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2005年10月

2005年10月19日 (水)

開戦の日

[反戦老年委員会復刻版]

 昭和16年(1941)12月8日、米英との戦争に突入した日である。このニュースをラジオで知ったのは、父がまだ出勤する前だった。一家4人は一瞬沈黙した後、おそらく父は「遂にやったか」というようなことをいったと思う。私も母も、「勝てるのかしら?」と、同じ疑問を投げかけた。答えは「うーん、半分半分かな」という頼りないものだった記憶がある。

 終戦の放送の時もそうだったが、すぐ町の様子が見たくて家を飛び出した。どこも静まりかえっていたが、会う人の表情は一様に「えらいことになりよったなあ」という沈鬱の表情だった。果たして勝てるのかということと、これから先いつまで戦争がつづくのかという落胆が加わっている。

 最近、若い研究者の間で、知識階級の人は、それまで「弱い中国をいじめているという後ろめたさが消えなかったが、今度は強いアメリカと戦うのだから明るい」と感じていた、という分析が通説化しているようだが、とんでもない誤解である。

 沈鬱の空気が破れたのは数時間たって、真珠湾をはじめ次々と大戦果が報じられるようになってからである。研究者がいう知識階級とはどういう階層か、どの時点のどういう資料をもとにしているかで、結論が違ってくる。雑誌論文や対談などをただたどっただけでは、真相に全く近づけないことを知るべきだ。言論の自由がない時代の史的アプローチの方法を確立せず、目先の変わった論調に飛びつくことだけは、厳につつしんでいただきたい。

 注)当ブログによる戦中・戦後の体験などは、新設したカテゴリ・戦中・戦後にまとめましたので、過去の記事も一括ご覧いただけます。

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2005年10月15日 (土)

雨漏りする国連

[反戦老年委員会復刻版]

 昨日につづいて国連ネタ。世界で2番目に多い税金を日本が払っている国連。その国連があちこちの部屋で雨漏りするそうです。一昨日もそれで会場変更が起きる始末、なにしろ築50年以上ですからねえ。国連が02年、建て直し計画を公表したものの、ニューヨーク州議会は今年6月、建設許可を却下しました。アメリカにおける反国連感情が強まったことが大きいといいます。総会審議を遊覧船やテントで行う案もでているというから、よほど困っているにちがいありません(以上10/15「毎日新聞」を参照)。

 それならば小泉さん。日本誘致を働きかけたらどうですか。常任理事国入りの失敗を取り戻すには絶好でしょう。任期中に決定できるかもしれないし。候補地はどこにするか。石原さん、手をあげたら?。オリンピックは1度っきり、国連ならズーッと名が残る。もっとも知事がきらいな中国が拒否権を発動するかも知れませんね。

  大阪府知事の太田さん、オリンピックよりこの方が可能性がありますよ。ニューヨークだって首都ではないし、国際空港など東京より使いやすいでしょう。村上なんとかの買い占めでおたおたする阪神タイガースに頼るより、よほど雄大で実利があります。キャッチフレーズ「アジアの中枢都市」なんて小さい小さい。関西復権を世界に発信するには、これしかありませんね。

2005年10月16日

大村益次郎

 明治維新でタカ派といえば、大村益次郎をまず思い出す。西郷隆盛も武断派には違いないが、勝海舟と話し合って江戸城の無血開城をはかるとか、下級武士の福祉に配慮するなど庶民からも敬愛される一面があった。大村は西郷と違って幕府残党にも冷徹な方針で臨み、攻撃の手をゆるめるようなことはしなかった。

 兵制改革で急進的な徴兵制度創設をはかったのも大村である。明治新政府には、幕府のような直属の武装集団が無かったが、直ちに西欧列強のような国民徴兵制度に進むことは、近代化論者の大久保利通でさえ反対していた。しかし彼の持ち前である中央突破作戦で押しとおし、失業の危機にさらされる武士層の憎悪を買った。そして明治2年9月、京都の長州藩屋敷で彼等の凶刃に倒れ、44歳で非業の死をとげたのである。

2005年10月17日

軽薄・小泉

 小泉チルドレンというのは、靖国参拝で大人になれない小泉自身のことであることを知った。見識、洞察力、他人への配慮の欠落、歴史や国際問題に対する無知は子供なみ、いや、子供には失礼にあたるほどの低いレベルにしかないことが露呈した。

 これまで当委員会は、「それでも」という一縷の望みを持っていたことを、正直に反省する。また、このような首相に国政をゆだねることは、老年の体験に鑑み、日本の将来を危うくする第一歩であることを厳しく警告しなければならない。

 純粋な「反戦」の立場をつらぬくため、できるだけ不偏不党を心がけてきたが、もはや倒閣しか選択肢がない。ここに当委員会は、「反戦」の立場から、靖国参拝を強行した小泉に抗議し、「改革ファシズムを止めるブローガー同盟」に参加することを決議する。

         05年10月17日  反戦老年委員会</p>

2005年10月18日

天智天皇

 たしか今上天皇だったと思うが、もっとも尊敬する天皇は、という質問に「天智天皇」と答えられたというような記憶がある。昭和天皇は、幼少期からもっぱら明治天皇を手本にするような教育を受けていたとされている。

 今年の流行語大賞の有力候補である「刺客」を、自ら買ってでて見事成功させたのは、おそれおおくも皇太子時代の天智天皇である。飛鳥の宮殿で蘇我入鹿をエイヤァとばかり殺ってしまったのは、首がすっ飛ぶ挿絵なんかとともに、知らない人はいないだろう。しかし、母・皇極天皇の後継者争いには加わらず次のつぎをねらった。

 「改革・改革」とは言わなかったが、影にいて「大化改新」を推進した。一方百済を助けるという名目で朝鮮に出兵し、白村江で中国・新羅連合軍に大敗、敗戦処理がすんだ頃、近江・大津に都を移し即位した。つかの間の平和が訪れたが天皇は間もなく病死し、すぐ内戦が起きる。

 日本史上はじめて克明に記録された後継者決定戦である。天智の子・大友皇子と天智の弟・大海人皇子の争いは大海人が勝ち、天武天皇となった。勝因は、天智時代につちかったイメージ戦略と、大海人チルドレンの起用にあると見られる。天皇を神にしてしまったのもこのころからである。なお、天智を祭る大津の近江神宮は、昭和15年の創建で新しい。

