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2005年9月

2005年9月10日 (土)

サイトの表札

[反戦老年委員会復刻版]

 「反戦老年委員会」は、明日をもって開設半年となります。試行錯誤を繰り返す中、拙稿を我慢強く見ていただいた諸兄姉に、まずもって感謝の意を表します。パソコン歴は結構長いのですが、相談や質問する人もなくほとんど独学でここまでやってきました。だから、基本的なことについては全く無知で、「へー、こうすればこうなるのお」なんてなことが、ほとんど毎日のようにおきています。

 余談はさておき、このサイトのなまえについて、複数のかたから由来というか質問を受けたことがあるので、この際触れさせてください。まず、ベトナム反戦運動が盛んな頃「反戦青年委員会」という、今でいえば勝手連のような(違うかな)組織と名称が似ていますが、それに関与したことはなく全く無関係です。ただ、反戦とか護憲というのは、現在の政党のようにただ唱えているだけではだめで、積極的に攻撃しなければ獲得できないもの、という気持ちはあります。そこで便宜上、集団による発言をよそおってみたわけです。

 次に動機がからみますが、自衛隊の海外派兵とか戦争責任、靖国、東京裁判、歴史認識その他、最近議論されることがらの中に、あまりにも戦中・戦後のことに無知な議論が多く、わずかでも当時を知るものとしての発言をしておきたいと思ったことです。特に若い人が、非科学的かつ断片的な受け売りの意見を振り回すことに、平和への脅威を感ずることがあります。

 60から70歳台も大きく意見が割れ、アンケートなどでは、右よりの人がやや多いように伝えられていますが、戦中の被害を強く感じるか、戦後に受けた被害を強く受け止めるかの差で、一部の売文家をのぞき埋められない溝ではないように感じています。そんなことも含め、今後もできるだけ長くこの調子で続けていきたいという心境です

2005年9月13日

逆転の発想

 下手な常識にとらわれないで、逆の発想の中から改革を実現させる。いえ、政治や選挙の話ではなく大相撲の話です。それは、ひとり最強を誇るモンゴル人横綱・朝青龍を大関に、負けてばかりいる3人の大関陣をそろって横綱にする、という案です。

 「朝青龍が怒るだろうって?」、いいえそんなことはありません。彼は喜びます。江戸時代の伝統を尊重し、そこへ戻すだけですから。そうすると一番強いのが大関ということになり、横綱の役目である土俵入りなどの儀式はしないですみます。外国のめんどくさい神式セレモニーが義務なんて、いやでしょう。日本の国粋主義者も嫌っています。

 横綱というのは、地鎮祭などに相撲取りが招かれ、しめ縄を腰に巻いてしこを踏む、いわばローラーのような役をしたことからきています。これには免許がいり、熊本の吉田家というのが発行していたんですね。有名な大関、雷電為右衛門なども、免許を申請しなかったから、横綱ではなかった。

 こうすれば、横綱が外国人一人だけで大関が弱い、などの理由で相撲人気が低迷することを緩和するかもしれませんよ。儀式要員ではないのだから、強ければ大関をどんどん増やせばいい。横綱審議会も吉田家へ返上するとか、協会顧問に小泉さんを招くとか、手はいろいろあると思います。

2005年9月16日

衣食足りて

 「衣食足りて礼節を知る」あるいは「栄辱を知る」は、紀元前7世紀の管子のことばとされる。終戦直後、衣食欠乏にあえいだが、礼節はともかく、栄辱を忘れるようなことは日本になかった。それから2、30年、ひたすら衣食住の安定を求め続けてきた。

 そしてそれらのすべてが充足した時、礼節も栄辱もどこかにすっとんでしまったような事件が多くなった。立派な家に住み、立派な職業を持つ人が、すぐばれるような悪事をなんの思慮もなく犯してしまう。その軽い乗りはどこからくるのだろう。

 いかに破廉恥な行為で逮捕されても、釈放されれば衣食住に困ることはない。解雇されても個人情報が守られれば、村八分的な社会的制裁を受けることもなく、再就職も可能である。いや、なにもしないでぶらぶらしていても、だれも不思議に思わない。まさに「衣食住足りて栄辱を知らず」の時代がやってきたのだ。

2005年9月20日

衣食足りて頽廃を知る

 9月16日に「衣食足りて」と題した記事をのせました。これについて、locus75様から次のような問いかけがあり、「教育そのもの」か、「幼年期(あるいは人生の一定期間)の社会環境」か、「現在の社会環境」か。答えはどれか一つというわけではないのでしょうが、いずれにせよ2000年の歴史の中で捉えることは重要なことだと強く賛同いたします。 

 さらに、「だんなの屋根裏部屋」様の「衣食足りて礼節は」で、豊富なな例示で拙稿の不足を補っていただきました。そこでも、どこで、日本古来の「礼」を失ってしまったのでしょうか。これは学校教育の問題なのか、家庭での教育が出来ていないからなのか。それとも欧米から流入した「自由」という観念がもたらした結果なのか。という疑問を投げかけておられます。

 この答えがだせるのか、と4日間考え込んできましたが、教育論にうとい私にはとても無理のようであきらめました。そこで、とりあえず幼少期の体験と若干の感想を述べるにとどめ、お許しをいただきたいと思います。

 お天道さまがいつでもどこでも見ていらっしゃる、ミミズに小便をかけるとおちんちんが腫れる、ご飯粒を踏む(粗末にする)と目がつぶれる、我が身をつねて人の痛みを知れ、そのほかにいろいろあるでしょうが、これらは日本固有の自然崇拝・八百万の神信仰に根ざすもので、信ずる信じないは別として、深層心理に張り付いているように思います。また、「うそをつくと閻魔様に舌を抜かれる」など、仏教系因果応報説話も、これに続くものでしょう。

 次に、忠・孝・仁・義・礼・智などの徳目で、江戸時代までに確立していた儒教中心の教育方針がありました。それに一部キリスト教的な要素まで組み込んだのが明治政権になってできた「教育勅語」の中味です。いま、これを復活させることに熱心な人がいますが、残念ながら「斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓」などではなく、ほとんどが中国などの外来文化からきたものといえましょう。しかし、国粋主義に毒された皇国史観や尽忠報国の部分をのぞけば、教養として知っておくべきことが多いと思います。

