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2005年9月 5日 (月)

敗戦直後

[反戦老年委員会復刻版]


高見順『敗戦日記』文藝春秋新社、より(一部省略)

9月2日 横浜に米兵の強姦事件があったという噂。「負けたんだ。殺されないだけ<u>ましだ」。「日本兵が支那でやったことを考えれば・・・・・・」。こういう日本人の考え方は、ここに書き記しておく「価値」がある。

[管理人注]・9月10日、GHQは占領軍に関し報道を制限。新聞は犯罪報道で「背の高い男が・・・・」というような記事を書いた。これは、米兵のこと、という読者の暗黙の了解があった。中国での残虐行為は、口コミで常識化していたらしい。「東京裁判史観」?、裁判はまだ始まっていない。

9月3日 降伏調印式の写真を新聞で見る。

9月4日 ラジオでスターリン議長の演説の梗概を聞いた。南樺太、千島がソ連に取られる。それはいい、それは仕方ない。しかし古い日露戦争を持ち出してくるとは・・・・・。私は何かソ連を信じていた。だが・・・・・。「これが政治だ。これが政治というものだ!」と私は心の中で叫んだ。

[管理人注]英・米・華の三国は、領土拡張の意図がないことをカイロ宣言で明らかにした。樺太・千島は江戸時代から日露が争ったところで、日露戦争の結果樺太南部の日本領有を確保した。(千島は、それ以前に樺太千島交換条約により全部が日本領)。

 高木は、共産国には帝国主義的野望がないはず、と思っていたにちがいない。しかし日ソ中立条約を破棄し、わずか5日の参戦の成果として、上記旧北方領土を占拠し、朝鮮北半分と実現はしなかったものの北海道北半分の占領も要求した。
 
 情勢の変化と国益優先で、「昨日の友は今日の敵」といった国際関係を作るのはある程度常識。アメリカも例外ではない。最近では、イラク・イラン戦争でイラク・フセイン政権を支援したアメリカも例外ではない。最近では、イラク・イラン戦争でイラク・フセイン政権を支援したアメリカが、今回の戦争で壊滅させた。

2005年9月15日

「靖国で会おう」

 戦時、出征学徒や特攻隊などが、出陣にあたって「靖国で会おう」を合い言葉に戦地に向かった、という伝説が靖国礼賛者を中心に蔓延している。あと2、3年敗戦がのびていたら、まちがいなく同じ立場に立たされただろう者として、当時いだいていた心境を、忌憚なく吐露しておく。なお、そのような発言を直接聞いたこともなく、発言した人の本音を確かめたこともないことを、最初にことわっておきたい。

 結論から先にいうと、どんな場合であろうと「死にたくない、死ぬのなんかいやなこった」と思っていたことである。「死んで帰れと励まされ」という歌詞がある戦時歌謡があった。また、「お国のために、愛する妻や子のために、図らずも尊い命を捧げた英霊に・・・・」といった趣旨の発言が小泉首相の発言の中であったと記憶している。

 戦後生まれの人に聞いていただきたい。これらには、大きな欺瞞と矛盾が含まれている。「死んで帰れ」といったのは一体誰だろう。「ちぎれる程に振った旗」は妻や子が持っていた。だけど「死んで帰れ」という妻や子がどこの世界にいるものか。いったのは軍の手先をつとめる隣組長か校長の類だろう。愛する妻や子のためなら、なんとしてでも無事帰還するのが兵士のつとめだ。

 靖国願望など虚妄である。「図らずも・・・・」、そう図らずもである。最初から靖国行きを願っていたわけではない。

 それでは、なぜ「靖国で会おう」伝説が生まれたのだろう。それは、集団自殺の心理からである。私自身、死にたくはないが、20歳を越える人生はないものという覚悟のようなものがあった。ことに戦争末期は前線にでること自体、死を意味した。その逃れられない運命を、自らに言い聞かせる呪文が「靖国で会おう」である。そして、無念の遺族には、「靖国」が犬死ではない証だった。なにしろ、天皇が頭をさげて神に祭ってくれるのだから。自爆テロの「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)とどれほどの違いがあろうか。

 なお、誤解のないように付け加えるが、靖国は一時代のモニュメントとしての存在に異論はないし、ほりえもんの天皇制廃止論を聞くと、吐き気を催すほど不快である。こういった屈折した心理は、同世代特有のものだろうか。

[追記] 「死んで還れと励まされ」の歌詞をあとで調べたら、「夢にでてきた父親」のことばでした。それにしても不自然な歌詞ですね。

2005年9月21日

天皇と戦争

 昨日に続き、いただいたコメントの中で比較的多かった、戦中・戦後の一般の天皇感や天皇の戦争責任に対する私見を述べてみたいと思います。私の体験については、小学生時代から中学生時代までを今年5月1日から30日までの間、10回ほどに分けて記載しました。その中にもありますが、次のエピソードから大体ご想像いただけると思います。

 戦時中、毎月8日は大詔奉戴日で、授業のかわりに先生が引率する神社参拝があります。途中の悪ふざけは今も同じ小学校の高学年です。「朕がプッと屁をふれば、爾ら臣民臭かろう」。先生は、一切聞こえないふりをします。

