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2005年12月

2005年12月12日 (月)

マンションの危機

[反戦老年委員会復刻版]

 構造計算書偽造事件は、早く幕を引きたがっている政府の思惑をよそに、問題の深刻さが徐々に広がっているようです。現在、建物の強度だけが問題視されていますが、マンション購入希望者は、次のようなことにも用心した方がいいと思います。

 マスコミなどで指摘され明らかになってきましたが、建築設計ではデザイン担当設計者が最大の権力を有し、構造担当と設備担当は、その指示に従うならわしで発言力も小さいといいます。

 今回は構造ですが、設備も電気、ガス、給排水、空調、防災など、生活に直結し、場合によれば命に係わるような重要な部分が含まれています。建物の居住空間確保やデザインが優先され設備が犠牲になると、こんな事例もおきます。

 ・ダクトやパイプ・シャフトの位置や口径が十分とれない、あるいは急角度の曲がりを取るため、

 ・寝室の隣に排水管が通り、上階からの排水音に悩まされる。

 ・配水管の経の細さと流路の関係で、たまった泡が逆流、シンクから吹き出す。</li>

 ・光ケーブル、アンテナ、電力・電話線などを増設したくてもできない。

 ・排気ダクトの能力が足りず、火災報知器がよく誤作動する。

 ・点検口などが不十分で補修が困難。

 まあ、震度5で崩壊するよりいいでしょうが、そんな欠陥は建築基準法の対象外だったり、見た目ではわかりません。専門的な経験・知識がないとチェック不可能だと思います。だから、よほど信用のおける業者を選ぶしかない訳ですが、今時はトップクラスの企業でも倒産する時代ですから、安心できません。

 官から民だけではなく、安心してマンションに住めるようなチェック・システムが構築されるまで、マンション購入を手控えるのも仕方がないでしょうね。(なお、私は専門家ではないので質問はご遠慮ください)。

2005年12月14日

秋葉原

 久しぶりに秋葉原を訪れた。青果市場跡や貨物駅跡などを再開発して高層ビル街ができ、つくば新線の地下終着駅も加わって面目を一新した。しかし、山手・京浜東北線をまたいでいる総武線のホームなどはほとんど昔のまま。厚い鉄板の橋脚にびっしり打ち込まれたリベットなど、そのまま昔の工法が見学できる博物館のようだ。そして、ガード下や昌平橋方面にあるハモニカのように区切られた電気街もどっこい生きている。

 安売りからマンモス店に成長をとげた○○カメラも、駅に隣接して新築した大型ビルで営業を開始した。そして上階の1フロアだけ20店ほどが妍を競う食堂街になっている。いままでは秋葉ではメシを食う適当な店をさがすのに苦労したが、その点で助かる。ところが、そこの電気関係売り場は感心しなかった。同じ品物がうず高く積んであるのだが特殊な物は置いてなく、あまり安いとも感じられなかった。

 結局、特殊な部品は従来の電気街をまわって見つけるしかなかった。終戦後まもなく、田舎からわざわざ上京して、ここのジャンク街といわれた店先をあさったことを想い出す。お目当ては旧日本軍の放出品や米軍の払い下げ?品だった。真空管など民生品の3分の1の大きさで3倍の性能があった。スイッチなども性能抜群で頑丈、そしてかっこいいのがなによりの魅力だった。

 いま思うと、実用と手作りの趣味を兼ねた最高の娯楽を秋葉が与えてくれていたのだろう。古くてなつかしい秋葉は、このさきも永劫に残っていてほしいものだ。

2005年12月15日

無理と道理

 「靖国参拝を批判することは私はいまだに理解できない。誤解があるんじゃないか」とか、「日米関係が緊密であるほど中国、韓国、アジア各国とも良好な関係が築ける」など、アジアに関連した首相の発言が続く。

 いつものことながら、感想または啖呵のレベルの話で、外国人の混じる席で公式の発言としてははなはだお粗末ではずかしい。靖国参拝は国内どころか党内にもある多くの反対意見まで誤解だというのだろうか。完全な論理のすり替えで、首相自身、韓国・中国がいずれ理解するなどと思っていないはずだ。日米関係も、最近の追随外交への批判の目をそらす国内向けのプロパガンダであろう。したがって、アジア各国から評価される要素はなく、外交上の影響力を減じても増すことはないと見る。

 このような論理をわきまえない発言にだまってしまう、日本の言論界、政界はどうなっているのだろう。戦没者慰霊施設の議員連盟が早くも後退し始めるなど、「無理が通れば道理がひっこむ」的な現象にだれが終止符をうつのだろうか。また、こんな発言で「いずれは外国の誤解もとける」などと思っている総理であれば、一刻も早く退陣してもらうしかない。

 このことは、たとえ「ごまめのはぎしり」であっても、当委員会として訴え続けていかなければならない。

2005年12月17日

独善と詭弁

 前回の「無理と道理」の続きである。今年も残すところ僅かになったが、今年ここへ来て、はじめて小泉首相の手法と本音の部分が鮮明になってきたように思う。それについて、日本の将来に危険をもたらす可能性を指摘し、折にふれ事によせて異議申し立てをする意見が多くなってきたのは確かだ。しかし、映像を意識した首相独特のパフォーマンスの方に、まだ多くの目が向いたままであることもまた事実である。

 いただいたコメントの中に、首相について「ジコチュウ」という表現があった。「犯行の動機は自己中心的で卑劣・・・・」という凶悪犯に対する判決文がこのごろやたらに多いが、最高権力者の発想であれば「独善」ではすまされず、国民が凶悪な犯罪なみの被害を受けないとも限らない。独善と詭弁は、裏腹をなすものだが、最近のアジア首脳が参加する会議に関連した記者会見での靖国発言を見てみよう。

 「総理大臣である小泉純一郎が独自に参拝」個人の資格で参拝した、といいたいのだろうが、総理大臣である、とそれ以下は二律背反する。個人の参拝なら「総理大臣である」などと付け加える必要はない。あえて付け加えることで賛否双方の理解が得られると思うのは、首相の独善でありそれを正当化しようとする試みは詭弁である。

