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2005年8月

2005年8月21日 (日)

ヒトラーの宣伝術

[反戦老年委員会復刻]

 さきに書いた「ヒトラーと歴史教育」に続けて、現在の小泉流宣伝と比較する意味で「ヒトラーの宣伝術」を『わが闘争』から引用する。

 宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。(中略)宣伝の学術的な余計なものが少なければ少ないほど、そしてそれがもっぱら大衆の感情をいっそう考慮すればするほど、効果はますます的確になる。しかしこれが、宣伝の正しいか誤りであるかの最良の証左であり、若干の学者や美学青年を満足させたどうかではない。

 宣伝の技術はまさしく、それが大衆の感情的観念界をつかんで、心理的に正しい形式で大衆の注意をひき、さらにその心の中に入り込むことにある。これを、われわれの知ったかぶりが理解できないというのは、ただかれらの愚鈍さとうぬぼれの証拠である。

 宣伝になにか学術的教授の多様性を与えようとすることは、誤りである。大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、これをスローガンのように利用し、そのことばによって、目的としたものが最後の一人まで思いうかべることができるように継続的に行わなければならない。人々がこの原則を犠牲にして、あれもこれもとりいれようとするやいなや、効果は散漫になる。

 こういった宣伝術を使ったもう一人の独裁者に、毛沢東がある。いずれも多数の民衆の心をつかむ、という点で民主主義に立脚しているという姿勢がとれる。しかしその宣伝術が多くの犠牲者を生み、ついには破綻に至ったことを、歴史の教訓として心にきざむ必要があると思う。

2005年8月22日

続かない戦後60年

 予想したとおりマスコミは戦後60年の話題から遠ざかっていった。そして選挙を前に族生するミニ新党、刺客・落下傘候補、ホリエモン、ヤッシーなどがとってかわり、小泉劇場の主役も筋書きもはねとばさんばかりの盛況ぶりである。

 60年前にかえってみよう。この年は、まだ考えなくてはならない問題がたくさん残っている。

*8.15 敗戦の詔勅を聞き、二重橋前の玉砂利に正座し、頭をたれる人が終日続く

*8.18 内務省、占領軍向け性的慰安施設設置を指令。

*8.20 3年8か月ぶりに灯火管制解除。

*8.22 ラジオの天気予報復活。尊攘同志会員ら12人、愛宕山で集団自爆。ソ連の潜水艦、樺太からの引揚船3隻を撃沈、死者1708人。

*8.23 陸海軍の復員開始。「進駐軍を迎える国民の心得」諭告、女子は日本婦人としての自覚を持って外国軍に隙をみせてはならぬ等を指示。

*8.26 特殊慰安施設協会(RAA)設立。

*8.27 RAA「小町園」が大森海岸に開業。

   (『20世紀年表』小学館、より)

2005年8月23日

ヒトラーと逃亡兵

 小泉首相は、ヒトラーに学んでいるとは思いたくないが、「ヒトラーと歴史教育」「ヒトラーの宣伝術」に続き、ヒトラーの『わが闘争』から3回目の引用を試みる。

 逃亡兵に、逃亡というものがまさしく自分が逃れようとしているものを、自分といっしょに運んでいるものだということを知らせることなのだ。前線では人は死ぬかも知れない、だが逃亡兵は死なねばならないのだと。

 逃亡しようとするものには、こういう峻厳な脅迫を試みることによってのみ、個人に対してだけでなく、また全体に対しても警告的な影響をねらうことができるのだと。(中略)あぶなっかしくなってきた徴募新兵は禁固や懲役ぐらいの脅迫ではだめで、ただ仮借なく死刑を適用することによってのみ、支えることができたのだ。

 逃亡兵が自民党の造反者なら、公認取り消しは死刑宣告、刺客候補は死刑執行人だ。北朝鮮に逃亡したジェンキンスさんに対するアメリカの対応を厳しすぎる、と感じた人が多いと思うが、実は小泉さんに配慮したおおあまの決定だった。

 軍隊というものはナチスでなくとも大同小異で、裁判も一般の法律が適用されない軍が主催する軍法会議で判決をくだす。自民党の改憲案どおり「自衛軍」ができれば、当然そういった特別立法が必要になるだろう。ただ隊から軍に名前をかえるだけ、と思ってる人はお人好しである。

2005年8月24日

野球選手と暴力

 「○○、一歩前。足を開き、上体を前に。大きく息をすってー、歯をくいしばれ」。レントゲン検診ではない。戦時中の中学でもあった鉄拳制裁前のセレモニーだ。こうすれば、あごに異常をきたすような怪我など絶対にしない。駒大苫小牧の野球部長、次からそうしたら。

 この風習はきっと日本の軍隊から伝染したものだろう。軍隊では各人に支給された物品の員数が足りないと鉄拳制裁を受けた。足りないことに気づくと員数あわせのため、戦友のものを盗んで間に合わせた。兵隊達は自嘲をこめていった「一つ。軍人は要領をもって本分とすべし」と、軍人勅諭の「忠節」を「要領」に読み替えたもので一般にも普及した。