 天智天皇がなんとなく気になる昨今である。

2005年10月20日

自然に親しむ

 秋たけなわ、自然に親しむには絶好の季節である。大自然、自然環境、自然食品、なんとなく自然といえばすべて善玉扱いされる。ところが、地球温暖化、大型台風多発、越前クラゲ、出没する野性動物、これらは自然現象とされず、なにがしかの人工的要素がからむものとして憎悪の的にされている。

 ということは、どうやらホモサピエンスの存在自体が自然現象ではなく、地球上の自然をどんどん破壊していくロボットに擬せられた、まさに人類の敵といわなければ・・・・?。あれっ!、変なことになってきたなあ。

 いや、どうやら真相を突いているかも知れない。もしかして、われわれはもう取り返しのつかないところまできているのじゃないか。それならば、このまま自然にまかせた方がいい。それが「自由主義」というものだ。


2005年10月23日

日本人の先祖

 ネット右翼と称される人の中に、中国や朝鮮の人々をことさら卑俗なことばで蔑視する傾向があるが、これはやめた方がいいと思う。以下は門外漢の私的仮説ながら、現状では間違っていないと信じている。

 [日本人の先祖は、縄文人、弥生人、古墳人(勝手造語)からなる。]

 縄文人は、紀元前1万2千年頃から日本列島(沖縄から北海道)に住み着いた。ほりが深く、二重まぶた、毛深いのが特徴で、南方系。おそらく南シナか東南アジアから渡来したものだろう。世界に類を見ない縄文土器文化を生み、自然の中で採取生活をし豊かに暮らした。それ以前の旧石器時代の人もいたが、人骨などの発見がまれなのでくわしくはわからない。

 [弥生人は、紀元前1千年頃から九州北部、近畿、中部へとひろがっていった。]

 その文化は水田の稲作と銅、鉄の利用である。顔はのっぺり、うりざね型でひとえまぶたが多く、体毛は薄い。北方系で中国の山東省で発見される人骨に似ているという。もともとの本拠地は朝鮮南部と九州北部で、中国、朝鮮と日本の混血が進んだものだろう。卑弥呼の時代、朝鮮南部もこれら「倭人」が住んでいたことがうかがわれる。

[「古墳人」ということばはないが、古墳時代最盛期から末期にかけて、朝鮮から多数の渡来者があった。]

 学術、宗教、建設、工芸指導者、職人・労働者にはじまり、後期の移民・難民まで含めて膨大な数にのぼった。

 日本で人類が自然発生したわけではないので、全部渡来人といえるが、中国に統一国家ができた秦(前221)以降だけで考えてみても、皇室を含め日本人の過半数以上は、中国・朝鮮から渡ってきた人達を先祖に持っているはずだ。仲良くしてあたりまえなのである。

2005年10月24日

イラクを占う

仮想臨時委員会</strong></p>
*平 国内問題が続いたので、今日は「イラクを占う」と題して、雑談会といくか。

*硬 フセイン元大統領の裁判がはじまった。虚勢というか、頑張っているねえ。

*乙 イラクはやっぱりおれじゃなくては治まらない、といいたいところだろう。しかしアメリカによるガイドライン、新憲法案は承認されそうだし12月に予定された総選挙も、スンニ派の協力があればうまくいくかも知れない。

*硬 フセイン被告にしてみれば、シーア派、スンニ派、クルド人勢力に3分されているイラクをうまく治めるには、少数派のスンニ派が権力をにぎり、バース党のような世俗政党が、クルドの分裂主義やシーア派のイラン接近派を強権をふるってでも抑え込むしかない、といいたいところだろうけどねえ。

*平 イラクで確実なことといえば、21日現在で米兵の死者1996人、近く2000人を越えるのは避けられそうにもない。そして自衛隊のいるサマワでは、シーア派宗教指導者からはっきり日本を敵視する宣言がでた。こののままではまさに戦闘地域そのものになる。

*硬 23日付の英デーリー・テレグラフ紙によると、英国防省がイラク大学に委嘱した極秘のイラク全土における世論調査で、イラク国民の82%が多国籍軍の駐留に強く反対しているという結果がでたそうだ。それに米英部隊への攻撃を支持する人が45%をしめている。

*乙 これは大変な数字だ。仮にイラク新政権が平穏に確立されたとなると、アメリカは国内事情があるから再び混乱が起きないうちに、しゃにむに撤退しなければならない。おつきあいしている国も遅れをとらないよう競争になる。

*硬 まさに総退却だね。イラクに釘付けの方がいい国は、イスラエル、イラン、北朝鮮の3国ぐらいか。

*乙 イラクがアメリカの期待する民主主義国になれば、国民感情からして親米にはならないだろう。結局誰かが予測していたように、何も得ることなくアメリカは敗北したことになる。ベトナムに次ぐ屈辱の責任を今度はブッシュ・ジュニアが負わなくてはならない。

*平 それにしても、小泉さんのなんと気楽なことよ。</li></ul>

2005年10月26日

イランと沖縄

 一昨日、「イラクにおける米兵の死者は、近く2000人を越えることを避けられない」と書いたら、昨日すでに越えてしまっていた。イラク全体の犠牲者の数は、この20倍から30倍あると見ても決して過大ではないだろう。アメリカが行動を起こしたアフガニスタンからカウントすると、さらに死者の数は増える。

 ブッシュ大統領は、それにもかかわらず「この戦争にはより多くの犠牲的行為、より長い時間、そしてより多くの不屈の精神が必要とされる」と強気の姿勢を変えていない。日本もポツダム宣言受諾方針が決まったあとでも「本土決戦」を叫び続けていた。攻め込むことより矛をおさめる方が、はるかに困難をともなうことの一例だ。

 ひるがえって東京では、沖縄の普天間飛行場移設をめぐり、日米の外務・防衛関係者の間でつばぜりあいが続いている。これを、当委員会流に[仮想日米秘密協議会]で再現してみよう。米=ローレス米国防副次官、日=大野防衛庁長官。

*米 当方はシュワブ沿岸から海を埋め立てる案以外に考えていない。

*日 藻場やサンゴの少ない海上に橋を渡すようなる方法ではどうだ。

*米 (いら立ったような声で)日本は二言目には藻が死ぬサンゴが減るという。イラクでは米兵が2000人も死んでいるんだ。わずかな藻やサンゴが死んだからどうだというんだ。