 最後に、やや危険な発言ですが、司法の閉鎖性を排除するとともに、もっと犯罪に対する社会的制裁が強くなってもいいと思います。小は電車の中で不心得者に注意するとか、常習犯を放任しないとか、要はみせしめになるようなことが少なすぎるように思えるのです。

 子供の頃、犯人護送車はありませんでした。犯人を自動車で送り迎え?、そんな贅沢なこと・・・、と思ったでしょう。犯罪者は、深編み笠をかぶされ、後ろ手にしばって単独に、あるいは数珠つなぎで歩かされ、電車に乗せられて連行されました。「こんなこわい、恥ずかしい目には決してあうまい」と思ったものです。

 そうです。恥、恥の文化が厳然として存在しました。それが消え失せたことが頽廃の元凶だと思います。

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2005年9月 9日 (金)

テロの危険性

[反戦老年委員会復刻版]

2005年9月9日

仮想緊急委員会(出席者:硬、乙、平)

*平 カタールの衛星テレビ、アルジャジーラがロンドン同時爆破事件の容疑者の一人、モハメド・ザデック・カーンの写ったビデオを放映したそうだが、新聞にはあまり大きくでていないねえ。

*硬 アメリカは、アルジャジーラを敵視している。彼等の宣伝に乗るな、という線で、マスコミの自主規制が利いているせいじゃないの?。

*乙 だけど内容は、日本にとってきわめて深刻といわざるを得ない。同じビデオに収録されたアルカイーダのナンバー2、ザワヒリが声明した「パレスチナ、イラク、アフガニスタンへの攻撃に参加した国々」への戦闘を続けるということは、別段目新しいものではないが、問題は、カーンがいっている「我々に対し継続的に不正義を行ってきたのは、あなた達自身が民主的に選んだ政府だ」という部分だ。

*硬 いいかえると、犠牲になったロンドン市民にも責任があるんだよ、ということか。

*乙 それに、ブッシュに打撃をあたえるのは、直接攻撃より彼を支援しする友人を困らせるのが一番効果的、と考えているふしが最近のテロ攻撃からもうかがえる。

*硬 自衛隊のイラク撤退時期を明言しないし、12月の期限延長もアメリカ次第と思っている小泉外交では、ヤバいなあ。選挙の投票日をひかえているだけに、よけいおそろしいタイミングじゃあないか。

*乙 小泉の子分たちがよく口にする「北朝鮮のミサイル・核弾頭の脅威」などとは、比較にならない現実性と緊急性があると思わないか。

*平 そうだよねえ。今日は当委員会として「警鐘乱打」の結論としよう。

2005年9月6日

アメリカの無神経

 9月6日、『毎日新聞』朝刊

 【ワシントン笠原敏彦】米国務省は、米同時多発テロから4年を迎える9月11日に合わせて各国で追悼行事を行うよう、在外の米大使館に指示した。7月に爆破テロが起きたエジプト・シナイ半島の保養地シャルムエルシェイクなど各国のテロ被災地も開催場所として検討されているという。テロへの怒りを共有することで対テロ戦争での連帯強化を図る狙いだ。ブッシュ政権がイスラム社会を特に意識して進める「パブリックディプロマシー」(広報外交)の一環で、大統領側近で約3週間前に就任したヒューズ国務次官(広報担当)が主導いている。[上記趣旨の国務次官談話略]。イラク情勢の混迷に伴いイラクから撤兵する「有志連合」が増える中で、米国には、対テロ戦争は米国だけの戦いではないと訴え、各国の支持をつなぎ止めたい思惑があるとみられる。

 イラクでのアメリカの焦りからとはいえ、他国民、他民族に対するアメリカ独特の無神経ぶりがまた露呈した。日本の大使館がアメリカの災害地や、中国の南京などで、原爆記念日に「追悼行事」を主催したら、そこの国民はどう思うだろう。イスラム社会に重点を置くというが、全く逆効果だ。

 テロにあったエジプトの保養地は、イスラエルや同国とエジプトが攻防を繰り返したガザ地区の隣接地区だ。現地のエジプト人は死者を悼み、当然テロを憎んでいるだろう。しかし、なぜテロが発生し、あとを絶たないか、についてはイスラム教徒である彼等が一番よく知っている。まして、今や9・11と関係のないことが明らかになったイラクについて、アメリカとの連帯を押しつけられるいわれは全くない。

 こんな単純な道理がなぜ米外交に反映しないのか、アメリカには優れた中東やムスリムの専門家が大勢いる。そういった人の意見を聞かないのか、または、専門家が沈黙を余儀なくされているのか、是非知りたいところだ。

2005年9月8日

ノルウェー型貢献

仮想定例委員会

*平 「国際貢献論」が途中で、尻切れトンボになったが、カテゴリ「反戦論」でもうすこし続けよう。

*硬 ここまでの議論の中で、「経済大国になった日本が、金は出すが血や汗は流さない」という湾岸戦争での非難を受けて、国際貢献論に拍車がかかっていたこと、それが最近では国際貢献ではなく、アメリカ貢献に変身しているという実態を見てきた。

*平 変身のそもそものはじまりは何だろう。

*硬 1978年、この年は日中平和条約が調印された年だが、日米安保条約はそのままにしておいて、日米安保協議委員会で了承された「日米防衛協力のための指針」を決めてからだ。それが湾岸危機の時からものをいうようになった。

*乙 それまでは、野党が日米安保を「日米軍事同盟」というのを、政府与党の方で嫌やがっていたが、最近はどうだ、政府の方が積極的に「日米同盟」というようになった(笑)。

*平 各国の間では、国際貢献イコール多国籍軍参加という図式はすでになくなっている。テロ制圧に正規軍派遣というのも筋違いな感じがしてきた。国際貢献と自衛隊海外派遣を結びつけるのは、ますます実態から遊離した神学論争になってしまっている。

*乙 本来の意味での国際貢献なら、ノルウェーの外交を買いたいね。議会でノーベル平和賞の選考をしたり、国連で最初の事務局長を引き受けるなど、その評価はともかく伝統的な平和への努力は並のものじゃあない。