 政治家になりそこねた元プロ野球選手がインタビューに答えていた。「我々の頃はそれがあたりまえでしたよ。今時はちょっとしたことで親が騒ぐから指導者はよほど気をつけないと・・・・」。なにか、ばれないようにやれ、といってるようで、「要領」を本分にしろといわんばかりだ。

 「態度が悪い」とか「反抗的だ」とか、つける理由は昔の中学生とかわらない。幼い野球選手に、ムチで動く牛馬と同じ扱いを続けるようでは近代スポーツとしての資格がなく、野球の退潮もふせぎようがない。最近話題を振りまいた相撲部屋で、棒を振り回して力士を追い回すだけの親方の姿からも同じものを感じた。

2005年8月25日

ガザ撤退と成田闘争

 先月22日にロンドンで起きたブラジル人誤射事件について、その3日後に、「知らぬ男に尾行されているのを、まこうとしただけのことではないか」という憶測を、ここで述べた。ところが最近の外電によると、同国の警察苦情処理独立委員会が、それに似た報告書を今まとめているという。本稿の憶測は全くあてずっぽうだったが、遠くはなれているほうが、案外的を射ているということもありうる。

 パレスチナのガザ地区から、イスラエルの入植者を強制的に退去させる映像がこのところたびたび流された。これは過去の成田闘争そっくりではないか。国からの奨励もあって農地を開拓し、苦労の末(ガザでは命がけで)ようやく自立のめどがついたところへ、こんどは「国の都合だからでていけ」という。

 国は「保証金をつむから」といっても、「なっとくできない」とばかり土地にしがみつく。国は強制収用にふみきり、軍隊まで動員して住民をごぼう抜きする。そこへ他地区からユダヤ人右翼過激組織の若者がかけつけて妨害する。

 パレスチナ和平への第一歩ということで、イスラエルに同情的だったアメリカにまで評価され、入植者は国際的に孤立を余儀なくされているが、和平への第一歩とするには、あまりにも問題が多い。これまでは、いったい何だったのか。双方の紛争の火種は第一次世界大戦当時までさかのぼる。

 詳細はとても書ききれないが、イギリスをはじめ欧米各国のユダヤ対策や不手際が根源にある。これらに対する「謝罪や反省」なしに、「正義」の仮面で今の中東政策を推進する限り、パレスチナの当事者はもとより、アラブ、イスラム社会から理解を得ることは困難であろう。

 成田問題の解決第一歩がいわれてから久しいが、いまだに最終着陸地が見えていない。

2005年8月26日

反反戦

仮想定例委員会(出席者:硬、乙、平 議題:反戦論1)

*平 このブログも来月で開設以来半年になる。そろそろ委員会として運動方針、今流でいえばマニフェストかね、作った方がいいのでは。

*乙 まあ無理だね。管理人が優柔不断だから途中で投げだしそう。

*硬 でも看板が看板だから、避けて通わけにもいかないだろ。やれるとこまでやってみようよ。>

*乙 それもそうだ。ものになるかどうかは別として「反戦論」というカテゴリを作ってそこにぶちこんでおくか。

*平 まず「反戦」に反対する論理の分析をするため三種類に分けてみた。最初が「国際貢献論」、次に「歴史修正主義論」、最後が「北朝鮮・中国脅威論」だ。

*乙 いきなりむつかしいことになったなあ。最初とあとの二つはやや異質のもののような気もするけど。

*平 そうなんだ。ただ「憲法を改正して戦争のできる国にしよう」といっている連中は、それをごっちゃにとりまぜて話すことが多いので、最初から分けておいた方がいいと思ってね。

*硬 まあ、分類のしかたは必要があればあとで変えるとして、そもそも平和憲法が大きくゆらぎだしたのは、1991年の湾岸戦争の頃だね。同じ年にソ連が解体し、日本の景気も長く続きまあまあだった。

*平 当時まだ力を持っていた社会党の平和志向政策が「全方位外交」とか「一国平和主義」などと非難され、経済大国になった日本は国際紛争などに目をふさがず積極的に貢献すべきだ、とする意見が強くなった。

*乙 そこまではいいが、小沢一郎の「普通の国にしたい」論などがあって、それが自衛隊の存在感を高めようという方向に動いていった。そして海外派遣のためその都度特別立法をするなど、違憲に紙一重というところまで拡張解釈が進んでしまった。今、ブッシュおやじの時代まで立ち戻ってもう一度考えなおしてみるのもいいね。長くなるから早くも今日はお開きか。

