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2005年10月 1日 (土)

「朝日」の自省

[反戦老年委員会復刻版]

:  今日の5大紙の社説は、靖国に関する大阪高裁の判決をそろって取り上げたが、あとの一本を、朝日新聞のNHK関連報道に関する報告会見としたのは、毎日新聞と産経新聞の2紙であった。私は二つの報道で、当事者である小泉首相と朝日新聞それぞれの見解に、なにかクモの巣に引っかかったような、気持ちの悪い釈然としない気分を味わった。

 双方に共通するのは、タテ糸である「傲慢さ」とヨコ糸に相当する「本質はずし」である。小泉首相の「どこが違憲なのか、私にはわかりませんねえ」という発言は、下世話な庶民の感想ならばいざ知らず、独立した司法の権威を見下す軽率かつ傲慢な問題発言である。

 マスコミであろうが政界であろうが、最年少の新人議員が「料亭に行ってみたい」といった率直発言を騒ぎ立てるのに、行政トップの首相公言を問題視しない方が「私にはわかりません」。国会などで質問があれば、「判決文全文を読んでいませんし、行政の責任者として司法の判断に感想をのべることはさしひかえさせていただきます」と答弁するのが良識だろう。新人教育より首相教育の方が先だ。首相の責務を忘れた憲法軽視がここにもある。

 公的とか私的とかは些細なことである。国民の半数が反対し、与党内にも多数の反対者をかかえ、高裁から2度にわたって違憲を指摘され、中国、韓国との友好の途を閉ざし、それでも頑固に私情を通すのか。それがことの本質である。

 朝日新聞の方だが、傲慢さについては以前にも記事にした。今回の報告や弁明を見ると、「足らざるところはあった。関係者の処分は行った。社内チェック体制を強化する(記者の萎縮が心配)」などで、報道については、満点ではないが60点はとっている、という態度が見える。解社的出直しどころか資料公開にも応じず、「これで文句あるか」という印象さえ受ける。

 この問題の発端は、従軍看護婦問題である。この問題について、かねて同紙に誇張した報道があったとか、韓国の反日感情に火をつけたとかという、いわゆる自虐史観のお先棒をかついだとする、右傾雑誌やネット右翼の総攻撃の的にされていたことが知られている。

 同紙の取材や報道姿勢に一切問題がなかったかどうか、そのような攻撃をまともに取り上げて検証する努力をしたのかどうか。私は朝日の購読者ではないので論評は控えるが、同紙の読者のためにも、報道機関として反対意見にも耳を貸し、まちがいがあれば訂正し、反論すべき素材があればこれ提供する、という基本動作をこれからでも推進してほしい。

 安倍、中川両氏は、アンチ「朝日」的な意見の持ち主だろう。しかし、詫びる点があれば詫び、両氏の忌憚ない意見を取材して記事にする。これが信頼されるあるべき報道機関の本質ではないか。

2005年10月3日

Tさんへの手紙

 漸く迎えた清涼の季節、老年にとっては何にも勝る贈り物です。過日は丁重なお便りありがとうございました。また、日頃拙ブログにご注目いただき、重ねがさねお礼申し上げます。

 ブログの世界では、どの年代の方にも語りかけられることが他にない特長です。しかし、同年輩の方とは、たとえ意見が違っても共通する体験でお話できるので、お返事にはならないかも知れませんが、まずそんなところから始めたいと思います。

 おそらく終戦の年の春だったと思います。私が奉安殿の裏側の縁石に片足をのせてゲートルを巻いているところを、担任に見とがめられました。そして教室にもどり、全級友の前で「Mのごときは、おそれおおくも奉安殿に足をかけるという不敬をしでかしおった。作文以外になんのとりえもないMには、もうこの学校で学ぶ資格はない」と罵倒されました。

 これは案外あたっています。何のとりえもなく馬齢をかさねましたが、サラリーマン生活の最後になって、なぜか社史執筆に協力するよう社命を受けました。私にとっては、昔叱られた内容より作文だけ・・・・というくだりを励みに取り組んだわけです。

 したがって、ささやかながら「歴史を書く立場」になったわけです。われわれは、最も感受性の高い時期に戦争と敗戦を体験し、歴史については皇国史観のほかまともな教育を受けていませんでした。社史については、「どうせ会社のPRだ、真実を書けるわけがない」という冷たい同僚の目もありました。

 そこで、史料の収集と評価に重点をおいて、執筆者のプライドを損なわないような記事を書くことを目標とし、その実現につとめました。この経験から、話は飛びますが『日本書紀』批判の第一人者・津田左右吉氏のように、記紀の編者が史料に反して史実をねつ造したり、ありもしない作文を書いたとは思えないのです。

 同時に、断片的な史料をつなぐたけの史論や、価値判断を経ていない唯一の史料に頼る言論には、距離を置くようにしています。そして、Tさんの収集される多くの文献や、その中から発掘される文章には、珠玉の史的価値を見いだせるものがあるものと信じており、継続されることを願っています。

