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2005年11月

2005年11月26日 (土)

種の保存

[反戦老年委員復刻版]

 今月ここにあげた記事の中に「天皇制」と世界でここだけ」がある。「天皇制」は別に女性天皇について論じたものではないが、女性・女系容認答申の報道もあって多くのコメントが寄せられた。

 その中にY染色体に関する論考のご紹介があり、興味をひいたのだが、まさか古代天皇がY染色体の伝世を願って家系維持を図ったとは思えず、本能的に認知されたなどといってしまえば神秘の世界、まさに神学論争にひきずりこまされてしまうことになる。

 ひるがえって、昨今は環境保全、生態系維持、絶滅危険種保護などがこわ高に叫ばれている。絶滅危険種保護に努力しなければならないのは当然だが、セイヨウタンポポにすっかり駆逐されようとしているニホンタンポポを、昔のように復活させることなどとうてい不可能である。われわれの年代にとっては、かつての可憐な姿を見ることができないことに一抹の淋しさがある。しかしセイヨウタンポポしか知らない子供や孫にその感傷はないだろう。

 これを皇室にあてはめて考えるのは、不遜・恐懼の極みだが、「もう、どうでもいいや」とコメントされている方もあるということは、男系論者の主張が既に時期を失しており、万世一系とか男系をそれほど厳密に考える意味がないということなのかも知れない。必要なことはこの際、国民の意向、象徴天皇の意義、ありかた、皇室のあるべき姿などを将来にわたってどうするのか、タブーをなくしてしっかり議論しておくことだろう。

2005年11月27日

悪者捜し

(11/27『毎日新聞』)

 自民党の武部幹事長は26日、北海道釧路市で講演し、姉歯建設設計事務所による耐震データ偽造問題について「悪者捜しに終始するとマンション業界がつぶれる。不動産業界もまいってくる。景気がおかしくなるほどの大きな問題だ」と述べ、冷静な対応が必要との認識を示した。

仮想雑談会

*硬 この人の発言はいつもおかしいんだな。業界がつぶれるの、景気がおかしくなるのというオーバーな発言は、冷静な対応のつもりなのかね。

*乙 騒ぎが大きくなると困る筋から、いわさせられているような感じもするね。

*平 すると業界?、政界?、金融?、それともアメリカ?。

*停 これ以上悪者捜しをすると困る、というんだからこれまで出てこなかった悪者にスポットが当たるようなことがあってはいけない、というけん制だろ。

*乙 それならばわかる。悪者捜しが弱肉強食、弱者切り捨ての小泉改革にまで行き着くのはまずいということだ。

2005年11月28日

国民保護法で訓練

仮想臨時委員会(出席者:硬、乙、平、停)

*平 11月27日に福井県の美浜原発で去年9月にできた「国民保護法」に基づく訓練があった。メモでは、政府と福井県が主催で、自衛隊や警察、電力会社を含めた約140機関から計1300人が参加した、とある。

*停 テレビで見たよ。なにか現実離れしていて消防訓練などとは違う雰囲気だったなあ。原発がテロ攻撃による10発程度の迫撃弾を受けて自動停止、放射能漏れの危険が高まったという想定だってさ。だけどなぜ美浜原発なんだろう。原発はほかにもたくさんあるのに。

*硬 そりゃあ相手が北朝鮮だからさ。工作船でやってきて海からボカンだろ。県レベルで保護計画をまっさきにまとめたのが、福井県、鳥取県というのを見ても分かる。

*平 同じ日に「東京の国立駅に弾道ミサイルが落ちた」というシミュレーションもやってみたそうだ。こうなるとテロどころか北朝鮮想定の全面戦争だね。そんなことあり得るのかよ。

*乙 前にも論じたが、普通ならあり得ないね。金正日の気が狂うとかでなければ。しかし工作船でやってきて日本人のカップルや少女などを拉致するような前科のある国だ。絶対にないと保証するわけにもいかない。

*停 工作船などをしっかり監視していれば拉致も起きなかったんだろうな。迫撃砲を積んで領海内にやってくる船を、原発の射程距離まで近づけたら、これは海上保安庁とか自衛隊の責任だ。ミサイルにしろしっかりした監視体制をとることが第一じゃないか。

*硬 だから前の議論でも、それに必要な金と体制はとるべきだといったよね。なんでいまどきあわてて「実働訓練」するんだろう。

*乙 戦時中の隣組の訓練を思い出したよ。火叩きと砂とバケツ・リレーで焼夷弾の火を消すとか、竹槍で本土決戦にそなえるとかね。ねらいは違うところにある。あくまでも「国民精神高揚」で軟弱な和平思考に向くのを止めようということだ。自衛隊は米軍と仮想敵国を作って何度も訓練しているからなれっこだけど、国民はそこまでいってない。

*平 あの訓練を見た国民はまず、北朝鮮はこわい、という印象を持つよね。だから憲法を変えて自衛軍にしてアメリカと一緒に戦う?。なんだかこわいのは日本人のような気がしてきたよ。

2005年11月29日

地名の危機
:
 日本の地名が市町村合併で危機に瀕している。ことの始まりは戦後復興が始まった昭和26年頃からだろう。由緒のある芝居の町木挽町が銀座何丁目になった。銀座東、西銀座など周辺街区がこれにあやかりだすやいなや、全国各地にも○○銀座が飛び火した。これは流行歌に銀座が歌い込まれたせいだろう。

