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2005年12月 7日 (水)

EUとアジア

[反戦老年委員会復刻版]

 「読売の社説はどうなの・・・2」様主管のブログで、14日からマレーシアで開かれる東アジア首脳会議に関する4日付読売・社説を取り上げられた。この中にある「東アジア共同体」構想への同紙の姿勢について『「共同体」の形成は非現実的だ。』などと水を差す必要はどこにもないのではないか。とコメントされている。

 これについて、最近膨張や憲法制定でブレーキがかかったように見える欧州共同体(EC/EU)ではあるが、通貨統合までなしとげたEC成立に至る歴史を、かつて西日本新聞欧州総局長を経験された小屋修一氏の著書『欧州連合論』~新パラダイム構築への挑戦~をお借りして報告する。

 欧州統合の理念は、ドニ・ド・ルージュヒンによれば、美王フィリップの顧問法学者ピーエル・デュボアが、欧州の全ての君主に、トルコ軍に対して団結するように訴えた、一連の公開書簡を送った1308年に始まるとされる。

 19世紀に入ってから、当時、欧州最強の陸軍を持っていたナポレオン・フランスに対抗するための国際組織結成の動きもあったが、国家主権が”不可侵”の権力だと考えられていたその当時は”超国家的”国際組織の結成などは思いもよらず、主権への脅威が無くなれば、そのような意欲は、たちまち雲散霧消した。

 だが、20世紀になると、欧州の統合を促す大きな変革が訪れる。それは、欧州を主舞台とする二つの世界大戦であった。(中略:第一次大戦後、その巨大な人的・物的の損害の故に「欧州平和確立のため」の方法論として統合が模索されたが、各国の意見不一致や経済恐慌到来で挫折した。また、第二次大戦では再び悲惨な戦場となり、その被害は天文学的数字に達した)。

 とくに、第二次大戦は、『国民国家が、本来その任務とする安全保障、経済的繁栄、社会的安定を提供することができなくなった』ことを証明し、いわゆる「国民国家」の”神話”をうち砕いたのである。(中略:その間、アメリカは連合国の兵器庫となり、空前の経済的繁栄を実現、またソ連は東欧その他で領土を大幅に拡大するに至った。)

 米ソ二大国の地球的規模での対決・抗争のなかにあって、戦後欧州の再建を果たし、「冷戦」のなかで一定の発言権を確保するためには、バラバラの欧州ではなく、『統合された欧州』『政治的・経済的・軍事的一単位としての欧州』が必要であることは、誰の目にも明らかであった。

 (中略:こうして英国の政権から離れたチャーチル卿の呼びかけなどもあって、欧州連合に向けた組織がぞくぞと生まれるようになった。そのなかで、限定的ながら”超国家的”な組織体が誕生した。)

 この新しい組織体は、「超国家性」を持つ初めてのものとして、人類の歴史上、画期的な意義を有する。その組織体とは、CECA(欧州石炭鉄鋼共同体)である。この組織体こそ現在のEUの萌芽とといっていい。仏、西ドイツなど6カ国などで条約が締結されたのは、1951年4月18日のことである。

 欧州統合の運動に大きな影響を与えた、オーストリアの元貴族R.N.ド・クーデンホーフ・カレルギー伯は、『6カ国の欧州の記録』発刊にあたって、次のように指摘した。
 「自由な欧州諸国民を打って一丸とした「欧州連合」のみが、われわれの大陸を米国、ソ連と新生中国に対し、平等かつ友好的な世界各国家に変容させるだろう。それのみが、世界を脅かしている最悪の破局---核戦争---から世界を救うことのできる「世界連邦」の創設を可能とするものだと考える。」

 以上にみられるように、(1)非常に長い挫折の歴史があり、それを乗り越え、段階を経ながら今日に至った。(2)時の政権というより、自由人的立場にいる人が推進に貢献してきた(上記のほか、古くは哲学者カントの弟子、メッテルニヒ、文豪ヴィクトル・ユゴーなどの提唱もある)。(3)高い理想と崇高な理念に支えられながら、段階的に経済的なメリットを追求するなど、現実的にことが進められた。ことなどを考え合わせる必要がある。

