« そうとばかりはいえません | トップページ | 少子化対策 »

2005年6月 7日 (火)

「勝ち組」の先祖?

[反戦老年委員会復刻版]

 前に日本の敗戦を信じない「勝ち組」について書いた。敗色が次第に色濃くなってきた昭和18年4月、戦局を国民はどう見ていたか。近衛文麿の秘書として高松宮に国家の中枢の動きを連絡していた、細川護貞氏(細川元総理の父)の日記、『情報天皇に達せず』がよく引用される。

 その中で高村氏(近衛総理秘書官・大阪警察局長)は又、

 今日我国には三つの階級あり。一つは智識階級にして事態の悲観的なるをよく知り居り、東条内閣に反対せるもの<彼等は二人会合する時は悲観論を唱へ、四五人の時はこのまヽにては悪しと云ひ、十人以上なるときは一億玉砕の意気もて時難に進むべしと呼ぶ徒輩にして、本心は悲観論者なり>。及び町会長、警防団長程度の辛うじて新聞を読み得る階級にして、彼等は新聞の知識のみを以て、上流階級が戦争に協力せざることを憤激し、政府が一度号令せば、国民のすべてが蹶起すべきを信じ居る者にて、もつとも張り切つたる者。及び第三に所謂大衆にして、自己の生活のみを考え居る人々なり。彼等は一日も速やかに戦争の終結を望み居る人々なりと。而して一般の低級なる官吏は此の二者に入るべしと。

 この分類に軍人は入っていないが、前線を知らない志願兵や、下士官・幹部候補生などには、悲観論より「勝ち組」が多いだろう。しかし終戦でそれらの状況は一変した。新しい現実をどう受け入れるかである。やはり大多数の人は、死なずにすんだことでほっとしたはずである。

 「鬼畜米英」だと思っていた占領軍も、国民には食料を援助し紳士的・友好的にふるまった。そして、かつての戦争指導者・協力者に冷たい目が向けられるのは、占領軍の宣伝があったにしろ当然の成り行きであった。

 東京裁判を抵抗感なく受け入れたのも、そんな下地があってのことである。いまさら「勝ち組」のような論理を展開して、過去の歴史を変えようとしても無理が生じよう。

2005年6月8日

志賀直哉の何故だ!

 昨日、『情報天皇に達せず』の記事を紹介した。同書は昭和28年(1953)、対日講和条約締結の翌年に発行されている。その巻頭に志賀直哉と武者小路実篤の「序」があり、当時の戦争とその処理に対する「感じ方」が率直に表現されているので、もう一度参考に供したい。

 武者小路は「日本が負けるにきまっている戦争をなぜ始めたか、そしてどう言う風に無理な戦争をつヾけ、そして大きな犠牲を払つて、遂に完全な敗北をしたか」につき、真相解明が続くことに期待を寄せた。

 志賀直哉は、著者・細川の周辺にいる人がほとんど戦争反対で、敗戦を予測していたのに、なにもできなかった、それは当時の「酷しい憲兵政治」のもと、反対を組織する勇気がなかったからだ、と断じている。

 その一方で「前途ある若い人々が蚊か蝿のやうに惜し気もなく殺されて行く時、既に此世である程度仕事をして了つた老人達が自分の生命を惜んで、それを仕なかつたとも思はれない。勇気がないには違ひないが、命惜みをしてゐたのとも少し異ふやうに思はれる。矢張り、さういふ人達は組織を持つことが出来ず、一人々々では何事も出来ないと諦めて了つたのがいけなかつた」と結論づけた。

 そんな大物じゃないが当委員会も、身につまされてしまうよ~。

2005年6月28日

『昭和天皇』論

 昭和天皇像は、もともと平和愛好家だったにもかかわらず、軍部に振り回されて敗戦の憂き目にあい、神の座から引きずりおろされた、という半ば同情的な見かたが戦後多かった。

 このところ、日記その他の資料分析が進み、天皇がより能動的に戦争遂行にかかわっていた、という指摘が多くなってきた。それでなくとも、議会も内閣も総理も直接口出しできない陸海軍の統率者・大元帥に、戦争責任がないとするのは苦しく、天皇の名のもとに生まれた多くの犠牲者への道義的責任も免れない。

 その集大成として、ハーバート・ビックスの『昭和天皇』上・下が参考になると期待して見た。まだ読破していないので、以下は、途中での感想となる。

*評判通り多種多様な史資料が使われているが、著者も言うとおり、宮内庁資料など公開されていないものも多く、全体解明にはなお不十分である。

*それだけに、資料の吟味・評価は慎重になされるべきだが、週刊誌記事まで引用するなど、特定のレールのもとでただ網羅した、というように感じられる。

*天皇自身の心理描写や分析など、資料にもとずかない文章表現は、歴史書としてなじめない。

2005年6月30日

『昭和天皇』論②

 企業史の編集に要する期間は、歴史10年につき1年あればよい、とされている。ビックスは1991年から9年かけて本著に取り組んでおり、膨大で難解な日本語史料と格闘しながらの力作であることに異論はない。

 特に戦後については、アメリカ側の史料を駆使し、天皇制を維持、利用することに日米当局の思惑が一致したため、新憲法や東京裁判で一定の共同工作が進んだことなど、示唆に富むものが多い。

 その一方で、軍部や玉座をとりまく<span style="color: #ff0033;">邪悪な連中(Evil Type)</span>といった、ブッシュかライス発言のようなアメリカ式表現とか、「<span style="color: #ff0033;">古い自己認識に固執</span>」し、自ら退位することをを拒みつづけた、というような状況証拠による断定には、どうしても違和感が残る。

 やはり、日本の歴史は日本人の手でしっかり組み立てなければならないということを、痛感させる本である。

|

« そうとばかりはいえません | トップページ | 少子化対策 »

戦中・戦後」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/49743410

この記事へのトラックバック一覧です: 「勝ち組」の先祖?:

« そうとばかりはいえません | トップページ | 少子化対策 »