2005年8月27日

国際貢献論

仮想定例委員会

*平 前回反戦に反対する論点に「国際貢献論」「歴史修正主義論」「北朝鮮・中国脅威論」の三つをあげたが、まず国際貢献論をとりあげてみよう。一口でいうと「よその国で国民が抑圧されたり殺されていたりしていて、これを助けようとする国際世論があるのに、日本だけ憲法で禁じられているので助けにいけません」というのは、他国の理解を得られず、エコノミック・アニマル、エゴイズムといわれ、国際的に孤立するのではないか、ということだ。

*硬 その結論に限り賛成する。ただし前提が大いに問題だ。その問題を解決し軍事衝突を回避するために、日本はどれだけ外交努力をしたのか、なにもやっていないではないか、できないではないか。本来ならば憲法第9条を持つ日本は、いずれからも受け入れやすい仲介者になれるはずだ。ところが日米軍事同盟のもと、自衛隊の装備を肥大させ一体化したシステムで動くようでは、どの国もアメリカの代弁者としか見てくれない。

*乙 その前に「国際貢献」という美名に注意してほしい。このキャッチフレーズひとつで、ほかのことを考えなくなる危険性だ。似たようなことが小泉手法にもある。戦争の理由に「自衛」が使われるのと同様に口実として使われかねない。たとえば日本だけを見ても、朝鮮出兵の理由として次のような例もある。(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)

 「危うきを助け、絶えたものを継ぐことは道にかなっている。国が亡び乱れて頼るところも告げるところもない。臥薪嘗胆して遠くから救いをもとめてやってきた。この志を無にするわけにはいかない」(660年、斉明天皇詔勅)。
 「朝鮮は我が隣邦なり、我が国は多少の難関に際会するも隣邦の友誼にたいしこれを扶助するは義侠国たる帝国としてこれを避くべからず」という世論に乗らない手はない(1894年、陸奥外務大臣)。

*硬 国際貢献は、国連を通じておこなうのが筋だと思うが、イラク戦争前からどうもアメリカへの貢献が優先している。安保常任理事国入りにも冷たくされたんだから、遠慮なく平和外交最優先に切り替えてもいいじゃないか。こういう「一国平和主義」なら大賛成だけど。

*平 隣国中国の首脳にも会えない小泉さんでは無理だね。反反戦の話がすくないけど、残る議論は次にまわそう。
                                                                            
2005年8月28日

選挙と憲法

仮想臨時委員会(出席者:硬、乙、平 議題:選挙と憲法)

*平 衆院選の公示を控え、今日は定例委員会を中断して当委員会の支持政党をどうするか考えたい。「反戦」の名称を持つからには、改憲反対を公約に明示する共産党と社民党、ということになるが。

*硬 投票の対象としての支持政党ならば反対だ。なぜならば、両党に投票して本当に護憲にもっていけるとは思えないからだ。あらためて両党の公約、政策を眺めてみたが、土俵の外からヤジをとばしているような感じで、とても同じ土俵で取っ組むという気迫を感じない。「当選すれば、こうして三分の二の護憲勢力を結集します」とか「こういう運動・工作を展開して改憲を阻止します」というのが公約でしょう。それがない。

*乙 改憲促進派の主張を聞き、それを論破するとか、軍事力に頼らない代案を示すとかの準備がない。へたに議論に加わると引きずり込まれてしまう、という態度だからだ。戦略論や軍事知識にもうとい感じがする。本当は両党とも解党的出直しが必要だったのに、「自民党をぶっこわす」の小泉さんに先をこされてしまった。革新政党の看板は返上してほしいね。

*硬 手厳しいね。公明党はどうだろう。方法論として「加憲論」を評価する意見もあったが。

*乙 かつて創価学会の婦人部などか地道な平和をくりひろげていたことがあった。ところが今の公明党は、イラクなどでブッシュのポチの小泉のそのまたポチみたいになっだろ。それで信用失墜。

*平 結局「支持政党なし」。よりましな政党か個人に自主投票が結論ということになり、今日はお開き・・・・。

2005年8月29日

国際貢献論 2 

仮想定例委員会

*硬 「国際貢献」といえば、右派論客の西部邁氏が最近おもしろいことをいっている。改憲派・親米派は、護憲派が憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を、平和主義者の理想論、現実無視の平和ぼけなどと攻撃しているが、とんでもない勘違いだというんだ。

*平 アメリカが再軍備を禁じて日本を骨抜きにした。それが東西対決で方向転換し、自衛隊ができたというのじゃないの?。

*硬 そもそもアメリカが押しつけた憲法なら、「平和を愛する諸国民」というのは当然アメリカであると解釈し、それを信頼して「いわれるままついてきなさい」という読み方になるというのだ。だから「イラクについてこい」といわれれば「ハイッ」、湾岸戦争で「金だせッ」といわれれば1兆何千億だかの金をだす。そうすると反平和主義者にとっても、現行憲法は「それでいいんじゃないの」になってしまう。 