*日 沖縄では先の戦争で民間人を含め21万人も死んだ。この県民感情のことも考えてほしい。>

――そこへ、日本側秘書官が町村外相からのメモを手渡す。メモ曰く「ぼちぼちアメリカ側と妥協しくれないか。小泉首相の立場もあるから・・・」

 ローレス副次官は、実戦経験があるかどうか知らない。しかし日本側は戦場など誰ひとり見たこともない。牛肉輸入の交渉のように些細な条件をめぐって綱引きしているようにしか見えないのだ。きわどい軍事にからむ、全く次元の異なる交渉をしているという覚悟はあるのだろうか。

2005年10月27日

暖房省エネ法

 足早に暖房シーズンがやってきました。今年は灯油が高いようです。以前はエネルギーあたり単価が、灯油1、都市ガス2、電気4といわれたものですが、エアコンなどの改良が進みだいぶ様子が変わってきました。どううまく使い分けるかが検討課題になってきました。

 かつて暖房の省エネは、「断熱」「効率」「調節」の三要素で決まる、ということを発表したことがあります。いずれも、発音の最後が「ツ」で終わることを覚えておくと便利です。そのうち「断熱」は最も重要です。住宅では北海道が模範的で、断熱材に20センチの幅を確保し二重窓を採用するなど完全です。南の東京あたりでも最近は部屋をふとんで包むような保温が常識化してきました。低燃費、快適性を得るためには「断熱」が欠かせません。

 次の「効率」は、熱効率と考えてもいいでしょう。石油ポータブルストーブは室内で灯油を燃やすため、排気に含まれる水分の気化熱も加わって、熱効率は最高です。ただし、酸欠を防ぐための換気を必要とし、熱が上の方にたまりやすい点を考えれば、あまり上位にランクされません。

 煙突から熱が逃げる分、効率が落ちますが、ペチカ、オンドル、大型ストーブなど赤外線放射熱の量も多く、寒冷地ではやはり暖房具の王座を占め続けるでしょう。ヒートポンプのエアコンも、効率はいいのですが、外気温が0度に近づくと機能ががた落ちします。やはり暖国用でしょうね。

 最後の「調節」は、コントロールです。最近の暖房機は温度センサーで自動化されています。最もコントロールしやすいのが電気、次いでガス、石油機器は鈍感で設定温度もラフになり勝ちです。もっとも省エネのため厚着をする、というのも調節に入りましょうね。

 上の三要素には入っていませんが、部屋の温度分布も大切です。冷たい部分があると対流が起き、隙間風が入るような感じがします。厚手で床に接するカーテン(カーテンボックスのあるものが好ましい)は、冷熱放射と冷気の対流を防ぐので有効です。温度分布や放射熱ですぐれる温水式床暖房が快適さでは最高ですが、寒冷地では物足りなく感じる人もいるでしょうね。

2005年10月28日

イラク戦争の大義

 報道によると、米ブッシュ大統領のイラク戦争の「大義」が微妙に変化しているそうです。最初の目的は、かくされた大量破壊兵器を摘発することだったのに、それは、ニセ情報で実際にはなかった。バツが悪いので、次はフセインを追放して民主主義を根づかせることにしたが、思い通りにはいかず、米兵の死者がふえる一方。

 そこでこんどは「スペインからインドネシアに及ぶ過激なイスラム帝国建設を目論むテロ武装組織との戦い」だそうです。アメリカ国民はこんな、低次元でできの悪いアニメゲームの設定のような話に簡単に乗るんですかねえ。もっともこの大義ならこれからもズーと続けられるかも知れませんが。

 ところで、小泉さん。自衛隊はイラク復興支援のため、だったですよね。アメリカとは相当違ってきたようですが、これからどうします?。ブッシュから連絡がない?。「時期を見て適切に考える・・・」?。ああそうですか、やっぱり。

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2005年10月 3日 (月)

Tさんへの手紙

[反戦老年委員会復刻版]

 漸く迎えた清涼の季節、老年にとっては何にも勝る贈り物です。過日は丁重なお便りありがとうございました。また、日頃拙ブログにご注目いただき、重ねがさねお礼申し上げます。

 ブログの世界では、どの年代の方にも語りかけられることが他にない特長です。しかし、同年輩の方とは、たとえ意見が違っても共通する体験でお話できるので、お返事にはならないかも知れませんが、まずそんなところから始めたいと思います。

 おそらく終戦の年の春だったと思います。私が奉安殿の裏側の縁石に片足をのせてゲートルを巻いているところを、担任に見とがめられました。そして教室にもどり、全級友の前で「Mのごときは、おそれおおくも奉安殿に足をかけるという不敬をしでかしおった。作文以外になんのとりえもないMには、もうこの学校で学ぶ資格はない」と罵倒されました。

 これは案外あたっています。何のとりえもなく馬齢をかさねましたが、サラリーマン生活の最後になって、なぜか社史執筆に協力するよう社命を受けました。私にとっては、昔叱られた内容より作文だけ・・・・というくだりを励みに取り組んだわけです。

 したがって、ささやかながら「歴史を書く立場」になったわけです。われわれは、最も感受性の高い時期に戦争と敗戦を体験し、歴史については皇国史観のほかまともな教育を受けていませんでした。社史については、「どうせ会社のPRだ、真実を書けるわけがない」という冷たい同僚の目もありました。

 そこで、史料の収集と評価に重点をおいて、執筆者のプライドを損なわないような記事を書くことを目標とし、その実現につとめました。この経験から、話は飛びますが『日本書紀』批判の第一人者・津田左右吉氏のように、記紀の編者が史料に反して史実をねつ造したり、ありもしない作文を書いたとは思えないのです。

 同時に、断片的な史料をつなぐたけの史論や、価値判断を経ていない唯一の史料に頼る言論には、距離を置くようにしています。そして、Tさんの収集される多くの文献や、その中から発掘される文章には、珠玉の史的価値を見いだせるものがあるものと信じており、継続されることを願っています。

 今後も健康第一で精力的にご活躍されることを祈念し、あわせて変わらぬご厚誼のほどお願い申し上げます。

2005年10月9日

鉄格子の世相

 孫の運動会を見にY市の幼稚園にでかけました。開会にやや遅れて入るため、次のような手続きが必要でした。地元の駅に着いたら先着している息子に携帯で連絡する。息子は門のところまで出向いて、私にあらかじめ交付を受けた「保護者証バッジ」を手渡す。入門に際し警備員のチェックを受けて会場に入る。