 「汽笛一声」の新橋も、浅野内匠頭が自刃した田村屋敷のあたり、田村町が西新橋となった。これは「住居表示に関する法律」(1962年)のせいである。有名な地名の隣は、全国的に東西南北をつけて改名することがはやった。こうして古い地名がどんどん消えていく。

 上の東京の例はまだいい。有名なだけに前地名も記録に残っている。しかし前地名のその前、江戸開府以前の地名は消えてしまったものも多いだろう。寅さんで有名な柴又(島又)などは古代から続く珍しい例だ。

 私の住んでいるところも市名の下に昔の村名がつき、以下は何丁目何番の住居表示になる。その前の部落(字=あざ)名は、自治会の名称としてかろうじて残っている。それは地形や集落の機能を示しており、長い歴史の裏付けとなっている。

 新興住宅地や再開発地、あるいは行政区画の変更で生まれる、緑、旭、幸、富士見などの軽薄さもさることながら、歴史叙述をしようとするものにとって、旧字名などが地図上から消えるのが一番困る。中世のご家人、地頭などの出自、遍歴がこれで分かることが多い。

 日本地名研究所を結成した谷川健一氏は『日本の地名』(岩波新書)の中で、地名の改竄は歴史の改竄につながる。それは地名を通じて長年培われた日本人の共同感情の抹殺であり、日本の伝統に対する挑戦である。 といい、地名改変を許容した自治省(現・総務省)を「民族の敵」と攻撃している。

2005年11月30日

天皇制私論

 11月26日の「種の保存」に関連して、「あしぶみ」様からコメントをいただき、また「個人の個体性の奇妙さ」というエントリーで問題提起をされた。これに直接お答えすることは、膨大で多岐多様、かつ難解なテーマの迷路に踏み込み、観念の固定化を招くおそれがあるので、あえてこだわらずファジーな感想を交えた私(試)論という形にまとめてみた。

 天皇制の評価については、まず時期を三つに分けて考えなくてはならない。すなわち、現憲法下の象徴天皇制、帝国憲法下の軍国天皇制、毀誉褒貶・栄枯盛衰はあるが、古代から連綿と続いてきた世襲天皇制である。その中で何が三つに共通しているか、また全く異質のものはそれぞれ何か、を見る必要がある。

 私は、明治以来の軍国天皇制を、異質なものとして全面的に否定する(維新以来の近代化、帝国主義の衝突については、評価を留保)。一方続いてきたものとしては、宮中祭祀、和歌などの文化関係の伝承、産業等の奨励、福祉・救恤への関心がある。しかし、それが憲法第一章に掲げなければならないほどの大きな機能か、ということになると疑問が残る。

 そうすると、象徴として国民の総意が向くところは、生業にいそしめる「平和」醸成機能ではなかろうか。上の三つの段階でもいえるように、制度が逆に作用したり、南北朝時代のように戦乱に明け暮れしていた時代もあった。しかし、朝廷が目指した基本的な姿勢は、民、百姓、黎民などを指して「おおみたから(宝)」と称した古代から、庶民の生活に留意する伝統(すくなくとも祭祀の中で)をうけついでおり、また、国内が荒廃に帰すような戦乱を避けることに貢献したこともあった。

 次に万世一系である。私は2600年も同一家系が続いたことなど信じていないが、世界で例を見ない長い期間、この地位と習慣を維持し続けていることは理由のあることであり、「ある世界遺産」程度であっても「日本固有の」アイデンティティにしてもいいのではないか。それが「あしぶみ」様のいうア・プリオリだとしても、日本の長い歴史、日本の風土、日本人の習慣から派生し、総意に結びつくものなら、その時点で合理性を持つことになる。

 天皇制については終戦直後、共産党が一時反対論をとなえ、また自民系が元首格上げをいった以外は、タブー化していたように思う。最近、将来のことまで含めて議論が交換されるようになったことは、従来に見られない進歩だと思う。尊厳だとか不敬だとかを気にすること自体、差別につながりはしないだろうか。将来、世界連邦が展望されるようになり、国民の総意で天皇制が廃止され、それこそ「世界文化遺産」になっていただくような時代がくるのかも知れない。

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2005年11月23日 (水)

愛犬家の皆さん!!

[反戦老年委員会復刻版]

 パソコン老年ブログ管理者には、引きこもり症にならないため日頃の散歩がかかせない。その際、犬を連れてないと肩身が狭いほど愛犬家が多くなった。最近は、うん万円のおせちセットをあてがうなど、家族そっちのけのお犬さまも稀ではないようだ。

 統計があるわけではないが、昭和14年頃までは飼い犬も多くまた野犬も多かった。公認の野犬を狩る人がいて、つないでなく首輪もない犬は、棒の先に針金をつけた道具で強引に拉致されるので恐れられていた。

 戦局もいよいよ危急を告げる昭和19年12月、軍需省は、毛皮を飛行服、肉を食用にするため、飼い犬の強制的供出を決定、大は3円、小は1円(たばこ「光」が30銭)であった。

 愛犬家のみなさん、これを「ひどい!」と思った人は、次の選挙で忘れずに反軍・反戦の立場をとる候補者に投票してください。戦争は決してカッコよくないのです。

2005年11月24日

戯れ歌

 昨日の「愛犬供出」の話の前年、昭和18年8月に上野動物園では、象3頭のほかライオンなど猛獣22頭と毒蛇が殺された。同じ年の1月、たばこが5割以上値上げされ、次のような替え歌がはやった。