 今後も健康第一で精力的にご活躍されることを祈念し、あわせて変わらぬご厚誼のほどお願い申し上げます。

2005年10月9日

鉄格子の世相

 孫の運動会を見にY市の幼稚園にでかけました。開会にやや遅れて入るため、次のような手続きが必要でした。地元の駅に着いたら先着している息子に携帯で連絡する。息子は門のところまで出向いて、私にあらかじめ交付を受けた「保護者証バッジ」を手渡す。入門に際し警備員のチェックを受けて会場に入る。

 報道によると、今回の国勢調査は回収が半分に満たないところが多発し、ようやく家人に会えても「何の権限があってしつっこく調べるんだ」などと追い返される始末に、調査員が職務を辞退・返上するケースもでてきているといいます。世間が、個人情報悪用に神経過敏になっている証拠でしょう。

 最近は、公共の施設・会場などでなんやら首からカードのようなものをぶら下げた人の姿をよく見ます。中には得意げな人もいますが、あれはどうしても家畜か囚人のようにしか見えません。防犯ブザー、監視カメラその他もろもろ、善人が鉄の格子にとじこめられているかのような錯覚にとらわれ世の中です。もうこれ以上窮屈な思いはしたくありません。つい、終戦後のなんともいえぬ開放感を思い出してしまうのです。

 さいわい、わがI市の田舎では、向かいにある私立女子中学校から、例年どおり運動会や文化祭を見に来るようにという手紙がポストに入るし、公立小学校ではPTA主催のバザーへの協力要請がくるなど、オープンな面を残しています。そこで子供達と明るい会話が交わせればいいな、と楽しみにしています。

2005年10月10日

さつま芋

 さつま芋の収穫時期である。「新じゃが」はあるが「新さつ」というのはあまり聞かない。3年ほど前まで毎年50株ほどを家庭菜園で栽培していた。そのメリットは、1、連作0K、2、手入れ不要(虫や鳥の防護不要、葉が畑一面を覆うので乾燥に強く、雑草もあまり生えない)、3、芋はとっておけるなどである。

 それをやめた理由は、収穫後不要になった大量の葉っぱの処理である。秋まきの種のため、土地をあけなければならない。のびた蔓は互いにからみあっているので、埋めるにも動かすにもけっこうな重労働になる。腰痛の原因をつくるようなことは、やめとこうとなった次第である。

 芋の葉っぱといえば、新しい葉のつくやわらかい茎は、いがらっぽささえ処理すれば結構おいしく、終戦直後の食卓をにぎわした。芋の方は当時量本位の品種・農林1号が推奨されたが、白くて水っぽく、空腹であっても今あるような赤い皮の「たいはく」の方だけに手が伸びた。

 現在の最高品種は、「鳴門きんとき」だそうである。徳島県の海に近い広大な砂地で大規模生産される。ただしその砂は、寿命が3年ぐらいで、同質の砂を各地にさがし、山口県あたりからも船で運ばれるという。

 砂地で高い畦からまっすぐ下にのび、大きさも形もきれいにそろっている。だから葉のない砂の畦をすくうようにするだけで収穫も機械化されている。この銘柄、キロあたりいくらするのだろう。高級料亭の焼き芋にでもなるのか、それから蔓と葉の処理はどうするのか、ついぞ聞き漏らしてしまった。

2005年10月11日

和冦

 司馬遼太郎は、小説『韃靼疾風録』で次のように書いている。(元寇の後)日本においても九州近海におびただしい元船があらわれたという風説が、しばしば沿岸の民をおびやかした。松浦党の者は、自然探索に心がけた。かれらは壱岐・対馬の海民を指揮し、ときには高麗の沿岸へゆき、またしばしば東シナ海を漕ぎわたって長江の河口に出現するようになった。かれらは私貿易をし、かつ国情をさぐったときに乱暴を働いた。

 元寇以前に和冦はなく、その後にこの現象が起こったことをみると、因果関係は絶無とはいえない。 これは、和冦の発生を受動的なものとする「元寇報復説」に影響されたもので、戦前から流布されていた俗説である。「大東亜戦争は、侵略が目的ではなく自衛のために戦った」というのと似ているのだが、それぞれの和冦について発生の時期、場所、規模、実行勢力、各国の国情その他をつきあわせていくと、たちどころに根拠を失う我田引水の説であることがわかる。(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)

 和冦は、すくなくとも300年以上にわたって断続的に続いたが、高麗・明の両国はその影響を直接、間接に受けて崩壊するに至った。この場合も他の例に漏れず、加害者側の記録がほとんどないのにくらべ、被害者側に和冦がもたらした無謀・残酷さを訴える記録が多い。しかし、日本史の上で「和冦」が占める位置は無きに等しいといってもいいのが実態だ。

 そんな非常識なことはしないと思うが、かりに、中国・朝鮮が和冦について謝罪をもとめてきたらどうするか。もちろん、断固拒否すべきであろう。そのかわり相互に史料の探索、検証をすすめ、より正しい歴史の姿を明らかにすることである。それが、本当の意味で「歴史に学ぶ」ことにつながるのだ。そこには、屈辱外交も自虐史観も入り込む余地がない。

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