*硬 イスラエルとPLOの秘密交渉を仲介、いわゆる「オスロ合意」に成功したのをはじめ、スリランカの停戦合意、スーダン、フィリピンの和平交渉など、軍事衝突を避けるため、世界のあらゆる所でどんどん前にでている。

*平 北極圏に近い小さな国なのに、どうしてそんなことができるんだろう。

*乙 小さな国なんていったら失礼だよ。7日に国連開発計画が発表した05年版「人間開発報告書」では、健康、教育、経済力の総合的な充実度を示す「人間開発指数」で連続5年世界第一位を維持している。アメリカと日本は、8位と9位だったのが仲良く10、11位と2桁台へ転落だ。アメリカは、首都ワシントンのアフリカ系米国人の乳幼児死亡率が、インドの農村部より高いことまで指摘された。アメリカの国連嫌いもわかるような気がするね(笑)。

*硬 ノルウェーのまねはすぐできないにしても、今ならギリギリ「平和憲法」を名刺代わりに使えないか!。「郵政改革」にうつつをぬかしているようじゃーね(肩を落とす)。--投票日を前に--

2005年9月11日

アメリカの堕落

 今日、最も衝撃を受けた新聞報道は、毎日新聞の国際コラム「東論西談」に國枝すみれ記者が書いている、米国の有力な科学月刊誌「ナショナル・ジオグラフィック」の嘆きについてである。

 今度のハリケーン被害について、温暖化に関連づけた論調も一部にあるが、米国の世論はそれに否定的だという。上記月刊誌は、かつて温暖化特集を組む際に「温暖化は存在しないと主張する勢力が国家の頂点に君臨」する中で、数千部にのぼる購読拒否を覚悟した、といい、さらに進化論特集の企画では、神が人間を創造したと考える米国人が45%もある上、聖書の天地創造説を信じる人々が地方の教育委員会委員に立候補し、公立学校の授業で進化論を否定するように圧力をかける事態を憂慮した、というレポートである。くわしくは、是非原文でお読みいただきたい。

 こんな状態では、アメリカ産牛肉などとても口にするわけにはいかない。青少年の頃、あこがれていた科学の国、自由の国、正義の国、明朗闊達の国アメリカは、一体どこへいってしまったのだろう。ひるがえって、日本ではこんなことを見習おうとしているのか、そうでないのか。是非真相を知りたい。

2005年9月12日

小泉圧勝を嘆く暇はない

 当委員会では、最初から小泉圧勝の可能性を指摘し、野党の選挙戦術にコペルニクス的転回がなければ勝利はむつかしい、と主張した。その概要は、小泉の掲げる争点を役に立たなくすること、ファッショ的な小泉手法を集中攻撃することなどであるが、各野党とも、解散を自民以上に絶好のチャンスととらえていたので、上記のような無責任な素人考えに思いをいたすことなどあり得なかった。

 社民党は、解党の危機を脱したように思っているらしい。しかし、護憲が理解されたなどと気をゆるめている暇はない。共産党には無理な注文だが、早速公明党と9条を守るための協議をし、民主党の護憲勢力に働きかけ、党再編の決断を迫るべきだ。それくらいのやんちゃぶりを発揮しなければ存在する意味がない。

 小泉圧勝のため、自民党の性格づけがより鮮明になり、国民の監視もしやすくなった。昭和10年前後、経済の立ち直りが見えたものの、国民が軍部の専横と政党政治の混迷に慨嘆して口を閉ざしてしまったことが、一党独裁と相次ぐ戦時立法に道を開き、人権や自由を失ない敗戦を招いた。このにがい経験を忘れないで、さあブログの発言を続けようではないか。

2005年9月14日

政界マグマの激動

 前々回の投稿で、圧勝した小泉自民党の行方を監視しつづける必要がある、と書いた。いままでの自民党、いや小泉氏自身でさえ変貌を遂げる可能性がでてきたからである。小泉氏にとって、いままでの抵抗勢力や圧力団体はもとより、所属する党すら無視できる権力を手に入れたのだ。あとは、彼の美学からして、いかに晩節をけがさず歴史に残る名宰相として1年を送るかにある。その意味からすると、永田町に飛び交う「続投論」に乗ることは、彼自身の否定につながりかねないので、まずあり得ないとしておこう。

 これまでの政界マグマは、裏工作などで「蠢動」するものだった。今回は、大爆発、大地震、大津波がいつ起きても不思議ではない、政治環境「激動」の予兆がある。

 その一つが右派勢力の小泉離反である。先月はじめ、共産党をのぞく4党共同で、先の戦争に対する否定、反省と平和志向を盛った戦後60年の国会決議をまとめた。また首相は、選挙戦のさなかTVインタビューに答え、戦争を肯定する靖国神社の論理を明確に否定した。これに「新しい教科書をつくる会」など右派勢力の中から猛反発が起き、反小泉色がこれまでになく高まった。

 右派勢力の主張は、中国、朝鮮とは、一歩たりとも妥協するな、の一点張りである。外交にこんな理不尽なことがいつまでも通るわけがない。首相に残された期間で、実現可能な最大の課題は、小泉首相の業績に影を落とす中国との関係の改善である。

  そこで大胆な予想、「首相は今年の靖国参拝を中止する」。 当たる率は、なんらかの了解を中国から得ることを含め、50%としておこう。

2005年9月18日

民主党代表の憲法感

 民主党代表に前原誠司氏が就任したことは、憲法にとって自民党大勝以上の危機的状況である。いうまでもなく、同氏が9条2項改訂論者であり、集団的自衛権肯定論者であるからである。

 自民党の改憲論者は、これまで与党が衆議院の3分の2といっても、公明党の協力がなければ、改憲の発議を通過できなかった。しかし野党・民主党の代表が前原氏になったことにより、民主党と改憲案を協議する絶好の機会ととらえるだろう。

 前原氏にとっても、「政権を奪取するため一致団結を」と口で言うだけでは、政権からますます遠ざかることぐらい知っている。4年間じり貧状態でいるより、公明党に代わって自民と連立を組む機会をねらうことがあってもおかしくない。政界再編の嵐は、一歩手前まで迫っている。