 報道によると、今回の国勢調査は回収が半分に満たないところが多発し、ようやく家人に会えても「何の権限があってしつっこく調べるんだ」などと追い返される始末に、調査員が職務を辞退・返上するケースもでてきているといいます。世間が、個人情報悪用に神経過敏になっている証拠でしょう。

 最近は、公共の施設・会場などでなんやら首からカードのようなものをぶら下げた人の姿をよく見ます。中には得意げな人もいますが、あれはどうしても家畜か囚人のようにしか見えません。防犯ブザー、監視カメラその他もろもろ、善人が鉄の格子にとじこめられているかのような錯覚にとらわれ世の中です。もうこれ以上窮屈な思いはしたくありません。つい、終戦後のなんともいえぬ開放感を思い出してしまうのです。

 さいわい、わがI市の田舎では、向かいにある私立女子中学校から、例年どおり運動会や文化祭を見に来るようにという手紙がポストに入るし、公立小学校ではPTA主催のバザーへの協力要請がくるなど、オープンな面を残しています。そこで子供達と明るい会話が交わせればいいな、と楽しみにしています。

2005年10月10日

さつま芋

 さつま芋の収穫時期である。「新じゃが」はあるが「新さつ」というのはあまり聞かない。3年ほど前まで毎年50株ほどを家庭菜園で栽培していた。そのメリットは、1、連作0K、2、手入れ不要(虫や鳥の防護不要、葉が畑一面を覆うので乾燥に強く、雑草もあまり生えない)、3、芋はとっておけるなどである。

 それをやめた理由は、収穫後不要になった大量の葉っぱの処理である。秋まきの種のため、土地をあけなければならない。のびた蔓は互いにからみあっているので、埋めるにも動かすにもけっこうな重労働になる。腰痛の原因をつくるようなことは、やめとこうとなった次第である。

 芋の葉っぱといえば、新しい葉のつくやわらかい茎は、いがらっぽささえ処理すれば結構おいしく、終戦直後の食卓をにぎわした。芋の方は当時量本位の品種・農林1号が推奨されたが、白くて水っぽく、空腹であっても今あるような赤い皮の「たいはく」の方だけに手が伸びた。

 現在の最高品種は、「鳴門きんとき」だそうである。徳島県の海に近い広大な砂地で大規模生産される。ただしその砂は、寿命が3年ぐらいで、同質の砂を各地にさがし、山口県あたりからも船で運ばれるという。

 砂地で高い畦からまっすぐ下にのび、大きさも形もきれいにそろっている。だから葉のない砂の畦をすくうようにするだけで収穫も機械化されている。この銘柄、キロあたりいくらするのだろう。高級料亭の焼き芋にでもなるのか、それから蔓と葉の処理はどうするのか、ついぞ聞き漏らしてしまった。

2005年10月11日

和冦

 司馬遼太郎は、小説『韃靼疾風録』で次のように書いている。(元寇の後)日本においても九州近海におびただしい元船があらわれたという風説が、しばしば沿岸の民をおびやかした。松浦党の者は、自然探索に心がけた。かれらは壱岐・対馬の海民を指揮し、ときには高麗の沿岸へゆき、またしばしば東シナ海を漕ぎわたって長江の河口に出現するようになった。かれらは私貿易をし、かつ国情をさぐったときに乱暴を働いた。

 元寇以前に和冦はなく、その後にこの現象が起こったことをみると、因果関係は絶無とはいえない。 これは、和冦の発生を受動的なものとする「元寇報復説」に影響されたもので、戦前から流布されていた俗説である。「大東亜戦争は、侵略が目的ではなく自衛のために戦った」というのと似ているのだが、それぞれの和冦について発生の時期、場所、規模、実行勢力、各国の国情その他をつきあわせていくと、たちどころに根拠を失う我田引水の説であることがわかる。(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)

 和冦は、すくなくとも300年以上にわたって断続的に続いたが、高麗・明の両国はその影響を直接、間接に受けて崩壊するに至った。この場合も他の例に漏れず、加害者側の記録がほとんどないのにくらべ、被害者側に和冦がもたらした無謀・残酷さを訴える記録が多い。しかし、日本史の上で「和冦」が占める位置は無きに等しいといってもいいのが実態だ。

 そんな非常識なことはしないと思うが、かりに、中国・朝鮮が和冦について謝罪をもとめてきたらどうするか。もちろん、断固拒否すべきであろう。そのかわり相互に史料の探索、検証をすすめ、より正しい歴史の姿を明らかにすることである。それが、本当の意味で「歴史に学ぶ」ことにつながるのだ。そこには、屈辱外交も自虐史観も入り込む余地がない。

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2005年10月 1日 (土)

靖国判決&「朝日」の自省

[反戦老年委員会復刻版]

: 今日の5大紙の社説は、靖国に関する大阪高裁の判決をそろって取り上げたが、あとの一本を、朝日新聞のNHK関連報道に関する報告会見としたのは、毎日新聞と産経新聞の2紙であった。私は二つの報道で、当事者である小泉首相と朝日新聞それぞれの見解に、なにかクモの巣に引っかかったような、気持ちの悪い釈然としない気分を味わった。

 双方に共通するのは、タテ糸である「傲慢さ」とヨコ糸に相当する「本質はずし」である。小泉首相の「どこが違憲なのか、私にはわかりませんねえ」という発言は、下世話な庶民の感想ならばいざ知らず、独立した司法の権威を見下す軽率かつ傲慢な問題発言である。

 マスコミであろうが政界であろうが、最年少の新人議員が「料亭に行ってみたい」といった率直発言を騒ぎ立てるのに、行政トップの首相公言を問題視しない方が「私にはわかりません」。国会などで質問があれば、「判決文全文を読んでいませんし、行政の責任者として司法の判断に感想をのべることはさしひかえさせていただきます」と答弁するのが良識だろう。新人教育より首相教育の方が先だ。首相の責務を忘れた憲法軽視がここにもある。

 公的とか私的とかは些細なことである。国民の半数が反対し、与党内にも多数の反対者をかかえ、高裁から2度にわたって違憲を指摘され、中国、韓国との友好の途を閉ざし、それでも頑固に私情を通すのか。それがことの本質である。