*平 「国際貢献」もいわば「アメリカ貢献」ってわけだ。

*乙 西部さんも国粋主義的なところがあるから、無定見なアメリカ追随に批判的になる。自衛隊のイラク派兵には反対だそうだ。

*平 彼は、絶対平和主義批判として『戦争論』という本を書いているが、乙さんより二つ三つ下の同世代なのにどうして方向が違うんだろう。

*乙 それは永遠のなぞかも知れないが、その本を見てひとつはっきりしたことがある。二つ三つの歳の違いは、年代の違い、20、30の違いよりまだ大きくなるという例だ。終戦の年に6歳であった彼は、つい昨日まで「撃ちてし止まむ」「鬼畜米英」だった日本の大人達が、突然「アメリカ万歳」になったことがわからなかった。

 そのほか日本人捕虜がアメリカ側に協力的だったとか、東京裁判の判決を歓迎したなどを数頁にわたって書き、精神病棟とか卑俗なエゴイズムとか奴隷根性とかいかがわしく卑しく不甲斐ないとかオポチュニズムなどと、よくもまあここまで自虐史観になれたものだと感心する。

*硬 乙さんの戦中・戦後体験が違っていたということですか。

*乙 これは個人の体験や感情論ではなく、いずれ諸史料にもとずく社会史的結論が定着するだろう。学校の先生が10人が「敵撃滅」を叫んでいても本気でいっているのは、一人か二人でほかは戦争が早く終わればいいと思っていた。

 無茶をいう軍人がいなくなり、憲兵や特高を気にしないでものがいえることで、どんなにホッとしたことか、占領軍が入ってきて、手紙の検閲や鉄道の専用車を作ったが宣伝されていたような「鬼畜米英」ではなく、飢えから日本人を救ってくれた。マッカーサーに感謝の念を持つ一方で、「本土決戦になれば、戦闘の邪魔になるので老人、子供を先に殺す」といった状況にまで追い込んだ東条が死刑になるのはあたりまえのこと、と感ずる日本人の心はごくまっとうで健全なものだ。やはり「日本人はすばらしい」と思うようでありたい。

◎◎◎ 速報 ◎◎◎

 一週間前、「続かない戦後60年」のタイトルで、終戦記念日以降も、マスコミは60年前の日本をえがきつづけてほしいという願望を記事にしました。今日付けの毎日新聞夕刊によると「占領の秋 1945年」と題するドキュメントを今日から連載するとの公告があり、「占領期は現在の日本のまさに原典となった時期」で「戦後60年の節目である今年は秋以降も掲載していく」と述べています。

 まさに「我が意を得たり」の快挙で、他のメディアも負けずに企画してほしいと思います。そうすることにより、上の「戦後社会史」構築が進み、今後の日本の進路に大いに貢献することになると確信しています。

2005年8月30日

情勢に変化なし

 衆院選が公示された日なのに、特別の感慨がわかない。8月8日の記事「隠された争点」で、この選挙の性格と野党の対抗軸について問題提起したが、その後の情勢は予想通りの推移で、依然小泉ペースが独走している。

 民主党は、郵政に特化された争点に埋没しがちで、その他の政策をクローズアップすることに成功していない。刺客さわぎや新党発足などについて「自民党のコップの中の嵐」などと、あえて無視を装っている。

 そこが間違いなので、相手は自民党でなく「小泉」そのものでなくてはならない。強引な小泉手法を疑問視する世論が比較的高いにもかかわらず、これに一矢も報いられないようでは勝ち目がない。

 正論に水をさすようだが、甲乙つけがたい政策論争をいくら繰り返しても、投票者にとってどっちがいいのか判断できるひとはほとんどいない。実質的な選挙戦が始まってもう三分の二が過ぎた。せめて、「反民主主義的手法」を攻撃することで、小泉圧勝にならないようにするしかないのか。 

2005年8月31日

朝日新聞の病弊

 タイトルの「病弊」は、朝日新聞自身が今日付の社説で使っていることばである。社説の題は「虚偽報道 朝日新聞が問われている」で、最近長野総局の記者がかかわった田中康夫知事の動静に関する虚報発覚事件についての反省と誓いをのべている。

 しかし全文を読んで、なにか他人事のような印象を受けるのは私だけだろうか。たとえば「記者をそんな心理にさせたものは何だったのか。取材をチェックする仕組みをどうつくるか。問われているのは、そうしたことを含めた朝日新聞の組織や体質だと思う」というくだり。報道記事では「思う」などのことばは、使えないのではないか。まして自社のことである。

 ここで、JR西日本の事故当時を思い出す。まず、事件の重大さをどこまで認識しているかである。国民にとって、新聞記事が信用できなくなるということは、死者の数や刑事事件云々で比較できない程の損害をもたらしていることである。JR西日本の幹部が他人事のような態度をとったとして、Y紙の記者が暴言を招き非難を集めた。弁明の仕方もまた似ている。運転士が、記者が、組織がではないのである。通り一ぺんの反省や「地道な努力」ではもはや追いつかない。