 「過去の戦争の(動機を正当化している靖国神社の施設)見解を支持しない」「二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで・・・」これらのほか、侵略戦争を肯定した「村山談話」も支持するといっている。

 しかし、首相の靖国参拝を推進しようとする勢力が、A級戦犯合祀を支持し、戦争を合理化し、中国・韓国との妥協排除をねらいとしていることは、誰の目から見ても明白であり、この先その路線にスイッチする意図を疑われても仕方がない。

 そして自らを「日中友好・日韓友好論者」といい、「一つの問題で対立関係があっても友好関係は維持できるはず」などという。首脳会議が開けないような状態は、全く相手の行為に起因している、といわんばかりである。このような論理のすりかえやレトリックの多さは、前回も指摘したとおりである。

 ペルーの元大統領の処置について、同国と対立が生じたが、友好関係には関係のないことを例に挙げて説明したようだ。だが、中国・韓国の歴史に残る両国民が受けた深い傷跡と同列におく無神経ぶりが、どうして友好的態度といえるのだろうか。独善と詭弁もさることながら、最近は、前原民主党代表と同様、戦争の空しさ悲惨さを実際に体験したことがないこと、さらに世界の歴史や人類に対する深い洞察力・想像力に欠ける「ジコチュウ」のせいではないかと憂慮している。

2005年12月18日

昔はよかった?

 「反戦老年委員会」などというタイトルをつけ、毎日1件を目標に記事をつづるとなると、どうしても「懐古趣味」「ぼやき」「政治・社会・時流批判」など、「昔はよかった・・・・」風の内容になりがちである。それは意識して避けたいとは思っているが、なかなか思うようにはいかない。

 そこで「いまの方がいい」事柄をテーマにしたいなあ、と今朝寝床のなかで考えた。しかし、「そうだ!駅の便所がきれいになった!」と思っただけで、その先になかなか進まない。衣食住、医療、平均収入その他もろもろ、昔と比較にならないほどレベルがあがった。しかしそれでみんなが幸せになれただろうか、というと考えこんでてしまう。

 こうしてキーボードを操ることにより、ネットの世界で獲得できる情報量は無限といっていいほど増大した。これはものを書く私にとって、まさに革命的な便宜であり変化である。正直なところ、国会図書館などで資料をあさりにいく回数は確実に減った。しかしそれがいいことなのか、といわれるとどうも自信がない。

 同窓会仲間などと連絡をとりあうとき、メールのやりとりができると非常に便利なのだが、実現できないしこれからも無理だろう。各家庭にパソコンがあっても自分で操作する気がないやつがほとんどなのだ。情報格差は確実に開いていく。しかし、同窓会での話題には何の不自由もない。

2005年12月19日

天皇中心神の国

 「日本は天皇を中心とする神の国である」といったのは、前・森総理大臣である。当時、あまりにも軽率な発言であるとして批判された。しかし、小泉首相が同じ事をいま発言したとすればどうだろう。「どこがいけないのか、どうして批判されるのか、わたしにはさっぱり判らない」などと、とぼけられかねない。

 小泉チルドレンや陣笠大臣たちが「小泉さんがそういうのなら、それが正しいんでしょ」などとなってしまったら、それこそ「日本史もオシマイ、勉強も研究も必要なし」(戦前の一時期はそうだった)、ということになってしまう。そこで、すこしお勉強をしておこう。

 「天皇は神」を最初に打ち出したのは、壬申の乱に勝利し、大豪族の追放に成功した天武天皇(在位672~686)である。御用歌人・大伴御行などが「大君は神にしませば・・・・」などという追従の歌がでてくる。だけど、まだ大君(おおきみ=王のなかでも抜きでた存在といった意味)と呼ぶならわしが残っており、絶対的権威を示す天皇(すめらみこと)が普及するのは、このあとのことである。「倭」から「日本」、「大君」から「天皇」と用語改革が進むのは、『日本書紀』が完成する720年にかけてであろう。

 しかし、その頃から藤原家の権勢が強まるとともに、天皇親政も危なかしいものとなる。「神」より「仏」が幅をきかし、奈良の都は完全に中国の模倣。平安時代も天皇中心の神の時代にはほど遠い。そして保元元年(1156)、鳥羽院の死去をもって「後ムサ(武者)ノ世ニナリケル」と、愚管抄が書き記した。それから武者の世が徳川慶喜の大政奉還(1867)まで続く。

 こうして見ると、天皇氏の系譜を最も長く見て1800年としよう。そのうち「神がかりの権威」をもって日本の政治をとり仕切ったのは、天武時代の20年そこそこ、倍に見ても40年。それから明治維新から終戦まで78年、合計100年前後で18分の1にしかならない。「天皇中心の神の国」というにはほど遠いのがわが国の真の姿だ。

 だからいけない、などとはいわない。すくなくとも日本人は、まがりなりにも1000年以上にわたって天皇を大事にしてきた。そして国民の破滅的な危機を天皇の名で回避したこともあった。それだけでいいのだ。なにも「神の国」や「現つ神」にして国粋主義の道具に供し、破局を招く愚を繰り返すことはない。

2005年12月20日

怨念と虐殺

 日中間で歴史認識の争点に、いわゆる「南京虐殺」問題があり、また日本の侵略行為に対する「怨念」の感情がある。しかし、今日は取り上げない。最近見たテレビ特別番組に、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に関連するものがあった。その印象を述べてみたい。

 ボスニア・ヘルツェゴビナを舞台とする内戦は、1992年から95年、ちょうど10年前に収束し、その間イスラム系住民を中心に約8000人が虐殺されたという。最近、法廷に提供された内部告発によるビデオも放映され、セルビア人部隊が後ろ手にしばりあげた無抵抗の若者たちを、虫けらのように銃殺していく光景や、民族浄化を目論む無惨な謀殺の手法も目にすることができた。