 本当は、民主党にアジアを重視するとともに、アメリカの一方的な軍事戦略強化へのはどめ(抵抗勢力)になってほしかった。菅野氏が代表になっても政界再編は避けられないだろうが、リベラル勢力を結集して、自民に塩を送るようなことだけは避けるだろう。

 ブッシュの大義なきイラク攻撃、これに易々として乗ってしまった与党の姿勢を見て、いま9条2項に手を加えたらどんなことになるか。共産、社民、公明、それに菅野氏を推した94名を足しても3分の1には達しない。護憲はもはや政治家にまかせておけない段階になった。

2005年9月26日

小泉だけの世界

[わずか11分の施政方針演説を聞いて(9月26日)]

 「改革、民営」の連呼がむなしく議場に消える。新味なし、政策なし、憲法なし、緊張もなし。竹中さん武部さんの疲れきってゆがんだ顔。変わらぬ表情は細田さんのみ。ほかの政治家の顔は、いつしかどこかに消えてなくなった。

 パレスチナもイラクも遠のく平和、イランも北朝鮮にも進歩なく、アメリカ、イギリスは荒れ模様。「イラク人道復興支援継続」「中国・韓国との相互理解友好関係推進」「国連強化、安保理改革」。ひとつも現実とかみ合っていない。

 かつての施政方針演説は、官僚の作文という批判をよく受けた。だがそれにもおよばない。悪者にされ、余計ものあつかいされた官僚達は、しらけきっているのだ。やはり小泉の中味は空洞だったのか。国民は信念の政治家、孤高の政治家、先見と行動力の政治家を小泉に託した。

 その夢は見果てぬ間に早くもかき消されそうだ。このさき生まれる混乱も、やはり国民が負わなくてはならない。この国をどうするのか。どこへ行こうというのか、小泉日本のあやうさをあらためて知る。

2005年9月28日

人類には法の支配を

 日頃、新聞のコラム欄はあまり見ないが、今朝の毎日新聞「余録」には引きつけられた。要旨は次のようなものである。

 オオカミなどキバやツメなど強力な武器を持つ動物は、同じ種同士の戦いで相手を殺すような致命的攻撃はひかえる。逆にヒトのように強い肉体を持たない動物は、元来攻撃を抑制する本能にとぼしく、残忍性ががある(動物行動学者、K・ローレンツ説)。武器を発明したヒトが、体力の限界をはるかに超える攻撃力を身につけた時、どういう行動にでるか。余録の筆者はこれを自動車への無差別発砲事件に結びつけ、こう結んでいる。

 暴力をめぐる人間の能力のアンバランスへの解決策の一つは、厳格な法の支配である。

 私は、これを国際紛争や戦争にあてはめ、こう訴えたい。

 厳格な法の支配は、まず日本国憲法第9条を手がかりとする。これを世界に訴え続け、国連憲章への反映に努力する。東西対決が解消し、かつてのパワー・バランス論だけでは対処しきれなくなった現在、これを夢物語視するのではなく、新しい潮流を見つめながら、その中で生かすことを考えようではないか。

2005年9月29日

嫌米を憂慮

 【ワシントン28日共同】「日本の牛肉禁輸で1万人が職を失った」「郵政の特権が温存された不十分な民営化を懸念する」--。米下院歳入委員会は28日、日米の経済関係について公聴会を開き、対日牛肉輸出や郵政民営化の問題をめぐり議員や政府、業界関係者から不満や「日本たたき」が相次いだ。

 トーマス委員長(共和党)によると、同委員会が日本問題の公聴会を開催したのは約7年ぶり。牛海綿状脳症(BSE)による牛肉輸出の停止から約2年近く経過しながら再開が実現しなかったことなどに、議会の保護主義的な不満が強まっている証拠といえそうだ。(gooニュース)

~~~~~~米議会で何をしゃべろうが勝手だけど、これは日本人が決めることでしょう。ハリケーンで人気下落真っ最中のブッシュ政権に圧力をかけさせようというのがみえみえ。9・11同時テロのすぐあと、アメリカはアーミテージ国防副長官とか同省ヒル日本部長クラスを使って、極秘で日本大使館に圧力をかけ、「ショウ・ザ・フラッグ」といったか、いわなかったか、あるいはそれ以上の露骨で具体的に軍事行動への協力を迫ったということが、すでに知られています。

~~~~~~靖国問題や歴史認識などに内政干渉だと反発する嫌中・愛国者のみなさん、これをどう思います。やはり、嫌米になる?。やめてください。太平洋戦争の根っこに、日本人移民をめぐる人種差別が感情的対立を深めた事実があります。

~~~~~~強力な軍隊や原爆がないから、馬鹿にされる?。世界中に日本が軍事大国になることを望んでいる国などありません。馬鹿にされるのは、これまで外交を官僚まかせにし、確乎とした外交政策・理念を持たなかったからです。イラク撤退も、米英からいいださないと何も言えない、だから馬鹿にされるのです。

~~~~~~平和憲法があればこそ、あらゆる国との経済発展を共有できます。国際貢献もできます。現憲法を時代遅れのものとするのではなく、先取りするものとし具体的な議論がおきないのが残念です。

2005年9月30日

教育基本法の焦点

 小泉首相の国会答弁で、自民党が依然として教育基本法改正に執念を持ち続けていることが明白になった。その意図するものに危険を感ずるのは、戦前回顧主義や憲法9条改正と、地下水脈でつながっていると考えざるを得ないからである。すなわち首相のいう「憲法改正環境の醸成」の一環である。

 国や地域の伝統文化の理解と尊重→郷土や国を愛する心を育成→国を守る責任と任務→憲法改正・軍事力強化というシナリオは、社・共はもとより、公明・与野党のリベラル派からも警戒されている。しかし、今回進出した大勢の小泉チルドレンには、それを理解する知識も能力もなさそうなところが心配の種だ。

 古いことを教えるのはいい。ただし「天皇中心の神の国」などのウソだけはやめてほしい。伝説としての神話復活結構、そして『日本書紀』にあるように、やきもちやきの天皇、変態で凶暴な天皇その他いろいろな人間的な天皇のいたことも紹介されていい。要は、明治以降の硬直した皇国史観だけが日本史だと考える偏狂さを捨ててほしいのだ。

