国と協定して日本を餌食にして利益を得ようとしている」と。

 僕はそうは考えない。中国の本心はそんなところにない。大抵国と国の間にある怨恨というのは、「実形」ではなく「虚声」なのだ。「実形」を見れば疑う余地の無いようなことでも「虚声」がそれを恐怖に陥れる。したがって各国間の不信感は、いわば神経病なんだ。青色の眼鏡をかけて見るとなんでも青色になる。僕は常に外交家の眼鏡は無色透明であってほしいと思っている。

 だからこそ両国が戦争状態になるというのは、互いに戦いを好んでいるからではなく、むしろ恐れているからなんだ。我が方が相手を恐れて急に軍備を強化すれば、相手もまた急遽軍備を増強する。相互の神経病はこうして昂進する。その間に新聞などがあって、各国の「実形」と「虚声」を区別せずに並べて書き、なかには、「神経病」に筆を振るい、一種異様に着色して世間に宣伝する者さえでてくる。こうして両国の神経はますます錯乱し、先んずれば人を制すとばかり、戦争の恐怖がその極に至り、自然、戦端が開かれることになる。

 以上が古今万国交戦の実情である。もし仮にその一方に神経病がなければ、大抵戦いに至ることはない。もしあったとしても、その国は戦略上防御を主とし、余裕と正義を手にすることで文明の破壊者としての非難を浴びることがないのだ。
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 上記に対する、豪傑君の疑問・反論もあるのだが、これに関しては次回に述べることにする。

2006年1月5日

三酔人経綸問答 3

 不戦の誓い、非武装中立、日米軍事同盟反対、そして憲法9条遵守、それらの意見や感覚を沈黙させるため、よく使われる切り口上がある。「敵が攻めてきたら何も抵抗せず、ごめんなさいといって白旗をかかげるんですか。女を出せといわれたらその通りにするのですか。それでもいいんですね」といった具合である。

  『三酔人経綸問答』では、洋学紳士君が西欧文明国の道義心や自由主義の進化に信頼を置き、当方は道理と礼儀でこれに当たるべきだという主張をしている。これは憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と相通ずるもので、アメリカの占領政策というより、人類の普遍的な理想として100年以上前から立派に存在していた。

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 文明の本質は道義にあります。それならばどうして無形の道義をもって、兵備としないのですか。自由をもって軍隊とし、艦隊とし、平等をもって要塞とし、友愛をもって剣、砲とすれば天下に敵するものはないでしょう。そうではなく、こっちで要塞を築き、剣、砲を整え、兵備に力をいれるときは相手も全く同じ事をします。そのどちらが多いかで勝ちが決まります。これは算数の問題でだれでもわかる理屈です。なにを苦しんでこの理屈に反したことをしようとするのですか。

 これに対して、豪傑君はいう。 君は狂っているんじゃないか、いや狂っている。いい男が百千万人集まって一国にまとまっているのに、一太刀も交わさず、一発の弾丸も報いず国土を敵に侵略されて何の抵抗もしないとは、狂っているとしか考えられない。僕は狂っていない。先生(南海)も狂っていない。国民のだれも狂っていない、どうして君だけが・・・・。

 博識で進歩的な理想を持ちながら現実主義者である南海先生は、その点を両人から聞かれて次のように答えた。
 
    敵が国際的な評判も気にせず、国際法や国内の議論を無視し、あえてよこしまな心で攻めてきたら、我が方は力をつくして防衛し、国民皆兵の気構えで要衝を守り、あるいはゲリラ作戦を用いれば、地の利と正義が味方し敵愾心の盛んな当方が防衛できないはずはないでしょう。
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 同書に「南海先生胡麻化せり」と小見出しが立てられているように、この単純な問いかけには、先生、やはり答えに窮したものとみえる。そこで、当・反戦老年委員会はどう答えていくのか、討議していかなければならない。

2006年1月10日

三酔人経綸問答 4

 このテーマについては、前回の3の次に「白旗と愛国者」をはさんでしまったので、実質的には今回が5になる。実は、白旗云々はコメントにご指摘をいただいているように、感情次元の問題を論議に取り込んだようなところがあり、やや落ち着きを悪くしている。

 これから述べる「闘争本能論」も、すでに過去のものであるにもかかわらず、感情的な素朴さ故に時々持ち出され、議論を萎縮させていることがあるので取り上げてみた。

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 豪傑君曰く、(中略)そもそも学者は戦争を嫌いそれを理論化しようとするが、実際には避けられないではないか。勝つことが好きで負けることが嫌いなのは動物の本能でしょう。虎や狼はもちろん昆虫にいたるまで、殺し合い獲物としないものはない。

 見てもごらんなさい。生物の中で賢いのは勇猛で、愚鈍なのは臆病だ。アヒルは鳥の中でもっともバカで、豚は獣の中でもっとも愚かだ。アヒルはガアガアいうだけで蹴ったり噛みつくこともできない。豚もブウブウいうだけで同じことでしょう。これらの動物を道徳的といえますか。子供をみてごらんなさい。やっとはいはいができるようになると、犬や猫を見て棒を振るって打ったり、しっぽをつかんで引きずったり、円い顔をにこにこさせて喜んでいるでしょう。

 (中略)争いは人が怒ること、戦いは国が怒ることです。争いができない人はだらしない。戦えない国は弱国です。争いは悪徳だ、戦争は些細なことから起こる、という人がいたら僕は答える。実際に悪徳な人もいれば、些細なことにこだわる国もある。この現実をどうするんですか!!。
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 同書では、洋学紳士君も南海先生もこの意見を「本論からはずれる」といって、あまりまともに取り上げなかった。西欧も当時科学の発展と近代化が進み、また議会制民主主義への道をたどっていた。20世紀に入ると、戦争は昔のような武士や王侯貴族が起こし戦うものではなく「国民国家」が主体になった。したがって国民は、その意思如何にかかわらず戦闘に参加させられ、また攻撃の対象にもなった。その悲惨な結果は、第一次世界大戦が明らかにした。その反省にもかかわらず、第二次大戦を惹起しホロコーストや広島の惨劇を繰り返した。

 兆民の時代ならともかく、今や「闘争本能論」が学問上とりあげられることはまずない。ところがアメリカ大陸で、原住民・アパッチ族を追い回した時代や、世界に通用しない「大東亜戦争史観」を抜け切れていない人がいるので困る。豪傑君ではないが「この現実をどうするんですか!!」といいたくなる。

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