 朝日新聞の方だが、傲慢さについては以前にも記事にした。今回の報告や弁明を見ると、「足らざるところはあった。関係者の処分は行った。社内チェック体制を強化する(記者の萎縮が心配)」などで、報道については、満点ではないが60点はとっている、という態度が見える。解社的出直しどころか資料公開にも応じず、「これで文句あるか」という印象さえ受ける。

 この問題の発端は、従軍看護婦問題である。この問題について、かねて同紙に誇張した報道があったとか、韓国の反日感情に火をつけたとかという、いわゆる自虐史観のお先棒をかついだとする、右傾雑誌やネット右翼の総攻撃の的にされていたことが知られている。

 同紙の取材や報道姿勢に一切問題がなかったかどうか、そのような攻撃をまともに取り上げて検証する努力をしたのかどうか。私は朝日の購読者ではないので論評は控えるが、同紙の読者のためにも、報道機関として反対意見にも耳を貸し、まちがいがあれば訂正し、反論すべき素材があればこれ提供する、という基本動作をこれからでも推進してほしい。

 安倍、中川両氏は、アンチ「朝日」的な意見の持ち主だろう。しかし、詫びる点があれば詫び、両氏の忌憚ない意見を取材して記事にする。これが信頼されるあるべき報道機関の本質ではないか。

2005年10月4日

中国の脅威

仮想定例委員会
*平 中国の国家主席、胡錦濤は、9月3日の「抗日戦勝60周年記念」の演説で「日本が台湾を侵略占拠していた50年間、台湾同胞は絶えず反抗し、65万人が犠牲となった」といったそうだ。

*硬 へぇー、わり算すると毎年1万3000人づつ殺したことになるよ。

*平 例によって白髪3000丈さ。実際は全部で3万人に満たないようだ。(以上05/9/29「毎日新聞」夕刊、金子秀敏論説委員のコラムを参照)

*硬 いってすぐばれるようなうそをつくのは、どこかの国の世情と似てきたのかな。それにしても国家主席だぜ。最初、化外の民の地といってもてあました台湾を、日清戦争の賠償で投げだしたことも忘れている。

*乙 そこが国状の違いだね。過去の歴史を検証すること自体は、日本の方がはるかに進んでいる。さまざまな議論が活発におこなわれ、すくなくとも根拠のないことをいえばすぐにばれるからね。

*平 ただ、靖国公式参拝だとか南京事件は幻などと、相手の傷口に塩をなすりつけるようなことをいうから、もめて手がつけられなくなる。

*乙 中国は、台湾問題やよくいわれるような行政に対する不満鬱積などのアキレス腱をかかえている。これで逆に歴史が政治に利用されているようだ。これは北朝鮮がなくなった金日成を神のようにたたえるのと同じ現象だろう。しかし両国の違いは、中国はもはや世界で孤立できないところに来ている点だね。

*硬 そこなんだ、日本は先進国とのつきあいとか経済の面では先輩格ということを忘れてはいけない。大人の対応をすればいいのだ。同じレベルになって角をつきあわせることに熱心な連中は、そう考える自信のない「自虐史観」じゃないの、っていつかもいったよね。

*乙 でもまごまごできないよ。中国も必死だから。気がついたら中国の方が大人の立場にいた、などにならないよう、小泉さん頼みまっせ。

*平 中国問題はまた次でも取り上げよう。

2005年10月5日

中国の脅威 2

仮想定例委員会
*平 昨日は、中国とは大人のつきあいをすべきだ、というところまでの話だった。

*硬 しかし、胡錦濤の台湾で65万人の犠牲者という発言に誰か抗議したのかなあ。中国は日本の要人の発言を「妄言」といって非難するが、この非友好的発言は、そんなレベルじゃあないぜ。

*乙 抗議したという報道は、目につかないねえ。もっとも、正式外交ルートで持ち出すと売り言葉に買い言葉がはじまり、マスコミが火に油を注いでさわぎを拡大する結果になる。

*平 しかしいわれっぱなしというのは、両国にとってよくない。靖国問題もそうだが、相互で解決点をさぐるうまい手はないものかねえ。

*乙 戦前は、大陸浪人というのがいてねえ、まあブラックで詐欺師みたいなことをやっていたが、大物中の大物に右翼の頭山満(とうやまみつる)がいる。また、中国革命に身を投じた宮崎滔天や北一輝なども中国要人との人脈があった。戦時中も朝日新聞にいた緒方竹虎が極秘で中国との和平交渉にかかわったりしている。このブロクでも触れたことがあるが、中国人にも孫文や郭沫若など、日本に滞在したことのある知日派幹部がいた。そういった人脈がつながっていたのは周恩来首相の頃までなのかなあ。二重外交だとか、裏面工作だとか評判は悪いが外交にはそういった面も必要だと思うよ。

*平 鈴木宗男はそこをねらった(笑)。

*乙 さあ、それはどうかね。ただ保身第一の外交官まかせでは、これから先が不安だ。

*硬 胡主席の台湾犠牲者発言が本当なら、依然として不当な反日教育を続けているということになるが、日本人の中には、いわゆる庶民感情で在日中国人による犯罪が悪イメージにつながっている。

*平 福岡の一家殺害事件だとか、空き巣、カードなど日本になかった新手でやってくる。犯罪が起きると「中国人か?」だもんね。

*乙 こころなしか、最近はすこし減ってきたんじゃない?。統計上はわからないけど。そんなことも両国の官憲で話し合えば解決できないことではない。南シナ海のガス田問題も世界中よくある話なんだ。クエート・イラクみたいに失敗すると戦争になるが、話し合いで解決することの方が多い。そこらも、みんな両国のトッブ次第。結論はいつもこれだ(笑)。

2005年10月8日

中国の脅威 3

仮想定例委員会
*平 戦争への危機感といっても、戦後派にとってはタカ派であろうとハト派であろうと、本当は実感がわかない。タカ派にしても、憲法を改正して自前の軍隊を持ったところで、結局米軍の下請け仕事ができるように、という程度で、核を持ち中国を支配できるような陸上兵力を備えようというわけでもないだろう。

*乙 そう、自分が戦闘の第一線に立つことなど誰も想定していない。戦後日本が瞬間的だが危機感に立たされたのは、1950年の朝鮮戦争の時だ。北朝鮮はソウルを抜いて光州まで占領、釜山に迫った。この時は、北九州一帯に警戒警報が発令され戦後として最初で最後の灯火管制がおこなわれた。マッカーサーの指示で警察予備隊(自衛隊の前身)が創設され、若かったわれわれは徴兵制度反対の署名までしたものだよ。