 ♪金鵄あがって15銭 栄えある光30銭 いよいよあがる 鵬翼は25銭になりました ああ1億の民は泣く (紀元2600年奉祝歌のふしで)

 ついでながら、金鵄は「ゴールデン・バット」が敵性語であるという理由で改名したもの、光は戦前から戦後まで続いた高級たばこ、鵬翼は当時の新銘柄である。同じ年、 ♪見よ東条のはげあたま ・・・・ (愛国行進曲のふしで)、という替え歌があったとされるが、そのあとの歌詞には覚えがない。

 東条の独裁体制に不満が表面化し、内閣総辞職が実現したのは翌19年7月だから、そんな歌を公然と歌ったらまちがいなく検挙されただろう。次は記録上見たことがないが、子供が大声で歌っていたことを覚えている。

 ♪ジャンジャンじゃが芋さつま芋 頭のでっかい衆は まんま(米飯)いっぱい食う それよりでっかい衆はもっといっぱい食う(あと、それより以下の繰り返し=軍艦行進曲のふしで)

 これほど直裁的で痛烈な、しかも気づかれずに権力批判をしている例はあまりない。食い盛りの子供たちは、米の代用食として芋をあてがわれることが多くなった。ラジオの軍艦行進曲につづく空虚な大本営発表は、まだ続いている。頭のでっかい衆、つまり軍部や官僚など上へゆくほどうまいものを食っている、という世相風刺にとれる。おそらく昭和19年頃のものだろう。

 こういった庶民の動向は、ある程度国家首脳や皇族・天皇まで伝わっていた。それは街中に張りめぐらした、特高や憲兵による報告が中枢にあがっていたからである。庶民の意志が歌などで伝えられる伝統は、日本古来のものである。古くは、『日本書紀』で多く取り上げている「時に、童謡有りて曰はく」から、江戸時代の川柳・狂歌にいたるまで庶民発の有力メディアをなしていた。

 残念ながら現代はテレビというマンモス媒体と情報操作で、戯れ歌などが活躍できるステージがなくなった。暴動や自爆テロでしか意志を表現する手段がないとすれば、人類にとってこれ以上悲惨なことはない。日本はまだそこまでいっていない、と思いたい。

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2005年11月14日 (月)

内村鑑三

[反戦老年委員会復刻版]

 日清戦争を弁護したことに深く反省の念をいだいた内村鑑三は、1903年6月30日の『万朝報』に次のような「戦争廃止論」を書いた。

    その目的たりし朝鮮の独立派これがために強められずして却って弱められ、支那分割の端緒は開かれ、日本国民の分担は非常に増加され、その道徳は非常に堕落し、東洋全体を危殆の地位にまで持ち来ったではないか。現在かえりみて、いささかの進歩もないことが慚愧のいたりです。

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2005年11月 4日 (金)

憲法改正手続き

[反戦老年委員会復刻版]

 明治憲法、昭和憲法、自民党改憲案それぞれの改憲手続きを復習。微妙なところで、その性格の違いが表れています。

 大日本帝国憲法発議=勅命を以て議案を帝国議会の議に付す。 議決=両議院は各々その総員の三分の二以上の出席を要し、その三分の二以上の多数で議決。

 日本国憲法発議=各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議。承認=国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 自民党(1次・塾頭注)改憲案発議=衆議院又は参議院の議員。 提案=各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し国民に提案。 承認=国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。

2005年11月5日

反戦と政治

 このブログ「反戦老年委員会」は、「反戦」の立場についてどの党を支持する方からも賛同してほしいという願いから、「政治」ということばを副題からも抜き、できるだけ距離を置くようにしてきた。この考えは今も変わらない。

 しかし、この夏から秋にかけて小泉首相が見せた特異な執念とその手法に、戦後はじめて切迫した危機感を感じざるを得なかった。戦前と同じとまではいわぬが、「気がつけば」といったところまで持って行かれる可能性がゼロとはいえない状況にある。なぜならば、戦争の「本当のこわさ」を知らない人があまりにも多いからだ。

 今日、公明党全国代表者会議の席上、神崎代表は(小泉)首相、(麻生)外務大臣、(安倍)官房長官の靖国参拝を自粛すべきだ、という党の立場を明らかにした。これは、これまでの小泉外交路線に、要望ではなく明らかなNOを突きつけたことになる。また、来年は憲法について(加憲)案を発表する、ともいっている。

 今や、反戦平和勢力の中軸として力を発揮しそうな党は、共産党や社民党ではなくいわんや民主党でもない。それらの野党があまりにも不甲斐ないからだ。ここに至って、創価学会の原点にのっとった政策を与党の公明党に期待することもやむを得ないかも知れない。

2005年11月7日

公明党の正体

 前回、公明党が首相、外相、官房長官の靖国参拝自粛を求めたことに関連して、与党内にあっても憲法9条に手をつけないよう主張するのではないか、という期待感をにじませた記事を書いた。これについて多くのコメントが寄せられたが、過大な願望であり創価学会の体質や政治的野心についての疑念を捨てきれないというようなご意見が多かった。