 セルビア人勢力は同国では少数派だが、隣接する本国のミロシェビッチから支援を受け、同地の約3分の2を支配するに至った。これに対して国連軍がイスラム系避難の安全地帯を作るため派遣されるが、予算不足のため必要人数の3分の1にけずられるとか、意志決定手続きの不備も重なって、NATO軍による空爆に効果があがらないなど、「頼りにならない国連」の姿も紹介された。

 虐殺を指揮した事実上の虐殺部隊長は、現在逃亡中というが、ムスリムを前に「オスマン・トルコの恨みを晴らしてやる」とわめいていた。この地域は過去の歴史の中で、民族、宗教紛争の絶えないところだがオスマン・トルコといえばコソボの戦いで当地を追い出された600年も前のできごとだ。もちろん本人にそんな体験も実害もあったわけではない。

 ユーゴスラビアが崩壊するまでは、ムスリム、セルビア人、クロアチア人が混乱なく生活していた。虐殺のあった村でも、モスクと教会が隣り合って建っているし、相互の婚姻関係もあった。要は、宗教問題・人種問題というより、政治的思惑で相互のにくしみをたきつける者がでてくる、そして殺しの連鎖反応が始まるとあとの口実はなんでもいい。ついに6世紀前の怨念まで持ち出して、殺人や大量虐殺を正当化してしまう。

 戦争というのは、そんなもなのだ。

2005年12月21日

来年また解散?

 「選挙がすんだばかりじゃない・・・」というなかれ。戦後23回解散があったが、吉田茂首相の「抜き打ち解散」から「バカヤロウ解散」までが6か月半、大平正芳首相の「ハプニング解散」の前が8か月を含め、2年かそれに満たない期間で解散したことが6回もあった。首相が持つ特権・解散権は原則的にもっとも首相の都合のいい時期に行使される。「早すぎる」といっても抵抗はできない。

 自民党総裁選の行方がその鍵をにぎる。もし、小泉首相が安倍官房長官を次期後継総裁候補とし、一挙に改憲へなだれ込もうとするなら、総裁選前の解散ということもあり得る。なぜなら、総裁選で無理に安倍に持っていこうとすると、党内の対抗馬との比較でキャリア不足や若さが邪魔をして苦戦するかもしれない。

 今年の衆議院選の余勢をかりて、武部幹事長と安倍を先頭に立て、2匹目のドジョウをねらう。こんどは、郵政ではなく憲法である。そして抵抗勢力は、ずばり公明党。公明党議員のいる選挙区には刺客を立てる一方、民主党を切り崩して前原代表以下過半数を味方につけて大連立を目論む。護憲勢力がもたついている間が勝負だ。

 さあ、護憲勢力はどう対抗するか。民主のリベラル派や社民出身者のうち、前原組とたもとを分かたざるを得ない者もでてくるだろう。菅さんも悩んでいる暇などない。護憲本家の共産・社民も、今度こそ腹をくくらなければならない。死票を許すことは改憲に手を貸すことだ。民主・公明の候補予定者にアンケートし、憲法を守り海外派兵に反対する有力な候補には、場合によって票をまわす。こうした総力戦で議席の3分の1以上を確保するしか方法がない。

 こんなことも今から考えておいてほしいなあ。[反戦老年委員会]

2005年12月24日

「保守」の真髄 1

 戦後の政治を2分してきた「保守」と「革新」は、ことばとしてすでにその意味を成さなくなった。「革新陣営」を以て自認する共産・社民の政策が最も保守的であり、「改革」街道を突っ走る小泉・自民党の革新ぶりには、大きく水をあけられた。

 しかし自民党員の多くは、「保守陣営」であることに疑いをもたず「保守本流」をとなえて誇りにする人もいる。自民党の保守思考は、大きくいって二つある。ひとつは戦前回帰の心情、もう一つは共産主義・社会主義への敵意である。

 戦前回帰といっても、自由主義はすでに戦前をはるかに超えて実現しているので、戦前の社会秩序、教育、倫理、家族制度それに皇国史観や歴史認識などへの郷愁が基礎になっている。

 現在の政治家に戦前の体験を持つ人がほとんどない。しかし戦前回帰に熱心な政治家が、東条内閣の閣僚、戦前の右翼出身首相、その他戦前の有力政治家の二世、三世またはその系譜につながる人々であることが気になるところである。

 反共・反社会主義も戦前からあるが、戦後はこれと全く別のものと解釈した方がいい。戦前の左翼指導層の復帰はあったが、旧支配層や農村地主階級などを「保守反動」として攻撃するパワーは、現場労働者であり復員兵士であった。

 革命に対する危機感が遠のき、冷戦の激化や安保闘争を経る中で、保守層は、平和運動や差別撤廃運動などを共産主義や反権力思想につながるものと危険視するようになる。さらに、一般の教育に対する不満を日教組の存在に求め、右翼を動員して総攻撃に転じた。

 つまり、当時「革新」と呼ばれる一団に対抗する意味で「保守」を称したのである。前置きが長くなったが、本来の「保守」の意味は何か、また「保守政治」はいかにあるべきかについて次回に考えてみたい。

2005年12月25日

「保守」の真髄 2

 「保守主義」で思い浮かぶのは、やはりイギリスの保守党である。党として150年、それを上回る議会政治の経験の中から、当然学びとるものがあるはずだ。政治学的分析をする知識はないが、その根幹をなすものは、 <国民を幸せに導くよい伝統を守り、保っていくことを第一義とし、経験を重視する。また、急激な改革を避ける>ことと考える。さらに、中断されていた政策を復活させ、過去に復すること、サッチャー元首相のように、それを急激に実現させるという手法も含まれるだろう。

 ひるがえって、わが国の現状はどうか。小泉改革の「官から民へ」は、決してわが国の伝統に回帰したものではなく、むしろ逆である。それどころか、アメリカの模倣とか圧力のもとで進んだとあれば、「保守」とは全く縁のない無定見の追随政策としかいいようがない。