*硬 最近の中国は、尖閣諸島の領土問題だとか潜水艦を増強して、太平洋遠くに出没したり日本の領海を無断で横切るなど、緊張を高めているが。

*平 やはり、台湾独立派への牽制が大きいと思うよ。それに台湾海峡に火がついても他国の軍事介入は容易じゃないよ、という警告かな。アメリカ向けのメッセージが主で、日本は直接の対象ではなくおまけといったところだろう。

*硬 アメリカが手出しするようなことがあれば、さっきの朝鮮戦争の時と同じだ。米軍基地がある沖縄は中国にとって敵地になるので、一気に緊張状態が高まる。警戒警報発令だ。そんなことを頭に置きながら、防衛協力のガイドラインだとか、在日米軍の再編問題をどうするなどとやっているのだろ。

*乙 まあ軍人というのは、いつでも仮想敵国を対象に図上作戦を立ててるものだがね。しかし、米中ともにもっと大きな世界戦略の中で相手を考えているはずだ。最近はアメリカの識者のあいだで、6カ国協議で見せた中国の我慢強さ、妥協点をさぐるねばり強さ、そして対立点を巧妙に後送りする欧米にはない外交手法が、驚嘆され高く評価されているという。

*平 ということは、アメリカのイラク侵攻などニセ情報ひとつで戦闘にはしったことへの反省もあるのかなあ。

*乙 こんなに長引いて死者が増え続けているようでは、そういうことになるかも知れないね。そこでこの次は、ナショナリズムの衝突についてメモを作っておきたいと思ってる。

2005年10月7日

ナショナリズム・メモ

 ナショナリズムのありようについては、既にいろいろな分野で学問的な検討がなされているのだと思う。しかしそういった専門知識がないため、思いついたままを記録しておき、後日ふり返って見ることにしたい。そのためのメモである。

 大国ナショナリズム=アメリカと中国がその典型である。大国の要件は、広大な国土面積と、多民族をかかえる人口の多さである。アメリカのナショナリズムは、星条旗で表現される「自由と民主主義」と「世界一」の自負心であり、これが国家統一の結節点である。ふだん過激な様相を現すことは少ないが、9.11とか真珠湾などには過敏に反応する。

 中国のナショナリズムは、さまざまな形を取るが、DNAには3000年の歴史と中華思想が根づいている。辛亥革命で意図したものが、毛沢東時代に国家単位で確立した。ナショナリズムが国家統一の柱になっていることは、アメリカと同じだが、反日活動など国のコントロールのもとで内政問題に利用されることが多い。

 小国ナショナリズム=北朝鮮がその典型。朝鮮はかつて事大主義といって大きいもの強いものに仕える、つまり中国の冊封(さくほう)を受けることで国の安全をはかってきた。独立の意義は、まさに「主体(チュチェ)主義」を貫徹することにあり、世界に例を見ない独善的な小国ナショナリズムを現出した。

 日本も明治時代から、西欧とは違うアイデンティティーを追い求める傾向があった。昭和初期から醸成されていった天皇制ファシズムは、まさに小国ナショナリズムに相当する。小国ナショナリズムは、多民族の統合といった内的要因を解消する効果を持たず、「国威発揚」といった外にはけ口を求めることが多い。

 大国ナショナリズムは、ブッシュのような例外はあるが、内外に影響するところが大きいので、慎重に扱われることが多い。小国であっても、コントロールのきかない独裁者がナショナリズムを振り回すようなことがあれば、相対的に危険性が増す。

 大国ナショナリズムは、必ずしも広大な国土と人口を持つ国特有のものではなく、大国にふさわしい文化的背景とか潜在的経済力、外交能力などのもとでも存在し得る。ひるがえって日本のナショナリズムはどっちを向いているのだろうか。残念ながら愛国心礼賛者には小国指向しかないように思う。国連で名誉ある地位を占めたいなら、世界に通用するグローバルなナショナリズムが必要になってくるだろう。

2005年10月22日

靖国問題の帰趨

 小泉首相が5度目の靖国参拝をした日、「軽薄・小泉」という記事をのせ、「改革ファシズムを止めるブローガー同盟」に参加することを表明したところ、これまでになく多数のコメントやTBが殺到した。お寄せいただいた諸兄姉にあらためてお礼したい。いただいたご意見や他のブログを逍遙してみると、当然ながら鮮明な「推進派」と「反対派」、それに条件付賛成派や日和見派などの「中間派」に分かれる。

 まず、推進派の論調から受ける印象であるが、小泉氏が当日「私的」を強調する姑息な行動をとった、とする批判が若干あるものの、小泉氏の真意に迫ろうとするものは、ほとんどないといっていい。この点立場は違うが、ゲンナさんによる「<平和を願う>小泉首相の意識と行動」がよくまとまっており、参考になる。

 また推進派の主張は、反中国主義と歴史修正主義の2点に絞られているのが特徴で、それに朝日新聞中傷とか反共意識が盛りつけられている。歴史修正主義にについては、それらの根拠となる資料の軽重を無視していたり、時期の混同などがあることなどを、本ブログでもたびたび取り上げてきた。

 反中国については、軍拡・核武装にまでエスカレートして言及するものがある。以上の2点は、最近の小泉首相発言で見られる「侵略戦争への反省」や歴史的存在である「東京裁判」の肯定、日中友好の促進などで、はしごがはずされた格好になっている。

 推進論は、(なにかテキストでもあるのではないかと思わせるほど)単純で論旨一貫している。これに反して反対派は、政教分離に反する違憲をとりあげるもの、経済・外交など国際環境から見た国益を論ずるもの、中国、韓国への悪影響を憂慮するもの、それに推進論に対する反論など、自分の頭で考えたと思われる記事が多いにもかかわらず、集中していないだけに力は弱い。中には「疲れた」という嘆きの表現さえ聞こえてくる。

 推進論が矛盾にさらされ、崩壊寸前にあるにもかかわらずこわいのが、「もののはずみ」である。小泉解散が成功したのも「もののはずみ」であり、ブッシュがあいまいな情報をもとに、イラクに出兵したのも「もののはずみ」にほかならない。

 靖国問題は、今後中・韓の自制の利いた対処と、首相の任期問題で小康を得るかも知れない。ただひとにぎりではあるが、推進論者と同じレベルにあり、これを利用しようとする国会議員が存在する。。ミリタリズムを指向する憲法改正が「もののはずみ」で実現したらたまらない。はずみをつけさせないようブログで頑張るしかない。