 私の創価学会体験は古い。昭和30年より前だったと思う。独身寮の寮母さんが熱心な信者で、私と同室のT大出のエリートが折伏の第一候補になった。なぜならば、当時の社会情勢の評価を含め、法華経の解釈、学会の教義、日蓮、本尊、正宗のことなど、他の寮生が忌避する中で熱心に聞いてあげたせいだろう。おばさんから「あなたたち本覚というのよ」といわれたが、ほめられたのかけなされたのかわからない。池田大作会長出現前の話である。

 当時の二代目戸田城聖会長の活動の源泉は、反戦、反核の平和主義路線だった(参照・『創価学会解剖』朝日新聞アエラ編集部)。ちなみに寮のおばさんは戦争未亡人である。その後も同学会青年部や婦人部が反戦・平和で形ある業績を残していることも知っている。また池田名誉会長も国際活動などを通じて平和主義路線を継承しているように思われている。

 コメントをいただいたtani様のお薦めもあり、島田裕巳著『創価学会』(新潮新書)を買い一読した。その中でひきつけられた一文がある。そもそも学会員たちは、創価学会という組織と、信仰によって結びついているというよりも、前の章で見たように、利害で結びついている面が大きい。

 彼らが会員であり続けるのは、たんに池田を信奉するからではなく、相互扶助組織としての創価学会の一員であることが、現実的なメリットをもたらすからである。学会が信奉する価値観が「真・善・美」でなく「利・善・美」であることは50年前にも聞いた。

 しかし今や後継者の代にはいり、真・善より「利」が大きく追求されるようになったのだろうか。そういえば公明党の政治姿勢や学会(池田氏)と党の関係を見ていくと、まさにそこに重点が置かれているかのように写る点が多々ある。

 池田後継者問題が取りざたされているという。仮に集団指導体制がとられて、戸田・池田に引き継がれた平和路線が実利優先でますます先細りになるのか、組織活性化の起爆剤として再び平和路線戦術が表面化する可能性があるのか、外部の人間には想像がつかない。「政党に頼ることはではない」・・・・、まさにそのとおりであろう。

2005年11月9日

意見広告

 市民意見広告運動というところから、「九条実現」をめざす意見広告を、来年5月3日の憲法記念日に全国紙に掲載したいということで、その費用を募金するチラシが送られてきた。個人は一口2000円で最低目標額は3000万円とある。自民党の広報戦略費とは比べようのないはした金である。

 過去にも、目標額をこえて複数紙に広告した実績がある。しかし、新たな情報を持たない標語化したこの種の広告に、どの程度の効果があるのかかねがね疑問を持っていた。1万人が意見広告に参加し、1万人がデモ行進をしても政治を変える力にはならないのが現実だ。

 しかし、自分と同じ意見を持つ人達が懸命に努力をしているのを、落胆させるようなことはしたくない。10000人が10001人になるよう、最低限の協力はしていくことにしよう。それが百万人になり一千万人になる日があることも信じよう。それ以外に自分にできることはない。

 チラシの末尾にホームページへのリンクができる人は協力してほしい、とあったので、その表示を付け加えておく(復刻版省略)。

2005年11月10日

靖国と政党

 今朝の各紙は、国立追悼施設建設をめざす超党派の議員連盟が9日に設立されたことを報道しました。会長・山崎拓自民党前副総裁のよびかけで、自民党・福田康夫、公明党・冬柴幹事長、民主党・鳩山幹事長などの各氏が参加したことを報じています。

 超党派といっても、共産党・社民党などは含まれてません。呼びかけなかったのか、参加を拒否したのか、とにかく新聞からは全く無視されています。自民党は小泉政権のタカ派外交に批判的なメンバーが出席して、党内がこの件で二分していることを示しましたが、その他の各党も混乱していることを毎日新聞が次のように伝えています。

   公明党には議連が「反小泉の動きと見られてはまずい」(幹部)との警戒感が働く。民主党にも「山崎氏がどういう考えでやっているのか分からないし、公明党を利するだけにもなりかねない」との懸念から、当初は積極的だった前原誠司代表も出席を見送った。

 みなさん。どういうことなのか理解できますか?。各党ともまとまった理念がなく小泉独裁の前に右往左往するだけ。「政党政治」に愛想がつき、「大政翼賛政治」にひた走った戦前の愚を繰り返さないよう、監視するしかありません。「ぜんげんてっかい」を漢字転換したら「前原撤回」とでた、なんてしゃれにもなりませんものね。

2005年11月11日

天皇制

 これまで昭和天皇に関する記事を3回ほど掲げた。個人的な体験が中心の「天皇と戦争」およびハーバート・ビックス著『昭和天皇』の読後感を書いた『昭和天皇論』1および2である。また、何度か言及しているが、昭和天皇は、講和条約締結を機に何もいわずに、あるいは新憲法のもとで平和な日本国が続くように、という口実で退位すべきだったのである。

 現在ある天皇制は、GHQと日本政府の合作でできあがった憲法と東京裁判の決着で維持されたものであることが、ここ十年ほどの間の研究(吉田裕『昭和天皇の終戦史』他多数)で明白になってきた。したがって現憲法の自主性や東京裁判の結末を批判する「歴史修正主義」の立場にいる人は、昭和天皇の戦争責任が法廷で糾弾されたり、占領政策が破綻をきたす危険をさけるべきではなかった、という主張につながる。