 イギリスは目下労働党政権下だが、アメリカナイズして、王制とか貴族制度の風習を抹殺しようなどとは考えていない。むしろEUの中にあっていかに独自性を保ち、主導性を保つかに腐心しているのである。こういった、いい意味での「保守」の核心(真髄)が今の自民党にはない。

 次に、自民党の戦前回帰への郷愁であるが、日本の歴史、文化、自然を大切にし、アイデンティティーを確立することの重要性は論をまたない。狭い列島の中で地震、津波、台風など向き合い、棚田を作って食糧を自給してきた伝統に、もっと目を向けなければならない。

 しかし、科学的根拠のない皇紀2600年とか、神武始祖の万世一系論、明治以来の帝国主義的富国強兵論だけに埋没した偏狭な史観を振りかざすのでは、むしろわが国本来の伝統・美点を見失うことになる。さらに、時代錯誤というべき小児病的な「反共思想」から抜けだせない限り、これから先、真の「保守政党」を標榜する資格はないといっていいだろう。

  最後に自民党の名誉のために付け加えておく。自民党の保守性を「戦前回帰」と「反共」だけにしぼって批判してきたが、その枠にはまらない立派な政治家も当然いた。その筆頭はイギリス大使の経験を持つ吉田茂首相だろう。

 首相では、幣原喜重郎、大平正芳、三木武夫各氏があるがいずれも短命または支持基盤が弱く、実績を残せなかった。また首相に名を残さない警世家も決してすくなくなかった。しかし今は「小泉ファシズム」の前にその姿を消してしまった。

 この先、「保守の真髄」を発揮できる政治家が生まれるかどうか、また、老政治家・中曽根康弘、宮沢喜一両元首相の評価がどう定まっていくのか注目していきたい。

2005年12月26日

体感治安

 「野良狸の巣」さんの「報を判断すること」を見て、やはり投稿する気になりました。それは「犯罪認知件数減っても・・・ジワリ悪化体感治安」という昨日付『毎日新聞』の記事のことです。簡単にいうと「実際の犯罪件数が減っているのに、世論調査では<治安が悪い方に向かっている>と答える人が増加している」という、奇妙な社会現象をいっています。

 同紙では「小学生殺害・凶悪少年事件続発が原因?」という見出しも立てていますが、今年(11月まで)に子供が被害者になった犯罪は、全体の17・5%で、前年同期に比べて2万6141件(7・9%)少ない30万4216件、殺人など凶悪犯も12・2%減少しているのだそうです。

 私がうすうす感じていたことですが、やっぱり!と思いました。TVのニュース番組の執拗な報道に世間が過剰反応しているのです。同じ特番でこんなのもありました。小学校の講堂で「どうやって身を守るか」の訓練が映し出されました。父兄の悪漢役が子供に「可愛いね、名前はなんというの?」と話かけると、「名前はいえません」と答える。そして、悪漢役が一歩でると一歩さがる・・・などと、予防対策何か条かを大声で唱和する始末。

 カメラを振ると、いましたいました。講堂の片隅に臨検の警察官、いや失礼!ご指導の警察官が。こんな世相をどう考えたらいいのか、野良狸さん同様結論付けできません。ただ、体感治安悪化をいいことに、報道や表現の自由を束縛する法案を通すことには断固反対しますし、構造計算書偽造の犯人さがしは、とことんやってもらいたいと思ってます。

2005年12月27日

『北越雪譜』

 北越の商人、鈴木牧之が書いた『北越雪譜』は、天保8年に売り出されて大変な評判となり、江戸市中でもこの本を置かない貸本屋には客が来ないといわれた。羽越線で特急列車転覆死傷事故があったので、同書から暴風雪の恐ろしさと、若夫婦と乳児遭難の「さわり」を紹介する。
 (漢字の一部をひらがな表記)

 (雪ふぶき)は樹などに積りたる雪の風に散乱するをいふ。其状優美ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹といひて古歌にもあまた見えたり。これ東南寸雪の国の事也。北方丈雪の国我が越後の雪深ところの雪吹は雪中の暴風、雪を巻騰ぐるつぢかぜ(旋風)也。(中略、以下3人の遭難)

 美佐嶋といふ原中に到し時、天色にはかに変り黒雲空に覆ひければ夫空を見て大に驚怖、こは雪吹ならん、いかがはせんとためらふうち、暴風雪を吹散事巨濤の岩を越るがごとく、つちかぜ雪を巻騰て白竜峰に登るがごとし。朗々なりしも掌をすへすがごとく天怒地狂、寒風は肌を貫の鎗、凍雪は身を射の箭也。夫は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹きちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟という間に眼口襟袖はさら也、裾へも雪を吹いれ、全身凍呼吸迫り半身は已に雪に埋められし(中略)次日は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかかりしに、かの死骸は雪吹に埋られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にききければ人々大に怪み、おそれて逃んとするも在りしが、剛気の者雪を掘てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕たり。さては昨日の雪吹倒れならんとて皆あつまりて雪を掘、死骸を見るに夫婦手を引あひて死居たり。児は母の懐にあり、母の袖児の頭を覆ひたれば児は身に雪をば触れざるゆゑにや、凍死ず、両親の死骸の中にて又声をあげてなきけり。
  この前の大停電を私は人災といった。しかし個々に襲いかかる暴風雪の脅威には、想像を絶するものがある。「雪女」などという妖怪に恐怖を託した由縁でもある。雪国の人がこの災害から身をまもるには、警報がでたら外出をひかえるしかない。上述の災難は、実家の両親に初孫を見せようと、わずかの晴れ間をみてでかけたことによる。

2005年12月29日

今年と来年

仮想定例委員会(出席者:硬、乙、平、停)