 「愛」というのは、注ぐものであり受けるものだと思うが、教えるものなのだろうか。法律も言語学も門外漢なのでわからないけど、心の内面的問題、つまり心境を法律で規定するというのは、どうもしっくりとこない。成文化するとすれば、勅語、聖書、お経の類ではないか。

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2005年9月 5日 (月)

敗戦直後

[反戦老年委員会復刻版]


高見順『敗戦日記』文藝春秋新社、より(一部省略)

9月2日 横浜に米兵の強姦事件があったという噂。「負けたんだ。殺されないだけ<u>ましだ」。「日本兵が支那でやったことを考えれば・・・・・・」。こういう日本人の考え方は、ここに書き記しておく「価値」がある。

[管理人注]・9月10日、GHQは占領軍に関し報道を制限。新聞は犯罪報道で「背の高い男が・・・・」というような記事を書いた。これは、米兵のこと、という読者の暗黙の了解があった。中国での残虐行為は、口コミで常識化していたらしい。「東京裁判史観」?、裁判はまだ始まっていない。

9月3日 降伏調印式の写真を新聞で見る。

9月4日 ラジオでスターリン議長の演説の梗概を聞いた。南樺太、千島がソ連に取られる。それはいい、それは仕方ない。しかし古い日露戦争を持ち出してくるとは・・・・・。私は何かソ連を信じていた。だが・・・・・。「これが政治だ。これが政治というものだ!」と私は心の中で叫んだ。

[管理人注]英・米・華の三国は、領土拡張の意図がないことをカイロ宣言で明らかにした。樺太・千島は江戸時代から日露が争ったところで、日露戦争の結果樺太南部の日本領有を確保した。(千島は、それ以前に樺太千島交換条約により全部が日本領)。

 高木は、共産国には帝国主義的野望がないはず、と思っていたにちがいない。しかし日ソ中立条約を破棄し、わずか5日の参戦の成果として、上記旧北方領土を占拠し、朝鮮北半分と実現はしなかったものの北海道北半分の占領も要求した。
 
 情勢の変化と国益優先で、「昨日の友は今日の敵」といった国際関係を作るのはある程度常識。アメリカも例外ではない。最近では、イラク・イラン戦争でイラク・フセイン政権を支援したアメリカも例外ではない。最近では、イラク・イラン戦争でイラク・フセイン政権を支援したアメリカが、今回の戦争で壊滅させた。

2005年9月15日

「靖国で会おう」

 戦時、出征学徒や特攻隊などが、出陣にあたって「靖国で会おう」を合い言葉に戦地に向かった、という伝説が靖国礼賛者を中心に蔓延している。あと2、3年敗戦がのびていたら、まちがいなく同じ立場に立たされただろう者として、当時いだいていた心境を、忌憚なく吐露しておく。なお、そのような発言を直接聞いたこともなく、発言した人の本音を確かめたこともないことを、最初にことわっておきたい。

 結論から先にいうと、どんな場合であろうと「死にたくない、死ぬのなんかいやなこった」と思っていたことである。「死んで帰れと励まされ」という歌詞がある戦時歌謡があった。また、「お国のために、愛する妻や子のために、図らずも尊い命を捧げた英霊に・・・・」といった趣旨の発言が小泉首相の発言の中であったと記憶している。

 戦後生まれの人に聞いていただきたい。これらには、大きな欺瞞と矛盾が含まれている。「死んで帰れ」といったのは一体誰だろう。「ちぎれる程に振った旗」は妻や子が持っていた。だけど「死んで帰れ」という妻や子がどこの世界にいるものか。いったのは軍の手先をつとめる隣組長か校長の類だろう。愛する妻や子のためなら、なんとしてでも無事帰還するのが兵士のつとめだ。

 靖国願望など虚妄である。「図らずも・・・・」、そう図らずもである。最初から靖国行きを願っていたわけではない。

 それでは、なぜ「靖国で会おう」伝説が生まれたのだろう。それは、集団自殺の心理からである。私自身、死にたくはないが、20歳を越える人生はないものという覚悟のようなものがあった。ことに戦争末期は前線にでること自体、死を意味した。その逃れられない運命を、自らに言い聞かせる呪文が「靖国で会おう」である。そして、無念の遺族には、「靖国」が犬死ではない証だった。なにしろ、天皇が頭をさげて神に祭ってくれるのだから。自爆テロの「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)とどれほどの違いがあろうか。

 なお、誤解のないように付け加えるが、靖国は一時代のモニュメントとしての存在に異論はないし、ほりえもんの天皇制廃止論を聞くと、吐き気を催すほど不快である。こういった屈折した心理は、同世代特有のものだろうか。

[追記] 「死んで還れと励まされ」の歌詞をあとで調べたら、「夢にでてきた父親」のことばでした。それにしても不自然な歌詞ですね。

2005年9月21日

天皇と戦争

 昨日に続き、いただいたコメントの中で比較的多かった、戦中・戦後の一般の天皇感や天皇の戦争責任に対する私見を述べてみたいと思います。私の体験については、小学生時代から中学生時代までを今年5月1日から30日までの間、10回ほどに分けて記載しました。その中にもありますが、次のエピソードから大体ご想像いただけると思います。

 戦時中、毎月8日は大詔奉戴日で、授業のかわりに先生が引率する神社参拝があります。途中の悪ふざけは今も同じ小学校の高学年です。「朕がプッと屁をふれば、爾ら臣民臭かろう」。先生は、一切聞こえないふりをします。

 戦後、天皇は日本各地を巡回しました。おおむね大歓迎を受け、国民が何を申し上げても「アッ、ソー」のオウム返し。日本語知らないんじゃないかという噂も立ちましたが、「天ちゃん」「セミ天(皇太子のこと)」というニックネームもつきました。

 戦中の天皇神格視は滑稽なほど厳格で、そのため責任をとらされて失職したり自殺する人まででましたが、子供が茶化すことまで取り締まれませんでした。現人神の教育をいかに徹底しても、一般の受け止め方は「代々続いた特別な人」「慈悲深い人」のうえにでることはなかったと思います。ただ「天皇の名」をやたらに振り回す官憲や指導層がいたことは厳然たる事実です。