 日本の天皇が万世一系であるとすることには疑問があり、まして神武即位以来2660数年の歴史があるなどは虚構そのものである。しかし長い歴史の中、激しい消長を繰り返しながらも天皇家が民族や文化を支える上で特異な存在でありつづけたことは世界に全く例を見ず、日本の捨てがたいアイデンティティのひとつであろう。

 憲法については、基本的に改訂の必要なし、とする立場なのでそのままでいいのだが、注文があるとすれば、天皇家に国民並みの人権を保護すること、海外派兵に拒否権を与えること、さらに国民主権の立場から第一章におく必要はないのではないかという気もする。

 いずれにしても、明治以来醸成された皇国史観を復活させようなどの考えは、宮中にもないだろうし、ふたたびその愚を繰り返すようでは、今度こそ日本の滅亡に一歩を踏み出すことになると知るべきだ。

2005年11月12日

自衛の限界点 1

仮想定例委員会(出席者:硬、乙、平、停)

*平 「国には自衛権がある。集団的自衛権も存在するが行使はできない」。これがいままで政府のいってきた憲法解釈の公式見解だ。>

*硬 自衛を口実に外国に軍隊を侵攻、占領するような国と同盟関係があっても、自衛隊が海外に出かけていってそれに参加することができない、ということでしょ。アフガニスタンとかイラクとかの出動は、すれすれというか、特にイラクについては限りなく黒に近い。

*乙 だから自民党や民主党の一部が改憲しようといっているんでしょ。その人たちだって内心はそう思ってる。

*平 当委員会のこれまでの議論は、9条1、2項を変えず、新しい事態として自衛力増強や人的国際協力の必要が出てきたのであれば、最後に新しい章を設けてその任務を高らかにうたえばいいという線だ。まず「自衛とはなんぞや」から始めよう。

*停 今6カ国協議で北の核兵器が云々されているけど、なにも核兵器でなくていいんだ。ミサイルで敦賀や柏崎の原発がねらわれたら一発でチェルノブイリ再現だ。また沿岸の長い日本は、工作船を使ったテロ活動にも弱い。それで先制も報復もできないようでは自衛不能ということになる。

*乙 そうなんだ。今までハト派もタカ派も口にこそださないが「そこは日米安保がある」という暗黙の了解があったように思う。また、相手国の良識や善意に頼るというだけでは説得力がない。私は、ミサイルが日本に向けられ、燃料積み込みが衛星などで探知された段階で、発射装置を先制攻撃して発射不能にすることは、緊急避難として許される、つまり自衛の範囲に含まれると考えたい。ただしアメリカのイラク攻撃のように、証拠がないスパイ情報による先制攻撃はだめだがね。

*停 いままでにない踏み込んだ発言だね(感心)。報復攻撃という抑止力を持つことはどうだろう。

*乙 今日の毎日新聞ニュース展望にあるが、81年にイラクの原子炉がイスラエルの爆撃を受け、また90年春にはフセイン大統領が「イスラエル半分を化学兵器で破壊する」と語ったそうだ。フセイン発言は核攻撃への反撃を示唆したものだが、化学兵器での報復を抑止力にしようとしたことは明らかだ。こういった大量破壊兵器をバックにした抑止力は、基本的に「武力による威嚇」につながるのでできない。「わが国も核兵器を持つべきだ」という一部政治家の発言だけで、周辺国がどれだけ過敏に反応するかを見ればわかる。

*硬 大量破壊兵器は、民間人を多く巻き込むんだから他国でなければ使えないものねえ。何人殺されたからそれ以上を殺すというのは、報復の連鎖になるからやらない、という発想でいいのか。

*乙 そう思っている。しかし、憲法であの兵器はいい、これは駄目など書けないよね。時代や技術の変転があるから、まず基本姿勢をはっきりさせる。それから具体的な事例を当てはめるしかない。自民の木に竹をついだような改定案では、またまた解釈改憲続出という事態が避けられない。

*平 足りない部分はまた次にしよう。

2005年11月13日

自衛の限界点 2

仮想定例委員会(出席者:硬、乙、平、停)

*平 以前ののエントリー「今こそ戸締まり論」で、国土防衛に必要なら、金がかかってもミサイル防衛システムを考えてもいい、といいましたよねえ。

*乙 超ハイテク兵器で、技術的困難があっても、着弾点まで軌道計算して迎撃するという、純粋な防衛システムならね。ただ共同研究するアメリカが、その技術を攻撃用兵器に転用するとなると困るね。

*停 係争中の領土問題や領海侵犯にはどう備えたらいいかだが。要は侵入不審船などに対する監視機能を持ったハイテク飛行機と船、そして領空・領海外に追っ払う能力を持つということか。

*乙 それが一番肝心だ。海軍だから、などといって身分不相応な大型軍艦など持つ必要はない。海上保安庁体制の徹底的強化でいいと思うよ。今時、上陸用舟艇で日本に上陸作戦をかけてくる国などあるわけがない。それから領土問題は、時間をかけても話し合いで解決するというのがだんだん国際慣習になってきた。

*平 次に国際貢献だが、災害復旧と平和維持活動と両面があるね。

*硬 津波や地震などの際の緊急救援活動が注目を浴びているが、これらは国内もふくめて、陸上自衛隊がやってきたことを本来任務にするべきだ。(一同賛成)