*平 しばらく委員会を留守にしていたらとうとう年末ぎりぎりになった。今日は納会ということで放談会にしよう。まず、今年をどう見るというところから・・・・。

*硬 よくも悪くも歴史に残る年だね。

*停 やはり、郵政選挙とか靖国問題とか、小泉がらみになりそうだ。

*乙 公(おおやけ)のトップに立つ人が「私」を前面に押し立てて成功したというのは、たしかに前代未聞の珍現象だよ。靖国参拝の「総理大臣である小泉純一郎個人として」、「どこがいけないのか”私”にはわからない」、「人生いろいろ、会社もいろいろ・・・・」、「私が適切に判断します」など、本来なら批判されそうなことが、逆に受けている。

*平 世間でもあるよね。エライ人が私生活のことをしゃべると急に身近に感じたりして。一種の目くらましだよね。

*乙 東条英機も早朝町を散策しながら、ごみ箱をチェックするなど庶民の関心を得ようとした。だけど2、3年後にはそんなことが一般に通用しなくなってきた。小泉もそこを察知しているから任期の歯止めをかけた。東条は総理大臣の独裁体制を確立する中で自爆国家を作ろうとしてねばった。

*停 結局、重臣とか宮中とか海軍の一部とかが暗殺計画までたてて、天皇を口説き、引きずりおろしたんだろ。

*硬 今は重臣?などが暗躍してもだめだね。たとえ半分でも「国民の総意」にしてしまうから。ちょっと前まで「三木おろし」なんかが簡単にできたけど、どっちがいいのか?。

*乙 わからないねえ。私はたとえ不安定であっても政権交代というのはしょっちゅうあったほうがいいと思う。一回の選挙で国の方向性がきまり、国民のチェックが利かなくなるようでは、戦前よりまだ悪い。

*平 ところで、来年はどうなる。

*停 小泉から安倍の線が、既定路線のように見えてきたねえ。人事はおくびにもださない、という鉄則もなくなったみたい。

*乙 来年前半はこのままいくんだろうな。野党も波乱要因にはなりそうもないし。ただ後半、自民党総裁安倍後継ということになっても小泉体制継承にはならない。キャラクターが全然違うから小泉をそのまままねしても成功しない。
 また小泉院政といっても、みずからが先輩軽視路線を作っているからそう勝手なこともできない。やがて再来年の参院選を前に大動乱ということになりそうだ。

*平 そうすると、当ブログに書いた「来年もまた解散?」という線があるわけか。なにしろ今年の「自民圧勝」の予測が当たったからね。

2005年12月29日

誤解

 「日米同盟の強化や憲法改正を通じて、日本は軍事大国化を目指しているというのは、誤解である」、「首相の靖国参拝が、戦争を美化し友好関係を損ねているというのは、誤解にもとづいている」などという弁明をよく聞く。そうだろう。いってる本人にしてみれば、掛け値なしの本心かも知れないし、私もそう思う。

 だけどこういった人達が「中国の軍備拡張は、わが国にとって脅威となる」などというのは、誤解ではないし、いかにも差し迫った真実であるかのようにいう。国情が違い立場も違う国同士に、「誤解」はあってあたりまえだしない方が不思議だ。

 しかし考えてみてもほしい。どんな戦争も最初の火種は、ささいな「誤解」に始まっている。また、それをあおり立て油をそそいで「人類の愚行」に走らさせてしまう好戦分子がどこにでもいる。結局何ものも得られず、大きな傷跡を残すだけになってしまうのは、イラクであっても同じだ。

 ブッシュが懸命に成果を説き、勝利を印象づけようとしていることを見れば、それが判るだろう。戦争は、ささいな「誤解」と時の「はずみ」で起きることが多い。来年は、「誤解」を拡大・強調する年ではなく、「誤解」をせせら笑う年になってほしい。

追記 ブログ『マガジン9条』が憲法9条に関する国民投票企画</a>を開始した。結論はどうあろうと、関心を引きつけるにはいい企画だと思い、投票に加わった。

2005年12月30日

酉→戌

(映像:略)  日頃、ご多忙中にもかかわらず本委員会の傍聴を賜り、光栄に存じます。来春も相変わりませずご来光くださるようお待ち申し上げます。

      反戦老年委員会

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2005年12月11日 (日)

拾った話2件

[反戦老年委員会復刻版]

*予科練*

法事の前の席で。

   住職 仏は軍隊に入ってなさったはずだなあ、陸軍かね海軍かね?(遺族の方を見ながら)。

    未亡人と施主の長男  「・・・・・・・」(顔を見合わせて首をかしげる)。

     故人の本家の老人  あれは「予科練」だったはずだがのう、たしか。

     隣の老人 そうだ、うちには写真もある。例の「七つぼたん」の。

     住職  それじゃあ海軍だ。家には写真も置きなさらなかったかね。

 ♪「若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨 ・・・・・」の歌と映画で日本中の少年が浮かされあこがれた予科練。その出身者であることを妻にも子にも話さず墓場まで持っていった故人の心境を、いまさら推し量るすべがない。

 出身者24万人のうち18万人が戦死したという事実、戦後、一部の出身者が「予科練くずれ」といって、闇屋や暴力団など暗黒街を闊歩したことなどがあるが、故人はそれらを完全に封印して幸福な家庭を築くことに専念し、最後は某流通関係の社長として社会に貢献した。次は続く宴席で出た話。

 彼は子煩悩で、物が出回り始めた頃、当時学校などにも置いてない高価な天体望遠鏡を長男に買い与えた。その一方、近隣校との間で集団による喧嘩があると聞き、息子を押しとどめるどころか、「しっかりやってこい」とばかりけしかけた(「無法松の一生」にあるような話だが)。そして、かげでこっそり包帯や薬どを持ってあとをつけたという。

*陸軍病院*

  イラクに派遣されたアメリカ兵のPTSD(ストレス障害)に関連して、旧日本軍の扱いをとりあげ、精神に障害を持つ軍人を集中的に収容したところが、国府台陸軍病院であることを記事にした。

 このたび終戦前後、国内の別の陸軍病院に入院していた元軍人(80歳)の方から、次の話を聞いた。「あの病院は、入ったら出られない病院として恐れられていました。精神病というより、左がかった人も送られていたんです」