 戦後もその延長線上にありました。戦争の最後の最後、東条などの主戦派をしりぞけ、今のイラクのような混乱を避ける決断をしたのは天皇であり、平和を続けるためには天皇にいてもらわなければならない、と考えたものです。共産党は日の出の勢いでしたが、天皇制反対をとなえたため頭打ちになったのかも知れません。

 最後に天皇の戦争責任です。天皇の名のもと戦地に召集され、大勢の人が戦死したからには責任があるという、漠然とした考えはありました。しかし、天皇は平和主義者ながら、開戦の決定には制度上逆らえなかったという解釈(これが東京裁判史観です)が通っていたので、うっかり見過ごしてしまいました。

 その後、戦中の史料や天皇側近の日記などが多く公表されて研究が進み、天皇の意志が戦中も機能していたことや終戦前後には、天皇の戦争責任や退位についても内部で真剣に検討されたことがわかってきました。結論から言うと、昭和天皇は適当な時期(講和条約発効の頃)に戦争の責任をとって自発的に退位すべきだったと思います。

 そうすることにより、国内の議論はもとより、周辺国に対するけじめがよりすっきしたものになったでしょう。また天皇制の存続を確乎としたものにするのにも役立ったと思います。勝手な想像ですが、天皇にその気があっても、政界有力者などがアメリカの意向と称して必死で阻止にまわったでしょう。冷戦激化のもと、東京裁判史観(今は戦犯擁護などで右派が攻撃目標にしている)は、当分の間続ける必要があったのです。

2005年9月22日

歌は世につれ

仮想臨時委員会(出席:硬、乙、平 雑談会)

*平 昨日、一昨日と戦中から戦後にかけての世相を見てきたが、同じ時代に同じ体験をしておきながら、「靖国」ひとつとってみても見解が真二つにわかれているのはなぜだろう。

*乙 わからないが、最近こういうことかな?という気がしてきた。史実も世相もひとつだが、個人の受け止め方によってま反対になる。たとえば終戦直後の茫然自失からいちはやく立ち直り、自由、平和の開放感を味わい、将来の明るさと希望を感じ取った人と、占領軍がやってきて天皇の上に立ち、過去の栄光が消滅するだけでなく、戦犯としての摘発や戦争協力者として追放処分になることをおそれ、共産革命を本気で心配していた人がいたことだ。

*硬 血はひいていないが、平沼赳夫さんの養父で元総理のき(馬へんに其)一郎さんは、大物観念右翼として有名で、A級戦犯となり終身刑の判決を受けたよね。安倍晋三さんのおじいさん岸信介さんも、東条内閣の商工大臣だったから、その頃はびくびくしていた方の口だ。

*乙 そういう個人の話にはうかつに乗れんが、戦中と戦後のどっちに被害者意識を持ったのかの違いは、誰であろうと影響が大きいだろうよ。

*平 それは、国民の圧倒的多数が戦中に被害を受けたと思うだろうな。

*硬 うーん、表面上はともかく、内心戦後の方に被害感を持つ人もすくなからずいたんじゃないか。ただ世相は完全に自由謳歌だろう。

*乙 私は前にも言ったことがあるが、庶民の生活感覚は流行した歌謡曲によく表れる。テレビで戦争前後の流行歌を追跡してその変化を解析してくれるといいね。戦後60年企画として。

*平 戦後の流行歌は、底抜けに明るい。「りんごの歌」「東京ブギ」「憧れのハワイ航路」それに「青い山脈」ね。♪古い上着よさようなら さびしい夢よさようなら・・・・と。こんな時代は珍しいね。

*乙 戦中も当初の愛国行進曲や軍艦行進曲が「海ゆかば」にとってかわるように、戦況による変化があった。末期には、歌詞はやたら勇ましいのに、メロディーが痛哭としかいいようのない「学徒動員の歌」などが現れている。

*硬 詩も曲も厳しい検閲があったが、はやるかどうかまで強制できないものね。♪勝ってくるぞと勇ましく・・・・の露営の歌の歌詞はすごい。1番から5番までの各番すべてに死・命・死・死・命という字が入る。

*乙 靖国を歌い込んだ曲も3曲ほどあるが、革命歌・労働歌とともに懐メロとしてもあまりでてこない。歴史の勉強にはなると思うがねえ。

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2005年9月 4日 (日)

小泉の意地と靖国

[反戦老年委員会復刻版]

[予定を変更して今朝の党首TV討論から]

 予想通り司会者が「郵政」をあたまに持ってきて多くの時間を割いたため、 靖国問題はほぼひとことだけで終わった。小泉首相は例の「適切に考える」だけだが、「よその国にいわれて慰霊の仕方まで変えるのはおかしい」という趣旨をつけくわえ、選挙に勝てば参拝する意向をにじませた。これまでもらしてきた、A級戦犯や旧・国家神道を擁護するような発言は一切なく、内政干渉排除論で感情的なナショナリズム味方につけようという姿勢がよりはっきりでてきた。

 当委員会も、かねて靖国と教科書問題は内政問題だとしてきた。それは賛成であろうと反対であろうと、日本人が討論して正しい結論をだすべき問題だ、と考えていたからである。中国、朝鮮の民衆だけでなく、最近の世論調査では日本でも反対意見の方が多くなっている。首相が公式参拝をやめても「内政干渉に応じた」といわれなくてもいい環境になっているのだ。

 にもかかわらず、国益を顧慮せず参拝に固執するとすれば、もはや首相としての行動の範囲ではなく、わからずや小泉個人の「意地」というしかない。タイトルから「首相」の尊称をはぶいた由縁でもある。もし、この選挙に勝てばおそらく「国民の支持を得た」といって、参拝に踏み切るだろう。

 郵政問題の手法に、かつてない小泉の意地をつらぬきとおし、選挙戦術に最大限利用している。「選挙の争点になっていない」といっても、そんなことを顧慮する彼ではない。強引さこそ、彼をかざる最高の勲章だと思っている。ヒトラーを引き合いにださなければならないほど危険な兆候だが、有権者を甘く見ると、とんでもないしっぺ返しを受けることになるだろう。