2005年10月25日

面子

 一昨日、「日本人の先祖」と題し、中国、韓国を蔑視する風潮を批判したが、両国の民族性を理解しようとする努力もあまりしてないのではないか、ということに気がついた。そこで今日は、中国の「面子」(めんつ、みぇんつ)について考えてみたい。

 このことばは、戦時を体験している人なら、シナ人固有の性癖として誰でも知っていた。現在でも日本語化して通用するが、一般用語の「体面」と区別されることはない。「中華思想」も、もっぱら独善的、排他的な側面だけで語られるが、3千年の歴史の中で平和維持にどういう効果があったか、という観点にも目を向けるべきだろう。

 中国史や中国文化を研究する人は、この「面子」という民族特有の精神構造に深い関心を寄せる。たとえば、貝塚茂樹氏の『中国の歴史』(岩波新書)では、第一章に大きなスペースを割き、中華思想と面子について次のように述べている。

 孤立になれた中国民族は国際社会のなかでも孤立をそれほど気にしないどころか、ゆるがない文化の優越性の自信をもとにして、いつも外向的に自己を主張しつづけてきたのでもあった。これは孤立のもたらした積極的な作用といえるであろう。

 中国民族の国家的な自尊心の強さは、個人にもよく現れるが、さらに社会的には互いに相手の「面子」(顔)を立てる風習とつながっている。「顔を立てる」「仁義をきる」ことは、博徒のみならず、軽い意味で日本の社会の至ところで行われている習慣である。欧米人の目から見るとこの面子の押し売りは、全く了解できない、不合理な社会悪とうつるらしい。

 この記述は40年もまえのことで、いまでは「日本にもある習慣」とはいえなくなった。小泉さんは今度の選挙でこの「習慣」をすっかり「改革」してしまった。その名残は今や「寅さん」映画でしか味わえない。中国では、自分の面子を立てるためならウソをついてもいい、またそのウソを知っている相手は、面子をつぶさないために知らないふりをする、とまでいわれる。

 靖国問題で中国は、「侵略行為をしたのは日本の指導者で、兵士・国民は同じ戦争被害者だ」と、相手の面子を立てた。にもかかわらず首相がA級戦犯を祭る靖国神社に参拝し、中国の面子を完全につぶしてしまった。と感じるのである。

 ひとつ要求に応じると次から次と要求をエスカレートし際限がない、という中国非難の主張があるが、どっか別の国と混同している。もっとしっかり相手を見定めなれればならない。

 知彼知己者 百戦不殆(彼を知りて己を知れば百戦してあやうからず。孫子

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「朝日」の自省

[反戦老年委員会復刻版]

:  今日の5大紙の社説は、靖国に関する大阪高裁の判決をそろって取り上げたが、あとの一本を、朝日新聞のNHK関連報道に関する報告会見としたのは、毎日新聞と産経新聞の2紙であった。私は二つの報道で、当事者である小泉首相と朝日新聞それぞれの見解に、なにかクモの巣に引っかかったような、気持ちの悪い釈然としない気分を味わった。

 双方に共通するのは、タテ糸である「傲慢さ」とヨコ糸に相当する「本質はずし」である。小泉首相の「どこが違憲なのか、私にはわかりませんねえ」という発言は、下世話な庶民の感想ならばいざ知らず、独立した司法の権威を見下す軽率かつ傲慢な問題発言である。

 マスコミであろうが政界であろうが、最年少の新人議員が「料亭に行ってみたい」といった率直発言を騒ぎ立てるのに、行政トップの首相公言を問題視しない方が「私にはわかりません」。国会などで質問があれば、「判決文全文を読んでいませんし、行政の責任者として司法の判断に感想をのべることはさしひかえさせていただきます」と答弁するのが良識だろう。新人教育より首相教育の方が先だ。首相の責務を忘れた憲法軽視がここにもある。

 公的とか私的とかは些細なことである。国民の半数が反対し、与党内にも多数の反対者をかかえ、高裁から2度にわたって違憲を指摘され、中国、韓国との友好の途を閉ざし、それでも頑固に私情を通すのか。それがことの本質である。

 朝日新聞の方だが、傲慢さについては以前にも記事にした。今回の報告や弁明を見ると、「足らざるところはあった。関係者の処分は行った。社内チェック体制を強化する(記者の萎縮が心配)」などで、報道については、満点ではないが60点はとっている、という態度が見える。解社的出直しどころか資料公開にも応じず、「これで文句あるか」という印象さえ受ける。

 この問題の発端は、従軍看護婦問題である。この問題について、かねて同紙に誇張した報道があったとか、韓国の反日感情に火をつけたとかという、いわゆる自虐史観のお先棒をかついだとする、右傾雑誌やネット右翼の総攻撃の的にされていたことが知られている。

 同紙の取材や報道姿勢に一切問題がなかったかどうか、そのような攻撃をまともに取り上げて検証する努力をしたのかどうか。私は朝日の購読者ではないので論評は控えるが、同紙の読者のためにも、報道機関として反対意見にも耳を貸し、まちがいがあれば訂正し、反論すべき素材があればこれ提供する、という基本動作をこれからでも推進してほしい。

 安倍、中川両氏は、アンチ「朝日」的な意見の持ち主だろう。しかし、詫びる点があれば詫び、両氏の忌憚ない意見を取材して記事にする。これが信頼されるあるべき報道機関の本質ではないか。

2005年10月3日

Tさんへの手紙

 漸く迎えた清涼の季節、老年にとっては何にも勝る贈り物です。過日は丁重なお便りありがとうございました。また、日頃拙ブログにご注目いただき、重ねがさねお礼申し上げます。

 ブログの世界では、どの年代の方にも語りかけられることが他にない特長です。しかし、同年輩の方とは、たとえ意見が違っても共通する体験でお話できるので、お返事にはならないかも知れませんが、まずそんなところから始めたいと思います。

 おそらく終戦の年の春だったと思います。私が奉安殿の裏側の縁石に片足をのせてゲートルを巻いているところを、担任に見とがめられました。そして教室にもどり、全級友の前で「Mのごときは、おそれおおくも奉安殿に足をかけるという不敬をしでかしおった。作文以外になんのとりえもないMには、もうこの学校で学ぶ資格はない」と罵倒されました。