 社説は論説委員が書く。論説委員は偉い。「下のやつらがとんだへまをやらかしやがって」という、気持ちはないか。社説の一連の反省の中には「傲慢さ」というのがない。「無冠の帝王」などといわれて得意になっているようなところはないか、世間常識から見て不遜なところはないか、を本気で考えてほしい。

 <絶えず朝日を「目の敵」のように批判し、それを売り物にするかのような一部メディアと一線を画してきた>毎日新聞も、今日の社説で「犯罪的行為」とまでいって批判している。よほどのことと思わなければならない。この際これまで批判され続けてきた他の件も含め、記者会見に応じ、一切を公開して「解紙的でなおし」をはかる以外に発展の途はないのではないか。

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2005年8月11日 (木)

あまのじゃく

[反戦老年委員会復刻版]

 あまのじゃくというか、パラドックスというか、たまにはちょっと世間と逆の見方をしてみるのも悪くないと思います。

*官僚性善説=☆いつも一部の利益だけでなく、全体の利益を考えて仕事をします(だから業界全体に公平に仕事がゆきわたるよう談合を手伝った?)。☆法律と予算をしっかりと守ります(雑収入に「監修料」などの項目がありません。頼まれてパンフの監修をしたらお礼がきた。上司に相談したら「個人へのお礼にしなさい」といわれた。それじゃあ気が引けるから同僚と飲みに行った。これをプールしてより公平にした。別会計の始まりはこんなところからでしょう)。そのほか間の悪いことはたくさん起きましたが、政治家などよりまじめで優秀な人材が多いのは事実です。

*圧力団体正当説=歯科医師会にしろ業界団体にしろ、政治資金規正法などに反する買収まがいのことをすれば悪ですが、政治的要求をかかげ圧力をかけるのは当然です。最近は労働組合も圧力団体の一種のようにみられていますが、憲法上特別の権利を認められたハイレベルの団体であるにもかかわらず、その精神が忘れられているようです。

*族議員正当説=国会議員は万能ではありません。複雑化した社会で特殊の業務や知識に精通した議員はどうしても必要です。そういった議員の強力な主張には耳を傾けなくてはなりません。特に参議院では業界代表の存在を悪とする理由がありません。

*しかし・・・・・・。

2005年8月12日

隠された争点

 報道によると、政府は靖国にかわる国立追悼施設の調査費概算予算要求を先送りすることにした。これは靖国問題が衆議院選挙で争点化するのを避けるためだという。

 ということは、8月15日の総理参拝はない、ということになる。逆に野党は政府・自民党が避けたがっている争点に切り込めるチャンスだが、ことはそう簡単ではない。

 得たり賢しとばかり、総理は参拝を強行するだろう。計算通り中国・韓国が猛烈に反発する。国内の両国に対する反感がそのまま野党にはねかえり、野党は選挙を落とす。小泉氏は郵政と靖国の公約が両方とも実現できる。

 小泉氏のほくそえむ顔が目に浮かんでくる。国政の私物化もここに極まれりの暴挙だが、マスコミは例によりなすすべなく経過(事実)を追うだけになるのだろうか。まさに国難である。

2005年8月13日

C11

 今年になって試みた小旅行3回のうち、2回がSL列車を利用する行程だった。別にマニアではないので、全くの偶然といっていい。最初が栃木県の真岡鉄道、次が静岡県の大井川鉄道である。牽引はいずれもC11で、汽笛の音にえもいえぬ郷愁を感ずるとともに、60年前のできごとがよみがえる。

 C11は、未だに各地で活躍しているのを見てもわかるように、D51におとらぬ名機である。JR新橋駅にかざってあるのもそれで、愛称をしシーチョンチョンというが、デゴイチほど有名でなくあまり知られていない。長距離は走れず、速度にも重点を置いていないので、現役当時も花形ではなかった。

 戦時中の疎開先は、本州を横断する越後の支線沿線にあり、86型という大正時代のSLが活躍していた。これも名機といわれるが、汽笛がC57やD51のように「ぼぁー」でなく「ピュー」に近い甲高い音だった。都会に別れを告げ、途中まで乗ってきた夜行列車は、当然「ぼぁー」で、これには惜別とあこがれの響きがあった。

 戦争が終わり、通学していた中学の町に米軍が駐留することになった。自宅のある支線の駅からさらに私鉄の電車で4キロほど山の方に入った辺鄙な所だが、終戦まで日本陸軍の連隊があったせいだろう。なんと、そこで「ぼぁー」を聞くことになったのである。

 米軍が無謀にも(横暴な日本軍ですらやらなかった)C11に客車数両を連結し、本線から支線、支線から貧弱な私鉄電車の線へ直接乗り入れてきたのである。日本の道路が悪いせいか途中の不測のトラブルを避けるためかわからないが、とにかく歴史的な快挙をやりとげてしまった。