2005年9月17日

靖国参拝中止論

 3日前に「政界マグマの激動」の記事で、「首相の靖国参拝は中止」という予測をした。そして前々回の「靖国で会おう」のテーマでは、戦中に受けた心境を語った。靖国参拝中止の予想は、専門的分析というより、「中国からの押しつけではなく、首相の参拝は自発的に中止してほしい」という一国民の願いが生んだ希望的観測である。

 ところが、マスコミで論陣を張る有識者からも、似たような見解が現れはじめた。この圧勝によって小泉首相は支持基盤の強力さを確認し、いまや無理をして靖国参拝に拘泥する必要はなくなったと判断して、参拝を言いつのる可能性は低くなったと私は予測している。(猪木武徳・国際日本文化研究センター教授、05/09/17「毎日新聞」)

 「靖国議連」の松下会長や「教科書議連」の衛藤幹事長が落選したり、平沼赳夫氏や古屋圭司氏など右派の有力議員が郵政反対派に回って無所属にになったりで、安倍幹事長代理をめぐる右派勢力が壊滅的打撃を受けたようだ。

 私は陰謀説が嫌いなので、ここまで小泉氏の思惑があったとは思わないが、「靖国参拝中止論」が人口に膾炙することには警戒する。なぜならば、小泉氏は往々にして予想の逆をつく癖があるからである。

2005年9月27日

北朝鮮の脅威

仮想定例委員会

*平 憲法9条改正の必要性を説く中で、最も短絡的かつ思考停止形の意見が、北朝鮮の脅威だ。明日にでも核弾頭を積んだテポドンにねらい打ちされるようにいう人がいる。

*硬 正常な国交関係がない未承認国である上、拉致問題などで最も緊張した間柄であることは間違いない。あのような犯罪行為を平気で犯す国だ、何をしでかすかわかったものではない。

*乙 北朝鮮はそれほどの犯罪行為だとは思ってないんじゃないか。韓国には多くの工作員が送り込まれ、拉致被害者も日本と比較にならないほど大勢いる。少し前までは敵国だった。スパイが入ったり攪乱工作をしたり、捕虜を連れてくることなどもあたりまえの行為にはいる。

*平 なにも日本をまきぞえにしなくてもいいじゃないか。

*乙 いや、北にとって朝鮮戦争の敵はアメリカだがそれに協力し、戦時特需にわいた日本も同列に置いている。日本は戦後60年平和が続いていると思っているが、北は1950年から新たな戦争がはじまり今でも解決していないことになっている。日本人の戦死者までいるのだ。

*硬 それなら拉致被害者は、戦争被害者ということか?。

*乙 それは北から見ればの話で、そうとはいえない。国際的な不法行為には違いない。しかし相手が「解決済みの問題だ」といいはるなら、戦後補償なども解決済みと主張すればいいのだ。ここで日本だけの経済制裁などしても相手はこたえないだろう。
*平 ところでテポドンが飛んでくる可能性は?。

*乙 発射準備がしてあって、金正日の気が狂うか、なんらかの過失でもない限りあり得ないだろう。核弾頭にはまだ無理があるし、生物化学兵器や小型爆弾一発で、壊滅的な報復や、国際的制裁をうけて国を滅ぼすようなことをするはずがない。

*硬 「猛犬に注意」の張り紙と同じだろう。こっちのでかた次第で吠なくすることができる。次には中国の脅威と一緒に考えてみたい。

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2005年9月 1日 (木)

庭鳥塚古墳発見

[反戦老年委員会復刻版]

 大阪府羽曳野市でおもしろい古墳が発見された。全長50m程の前方後方墳で三角縁神獣鏡、鉄剣、矢じり、それに朝鮮半島南部との関係が深い筒形銅器が埋蔵されていた。応神天皇や仁徳天皇がまつられているとする古墳群より南に位置し、造築時期もそれらにわずか先行するという。

 墓は小ぶりだが、被葬者は河内王朝成立に功績のあった武人、といった想定ができる。三角縁神獣鏡が発見されたことで大和朝廷に近いように思える反面、大和王朝公認型の前方後円墳ではなく、四角をつなぎあわせたような方墳だということは、何を意味するのか。

 最大の関心事は、古墳が作られた頃の時代背景である。まさに日本が国家になろうとしているこの時期、『日本書記』や『古事記』では、日本武尊や神功皇后などのおとぎ話のような記述しかなく、「なぞの四世紀」といわれてきた。だから、解明の手がかりになりそうなものがあれば、なんでも飛びつきたくなるのだ。

手がかりといえば、「広開土王碑」が有名だ。北朝鮮の鴨緑江の北岸で発見された高さ7mもある巨石に、1700余字が刻んである。その中に、391年に高句麗王が渡海してきた倭人を撃退した、というようなことが書いてあり、解釈にもいろいろの説がある。

 ただし現物は現在中国が保管しており、発見地の帰属など北朝鮮と中国の意見にくい違いもあって、日本を含めた三国の共同研究はあまり進んでいなかった。6カ国協議が成功すれば拉致問題はもとより、こんなことも進めてもらいたいものだ。

2005年9月2日

文民統制

仮想定例委員会(出席:硬、乙、平 議題:文民統制)

*平 文民統制を話題にしよう。「日本国憲法第66条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」。

*硬 第一次小泉内閣の中谷防衛庁長官は、元自衛官の経歴がある。

*平 エエッ!。それって、違反じゃないの?。国会で問題になったなんて聞いたことがないけど。

*乙 軍国主義者ではありません、という答弁で野党もあまり深追いしなかったようだ。憲法9条で日本には軍隊がない、といわれれば反論できないと思ったのかね。それならば旧軍人を対象にした66条はいらなくなるわけだ。

*平 しかし法の精神からみて、甘い解釈じゃないのかなあ。

*硬 甘い甘い。そもそも昭和40年に、「三矢研究」という現職自衛官による憲法違反になるような実戦プランが国会で暴露されて、その時は大問題になった。しかしその後は、今の有事法制にまで考えが発展しており、最近では自民党の新憲法法案に現職自衛官を参加させるなど、どうかなと思うことを平気でやるようになった。