*停 平和維持活動では、やはり小火器までとか?。

*硬 人殺しにきたのではない、占領しにきたのではない、お手伝いにきたのだ、ということだから本来は丸腰だよね。だけど、武装警官並みのものは持たせたいというが現実だ。

*停 死傷者が出ると大変、というが国内で仕事をする警察官や消防士だって死と隣り合わせのことがあるんだから、危険だから軍隊並みという理屈はおかしい。そうではなくて停戦監視などPKFの仕事をするためには、軍隊が必要というならわかる。これはもうまさに戦闘地域だからね。

*乙 国の姿勢さえはっきりさせておけばいいのだ。憲法で「戦争はしない、軍隊は持たない。そのかわり国土を侵略や災害から守り、その能力を国際的に活かせる組織は持ちます」とはっきり宣言すればいい。組織の名前は警護隊でも保安隊でも何でもいい。そして前にもいったが軍隊を思わせる迷彩服などはやめ、明るい目立つ色を使う。大量破壊兵器は持たない。そうすれば個々の装備など自然に決まってくるし、少々のことにこだわる必要もなくなる。

*平 アメリカと同じことをしたいから「軍」に変えようという魂胆には、断固反対だ。よそからいわれるからでなく、自分のことは自分で決める国に早くなってほしい。

*乙 日米安保条約はそのままでもいいはずだが、解釈改憲で積み上げてきた軍事協力が崩れることになるので、日米当局にとっては打撃だろうね。それでもなおかつこれを乗り越えなければ、日本には誇るべき明るい未来がなくなってしまうような気がする。

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2005年11月 3日 (木)

世界でここだけ?

[反戦老年委員会復刻版]

 散歩コースの公園の片隅です。写真(省略)立て札にこんなことが書いてあります。

 イノカシラフラスコモは、1957年に東京の「井の頭公園」を源流とする神田川の上流部で発見された車軸藻(陸上の植物の原種ではないかと考えられている)という水草の一種で、日本固有の植物です。藻全体の長さは20~30センチになりますが、茎の直径は0.5~0.7ミリと大変細い植物です。原産地ではすでに絶滅しており、現在のところ全国で当所(千葉県市川市)が唯一の生育地になっています。

 ということは、世界でここだけしか見ることができない国宝級の「藻」じゃない?。だけどわざわざ見に来る人はいないし、地元でも知らない人が多いようです。ご覧のように二つの大だらいおはいりいただいているのは、アメリカザリガニやブラックバスが食い散らかすのを防ぐためのようです。なにか淋しい姿ですね。

 迷彩服を着て戦闘機に乗ったアメリカザリガニが、沖縄から全国に散らばるんだそうです。あ~あ、今日だけは反戦マターから遠ざかっていようと思ったのに。

2005年11月8日

毅然たる態度

 麻生外務大臣新任に当たり、小泉首相は「毅然とした態度」で望むのがいいとアドバイスした旨伝えられている。これは外交についての一般論ではなく、アジア外交についてのことのようだ。すると、「私に見習って靖国参拝を強行し、周辺国との善隣外交は無視してもいいよ」という、史上例を見ない偏狭な外交姿勢を外相に指示をしたようにとれる。

 相手がどこの国であろうと、あいまいな対応や責任回避に終始した過去の外交の悪弊を直しなさい、というのならまさに至言といえよう。しかしそのアドバイスならそのまま総理にお返しする。「毅然たる態度」は、世界の中で日本をどういう国にもっていくのかという展望のもと、長期的な観点に立って国益をはかっていくという、独立国としての矜持が必要だ。アメリカだけは例外という考えでは許されるはずがない。

 「毅然たる態度」ということばが、歴史のターニングポイントになったことを首相はご存知だろうか。対米開戦前夜の1940年、ドイツは硬直した欧州戦線打開するため米英に対する新たな牽制措置として、日独伊三国同盟締結が有効とみた。ヒトラーは側近のスターマーを極秘で日本に派遣し、「日独伊三国の毅然とした明快な態度をアメリカや世界に知らせることによってのみ、強力かつ有効にアメリカを抑制することができるが、軟弱で微温的な態度をとれば、かえって侮蔑と危険を招くであろう」(林茂『日本の歴史』中央公論)といわせた。

 これに悪のりした松岡外相も「毅然たる態度」論を連発し、陸軍を引き込んで三国同盟締結に突っ走った。天皇や近衛首相などアメリカとの関係悪化を憂慮する慎重論もあったが、松岡等同盟推進派をおさえる「毅然たる態度」がなかったため、見通しのない戦争への道へ転がり込んでいった。

2005年11月15日

グローバル・シチズンシップ

 ブッシュ大統領の「イラク戦争終結宣言」直後、イギリスでは義務教育終了後の全国統一試験受験用教材の副読本として『グローバル・シチズンシップ(世界市民権)』と『社会の中のメディアの重要性』が緊急出版された。

 これについて、門奈直樹著『現代の戦争報道』(岩波新書)は、前者の教師用指導読本で述べられた、現代における「世界の戦争」の論理構成を次のように紹介した。

    2003年2月、アメリカ政府はかつて被ったなかでももっとも悪辣なテロリスト攻撃を受けた国として、テロリズムの恐怖からアメリカおよびその他の民主主義国家を守らなければならないと強調した。同政府はイラク当局が大量破壊兵器を廃棄すべきだと主張した国連の解決策に従わなかったと言ったが、イラク当局はアメリカを脅してはいないし、9・11事件のテロ攻撃はイラクとはなんら関係ない、と主張した。