 電車の線は、当然D51などの重さに耐えられない。長さ20mの客車もよく厳しいRをまがりきれたものだ。昭和7年開発された軽量のC11は、柄に似合わず「ぼぁー」だった。残念なことに、その音を聞いたのは授業中の教室の中で、ついぞその勇姿を目にすることができなかった。アメリカ文化はC11とともにやってきたのだ。

 だから、今でも「ぼぁー」を聞くと、「ジン」とくるのである。

2005年8月14日

ヒトラーと歴史教育

 衆議院解散後、当委員会は小泉氏の政治手法に扇動政治家・ヒトラーを想起せざるを得ないという指摘をしてきた。もちろん同一視するような段階ではなく、置かれている環境も違う。しかし、ヒトラーが独裁者となる課程に注意をはらっておくことは、決して無駄ではないだろう。今日はヒトラーが中学生時代に受けた歴史教育とその影響を、自著『わが闘争』(訳、平野一郎・高柳茂)から引用しておきたい。

 わたしが幸いにも歴史についてひとりの教師を得たことは、その後のわたしの全生涯に対して決定的な影響を与えた。(中略)この教師は現代から過去を解明し、また過去から現代に対する因果関係をひきだすことを知っていたので、幸福もそれだけ大きかった。さらにまたかれは、他の教師以上に当時われわれを夢中にさせていた時事問題のすべてについて説明してくれた。

 われわれの小さい国家主義的熱狂が、かれにはわれわれを教育する手段となった。つまりかれは、一度ならず国家主義的名誉感に訴え、それだけで他の手段を用いるよりはるかに早く、われわれ悪童どもを手なずけることができたのだった。

2005年8月15日:

さきの戦争は?

仮想定例委員会(議題:侵略戦争か自衛戦争か・出席者:硬、乙、平)

*平 今日は戦後60年目の終戦記念日。テレビも新聞もこれ一色でにぎやかなこと。靖国や近隣国の反日運動の影響も無視できない。

*乙 実は去年までこの時期がきらいだった。悪夢としめっぽい話と追悼が毎日のようにあり、ほかのニュースは帰省ラッシュの混雑と高校野球だけ。しかし、今年は違う。このまま今年いっぱいかけて講和条約締結の頃までの歴史と世相を追い続けてほしい。

*硬 気になることだが、各種世論調査で戦争肯定派が70才代以上で最も高くなっている。今日付けの毎日新聞では、さきの戦争やむなしが45%間違った戦争37%だ。全体の29%、43%を逆転している。

*乙 残念ながら当委員会でも分析しきれていない。ただいえることは、この年代には戦後の思想遍歴の中で極端なブレがあること、たとえば文豪・三島由紀夫対大江健三郎、三輪明宏対石原慎太郎みたいにね。そして、もしアンケートが「さきの戦争の悲惨さを二度と繰り返してはならない」であれば、トップになると思うよ。

*平 最近、さきの戦争は「侵略戦争」か「自衛戦争」かという議論があるが、「我が国はこれから侵略戦争を開始します」などというわけがなく、どの戦争でも「自衛上やむなく」でしょう。こんどのアメリカのイラク侵攻だって当初の名目は自衛だ。

*硬 1941年12月8日の宣戦の詔書で「自存自衛のため」といっている。米英が蒋介石政権に物資を援助する一方、日本に経済的圧迫を加えている、というのが自衛の理由だが、中国で戦線を拡大しすぎて泥沼にはまりこみ、引くに引けなくした責任を米英がとれ、といっているみたいに聞こえるね。

*平 開戦直後日本は、これを「大東亜戦争」と命名した。アジアの植民地独立に貢献した、というのはどうだろう。

*乙 結果論ではそうかも知れない。しかし大東亜共栄圏というのは、開戦の前年から近衛文麿らが構想していたもので、むしろ軍部独走をおさえるブレーキになれば、という思惑からはじまったものだ。

*硬 大東亜戦争に限っていえば「侵略戦争」とはいえないのでは?。

*乙 石油やゴムなどが輸入できなければ、南方の生産地を占領して米英蘭の民間資本が持つ利権を接収してしまえ、というのだから「侵略ではない」というのはどうも苦しいね。

2005年8月16日

東京裁判史観

仮想定例委員会
(議題:東京裁判、出席者:硬、乙、平)
*平 昨日に続き、侵略戦争か自衛戦争かを追ってみよう。A級戦犯の東条英機は、法廷でひとり自衛のための戦争であることを強く主張し、自らの行動が正義に則ったものであるという立場をくずさなかった。それが、そのまま自衛戦争肯定派の論理につながっているようだが。

*乙 東条は戦局が悪化し、総理を退陣させられた後も徹底抗戦の態度を変えず、和平の動きに抵抗した。しかし、天皇の「聖断」に、天皇の信任があつく忠臣を自認する東条は逆らえなかった。そして駐留してきた連合軍が戦犯として逮捕に向かった時、ピストル自殺の弾がはずれて死にそこねた。自分が作った戦陣訓に反し「生きて虜囚のはずかしめ」を受けてしまったわけだ。