*平 軍人に兵器を持たせると、どうしても使ってみたくなるし、軍事秘密のかくれみのと戦争の危機をあおることで、膨大な予算を手にしようとする。そんなところが文民統制、シビリアンコントロールの利点だろ。戦前はどうなっていたのだろう。

*乙 軍人勅諭の第一番目、忠節の項で軍人の政治への拘わりを禁止している。ところが大元帥の天皇はともかく、陸軍中将(後に大将)東条英機など閣僚には現役がごろごろいる。勅諭は「ただし朕と将官以上の軍人はのぞく」としておけばよかったかな(笑)。

*硬 上が上なら下も下。二・二六、五・一五など政治家の暗殺など平気でやるようになった。文民はちいさくなって口を閉ざすしかない。そうならないためには、そうならないために「投票にいこう」だけでは弱いのかなあ(嘆)。

2005年9月18日

悪夢のはじまり

 1931年(昭和6)辛未、9月18日(今日です)関東軍の板垣征四郎・石原莞爾ら、満州の武力占領計画実行のため、奉天郊外柳条湖の満鉄線路を爆破。関東軍司令官本条繁、中国側の行為とし、総攻撃を命令(満州事変)。事変の第一報、初の臨時ニュースで放送。株式・商品相場暴落。(小学館『20世紀年表』)

 要するにテロに見せかけておいて侵略の口実にした。それから15年間、泥沼の中国戦争を経て太平洋戦争に突入。60年前に、多くの人命と領土を失って敗戦にいたる。

2005年9月23日

歴史修正主義論

仮想定例委員会(出席者:硬、乙、平)

*平 定例委員会のテーマ(カテゴリ)「反戦論」が断続的になったので、おさらいをしておこう。まず、反戦平和の主張に対する反対論を、「国際貢献論」「歴史修正主義論」「北朝鮮・中国脅威論」の三つに分けてみた。最初の「国際貢献論」について、湾岸戦争の頃盛んになった「国際貢献」のための自衛隊派遣は、イラク戦争で国際=アメリカに変質し、世界の趨勢や国連のありかたが議論される中で、国際貢献=多国籍軍参加や日米軍事同盟の拡張強化を考えるのではなく、ノルウェーのように衝突回避を仲介するような貢献のあり方も検討すべきだとした。

*硬 ここらで次の「歴史修正主義論」に移ろう。そもそも歴史修正主義って何だい?。

*乙 文字通りに解釈すればいいよ。歴史の定説とか通説というものがあって、それに異論をさしはさみ変えていこうとする試みだな。定説は大勢の人による長年の批判や検討を経てきているから、わずかな資料や思い入れだけで歴史が書き換えられるということはまずない。

*硬 こわいのは、これを政治目的に使おうとする下心だ。社会主義国の歴史は1つだけで「説」がないのはもっとこわい。もっとも戦前の「皇国史観」もこれに近いね。

*平 さっそく具体的な検討に入ろう。「先の戦争は自衛戦争で、謝罪を繰り返すいわれはない」という意見だ。

*硬 この意見は、さきの戦争とか、大東亜戦争といって満州事変やシナ事変と区別する点に特徴がある。満州事変のきっかけが関東軍による鉄道爆破の謀略からはじまったことや、当初の不拡大方針に反して軍部先行による中国侵略のどろ沼にはまったこと、あれは別だというんだ。

*乙 こうなると何が何だかわからなくなるねえ。石原慎太郎なんかも、大東亜戦争は中国での覇権を争った帝国主義同士の争いだから謝罪の必要なし、などといっているが、米英に中国侵略や経済支配の野望があったなど、第一次大戦前ならばいざ知らず、当時ではあり得ないし証拠もない。第一、米英は繰り返し「謝れ」などといっていないじゃないか。

*硬 桜井よしこは、強硬なハル・ノートにより自衛上戦争が避けられなくなった、といっている。

*乙 そんなことはすこしかじった人なら誰でも知っているよ。それより近衛首相が必死で交渉による戦争回避をはかろうとしたことや、軍部がハル・ノートを「めでたしめでたし」といって歓迎したことなど、全貌を語らずワンフレーズで断定的に結論づけてしまう語り口の方が問題だ。

*平 テレビには桜井さんのような人ばかりが呼ばれ、ピシャッと反論できる先生が出演しないのは、なぜなのだろう。いつも不思議に思っている。

*乙 最近のマスコミの偏向はたしかに気になるね。それに反論すべき先生の方も歴史を討論するルールや史料評価の基礎知識がない人とは、話しづらいんじゃないかと思うよ。

2005年9月25日

歴史はさておき

仮想定例委員会

*平 前回、歴史修正主義を取り上げ、これを続けていくつもりだったが、小泉体制の異様な非日常性に目が離せなくなっている。そこで歴史関係を一時中断して、投稿が自由にできるようにしておきたい。

*硬 東京裁判関係は、前の記事「歌は世につれ」「天皇と戦争」などでふれているが、戦前の朝鮮併合とか中国との関係については手つかずだったね。

*乙 はじめるとどうしても長くなるね。明治以降の一般的な現代史のほかに是非見ておいてほしいものに、1 江戸時代まで先生にしてきた中国・朝鮮を悪友ときめつけた福沢諭吉の脱亜論」、2 朝鮮に政治介入し、狡猾手段を用いても日清戦争に持ち込もうとした陸奥宗光の外交記録『蹇蹇録』(岩波文庫)、3 「日本は西欧覇道の忠犬になるのか、東方を守る王道を行くのか」と問い詰めた、中国近代化の父・孫文の神戸演説

*硬 「日韓併合は合法的手続きでおこなわれた」という史実のまえに、軍隊を派遣して相手国民の喜ばないおせっかいを繰り返していた、ということだね。中国でもずっと同じようなことをやってきた。向こうへ軍隊が出かけていってやったことだから、いいわけするにしても分が悪いよ。

*平 さて、次の定例委員会は、憲法にも関連する「中国・北朝鮮脅威論」を取り上げることにしておこう。

 

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