 彼は声を落として、それ以上は語ろうとしなかった。それは入院仲間の間でかなり有名な話だったようで、同病院からの転院者の話もあったとすると信憑性より高いことになる。そうすると、昨今話題となっているアルカイダ等の捕虜収容施設を米国以外の各地に作り、ひそかに拷問が行われているのではないか、という疑惑をどうしても想起せざるを得なくなるのである。

2005年12月22日

暮れの豪雪

 関西で父を失った我が家の母子3人は、越後で同じ年の春(昭和19年)、出征した叔父の留守宅に住むことになった。叔母のもとには、乳飲み子を含む3人の子供がいて、合計7人の世帯である。

 越後では豪雪地帯のうちに入らないこの地域だが、一晩に80Cm~1mと降り積もる雪で家がきしみ、ふすまが動かなくなる。中学1年になった私は、唯一の男手として屋根にのぼり、初めて雪下ろしをした。瓦を傷つけないように、雪をすくいながら落とすのは結構重労働で、動けなくなるほど疲れる。その年は暮れまでに2、3回それを繰り返した。

 大晦日の深夜、叔母とマントをかぶるようにして家をでた。叔父の武運を祈る二年参りのためだ。玄関をでるとすぐ雪の階段を4、5段のぼる。人家が向き合っている狭い道は、落とした雪で軒に届く高さになっている。おまけに道の中央は凍り付いてすべりやすく、馬の背を歩くようだった。

 灯火管制下にもかかわらず、どの家からも明るい光がもれ、雪を照らしていた。鎮守の八幡様も人々でにぎわっていた。叔母の祈りには及ばぬものの、私も必死で祈った。6人の婦女子を守るというと大げさだが、不安だし正直なところ叔父に早く帰ってきてほしかった。

 その翌年、すでに戦争は終わっていた。雪も積もったが前年ほどではなかった。叔父の帰還も日々絶望に近づきつつあった。この年、二年参りに行った記憶はない。

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2005年12月 7日 (水)

EUとアジア

[反戦老年委員会復刻版]

 「読売の社説はどうなの・・・2」様主管のブログで、14日からマレーシアで開かれる東アジア首脳会議に関する4日付読売・社説を取り上げられた。この中にある「東アジア共同体」構想への同紙の姿勢について『「共同体」の形成は非現実的だ。』などと水を差す必要はどこにもないのではないか。とコメントされている。

 これについて、最近膨張や憲法制定でブレーキがかかったように見える欧州共同体(EC/EU)ではあるが、通貨統合までなしとげたEC成立に至る歴史を、かつて西日本新聞欧州総局長を経験された小屋修一氏の著書『欧州連合論』~新パラダイム構築への挑戦~をお借りして報告する。

 欧州統合の理念は、ドニ・ド・ルージュヒンによれば、美王フィリップの顧問法学者ピーエル・デュボアが、欧州の全ての君主に、トルコ軍に対して団結するように訴えた、一連の公開書簡を送った1308年に始まるとされる。

 19世紀に入ってから、当時、欧州最強の陸軍を持っていたナポレオン・フランスに対抗するための国際組織結成の動きもあったが、国家主権が”不可侵”の権力だと考えられていたその当時は”超国家的”国際組織の結成などは思いもよらず、主権への脅威が無くなれば、そのような意欲は、たちまち雲散霧消した。

 だが、20世紀になると、欧州の統合を促す大きな変革が訪れる。それは、欧州を主舞台とする二つの世界大戦であった。(中略:第一次大戦後、その巨大な人的・物的の損害の故に「欧州平和確立のため」の方法論として統合が模索されたが、各国の意見不一致や経済恐慌到来で挫折した。また、第二次大戦では再び悲惨な戦場となり、その被害は天文学的数字に達した)。

 とくに、第二次大戦は、『国民国家が、本来その任務とする安全保障、経済的繁栄、社会的安定を提供することができなくなった』ことを証明し、いわゆる「国民国家」の”神話”をうち砕いたのである。(中略:その間、アメリカは連合国の兵器庫となり、空前の経済的繁栄を実現、またソ連は東欧その他で領土を大幅に拡大するに至った。)

 米ソ二大国の地球的規模での対決・抗争のなかにあって、戦後欧州の再建を果たし、「冷戦」のなかで一定の発言権を確保するためには、バラバラの欧州ではなく、『統合された欧州』『政治的・経済的・軍事的一単位としての欧州』が必要であることは、誰の目にも明らかであった。

 (中略:こうして英国の政権から離れたチャーチル卿の呼びかけなどもあって、欧州連合に向けた組織がぞくぞと生まれるようになった。そのなかで、限定的ながら”超国家的”な組織体が誕生した。)

 この新しい組織体は、「超国家性」を持つ初めてのものとして、人類の歴史上、画期的な意義を有する。その組織体とは、CECA(欧州石炭鉄鋼共同体)である。この組織体こそ現在のEUの萌芽とといっていい。仏、西ドイツなど6カ国などで条約が締結されたのは、1951年4月18日のことである。

 欧州統合の運動に大きな影響を与えた、オーストリアの元貴族R.N.ド・クーデンホーフ・カレルギー伯は、『6カ国の欧州の記録』発刊にあたって、次のように指摘した。
 「自由な欧州諸国民を打って一丸とした「欧州連合」のみが、われわれの大陸を米国、ソ連と新生中国に対し、平等かつ友好的な世界各国家に変容させるだろう。それのみが、世界を脅かしている最悪の破局---核戦争---から世界を救うことのできる「世界連邦」の創設を可能とするものだと考える。」

 以上にみられるように、(1)非常に長い挫折の歴史があり、それを乗り越え、段階を経ながら今日に至った。(2)時の政権というより、自由人的立場にいる人が推進に貢献してきた(上記のほか、古くは哲学者カントの弟子、メッテルニヒ、文豪ヴィクトル・ユゴーなどの提唱もある)。(3)高い理想と崇高な理念に支えられながら、段階的に経済的なメリットを追求するなど、現実的にことが進められた。ことなどを考え合わせる必要がある。