 日本が、読売社説のように狭量で近視眼的発想に閉ざされている限り、世界の孤児となることを免れ得ないのではなかろうか。

2005年12月8日

「共同体・序章」はるか

 昨日エントリーした「東アジア共同体」構想に関連し、『毎日新聞』が今日から「共同体・序章」と題する特集を開始した。第1回目のタイトルは、<「対米配慮」際だつ日本>、<「広域化」望まぬ中国>、<「靖国」こだわる韓国>で、その内容として、米国、インド、EUなどの思惑が交錯する中、主導権争いだけが先行する混沌とした状況を伝えた。その中でEUと関連する気になった部分の引用をする。

  歴史問題を焦点にした韓国の「多角外交」は、すでに始まっている。欧州を歴訪した潘基文(パンキムン)外交通商相は1日、欧州連合(EU)の本部があるブリュッセルで「(EU加盟国で構成する)欧州議会の議員も(小泉首相の靖国参拝を)認めがたいという反応をみせた」と述べた。歴史問題の解消策としても重大な役割を担った欧州共同体(EUの前身)が置かれた象徴的な場所での発言は、小泉首相の靖国参拝が、中韓だけの問題ではなく、ましてや「共同体構想」とはかけ離れた次元であることを暗示している。(後略)【ソウル堀信一郎】

 EUの反応については、伝聞報道なので正確なところはわからないが、靖国参拝の韓国側の主張を支持したということではなく、共同への大目的を前に、首相の私的な行動で進展をさまたげている事実について、疑義を差し挟んだものと解釈してよさそうだ。

 これを、小泉個人が招いた一時的な現象として見過ごしていいのだろうか。アジアのつまはじき者となり、アメリカへの傾斜をますます深めなければならないようなところへ追い込まれることが、日頃の小泉発言からみて、果たして杞憂といいきれるのだろうか。

2005年12月13日

東アジア共同体

 文字入力の際、「東アジア」でなく「東亜」なら楽なのになあ・・・、と思ったが、これは「大東亜戦争」とか「大東亜共栄圏」を連想させるから、マスコミが使わないようにしているのかも知れない。漢字の国・中国では、当然「東亜」を公式用語にしている。

 「大東亜共栄圏」は戦中、日本政府が勝手に唱えだしたものだが、昭和15年7月26日に「基本国策要項」として取り入れられた。天皇の御稜威(みいつ=御威光)のもと、八紘一宇(四方八方、世界中を一つの家)のように栄えようという趣旨で、日、満、華のほか、現在のASEANを構成する地域に、豪州、ニュージーランド、インドまでを範囲に入れた。

 満州とタイをのぞき、ほとんどが敵対国またはその支配下にある国と地域で、帝国主義的野望(当時は、植民地解放などいっていなかった)を秘めたものととられても仕方がない。特に中国とは交戦中で、「国民政府は相手にせず」と声明し、満州のような傀儡政権の実現を画策していた。

 この点今回の「東アジア共同体」とは全く異質であるにもかかわらず、報道されているところを見ると、各国とも国内の右派勢力を気にした国家主義的主導権争いが主で、何を求め、何を実現させるのかという議論は、全くといっていいほど交わされていない。ことに日本と中国は、同床異夢どころか同床さえほど遠く「百年河清をまつ」といった状態だ。

 EUが今日に至るまでたどった長い歴史について既述した。その中で国家より在野の文化人など個人の提唱や働きかけが小さくないことを知った。現在、中国でも国際的に活動するNGOの存在がクローズアップされるようになってきたという。日本も小泉首相やその亜流では、主導権どころか歴史の流れにも乗り遅れること必至だ。やはり、国家主義を全面に押し出す政府ではなく、平和友好を前面に掲げるNGOなどに期待を託すしかないのだろうか。

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