 これは案外あたっています。何のとりえもなく馬齢をかさねましたが、サラリーマン生活の最後になって、なぜか社史執筆に協力するよう社命を受けました。私にとっては、昔叱られた内容より作文だけ・・・・というくだりを励みに取り組んだわけです。

 したがって、ささやかながら「歴史を書く立場」になったわけです。われわれは、最も感受性の高い時期に戦争と敗戦を体験し、歴史については皇国史観のほかまともな教育を受けていませんでした。社史については、「どうせ会社のPRだ、真実を書けるわけがない」という冷たい同僚の目もありました。

 そこで、史料の収集と評価に重点をおいて、執筆者のプライドを損なわないような記事を書くことを目標とし、その実現につとめました。この経験から、話は飛びますが『日本書紀』批判の第一人者・津田左右吉氏のように、記紀の編者が史料に反して史実をねつ造したり、ありもしない作文を書いたとは思えないのです。

 同時に、断片的な史料をつなぐたけの史論や、価値判断を経ていない唯一の史料に頼る言論には、距離を置くようにしています。そして、Tさんの収集される多くの文献や、その中から発掘される文章には、珠玉の史的価値を見いだせるものがあるものと信じており、継続されることを願っています。

 今後も健康第一で精力的にご活躍されることを祈念し、あわせて変わらぬご厚誼のほどお願い申し上げます。

2005年10月9日

鉄格子の世相

 孫の運動会を見にY市の幼稚園にでかけました。開会にやや遅れて入るため、次のような手続きが必要でした。地元の駅に着いたら先着している息子に携帯で連絡する。息子は門のところまで出向いて、私にあらかじめ交付を受けた「保護者証バッジ」を手渡す。入門に際し警備員のチェックを受けて会場に入る。

 報道によると、今回の国勢調査は回収が半分に満たないところが多発し、ようやく家人に会えても「何の権限があってしつっこく調べるんだ」などと追い返される始末に、調査員が職務を辞退・返上するケースもでてきているといいます。世間が、個人情報悪用に神経過敏になっている証拠でしょう。

 最近は、公共の施設・会場などでなんやら首からカードのようなものをぶら下げた人の姿をよく見ます。中には得意げな人もいますが、あれはどうしても家畜か囚人のようにしか見えません。防犯ブザー、監視カメラその他もろもろ、善人が鉄の格子にとじこめられているかのような錯覚にとらわれ世の中です。もうこれ以上窮屈な思いはしたくありません。つい、終戦後のなんともいえぬ開放感を思い出してしまうのです。

 さいわい、わがI市の田舎では、向かいにある私立女子中学校から、例年どおり運動会や文化祭を見に来るようにという手紙がポストに入るし、公立小学校ではPTA主催のバザーへの協力要請がくるなど、オープンな面を残しています。そこで子供達と明るい会話が交わせればいいな、と楽しみにしています。

2005年10月10日

さつま芋

 さつま芋の収穫時期である。「新じゃが」はあるが「新さつ」というのはあまり聞かない。3年ほど前まで毎年50株ほどを家庭菜園で栽培していた。そのメリットは、1、連作0K、2、手入れ不要(虫や鳥の防護不要、葉が畑一面を覆うので乾燥に強く、雑草もあまり生えない)、3、芋はとっておけるなどである。

 それをやめた理由は、収穫後不要になった大量の葉っぱの処理である。秋まきの種のため、土地をあけなければならない。のびた蔓は互いにからみあっているので、埋めるにも動かすにもけっこうな重労働になる。腰痛の原因をつくるようなことは、やめとこうとなった次第である。

 芋の葉っぱといえば、新しい葉のつくやわらかい茎は、いがらっぽささえ処理すれば結構おいしく、終戦直後の食卓をにぎわした。芋の方は当時量本位の品種・農林1号が推奨されたが、白くて水っぽく、空腹であっても今あるような赤い皮の「たいはく」の方だけに手が伸びた。

 現在の最高品種は、「鳴門きんとき」だそうである。徳島県の海に近い広大な砂地で大規模生産される。ただしその砂は、寿命が3年ぐらいで、同質の砂を各地にさがし、山口県あたりからも船で運ばれるという。

 砂地で高い畦からまっすぐ下にのび、大きさも形もきれいにそろっている。だから葉のない砂の畦をすくうようにするだけで収穫も機械化されている。この銘柄、キロあたりいくらするのだろう。高級料亭の焼き芋にでもなるのか、それから蔓と葉の処理はどうするのか、ついぞ聞き漏らしてしまった。

2005年10月11日

和冦

 司馬遼太郎は、小説『韃靼疾風録』で次のように書いている。(元寇の後)日本においても九州近海におびただしい元船があらわれたという風説が、しばしば沿岸の民をおびやかした。松浦党の者は、自然探索に心がけた。かれらは壱岐・対馬の海民を指揮し、ときには高麗の沿岸へゆき、またしばしば東シナ海を漕ぎわたって長江の河口に出現するようになった。かれらは私貿易をし、かつ国情をさぐったときに乱暴を働いた。

 元寇以前に和冦はなく、その後にこの現象が起こったことをみると、因果関係は絶無とはいえない。 これは、和冦の発生を受動的なものとする「元寇報復説」に影響されたもので、戦前から流布されていた俗説である。「大東亜戦争は、侵略が目的ではなく自衛のために戦った」というのと似ているのだが、それぞれの和冦について発生の時期、場所、規模、実行勢力、各国の国情その他をつきあわせていくと、たちどころに根拠を失う我田引水の説であることがわかる。(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)

 和冦は、すくなくとも300年以上にわたって断続的に続いたが、高麗・明の両国はその影響を直接、間接に受けて崩壊するに至った。この場合も他の例に漏れず、加害者側の記録がほとんどないのにくらべ、被害者側に和冦がもたらした無謀・残酷さを訴える記録が多い。しかし、日本史の上で「和冦」が占める位置は無きに等しいといってもいいのが実態だ。

 そんな非常識なことはしないと思うが、かりに、中国・朝鮮が和冦について謝罪をもとめてきたらどうするか。もちろん、断固拒否すべきであろう。そのかわり相互に史料の探索、検証をすすめ、より正しい歴史の姿を明らかにすることである。それが、本当の意味で「歴史に学ぶ」ことにつながるのだ。そこには、屈辱外交も自虐史観も入り込む余地がない。

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