 日本が、読売社説のように狭量で近視眼的発想に閉ざされている限り、世界の孤児となることを免れ得ないのではなかろうか。

2005年12月8日

「共同体・序章」はるか

 昨日エントリーした「東アジア共同体」構想に関連し、『毎日新聞』が今日から「共同体・序章」と題する特集を開始した。第1回目のタイトルは、<「対米配慮」際だつ日本>、<「広域化」望まぬ中国>、<「靖国」こだわる韓国>で、その内容として、米国、インド、EUなどの思惑が交錯する中、主導権争いだけが先行する混沌とした状況を伝えた。その中でEUと関連する気になった部分の引用をする。

  歴史問題を焦点にした韓国の「多角外交」は、すでに始まっている。欧州を歴訪した潘基文(パンキムン)外交通商相は1日、欧州連合(EU)の本部があるブリュッセルで「(EU加盟国で構成する)欧州議会の議員も(小泉首相の靖国参拝を)認めがたいという反応をみせた」と述べた。歴史問題の解消策としても重大な役割を担った欧州共同体(EUの前身)が置かれた象徴的な場所での発言は、小泉首相の靖国参拝が、中韓だけの問題ではなく、ましてや「共同体構想」とはかけ離れた次元であることを暗示している。(後略)【ソウル堀信一郎】

 EUの反応については、伝聞報道なので正確なところはわからないが、靖国参拝の韓国側の主張を支持したということではなく、共同への大目的を前に、首相の私的な行動で進展をさまたげている事実について、疑義を差し挟んだものと解釈してよさそうだ。

 これを、小泉個人が招いた一時的な現象として見過ごしていいのだろうか。アジアのつまはじき者となり、アメリカへの傾斜をますます深めなければならないようなところへ追い込まれることが、日頃の小泉発言からみて、果たして杞憂といいきれるのだろうか。

2005年12月13日

東アジア共同体

 文字入力の際、「東アジア」でなく「東亜」なら楽なのになあ・・・、と思ったが、これは「大東亜戦争」とか「大東亜共栄圏」を連想させるから、マスコミが使わないようにしているのかも知れない。漢字の国・中国では、当然「東亜」を公式用語にしている。

 「大東亜共栄圏」は戦中、日本政府が勝手に唱えだしたものだが、昭和15年7月26日に「基本国策要項」として取り入れられた。天皇の御稜威(みいつ=御威光)のもと、八紘一宇(四方八方、世界中を一つの家)のように栄えようという趣旨で、日、満、華のほか、現在のASEANを構成する地域に、豪州、ニュージーランド、インドまでを範囲に入れた。

 満州とタイをのぞき、ほとんどが敵対国またはその支配下にある国と地域で、帝国主義的野望(当時は、植民地解放などいっていなかった)を秘めたものととられても仕方がない。特に中国とは交戦中で、「国民政府は相手にせず」と声明し、満州のような傀儡政権の実現を画策していた。

 この点今回の「東アジア共同体」とは全く異質であるにもかかわらず、報道されているところを見ると、各国とも国内の右派勢力を気にした国家主義的主導権争いが主で、何を求め、何を実現させるのかという議論は、全くといっていいほど交わされていない。ことに日本と中国は、同床異夢どころか同床さえほど遠く「百年河清をまつ」といった状態だ。

 EUが今日に至るまでたどった長い歴史について既述した。その中で国家より在野の文化人など個人の提唱や働きかけが小さくないことを知った。現在、中国でも国際的に活動するNGOの存在がクローズアップされるようになってきたという。日本も小泉首相やその亜流では、主導権どころか歴史の流れにも乗り遅れること必至だ。やはり、国家主義を全面に押し出す政府ではなく、平和友好を前面に掲げるNGOなどに期待を託すしかないのだろうか。

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2005年12月 1日 (木)

WAR CRIMES

[反戦老年委員会復刻版]

 ローマでデモがあった。何の飾り気もないプラカードに、おおきく WAR CRIMES と書いてある。

 米大使館前に集まったのは、イラクで米軍が民間人に残虐兵器・白リン弾を使用したことを、イタリア国営テレビが報じたからだ。

 一発で炎の雨がところ嫌わず降ってくる。原爆と同じこの世の地獄絵図再現だ。悪魔の兵器に罪はない。使った兵士にも罪はない。

 そう、最大のそして決して許せない犯罪者は「戦争」。WAR CRIMES なのだ。欺瞞、謀略、暴行、略奪、拉致、陵辱・・・・。どんな犯罪でも戦争はそれを「正義」に仕立てる。

 いわれもなく、忠告を無視して戦争を起こした人をにくむ。それをあおり、それにつき従う卑怯者もにくむ。

2005年12月1日

「一流」の凋落

 超一流の日刊紙の夕刊(12/1付)に超一流の私大教授が書いている。

・天気予報の「夜は晴れるでしょう」に違和感あり。

・「晴」は日と青で構成されるから昼間の色。

・最近の夜は明るくてかつての夜ではない。

・だから語感的違和感をものともせず市民権を得た。

 だってさ。こんな非常識をさらされるのは、恥ずかしいだろうからあえて出典の固有名詞をあげない。天気予報は「今夜は霽れる」といったのだ。雨がはれてもすぐお日様がでてくるわけではない。こんな場合、本来の漢字は雨かんむりに斎む。こんなこと小学生でも知っているよ。

 訂正?。しないだろうなあ。なんだかんだと理屈をつけて。

2005年12月2日

師走風俗

 師走は人によって好き嫌いがあるだろうと思う。貧乏人がかけとりから逃げまくらなければならなかった風俗は、落語が示す江戸時代の風景だっただろう。盆・暮2回の決済は、商慣習として飲み屋のつけなどに昭和30年代頃まで残っていた。

 お歳暮や年賀状の準備、これも正直なところあまり楽しい仕事とはいえない。年賀状は増減の波があったものの、パソコンソフトやプリンターのおかげで仕事が楽になり、一人あたり枚数は減らないのではないか。しかし、郵政民営化で、郵政省が独占してきた「お年玉つき年賀はがき」に異変がおきる可能性もある。どうなるのだろう。