    それはイラク政府が広域被害の武器の所有を否定したということであった。イラクは、アメリカがイラクを侵略する権利はない、と言った。国連は世界平和に忠実で、戦争回避に動いた。なぜ、国連はアメリカのイラク攻撃を中止させることができなかったのか、われわれはあらゆるコストをかけて戦争を回避すべきだったか、アメリカはイラクに攻め入り、その政府を倒す権利があったのか。

 前掲書はさらに続けて、開戦の手続きや、戦争が引き起こしたいろいろな事態、各国首脳の発言、市民の抗議活動などをあげて多角的に議論させたり、戦争被害者が何のケアも受けられないことや、戦争がテロリスト攻撃を増長させているという見方を留意点とする、という指導内容を詳述している。

 さらに各メディアが伝えた内容の比較、印象、与える影響、などのケース・スタディを通じて報道の意図にまで議論をすすめており、インターネットの効用および利用上の注意事項もとりあげるなど、「グローバル・シチズンシップ」への理解を深める方針がつらぬかれているという。

 ひるがえって日本はどうか。教育現場を知らないので即断はしないが、君が代や国旗で決めたルールに従わない教師はクビにするなどといっている現状では、こういった面で百年の差がついてしまうのではなかろうか。

2005年11月16日

日本昔ばなし

 「日本昔ばなし」のアニメ、地味だけどテレビやビデオで大人気なんだそうですね。そりゃあ見るに耐えない民放各社のほかの番組よりなんぼかましか。孫も落ち着いて見ています。題材をだいぶ揃えたようですがなにか肝心なものが足りないと思ったら、そう「日本神話」でした。

 「塩こをろこをろ」の国づくり、天の岩戸、海幸彦・山幸彦、いなばの白兎、やまたの大蛇、まだまだあるでしょう。10本や20本じゃあきかない。神武もいいじゃないですか。ただ、おどろおどろしい昔の修身のようにではなく、長すね彦も同じ日本人なのだから、可愛く描いてほしいんだけど。

 このアイディア、「新しい歴史教科書をつくる会」に無償で提供します。もう勝ち目のない不人気な教科書はやめて、乳幼児用に転向したら?。

2005年11月17日

妄想2件

1.ブッシュ大統領と京都会談後の小泉首相発言。
 「日米関係が良好であればあるほど中国、韓国、アジア諸国、世界各国と良好な関係を築ける」、ああ、やっぱり<国際>というのはアメリカのことだったんだなあ。国際貢献=アメリカ貢献、国際協力=アメリカ協力、国際協調=アメリカ協調。日米同盟強化、米軍再編、自衛隊と基地共同使用、米陸軍第一軍団司令部座間に移転。早く言えば、アメリカの新しい州になるのが一番いいということなんだ。

2.米軍のイラク撤退。
 テロリストはイラクでのテロ攻撃をピタッとやめたらどうだろう。もう勝ったも同然なのだから。そうするとアメリカの国内もうるさくなったし、治安維持という口実がないから米軍も撤退する。めでたしめでたし・・・・てなことにならないだろうなあ。

 ブッシュの面子まるつぶれ、大統領レイム・ダック。とりあえずは、治安がすこし悪いままの方がいい。そのうち治安が良くなった頃を見計らって、イラク政権を説得し恒久基地に切り替える。国内向けには、イラン・シリアへの牽制、イスラエル保護、中東の安定化という理由をつける。自衛隊の帰還はどうなるんだろう?。小泉さん「アメリカに聞いて」。

2005年11月18日

北方領土と服部之総

 20日にプーチン・ロシア大統領が来日する。北方領土問題という年代物のお荷物は、今回もまた置き去りにされたまま先送りされるにちがいない。近代経済史学に大きな足跡を残した服部之総(1901~1956)が、今から52年前の1952年(昭和27)、初めて北海道を訪れた際の旅行記から、北方領土に関連する次の記録を紹介しておこう。(『黒船前後・志士と経済』岩波文庫より)

    (前略)歯舞諸島のユリ島付近でB29がソ連戦闘機に撃墜される事件が起きたのは十月七日のことだが、私が札幌について二日目の十七日には、歯舞諸島は日本領土であるという米国務省の対ソ抗議覚書が発表された。根室沖が「危険地帯」の発火点になるための外交辞令はととのった形である。(後略)

    (前略)鳳谷地図(安政二年刊行=引用者注)はむろん最上徳内、間宮林蔵そのたを参照して成ったものだが、樺太の南半は「北蝦夷地」と書いて日本領に彩り、北半は「サカレン」と書いて白地のままである。千島については「ウルフ以北は我有に非す」と註し、ハボマイ諸島はもちろんのこと、エトロフ、クナシリ、シコタンを「ネモロ持」つまり根室会所支配下の日本領におさめてある。

    それにしてもこの古地図がいま何の役に立つというのであろうか? 日本占領を区域したマッカーサー・ラインは、クナシリと北海道をわかつ根室海峡野付水道を経てシコタンとハボマイ諸島の間でなく、ハボマイ諸島の西端貝殻島と花咲半島の東端ハボマイ村のあいだ、わずか一・四マイルの中間0・七マイルの地図上を走っているのである。