*硬 東条が見えっぱりだったことは、いろいろなエビソードで語られている。生き残った恥を、天皇に戦争責任が行かないよう全身をなげうつことで晴らそうと思った。それには自分で戦争責任を一身に受け「最も憎らしい悪人」になる覚悟をした。家族に「一切語るなかれ」といいのこしたのは、弁解は有害無益の意味だろうと思う。

*乙 だから「開戦に誘導し、断行した責任は自分にある」という筋書きを、論理的に組み立てなければならなかった。その点は、「首相の器ではないが課長、局長クラスの能吏としては最高」という評判通りだったのだろう。天皇を訴追から守るというということは、占領軍と日本政府に共通する目標で、東京裁判がその方向で終結したのは、双方の協力によるものという解釈がこのところ多くなっている。

*平 東京裁判を批判する人は、制度そのものが戦勝国の都合による不公平なものだ、という批判をするが、実は戦敗国の都合でもあったんだ。その意味からすると東条さんも本懐を達したわけだが、天皇制が続くかぎり靖国に祭られることは、本人は不本意だろうな。

*乙 さあなあ、死んだ人の心までわからないがね。講和条約で日本が東京裁判を受け入れたということに、東京裁判史観を糾弾するといってるひとびとが「それは裁判そのものではなく判決(Judgement)のことである」といっているが、全体で見ると同じことだよ。

2005年8月17日

靖国神社と土方歳三

 A級戦犯を合祀するとか分祀できないといった、神社側の、原則・慣例なるものは明治以降に創作されたものだと思っているが、木偶の妄言さんの「神田明神の話」を拝見し、あらためて「なるほどなあ」と思った。

 そこで靖国神社に提案がある。戊辰戦争の幕府側で戦い戦死した人は祭られていないと聞くが、是非合祀してほしい。今、若い人に人気がある土方歳三などは、まっさきに取り上げるべきだ。なにしろ一緒に戦って逮捕された戦犯・榎本武揚大鳥圭介は特命をもって釈放され、榎本は後に諸大臣を歴任して子爵となり、大鳥は朝鮮公使に任命され正二位が遺贈されるなど、見事に名誉回復を果たした。

 A級戦犯だった重光葵と賀屋興宣が大臣になったから名誉が回復され、戦犯は犯罪者ではなくなった、という理屈と全く同じである。もし神社側で「政府から名簿がこないから」不可能だというなら、政府から名簿の取り消し通知があれば、それに従うということになるのか。それもできないというなら、宗教とは名ばかり、国民とは無縁で自主性のない妖怪的存在となってしまう。これでは、英霊も落ち着かないだろう。

2005年8月18日

みっともない運動

*第一位 「出歯亀」。「助平」にはまだエロチズムの響きがある。女風呂のぞき常習犯などには、それよりズーッとグレードの落ちる「出歯亀」ということばで表現された。普通の市民は該当しないさげすみ用語である。それが、今や大学教授、評論家、国会議員、警察官、教師にまで普及するとは。みっともなさも世の末。

*第二位 「弱者虐待」。男が女性や子供など弱者に暴力を振るうのは、「男の風上にもおけない」として、仲間はずれにされるほど恥ずかしいことだった。最近のテレビドラマでは女性を打擲する場面がよくでる。どんなに感情が高ぶっても我慢するのが男だった。もっともこの頃は強弱立場が逆転しているのかな。

 ―― お堅い方では

*第一位 イラクには行ってみたものの、びくびくしながらたいした仕事ができず、地元からも期待はずれといわれ、いつ帰れるかも決められない自衛隊。

*第二位 刺客候補と持ち上げられ、意気揚々とはしゃぐ有名、無名人。&詫び状をだして公認状にしがみつく元反対派。

2005年8月19日

日本の領土拡張案

 以前、大東亜戦争は「結果としてアジア各国の植民地独立に寄与した」と書いたことがあるが、「方針として」ではなく「結果として」の意味を、昭和18年5月31日の御前会議の決定から確認しておきたい。

 「マライ・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベスは帝国領土と決定」し、独立は許さず軍政を継続し、ジャワだけに「政治参与」を特認する。(『昭和経済史上』日経新書)

 日本が占領した上記マライは英領マレー半島、その他は大部分が現インドネシアで、それまで英領などの一部をのぞきほとんどが蘭領だった。そのほかビルマ(現ミャンマー)とフィリピンは独立を容認する方針がすでにあった。なおベトナム、ラオス、カンボジアは仏領または同保護国で、タイは以前からの独立国であった。