 子供にとっては、クリスマスとお正月に楽しい夢をふくらます月である。銀座が乱痴気騒ぎの酔客にあふれたクリスマス・イブが、ケーキ片手に家路に急ぐお父さんの姿に変わったのも、昭和30年代末だったような気がする。最近は、クリスマス・ツリーの電飾のようなもので家を取り囲むことがはやってきた。「電気代がたいへんだろうなあ」と思うのは、相当の年輩者だ。

 その年輩者は、終戦直後の一時、クリスマス用豆電球の製造・輸出が爆発的に盛んになったことを思い出す。「ああ、これで小麦粉などを輸入すれば、おなかいっぱいパンがたべられる・・・」。これが当時の子供が師走に見た夢だったかも知れない。

2005年12月3日

植民と移民

 「日本の過去の植民地支配に対して・・・・」というお詫びの口上が繰り返され、新聞にも当然の用語として「植民地」が使われる。私の考えは歴史修正主義と相容れないものがあり、何でも「自虐史観」をもって思考停止してしまう発想にも組みしない。ただし、正しい歴史検証をおこなう上で、このことばが既成観念として定着してしまうことには抵抗がある。

 「侵略」ということばにもマイナス・メージがある。望まれていないのに相手国の庭先に暴力組織である軍隊を派遣し、そこで実力を行使におよべば、たとえ邦人や権益の保護という口実を設けてあっても、相手から「侵略」ととられるのはやむを得ない。

 しかし、台湾と朝鮮は武力侵攻のうえ植民地として奪取したものではない。そこに至る経過に問題があったにしても、一応外交交渉を経て領土としたものであり、千島や樺太についても同じだったといえる。また、人種差別をベースに苦役を強い、資源収奪に狂奔したという古典的な植民地ではなく、(相手にとっては迷惑で屈辱的なことをわきまえず)同化政策、皇民化政策を基本とし、経済の近代化を推進させた。 

 だから、ただ「植民地支配をしてごめんなさい」ですませるのは、歴史に対する冒どくであり、しっかりとした経緯の検証を経なければ、真の解決に至ることができないと思う。一方、政府の政策はどうあろうと、潜在的に人種差別があったことは否めず、さらに戦争で受けた被害を、日本人が受けたそれと同列に考える傲慢さがあってはならないと思う。小泉首相が靖国参拝をすれば、古傷を逆なでされる思いがするだけで、百万言を費やしても、民族の違いを無視した説明で、理解を得ることなどできない。

 そのあたりのしっかりとした区別をつけず、韓国・北朝鮮問題、在日問題、靖国問題、領土問題、台湾・中国の問題などをないまぜにして、右か左かと単細胞的な感情論が跳梁している現状は嘆かわしい限りだ。フランスをはじめヨーロッパ各国は、宗教と民族を異にする多数の移民とどう調和していくか、長い試行錯誤の中から解決策をかちとる努力がいまも重ねられている。

 日本がその域に達するためには、まず周辺国やアジアに目を向けた外交に一日も早く立ち返ることが求められている。

2005年12月5日

戦争と精神障害

 アメリカのイラン帰還兵のうち、6人に1人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)など精神的な問題をかかえ、パニックに襲われたり幻覚に悩んだりしていると伝えられる。過去、日本が戦った戦争ではどうだったのだろう。12/5付毎日新聞は、元軍人ら84人が今も入院という記事をのせている。それによると、1937年(日中戦争開始)から1945年度にかけて障害を負った大半が国府台陸軍病院(現国立精神・神経センター国府台病院、千葉)に送られ、その数は1万人以上に達していたが、戦後は各地の病院に転院し、また死亡、退院などで数が減ったものの、現在でも各地の病院合計で84人が退院できず、通院している元軍人らも59人いるという。

 「裸の大将」で有名な山下清氏は、「兵隊の位でいうと・・・」が口癖だったように軍隊や戦争への関心は決して低くなかった。しかし放浪生活に入ったのは、「兵隊にとられないように」ということだったらしい。はじめから精神に障害を持つ人は、徴兵が免除されるのではないか、と思ったら戦争末期になるとそんなしばりもなくなったようだ。山下氏の判断は間違っていなかった。

 なお、上記のような療養者は、もともと軍人として不適性だったとして、恩給の対象から除外されていたという。したがって、社会復帰もままならぬものがあっただろう。

2005年12月9日

世も末じゃ

 またまた驚天動地のことが起きた。昨日の昼過ぎ株式相場をのぞくと殆ど全銘柄が急落、平均株価は300円を超える下げとなった。「なんじゃいな、これは」と思ってたら、超一流銀行系の証券会社が、ある株1株を61万円で売る注文を、1円で61万株売りと間違えてコンピュータ入力したせいだという。

 あんまり単純であほらしく、お話にもならない。じゃあ止めるか、ではブログにならないので続ける。「超一流批判」はいつものことだが、こうなると全くかたなしだ。小生が就職した頃は、事務屋はそろばん、技術屋は計算尺の勝負だった。いずれの道具もあらかじめ出てくる結果を頭に描きながら使い、かつ方法を変えて検算するなどのくせもついていた。

 だから時間が何十万倍かかっても、間違いはすくなかった。まして信用機関である。円と株を取り違えることなど想像もできない。業種を問わず超一流なら複数のチェックを受けてから人前にだす。最近は、電力しかり、鉄道しかり、公共団体しかり、マスコミしかり、簡単な失敗がチェックをするすると抜けて、醜態を天下にさらす。

 重ねていう。昔はこれほどではなかった。現役のかたにお聞きしたい。こんなふうになった原因は次のうちどれだろう。

・リストラにともなう仕事の過重

・責任感とかプライドの欠如(適性・能力)

・組織・システムのマンモス化

・競争激化、利益優先の風潮

・コンピュータ・システムの欠陥または過信

・社会的制裁の軽視

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