    よくもあしくも「占領日本」から出発している今日の「独立日本」、未条約諸国にとってはまだ占領日本のままであるわれらの日本、その「危機」は北海道に極限されているのではない。それはどの内地にいても自明のことであるのに、今ここ五稜郭に立って願望するとき無量の感を呼ぶのである。(後略)

 地図と見比べてもらえばいいのだが、要は、日本の主張する北方4島が、樺太をのぞく上の古地図に準拠したもので、ロシアはマッカーサー・ラインのまま凍結しようということになる。ちなみに、その前年9月8日にソ連の調印なしで対日講和条約を締結、ソ連とは4年後に領土問題を棚あげしたまま国交回復を先行させた。以来そこからなんの前進もなく、むしろ後退さえ感じさせている。

 服部が感じた当時の緊張感が、今の日本人にどれだけあるだろうか。日米関係と同様、独立国日本としての筋を通した外交が、高度成長が続く中で等閑視され続けてきたのではないか、という危惧を、今あらためて抱かざるをえないのである。

2005年11月19日

職人気質いずこ

 こんな不思議な顔は見たことがない。姉葉1級建築士が構造計算書を偽造の疑いをかけられ、取材に応じた顔だ。「世間に顔向けできないことをした」という表情はみじんもない。たんたんと仕事の説明をしたというだけで、謝罪や反省のことばがあっても、自らそれを行動で示す意図は全くなさそうだ。どこかの政治家のしぐさやいいわけと似ているところもある。

 1級建築士、中でも構造力学の専門家は頭がよく、どこからもひっぱりだこで、建設をめざす若者たちにとってはあこがれの的だったと聞く。まさにそのイメージどおりの落ち着いた秀才タイプに見える。その秀才が、すぐばれそうなうそを、ばれなくても震度5とか6で建物が破壊したら追求される証拠を、わざわざ残す神経がどうしてもわからない。この例だけではない、NHK、朝日新聞、諸官庁などなど、人もうらやむ職業の中で続発する。

 以前書いたことだが、繰り返し述べる。昔の職人さんは自分の仕事に誇りを持ち、その結果に頑固なほど責任を負った。それだけに、職人仲間を中傷するようなことを恥とした。また職業(大型)運転士は、運転テクニックと無事故が自慢で、素人との違いをそこに求めた。そして、みんなはそういう専門家を信用し尊敬してまかせた。

 今は違う。人をみれば警戒しなければならない。信用するといつかけ落とされる。こんな時代は過去何百年間なかったはずだ。新自由主義、一極集中主義、名前はなんであろうと、こういった風潮を生み出す仕掛けを、断固拒否し続けなければならい。

2005年11月20日

金閣寺の使い道

 pirikara様からTBをいただき、「金閣寺に塩まかなきゃ」と題する記事を拝見しました。それがヒントで、忘れかけていた「金閣寺の使い道」を思い出したのです。建造したのは足利義満。中国に臣従の礼をとったことで、戦前は売国、国辱行為の筆頭格におかれていました。

 その際、交渉にきた中国大使をもてなしたところがこの金閣寺です。僭越ながら拙著を引用しておきましょう。

    代が変わって恵帝が即位し、足利義満も南北朝講和を実現させると将軍職を義持に譲った。そのかわりにもらった太政大臣の肩書きも、わずか半年で返上した。引退するためではない。将軍や大臣名では明に受付けてもらえないことを知ったからだ。

    応永九年(1402)九月、明への度重なる働きかけがようやく効を奏し、新造した北山荘(通称・金閣寺)に前年の遣使にたいする答礼の使者を迎えた。国書には、「(前略)爾日本国王源道義、心を王室に存し、君を愛するの誠を懐き、波濤を踰越し、使を遣わして来朝す(後略)」とある。

    「日本国王」は自称したわけではなく、結果的に任命された形であるが、その次の遣明使には、「日本国王 臣 源表す、臣聞く・・・・」という国書を持たせた。宮廷すじからはすこぶる評判が悪かったが、そんなことを気にする義満ではなかった。(『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)

 でも、義満は足利全盛時代をきずいた歴史に残る人物です。さて、小泉さんはどうなんでしょう。

2005年11月21日

鶏口牛後

 このところ、引用記事が多くやや気になっているが、前々回の「職人気質」へのコメントや、ブッシュ来日の際の両首脳発言に関する各ブログの意見をみているうちに、今日付の毎日新聞コラム<発信箱>を書いている、編集局・山田孝男氏の「暴走する自由」を紹介しておきたくなった。

 同氏は、ブッシュ大統領が京都から発信したアジア政策演説に「自由」という言葉が75回も出てくることや、「最高度の自由からは最高度の隷属が生まれる」というソクラテスの言葉などを紹介した後、次のように結んでいる。

     際限なく自由な消費を追求する資本主義が貧富の差を拡大し、人々の慎みを奪って利己心をあおり、猜疑心を刺激し、争いを呼び、警察による監視が強まってゆく。問われるべきは日米同盟への忠誠度ではなく、米国化する社会と伝統的な日本の公共意識の調和だと思うが、首相は複雑な話に関心がない。

 それでは単純になるよう、警句と故事二つをあげておく。

  <鶏口と為るとも牛後となるなかれ>

  <狡兎死して走狗煮らる>

 中国人の心の痛みを無視する首相のことだから、中国の古い「ことわざ」など歯牙にもかけないことはわかっているけど・・・・。(慨嘆)

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