2005年8月20日

渇水対策

 四国の早明浦ダムの干上がった写真が繰り返し報道され、地元ではさぞかし大騒ぎかと思ったら、なにかそれほどでもないようにも見える。以前にも危機的な状態になったことがあったが、騒いでいるうちに雨が降り、事なきを得たので、またそういうことになると楽観しているのかしら。

 一日31万トンの生活用水がいるそうだが、去年、サウジアラビアで海水から真水を作る装置のうち22万トン分のリハビリ工事を日本の企業が60億円で落札した(伊藤忠商事HP)とある。日本はこの分野でも高い技術を持っている。本四架橋を一本やめるとか不要のダムをやめれば、作れると思うが、そんな話は聞いたことがない。しろうと考えなのかしら。

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2005年8月 1日 (月)

2005年8月

[反戦老年委員会復刻版]

 月が変わって8月になった。戦後60年がかまびすしい。マスメディアが何をどう表現しようとしているのか、そしてそれをつかみきれるのか。さらに郵政問題に端を発する政局動向、靖国、6カ国協議などなど、ブログの夏休みもろくろくとれない。

 さあどうなるか、しばらく静観するか、書きまくるか、当委員会にもこの先のことはわからない。

2005年8月2日

憲法案の品格

 自民党新憲法案がでてきた。党内で意見の一致がないせいか、前文は省かれている。それでなくとも、一見して品のない案である。現在の政治家の限界というかレベルはこの程度なのか、と慨嘆せざるを得ない。

 9条を大幅にふくらませて3つの枝を作り、項を5倍にふやした。こんな条文は、下級の法律か政省令ではよく見かけるが、声をあげて朗読したくなるような品格はない。

 9条の2第3項にこうある。「自衛軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を順守して行わなければならない」。

 これでは、他の法令が憲法の上にあるように見えるばかりか、敵国条項のある現国連憲章や、改められるべき悪しき国際慣例にも従属しなければならないのか、ということになる。

 読売、産経の社説がいうように、野党・民主党だけでなく、社会党・共産党も、それぞれが理想とする憲法案を掲げるべきで、どれが国民の琴線にふれる案なのかを競争すればいい。憲法論議はそこからはじめてスタートする。

2005年8月7日

政変

 明日はどんな形になるにしろ、政変もしくは政変の第一歩になるでしょうか。人生長くやっていますが、こんなに先の見えない政変劇ははじめてです。また、あとの天下を取る人の顔がさっぱりみえてこないことも異常です。

 原爆被災、敗戦60年記念日を挟んで、こんな低次元の政変劇にうつつをぬかしている政治家がいる限り、日本の常任理事国入りや6カ国協議に成果を期待するのは無理というものです。

 政治的空白はもうとっくにはじまっています。ここはひとつやせ我慢で、選挙を通じよりよい政治を求め続けるしかないようです。

2005年8月8日

新・加憲論

 公明党が「加憲」を看板に掲げている。同党の成り立ちや政治行動には疑問を感じるが、方法論としての「加憲」は、現実的な対応を考える上で大いに検討する価値があり、同党の専売特許であってはならない。

 当委員会は、現行憲法を変更する必要はないと考える。ただ、9条で自衛隊の存在と活動が問題視されており、拡張解釈の限界を越えかねない現在の状況は、放置できない。そこで9条には手をつけず、第12章に「追加・修正条項」を新設して、現・自衛隊のあるべき姿を将来にわたって規定する。またその他の便乗的改憲は違憲状態がない限り見送る。

 新条項に盛り込まれる新・自衛隊の任務は、専守防衛、災害救援出動、PKO活動などとする。新・自衛隊の名称は任務にふさわしいものとするが、9条が生きている限り「軍」はあり得ない。ついでながら、服装や装備の迷彩色はやめて、若者好みの明るい目立つ色にした方がいい。

2005年8月8日

隠された争点

 参議院の郵政民営化法案否決、衆議院解散がこの日に決まり、テレビ報道は、青票を投じた自民党議員のコメント、各党の選挙対応、首相の会見などを追い続けている。首相とその周辺は、早くも選挙の争点を「郵政民営化に賛成か反対かの国民投票」にしぼっており、マスコミもこれにひきずられるように反応している。

 一方、千載一遇とはしゃぐ野党の方は、従来の使い古したお題目以外に、小泉自民党と対決すべき有効な争点を示せないでいる。これに対して、明確かつ重大な争点を指摘したのは、皮肉なことに自民党の反対派の議員たちであった。それは、法案に対する疑念をことばのあやで説き伏せ、少数意見を多数決で切り捨てるという小泉流の手法にNOをつきつけたことである。

 反対意見を「改革対抗勢力」ときめつけ、官は悪、民は善「改革の紋所が目に入らぬか」といわんばかりの切り口上に、「私のどこが悪いのかわからない」と開き直る。これらに民主主義の危機を感じた反対派の感性は正常というべきで、本来ならばもっとスポットが当てられるべきなのである。その理由については、不十分ながら前稿の<主義>批判を参考にしていただきたい。

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