 戦後、天皇は日本各地を巡回しました。おおむね大歓迎を受け、国民が何を申し上げても「アッ、ソー」のオウム返し。日本語知らないんじゃないかという噂も立ちましたが、「天ちゃん」「セミ天(皇太子のこと)」というニックネームもつきました。

 戦中の天皇神格視は滑稽なほど厳格で、そのため責任をとらされて失職したり自殺する人まででましたが、子供が茶化すことまで取り締まれませんでした。現人神の教育をいかに徹底しても、一般の受け止め方は「代々続いた特別な人」「慈悲深い人」のうえにでることはなかったと思います。ただ「天皇の名」をやたらに振り回す官憲や指導層がいたことは厳然たる事実です。

 戦後もその延長線上にありました。戦争の最後の最後、東条などの主戦派をしりぞけ、今のイラクのような混乱を避ける決断をしたのは天皇であり、平和を続けるためには天皇にいてもらわなければならない、と考えたものです。共産党は日の出の勢いでしたが、天皇制反対をとなえたため頭打ちになったのかも知れません。

 最後に天皇の戦争責任です。天皇の名のもと戦地に召集され、大勢の人が戦死したからには責任があるという、漠然とした考えはありました。しかし、天皇は平和主義者ながら、開戦の決定には制度上逆らえなかったという解釈(これが東京裁判史観です)が通っていたので、うっかり見過ごしてしまいました。

 その後、戦中の史料や天皇側近の日記などが多く公表されて研究が進み、天皇の意志が戦中も機能していたことや終戦前後には、天皇の戦争責任や退位についても内部で真剣に検討されたことがわかってきました。結論から言うと、昭和天皇は適当な時期(講和条約発効の頃)に戦争の責任をとって自発的に退位すべきだったと思います。

 そうすることにより、国内の議論はもとより、周辺国に対するけじめがよりすっきしたものになったでしょう。また天皇制の存続を確乎としたものにするのにも役立ったと思います。勝手な想像ですが、天皇にその気があっても、政界有力者などがアメリカの意向と称して必死で阻止にまわったでしょう。冷戦激化のもと、東京裁判史観(今は戦犯擁護などで右派が攻撃目標にしている)は、当分の間続ける必要があったのです。

2005年9月22日

歌は世につれ

仮想臨時委員会(出席:硬、乙、平 雑談会)

*平 昨日、一昨日と戦中から戦後にかけての世相を見てきたが、同じ時代に同じ体験をしておきながら、「靖国」ひとつとってみても見解が真二つにわかれているのはなぜだろう。

*乙 わからないが、最近こういうことかな?という気がしてきた。史実も世相もひとつだが、個人の受け止め方によってま反対になる。たとえば終戦直後の茫然自失からいちはやく立ち直り、自由、平和の開放感を味わい、将来の明るさと希望を感じ取った人と、占領軍がやってきて天皇の上に立ち、過去の栄光が消滅するだけでなく、戦犯としての摘発や戦争協力者として追放処分になることをおそれ、共産革命を本気で心配していた人がいたことだ。

*硬 血はひいていないが、平沼赳夫さんの養父で元総理のき(馬へんに其)一郎さんは、大物観念右翼として有名で、A級戦犯となり終身刑の判決を受けたよね。安倍晋三さんのおじいさん岸信介さんも、東条内閣の商工大臣だったから、その頃はびくびくしていた方の口だ。

*乙 そういう個人の話にはうかつに乗れんが、戦中と戦後のどっちに被害者意識を持ったのかの違いは、誰であろうと影響が大きいだろうよ。

*平 それは、国民の圧倒的多数が戦中に被害を受けたと思うだろうな。

*硬 うーん、表面上はともかく、内心戦後の方に被害感を持つ人もすくなからずいたんじゃないか。ただ世相は完全に自由謳歌だろう。

*乙 私は前にも言ったことがあるが、庶民の生活感覚は流行した歌謡曲によく表れる。テレビで戦争前後の流行歌を追跡してその変化を解析してくれるといいね。戦後60年企画として。

*平 戦後の流行歌は、底抜けに明るい。「りんごの歌」「東京ブギ」「憧れのハワイ航路」それに「青い山脈」ね。♪古い上着よさようなら さびしい夢よさようなら・・・・と。こんな時代は珍しいね。

*乙 戦中も当初の愛国行進曲や軍艦行進曲が「海ゆかば」にとってかわるように、戦況による変化があった。末期には、歌詞はやたら勇ましいのに、メロディーが痛哭としかいいようのない「学徒動員の歌」などが現れている。

*硬 詩も曲も厳しい検閲があったが、はやるかどうかまで強制できないものね。♪勝ってくるぞと勇ましく・・・・の露営の歌の歌詞はすごい。1番から5番までの各番すべてに死・命・死・死・命という字が入る。

*乙 靖国を歌い込んだ曲も3曲ほどあるが、革命歌・労働歌とともに懐メロとしてもあまりでてこない。歴史の勉強にはなると思うがねえ。

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